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    ものみの塔 1976 | 2月15日
    • 朽ちることのない「天の王国」の下にあるわたしたちの避難所

      1 不安を感じさせる要素を幾つか挙げなさい。そのためにどんな痛切な叫びが聞こえますか。

      避難所を求める必要,危険や苦しみからかくまわれた安全な場所を見いだす必要を,痛切にお感じになったことはありませんか。皆さんの中には,夜ごとに防空壕に避難した戦時の記憶を今でもはっきりお持ちの方がおられるかもしれません。それは,ある程度の保護,ある程度の安心感を与えたことでしょう。しかし,今日の世界の危険と緊張についてはどうでしょうか。男の方でしたら,自分の仕事に安心感を持っておられますか。女の方でしたら,ご家族の生活や人間関係に安心を感じておられますか。あなたが,あるいはお子さんが,夜一人で外に出ることは安全ですか。あるいは,昼間でさえ危険があるかもしれません。非常な不安を感じさせる要素をほかにも沢山挙げることができます。インフレ,人々の蛮行,麻薬,汚染その他です。世界の状態がこれほど暗く見えたことはかつてありません。世界の苦難は深刻化しています。人間が自らをどうしようもない状態にある,ということは,いよいよ歴然としています。人間的な力に救いを期待し得ないことは明らかです。安全な避難の場所を一体どこに求めたらよいのか,この痛切な叫びが聞こえます。

      2 (イ)西暦1914年はどんな点で大きな転換点となりましたか。(ロ)その年以来,どんな点でエスカレーションが顕著になりましたか。

      2 この問いに答える前に,こうした事態の根本原因に目を向けましょう。こうした事すべては,いつ,またどのようにして始まったのでしょうか。時代を振り返ると,わたしたちは,西暦1914年が大きな転換点となっていることに気付きます。その年の夏に至るまで,世界の前途は洋々たるものでした。ヨーロッパには常設国際仲裁裁判所があり,国際間の問題の処理に当たっていました。多くの人にとって,生活はのどかなもの,明るい希望の持てるものでした。そこへ,まさに青天のへきれきのごとく始まったのが第一次世界大戦です。ただ一発のピストルの発射が,爆弾の雨へと拡大したのです。それは,あらゆる戦争を終わらせる戦争となることが期待されました。しかし逆に,それは,第二次世界大戦への道を開いたのです。そして今,ミサイル戦争のために積み上げられた核兵器が,わたしたちの生存そのものを脅かしています。こうしたエスカレーションは他の問題にも見られます。世界の人口は増加しています。複利計算のような割合です。扶養してゆくべき人口がこうして増大しているために,近い将来に世界的な飢きんの起きることも語られています。また,広い範囲でいろいろな疫病が増えていることについてはどうですか。1918年の“スペイン風邪”は二千万の命を奪いましたが,それだけでなく,この放縦な社会では,忌まわしい性病が疫病的な様相を呈しています。犯罪,暴力,不法等は日常の事となっています。自己保存の必要が増大し,対抗,貪欲,盗み,欺きなどが広まっているため,人の持つ利己心が助長されています。また,仲間の人間に対する愛が失われると共に,神に対する愛も冷えています。それは単に冷えただけではありません。今日では,神は死んだと唱えることさえ一般化しています。もちろんわたしたちは,善良な心を持ち,品位のある生活をしている人々がまだ大勢いることを認めます。しかし,そのように生活することが次第に難しくなっていることも認めなければなりません。

      3 (イ)今日の状態の真の意味を知るのに,わたしたちにはどんな導きがありますか。(ロ)どんな意義深い質問から,イエスが偉大な預言をされるに至りましたか。

      3 わたしたちはここで,1914年以来の,物事の全般的な動向をたどりました。しかし,根本原因までを探り得ましたか。そして,さらに重要な点として,何が解決となるでしょうか。解決の道があるのでしょうか。これらの問いに,どうしたら満足のゆく答えを見いだせるでしょうか。だれのもとに行ったらよいのでしょうか。幸いなことに,これらの問いすべてに全く満足のゆく答えを与えることができ,すでに与えてこられた方がおられます。ものみの塔聖書冊子協会の最初の会長となった一聖書研究者は,早くも1876年,出版物の中で,聖書の述べる「異邦人の時」が1914年の秋に満了し,全世界にかつてない苦難の臨むことを発表しました。この点に注意を促したいと思います。彼はこの情報をどこから得たのでしょうか。神のことば聖書から,特にダニエル書 4章16,23,25,32節,および神の子すなわち神の聖霊によって霊感を与えられたイエス・キリストの語った大預言からです。そのイエスの預言は神の言葉の肝要な部分を成しており,マタイ 24章4-51節,およびマルコ 13章5-37節,ルカ 21章8-36節に記されています。その預言は,「わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」という,弟子たちの注目すべき問いの答えとして語られました。(マタイ 24:3)そうです,イエスは,事物の体制の終結について語られました。それはイエスの時代だけでなく,それと対応するわたしたちの時代のためでもありました。イエスはまた,わたしたちが深い関心を抱いているもの,大いに必要とされる避難所についても明らかにされました。

      4 イエスの預言はすぐにどんな成就を見ましたか。それはわたしたちの時代のどんな類似の出来事を指し示すものでしたか。

      4 イエスの預言が,イエス自身およびその弟子たちの時代にどのように成就したかを簡単に振り返ると,予言された事柄が,神殿つまり「聖なる所」,「聖なる都市」エルサレム,そしてユダヤ州の西暦70年における荒廃をもって最高潮を迎え,それが,その事物の体制の悲惨な終わりを画するものとなったことが分かります。わたしたちの時代についてはどうでしょうか。わたしたちは,イエスの予告した多くの事柄,イエスの臨在とこの事物の体制の終結を示す複合的な「しるし」を成す出来事を見ていますか。わたしたちはすでに,その多くについてここで取り上げました。そして,「異邦人の時」に関する年代的な計算を別にしても,1914年こそ,「対処しにくい危機の時代が来(る)」とパウロの述べた,この事物の体制の「終わりの日」の始まりであると,確信をもって言うことができます。―テモテ第二 3:1。

      救いの道と避難所

      5 ルカ 21章28節から31節で,わたしたちが逃れるべき唯一の避難所についてイエスはどのように語られましたか。

      5 救いの道があるでしょうか。これがわたしたちの次の問いです。現在の事物の体制に救いの道はありません。神の言葉によると,それは当然の滅びに定められています。しかし,人が頼ることのできるもの,今日の害悪に対抗し得るものはないのでしょうか。確かに存在します。極めて重要な避難所としてわたしたちの注意が向くのはそこであり,わたしたちはそこに,時を失することなく逃れねばなりません。イエスの言葉に注意してください。

      「『しかし,これらの事が起こり始めたなら,あなたがたは身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなたがたの救出が近づいているからです』。そうしてイエスは彼らに次の例えを話された。『いちじくの木やほかのすべての木をよく見なさい。それらがすでに芽ぐんでいれば,あなたがたはそれを観察して,もう夏の近いことを自分で知ります。このように,あなたがたはまた,これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい』」― ルカ 21:28-31。

      6 (イ)イエスはどのように神の王国の王を明らかにされましたか。(ロ)ヘブライ語聖書にはその王を示すさらにどんなものがありますか。

      6 これです! この,「神の王国」こそ,わたしたちが最大の注意を払うべきものです。この王国の王はだれですか。今引用した言葉のすぐ前で,イエスは,ご自身について,「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見る」と語りました。そして,その預言に続いて,イエスは三つのたとえ話をし,羊とやぎに関するその最後のたとえ話を次の言葉で話し始めました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります」。(ルカ 21:27。マタイ 25:31)だれが神の王国の油そそがれた王であるかについて疑問の余地はありません。また,その者がその地位に値することについても疑問はありません! まず,彼は初めに自分が天で得ていた栄光を進んで捨てました。そして,「人のすがたでいた時,彼は自分を低くし,死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になられました。まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名にまさる名をすすんでお与えに(なりました)」。(フィリピ 2:5-11)彼は今日生きて存在しており,しかも,霊感の下に語ったご自身の預言の成就に深い関心を抱いておられます! 彼の地上での生涯はあらかじめはっきりと指定された生涯であり,その極めて重要な部分は,霊感のヘブライ語聖書の中に予告されていました。それは,だれがメシアであるかをはっきり見分けさせるためでした。そのヘブライ語聖書の一部はわたしたちの時代について予告し,『地のもろもろの王は立ち構へ をさらはともに議りエホバとその受膏者[油そそがれた者,新]とに逆らふ』ことについて述べています。しかし,それに答え,また嘲りと怒りの笑いをもって,エホバは,これら敵対者たちに,その抵抗がすでに遅すぎることを告げます。エホバは,「我わが王をわがきよきシオンの山にたてたり」と語られます。それがだれであるかをさらに示すため,エホバはこの油そそがれた王に,「なんぢはわが子なり」と語ります。敵対する諸国民は彼に与えられます。これを『打ち破り……打ち砕く』ためです。しかし,詩篇のこの部分は,『すべて彼により頼む者[彼のもとに避難する者,新]は幸ひなり』という喜ばしい言葉で結ばれています。(詩 2:1-12)詩篇 91篇1,2節など,詩篇の他の多くの部分も,エホバをわたしたちの避難所,もしくは「わたしの避難所」と述べていますが,この時代に避難所を備えるためエホバの用いておられる手段が,油そそがれて統治するみ子キリスト・イエスの掌中に置かれる神の王国なのです。―詩 110篇1-4節参照。

      7 イエス・キリストと共になる人々について神はどんな目的をお持ちですか。なぜそれは非常に驚くべきことですか。

      7 イエスは,「神の王国」また「天の王国」について幾度も語られました。イエスはまた,ある人々がイエスと共になること,つまりイエスと共同の王となることについても話されました。そのような取り決めについて一体だれが聞いたことがあるでしょうか。14万4,001人もの王が同時に治めた国や帝国がかつて存在したでしょうか。そのようなものはかつてありません。世界の人口が四十億を超えた今日でも,たとえそのすべてを合わせても,それだけの数の王や支配者はいません。このような考えはだれから出たのでしょうか。人間からでないことは明らかです。これは神のお考えです。それは,天地の創造者がその目的としておられるところです。それほど多くの王たちが一つの世界政府を成すという,この天的な政府に関する考えは,今日の政治に関与する人々の心には奇異に映るかもしれません。しかしそれは,文字どおりの天が地よりも高いがごとく,天の創造者なる神が,地上の人間より高い考え方をしておられるからにほかなりません。神はかつて,ご自分の古代の民イスラエルに対してこう語られました。『エホバのたまはく わが思ひはなんぢらの思ひと異なり わが道はなんぢらの道と異なれり 天の地より高きがごとく わが道はなんぢらの道よりも高く わが思ひはなんぢらの思ひよりも高し』― イザヤ 55:8,9。

      8,9 (イ)このことに関し,啓示 1章5,6節には,さらにどんな詳しい説明がありますか。(ロ)ヨハネへの啓示には,このことについて,さらにどんな情報がありますか。

      8 したがって,エホバがその目的とされるところが,ただの人間の思い量るところをはるかに超越しているとしても驚くべきではありません。幾世紀も後,聖書の最後の本「ヨハネへの啓示」の中で,神はこの世界政府に関してさらに詳細な点を明らかにされました。その書はまた,地上において完全な人間でありながら自己犠牲の道を歩み通した神のみ子に全面的な誉れを与えています。霊感の下に書き記した使徒ヨハネがその点をどのように言い表わしているかをご覧ください。「『忠実な証人』,『死人の中からの初子』,『地の王たちの支配者』であるイエス・キリスト……わたしたちを愛しておられ,ご自身の血によってわたしたちを罪から解いてくださったかたに ― そして彼はわたしたちを,ご自分の神また父に対して王国とし,祭司としてくださったのである ― 実にこのかたにこそ,栄光と偉力が永久にあらんことを。アーメン」― 啓示 1:5,6。

      9 イエス・キリストがご自身の生き血を神への自己犠牲として注ぎ出さなかったとすれば,その足跡に従う人々も,イエス・キリストの天の父なる神に仕える王また祭司とはなり得ませんでした。こうしてイエス・キリストは,これら仲間の王たちがイエスと共に天の王国を分かち合えるようにする点で肝要な役割を果たしています。イエスはこう語りました。「征服する者には,わたしとともにわたしの座にすわることを許そう。わたしが征服して,わたしの父とともにその座にすわったように」。(啓示 3:21)この点と一致して,二十四人の長老は,イエス・キリストに対して次のように語っています。「あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人びとを買い取った……そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配する」― 啓示 5:9,10。

      10 シオンの山に,子羊と共にだれがいるのが見られますか。彼らはどのように描写されていますか。

      10 これらキリスト・イエスと共に王また祭司となる人々の数についてわたしたちは不明のままに残されていません。キリスト・イエスと共に天のシオンの山で統治する人々について描写し,その人々の優れた資質について述べつつ,ヨハネはこう記しています。「見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼とともに,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた。……そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような歌をうたっている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」― 啓示 14:1-5。

      11,12 (イ)彼らは人類一般とはどのように区別されていますか。(ロ)それら王なる祭司はいつキリスト・イエスと共に統治しますか。どのように天の王国に入りますか。

      11 これら子羊の追随者たちは,啓示 7章4-8節の中で,霊的な意味でのイスラエル人と呼ばれており,人類一般とははっきり区別されています。そのような者として,彼らはその額に「生ける神の証印」を押されています。使徒ヨハネは,イスラエルの族長たちの名を用いつつ,それらの人々の十二の部族を挙げています。彼は,それら十二の部族のそれぞれから1万2,000人ずつが証印を押され,霊的イスラエル人の総計が14万4,000人になることを示しています。そして,子羊イエス・キリスト自身は「ユダ族の者であるしし」と呼ばれています。(啓示 5:5)したがって,霊的イスラエル人は最終的に合計14万4,001人ということになります。

      12 啓示の第20章は,これら14万4,000人の王なる祭司が子羊イエス・キリストと共に一千年の統治を開始する時について述べていますが,それは,悪魔サタンと配下の悪霊たちが鎖でつながれて底知れぬ深みに投げ込まれた直後のことです。その底知れぬ深みの中にあって,それら邪悪な霊の勢力はもはや地上のもろもろの民を惑わすことはできません。それは,キリストがその犠牲の血で買い取った人々と共に行なう千年統治の間続きます。その人々は,霊の命への復活,つまり「第一の復活」によって天の王国に入り,キリストと共になります。それで,啓示 20章6節はこう述べます。「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たず[それらの者は不滅にされたから],彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」。

      朽ちることのない避難所

      13 以上の証拠から,わたしたちはどんな結論に達しますか。

      13 これら,霊感によって書き記されたすべての証拠を前にするとき,一つのことが明らかです。すなわち,エホバ神は,14万4,001人の王が,定めの一千年の間,つまりサタンと配下の悪霊が「底知れぬ深み」に閉じ込められているあいだ全地を治める文字どおりの政府を設けることを目的としておられます。今日に至るまで,この地球は,そのような政府,それに参与する人々がそれほどに敬神の資質を示す政府を有したことはありません。この天的な世界政府は目前にあります。それは,すべての人が,失望に終わることのない避難所を求めて頼るべき王国です。

      14 (イ)今日の支配者たちは,どんな二つの点で朽ち果てるものですか。(ロ)この点,神の天の王国の成員すべてに関してはなんと言うことができますか。

      14 人間製の王国や政府はみな朽ち果てます。それを代表する支配者がどのような称号で呼ばれようとも同じです。その人々は受け継いだ罪と不完全さのためにすべて病気になって死んでゆくだけでなく,道徳的な面でも腐れを免れません。このことの証拠を提出するには及ばないでしょう。わたしたちは今日までの記録をよく知っています。しかし,「天の王国」を成す政府の場合はそうではありません。非常に多くの構成員から成るにもかかわらず,その一人一人は,その体の点で文字どおりの意味でも,また道徳の面でも腐れに帰することはありません。その筆頭者たるキリスト・イエスについては何の疑問もありません。ヘブライ 7章26節は,イエスのことを,「忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ,もろもろの天よりも高くなられたかた」と述べています。では,その共同者,罪ある人類の中から選び取られた人々についてはどうでしょうか。その誠実な悔い改めと転向,神に対する魂をこめた献身,キリストの贖いの犠牲に対する信仰に基づいて,彼らは神に受け入れられ,神の霊により,新たな希望,天的な希望へと生かされています。使徒ペテロはその点をこう述べます。「神はその大いなるあわれみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新しい誕生をわたしたちに与えてくださったのです。すなわち,朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産への誕生です。それはあなたがたのために天に取って置かれているもので(す)」。次いで,「あなたがたは真理に対する従順によって自分の魂を浄め(た)」と述べた後彼は,さらにこう付け加えます。「あなたがたは,朽ちる種ではなく,朽ちることのない,再生する種により,生ける,いつまでも存在される神のことばを通して新しい誕生を与えられた」― ペテロ第一 1:3,4,22,23。使徒 26:20も参照。

      15,16 ペテロ第二 1章4節,コリント第一 15章53節を含め,このことについてさらに何を学びますか。

      15 彼らの抱く天的な希望の実現に関して,ペテロはさらにこう述べます。「[神は],貴く,しかもきわめて壮大な約束を惜しみなくわたしたちに与えてくださり,それによってあなたがたが,欲情のゆえに世にある腐敗から逃れて,神の性質にあずかる者となるようにされました」。この点は,彼らの特質と体に関するパウロの次の言葉によっても確証されています。「朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならない」。―ペテロ第二 1:4。コリント第一 15:53。

      16 「天の王国」級ではなく,その王国の下に避難所を求めて見いだす人々,その人々もまた,道徳的に腐れのない者であることを実証しなければなりませんが,その問題については後に取り上げましょう。

      政治上の偽りの避難所

      17 第一次世界大戦以来,人々は何の伝道にもかかわらず,どのように,そしてなぜ,人間の政府にますます傾倒しましたか。

      17 ここでは,明確な対照によってわたしたちの認識を深めるため,人類に押し付けられ,この時代にその頂点を迎えた,政治上の偽りの避難所についてしばらく調べましょう。1914年の第一次世界大戦ぼっ発以来,人間の諸政府が人類を首尾よく治め得ないことはいよいよ明らかになってきました。それでも,人々は人間の政府に頼る度合を強くし,1919年以来,それ以前のどの時代よりも多くの国家政府が設立されています。先にあった国際連盟は,第二次世界大戦の苦もんのうちに死に絶えましたが,当時その加盟国は六十か国に満ちませんでした。今日の国際連合は138の加盟国を有しています。帝国による植民地統治ではなく,土地ごとの民による土地ごとの統治,これが指導原則となってきました。メシアによる神の王国こそ人類の唯一の,間近な希望であり,エホバの証人が終始より大きな規模でそれを宣べ伝えてきたにもかかわらず,こうして人間の政府の増加が続いてきたのです。過去61年の間,幾十幾百万の人々がこの王国の音信に答え応じてはきましたが,今日神の王国を唱道する200万の人々は,40億を数える地上人口の圧倒的大多数と比べると,数の上でははるかに下回っています。人類の大多数が,神の王国を唯一の希望としておらず,そこに避難所を求めていないことは明らかです。

      18 (イ)イエスのどの例えは,二つの対照的な級を予告しましたか。それらはどのように対照的ですか。(ロ)イエスはさらに,ご自分の多くのたとえ話の真の目的を示すどんなことを話されましたか。

      18 人類の大部分が王国の福音に対してその心と思いを閉じ,人間の政府を好んで,それをこの苦難の時代における自分たちの避難所としている事態に,わたしたちは驚きを感ずるべきでしょうか。いいえ,神の聖書に含まれる預言的な言葉に通じているなら,そのようなことはありません。神の子,子羊イエス・キリストは,事態がそのようになることを予告しました。ある例えの中でこう言われました。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになっています。人びとが眠っている間にその人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました」。イエスがさらに語られたところによると,小麦の中から雑草を取り分けることは,収穫の時まで待ってなされます。後に,このたとえ話の意味を説明したイエスは,「りっぱな種とは王国の子たちで(す)。しかし雑草は邪悪な者の子たちです」と言われ,さらに,「収護は事物の体制の終結で(す)」と言われました。(マタイ 13:24-30,36-43)弟子たちが,「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」と尋ねた時のイエスの答えにも注意してください。こう答えられました。「あなたがた[弟子たち]は,天の王国についての神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人びとは聞き入れられていません。……彼らは見ていてもむだに見,聞いていてもむだに聞き,その意味を悟ることもないからです。イザヤの預言[その6章9,10節]は彼らに成就しています。それはこう述べています。『あなたがたは聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。これは,彼らが自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の心でその意味を悟って立ち返り,わたしが彼らをいやす,ということが決してないためである』」。(マタイ 13:10-15)多くの場合,イエスのたとえ話にはこうした背景があります。この「収穫」の時,この「事物の体制の終結」の時においても,「雑草」について全く同じことが見られませんか。その心と思いは閉じられています。

      19 (イ)パウロは,使徒 20章27節から30節で,同様のどんな警告を与えていますか。(ロ)「不法の人」はどのように発達し,最後にどんな偽りの政治上の避難所を形成しましたか。

      19 この同じ点に関して,わたしたちは,使徒パウロがエフェソス会衆の長老たちに与えた次の警告を思い出します。「わたしが去ったのちに,圧制的なおおかみがあなたがたの中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。そして,あなたがた自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者たちが起こるでしょう」。(使徒 20:27-30)これら偽教師たちは非常に腐敗した者となり,パウロがさらに予告したとおり,やがて,複合的な「不法の人」となりました。(テサロニケ第二 2:3-12)それはすでに使徒たちの時代に働いていましたが,それが明確な形を取ったのは,4世紀,コンスタンチヌス大帝が,いわゆる「司教たち」,当時の偽教師たちとの妥協を強いた時からでした。こうして,不純にされたキリスト教は,これら「司教たち」の監督の下に異教ローマの宗教と融合されました。この融合宗教が国家宗教とされ,こうしてキリスト教国が形成されました。それは今日,宗教上の大集団となっていますが,異教的傾向,この世的傾向,悪,人間の伝承,偽善,悪霊の教理などのパン種を充満させています。キリスト教世界は自ら大いなるバビロン,偽りの宗教の世界帝国の一部となり,その宗教帝国の主要な部分となっています。―啓示 17:3-6。ガラテア 5:9,19-21。

  • 逃れる人には熱心な態度が求められる
    ものみの塔 1976 | 2月15日
    • 逃れる人には熱心な態度が求められる

      1 啓示の書の中で,どんな二人の象徴的な女のことが述べられていますか。二人がだれであるかはどのように明らかにされていますか。

      聖書の巻末の本をよく調べると,鋭い対照をなすものと理解される二人の象徴的な女が出てきます。一方は,「大いなるバビロン」であり,他方は,神の子羊の「妻」です。第一の者は「娼婦」としての焼き印を押されています。第二の者,すなわち「子羊の妻である花嫁」は処女です。(啓示 17:3-6,15; 21:9)それらは共に宗教上の組織ですが,一方は汚れたもの,他方は清いものです。「子羊の妻である花嫁」は,子羊イエス・キリストに対して処女のごとく忠実に従う14万4,000人の会衆であり,そのすべては霊的イスラエル人です。大いなるバビロンは,古代バビロンに由来する偽りの宗教の世界帝国です。したがって,それは,真のキリスト教に反する宗教に従うすべての人々から成っています。使徒ヨハネが,「その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」のはそのためです。(啓示 17:6)したがって,大いなるバビロンに属する人々の奉ずる宗教はクリスチャン的なものではなく,バビロン的なものであり,そのゆえに偽りのものです。

      2 キリスト教世界と大いなるバビロンとはどんな関係にありますか。それはどのように明らかにされていますか。

      2 世界強国ローマにおける主要な宗教組織となったいわゆるキリスト教は,それによって,事実上,大いなるバビロンの娘となりました。大いなるバビロンについてはこう記されています。「額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった」。(啓示 17:5)したがって,キリスト教世界がその宗教上の母に見倣っているのも不思議はありません。さらにこう書いてあります。「地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」。(啓示 17:1,2)キリスト教世界はこの世との親密な交友を保っています。そのことは,ヤコブ 4章4節の言葉を思い出させます。「姦婦たちよ,あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」。キリスト教世界に見られる,教会と国家との多くの結合は,キリスト教世界の誉れとはなりません。それは彼女が霊的な淫行者,世の政治に手出しする者であることを示しています。キリスト教世界は,人類にとって,汚れた偽りの避難所として罪に定められています。

      3 キリスト教世界を含む大いなるバビロンの運命はどのように明確に描写されていますか。

      3 大いなるバビロンに臨む事柄はキリスト教世界にも臨みます。この点に疑いはありません。啓示 17章は,象徴的な表現ながら,この点を明瞭にしています。その章に描かれるドラマの頂点としてこう記されています。「あなたの見た十本の角,また野獣[大いなるバビロンは女主人としてその上に乗ってきた],これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。美しい光景とはとても言えません!―啓示 17:16。

      大いなるバビロンから,神の真の女に逃れる

      4 (イ)啓示 18章4節から8節で,ヨハネはどんな強い勧めのことばを聞きましたか。それはなぜ急を要するものでしたか。(ロ)ある人々はこの勧めに対してどのように反応することが考えられますか。しかしわたしたちはみな今日どんな質問に直面しなければなりませんか。

      4 したがって,啓示 18章の初めに次の強い勧めの言葉が見いだされるのも不思議はありません。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい。……彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼きつくされるであろう。エホバ神,彼女を裁いたかたは強いからである」。(啓示 18:4-8)あなたはこの叫びを聞き,またそれに注意を払いましたか。キリスト教世界諸教会のいずれかに加入してきたとみなす方の中には,その宗教的偽善を見てすでにそれから離れた,と言われる方もいるでしょう。また,今の世代の人々の中には,なんら宗教的背景を持たないながら,多少あやふやな態度で,神がいると思う,と唱える人々もいます。あなたは,ただ無宗教でいることに満足していられますか。そのように消極的,またどっちつかずの態度を取っているなら,安全な避難所にいる,あるいはそれを求めている,とはとうてい言えません。キリスト教世界を含め現存する事物の体制の終わりが近づいていることを示すすべての証拠を前にして,わたしたちは次の問いに答えねばなりません。すなわち,最高潮の近づいたこの時代に,わたしたちはだれの側にいるでしょうか。

      5 14万4,000人の幻のあと,ヨハネはどんな人々の群衆を見ましたか。そしてどのように詳しく説明していますか。

      5 天への希望を抱く,「天の王国」級の人々について先に取り上げましたが,自分はその中には入っていない,と言われる方がおられるでしょう。しかし,それによって神の恵みから外れ,また,神の翼の下に避難所を見いだし得ないわけではありません。(詩 91:4)啓示 7章4-8節の,14万4,000人の霊的イスラエルに関する描写の後に,こう記されています。「これらのことののち,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。次いで,これがどのような人々であるかについて,さらにこう記されています。「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている……み座の中央におられる子羊(は),彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれる……そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。これは,本当にわたしたちの心を誘う光景ではありませんか。―啓示 7:9-17。

      6 (イ)イエスはこの人々についてどのように語られましたか。(ロ)イエスはこれをどのように極めて個人的な親しい関係にされましたか。それはどんなすばらしい保証につながりますか。

      6 この「大群衆」を構成するのがどんな人々かをさらに示し,あなたもその一人となるようお招きするために,イエスがご自分の追随者たちを羊に例えつつどのように話されたかを思い起していただきましょう。イエスの王座に共にあずかる人々に関しては,こう語られました。「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」。(ルカ 12:32)そうです,「小さな群れ」です。しかし,別の時,ご自分の「羊」についてより広範囲に語り,ご自身を,『羊のために自分の魂をなげうつりっぱな羊飼い』として述べた時,こう話されました。「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れてこなければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。イエスはまた,これを,極めて個人的な親しい関係ともされました。その少し前にこう語られたからです。「彼[羊飼い]は自分の羊の名を呼んで導き出します」。つまり,あなたが自分を捨てて絶えずイエスに従い,こうしてイエスの真の羊の一人となるなら,イエスはそのあなたを個人的に知ってくださるのです。そして,イエスの別の言葉にある極めて親密な響きにも注目してください。こう言われました。「わたしの羊はわたしの声を聴き[他のだれの声にも従わず],わたしは彼ら[一人一人]を知り,彼らはわたしに従います。そしてわたしは彼らに永遠の命を与え,彼らはいつまでも決して滅ぼされることがなく,だれも彼らをわたしの手から奪い取る者はありません。父がわたしに与えてくださったのは,ほかのすべてのものより偉大なものなのであり,だれもそれを父の手から奪い取ることはできません」。それが安全な避難所であることを示す壮大な保証ではありませんか。―ヨハネ 10:3,16,27-29。マタイ 16:24も参照。

      7 ペテロは「偽教師」に関し,どんな警告を与えましたか。

      7 わたしたちがだれの側にいるかの問いに戻り,使徒ペテロが霊感の下にこの点についてどのように述べているかを考えるのがよいでしょう。その第二の手紙の結び近くで,ペテロはまず,「偽教師」の現われについて警告しました。「これらの者は,破壊的な分派をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった主人のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらす」のです。これらまがいのクリスチャンのことを念頭に置いて,ペテロは後にこう書きました。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来る……その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言う」。これこそ,キリスト教世界の牧師一般とそれに従う人々が取っている態度ではありませんか。わたしたちは,それがあなたの態度ではないと信じています。―ペテロ第二 2:1,2; 3:3,4。

      8 ペテロはさらに,特に今日のわたしたちのために,どんな警告を与えましたか。

      8 むしろわたしたちは,わたしたちすべての抱く誠実な態度が使徒ペテロの次の訓戒と一致するものであることを信じています。「神のことばにより」以前の事物の体制,つまり以前の天と地が「大洪水に覆われた時に滅びをこうむった」ことを述べた後,彼はこう言葉を続けています。「その同じみことばによって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日まで留め置かれている」。今日,神の見かけ上の遅さに辛抱しきれないという態度を取る人が多くいますが,そうした点をも戒めて,ペテロはさらにこう述べます。「エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。[その理由に注意すべきです]……ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです」。そしてさらに,『エホバの日が盗人のように来(る)』ことを警告しました。その時に,サタンの見えない管理下にある現在の象徴的な天と地は滅び去ります。―ペテロ第二 3:5-10。

      9 神の辛抱に対して正しい見方をするのはなぜ重要ですか。

      9 次いでこの訓戒の言葉が述べられています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか」。(ペテロ第二 3:11,12)今日の嘲笑者たちは神の辛抱からその益を得ていません。しかし,彼らがその価値を認識していなくても,神は彼らの悔い改めを待ちつつ非常に慈しみ深く行動してこられました。その点を使徒パウロはこう書いています。「神の温情があなたを悔い改めに導こうとしていることを知らないために,その親切と堪忍と辛抱強さとの富を侮るのですか」。(ローマ 2:4)神のご親切を侮るとすれば,それはわたしたちにとって大きな災いとなります!

      10 どんな根拠に基づき,またどのように,ペテロ第二 3章14節の訴えにこたえることができますか。

      10 しかし,積極的な側に目を向けて,どんな者となるべきか,との問いかけに,わたしたちはどのように答えるべきでしょうか。『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留め』ていることをどのように示せるでしょうか。一つの点として,天的な希望を持つにせよ地的な希望を抱くにせよ,わたしたちすべては,ペテロがさらに述べた訴えの言葉に応ずるべきです。「最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう力をつくして励みなさい」。(ペテロ第二 3:12,14)そうです,わたしたちは,道徳的に腐敗することのないよう常に励み努めなければなりません。わたしたちは忠誠を保ち,エホバに対する魂をこめた献身において『心の純粋な者』とならねばなりません。(マタイ 5:8)わたしたちはみな不完全であり,日ごとに行なうことは不十分なものではありますが,聖書のすぐ次の手紙,ヨハネ第一 1章7節が述べるとおりです。「神ご自身が光の中におられるのと同じように光の中を歩んでいるなら,たしかにわたしたちは互いに分け合う者となっているのであり,み子イエスの血がわたしたちをすべての罪から清める」。そうです,イエス・キリストは「わたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたち[クリスチャン会衆,「小さな群れ」]の罪のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります」。したがって,「ほかの羊」の「大群衆」の中にどれほど多くの人が入って来るとしても,その人々は「自分の長い衣を子羊の血で洗って白く」することができ,またそうしなければなりません。―ヨハネ第一 2:2。啓示 7:14。

      11 啓示 18章4節には,偽りの宗教を捨てることのほかに,どんな態度を明確に表明すべきことが示されていますか。

      11 しかし,それがすべてではありません。明確に対照された二人の象徴的な女について先に取り上げましたが,それを覚えておられますか。一方は,娼婦である大いなるバビロンで,キリスト教世界はその中に含まれています。他方は,処女,子羊の妻,クリスチャン会衆です。大いなるバビロンを出て,偽りの崇拝を全く捨て去るだけでは十分でありません。啓示 18章4節で,「彼女から出なさい」と告げられているのはだれですか。それは,「わたしの民よ」と呼びかけています。つまり,神の民,神に身をささげた僕もしくは奴隷,優れた羊飼キリスト・イエスの追随者,その「羊」の一人であることをはっきり示さねばならない,という意味です。しかし,この点に関していっそうの情報を得るために,わたしたちは,ヘブライ語聖書に戻り,啓示 18章4節だけでなく,この,聖書の最後の本に含まれるほとんどの事柄の背景となっている預言に注意を向けねばなりません。

      12 (イ)イザヤの預言は,エホバの天の組織についてどのように述べていますか。(ロ)この組織に関連して,キリスト・イエスはどんな役割を演じましたか。

      12 イザヤの預言によると,エホバの僕であるメシア,キリスト・イエスは,地上でのその任務に就く以前は,忠実な「神の子たち」で成るエホバの天的組織の一員でした。(ヨブ 1:6; 2:1; 38:7)この,天の霊者で成る組織は,創造者エホバと結婚関係にある「妻」の立場にあります。それは,律法契約に入れられた古代イスラエル国民が,さながらエホバとの婚姻関係に立ち,エホバの地的な妻として描かれていることに似ています。(イザヤ 54:1,5-8)エホバはご自分の天的な子の主要な者を,地上においてメシアなる僕として仕えさせることに定めました。したがって,母親にも似た,エホバの天的組織は,その夫なるエホバの宇宙主権の主要な立証者としてこの者を提出したことになります。この僕が地上での歩みを忠実に全うして死からよみがえらされた時,天にある母親のような組織は,彼を「死人の中からの初子」として受け戻しました。(コロサイ 1:18。啓示 1:5,17,18)その際の彼女の喜びについてはあらかじめ述べられていました。聴いてください。イザヤ書 54章1節(新)はこう述べています。「喜び叫べ,出産しなかった不妊の女よ! 喜びの叫びをもって楽しみ,声高に叫べ,出産の苦しみを知らない者よ。見捨てられた者の子たちは,天のような所有者のある女の子たちよりももっと大勢だからである』とエホバは言われた」。

      13 (イ)パウロはイザヤ書 54章1節を,どのように,そしてだれに適用しましたか。(ロ)これに調和してイエスはイザヤ書 54章13節をどのように適用されましたか。

      13 この聖句は使徒パウロによって引用されていますが,彼はそれを,バビロンでの流刑後のユダヤ国民に対してではなく,妻のような立場にある,エホバの天の組織に当てはめています。ガラテア 4章22節から5章1節までで,パウロは,エルサレムを都とし,イエス・キリストを退けたユダヤ国民と,天にある神の妻のような組織とを対照させ,「上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です」と述べています。イザヤの預言によると,神の天的組織は,自分がうまずめのごとくにして長く待ったメシア・イエスだけでなく,そのほかにも多くの子を持つことになっていました。彼女は,メシア・イエスの14万4,000人の共同者に対し,その霊的な母となることになっていました。そのことはイザヤ書 54章13節にはっきり示されています。それは,「上なるエルサレム」,「天のエルサレム」,もしくは「シオンの山」にあてて述べられたものであり,次のとおりです。『なんぢの子らはみなエホバに教へを受けなんぢの子らのやすきは大いならん』。以上がこの句の正しい理解であることは,イエス・キリストがヨハネ 6章45節でこの句をご自分の弟子たちに当てはめていることにも示されています。―ヘブライ 12:22。

      14 天の組織を代表するものが地上にあることについて述べなさい。そのことによってどんな熱心な態度で答え応ずることが要求されますか。

      14 以上のことから言える点として,神の妻に似た天の組織は,地上におけるその代表者として,十分に教えと訓練を受けた,キリスト・イエスの共同者たちを有しています。したがって,わたしたちは,汚れた娼婦たる大いなるバビロンから逃れ出るにとどまらず,さらに,神の真の女,つまり「天のエルサレム」と緊密な交わりを保つことによって避難所を見いだし,そこに逃れなければなりません。そして,子羊キリスト・イエスの,忠実な処女のような追随者たちが,地上において,天のエルサレムの代表者となっているのです。このことは,エホバの証人として知られるクリスチャンの民の間に今日行き渡る状況の中にはっきり見られます。その民の中にあってその中核をなしているのは,神の霊によって油そそがれて天への希望を持つ人々の残りの者たちです。それを中核として緊密に集合しているのは,絶えず増大している「ほかの羊」の「大群衆」であり,『ひとりの羊飼いの下の一つの群れ』となっています。―ヨハネ 10:16。

      15 エホバの証人は,エホバの日を『しっかり思いに留めていること』を,どのような点で示していますか。

      15 これは根拠のない主張ではありません。彼らは『エホバの日の臨在をしっかり思いに留めていること』を実際に示しています。高まる種々の圧迫にもかかわらず,彼らは「清く,汚れのない崇拝」を固く守り,自分を汚れた世から汚点のない状態に保っています。彼らは,政治上の「野獣」,および人間がこしらえたその「像」である国際連合に対する崇拝を拒否しています。彼らは流血の罪を身に負うことを避け,諸国民やこの世の政治党派間の血なまぐさい戦闘にいっさい加わらず,厳密に中立を保っています。彼らは,この世のものとならないという点で,自分たちの指導者イエス・キリストに倣っているのです。―ヤコブ 1:27。啓示 13:1-15; 15:2-4。ヨハネ 15:19; 17:14,16。

      16 彼らはマタイ 24章14節,マタイ 28章18節から20節の二つの命令をどのように遂行していますか。エホバの祝福を示すどんな証拠がありますか。

      16 積極的な面を強調するものとして,彼らは,「[天の父の]王国と神の義をいつも第一に求め」ていることを実証しています。そのために彼らは,人間の唯一の希望また避難所として自分たちの知っているものをたゆむことなくふれ告げ,こうして,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられる」という,イエスの予告のとおりに行動しています。彼らはまた,復活後のイエスの命令,つまり,行ってあらゆる国の人々を弟子とし,水のバプテスマを施し,イエスの命じたすべての事柄を守り行なうように教えなさい,という命令を,まだ時間のある間に遂行する面でもたゆむことなく励んでいます。(マタイ 6:33; 24:14; 28:18-20)このすべてがエホバの豊かな祝福を受けてきたことは,エホバの組織内に群がり集まって来る人々の真に目ざましい増加だけでなく,全地にわたり,エホバの献身した民の間に見られる,平和,幸福,安全,清い状態のうちにも示されています。これはまさに霊的パラダイスです。では,よく聴いて,聖書の招きの言葉に答え応じてください。すなわち,来て,この霊的パラダイスの中に避難所を見いだしてください。

      霊的パラダイスへの招き

      17 イザヤ書 54章17節と,イザヤ書 55章1,2節にはどんな約束と招きのことばが述べられていますか。これはどのように小規模に成就しましたか。

      17 イザヤ書 54章の結びには,「上なるエルサレム」の霊的な子らに対する次の壮大な約束があります。「何であれあなたに逆らって造られる武器はどれも功を奏さなくなる。また,裁きの際にあなたに逆って立ち上がるどんな舌もあなたはそれを罪に定める」。(イザヤ 54:17,新)そのすぐ後に,次の胸の踊るような招きの言葉が続いています。「ああ,渇いている者は皆,水に来なさい。金のない者たちも,来て,買って,食べなさい。しかり,来て,金なしで,また価なしでぶどう酒と乳を買いなさい……わたしの言うことをしっかり聴き,良いものを食べ,あなたがたの魂をして肥えたものに無上の喜びを見いださせなさい」。(イザヤ 55:1,2,新)こうした情景について理解する手がかりとして,イザヤが,エルサレムとユダの荒廃,およびユダヤ人の70年にわたるバビロン流刑について予告したことを考えましょう。彼はまた,ペルシャ人クロスの手を介してユダヤ人が解放されることをも予告しました。このクロスは,神のメシアなる僕,キリスト・イエスを預言的に表わす人物として用いられました。そしてこのイエスが現代の大いなるバビロンを覆して滅ぼします。(イザヤ 44:28–45:6)しかし,今日の情況についてはどうでしょうか。

      18 1914年から1919年にかけてエホバの証人が経験したことは,どのように上記の聖句の大規模な成就となりましたか。

      18 第一次世界大戦中,大いなるバビロンは,その世俗的情夫たる,政治・軍事・司法上の権威者たちを用いて,エホバの証人を真に自分の支配下に入れました。広い範囲にわたって迫害と禁令が加えられました。その頂点となったのは,エホバの証人の統治体のメンバーの投獄です。前途の展望は暗く見えました。ところが突然に,予期を超えた戦後の時代が彼らの前に開けました。救出の音信がエホバのもとから与えられました。設立されたメシアの王国による大いなるバビロンからの救出,という聖書の音信です。このことの具体的証拠は,前述のメンバーが獄から釈放され,すべての偽りの告訴が完全に除かれたことの中に見られました。同じ1919年のそのすぐ後,「ものみの塔」誌の主要記事として,「恐れなき者は幸いなり」と題する記事が掲載され,それが,1919年9月1日から8日までオハイオ州シーダーポイントで開かれた全体大会の主題ともなりました。その大会においては,霊的食物が増し,業が拡大するしるしとして,新しい隔週誌,「黄金時代」の発刊が発表されました。皆さんも想像できるとおり,このすべては,神の真の僕たちにとって,さわやかな水,活力を与えるパン,喜びを与えるぶどう酒,体を肥らせる乳のような働きをしました。

      19 その後,霊的パラダイスの復興に向かって,どんなことが行なわれましたか。

      19 しかしこれは,神の民にとって,霊的パラダイス復興の始まり,その第一歩にすぎませんでした。それ以来,非常に大きな前進がなされてきました。それは,エホバの証人の現代の歴史によく示されています。その記録はすべての人に公開されており,だれでも自分で調べることができます。加えて,その前進の一歩一歩は,聖書の著者の導きの下になされているのを見ることができます。その著者はこう言われます。「わたしの口から出るわたしの言葉もそのようになる。それは成果を挙げずにわたしのところに帰っては来ない。かえって,それはわたしの喜ぶ事を確かに行ないわたしが言い送った事柄でそれは確かに成功を収めることになる。あなたは喜びを抱いて出て行き,平和をもって導き入れられるからである。……野の木々も皆,手を打ち叩く。いばらのやぶの代わりにねずの木が生える。とげのあるいらくさの代わりにミルトスの木が生える。そして,それはエホバのために名高いもの,断たれることのない,定めなき時にまで及ぶ徴とならねばならない」― イザヤ 55:10-13,新。

      20 詩篇 1篇1節から3節には,このパラダイスにあずかるようにとの招きがどのように表現されていますか。

      20 これは,霊的パラダイスの,壮大な,そして,人の心を引き付ける描写ではありませんか。そして,神の言葉に固く付き従うなら,あなたもそのパラダイスに自らあずかることができ,そうするようにとの招きを受けているのです。詩篇 1篇1-3節はそれをこう述べています。『幸ひなり かかる人はエホバの法を喜びて日も夜もこれを思ふ』。その人にはどのような事が起きるでしょうか。『かかる人は水流のほとりに植えし樹のときにいたりて実を結び 葉もまたしぼまざるごとく[つまり,常に緑で絶えず実を結び]そのなすところ皆さかえん』。

      21,22 (イ)マタイ 25章34節と啓示 22章17節から20節は,この招待をどのように詳しく述べていますか。(ロ)この招きに対し,わたしたちは個人的に,そして熱心な態度でどう答え応ずることができますか。

      21 霊的パラダイスへの道はまだ開かれています! そこに入り,それを十分におう歌するようにとの招きは,依然全世界で鳴り渡っています! イエスのたとえ話の中の王の呼び声は続いているのです。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」。(マタイ 25:34)事実,聖書,神の言葉は,次の招きのことばで結ばれているのです。「そして,霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。最後の言葉として,ヨハネは,幻の中で,キリスト・イエスがこう言うのを聞きます。「これらのことについて証しされるかたが言われる,『しかり,わたしは速やかに来る』」。それに対し,ヨハネは,はずむ心でこう答えます。「アーメン! 来たりませ,主イエスよ」― 啓示 22:17-20。

      22 どうかあなたも,熱心な態度で答え応じ,朽ちることのない「天の王国」の下に避難所を得てください。この火急の招きは繰り返し語られています。どうか,熱心な態度でそれに答え応じてください。どうかそこへいらしてください。

  • 世から離れていると死を免れることがある
    ものみの塔 1976 | 2月15日
    • 世から離れていると死を免れることがある

      真のクリスチャンは,この世つまり世の政治や生き方,態度から離れているため,しばしば嘲笑やあからさまな憎しみの対象となります。しかし政治上の動乱期には世から離れていることが身の守りとなる場合があります。

      南アメリカのある学園都市に住んでいた一人の男の人は,それが真実であることを体験しました。この人は大学で,政治活動の指導的立場にあって,活躍していました。その後,聖書に対して何気なく関心を持っていた彼は,あるエホバの証人との会話がきっかけで,真剣に聖書を研究するようになりました。政治との掛かり合いを持たない,というクリスチャンの見方を学ぶにつれ,それまで交際していた友人たちやその思想からしだいに離れるようになりました。

      それら以前の友人や政治仲間は,「無知の発見」と言って,この男の人をあざけり,笑い物にしました。その後1970年の初め,突然政情が変わり,この男の人がかつて支持していた思想に対する見方が変化しました。以前の仲間は,追放されるか,拘禁されるか,殺されるかのいずれかの目に遭いました。イエス・キリストの弟子としての立場を取ったがゆえに,現在生きていて自由の身であることをこの男の人はどんなにかうれしく思っていることでしょう。

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