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凡ての人に親切を示すものみの塔 1961 | 1月15日
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た。ピリピ人たちはしばしば物質的な援助や,慰めと励ます言葉によって,パウロに実際的な思いやりと親切を示したのです。パウロがテサロニケにいたとき,彼らはパウロに二度も贈り物をしました。そして,使徒がローマに捕われていたとき,彼らはエパフロデトを彼のともに送って愛を伝えました。パウロは次のような手紙を持たせてエパフロデトを送り返しました。その手紙からピリピ人のことはパウロの祈りの中にしばしば言われていたことが分かります。
15 「わたしはあなたがたを思うたびごとに,わたしの神に感謝し,あなたがた一同のために祈るとき,いつも喜びをもって祈り,……わたしが,あなたがた一同のために,そう考えるのは当然である。……あなたがたをみな……わたしの心に深く留めているからである。」「ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり,わたしが福音を伝道し始めたころ,マケドニヤから出かけて行った時,物のやりとりをしてわたしの働きに参加した会衆は,あなたがたのほかには全くなかった。またテサロニケでも,一再ならず,物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。……わたしは,すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから,あなたがたの贈り物をいただいて,飽き足りている。それは,かんばしいかおりであり,神の喜んで受けて下さる供え物である。わたしの神は,ご自身の栄光の富の中から,あなたがたのいっさいの必要を,キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう」。―ピリピ 1:3,4,7; 4:15,16,18,19,新世。
16 すべての人に示す親切に対して,誰が私たちに支払う責任を取りますか。
16 ピリピ人は,この親切の報いをうけるであろうとパウロは示しています。神は「いっさいの必要」を満たすでしょう。私たちが見知らぬ者やクリスチャン兄弟に対して親切を行なうなら,エホバ神はその親切に対して報いを与える責任を取られます。エホバ神の御言葉は,私たちにこのことを保証しています,「身分の低い者にめぐみを示す者は,エホバに貸す者である。エホバはその行いに対して支払われるであろう」。「あなたのパンを水の上に投げよ。多くの日の後,あなたはそれを得るからである」。「あなたがたが知っているとおり,だれでも良いことを行なえば……それに相当する報いをそれぞれエホバから受けるであろう」。―箴言 19:17。伝道の書 11:1。エペソ 6:8,新世。
親切を示すことに対する報い
17,18 ドルカスの示した親切の故に,どんな予期しない祝福が来ましたか。
17 私たちのまくものがどんなものでも,それは私たちに返ってきます。私たちが親切をまくなら,それは私たちに返ってきます。「多くの日の後,あなたはそれを得る」。すべての人に親切を示すクリスチャンたちには予期していない祝福が来ます。たとえば,ドルカスのことを考えてごらんなさい。彼女は「数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。ところが,そのころ病気になって死んだ」。ドルカスの死んだ町ヨッパにいた弟子たちは,使徒ペテロが近くの町ルダにいると聞きました。彼らはふたりの人をペテロのところにつかわして,次のように頼みました,「どうぞ,早くこちらにおいで下さい」。ペテロがヨッパにつくと「屋上の間に案内された。すると,やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて,ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を,泣きながら見せるのであった」。その光景を思いうかべることができます。一群れのやもめたちが,親しい友であるこの姉妹を失なったことに涙を流しながら悲しみ,ドルカスの愛と親切をあかしするものを示し,そのめいめいは自分たちに示された親切について使徒に告げました。私たちはその結果を知っています。ペテロはみなを外に出してからエホバに祈りました,「彼女は目をあけペテロを見て起きなおった。ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから,聖徒たちややもめたちを呼び入れて,彼女が生きかえっているのを見せた」。―使行 9:36-41,新口。
18 予期していなかったなんとすばらしい祝福だったのでしょう! 死人のなかからよみがえらされたのです。これは使徒の一人が始めて行なった復活の奇跡であると記録されています。その結果をもたらした状態は,親切に根づいていたのです。ドルカスが愛ある親切に富んでいなくてもこのような奇跡はおこる,などと言える人はひとりもいないでしょう! ドルカスとやもめたちが祝福をうけただけでなく,この出来事は真理についてあかしをすることになり,「多くの人々が主を信じた」。―使行 9:42,新口。
19 人情のない,残酷な人についての神の規則は何ですか。このことはどのように例示されていますか。
19 すべての人に親切を示そうとしない人々は,たくさんの祝福を夫ないます。たしかに「いつくしみある者はおのれ自身に益を得,残忍な者はおのれの身をそこなう」。(箴言 11:17,新口)それは神の規則です。そのことを良く表わし示す例は,アビガイルとナバルです。アビガイルは「賢くて美しかったが,その夫は剛情で,粗暴であった」。ダビデはかつてナバルに親切を示したことがあり,ある日人々をナバルのもとにつかわして,すこしの食物を求めさせました,「どうぞ,あなたの手もとにあるものを,贈り物として,しもべどもとあなたの子ダビデにください」。残酷でけちなナバルは「その使者たちをののしった」のです。ダビデはこのことに怒りを感じ,つるぎを帯びて,彼と家来たちは不親切な行いを示したナバルに返報しようと決心しました。ナバルの妻アビガイルはダビデに取りなしを願い,「パン二百,ぶどう酒の皮袋二つ,調理した羊五頭,いり麦五セア,ほしぶどう百ふさ,ほしいちじくのかたまり二百」をダビデにささげました。アビガイルは,親切心とかしこさを表わした熱烈な願いの言葉を述べて流血の惨事を引きおこすことをダビデに思い止まらせました。一方ナバルは「ヱホバ,ナバルを撃ち給ひければ死ねり」。ダビデは,ナバルが分相応の仕打をエホバからうけた,と知りました。「ダビデ,ナバルの死にたるを聞きていひけるはヱホバはほむべきかなヱホバ我かうむりたる恥の訟をただしてナバルにむくい……そはヱホバ ナバルの悪をその首に帰したまへばなり」。親切で利口なアビガイルは,予期しない祝福をうけました,「ダビデはアビガイルを妻にめとろうと,人をつかわして彼女に申し込んだ」。―サムエル前 25:3,8,14,18,38,39。
20 なぜ,意地のわるい,残酷な人は,当然の報いを必ずうけますか。
20 私たちはエホバから,分相応のものをいただきます。不親切は,親切と同じく必ずもどってきます。意地のわるい残酷な人は,親切を示すことの祝福を失ないます。そして,数多くの方法で「おのれの身をそこな」うだけです。残酷な人が人間からの返報をうけず,またからだを害する感情にくるしまないように見えなくても,勘定を正確につけるエホバからの返報を避けることはできません。「不正を行う者は,自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない」とパウロは述べました。一方,「正義といつくしみとを追い求める者は,命と誉とを得る」。―コロサイ 3:25。箴言 21:21,新口。
21 神は何に反対していますか。しかし,クリスチャンの精神は何ですか。
21 神が不親切 ― けちくさいこと,残酷なこと,吝嗇,狭量そして利己主義に反対しているという証言はたくさんあります! クリスチャンの精神は,温和,あわれみ,寛容,もてなし,そして寛大です。クリスチャンのはかるものは,けちけちしたすくないものでなく,あふれ出るものでなければなりません。イエスは次のように言われました,「与えよ。そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れあふれ出るまでに量をよくして,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされであろうから。」― ルカ 6:38,新口。
22 クリスチャンは,その親切をどのように量るべきですか。その結果は何ですか。
22 それで私たちの親切を寛大にはかりましょう。クリスチャンたちは,御国の真理を見知らぬ人々に教えて親切を示します。かくして自分たちの時を惜しみなく与えることによって寛大なことを示します。寛大をたくさん量れることができるときであっても,神の貴重な御国奉仕に時間をけちけち量るなら,私たちは祝福を失なうでしょう。「少ししかまかない者は,少ししか刈り取らず,豊かにまく者は,豊かに刈り取ることになる」。すべての人に私たちの自由を寛大に示すなら,豊かな報いと予期しない祝福をうけるでしょう。まったく,あなたは「天にいますあなたがたの父の子」であることを証明するでしょう。―コリント後 9:6。マタイ 5:45,新口。
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災害 ― 時代のしるしものみの塔 1961 | 1月15日
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災害 ― 時代のしるし
1950年代は,アメリカにおいては災害の10年間であったと言われています。ハリケーン,洪水,旋風,火事その他の災害の結果として,2万9000戸の家が破壊され,60万戸が損害を受け,160万人が家を失いました。アメリカ赤十字社が,1950年代をアメリカ史上最も災害の多い10年と呼んだのも当然です。
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一生の目的を追い求めるものみの塔 1961 | 1月15日
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一生の目的を追い求める
ロイド・バリーの経験談
こどものときに聖書のすばらしい真理を学ぶ者たちは,ほんとうに大きな祝福をいただいています。私が小さかったとき,大いなる神エホバ,その御国の目的,魂や生命の希望などを熱心に教えてくれた父親に,私はいつも感謝しています。この聖書の教えは,学校に来て騒がしい子供たちをこわがらせるために「地獄の火」の苦しみについて話した牧師たちの教えとは,なんとちがうのでしょう! 私はごく小さい時から聖書を愛するようにそだてられました。また私は聖書と共に「ものみの塔」誌をも愛しました。この雑誌は,私の幼い心に大きな印象を残しました。10歳の時でも私は「ものみの塔」から多くのものを学ぶことができました。そして今でも1920年代に研究したたくさんの記事をはっきりおぼえています。私は33年のあいだずっと「ものみの塔」を読んできました。
私は少年時代を,ニュージーランドのクライストチャーチで過ごしました。学校の生徒のとき,私はいっしょうけんめい勉強して,大学に入るための奨学金の試験では第1位を取ることができました。ニュージーランドの専門学校や高等学校は,この賞金を得ようとたいへんな競争をします。私は原子科学者になるはずでした。しかし,物質主義的な考えや進化論的な考えが私を取りかこみ,私はほどなくしてそのような考えは牧師たちの「地獄の火」の教えと同じぐらい理性に欠けたもの,価値のないものと知りました。聖書は,私の生活に大きな力を行使し始めました。私は科学の部門で学位を取りましたが,この大学時代の大部分は,ほとんど開拓者なみの時間を奉仕にささげていたのです。そして,しばしば休暇開拓奉仕をしました。
第二次世界大戦中の奉仕
1939年1月,私はオーストラリアのベテルで全時間奉仕を永久につづける決意で始めました。このときには戦争の雲行は険悪になり,暴徒の襲撃や迫害も起きてきました。第二次世界大戦が始まった月には,私は一連の大会に奉仕しており,3週間の週末はたてつづけに暴徒に襲われました。ニューサウス・ウェルス州のマイトランドでは,予定されていた市会館での集会は禁じられ,一人の兄弟と私はその会館の前に宣伝車をとめて,この不正手段に対して抗議しました。私が話し終えたとき,牧師にそそのかされた暴徒が私たちのところに来て,自動
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