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長い期間,しかし必要以上に長いわけではない目ざめよ! 1975 | 1月8日
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たか。人類のために備えられた,エホバ神の主権に再び従う道を示しましたか。
歴史の示すところによると,世の宗教組織は,政治権力と多くの場合『ぐるになって』働き,しいたげを行なう腐敗した政治支配者たちに国民が好意を持つようにしむけて,大帝国の建設に助力しました。宗教指導者たちは,自分自身十字軍や異端審問などの暴力行為を行なっただけでなく,それに加えて,官僚の腐敗を糊塗するものである政治上の戦争や経済戦争を祝福してきました。その報酬として宗教組織は利益と名声を刈り取りました。宗教組織はまた,人類の苦しみに対しても重い責任を負っています。
わたしたちの時代における例を一つだけ考えてみましょう。ニューヨーク・タイムズ・マガジンに載せられた,エチオピアの干ばつに関する一つの記事は次のように述べています。
「干ばつであろうとなかろうと,国土の3分の1を所有する教会は貧しい農民から小作料を取り上げてきた。貴族も同じであった。エチオピアの小作農民は作物の約90%を小作料や税金として支払ってきた」。
世の宗教はその信徒の間に,正直,徳性,品位,隣人愛などを重んずる風潮を生み出すことに失敗しました。不品行,青少年犯罪,従業員の不正行為,人種上の紛争などは増加しています。1974年5月18日号のサタデー・レビュー誌の世界欄は,「どこを見ても,道徳心の崩壊が必ず目につく」と述べています。
人類に対して配慮を示される神がなぜこのことを許せたか
人類は,神から独立した支配が過去約6,000年にわたって引き起こしてきた苦しみや心痛や損害を,完全に拭い去ることはできません。しかしエホバ神にはそれができます。エホバ神は,この地に対する利己的な人間の誤まった管理や支配を一掃して人間の苦しみを終わらせることができるだけではありません。(ダニエル 2:44)すべての有害な影響を,あたかもなかったかのようにしてしまうこともおできになります。どのように?
エホバ神は命の創造者ですから,死んだ人々を復活させることがおできになります。エホバのことばである聖書が示すところによると,み子の王国が支配する間に神は墓からすべての死者を出し,復活したそれらの人々に,永遠の命に至る道を歩む機会をお与えになります。(ヨハネ 5:26-29。使徒 24:15。啓示 20:11-13)そのようにして,イザヤ書 25章8節の霊感による預言が実現するでしょう。『とこしえまで死をのみたまわん主エホバはすべての面より涙をぬぐい……たまわん』。
み子の義の政府の支配を通して地上に楽園の状態を回復し,平和と公正と一致を全世界にもたらすことにより,生きている人々から過去の苦い記憶をすべて消し去ることができます。エホバが,長年バビロンに捕えられていた昔のイスラエルを故国に帰還させられた時に真実であったように,従順な人々が楽園の地に入れられる時にも次のことは真実となるでしょう。『人さきのものを記念することなくこれをその心におもい出ずることなし……なんじらわが創造するものによりて永遠にたのしみよろこべ』。(イザヤ 65:17,18)神は,み子による天の神の王国を通して,「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛も」なくなることを約束しておられます。―啓示 21:2-4。
これを信ずるには信仰が要求されます。聖書は,「信仰がなければ,神をじゅうぶんに喜ばせることはできません。神に近づく者は,神がおられること,また,ご自分をせつに求める者に報いてくださることを信じなければならないからです」と述べています。(ヘブライ 11:6)盲信には価値がありません。しかし証拠に基づく信仰はしっかりとした希望を与えます。神は,神が存在されるということだけでなく,「せつに求める者に報いてくださる」かたであるということも信じ得る証拠を十分に備えてくださいました。神が人類の益を考慮しており,またそれに関心をおもちになっている証拠として,神がすでに過去において行なわれたことを考えてみましょう。
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神はどれほど積極的に配慮を示してこられたか目ざめよ! 1975 | 1月8日
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神はどれほど積極的に配慮を示してこられたか
エホバ神は,人類が救いを,それが見いだせるという確実な希望もなく,ただ模索するままにまかせてはこられませんでした。幾千年も昔に神はご自分の目的を啓示し始め,その啓示をご自身のことば,全人類に対するご自分の音信として,記述させることをお始めになりました。
わたしたちは今日その音信を,霊感によって書かれた神のことばである聖書の中に持っています。わたしたちはその聖書から,エホバ神がどんなかたであるか,どんな特性を持たれるか,人々をどのように扱われるか,どんな規準をお用いになるか,といったことを学ぶことができます。また聖書の預言からは,エホバ神が何を行なうことを決意しておられるか,わたしたちは将来の自分の保護と益のためにどんな道を歩むことができるかを学ぶことができます。
神が全人類に対して配慮を示され,全人類に対して関心をお持ちになっておられる証拠は,聖書のページの中に豊富に見られます。神は個々の人間の威厳を尊重されます。神は強制された奉仕や崇拝ではなくて愛に動かされた心からの積極的な奉仕を望まれます。(申命 30:15,16)神の目には,人々の国籍,人種,社会的地位などの違いはまったく問題でないことを聖書は示しています。望む者はだれでも神に奉仕して自分自身,そして家族も大きな祝福にあずかることができます。―使徒 10:34,35。
聖書は,エホバ神が全人類に鋭い関心をお示しになったこと,また神を心から信じ信頼した人々を祝福されたことを示しています。その例をいくつか考えてみましょう。
アブラハムに対して行なわれたことは神が民族主義者でないことを示す
ユダヤ民族とアラビア民族の先祖であるアブラハムは,エホバ神のことばを信じ,自分から進んでエホバに仕えました。そのために神はアブラハムとその家族を祝福されました。神はアブラハムの信仰を非常に嘉され,アブラハムの家系のひとつの分かれから生まれ出る一つの国民を,特別の
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