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地球はどのようにして庭園のような住みかになるか目ざめよ! 1971 | 10月8日
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ちょうどその反対で,地が滅ぼされるのを阻止するために行動されるのです。ごみをそうじしたり,アブラムシを駆除するのに,家を焼き捨てる必要がないのと同じく,神も地球から汚染や地を汚す者を除くのに地球を破壊する必要はありません。ノアの時のように,地を汚す者を地から除くことが必要です。利己主義にもとづく全世界体制は除かれねばなりません。
このたびの破滅は洪水にはよらず,イエスが預言されたとおり,古代エルサレムを荒廃させた破壊に匹敵する「大かん難」によります。その破壊は,「世の初め以来今に至るまで起きたことのないような,否,二度と起きないような」ものであり,「事実,それらの日が切って短くされないなら,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,それらの日は切って短くされるでしょう」とイエスは言われました。(マタイ 24:21,22,新)その「大かん難」に通ずる「産の苦難」の中には次のようなものがあると預言されています。
「戦争の騒乱……かつ大いなる地震あり,処々に疫病・ききんあらん」。―マタイ 24:6-8。ルカ 21:9-11。
今の世代のあいだに,新聞をにぎわしてきたのはまさにこれらのことであり,現在では世界的な汚染による『地を滅ぼすこと』がこれに加わっています。この預言の成就は,地球を巨大なごみ捨て場に変える人間の不そんな行為が突如,そして決定的に終わりをみる時が近いという希望に,固い基礎を与えます。神は預言されていた「大かん難」をもたらされます。このかん難は『ハルマゲドンの戦い』によって最高潮に達するでしょう。それは枯葉剤や神経ガス,放射能降下により地球を生命のないところにしてしまう水素爆弾などを使って行なわれる国際間の戦争ではなく,神の御子とその天軍が勝利をおさめて,義を愛する人すべてに祝福と解放をもたらす正義の戦いです。―黙示 16:13-16; 19:11-18。
ついで神の王国は,「天におけるように地にも」神のご意志が行なわれるようにはかるでしょう。聖書の記録によると,神は最初の人間をおつくりになったとき,彼らに,エデンとよばれる地域に庭園のすみかを与えられました。そして神は彼らに命令されました。「生めよ繁殖よ地に満てよこれを服従せよまた海の魚と天空の鳥と地に動くところの諸の生物を治めよ」。(創世 1:28)これは,人間が地球を破壊するところまで地を利用していいという許可ではありませんでした。というのは,創世記 2章15節に,「次いで,エホバ神は,その人をとって,エデンの園に落ち着かせ」,汚染したり破壊するのではなく,「それを耕させ,かつ,それを世話させられた」とあるからです。それで神の命令は,地を心地よい程度に植民し,地球全体を公園のような状態にしなさいということでした。神のみ子による天の政府は,神の目的が確実に遂行されるよう,ハルマゲドンの戦いを生き残るすべての人の地上における活動を監督するでしょう。
はるかに豊かで健康的な生活が可能にされる
これは明らかに,地球が一大荒野と化すことを意味するものではありません。また,すべての人が丸太小屋に住み,まきストーブで料理をし,夜は植物油をもやすカンテラでへやを照し,あるいは最も粗末な道具を使わねばならないという意味でもありません。それは,どんな発明品または動力源が使用されようと,地球にも,その上に住む生物にも害を与えない方法で使用されるという意味です。神と隣人への愛はそれを確かにするでしょう。事実,彼らは愛と義にかんする神の標準に従うよう,考えかた,心構え,価値の観念を変えたためにハルマゲドンの破滅を生きのびることを許されるのです。
今日,人間の動力使用は地球を汚します。しかしきれいな動力源はたくさんあります。太陽はいつも地球全体の自然の動力源でした。そのエネルギーは植物の中で,すべての生命をささえる基本的手段を形成する化学変化を可能にします。太陽エネルギーは今日,衛星への動力供給や,ま冬の暖房にさえ使われています。フランスでは太陽炉をつくるため巨大な鏡が設置されました。太陽の光は,集中させると,摂氏3,000度くらいまでの熱をつくることができ,厚い鋼鉄の板でも焼いて穴をあけます。
他のきれいな動力源は,風,流水,潮流などです。今日のような大量生産の,動力に飢えた,スピードを気にする体制の中では,風車や水車のたぐいの,画趣に富んだ,地を汚さないものには全く関心がありません。馬や水牛,象の使用は,「低開発諸国」向きと見なされています。
しかし神の王国の支配は,地を汚す手段に大きく依存した現体制からの解放をもたらすだけでなく,完全な健康と永遠の命への道も開きます。寿命が短いという圧迫感もなくなるので,人々は,人間が今日「イタチごっこ」とよぶものを特色づける,狂気じみた忙しさや緊張のない生活をじっくり味わうことができます。永遠の命をもち,正しい動機をもち,宇宙の最高の科学者エホバ神の指導を受けるのですから,神の王国の臣民が,人間の使用に供するどんなきれいな動力源を開発しうるかはだれにもわかりません。
産業革命前,人々が小さな仕事場でいっしょに働いていたときでさえ,彼らは仕事をしながら交わりを楽しみ,とおりがかりの人とさえ親しいあいさつをかわし,世間話のひとつもしたことでしょう。彼らは一般に自分が奉仕する客をよく知り,また客にも知られていました。そして彼らは,質の高い,長もちのする品物を作り出すことに個人として正当な満足感と誇りを抱いていました。現代の機械時代が人間からこうした喜びや楽しみを奪い去ったことは否定できません。高速度で動く機械はきまってそれを操作する者に,機械をじっと見つめて,黙々と同じ動作を何千回もくりかえすことを要求します。多くの場合,作業が大がかりであればあるほど労働者の地位は非個人的,非人間的となり,自分が,見ることも聞くこともない人々に奉仕する,よく言われる「歯車の歯」のような気分になります。
たしかに神の政府は,今日多くの場合に欠けている,変化に富んだ楽しい生活と仕事をとりもどすでしょう。量が質よりも高く評価されることはもはやないでしょう。協力の精神が競争心にとってかわるので,人々は私欲のために張り合うこともやめるでしょう。愛は「己の利を求めず」。(コリント前 13:5)またクリスチャンは,「何事にまれ,徒党また虚栄のためにすな……おのおの己が事のみを顧みず,人の事をも顧みよ」とすすめられているからです。彼らの王イエス・キリストは,このことにおいて彼らに模範を示されました。―ピリピ 2:3-8。
かつて古代イスラエル(バビロニヤによる束縛のあと)の上に成就した聖書の預言は,神のみ子の統治期間中にさらに大いなる成就を見るでしょう。イザヤ書 65章21,22節(新)は次のように述べています。「かれらは家をたてゝ之にすみ葡萄園をつくりてその果をくらふべし……そはわが民のいのちは樹の命の如く我がえらみたる者はその手の工ふるびうするとも存ふべければなり」。またミカ書 4章4節はこう述べています。「皆その葡萄の樹の下に座しその無花果の樹の下に居らん これをおそれしむる者なかるべし 万軍のエホバの口これを言ふ」。
これらの平和な生活の預言的描写には,農村の生活を連想させるものが含まれています。もちろんこれは,神のみ子の支配下に共同生活がまったくないことを意味するものではありません。しかしその時には共同体がどんな大きさになっても,いまのように人々を高層建築の各階に並ぶせまい住まいに押し込め,彼らから太陽と新鮮な空気とプライバシーを奪い,騒音,交通問題その他の気分をいらだたす事柄で彼らを取り囲む ― すべて商業上の利益と産業上の便益のため ― 現代の巨大な怪物のようなものには発展しないでしょう。
草やシダ類にふち取られ,葉のしげった木枝が陰をつくる気持ちのよい小道が歩けること,あるいは白や黄色のヒナギクがそよ風にゆれる,ゆるやかな起伏の牧場を横切ること,または木の垣をくぐって,近くの森の落葉のじゅうたんに投ぜられた,どこまでも続く涼しい木陰の中を,青空にかがやく太陽の光を頭上にちらちら眺めながら歩けるということは,どんなに大きな喜びでしょう。美しい鳥のさえずり,こん虫の羽音,リスのおしゃべり,せせらぎの音,梢をわたる風のささやき ― 地の創造物の音を聞くのは本当に気分の落ちつく,気持ちのよいものです。
これらのものは本来,すべての人々が受くべき遺産でした。これは神の賜物です。わたしたちはほんとうにそれを望むでしょうか。もしわたしたちが公園の地球上で永久に住みたいと思うならば,わたしたちはどんな変化をとげねばならないでしょうか。
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あなたはどうすべきですか目ざめよ! 1971 | 10月8日
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あなたはどうすべきですか
今日,汚染問題は,わたしたちすべてにある程度の影響を与えます。近い将来に神が問題を永久に解決されることは,わたしたちにさらに大きな影響をおよぼすでしょう。それは,あなたも含めてこの地球上の人々すべてが,生きつづけられるかどうかということと直接関係があります。
そのことを考えるとき,あなたはどうすべきですか。考慮しなければならないことが二つあります。ひとつは,汚染の問題を少なくするためにあなたがいまできることです。もうひとつははるかに重要な事柄で,この事物の体制を生き残り,神がこの地にもたらされるパラダイスで住むために,あなたにできることです。
汚染については何ができるか
汚染をへらすためにあなたにできる実際的なことはたくさんあります。
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