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  • 生活の中で何を第一にしますか
    ものみの塔 1965 | 12月1日
    • ができるでしょう。また楽しみや娯楽を第一にする人があります。そういう人たちは観劇,トランプ遊び,特定のスポーツに熱中し,それをしないではいられません。まさに「神よりも快楽を愛する者」です。また性のことを第一にする人も少なくありません。彼らの見たり読んだりするテレビの番組,映画,劇,本,雑誌は性への関心に相応したものです。休暇も,パーティも,ダンスもそれに相応したものです。そのようなことを生活の中で第一にすると,神の怒りを招くのみならず,神の不変の律法とも衝突して,堕落しないまでも,肉の欲から失敗を刈り取ることになります。私たちはそれをのがれることはできません。「人は自分のまいたものを刈り取ることになる」。―ピリピ 3:19。テモテ後 3:4。ガラテヤ 6:7,8。

      9 また,前者よりいくぶん認識があるとはいえ,基本的にはやはり自己中心的な人で健康や体力を生活の最重要事とする人があります。彼らはそのことを考え,話し,それを守るために努力します。いつも特殊の食事をし,治療を受け,新しい保健用具が売り出されるとそれを使ってみます。肉体の健康を心配しすぎて霊的な健康を軽視します。そういう人々は,人が生きるのは食物だけにたよるのでなく,「エホバのみ口から出るすべての言葉による」ということを見落としているのです。クリスチャンにとって,健康なからだをもつことは目標ではなく,せいぜい目標を達成するための手段にすぎません。―申命 8:3。

      何を第一にするか,それは神の国

      10 私たちは何を第一にして生活すべきですか。なぜですか。

      10 人が生活の中で第一にすべきものは何ですか。それは何を望むかによって左右されます。あなたは肉の欲から,困惑,心配,または腐敗を刈り取ることを望みますか。それとも,神に認められ,正義の新秩序のもとで永遠の生命を得ることを望みますか。もしそれが望みならば,神の国を生活の最重要事としなければなりません。

      11,12 (イ)生活の中で神の国を第一にしたいと思えば,まず何を取りいれねばなりませんか。(ロ)そのために神はどんな助けをもうけられましたか。

      11 生活の中で神の国を第一にするには,まず知識を取り入れねばならないことはいうまでもありません。ロマ書 12章2節に指摘されているように,何が善であって喜ばれ,かつ全き神のみこころであるかをわきまえ知るために,心をかえて新たにしなければなりません。これは神のみことばの研究によってのみ得られる知識です。『あなたの足のともしび,あなたの道の光』となるのは神のみことばだけです。これだけが「救に致る知恵」をあなたに与えるものです。神のみことばだけが「神の霊感を受けて書かれたものであって,人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益」であり,それによってあなたは「あらゆる良いわざに対して……完全にととのえられた者になる」のです。―詩 119:105。テモテ後 3:15-17。

      12 しかしなんの援助も受けずに,神のみことばからこの助けを得られる,というのではありません。神がみこころにより,あなたのためにこの日この時代に設けて下さった援助を利用する必要があります。神は使徒の時代に,ある人々を用いて,当時のクリスチャンたちに霊の食物を与えさせました。同じく私たちの時代にも,キリストがご自分の追随者に時に応じて霊の食物を与えさせるために用いておられる,聖別され,油そそがれたクリスチャンたちがいます。イエスは,神の国の地上における関心事すべてを監督させるために彼らをお立てになりました。―マタイ 24:45-47。

      13,14 (イ)正しい知識を得ると私たちは何をするようになりますか。(ロ)知識を得たらどんな責任が生まれますか。

      13 正しい知識を取り入れると,人は神の国に注意を向けるようになり,神の国の重要さと,神の国への奉仕がいかに大きな特権であるかを理解します。そしてその御国をつぐため,イエスのように喜んで,いわばすべての持ち物を売ります。別の言葉で言うと,神に奉仕し,神のみこころを行なってイエスの足跡に従うために身をささげます。―マタイ 16:24。

      14 そのように神に献身したなら,毎日24時間クリスチャンである義務があります。つまり全時間,クリスチャンでなければならないのです。しかしあなたの場合,それが同時に全時間伝道者となることを意味するかどうかは,状況がそれをゆるすかどうかによります。あなたには家族を扶養する義務があって世俗の職業をおもちかもしれません。それでもクリスチャンとしての生活をし,御国を生活の最重要事にしなければなりません。

      神の国を第一にするための助け

      15,16 (イ)その責任を果たすさいに,信仰はどんな働きをしますか。(ロ)正直さはどのように役立ちますか。

      15 いまのような事物の制度の中で,神の国を第一にして生活するのは容易ではありません。ゆえに私たちは,クリスチャンの美徳を培う必要があります。その美徳のうちおもなものは信仰です。神が存在されることと,また神を熱心に求める者に神が報いを与えられるということに対するゆるぎない確信は,信仰から生まれます。神の国を第一に求めつづければ,『他の物はすべてそえて与えられる』という約束にしたがって積極的に行動できるのも信仰によります。信仰があれば,たとえ迫害や死に直面しても,神の国を第一にし神の国に忠誠をつくすことができます。―マタイ 6:33。コリント前 15:58。ヘブル 11:6。

      16 正直であること,あるいは良心的であることも,神の国を第一にして生活するための助けになります。厳密にいうなら,人はだれでも神に仕える道義的責任があります。『私たちを造ったのは』結局『神であって,私たち自身ではありません』。人の生命は神に依存しています。したがって人間は神に恩をうけています。正直な人ならだれでもその恩に報いることを望むでしょう。神のみこころを行なうことに献身すれば,この恩に報いることはいっそう重要になってきます。―詩 100:1-3。

      17,18 (イ)敬虔と,足ることを知ることとはこの点でどのように助けになりますか。(ロ)けんそんさはどのように役立ちますか。

      17 足りることを知ることや敬虔というすぐれた特質も,神の国を第一にして生活するさいの助けになります。敬虔であれば,この世の物質を,霊の事柄と比較して正しく評価できます。足りることを知っていれば,この世の生活必需品も最少限度で満足でき,楽しい気持ちになれます。パウロはほんとうに賢明な助言を与えています。「信心があって足りることを知るのは,大きな利得である。わたしたちは,何ひとつ持たないでこの世にきた。また,何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。―テモテ前 6:6-8。

      18 神の国第一主義の生活をするのに役立つクリスチャンの特質はほかにもありますが,その一つは謙そんさです。謙そんとは,自分自身,また自分の能力を正しく評価すること,『思うべき限度を越えて思いあがらない』ことです。謙そんであれば,自分のことを気にしすぎたり,人の失敗を気にしすぎることはありません。謙そんであれば,神のみこころや指導する人々に従いやすく,また神の国のために指導する人々に従うのが容易です。そして,出すぎたことをせず,摩擦を最少限度にすることができます。―ロマ 12:3。ヘブル 13:7,17。

      19 神の国を第一に生活することにおいていちばん役立つのはどの特質ですか。

      19 しかし,クリスチャンの特質のうち最も重要なのは愛です。「信仰と希望と愛」のうちで最も大いなるものは愛だからです。エホバを愛すれば,エホバを喜ばせ,エホバに認められたいと思います。心をつくし,精神をつくし,思いをつくし,力をつくして神を愛すれば愛するほど,神の国を第一にすること,自分にとって望ましく思える他のすべてのものよりもそれを先にすることは容易になります。隣人愛も助けになります。隣人愛があれば,御国とその祝福を隣人に告げることにおいて活発になるからです。―箴言 27:11。マルコ 12:29-31。コリント前 13:13。

      時間を賢明に使う

      20-22 生活の中で神の国を第一にするには,時間についてどんな注意が必要ですか。

      20 神の国を第一にして生活するには,時間を賢明に使わねばなりません。時間は限られています。私たちが伝道に行くと,人々は,忙しくて話が聞けない,と言います。仕事がたくさんあって忙しいことは事実です。しかし,私たちの伝える聖書の音信がいかに貴重で重要であるかを知るなら,彼らは時間をつくって,私たちの話を聞くでしょう。

      21 あなたは,エペソ書 5章15節から17節にある,時間の使用にかんする使徒パウロの言葉の重要さが理解できますか。パウロの言葉は今日においていっそう適切です。その言葉が理解できれば,あなたはそれを日常生活に適用されるでしょう。「あなたがたの歩きかたによく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」「このゆえに無分別とならず,エホバのみこころが何であるかを,ますます悟りなさい」。(一部新世)

      22 何に時を生かして用いますか。一つは個人の勉強です。私たちは会衆の集会に出るにも時を生かして用いなければなりませんが,個人の勉強も会衆の集会へ出ることと同様きわめて重要です。時を活用するには,見聞きしたことを,宣教のさい人に教えるのに用いるというだけでなく,自分もそれから学び,それを自分に適用するつもりで勉強し,聞くことです。集会に出ることについて言えば,天気が少し悪いと集会を休む人は,神の国を第一にして生活していますか。―ロマ 2:21。

      23 生活の中で神の国を第一にしようと思えば,そのほかどんなことに時間を用いるよう心がけねばなりませんか。

      23 神の国を第一にして生活するには,クリスチャンの宣教にも時を生かして用いねばなりません。あなたは偶然の機会を捕えて,街頭で,また家から家を訪問して,永遠の福音を伝えるために,また,聖書に関心のある人を再訪問したり,その人と一緒に聖書を勉強するために,できるかぎりの時間をささげていますか。1日に20分,1週間に2時間半,1カ月に10時間という,提案されている最少限度の目標は,円熟したクリスチャンにとって無理なものではありません。エホバの証人は,毎月少なくとも10時間を野外奉仕にささげるよう努力します。証人たちが訪問する人のなかには,その時間が多すぎると考える人もあります。ある国の人々には,証人の訪問回数が多すぎるように思えるのです。

      体力と資力を賢明に用いる

      24,25 神の国を第一にした生活をするには,体力についてどんな注意が必要ですか。

      24 体力の用いかたによっても,あなたが生活の中で何を第一にしているかがわかります。時間は,それを活用する精神的,また肉体的な力があってはじめて貴重なものになります。その力に限界がある以上,食べ過ぎや飲み過ぎ,夜ふかし,度の過ぎた騒ぎなどに浪費しないように注意が必要です。舌の筋肉は疲れないとはいえ,しゃべりすぎても神経の力は浪費されます。

      25 体力を使うさいには両極端を避けなければなりません。一つには狂信的にならないことです。詩篇 103篇14節で,はっきり言われているとおり,神は理解のある父であって,「われらの造られたさまを知り,われらのちりであることを覚えていられるからで」す。私たちは十分に休養をとり,落ち着きと,自制力と,健全な精神とをもって仕事にとりかかる必要があります。他方,肉体の健康が生活の中心であるかのように健康に気を使いすぎるという極端もさけなければなりません。神のことばがピリピ書 4章5節で,「あなたがたの〔分別〕をみんなの人に示しなさい」と助言しているように,平衡と中庸とを身につけるように努めましょう。

      26-28 神の国を第一にするなら,資力をどのように用いますか。

      26 もちろん,資力,すなわち金銭や物資の使いかたについても同じことが言えます。今日金銭を愛する風潮はとりわけ強くなっています。これは,生活の中で神の国を第一にすることを容易に妨げる巧妙なわなです。「富むることを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を滅びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛すること」,あるいは金銭で買える物を愛することは,「すべての悪の根である」。―テモテ前 6:9,10。

      27 たしかに私たちは正直な働きによって家族を養っていく責任があります。しかしもし,家にせよ,衣服にせよ,自動車にせよ,最上のものないしは最上に近いものを持たねば満足できないようなら,自分は神の国を第一にしているだろうかと自問してみるべきです。そのような考えかたをする人は,パウロがコリントのクリスチャンたちに与えたけん責に価します。コリントのクリスチャンたちは明らかに肉の心をもち,物質主義的でした。「あなたがたは,すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて,王になっているのだ。ああ,王になっていてくれたらと思う。そうであったなら,わたしたちも,あなたがたと共に王になれたであろう。……わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり,あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが,あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ,わたしたちは卑しめられている。……わたしがこのようなことを書くのは,あなたがたをはずかしめるためではなく,むしろ,わたしの愛児としてさとすためである」。コリントのクリスチャンたちは,神の国を第一にして生活していなかったのです。―コリント前 4:8-14。

      28 生活の中で神の国を第一にすればするほど,私たちは物質を得ること,またそれを楽しむことにおいて,節度を守るようになります。そうすれば,「不義の富」はより多く手もとに残り,それを神の国の地上における仕事や,貧しい兄弟たちに寄付することによって神とイエス・キリストを友にすることができます。―ルカ 16:9。

      気晴らしや娯楽に度を過ごさない

      29 気晴らしや娯楽はどうなりますか。

      29 神の国を第一にして生活するといっても,気晴らしや娯楽はいっさいいけないというのではありません。絶対に映画を見てはいけない,海水浴にいってはいけない。パーティ,結婚式,あるいは野球見物に行ってはいけないという意味ではありません。しかしそうしたことが,個人の聖書の勉強や,会衆の集会出席への大きな妨げにならないように注意が必要です。これもやはり平衡の問題です。度をすごさなければ,こうしたことも多くの人にとって役立つでしょう。しかしそれを第一にしてはなりません。

      30 娯楽にかんしてはどんなことを考慮すべきですか。

      30 度をすごさなければ,そして不潔にならなければ,そうしたことはクリスチャンにも禁じられてはいません。しかし今日の娯楽には不潔なもの,不道徳なものが多く,とくに映画や舞台劇にはそうしたものが少なくありません。パーティにも同様の用心がいります。パーティは,肉の欲を満たすための口実か,あるいは親交を深め,お互いの徳を高めるものかのどちらかになります。ある牧師はパーティで,真理を求めている人から聖書について質問されたとき,「まあそうかたくならずに,そういう話はまた別の時にしましょう」と言いました。そういう牧師のまねはしないようにしましょう。社交的な集まりの時でも,クリスチャンとしての会話を除外してはなりません。そういう時に何を好んで話すかによっても,私たちが生活の中で何を第一にしているかがわかります。

      31 ほんとうに神の国を第一にするなら,何を軽視しませんか。また多少軽視し,時間と精力をあまりかけなくてもよいものは何ですか。

      31 私たちには,時間,金銭,精力をとられること,しかも生活を非常におもしろくすることが数多くあります。私たちはだれにも恥じない正直な働きによって家族を養っていかねばなりません。聖書について個人的に勉強しなければならないこともたくさんあります。1週間に会衆の集会は五つあって,それの準備をしたり,また出席しなければなりません。クリスチャンの宣教においてもすることがたくさんあります。気晴らしや娯楽も必要です。その一つ一つを公平に扱うにはよほどの知恵がいります。しかし,もしそのどれかをあまり重視しないことにするとすれば,それは何ですか。気晴らしや娯楽のためにクリスチャンの責務を果たすことをしばしば怠り,キリスト教徒たることにおいては,単に善意をもつだけの者になりますか。それとも,気晴らしや娯楽を多少無視するほど,クリスチャン活動に関心をもちますか。

      32-34 私たちはどんな三つの理由のゆえに神の国を第一にして生活すべきですか。

      32 生活の中で神の国を第一にすることは,賢明で正しく,愛のある行いです。そうすることによって私たちはエホバ神に誉をもたらし,エホバの御名の立証に参加し,宇宙の主権者の心を喜ばすことができます。

      33 また,神の御国を第一にした生活は,自分の家族,いつも一緒に崇拝を行なう会衆内の人々,私たちが奉仕する外部の興味をもつ人など,他の人々に最大のしかも永続する益をもたらします。

      34 また神の国を第一にして生活すれば,自分自身に益があります。我欲に従って生活する人にのぞむ困惑や悲しみを避けられるだけでなく,清い良心,自分が霊的に円熟していくのを見る満足,仲間のクリスチャンや神に関心をもつ人々に自分の働きの実を見る喜びなど,多くの祝福を得ます。そのうえ,新しい事物の制度のもとで,新しい天か,あるいは正義の宿る新しい地か,そのいずれかの一部として永遠に幸福に生きるという将来を待ち望むことができます。―ペテロ後 3:13。

  • 神の国を第一にすることはエホバに祝福される
    ものみの塔 1965 | 12月1日
    • 神の国を第一にすることはエホバに祝福される

      「福音のために,あるいは家,あるいは兄弟,あるいは姉妹。あるいは母,あるいは父……をあとにした者で,いまこの時期に百倍を受けない者はない。……また来るべき事物の制度の下には永遠の生命を受ける」。―マルコ 10:29,30,新世。

      1 イエスがマタイ伝 6章33節で弟子たちにすすめておられる道については何が言えますか。

      イエス・キリストは,山上の垂訓の中で,「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言っておられます。弟子たちにそれをすすめたイエスは,正しい,愛に満ちた,非利己的な道を歩むよう弟子たちを励ましたばかりでなく,賢明な道をすすめられたことにもなります。―マタイ 6:33。

      2,3 神のことばは,神の国を第一にする者に対し,現在と将来にどんな報いを約束していますか。

      2 生活の中で,神の目的と御国を第一にすることが真の知恵の道であることは,聖書がくりかえし指摘しています。使徒パウロは私たちにこう忠告しています。「神は不義なかたではないから,あなたがたの働きや……御名のために示してくれた愛を,お忘れになることはない。わたしたちは,あなたがたがひとり残らず,最後まで望みを持ちつづけるためにも,同じ熱意を示し,怠ることがなく,信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように,と願ってやまない」― ヘブル 6:10-12。

      3 神の国を第一にすることに対する祝福は,将来だけに限られているのではありません。エホバは,神の国を第一にする人々のために,現在の祝福をも用意しておられます。「信心は,今のいのち」のみならず「後の世のいのち」も「約束されているので,万事に益と」なります。現在の悪い事物の制度にいてさえ,「物惜しみしない者は富み,人を潤す者は自分も潤され」ます。イエスも,神の国のためにすべてを捨てた者は,「今この時代では」「その百倍を受ける」と約束されているではありませんか。またパウロも,「豊かにまく者は,豊かに刈り取る」と書いているではありませんか。―テモテ前 4:8。箴言 11:25。マルコ 10:29,30。コリント後 9:6。

      聖書にある例

      4 生活の中で神の目的を第一に考えたため,モーセはどんな報いを受けましたか。また将来どんな報いを受けますか。

      4 こうした聖書の示す原則や約束の真実さを証明しているのは,聖書に見出されるいく多の例です。ヘブル語聖書から一つの例をとると,預言者モーセがいます。彼は「キリストのゆえに受けるそしりを,エジプトの宝にまさる富と考え」ました。モーセはなんと大きな特権をもっていたのでしょう。彼はエホバに用いられて,世界強国エジプトのうえに十の災を下し,自民族をエジプトの束縛から救い出し,彼らを導いて無事に紅海を通過しました。モーセが紅海の上に手を伸べただけで,分かれていた海の水はもとに戻り,エジプト人は水中に没しました。彼は二度も「神の山」に40日間こもり,天使をとおしてエホバと語りました。モーセは「いちだんとすぐれた」律法の与え主であったとも言えます。と同時に彼は,神のことばを他のだれよりも多くしるす特権を得ました。神のお立てになる新秩序のもとで早く復活すること,君として奉仕することなど,将来与えられる特権はいうにおよばず,過去において彼に与えられていたほかの多くの特権と祝福を数えあげれば紙面が足りなくなります。それもみな,モーセが神の目的を第一に考えたからでした。―ヘブル 11:26。出エジプト 24:18; 34:28。

      5,6 イエスは,マタイ伝 6章33節にしるされているご自分の助言を実行したため,どんな祝福を受けましたか。

      5 それからクリスチャン・ギリシャ語聖書には,イエスと使徒たちの例があります。イエスは30歳の時,自己本位の物質主義的な道よりも神のみこころを行なう道を選ばれました。そのため,大きな祝福と喜びがイエスに訪れました。聖書にはあまり詳しく記録されてはいませんが,イエスの生活がいかに喜びに満ちていたかは,特に豊かな想像力がなくても,その記録から読みとることができます。今日でも,不治にみえる重病人,あるいはからだを動かせない人をなおして,健康と気力を取り戻させることができたら,それは医師にとって大きな喜びです。ところがイエスは毎日,それをすることができたのです。3年半の宣教期間にそうしたいやしは何千回にのぼったことでしょう。手を触れるとどんな病気でもなおるのを見て,イエスは大きな喜びを感じられたにちがいありません。そのうえ死人さえ復活させることができました。―マタイ 11:5。

      6 しかし,それ以上に重要だったのは霊のいやしでした。貧しいラザロ級,すなわち誠実で信仰深く,それでいてさげすまれていた卑しいユダヤ人が,アブラハムのふところによって象徴された,神に恵まれた状態に入れられたのをみて,イエスの心は喜びに満ちたにちがいありません。また,人類をあがなうために死ぬことは,それにもまして貴重な特権でした。そしてイエスの最高の特権は,サタン悪魔のもたらすあらゆる反対に抗して父の御名をたたえ,それを立証することでした。イエスご自身が言われたとおり,受けるより与えるほうがさいわいであるとなれば,イエスは与えることに終始したその生活から,どんなに多くの喜びを得られたことでしょう。エホバ神が,ご自分の助言に従って神の国を第一に求めるみ子イエスを祝福されたことには,疑問の余地がありません。

      7 生活の中で神の国を第一にした使徒たちを,エホバはどのように祝福されましたか。

      7 使徒たちもイエスの模範に従いました。エホバは彼らをも祝福されましたか。エホバが彼らを祝福されたのはたしかです。4人の卑しい漁師たちは,なんと有能で,大胆で,勇敢な奉仕者になったのでしょう。西暦33年の五旬節の日だけでも,「仲間に加ったものが三千人ほど」あり,その後間もなくその数は「五千人ほどに」なりました。「主を信じて仲間に加わる者が,男女とも,ますます多くなって」きました。「こうして神の言は,ますますひろまり,エルサレムにおける弟子の数が,非常にふえていき,祭司たち」さえ「多数,信仰を受けいれるように」なりました。また使徒たちは多くの奇跡を行なうことができたではありませんか。―使行 2:41; 4:4; 5:14; 6:7; 3:1-10; 9:32-42。

      エホバは今日目に見えるご自分の組織を祝福される

      8 聖書中の例や現在見られる例でわかるとおり,エホバは地上におけるご自分のみわざをどんな方法で行なわれますか。

      8 エホバ神は,地上におけるみわざを秩序正しい,組織だった,また平衡のとれた方法で行なってこられました。ノアの家族はエホバ神に協力しました。アブラハムの大家族もエホバに協力しました。エホバはモーセの時から,神を代表し,地上において神の目的を促進するために働く一民族を所有されました。キリストの時代でも,使徒の時代でも,そしていまの時代でも,同じことが言えます。事実の示すところによると,現在,永遠の福音を伝道するクリスチャンのエホバの証人の組織が一つあり,それにエホバが祝福を与えておられます。それらのクリスチャンは,広報機関としてペンシルベニア州法人のものみの塔聖書冊子協会をもっており,彼ら自身は,イエスが「忠実にしてさといどれい」と呼ばれた,イエスの足跡に従い,献身し,油そそがれた人々のグループに導かれています。―マタイ 24:45-47。

      9 1964年に,エホバは生活の中で神の国を第一にするご自分の民の組識的な努力をどの程度祝福されましたか。

      9 1964年には全世界に100万以上の伝道者がいて,「すべての民に対してあかしをするために」「永遠の福音」を伝道していました。彼らは194の国々,島々で伝道し,聖書や,162の異なった言語で書かれた聖書文書を配布し,1億6200万時間以上をそれにささげました。また人々を5500万回以上再訪問し,74万以上の家で,1カ月に1回から4回聖書研究を行ないました。―黙示 14:6。マタイ 24:14。

      10-12 この道に従った神の民にどんな祝福がありましたか。

      10 彼らの熱意は,ラジオやテレビをとおして人々の注目をあびるようになりました。一般の権威者たちが彼らの伝道方法を認めてくるにつれ,人々は百科事典や辞典で彼らのことをよく読むようになりました。強い反対にあいながらもそのような結果が生ずるということは,み国を第一にする彼らにエホバの祝福があるという以外に説明がつきません。―

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