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聖書本文の純粋さが脅かされる目ざめよ! 1980 | 1月8日
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ます。ヨハネによる書の断片の一つは,西暦125年もの昔に作成されたものでした。それらの写本を,4世紀の写本,そして今日のわたしたちの聖書と比較した結果はどうでしょうか。一言半句の違いもないというわけではありませんでしたが,その音信に変わりはありません。どこであれ手が加えられた箇所は,すぐに明らかにされます。その音信は,はっきりと響き渡っています。
5,000を超すギリシャ語写本のおかげで,原本の本文を実際に復元する上で,手づるに事欠くことはありません。これら古代写本の研究にほとんど一生を費やしたフレデリック・ケンヨンは次のような結論を出しています。
「これら幾千部もの写本すべての起源をたどってゆくと,地球上の非常に多くの異なった土地や,非常な相違の見られる環境に到達する。ところが本文の変異は,全く末梢的な問題に関するものにすぎず,実質的なものではない。これはまさに,本質的に正しい方法で伝承が行なわれてきたことを示す驚くべき証拠である。
「また,これらの発見すべて,およびこの研究すべての全般的な結果が聖書の真正さの証拠となっていることを,最終的に見いだせたのは心強い限りである。そして,わたしたちは,実質的には損なわれていない,まがうことのない神の言葉を手にしていると確信しているのである」―「聖書の話」,136,144ページ。
聖書は二重の勝利者になります。聖書は本として生き続けるだけでなく,本文の高い純度を保っています。しかし,正確な本文が保たれてきたのは単なる偶然だ,という考えは道理にかなっていますか。二千年近くも前に完成され,激しい攻撃に直面した本が,幾千部もの古代写本という形で,依然として存在しているのは単なる偶然によると言えますか。しかもその古代写本の中には,原本ができてから25年以内に作成されたと思われるものもあるのです。これは,『われらの神のことばは永遠にたたん』と言われている方の力を示す豊かな証拠ではありませんか。―イザヤ 40:8。
聖書の生き延びるための闘いに関するこの記録には,まだ最後の章が残っています。東洋で「生まれた」この本は,どのようにして地の隅々まで生きた言語で配布されるようになったのでしょうか。また,神はなぜ,ご自分のみ言葉があらゆる土地の人々の手に入るよう見守られたのでしょうか。その理由は非常に重要です。
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生きた本は地の果てにまで達する目ざめよ! 1980 | 1月8日
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生きた本は地の果てにまで達する
その人はヨーロッパを制覇し,何者をも恐れませんでした。あたかも向かう所敵なしといった観を呈していました。ところが,聖書の歴史を調べた後,その人,ナポレオンは次の事を認めました。「聖書はただの書物ではない。それに敵するものすべてを征服する力を持つ生きた被造物である」。
確かに,聖書は不滅であることを証明してきた書物です。人を動かすその影響力を受けたのは,その発祥の地だけではありません。中東で生まれはしましたが,聖書は世界各地へ歩を進め,人類の心そのものに向かって,幾百もの言語で“語りかけることを覚え”ました。しかし,深刻な問題が生じなかったわけではありません。
世界の諸言語に訳される
15世紀末から19世紀末にかけて,聖書の“語りかける”
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