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    「あなたの王国が来ますように」
    • 1章

      「あなたの王国が来ますように」

      1 もし神の王国がここに描写されているような状態を間もなくもたらすとすれば,神の王国はあなたにとって何を意味しますか。

      この祈りの言葉ほど,しばしば繰り返されてきた言葉はありません。あなたも,あるいはこの祈りをささげてこられたかもしれません。わたしたちは確かに神の王国を必要としています。このさし絵に見られるような状態の下で暮らせたら,どんなにすばらしいことでしょう。これこそ神の王国がわたしたちに差し伸べている希望なのです。平和と一致が全世界にみなぎり,さまざまな人種はすべて純粋の愛のきずなで結ばれます。人々はみな生産的な仕事にいそしみ,その勤労の所産を楽しみます。大気を満たすのは自然の奏でる調べと,幸せな人間の歌声や笑う声です。全世界が一つの健康な人間社会となり,だれも年を取らず,病気になることもありません。動物たちと仲良く暮らす喜び,とりどりの花の芳香や,絵のように美しい風景,絶えず移り変わる季節などを楽しむ喜びもあります。こうしたことやさらに多くの事柄が,後ほど分かりますが,神の王国到来後のこの地球に約束されているのです。

      2,3 近年におけるどんな変化は,神の王国の必要を痛感させますか。

      2 しかし,現状はそれとはほど遠いものです。なぜなら,わたしたちは今,聖書が言う『対処しにくい』時代を通過しつつあるからです。(テモテ第二 3:1)この危機の時代があなたの生活にどんな影響を及ぼしているかは,あなたご自身がよくご存じです。読者の中にも,今世紀に生じた戦争や他の暴力行為で愛する人を亡くされた方が少なくないに違いありません。にもかかわらず諸国家は,かつてない熾烈な軍備競争を行なっており,すでに全人類の破滅をもたらすに十二分の武器を蓄えています。

      3 家庭にごく近いところで生じる他の問題も影響してきます。抱きつき強盗,殺人,婦女暴行などが激増し,多くの人は通りを歩くことにさえ危険を感じます。また離婚,欠損家族,青少年犯罪などについても,以前よりよく耳にするようになっていないでしょうか。それに今は性行為や麻薬の常用を大目に見る時代ですから,子供を学校に入れることを心配する親も少なくありません。これらの問題がまだ表面化していない地域または国に住んでいる人たちは,本当にありがたく思わなくてはなりません。

      4,5 (イ)ほかにどんな問題がわたしたちに影響を及ぼしていますか。(ロ)世界のどんな傾向は『神の王国の到来』が緊急に必要であることを示していますか。

      4 最近は食事を作るのにどれくらいの費用がかかりますか。自動車を走らせるのにどれほどの費用がいりますか。食糧や燃料の価格の急騰で,不安定な世界情勢は将来に無気味な影を投げかけています。世界はいったいどこへ向かっているのでしょうか。1980年8月4日号のUS・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の一記事は,この危機の重大性を強調し,次のように述べています。「思いきった新しい措置が取られなければ,今から20年後の世界は,幾十億もの貧しい人々が,高価で乏しい資源を奪い合う,不快極まる,不安定な惑星となり果てるだろう。3年にわたる調査を完了した大統領委員会は,7月24日,このように警告した」。西暦2000年までには世界人口は63億に達し,インフレを別にしても食糧の値段は2倍になり,砂漠は拡大し,森林は姿を消し,世界の石油の少なくとも半分は使い果たされるということも,この調査で分かりました。それも,現体制がそれだけ長く生き延びればの話です。

      5 この危機に対し,個々の国は,いや国際連合さえも,何をなし得たでしょうか。今までのところ,ほとんど何もできないでいます。以上のことはすべて,わたしたちが神の王国をいかに緊急に必要としているかを物語るものです。

      その王国とは何か

      6 もし神の王国が人々の心の中にだけあるものであれば,わたしたちは必ず失望することになります。それはなぜですか。

      6 王国とは,信ずる人々の心の中に中心を置くある状態に過ぎないものでしょうか。言い換えれば,十分の数の人々がキリスト教に改宗すれば,神の王国は来るのでしょうか。一部の人は,ジェームズ王欽定訳すなわち欽定訳聖書(英語)のルカ 17章21節にある,「神の王国はあなたがたのうちにある」という言葉を指摘して,そのように論じてきました。しかし,もし彼らの結論が正しいとすれば,神の王国はますます遠ざかっていることになります。なぜでしょうか。今日の世界人口に対する自称クリスチャンの割合は25%足らずで,しかもその数は減少しつつあるからです。また,教会の中へはめったに入らない教会員が幾億もいるのです。

      7,8 聖書を調べることはルカ 17章21節の真の意味を理解するのにどのように役立ちますか。

      7 次のことも考えてみてください。イエスは,「神の王国はあなたがたのうちにあります」と言われた時,だれに向かって話しておられたでしょうか。預言者イザヤが述べた,「その心はわたしから遠く離れている」という神の言葉をイエスは偽善的なパリサイ人に適用されました。(マタイ 15:1,8,欽定訳。イザヤ 29:13)そのようなかたくなな心に,どうして王国が入り得たでしょうか。ではイエスの言葉にはどんな意味がありますか。それを理解する手がかりとなるのは,ジェームズ王欽定訳の,欄外に異なった読み方が載っている版です。欄外のその別の読み方は,「神の王国はあなたがたの間にある」ですが,カトリックのエルサレム聖書,新英訳聖書など多くの聖書翻訳もそのようになっています。

      8 ですからイエスはここで,指命された王であるご自身が彼らの間にいると言っておられたのです。イエスは真の人間として彼らの真ん中に実際におられました。このことから,神の王国も,その王が実際の人物であるのと同じように実際の王国,実際の政府であることが十分納得できるはずです。

      今日の実情

      9,10 真の王国とは何ですか。その王国は臣民にどんな益をもたらすことができますか。

      9 今日でもこの地上にわずかながら王国が残っています。ノルウェー,イギリス,ヨルダン,ネパールなどがそれに含まれますが,それらの国は実際の政府です。それらの国には一人の王(もしくは女王)が存在します。また国会,議会,あるいは他の行政機関として働き,王と共に支配する人々がいます。この比較的に小さな支配グループの下で,民衆は日々の生活を営んでいます。彼らはその王国の臣民です。

      10 王および王を補佐する支配者たちが民の福祉を深く心に留めているなら,王国は多大の益を民に与えることができます。昔のソロモンの王国がそうでした。当時,民は「海辺にある砂粒のように多くて,食べたり飲んだりして喜んで」いました。―列王上 4:20; 10:1-9。a

      11 神の王国はどんな点で地上の王国に似ていますか。

      11 神の王国が天から統治するという事実によってその現実性は少しでも薄れるでしょうか。そのようなことはありません。第一に,神の王国は生きている非常に活動的な王を有しています。その王とは神ご自身が任命した主イエス・キリストのことで,聖書はイエスについて,「諸国民は彼に希望をおくであろう」と述べています。(ローマ 15:12)地上にある政府と同じく,天の王国にも複合の統治機関があります。聖書の示すところによると,この統治機関は限られた数の仲間の王たちによって構成されます。その王たちはこの地上で神への忠節を証明した男女です。彼らに対してイエスは,「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」と言われました。(ルカ 12:32。啓示 5:9,10; 20:4)その王国は天的権威を有します。王国政府は天という有利な位置から,無線やレーザー光線よりもはるかに強力な手段を用いて,地上のどの場所にでも命令を発することができます。

      12,13 神の王国にはどんな(イ)おきて,(ロ)教育制度,(ハ)保健計画がありますか。

      12 おきてについてはどうでしょうか。むろん,神の王国はおきてによって,それも神が民の益を図ってお作りになった最も優れたおきてによって運営されます。それらのおきては聖書に記されています。(申命 6:4-9。マルコ 12:28-31)王国には教育制度はあるのでしょうか。もちろんあります。その教育計画は現在すでにあらゆる国民,民族,言語の中の誠実な人々に対し実施されていて,王国の義の統治下で人々にとこしえの命を得させるための助けとなっています。どの国に住んでいる人でも,個人的にその教えを得ることができます。―マタイ 24:14。啓示 7:9,10。イザヤ 54:13。

      13 王国には保健計画がありますか。あらゆる保健計画の中でも最も実際的なもの,つまり主イエス・キリストの贖いの犠牲に基づく保健計画があります。この計画によって人間から病気と肉体的な弱さがすっかり取り除かれるので,人間は完全な健康体となり,永遠の命を得るでしょう。(イザヤ 25:8。ヨハネ 10:10)地上におられたときイエスは多くの奇跡を行なって,将来ご自身が,病人をいやし,盲人を見えるようにし,足なえをいやし,死者をさえ生き返らせる権威と力をお持ちになることを例示されました。(ルカ 7:20-23)王国のこの計画はまだ将来に属するものとはいえ,今日この計画について学んでいる人々は,清い道徳的な生活を送ることも学んでおり,現在すでに輝かしい霊的健康を取り戻しつつあります。彼らの持つ希望は現実のものなのです。―イザヤ 65:14。ローマ 10:11。

      14 地上におられた時にイエスは特にどんな事をお教えになりましたか。

      14 イエスは地上の人間であったとき,神の王国について多くの事柄をお教えになりました。事実,神の王国が支配するときの生活についての予備知識をお与えになりました。(ルカ 4:43。マタイ 12:22-28)イエスは神について弟子たちにお教えになりました。そのために弟子たちは,やさしい父と息子の関係で神に近付くことができました。イエスは,わたしたちが生活の中で遭遇するさまざまな状況にうまく対処できるように,弟子たちに健全な助言をお与えになりました。―ヨハネ 1:18; 14:6。

      真の幸福の源

      15 イエスの時代の人々が今日のわたしたちと同じように慰めを必要としていたのはなぜですか。

      15 『神の王国が来ますように』という祈りは山上の垂訓の一部です。ガリラヤの海を見下ろすある丘の中腹で,イエスはこれを語られました。その話を聴いていたのは,イエスがお選びになった弟子たちと他の大勢の人々でした。彼らは利己的な者たちに「痛めつけられ,ほうり出されて」いました。(マタイ 9:36)イエスが話されたことは,それを聴く者たちに慰めをもたらしました。今日のわたしたちにとっても,イエスの言葉は同じように慰めになります。

      16 真の幸福を見いだす者はだれですか。どのようにそれを見いだしますか。

      16 イエスは真の幸福の源を指摘することから話をお始めになりました。真の幸福は物質の富や娯楽に,スリルや興奮を求めることにあるのでしょうか。そうではありません。なぜならイエスは霊的な事柄を強調されたからです。「霊的な必要を自覚している」人や「義に飢え渇いている」人たちは,神の王国に関連して永続的な幸福を見いだすことを,イエスはお示しになりました。(マタイ 5:3,6。ルカ 8:1,4-15)あなたはそのような霊的関心を培っておられますか。

      17,18 (イ)神の是認を得るには何をしなければなりませんか。(ロ)マタイ 6章26-33節にあるイエスの保証の言葉をあなたはどう感じますか。

      17 話の中でイエスは,神の是認を得るには天におられるわたしたちの父に見倣う者とならねばならないことを明示されました。わたしたちは天の父の属性を反映し,その規準に従って身を処して行かなければならないのです。(マタイ 5:43-48。エフェソス 5:1,2)神に喜ばれるには,わたしたちの崇拝は週に一,二回行なう単なる形式的なものであってはならないのです。日常生活に反映し,仲間の人間に対する愛のこもった関心となって表われる,生きた,活動的な崇拝でなければならないのです。

      18 しかし,もし霊的価値観を生活の中で第一にすれば,わたしたちは,貪欲で自己中心的な今日の社会では,困窮してしまうのではないでしょうか。決してそのようなことはありません。『神の王国と神の義を第一に求める』なら,ほかの必要なものはみなこれに加えて与えられます。イエスはこのことを,マタイ 6章26-33節で,見事な方法で説明しておられます。ぜひお読みください。

      19,20 (イ)神がわたしたちの崇拝をどうご覧になるかを知るのはなぜ大切ですか。(ロ)どうすることは,生活の中で神の王国を特に重視するのに役立ちますか。(ハ)「主の祈り」を復習するのはなぜ有益ですか。

      19 ではどのようにして『王国を第一に求める』のでしょうか。『自分が選んだ教会に行けば』,神の祝福を必ず受けるという意味でしょうか。それとも,神がわたしたちのために選んでくださる崇拝の仕方を知ることに努める必要があるのでしょうか。この点についてイエスが言われたことに注目してください。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです」。『イエスの名において預言し,イエスの名において強力な業を行なった』と主張する者たちは,神の見地からすれば実際には「不法を働く者たち」である,とイエスははっきり言われました。(マタイ 7:21-23。7:13,14も参照。)わたしたちの崇拝を神がどのようにご覧になるかを確かに知るには,どうすればよいでしょうか。その唯一の方法は,神の言葉である聖書の内容に精通することです。

      20 聖書をよく調べるなら,生活の中で,神の王国をそれにふさわしく,しかも自分個人の境遇に合った方法で特に重視するのに役立ちます。また人生観を新たにし,何が最も重要な事柄であるかを認識する助けになります。それで次に,イエスの山上の垂訓中の「主の祈り」として知られている部分を考えてみましょう。(マタイ 6:9-13)この模範的な祈りを復習すれば,真の幸福を望む者に神が求めておられることを,全体的にしっかりと把握するのに役立ちます。また,イエス・キリストの手中にある神の王国によって神のみ名を神聖なものとすること,これが聖書の感動的な主題であることも分かります。

  • とこしえの王
    「あなたの王国が来ますように」
    • 2章

      とこしえの王

      1 わたしたちが神を真の父として信頼すべきであるのはなぜですか。

      イエスは「主の祈り」の冒頭で,「わたしたちの父よ」と神に呼び掛けておられます。神はイエス・キリストの父であるだけでなく,やがては,この愛のある,「祈りを聞かれる方」を従順に崇拝する人すべての父となられます。(詩 65:2)神は「とこしえの王」ですから,被造物に対し純粋な関心を永続的に示されます。そのことは,立派な人間の父親が子供たちのことを気遣うのに似ています。(テモテ第一 1:17)わたしたちは「わたしたちの父」に,人間を顧みてくださる実在者として信頼を置かなければなりません。言語,皮膚の色,身分がどうであろうと,自由な気持ちで神に近付くべきです。『神は不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人を受け入れられる』からです。―使徒 10:34,35。

      2,3 わたしたちの父は,ご自身が生命授与者,また偉大な供給者であることをどのように示してこられましたか。(創世 1:1,2,31)

      2 「天におられるわたしたちの父」は創造者で,人類に命を与えた方です。(マタイ 6:9。詩 36:9)しかし,神はただわたしたちの生命授与者であるというだけにとどまりません。神はわたしたちの偉大な供給者でもあられるのです。しっかりした父親なら,多くの時間を費やし,努力を払っても,自分の子供たちのために住まいや,生命の維持に必要なものを備えます。わたしたちの天の父はこのことを行なってこられました。しかも少しも惜しみなく行なってこられたのです。

      3 この「とこしえの王」が,人間の住みかとしてこの地球をいかに愛情をこめて準備されたかを考えてみてください。地球を天空の中のちょうど良い位置に置かれ,その全能のみ力によって,人間が幸せに住むのに必要なものをすべて地上にお造りになりました。それから神は男と女を創造し,彼らをこの快適な住まいに置かれました。それは確かに,「人の子ら」へのすばらしい贈り物でした。―詩 115:16; 19:1,2。

      4 (イ)わたしたちの父はわたしたちの住みかを準備する際に,親切にもどのような先見を示されましたか。(ロ)父はわたしたちが幸福であることを望んでおられます。それはどうして確信できますか。

      4 天の父は地上の子らのために何と美しい住まいを設けられたのでしょう。活動的な明るい昼間に続いて,涼しい,気分の休まる夜が訪れるようにされました。また,人間の益となり楽しみとなるように,季節が次々と移り変わるようになさいました。(創世 8:22)欠くことのできない有用な水も豊富に供給し,必要な時にどこででも汲めるように,地球全体に分配されました。何百万平方キロに及ぶすがすがしい緑の草木のじゅうたんを,地球という住みか全体に敷き詰め,さまざまの大変美しい色の花で飾ってくださいました。人の心を楽しませる森や湖や山をあしらって地球上の風景を美しいものにしてくださいました。地球の「地下燃料庫」には石炭,石油その他の燃料資源を豊富に貯蔵されました。また父は地球の「食糧貯蔵室」を絶え間なく補充されるので,そこには穀物や果物,野菜その他のおいしい食物があふれています。わたしたちの天の父はなんと賢明で,思いやりのある供給者なのでしょう。聖書は天の父を「幸福な神」と呼んでいます。確かに神は人間も幸福であるように望んでおられます。―テモテ第一 1:11。イザヤ 25:6-8。

      わたしたちの父の「お名前」

      5 わたしたちはどんな願いを心に抱いて,イエスの模範的な祈りの冒頭の言葉を述べるべきですか。

      5 わたしたちの愛情深い天の父は,「良い名」つまり偉大な供給者としての令名をお持ちです。また父には固有の名もあります。人間の父親がだれでも自分の名前を持っているのと同じです。もし肉親の父親が立派な人物であれば,わたしたちは父親の名と評判が傷つけられるのを残念に思うはずです。父親の名が尊敬されるのを見たいと思うはずです。であれば,それ以上に天の父のみ名があがめられるのを見たいと思うはずです。ですから,イエスが模範的な祈りの冒頭に置かれている,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように」という言葉を,心をこめて祈れるはずです。―マタイ 6:9。箴 22:1,脚注。

      6 あなたは神のみ名に関して何を見たいと思いますか。

      6 確かにわたしたちは,天と地の偉大な創造者のみ名が高められ,他のあらゆる名に勝って高く上げられるように,またそのみ名が宇宙内で最も重要で意義深く,愛すべきものであることが証明されるように,いつも熱心に祈るべきです。神の聖なるみ名がこのようにして神聖なものにされることは,わたしたち自身の救いよりもはるかに重要な事柄なのです。父のみ名と評判は清められなければなりません。つまり悪名高い被造物がみ名に浴びせてきた非難はすべて晴らされなければなりません。

      7 聖書の示すところによると神の固有のみ名は何ですか。

      7 わたしたちの天の父の固有のみ名は何でしょうか。それは,その偉大なみ名の所有者に敵がいることを示す一つの文脈の中で明らかにされています。文語体聖書の詩篇 83篇17,18節には,それらの敵について次のように述べられています。「かれらをとこしへに恥おそれしめ惶てまどひて亡びうせしめたまへ然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。―詩 100:3も参照。

      8 神の敵は神のみ名をどうしようとしましたか。結果はどうなりましたか。

      8 そういうわけで,神のみ名はエホバです。しかし神を崇拝すると公言する人々の多くは,このみ名に対して非常に不敬な態度を示してきました。聖書を翻訳するときにその名を取り除いてしまい,その代わりに“LORD(主)”また“GOD(神)”という称号を,そのつづり字全部を大文字にして用いた人さえいます。そのようなことをすると,神の傑出したみ名が隠されてしまうだけでなく,主エホバと主イエス・キリスト,また聖書に述べられている他の多くの「主」や「神々」との区別がつかなくなります。(詩 110:1。申命 10:17。ローマ 1:4。コリント第一 8:5,6)父のみ名を覆い隠すことに努めながら,そのみ名があがめられることを,どうして心から祈り求めることができるでしょうか。

      9 (イ)ヘブライ語では神のみ名はどんな形を取りますか。他の言語では?(ロ)聖書の示すところによると神は何人ですか。

      9 神のこの無比のみ名は,聖書を書くのに用いられた最初の言語であるヘブライ語の文字יהזהで表わされています。これをヤハウェと発音する人々もいます。英語の名で一般に受け入れられているのは“Jehovah(エホバ)”で,他の言語でもこれに似た形で表わされています。「エホバ」という名を用いるなら,だれのことを言っているかを,はっきり示すことができます。神は「ただひとりのエホバ」です。神はイエス・キリストではありません。イエスは神の忠節なみ子で,「見えない神の像であり,全創造物の初子です」。―コロサイ 1:15。マルコ 12:29。申命 6:4。

      10 神のみ名にはどんな意味がありますか。神はそれをどのように実証されましたか。

      10 「エホバ」という名には強力な意味があります。「彼は成らせる(もしくは,明らかになる)」という意味です。この意味は,神がものを創造されることにではなく,神ご自身に関係があります。ですから神は,ご自分の民イスラエルを,エジプトのファラオの手から奇跡をもって救出する者となろうとしておられたとき,「エホバ」をご自身の「記念」の名とすると宣言されたのです。(出エジプト 3:13-15)後日,預言者エレミヤが,主権者なる主エホバを,『その大いなる力と伸べた腕とによって』天地を創造された方,また「思い計られるところは大いにしてみ業に富んでおられる」方と認めたとき,エホバは,ご自身の定めの時にその民をバビロニア帝国への捕らわれから解放する者となって,不可能に思える業を行なうことを,その預言者に約束されました。そして,それを実行されたのです。―エレミヤ 32:17-19,27,44。歴代下 36:15-23。

      11 今日,神のみ名を神の王国とどのように結び付けることができますか。

      11 今日においても,エホバは「成らせる」偉大な神です。ご自身のみ名を神聖なものとし,また民の益となるよう王国によってすばらしい事柄を行なうために,エホバご自身,求められる何にでもなることができ,必要とされるどんな役割でも果たすことがおできになるのです。エホバが意図されることは何でもなされ,成功するのです。―イザヤ 48:17; 55:11。

      神のみ名は神聖なものとされているか

      12 人類は神をどのようにみなしてきましたか。

      12 人類は,この傑出した,高潔な,そして地上の被造物のためにすばらしい備えをしてくださった神に対し,感謝と敬意と愛を示してきたでしょうか。この地球の上を見回してみれば,その答えは分かるでしょう。いわゆるキリスト教国の宗教によって神はなんとひどく誤り伝えられてきたのでしょう。多くのキリスト教国は神を党派的な神とみなし,仲間の人間と戦争をするときには,自分たちに神の助けがあるよう祈り求めました。“他界した魂”を永久の責め苦の炎に渡して苦しめる非道な神のように考えてきた国もあります。かと思うと,神を命のない木や石の像になぞらえて,神を辱めている国もあります。神はもう見ていないとか,気に掛けていないと言って,神の正しいおきてを意識的に犯す人も少なくありません。―使徒 10:34,35; エレミヤ 7:31; イザヤ 42:8およびペテロ第一 5:7と比較。

      13 もし誤導された人々が愛のないやり方を追い求めることを許されるなら,最後にはどうなるでしょうか。

      13 しかし,誤導された人々が神を愛さず,神のみ名を神聖なものとしないのであれば,彼らはどうして仲間の人間を愛せるでしょうか。(ヨハネ第一 4:20,21; 5:3)そして,人類の間に愛が取り戻されなければ,世界はついには無秩序と暴力と無政府状態の,猛烈な闘争の場所と化すに違いありません。ある所はすでにそのようになっています。核兵器が多くの国に拡散すれば,人類はいつか,向こう見ずの好戦的な者たちに全滅させられないとも限りません。しかしそれは,わたしたちの愛情深い父がお許しになることでは決してありません。―詩 104:5; 119:90。イザヤ 45:18。

      神がみ名を神聖なものとする方法

      14,15 神のみ名を神聖なものとすることにおいて率先するのはだれですか。どのようにそうしますか。

      14 では,神のみ名を神聖なものとすることに率先するのはだれでしょうか。それはエホバご自身です。神はご自身の義の規準の正しさを立証する行為によってそれを行なわれます。仲間の人間を圧迫する者や,神について偽りを教える者などを含め,神の聖なるご意志を無視する者すべてに対し,神は裁きを執行されます。(詩 140:12,13。エレミヤ 25:29-31)エホバはご自身を否定することはできません。エホバは真の神です。すべての被造物の崇拝を一身に受けるに値する神です。エホバは宇宙主権者であられ,すべての被造物はエホバに従う義務があります。―ローマ 3:4。出エジプト 34:14。詩 86:9。

      15 ご自身のみ名を神聖なものとするに当たって,主権者である主エホバは,ご自身の意志に反して破壊行為を行なう人間をこの地球から一掃されます。エホバは悪を憎み,義を愛されるからです。(詩 11:5-7)エホバご自身次のように述べておられます。「わたしは必ず自分を大いなるものとし,自分を神聖なものとし,多くの国の民の目の前で自分を知らせるであろう。そして彼らはわたしがエホバであることを必ず知るであろう」。(エゼキエル 38:23)ですから,エホバの是認を得たいならば,わたしたちもまたエホバのみ名を聖なるもの,深い敬意に値するものとして扱ってそのみ名を神聖なものとしなければならず,またエホバのご意志に一致して生きなければなりません。

      16 神のみ名を神聖なものとすることにおいて,わたしたちの振舞いはどんな役割を果たしますか。

      16 エホバの崇拝者すべての振舞いは,神のみ名の誉れとなるか,不名誉となるかのどちらかです。わたしたちはみな,わたしたちの仕える偉大な神がほかの人々から良く言われるように,またエホバご自身の心に喜びをもたらすように,振る舞いたいものです。(ペテロ第一 2:12。箴 27:11)従順な子供として,わたしたちはすべての賜物に対し父に感謝したいと思うはずです。わたしたちの楽しい住みかである地球もその賜物の一つです。そしてこの地球はみ子の王国支配の下で回復され,今よりも一層美しい所となるのです。―イザヤ 6:3; 29:22,23。

      17 祈りによって「とこしえの王」に近付くとき,どんな態度で近付くべきですか。

      17 この「とこしえの王」と是認された関係に入るのは,ほんとうにすばらしいことです。しかし,自分の功績によってその関係を得ることはできません。人間はみな罪深い親の胎に宿り,不完全な者として生まれ出たからです。それでもわたしたちは,ダビデ王と同じような祈りを神にささげることができます。「神よ,わたしのうちに清い心を造り,わたしの内に新たな霊,動くことのない霊を置いてください」。(詩 51:5-10)そして「天におられるわたしたちの父」がわたしたちに求めておられる事柄を学ぶとき,父の王国がもたらす永遠の祝福にあずかれるよう祈ることができます。神の王国が来ますように,と確信をもって祈れるのです。その王国は地球上に住む人類にとって何を意味するでしょうか。次にそのことを考えてみましょう。

  • 王国がこの地球にもたらすもの
    「あなたの王国が来ますように」
    • 3章

      王国がこの地球にもたらすもの

      1,2 神の王国が『来る』ことから,神が地球とそこに住む人々を心に掛けておられることが,どのように分かりますか。

      イエスの模範的な祈りは次のように続きます。「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」。(マタイ 6:10)神はこの地球を,また地球上に住んでいる者や住んでいた者すべてを,深く心に掛けておられます。だからこそ王国は,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」,死者をよみがえらせ,敵である死を取り除き,この地球を人類の楽しい,平和な住みかとするために来るのです。―啓示 11:15,18; 21:1,3,4。

      2 ですからわたしたちは,「あなたの王国が来ますように」と,ほんとうに熱心に祈らなければなりません。この王国は,神のみ子,主イエス・キリストの支配する神の王国です。この王国によって,ご自身「とこしえの王」であられるエホバのご意志が,この地上で確実に遂行されるのです。そのことがすべての国の人々にとって何を意味するか,考えてください。

      「平和の君」の支配

      3,4 (イ)国連はどの預言的な言葉を自分に適用しているにもかかわらず失敗しましたか。なぜですか。(ロ)どの機関だけが永続的な平和をもたらすことができますか。どんな方法で?

      3 キリストの王国支配を期待していた神の預言者は,キリストのことを「平和の君」と呼び,「その君としての支配と平和には終わりがない」と付け加えています。同じ預言者はまた,『かれらはその剣をうちかへて鋤となしその槍をうちかへて鎌となし国は国にむかひて剣をあげず戦闘のことを再びまなばざるべし』と確信を持って述べています。この後のほうの文は,国際連合本部ビルから道を一つ隔てた向かい側の広場の壁に刻まれていますが,この預言を成就するのは,反目し合う分裂したその国際機関ではありません。国連は,諸国家間の平和と安全を確立する機関として惨めにも失敗したからです。―イザヤ 2:4,文; 9:6,7。

      4 真実の平和,永続する平和をもたらすためには,すべての人を公正に扱い,義を実践することが要求されます。このことを保証できるのは「平和の君」の王国だけです。この王国は『義によって堅く立てられ,支えられ』ます。これこそ,『地上で平和が善意の人びとの間にある』ようにする,神がお用いになる機関なのです。―イザヤ 9:7; 32:17。ルカ 2:14。

      5 真の平和を確立する際に,王国はどんな驚くべき事柄を成し遂げますか。

      5 では王国はこれをどんな方法で行なうのでしょうか。それはおもに,「平和の君」による神の王国が『来て』世の相争う諸国家と戦うことによりなされるでしょう。詩篇 46篇8,9節は,わたしたちに次のように勧めています。「エホバのみ業を見よ。神が地に驚くべきことを行なわれたのを。神は地の果てに至るまで戦いをやめさせる。弓を折り,槍を断ち切り,もろもろの[戦]車を火で焼かれる」。王国は暴力行為に使われる武器をすべて追放します。それだけでなく,凶漢や強姦犯人が町を横行することも許しません。神の王国の下では,「温和な者たちこそ地を所有し,豊かな平和にこの上ない喜びを見いだす」のです。―詩 37:9-11。

      預言的な実例

      6 西暦前6世紀に聖書預言のどんな輝かしい成就が見られましたか。

      6 聖書の預言には,昔のイスラエルが捕らわれの身となることに関係したものが少なくありません。70年間バビロンに仕えたのち,イスラエル人の忠実な残りの者は,西暦前537年,自国に戻りました。その間ずっと,国土は住む人もなく荒れ果てていました。しかし今や,エホバがその民を祝福されたので,驚くべき変化が生じました。何百年も前に書かれていた次の預言が,輝かしい成就を見たのです。

      「荒野と水のない地域とは歓喜し,荒れ野は喜びに満ちてサフランのように花を咲かせる。それは必ず花を咲かせ,喜びとうれしい叫びとでまさに喜びあふれる。レバノンの栄光,カルメルとシャロンの光輝が必ずそれに与えられる。エホバの栄光,わたしたちの神の光輝を見る者たちがいるであろう」― イザヤ 35:1,2。イザヤ 65:18-25; ミカ 4:4も参照。

      7 では神の王国が『来る』とき,わたしたちはこの地球がどうなることを期待できますか。

      7 歴史が証明している通り,これらの預言は,バビロンから解放されたあとの百年間に,帰還した神の民の上にすばらしい成就を見ました。しかし,神の王国が『来て』この地上に住む神の子らすべてに祝福を注ぐとき,王国はこの地球に楽園の状態をそこまでは回復しないでしょうか。そのようなことは決してありません。王国は確かに,『地を従わせ』全地をエデンのようなパラダイスにしなさいという,人類に対する神の最初の命令が完遂されるようにします。―創世 1:28; 2:8-14。イザヤ 45:18。

      地球全体がパラダイスになる

      8 王国が支配するときには,食糧や燃料の供給はどうなりますか。それはどんな律法が守られるからですか。

      8 神の王国が『来る』と,食糧不足やインフレはなくなります。『地には穀物がじゅうぶんにでき,山々の頂は豊かにみのる』からです。わたしたちの愛情深い父は再び,『食物を地から出させ,死すべき人間の心を喜び楽しませるぶどう酒を,その顔を輝かせるために油を,そして,死すべき人間の心を支えるパンを』得させてくださるのです。(詩 72:16; 104:14,15)国家間の食糧の配分の問題も,配給も,燃料を買うために行列をつくることもなくなります。暴利を貪る商人はいません。全人類が,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」という王たる律法に従い,必要に応じてお互いに分かち合うのです。―ヤコブ 2:8。

      9 その時,人類を損なうものは何もないというどんな保証がありますか。

      9 そればかりではありません。わたしたちは,王国が地震や大暴風のような自然界の激動を制御することを期待できるのです。イエスはそれができることを,「猛烈な暴風雨」を静めたときにお示しになりました。ですから,イエスの弟子たちは,『風や海さえイエスに従う』のに気付きました。(マルコ4:37-41)神の王国の地上の領域にはどこにも,傷つけたり,害したり,滅ぼしたりするものは何もないのです。―イザヤ 11:6-9と比較。

      10 イエスが行なわれた多くの奇跡は,王国についてどんなことを暗示しましたか。

      10 体や精神の病気の人々を収容する大きな病院はもはや必要がなくなります。心臓病,ガン,その他のひどい病気は根絶されます。名医であるイエス・キリストが,「諸国民をいやすため」に,ご自身の贖いの犠牲の価値を適用されるからです。病気をいやすとか死者をよみがえらせるなど,イエスが地上におられた間に行なわれた数々の奇跡は,イエスの強力な王国支配によって成し遂げられる事柄をわずかばかり示すものにすぎません。人類が受け継いでいる死にゆく状態さえも取り除かれるのです。「もはや死もなく」なることをわたしたちは保証されているからです。―啓示 21:4; 22:1,2。マタイ 11:2-5。マルコ 10:45。ローマ 5:18,19。

      11 イエスの王国支配中にはすべてに勝ってどんな喜びがありますか。

      11 それに,この上なく喜ばしいことに,墓地さえもからにされ,それらが風景を損なうことはもはやなくなるのです。復活の「初穂」となる14万4,000人のイエスの忠節な弟子たちは,イエスの王国におけるイエスの仲間として,天でイエスと結ばれます。また,「記念の墓の中にいる」残りの死者も「彼の声を聞いて……復活へと出て来る」,というイエスのすばらしい約束も成就するのです。その人々は,この地上で王国の臣民として完全な人間となる喜ばしい機会を得るでしょう。―ヨハネ 5:28,29。啓示 14:1-5; 20:4-6,11,12。

      12 (イ)あなたはなぜパラダイスで永遠に生きたいと思いますか。(ロ)ヨハネ 17章3節によると,パラダイスに住むためには何をしなければなりませんか。

      12 生き延びて,この地から悪が一掃されるのを,そして地球が喜びのパラダイスへと変わるのを見る人々の一人になりたい,とあなたは思われますか。地上にいて,死から復活する人々を迎えたいと思いますか。美しくなった地上で ― 老衰する人も,日々の生活に伴う喜びに飽きる人も全くいない地上で,永遠に生きるのはいかがですか。命を得るための神のご要求に従うならそれは可能です。そのことについて,イエスは父への祈りの中で,簡単に次のように述べておられます。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)パラダイスで永久に生きるとは,なんたる特権でしょう。その時,「水が海を覆うように,地はエホバの栄光を知ることで満ちる」のです。―ハバクク 2:14。

      「きょうこの日のためのパン」

      13 わたしたちはなぜ確信を持って「きょうこの日のためのパン」を祈り求めることができますか。

      13 しかし,今日のわたしたちにとっては当面の必要も大変気に掛かります。暮らしを立て,家族を養うことは,多くの人にとって大きな挑戦となっています。ですから,王国の到来を通して父の偉大なみ名が神聖なものとされ,そのご意志が地に成るよう父に祈るだけでなく,日常の必需品,「きょうこの日のためのパン」をも祈り求めることが必要です。もし自分が神の義の原則に従って生き,神の王国の関心事を生活の中でいつも第一にするよう努力すれば,神は偉大な供給者としてのご自身の分を果たしてくださるという強い確信を抱いて,その祈りをささげることができます。イエスが続けて言っておられる通りです。「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものです。あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです」― マタイ 6:11,31-33。

      「わたしたちの負いめをもおゆるしください」

      14,15 (イ)マタイ 6章12節の言葉を祈るのであれば,どのように行動する用意がなければなりませんか。(ロ)この点,わたしたちはどんなすばらしい模範を見倣えますか。

      14 父と親密な関係を築くには,父に対して自分に負いめがあること,また神と仲間の人間に対して罪過があることを,謙虚に認める必要があります。ですから,「わたしたちに負いめのある人びとをわたしたちがゆるしましたように,わたしたちの負いめをもおゆるしください」と神に祈るのは適切なことです。―マタイ 6:12。

      15 わたしたちにとっては全く分に過ぎたことですが,神は大いなる思いやりを示してそのみ子イエスを世にお遣わしになりました。それはイエスが『自分の魂を,[わたしたち人間の]多くの者と引き換える贖いとして与える』ためでした。これは人間の罪を許すための基となります。(マタイ 20:28)こうして罪深い人類に示された神のあわれみは,まことに偉大と言わねばなりません。ですから,わたしたちには仲間の人間の弱点を大目に見るべき大きな理由があるのです。いや,それ以上のことを行なう心構えが必要です。つまり自分に対するゆゆしい罪でさえも許すということです。そうするときにわたしたちは,真のクリスチャンを見分けるしるしになるとイエスが言われた,熱烈な愛という特質を他の人に示すことができます。―ヨハネ 13:35。コロサイ 3:13。ペテロ第一 1:22。

      「邪悪な者から救い出してください」

      16,17 (イ)『わたしたちを誘惑に陥らせないでください』という言葉をわたしたちはどう理解すべきですか。(ロ)「邪悪な者から救い出してください」という祈りに一致してどのように行動することができますか。

      16 最後にイエスは,「わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください」と祈るように教えておられます。(マタイ 6:13)神がわたしたちの歩む道に誘惑を置いてわたしたちを堕落させるのだ,などと考えないようにしましょう。わたしたちを神から引き離すことを望んでいるのは,神に背いたあの邪悪な者サタンなのです。

      17 しかし父は,「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように」,悪魔やその配下の悪霊の勢力と格闘して勝てるように,わたしたちを備えさせてくださるのです。わたしたちが『誘惑に陥らないように』神は完全にそろった霊的なよろいを備えてくださっているので,わたしたちはそれで身を固めることができます。使徒パウロはエフェソス 6章10-18節で,その霊的なよろいについて述べています。しっかりと立って,神から与えられたこの装備を活用し,常に祈るとき,父はわたしたちが『誘惑に陥らないように』してくださり,『邪悪な者から救い出してくださる』のです。―ペテロ第一 5:6-9。

      18 模範的な祈りの内容を要約してください。

      18 『エホバの王国が来ること』によってエホバの傑出したみ名が早く神聖なものとされますように。すべての悪が一掃され,この地球全体が神への賛美となるようパラダイスにされることによって,神のご意志が地上に成されますように。邪悪な現体制が存続する限り,愛に富まれる天の父が生活に必要なものを備えてくださいますように。わたしたちが他の人々と良い関係を保つのを助け,またサタンの手から救い出してくださいますように。イエスが祈り求めるように教えてくださったのは,こうした事柄です。イエスの模範的な祈りには,これらの事柄がすべて含まれています。

      [25ページの囲み記事]

      神の王国が行なう事柄

      ● エホバの主権を擁護し,サタンの支配を終わらせる。

      ● 地球から偽りの宗教と圧制的な支配者たちを除く。

      ● 「平和の君」であるキリストの統治をもたらす。

      ● 全地が美しいパラダイスとして栄えるようにする。

      ● 住宅不足,食糧不足,燃料不足などをすべてなくする。

      ● 隣人愛に基づく社会を確立する。

      ● 地球の自然力を制御し,災害を防止する。

      ● ストレス,心配,痛み,苦しみ,老齢などを除去する。

      ● 敵である死,病気,またすべての悲しみをなくする。

      ● 幾十億もの死者をよみがえらせ,地上で永遠に生きられるようにする。

  • 王国はどこから『来る』か
    「あなたの王国が来ますように」
    • 4章

      王国はどこから『来る』か

      1 テモテ第一 1章17節と啓示 15章3節に基づいてどんな重要な質問が生じますか。

      聖書はエホバを「とこしえの王」と述べているのに,なぜエホバのみ名を神聖なものとする一つの王国の『来る』必要があるのでしょうか。(テモテ第一 1:17。啓示 15:3)またその王国はどこから来るのでしょうか。

      2 政治におけるどんな状態が神のみ名に非難をもたらしましたか。どのように?

      2 まず,この地球に義と平和と幸福を回復するのに,なんらかの抜本的な改革が必要なことは明白な事実です。個々の政府がその市民の福祉を守ることに多くの面で失敗しているだけでなく,国どうしが争い合っています。憎しみや競争心,民族主義による偏見などで,人々や民族は分裂しています。こうした状態のために創造者の目的は大いに誤解され,そのみ名に多くの非難が浴びせられてきました。―ローマ 2:24。エゼキエル 9:9。

      3 (イ)このことで神の王国はどんな役割を演じますか。(ロ)王国はどんな点できわめて特別なものですか。

      3 この事態を正すためには,きわめて特殊な政府が必要です。エホバが設けられるのはそのような政府です。ではその政府はどこから来るのでしょうか。天に住まわれるエホバご自身から来ます。それはエホバご自身の宇宙主権を表明する従属王国で,その権威は,エホバが最初から,つまりこの天地の創造よりずっと以前から行使してこられた王権に由来します。神の天の組織から生まれるものであるゆえに,このきわめて特殊な,神による政府は,長年にわたるエホバの主権のすばらしい特性を受け継いでいます。―啓示 12:1,2,5。

      エホバの宇宙主権

      4 啓示 4章11節のどんな表現はエホバの主権を適切に描写していますか。

      4 神は「すべてのものを創造された」方ですから,万有を治める正当な主権者であられます。神により高められて天にある王位に就く人々でさえも,「み座にすわっておられるかたの前にひれ伏し,かぎりなく永久に生きておられるかたを崇拝」しなければなりません。彼らはへりくだって「とこしえの王」の最高主権を認めます。そのことは,彼らについてさらに次のように述べられていることから分かります。

      「そして自分たちの冠をみ座の前に投げ出して,こう言う。『エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしいかたです。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです』」。(啓示 4:10,11。エフェソス 3:9)

      あなたは神の主権をそのように見ますか。そうでなければなりません。

      5 人間の政府に比べてエホバの王権はどのように総括的ですか。

      5 人間の間では,王国は法律に従って統治を行ないます。それは秩序を保つのに必要です。それぞれの政府には普通,法律に従って事件を裁く裁判官がおり,法律を制定する議会があり,法律を施行する王または大統領がいます。エホバ神が創造した宇宙においては,エホバ神がその三つの地位をすべて占めておられます。預言者イザヤはそのことを示して,「エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令授与者,エホバはわたしたちの王」であると述べています。(イザヤ 33:22)またダビデ王はさらにこう言っています。「エホバは,天にご自分の王座を堅く立てられた。そして,その王権はすべてのものの上に支配を行なった」。(詩 103:19)ではその王権の幾つかの面を調べてみましょう。

      神がつくった宇宙の法則

      6 神の法がより優れていることを何が示していますか。

      6 人間の政府は,臣民の活動を規制することに努めますが,臣民の生活に大きな影響を及ぼす自然の力を制御することはできません。宇宙主権者であられるエホバにはそれができ,実際にそれを行なっておられます。科学者たちは,物質宇宙の運行を司る法則の正確さにしばしば驚嘆させられてきました。それらは神がおつくりになった法則なのです。人間が月に着陸できたのも,人工衛星を通して通信を行ない,日食や月食を予報し,複雑なものを幾千となく発明できるのも,それらの法則の働きが一定不変だからです。神の法則はまた太陽や雨を支配します。神はご自身に従う者たちを祝福するためにそれらの法則を調節することがおできになるのです。―詩 89:8,11-13。ヨブ 38:33,34。ゼカリヤ 14:17。

      7 (イ)エホバの法はエホバが神であることをどのように示していますか。(ロ)ヨブと同じくわたしたちは神の道をどのようにみなすべきですか。

      7 神の預言者は,膨大な数の天体に言及し,次のように述べています。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したか。それは,その軍勢を数によって引き出している方であり,その者たちすべてを名によって呼ぶのである。満ちあふれる勢いゆえに,この方はまた力が強く,それらの一つも欠けることはない。あなたは知っていないのか。聞かなかったのか。地の果てを創造された方であるエホバは,定めのない時に至るまで神である」。(イザヤ 40:26,28)エホバは幾十億年にわたり,ご自身の広大な宇宙を,いわゆる「自然の」法則によって支配してこられました。人間はそれらの法則のなぞを解明することに努めてきましたが,これから学ばねばならないこともまだまだたくさんあります。今から3500年前に次のように言ったあの忠実な人物に比べて,大して進歩してはいません。「見よ,これらは主の道の外縁。何とかすかなささやき事が主について聞かされたのだろう。しかしその力のある雷についてはだれが理解力を示せようか」― ヨブ 26:14。

      8 神のどんな他の特質が混入されているので,神が偉大な供給者であることが分かりますか。

      8 しかしエホバは,地球を創造する際に,ただ物理的法則に基づいて地を堅くしたのではなく,それよりもずっと多くのことを行なわれました。つまり,エホバはその力と法則に,計り知れない知恵と限りない愛を混入して,将来地球に住む者たちのためにすばらしい準備をされたのです。ですから地球上の神の創造のみ業には,実に優しい配慮と優れた技が見られます。(ヨハネ第一 4:8。詩 104:24; 145:3-5,13)前の章で述べたように,エホバはほんとうに偉大な供給者なのです。

      9 神に感謝すべき事柄としてどんなものがありますか。

      9 わたしたちは,すばらしい備えすべてを神に感謝すべきです。また,神の創造物を楽しむ身体的,知的能力と感覚を持つ者にわたしたち人間を造ってくださったことも感謝すべきです。そうです,詩篇作者のように進んで神に感謝をささげるべきです。「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるほどくすしく造られているからです。あなたのみ業はくすしく,わたしの魂はそのことをよく知っています。わたしがひそかに造られたとき,わたしが地の最も低い所で織り成されたとき,わたしの骨はあなたから隠されてはいませんでした。あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました。それが形造られた日々について,しかも,そのうちの一つもまだなかったにもかかわらず」― 詩 139:14-16。

      10 エホバが地上の問題を正す十分な能力をお持ちであることを何が示していますか。

      10 主権者なる主エホバは,宇宙とその中の万物を創造し,その愛と知恵により,その義の法に従って,事物の体制を確立する方ですが,また聖書が次のように述べている方でもあります。「義と裁きはあなたの王座の堅く立つ所,愛ある親切と真実があなたのみ顔の前に入って来ます」。(詩 89:14)確かにエホバは,地の諸問題を正す王国政府を生み出すことのできる立場におられます。(詩 40:4,5)しかしどのようにしてそれを行なわれるのでしょうか。

      秘密を明らかにする

      11 (イ)今日,真の知識が得られることをわたしたちはなぜ喜ぶべきですか。(ロ)「ミカエル」がだれであるかをどのように見きわめることができますか。その名にはどんな意味がありますか。

      11 聖書には,神が一つの王国,すなわち神のみ名を神聖なものとし,地上に神のご意志が成されるようにする王国をお建てになることを示した預言がたくさんあります。その一つはダニエルの預言です。その預言は「真の知識が満ちあふれる」「終わりの時」が来ることを示しています。その知識をわたしたちが今日得られるということは幸せなことです。というのは,ダニエルは次のように告げているからです。

      「国民が生じて以来その時までに臨んだことのないような苦難の時が必ず臨む。そして,その時の間に,あなたの民……は……逃れ出る」。

      ダニエルが述べているように,この事が起きるのは大いなる君ミカエルが神の民のために立ち上がる時です。聖書はミカエルが,エホバのみ名を神聖なものとするために神の敵と戦うイエス・キリストであることを示しています。ですから,それにふさわしく,「ミカエル」という名には「だれが神のようであるか」という意味があります。エホバの主権に挑戦して成功する者は一人もいないことを証明するのはミカエルだからです。―ダニエル 12:1,4。啓示 12:7-10。

      12 ダニエル 2章31-33節に描かれているのはどんな夢ですか。わたしたちは今日なぜそれに関心を持つべきですか。

      12 ダニエルの預言には,バビロンのネブカデネザル王の見た夢のことも述べられています。それは続いて起こる諸王国に関する夢でした。王は夢の内容をすぐに忘れてしまったものの,その夢のためにいつまでも心がひどく騒ぎました。最後に,「秘密を明らかにされる方」であるエホバ神が,ダニエルを用いて王に夢の内容を知らせただけでなく,その解き明かしも行なわれました。(ダニエル 2:29)この預言的夢の成就は現在まで続いており,さらに将来に及ぶので,わたしたちはその夢の意味に深い関心を持つべきです。それは,見たところ恐ろしい,人間の形をした「巨大な像」に関する夢で,ダニエル書 2章31-33節に記されています。ではその像は何を表わしているでしょうか。

      13 その像のいろいろな部分は何を表わしていますか。

      13 ダニエルがネブカデネザルに知らせたところによると,その像の金の頭はバビロンの「王」を表わし,頭から下のいろいろな部分は,バビロンの後に相次いで起こる他の諸王国を表わしました。今日では,それらの王国はメディア-ペルシャ,ギリシャ,ローマなどの強力な帝国,そして「両脚」で現代の英米二重世界強国に至ることを認めることができます。しかし,「一部は陶器師のこねた粘土,一部は鉄でできている」両足はどうでしょうか。近年になって,社会主義運動が盛んになり,英米世界強国の鉄のような権威は大いに弱められました。それは,鉄が『こねた粘土と混じり合わない』ために,巨大な像の両足がもろくなったのに似ています。したがってこの恐ろしい像は,相次いで起こる人間の「王たち」,すなわち神の王国によって滅ぼされるときに終わる世界強国を表わすものです。―ダニエル 2:36-44。

      14,15 その「石」は像に対して何をしますか。その「石」が何であるかはどうすれば分かりますか。

      14 というのは,見てご覧なさい! 一つの「石」が,ある山から「人手によらずして」奇跡的に切り出されます。この事には人間の体力は少しも関係していません。むしろエホバご自身が聖なるご意志に従ってそれを行なわれるのです。その石は巨大な像をめがけて飛んで来て像の足を打ちます。人間の支配機構全体を打ち砕くので,あとに残ったものは風に吹かれるもみがらのように飛び散ってしまいます。そのとき石そのものは大きな山となって全地に満ちます。―ダニエル 2:34,35。

      15 この「石」はいったい何でしょうか。次の預言はすべての疑問を取り除きます。

      「それらの王たち[英米世界強国およびそれ以前の世界強国の残存部分]の日に,天の神は,決して破滅に至ることのない一つの王国を建てられます。そしてその王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体はいつまでも定めなく保ちます」― ダニエル 2:44。

      16 「あなたの王国が来ますように」と祈るのはどんなことを請願していることになりますか。

      16 今日のわたしたちにとってこれは何を意味するでしょうか。それはこういうことです。神の王国が「来ますように」と祈るならば,わたしたちは事実上,天の王国がその破壊力を用いて,平和と繁栄をもたらすことに完全に失敗した人間製の政府をすべて粉砕するようにと請願することになるのです。幸いなことに「石」は,破壊の任務を完了すると,それ自体大きくなって政府という山になり,全地に満ちます。そして人類がソロモン王の時代以来経験したことのない平和をもたらし,「月がもはや存在しなくなるまで」,すなわち永遠に,「平和が満ちあふれる」のです。―詩 72:7。

      17 (イ)「石」と元の「山」との関係がわたしたちに確信を与えてくれるのはなぜですか。(ロ)王国はさらにどんな行動に出ますか。(ハ)詩篇 85篇8-12節にあるようなどんな確信を抱くべきですか。

      17 しかし,この王国の「石」が切り出された「山」はどうでしょうか。(ダニエル 2:45)その「石」は山に依存しており,山と同じものでつくられているに違いありません。事実そのとおりです。この王国の支配権は,とこしえの王であられるエホバ神の,総括的で全体に及ぶ主権から切り出されたものです。エホバの宇宙主権がその優れた属性をすべて反映するように,その主権から切り出された王国はエホバ神とその偉大な目的を高めなければなりません。王国はエホバ神の敵を粉砕することによってそのみ名を神聖なものとし,神が彼らの邪悪な行ないには無関係であることを示します。それからキリスト・イエスによるこの王国は法と秩序,愛と喜びで地を満たし,神が最初に意図された通りの,義にかなった,平和な場所に変えるのです。ですから実際にわたしたちは,「王国が来ますように」と祈っていなければなりません。―詩 85:8-12。

  • 王国が『来る』のにこれほど長くかかっているのはなぜか
    「あなたの王国が来ますように」
    • 5章

      王国が『来る』のにこれほど長くかかっているのはなぜか

      1 ローマ 8章22節を考えるときにどんな疑問が生じますか。

      使徒パウロは,「わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまでともにうめき,ともに苦痛をいだいている」と書いています。(ローマ 8:22)どうしてでしょうか。なぜ神は戦争や犯罪,病気や苦悩を,有史以来6,000年間も許してきたのでしょうか。神のおきてに従って生きるべく創造された人類がいまだに不法に悩まされているとは,どこがどう間違ったのでしょうか。わたしたちの天の父はなぜこの事態を正さなかったのでしょうか。もし王国がその解決策であるのなら,その王国が『来る』のにこれほど長くかかっているのはなぜですか。神がこのひどい状態を良い方へ変えてくださるという希望を本当に持てるでしょうか。

      2 神の主権の下にあったなら,地球はどのようになっていたはずですか。

      2 「とこしえの王」の最高支配権,すなわち主権の下にいたなら,エデンにおける創造のときから地上には理想的な状態が行き渡っていたはずです。最初の夫婦が子供をもうけ,人類が増えて,家族という単位が幾十億になるときには,全地は,温和な人類の楽しそうな笑い声や隣人への愛に満ちる,美しいパラダイスとなっていたはずです。―伝道 2:24と比較。

      3 (イ)人はだれの様に似せて造られましたか。(ロ)最初の人間夫婦は何をすることを命じられましたか。(ハ)今わたしたちはどんな質問をしてみるべきですか。

      3 これこそ,愛の深い創造者が,男をご自身の道徳的様に似せて造り,男から女をお造りになったときに,この地球に対して意図されたことでした。というのは,創造に関する聖書の記録に次のように述べられているからです。

      「[神は]男性と女性にこれを創造された。さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,『子を生んで,多くなって,地に満ち,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ』。……そののち神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった」。(創世 1:26-31)

      では,神が地上に創造されたものが今日「非常に良く」見えないのはなぜでしょうか。

      神の主権に対する挑戦

      4 (イ)神のどのおきては卓越していますか。なぜですか。(ロ)異なるおきてをつくろうとしたのはだれですか。それをどのように行ないましたか。

      4 創造物には従うべき規準として神のおきてがありました。その規準の中で顕著なものは愛のおきてです。神ご自身が「愛だからです」。(ヨハネ第一 4:8)ところが人類に対して異なるおきてをつくろうとする何者かが現われました。その「何者」かは,目に見えないみ使いである『神の子』で,エホバが地と地の上のすべてのものを創造されたときに『喜びにあふれて叫んだ』者の一人に違いありません。(ヨブ 38:7)このみ使いが自らサタンに変わり,神の敵となったのです。このみ使いは独立を望み,自分が崇拝されることを求めて,反逆の精神の種をまきました。(エフェソス 2:1,2。ルカ 4:5-7と比較。)独自のその利己的な目的を達成するために,わたしたちの最初の人間の親を利用することをたくらみました。ではどんな方法でそれを実行に移したでしょうか。

      5,6 (イ)神はどんな簡単な命令をアダムにお与えになりましたか。(ロ)サタンはどんな誘惑をしかけましたか。サタンが「悪魔」と呼ばれるのはなぜふさわしいことですか。

      5 パラダイスのエデンの園で,アダムとエバはエホバの慈悲深い支配を受けていました。神はふたりを霊的にまた身体的に支えるのに必要なものをすべて備えておられました。また神は,彼ら自身がいつまでも幸福でいられるように,主権者なる主としてご自身に従うことを彼らにお求めになりました。そのことを目的として,神はアダムに一つの簡単な命令を与えておられました。それは「善悪の知識の木」から食べてはならないという命令でした。エバが創造されてからは,その命令はエバにも当てはまりました。神はふたりに何かを与えまいとしておられたのではありません。というのは,園の中にたくさんあったほかの木が,栄養に富む種々のおいしい実を産出したからです。しかし,もし神に背いてその特定の実を食べるなら,彼らは「必ず死ぬ」ことになります。そこで反逆者サタンは悪賢い方法を用い,一匹の蛇を通してまずエバに近付き,こう言いました。「あなた方は決して死ぬようなことはありません。[その木の実を]食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。―創世 2:17; 3:1-5。

      6 サタンがそう言ったので,神はうそつきのように見えました。しかしほんとうにうそつきだったのはサタンでした。その「偽りの父」が,「そしる者」を意味する悪魔とも呼ばれるようになったのは当然です。(ヨハネ 8:44)それは,エホバの主権,すなわち被造物を治めるエホバの王権に対する真っ向からの挑戦でした。その言葉は,被造物に知る権利のある知識を神が与えまいとしている,神の支配は信頼できない,彼ら自身の「善と悪」の規準を設けて自主的に行動するほうがよい,といったことを示唆するものでした。

      7 人間夫婦は試みを受けたときにどんな点で失敗しましたか。

      7 この中傷的な言葉に対して女はどう反応したでしょうか。彼女は心を守ることを怠り,悪い欲が心に根を下ろすままにしたので,その欲ははらみ,結果として欺かれ,神に背いて意識的に罪を犯しました。そのようなことをした女は夫の頭の権をも軽視しました。女は夫に相談すべきでした。では男はどう反応したでしょうか。「アダムは欺かれませんでした」が,エバと運命をともにすることを選び,故意にエバの反逆に加わりました。その日は,わたしたちの最初の親にとって,また全人類にとって,ほんとうに悲しむべき日でした。―創世 3:6,7。テモテ第一 2:14。ヤコブ 1:14,15と比較。

      8 (イ)神はアダムとエバにどんな適正な宣告を言い渡されましたか。(ロ)ふたりには,死んだときに天または責め苦のある地獄に行く魂がありましたか。(ハ)何が王としてわたしたちを支配するようになりましたか。なぜですか。

      8 アダムとエバは神の主権をはなはだしく軽視していることを示しました。それで今や神はご自身のおきてに則して死刑を宣告し,アダムにこうお告げになりました。

      「あなたは塵だから塵に帰る」。(創世 3:19)

      死ぬのはアダムの肉体だけで,肉体を離脱する内奥の「魂」もしくは「霊」なるものが天または地獄で生き続ける,という意味で神はそう言われたのではありません。なぜなら,アダム自身が「魂」であったからです。創造の記録である創世記 2章7節には次のように記されています。「エホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった」。やがてアダムとエバはどちらも ― 魂として ― 死にました。全人類は罪に染まったそのアダムの子孫ですから,わたしたちはみな罪と死を受け継いでいます。「罪を犯している魂 ― それは死ぬ」。(エゼキエル 18:4,20)確かにわたしたちは人間の魂としてみな死んでゆきます。死が王としてわたしたちを支配するようになったのです。―ローマ 5:12,14; 6:12。伝道 3:19,20; 9:5,10。詩 6:5; 115:17。

      人間の忠誠の問題

      9 エデンでほかにどんな問題が提起されましたか。

      9 しかし,エデンで反逆が起きたために疑われるようになったのは,神の主権だけではありません。次のような問題も提起されました。神が地上に置いた最初の人間が試みの下で不忠実になったのであれば,神の創造に何か悪いところがあったのだろうか。神の業はすべて「完全」であったと,ほんとうに言えるだろうか。

      10 (イ)神の創造には欠陥がありましたか。なぜそう答えますか。(ロ)人間はどのようにして『神と似た様』であることを示せますか。

      10 神はアダムとエバを直ちに滅ぼして別の人間夫婦を創造することもできたはずです。しかしそれは,最初の創造に欠点があったと認めることにはならないでしょうか。最初の創造に欠点などありませんでした。わたしたちの最初の親が自由選択という道徳的能力を悪用するほうを選んだということに過ぎません。もしふたりがどんな状況の下でも正しいことをしなければならないロボットであったならば,彼らは道徳観念というものを持たなかったでしょう。また『神と似た様』でもなかったでしょう。エホバは愛ですから,物事をいつも完全に,正しい方法で行なわれます。そして理知のある被造物にも,ご自分と同じく愛に促されて正しい事を行なうよう望まれます。―創世 1:26,27。ヨハネ第一 5:3。

      11 申命記 32章4,5節は当時の状況にどんな光を投げ掛けますか。

      11 エホバについては次のように記されています。「岩なる方,そのみ業は完全,そのすべての道は公正であるから。忠実の神であり,不正なところは少しもない。義にして方正であられる」。神の創造物である人間もやはり,忠実で,義にかない,方正であり得るのです。それで神はアダムとエバが子供たちをもうけることをお許しになりました。親から罪深い性向を受け継いではいるものの,その子供たちの中には,不完全な肉体を持っていても,つらい試練や迫害に遭っても創造者に対する揺るぎない愛を証明し,また創造者に対する忠誠を証明する者がいるはずです。しかし一方,「破滅を招く」行ないをして神の子でないことを自ら示す人間もいるでしょう。それは彼ら独自の選択で,その欠点は神の責任ではなく,彼ら自身に原因するものです。―申命 32:4,5。

      12,13 (イ)サタンはヨブに関して神をどのように嘲笑しましたか。(ロ)ヨブはどんな答えを提出しましたか。そして結果はどうなりましたか。

      12 悪魔サタンがこの人間の忠誠の問題を神の前で言い立てたことは,聖書のヨブ記に示されています。アダムが道を踏みはずしたときから2,500年余り後に住んでいたヨブという人は,「非の打ちどころがなく,廉潔で,神を恐れ,悪から離れていた」人でした。サタンは神をあざけって,ヨブの廉潔は純粋なものではない,自分の得になるから神に仕えているに過ぎないと言いました。そこで神はサタンにヨブを試みることをお許しになりました。ヨブはばく大な財産を失い,その10人の子供は災害で死に,ヨブ自身後ほど忌まわしい病気にかかり,ついには妻さえも彼をあざけり,「あなたはなおも自分の忠誠を堅く保っているのですか。神をのろって死になさい!」と言う有様でした。しかもそのあげく,3人のにせの慰める者たちが浴びせる皮肉混じりの非難を論駁しなければなりませんでした。―ヨブ 1:6-2:13。

      13 ヨブはこれらの試練の間ずっと,次の決意を固く守りました。

      「わたしは息絶えるまで自分の忠誠を自分から奪い去らない!」

      ヨブは神への忠実を証明しました。そうすることによってサタンの非難に対する強力な答えを提出しました。それでエホバはヨブに報い,ヨブが以前持っていたものをみな2倍にしてヨブにお与えになりました。また,ヨブは再び7人の息子と3人の娘を授けられました。その娘たちは国中で一番美しい娘でした。―ヨブ 27:5; 42:10-15。

      14 他の人々は同様にサタンの主張に対してどう答えましたか。その最も優れた例は何ですか。

      14 しかし,エホバを愛する者は利己的な理由でエホバに仕えているだけである,というサタンの偽りの主張に答えを与えて神の心を喜ばせた忠実な僕は幾百万もおり,ヨブはそのうちの一人に過ぎません。神ご自身のみ子,イエス・キリストの場合はその最も優れた例です。イエスは地上におられたとき,神から与えられた任務を,自分を無にして遂行することを無上の喜びとし,「恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え」られました。―ヘブライ 12:2。

      あざける者の挑戦にこたえる

      15 その挑戦に対しエホバの側の正しさが証明されたと言えるのはなぜですか。

      15 さて,定められた期間は尽きようとしています。エホバはその挑戦にこたえて約6,000年間ご自分の側の正しさを証明してこられました。サタンがもたらすどんなに激しい迫害その他の試みにも負けずに忠誠を保つ男女を地上に持ち得ること,また実際に持っていることを示してこられました。悪魔はそれらの男女に対してありとあらゆる悪らつな手段を用いてきましたが,むだでした。神の忠実な僕たちは,父の心を喜ばせてきました。神を「そしっている」者,すなわち大いなる敵サタンに対する答えを父に提供したからです。―箴 27:11。

      16 (イ)神に属する忠節な者たちの一部はすでにどんな征服にあずかりましたか。(ロ)王国の臣民はなぜ彼らの支配者たちを信頼できますか。

      16 エホバは物事をむだのないように行なわれますから,その間に,これらの忠節な人々の中から,天の王国でキリストとともに支配する人々を選び出すことも同時に行なってこられました。サタンは「日夜彼らをわたしたちの神の前で」訴えましたが,彼らは「自分たちの証しのことばのゆえに」彼を征服し,「死に面してさえ自分の魂を愛さなかった」のです。彼らの模範であるイエス・キリストのように,命さえも捨てて,神と隣人に対する最高の質の愛を進んで示してきました。人類は,キリストおよび14万4,000人の仲間の王たちとで成る天の王国に,ほんとうに深い確信を抱くことができるのです。その王たちは,一人残らず試みを受けて,忠誠を守る人であることが証明された人々なのです。―啓示 12:10,11; 14:1-5; 20:4。ヨハネ 15:13。

      17 王国の地的領域を受け継ぐのはだれですか。

      17 キリスト以前の時代に神に忠実を保って死んだヨブのような人々は,「新しい地」で「さらに勝った復活」を受けることを約束されています。(ヘブライ 11:35。ペテロ第二 3:13)その人々は「りっぱな羊飼い」であるイエス・キリストの「ほかの羊」の一部になります。彼らにはパラダイスの地で永遠の命を得る見込みがあります。また,「事物の体制の終結」のときに,キリストの油そそがれた「兄弟」たちに親切にした羊のような人々は,王国のこの地的領域を受け継ぎなさいと言われています。(ヨハネ 10:11,16。マタイ 24:3; 25:31-46)その人々は,天のみ使いたちが「大患難」の大風をこの地上に解き放つときに救われて生き残ります。あなたは,神の王国が邪悪な諸国家を粉砕するために『来る』ときに生き残る「大群衆」の一人になりたいと思われますか。そういう人になれる可能性はあります。忠誠を保つ者として,神の道だけが永続する生活の喜びにつながることを,あなたも証明することができるからです。―啓示 7:1-3,9,13,14。

      18 (イ)エホバの主権の正当性を立証する必要が二度と生じないのはなぜですか。(ロ)現在明るい希望を持っているのはだれですか。(詩 37:11,29)

      18 神の王国がひとたびサタンとその腐敗した事物の体制を粉砕したならば,神の主権の正当性を立証する必要は二度と生じません。反逆者のサタンが提起した問題はそれを限りに解決されるのです。(ナホム 1:9)神の愛のおきてに基づく支配権の正当性,正しさ,卓越性はまさにこの地上で立証されるのです。ですから王国は,主権者なる主エホバの偉大なみ名を神聖なものとするために『来た』ことになるでしょう。今神に誠実に仕えている『うめいている創造物』に対して,神の王国はなんと明るい希望を差し伸べているのでしょう! あなたはその希望の成就にあずかれるように祈っていますか。―ローマ 8:22-25。

      [44ページの囲み記事]

      神はなぜ悪の存在を長く許されたか

      ● エホバの宇宙主権の正当性,正しさ,卓越性,不変性を確立するため

      ● 神から独立した人間の支配はどんな形態のものでも,悲しみと災いを招くだけであるということを永久に実証するため

      ● 神の王国の約束を進展させ,王国相続者たちを選びまた試みるため

      ● サタンがどんな試練をもたらしても神の僕たちは忠誠を保てるということを,法廷における場合のように立証する時間をとるため

      ● 神の愛のおきてに基づいた従順こそ,永続的な喜びにつながる唯一の道であることを示すため

      ● サタンの挑戦に対して疑問の余地を全く残さぬ答えを与え,二度と再びエホバのみ名と主権を立証する必要がなくなるような明確な判例を確立するため。

  • 王国を得ることに努める
    「あなたの王国が来ますように」
    • 6章

      王国を得ることに努める

      1 (イ)政府について言うならば,神は人間がつくったものとは対照的などんな政府を提供されますか。(ロ)わたしたちはなぜ安心して神の言葉を中心に生活を築くことができますか。

      これをあげましょう,と何かすばらしいものを差し出されたなら,あなたはどうしますか。それに手を伸ばさないでしょうか。神は,完全な政府の支配下で永遠に生きる機会をあなたに差し伸べておられます。確かに,政治に関係して不正を行なう政治家が今日少なくありません。彼らの約束は多くの場合むなしく終わります。たとえ良い意図があっても,神の主権から離れていては,人間は良い政府をつくることができないということが分かります。(箴 20:24)しかし神は今までずっと,完全な王国政府の樹立に向かって順次事を進めてこられ,その益にあずかるよう,義を愛する者たちに勧めておられます。神の目的は信頼できる真実のものです。神は偽ることができません。ですから,わたしたちは安心して神のみ言葉を中心に自分の生活を築くことができます。―啓示 21:1-5。テトス 1:2。

      2 (イ)神はいつどのように,義の王国を建てる意図を示されましたか。(ロ)ヘブライ 11章4-7節には,王国の希望を求めた人々についてどんなことが示されていますか。

      2 義の王国を建てるという神の目的は新しいものではありません。エデンで,神の主権の正当性に初めて疑問が投げ掛けられた時,神は,サタンとその子らを「砕く」であろう「胤」を生み出すというご自身の目的を語られました。(創世 3:15。ローマ 16:20)暴力がはびこっていたその古代世界の中にあって,アベルやエノクやノアは,エホバのその約束に信仰を示しました。神は「ご自分をせつに求める者に」報いてくださるとの確信を抱いていたので,彼らは『神とともに歩み』義を宣べ伝える道を選んで,浴びせられる非難を耐え忍びました。(ヘブライ 11:4-7)これは,神の王国が『来る』ことを現在信じている人すべてにとって非常に良い模範です。

      注目すべき家系

      3 創世記 12章1-7節によると,アブラハムはわたしたちにとってどのように優れた模範でしたか。

      3 大洪水から400年余りたって,神は,アブラハムの家系から約束の王となる「胤」が出ることを明らかにされました。しかし,なぜアブラハムの家系から出るのでしょうか。それは,神がアブラハムの心のうちに顕著な信仰があるのをご覧になったからです。神はアブラハムをその生まれた土地,すなわちカルデヤ人のウルの町から呼び出し,未知の地であるカナンに行かせ,次のように言われました。

      「地上のすべての家族はあなたによって必ず自らを祝福するであろう。……あなたの胤にわたしはこの地を与えよう」。(創世 12:3,7。使徒 7:4)

      自分の生まれた国に執着することなく,アブラハムは二度と帰らぬ覚悟で国をあとにしました。主権者なる主エホバに無条件で従うためには,生き方を完全に変えることもいといませんでした。今日エホバへの献身の道を追い求める人すべてにとって,まことに優れた模範と言わねばなりません。

      4 サラはその信仰ゆえにどのように祝福されましたか。(ヘブライ 11:11,12)

      4 アブラハムの妻サラは老齢になるまで石女でしたが,エホバは後ほどアブラハムに,「わたしは彼女を祝福し,彼女は幾つもの国民となる。もろもろの民の王たちが彼女から出るであろう」と告げて再び保証をお与えになりました。(創世 17:16)忠実なサラは90歳の時に,アブラハムの子で,多くの王の先祖となるイサクを奇跡的に産むという祝福を得ました。―マタイ 1:2,6-11,16。啓示 17:14。

      5 アブラハムとイサクの従順はどのように報われましたか。

      5 時がたち,エホバはアブラハムとイサクの二人に厳しい試みを課されます。サラが生んだ一人息子を連れ,三日ほどかかるモリアの山に行き,そこで息子を燔祭としてささげなさい,とアブラハムに指示されました。その時イサクは25歳くらいだったと思われますから,重い薪の荷を山の上まで運ぶだけの力がありました。もしイサクがその気になれば,125歳の父親に抵抗するだけの力もあったはずです。しかし親子は,この感動的なドラマにおいて従順にそれぞれの役割を演じ,アブラハムが短刀を振り上げるところまで行ったので,エホバのみ使いはその手を押しとどめました。そして,イサクの代わりに一頭の雄羊が犠牲としてささげられました。―創世 22:1-14。

      6 (イ)どんな預言的ひな型がそこで演じられましたか。(ロ)創世記 22章18節の約束にあなたが特別の関心を持つのはなぜですか。

      6 このとき神は,人類の世の罪を取り除くためにご自身がみ子をどのように犠牲にするかを示す預言的ひな型をつくられたのです。(ヨハネ 1:29。ガラテア 3:16)というのは,神はそのときアブラハムにこうお告げになったからです。

      「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである」― 創世 22:15-18。

      7 わたしたちがどんな行ないをすればエホバは報いてくださいますか。

      7 アブラハムとイサクはほんとうに際立った従順の模範です。わたしたちは彼らが求められたような犠牲を求められることはないでしょう。しかし,彼らと同じように,エホバに対する純粋の愛からエホバに服従することが大切なのです。(ヤコブ 4:7。コリント第二 9:13)『来たるべき王国』を得ることに努め,自分を,また利己的な関心事を進んで犠牲にする生き方は,エホバが必ず是認し報いてくださいます。―マタイ 6:33。

      8 (イ)ヤコブの行状はエサウのそれとどのように対照的でしたか。(ロ)イサクはヤコブにどんな祝福を与えましたか。

      8 イサクの息子ヤコブも王国を得ることに努めた人の一人でした。しかし,ヤコブの双子の兄弟であったエサウは,カナン人の女や自己中心的な物質主義の方に関心を向け,神聖な物事を軽視しました。彼はたかが一杯の煮物のために自分の貴重な家督相続権をヤコブに売り渡しました。(ヘブライ 12:16)霊的な思いを抱いていたヤコブは,その家督相続権を高く評価していました。それでエホバは,ヤコブがその貴重なものを保有できるように事を導かれたので,ヤコブは年老いたイサクの祝福をさえ受けることになりました。エサウは悪霊を崇拝する女たちと結婚していました。それにひきかえヤコブは,エホバを崇拝する人々の中から妻を得るため,はるばるメソポタミアまで行きました。その時イサクは再び次のような保証の言葉を述べました。

      「全能の神はあなたを祝福し,生み殖えさせて多くならせてくださり,あなたは必ずもろもろの民の会衆となるであろう」― 創世 25:27-34; 26:34,35; 27:1-23; 28:1-4。

      9 (イ)ヤコブの名前がイスラエルと改められた理由を説明してください。(ロ)この実例からわたしたちはどんな益を得ますか。

      9 後日ヤコブは,100歳になろうとしていたときでしたが,霊的な物事を高く評価していることを再び示しました。彼は祝福を得ようとして一晩中一人のみ使いと格闘しました。エホバは恵みのしるしとして,その場所でヤコブの名前を,「神に固執する者」という意味のイスラエルと改められました。(創世 32:24-30)わたしたちも,自分の周囲の邪悪な世の霊を避けながら霊的な富を得ることにいわば固執するなら,今日その報いを得ます。―マタイ 6:19-21。

      10 (イ)創世記 28章3節の預言はどのように成就しましたか。(ロ)個々の人の忠実さについて,ヘブライ 11章1節から12章1節にある心温まる実例を幾つか挙げてください。

      10 エホバは確かにヤコブの子孫を「民の会衆」として組織されました。そして,聖書を書き始めるのにもお用いになった,ご自身の仲介者モーセを通して,イスラエルの民にこう呼びかけられました。

      「もしわたしの声に固く従(うなら)……あなた方は,わたしに対して祭司の王国,聖なる国民となる」。(出エジプト 19:5,6)

      不幸にして,肉のイスラエルは神の声に従わなかったために,その霊的王国となることができませんでした。しかしその国民の中にあって個人として神に忠誠を証明した人は少なくありませんでした。イスラエルの裁き人たちや預言者たち,また以前遊び女であったラハブなどがそうです。それら忠実な「証人たち」については,ヘブライ 11章1節から12章1節までに記されています。今日,『神の王国が来る』のを待ち望んでいる人々にとって,彼らはなんと温かい励ましを与えてくれるのでしょう!

      11 どうすればあなたもそういう忠実な証人のようになれますか。

      11 あなたは自分の信仰を強くしたいと思いますか。「さらに勝った場所,すなわち天に属する場所を得ようと努める」点で,そうです,神を「建設者また作り主」とする「真の土台を持つ都市」を求める点で,今その信仰の人々のようになりたいと思いますか。(ヘブライ 11:10,16)『しかしその「都市」とは何ですか』とあなたは言われるかもしれません。

      神によって建てられる都市

      12 それら古代の神の僕たちはどの「都市」を求めていましたか。(ヘブライ 11:22-32; ルツ 1:8,16,17も参照。)

      12 その「都市」は約束の神の王国です。なぜそう言えるのですか。それは,古代の都市は多くの場合一人の王が支配する王国だったからです。聖書の中で最初に出てくる,そして好意的に述べられている王は,『サレム[という都市]の王メルキゼデク,至高の神の祭司』でした。何世紀かたって,その同じ場所にエルサレムの都市が建てられました。そしてエルサレムはサレムと同じように,偉大な王であり大祭司であるイエス・キリストの支配する天の王国を表わすようになりました。(創世 14:1-20。ヘブライ 7:1,2,15-17; 12:22,28)アブラハムとサラ,またイサクとヤコブは,当時詳しいことは知りませんでしたが,メシアが王として支配する「その都市」を熱心に求めていました。アブラハムは『その日を見ることを見越して大いに喜びました』。その王国の取決めの中に自分の場所を得るべく信仰を持って努力するなら,あなたも喜びを見いだすことができます。―ヘブライ 11:14-16。ヨハネ 8:56。

      13,14 ヤコブが死の床で述べた預言はどのように成就し始めましたか。

      13 ヤコブは12人の息子の父となり,それらの息子はやがてイスラエルの12部族の頭となりました。ヤコブは死の床で,12部族のどの部族から王国の権威を持つ,神がお定めになった支配者が出るかを予告し,次のように述べました。

      「ユダはライオンの子。……笏はユダから離れず……シロ[「それを持つ者なる彼」の意]が来るときにまで及ぶ。そして,もろもろの民の従順は彼のものとなる」。(創世 49:9,10)

      シロはほんとうにユダから出ましたか。もちろんそうです。

      14 ヤコブの預言はそれから600年余りたって成就し始めました。エホバがユダの部族から,『ご自分の心にかなう人』をお選びになったのはその時でした。その人物の名前はダビデといいました。神はこの勇敢な『ユダのライオン』をご自身の民イスラエルの指導者また王とされました。(サムエル前 13:14; 16:7,12,13。歴代上 14:17)ダビデ王に対してエホバは永遠の王国を約束されました。―詩 89:20,27-29。

      15 エホバはなぜユダ王国を覆されましたか。同王国はどれほどの期間覆されたままでしたか。

      15 西暦前1077年に統治を始めたダビデは,エルサレム市で統治したユダ王朝の最初の王でした。王が進んでエホバに従うときには国は必ず栄えました。しかし王が邪悪になってエホバの義の律法に背くときには,民は苦しみました。(箴 29:2)ユダの最後の王ゼデキヤは非常によこしまな者でした。神の預言者はこの王に対し次のように宣言しました。「『冠を取り外せ。……破滅,破滅,破滅,わたしはそれをなす。……法的権利を持つ者が来るまで……。わたしはその者にこれを必ず与える』」。主権者なる主エホバはその王国を,「法的権利」を持つ王が出現するまで覆したままにされました。―エゼキエル 21:26,27。

      「法的権利」を持つ王

      16 聖書は王国の永遠の相続者がだれかをどのように明らかにしていますか。

      16 ダビデの王国に対する「法的権利」を継承するのはだれでしょうか。その答えはマタイによる書の最初の17節に出ています。それらの節には,アブラハムからダビデまで,さらに下ってヨセフまでの,約束の「胤」の家系が示されています。ヨセフはやがてマリアの夫になります。ですからマリアの初子は王国に対する「法的権利」を持っていました。み使いガブリエルが,西暦前2年の初めに,彼女の胎に奇跡的に宿る子に関して次のように発表することができたのはそのためでした。

      「あなたはその名をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。そしてエホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:26-33)

      すばらしいことに,エホバは幾世紀にもわたり,ダビデの王国のこの永久相続者を生み出す目的を達成すべく事を運んでこられたのです。これらの事柄を振り返ってみるとき,『王国が来る』という神の約束に対するわたしたちの信仰は強められるのではないでしょうか。

      17,18 (イ)だれだけが天の王国を受け継ぎますか。(ロ)地上によみがえらされる忠実な人々の中にはどんな人がいますか。(ハ)そのことを知るとわたしたちは何をするように励まされますか。

      17 しかし,わたしたち全部がイエスとともに天の王国に入ることを期待できるというのではありません。その機会はイエスの弟子たちの「小さな群れ」だけのために用意されているものです。(ルカ 12:32)ダビデ王さえもその希望は持っていませんでした。「実際ダビデは天に上りませんでした」と述べられています。(使徒 2:34)バプテスマを施す人ヨハネや古代の他の忠実な男女も,「天の王国」には入りません。―マタイ 11:11。ヘブライ 11:39,40。

      18 しかし,忠誠を保つそうした忠実な人々はこの地上によみがえらされ,その多くは神の王国の取決めの中で「君たち」となります。(詩 45:16)あなたは,墓からもどって来る人を迎え,その人々と心ゆくまで交友を楽しみたいと思いませんか。もちろんそう思われるでしょう。では今,そのすばらしい機会に感謝している人々とともに『神の王国のための同労者』となり,その「都市」を得るよう努める決意をしてください。―コロサイ 4:11。

      [52,53ページの図版]

      彼らは神の王国を得ることに努めた

      アベル 西暦前3900年ころ

      ノア 西暦前2970-2020年

      アブラハム,サラ,イサク,ヤコブ 西暦前2018-1711年

      ヨセフ 西暦前1767-1657年

      モーセ 西暦前1593-1473年

      ラハブ 西暦前1473年

      裁き人たち 西暦前1473-1117年

      ルツ,ナオミ 西暦前1300年ころ

      ダビデ 西暦前1107-1037年

      預言者たち 西暦前1117-442年

      バプテスマを施す人ヨハネ 西暦前2年-西暦31年

  • 王なるメシアであることを見分ける
    「あなたの王国が来ますように」
    • 7章

      王なるメシアであることを見分ける

      1 エホバが出来事の起きる時について預言するのにダニエルをお用いになったのはなぜ適切ですか。

      地上で神の王国の取決めにあずかるべく復活する人々の中には,預言者ダニエルもいるでしょう。エホバへの奉仕の長い生涯を終えるときにダニエルは,「あなたは休みに入る。しかし,日々の終わりにあなたの分のために立つことになる」と告げられました。ダニエルは,今日のわたしたち同様,「終わりの時」と終わりの時に生ずる「驚くべき事がら」とに深い関心を持っていました。ですから,物事の時を定めそれを厳守されるエホバ神が,王国の『来る』ことと関係のある時間割に関連して,ダニエルを預言者としてお用いになったのは適切なことでした。―ダニエル 12:4,6,13; 11:27,35。アモス 3:7; イザヤ 46:9-11と比較。

      「エルサレムの荒廃」

      2 (イ)西暦前539年に突如成就したのはイザヤのどの預言でしたか。それはどのように成就しましたか。(ロ)エレミヤ記 25章11,12節が時間通りに成就するにはどんな奇跡が必要でしたか。

      2 何世紀も前もってなされていたエホバの預言にたがわず,バビロニア帝国は,ペルシャ人クロスおよびメディア人ダリヨスの軍の前に倒れました。(イザヤ 44:24,27,28; 45:1,2)ダリヨスはかつてのバビロニア王国の王となりました。それは西暦前539年のことでした。バビロンのネブカデネザルがエルサレムとその神殿を破壊し,ユダの国土を荒廃させて,生き残ったユダヤ人をバビロンへ捕らえ移した時から,すでに68年が経過していました。ですから老齢のダニエルは,ダリヨスの第1年に,大きな期待を抱いてこのように書きました。「わたしダニエルは,エホバの言葉が預言者エレミヤに臨んで告げた,エルサレムの荒廃を満了させるための年の数を書によって知った。すなわち七十年とあった」。(ダニエル 9:2。エレミヤ 25:11,12)どんな奇跡によって捕虜のユダヤ人はそれから2年のうちに帰還し,エルサレムにエホバの崇拝を復興することができたでしょうか。

      3 それでダニエルはどんな熱烈な祈りをささげましたか。

      3 ダニエルは自国民の罪を認め,あわれみを示してくださるよう願いつつ,エホバに熱烈な請願をささげました。とりわけ,イスラエルの周囲の国々がエホバの偉大なみ名に浴びせた非難を取り除かれることを求めました。そして自分の神に懇願しました。「エホバよ,どうかお聞きください。エホバよ,どうかお赦しください。エホバよ,どうか意に留めて行なってください。わたしの神よ,ご自身のために,どうか遅れることがないようにしてください。あなたの都市の上,あなたの民の上に,あなたのみ名が唱えられているのです」― ダニエル 9:4-19。

      4 エホバはその祈りにどのようにお答えになりましたか。

      4 エホバはこの祈りを聞き届けられたでしょうか。確かに聞き届けられました。そして同時に,ご自身の預言も成就されたのです。エホバは,イスラエルの残りの者がエルサレムへ上ってエホバの神殿を再建するようにとの勅令を,ダリヨスの後継者であったペルシャのクロスに出させました。「七十年」は西暦前537年に終わり,帰還したユダヤ人は,エルサレムに再建されたエホバの祭壇に,エホバへのささげ物を再びささげるようになりました。―歴代下 36:17-23。エズラ 3:1。イザヤ 44:28; 45:1。

      メシアの最初の到来の時を定める

      5 (イ)そのすぐ後にどんなことが起きましたか。(ロ)ダニエル書 9章24-27節にはどんな期間が顕著にされていますか。

      5 ダニエルのその祈りのすぐ後に,次のようなことも起きました。み使いガブリエルがダニエルの前で人間の姿になり,ダニエルに話し始めたのです。み使いはダニエルを「[エホバにとって]極めて望ましい人」と言い,「理解と共に洞察力を」彼に与え始めました。(ダニエル 9:20-23)み使いが述べたのは全く新しい事で,ダニエルにとっては新たな啓示でした。それは,「七十年」ではなく「七十週」の期間に起こる出来事に関係した驚くべき預言でした。その内容全体については,ダニエル書 9章24節から27節をお読みください。この預言にはどんな意味があるでしょうか。

      6 「七十週」はどれほどの長さですか。

      6 それによると,ダビデの家系の約束の王である「指導者なるメシア」の出現に関係して「七十週」が定められていました。これらの週は文字通りの週でしょうか。そうではありません。というのは,預言された事柄がすべて1年半以内に生ずることなどあり得なかったからです。七十週は各日を1年と数える「週」であることが分かります。(レビ 25:8と比較。)事実,幾つかの聖書翻訳はダニエル書 9章24節で「七十週年」といった表現を用いています。(アメリカ訳,モファット訳,現代英語聖書。ロザハム訳,新アメリカ聖書,エルサレム聖書の脚注も参照。)「七十週」は明らかに文字通り490年です。

      7,8 (イ)「七十週」がクロスの勅令から起算されないのはなぜですか。(ロ)ネヘミヤの祈りはどのように聞かれましたか。(ハ)ユダヤ人は王の「言葉」にどのように応じましたか。(ニ)このことはいつ生じましたか。

      7 では「七十週」はいつから起算されるのでしょうか。ダニエル 9章25節には,「エルサレムを修復して建て直せという言葉の発せられる時から」とあります。しかし,クロスの勅令にはそのような「言葉」は含まれておらず,「エホバの家を建て直す」ことだけに限られていました。そのエホバの家には犠牲用の祭壇も含まれていたでしょう。(エズラ 1:1-4)都市自体はその後80年余り『荒れ廃れた』ままの状態にとどまり,城壁も壊れたままでした。そのころ,忠実なユダヤ人ネヘミヤは,ペルシャのアルタクセルクセス王の献酌官として,シュシャンの城にありました。エルサレムにいるユダヤ人の窮状を耳にしたネヘミヤは,エホバのみ名のこの「恥辱」が取り除かれるように祈りました。―ネヘミヤ 1:3,11; 2:17。

      8 ネヘミヤは憂いに満ちた表情で王に酒をささげました。それでアルタクセルクセスは,「あなたは病気でもないのに,どうして憂うつな顔をしているのか。これは心が憂うつになっているからにほかならない」とネヘミヤに言いました。わけを知ると,王は早速ネヘミヤに,エルサレムの「城壁」と「門」を建てることができるよう,同市に戻ることを命じます。ネヘミヤがエルサレムに到着して,神が示してくださった恵みについて語り,「エルサレムを修復して建て直せ」という王の言葉を伝えたとき,人々はどう反応したでしょうか。「すると彼らは言った,『立ち上がって,ぜひ建てることにしましょう』。それで,彼らはこの良い業のためにその手を強めた」と述べられています。これらのことはすべて,「アルタクセルクセス王の第二十年」に生じました。―ネヘミヤ 2:1-18。

      9 アルタクセルクセスの第20年はどのように算定できますか。

      9 この年は西暦前何年に相当するでしょうか。重要な証拠によると,このアルタクセルクセス(右手が長かったので「ロンギマヌス」とも呼ばれた)は,父のクセルクセスが死んだ時にペルシャの王位についています。アルタクセルクセスの統治の第1年は西暦前474年でした。したがって彼の第20年は西暦前455年になります。a

      10 最初の「七週」に関する預言はどのように成就しましたか。

      10 以上のようなわけで,ダニエル 9章25節の「週」は,西暦前455年から起算されます。その箇所には次のように記されています。

      「あなたは知りまた洞察するように。すなわち,エルサレムを修復して建て直せという言葉の発せられる時から指導者なるメシアまでは,七週,そしてまた六十二週ある。それは元に復し,公の広場や堀も共にまさに建て直される。しかし,難局のうちになされるであろう」。

      最初の「七週」すなわち49年は,都市の再建に費やされる期間で,西暦前406年までを指しているようです。「難局」とはこの建設の業が近隣の部族から激しい反対を受けたことを指しています。(ネヘミヤ 4:6-20)それでも,歴史が示す通り,同世紀の終わりまでには,エルサレムは大きな都市となって繁栄していました。b

      11 「指導者なるメシア」はどのように時間通りに出現しましたか。

      11 しかしこのあとさらに「六十二週」があって,西暦前455年から「指導者なるメシアまでは」合計69週,すなわち483年となります。西暦前455年の一部と最後の年の一部を含むこの483年は西暦29年に達します。そのときメシアは出現したでしょうか。ルカ 3章1-3節には,「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」に,バプテスマを施す人ヨハネが「ヨルダン周辺の全地方に来て……バプテスマを宣べ伝えた」とあります。歴史家たちはティベリウスが西暦14年8月17日(グレゴリオ暦)にローマ皇帝となったことを確証していますから,ヨハネの伝道とバプテスマはティベリウスの第15年中 ― 西暦29年の春に始まったことになります。その同じ年 ― 西暦29年 ― の秋にイエスはバプテスマを受けられ,天から聖霊が下って,メシアとして油そそがれました。そのことは神の預言の成就としてまさに時間通りに生じたのです。―ルカ 3:21,22。

      12 (イ)当時,多くのユダヤ人は何を期待していましたか。(ロ)彼らはなぜ預言の重要な点を見逃しましたか。(ハ)しかしわたしたちはどのようにその益にあずかれますか。

      12 そのころ,多くのユダヤ人はメシアの到来を期待していましたが,「七十週」について知っていたことも,それを待つ理由の一つであったに違いありません。(ルカ 3:15。ヨハネ 1:19,20)けれども彼らの心はかたくなだったので,大多数の者はその預言の重要な点を見逃していました。(マタイ 15:7-9)しかし,「預言のことば」のそうした特色すべてに注意を払うことによって,今日のわたしたちの信仰は強められるのです。(ペテロ第二 1:19-21)その「ことば」によってわたしたちは,67ページの表の中で説明されているように,メシアをはっきり見分けられるだけでなく,「指導者なるメシア」の王国の下で享受するすばらしい祝福をも知ることができるのです。―イザヤ 9:6,7。

      王なるメシアは『断たれる』

      13,14 メシアの出現とメシアが歩んだ道は,ユダヤ人の期待とはどのように大きな相違がありましたか。

      13 「指導者なるメシア」の出現は,直ちにユダヤ人を救い出す結果となったでしょうか。ユダヤ人は,メシアがローマ帝国の厳しい束縛から自分たちを救い出してくれる強力な戦士であり,君主であることを期待していました。(ヨハネ 6:14,15)しかし,メシアのみ父エホバは,別の種類の救いを意図しておられました。

      14 「七十週」の預言の中でガブリエルが明らかにしたところによると,メシアは偉大な政治支配者になるどころかむしろ「断たれ,自らのためには何も持たない」状態になることになっていました。名もなく,後世に残す物質的富もなくして恥辱の死を遂げることになっていました。それは何と見事に成就したのでしょう! 処刑の時が来てイエスの衣服がはぎ取られたとき,兵士たちは,イエスに残されていた唯一のもの,つまり外衣をさえくじを引いて分けました。―ダニエル 9:26前半。マタイ 27:35。

      15 (イ)いつメシアは「断たれ」ましたか。(ロ)この時の正確さはどのように確証されますか。

      15 この処刑はいつ行なわれたでしょうか。ガブリエルによると,それは「[最後の]週[年]の半ば」に行なわれることになっていました。つまり西暦33年の春です。イエスがバプテスマを受けられ,油そそがれてから3年半後に当たります。その預言の正確さを証明するものとして,ヨハネの福音書は,イエスがその時に,バプテスマ以後4度目の過ぎ越しに出席しておられたことを示しています。―ダニエル 9:27後半。ヨハネ 2:13; 5:1; 6:4; 13:1。

      16,17 (イ)ダニエル書 9章26節のあとの言葉はどのように悲劇的な成就を見ましたか。(ロ)当時のメシアの真の追随者たちはわたしたちにどんな模範を示しましたか。

      16 確かに「指導者なるメシア」は「断たれ」ました。ユダヤ人が彼らの王を認めなかったことはほんとうに大きな悲劇でした。しかしそれで終わったわけではありません。エルサレムはもう1度荒廃を見ることになります。ダニエルの預言は次のように予告していたからです。

      「その都市と聖なる所とをそこへ来る一人の指導者の民が破滅に至らせる。それで,その終わりは洪水による。そして,終わりに至るまで戦いがある。定められているものは荒廃である」― ダニエル 9:26後半。

      17 預言にたがわず,メシアが『断たれた』あとの期間は,「終わりに至るまで」戦争の絶え間がありませんでした。ついに西暦70年,ローマ軍は,窮地に陥っていたエルサレムに洪水のようになだれ込みました。都市とそこにあった神殿は覆され,『破滅するに至りました』。歴史家ヨセフスによると,その大虐殺で110万人のユダヤ人が死にました。幸いメシアの真の追随者たちは,そのときまでには,警告となる「しるし」に注意を払って,ヨルダン川の向こうの山地に無事に逃げていました。(マタイ 24:3-16)このことから今日のわたしたちも,現在の邪悪な世の体制に裁きを執行するために王国が『来る』前に現われる,神が預言しておられた「しるし」に注意を払うことがいかに大切かを痛感します。―ルカ 21:34-36。

      メシアは多くの益をもたらす

      18 メシアの最初の到来のときには益となるどんな事柄が成し遂げられましたか。

      18 ではメシアの最初の到来によって何が成し遂げられるでしょうか。ガブリエルはダニエルに次のように告げていました。

      「あなたの民またあなたの聖なる都市に関して定められた七十週がある。これは違犯を終結させ,罪を終わらせ,咎を贖い,定めのない時に至る義を携え入(れる)……ためである」。(ダニエル 9:24前半)

      「指導者なるメシア」は死ぬ前に,そしてその死を通して,このことをすべて成し遂げます。これは政治的な救いではなく,すばらしい霊的な救いです。イエスは,犠牲としてささげたご自身の完全な人間の命が持つ贖う力により,ご自身をメシアとして受け入れる者たちから罪の汚れと罪過を取り除き,彼らを「神の[霊的]イスラエル」として「新しい契約」に入れられるのです。―ガラテア 6:16。エレミヤ 31:31,33,34。

      19 メシアはどのように「犠牲と供え物とを終わらせ」ましたか。

      19 ですからモーセを仲介者とする律法契約が動物の犠牲に基づいて成し得なかったことを,今やメシアを仲介とする新しい契約は,「週の半ば」にささげられるイエスの一つの完全な人間の犠牲に基づいて成し遂げるのです。こうしてメシアは「犠牲と供え物とを終わらせ」るのです。それで律法に定められているささげ物はもはや何の価値もないものになります。(ダニエル 9:27)使徒パウロは後日次のように述べています。「見よ,新しい事物が存在しているのです。しかし,すべてのものは神から出ており,神はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ,また,和解の務めをわたしたちに与えてくださいました」― コリント第二 5:17,18。

      20 人類の持つどんな見込みをあなたは喜ぶことができますか。

      20 イエスがささげられた贖いの犠牲の益は,やがて霊的イスラエル ― パウロもその一員となった ― 以外の人々にも広く及ぶようになりました。というのはパウロはさらに,神はキリストによって『世をご自分と和解させて,その罪過を彼らに帰されなかった』と述べているからです。(コリント第二 5:19)人間的不完全さによる自分の罪過が,人を神と和解させる方の犠牲に基づいて許されるということを,あなたは人類の世界の一員としてうれしく思いませんか。

      21,22 (イ)70週目はどのように「幻と預言者とに証印を押し」ましたか。(ダニエル 9:24)(ロ)「いと聖なる所」はどのように油そそがれましたか。

      21 しかし『七十週目』は『定めのない時に至る義を携え入れる』だけではありません。「幻と預言者とに証印を」押すこともします。啓示 19章10節には,「イエスについて証しすることが預言に霊感を与えるものなのです」とあります。イエスはメシアとして最初に来られた時に,その行ないと言葉とによって幾百もの預言の言葉を文字通り成就されたのです。これは,それらの預言に消すことのできない証印をしっかりと押して,それらの預言が真実かつ正確であり,主権者なる主エホバから出ていることを示すのに似ていました。今や神がご自身の民に与えた祝福の約束はすべてメシアにより成就します。「神の約束がどんなに多くても,それは彼[メシアなるイエス]によって,はい,となったからです」。―ダニエル 9:24後半。コリント第二 1:20。

      22 その『七十週目』の間には「いと聖なる所」に油そそぐことも成し遂げられることになっていました。エルサレムの神殿の中にあった「手で作った聖なる所」はもはや,罪の許しに関する神の目的には役立たなくなりました。手で作った聖なる所は模型に過ぎませんでした。その実体は偉大な霊的神殿の取決めで,西暦29年にメシアが油そそがれるとともに存在するようになりました。キリストは死んで復活されたのち天に入られ,ご自身の人間としての犠牲の価値を「ただ一度かぎり」神ご自身の前にささげられたのです。(ヘブライ 9:23-26)そのために神の天の住まいは新しい様相を帯びました。それは「いと聖なる所」として油そそがれ,エルサレムの神殿の至聖所が予表していたものの霊的実体となりました。それで西暦33年のペンテコステの日から『七十週目』の終わりまで,神の備えを受け入れたユダヤ人はまれな特権を得ました。その「いと聖なる所」でささげられたキリストの犠牲に基づいて,彼らも神の霊的神殿で従属の祭司として奉仕すべく油そそがれたのです。

      23 (イ)ユダヤ人は70週目に特にどのように恵みを受けましたか。(ロ)「七十週」が終わってからほかの人々はどのように恵みを受けましたか。

      23 霊的イスラエルに入れられるそれらユダヤ人については次のように預言されています。「彼は一週のあいだ多くの者のために契約の力を保たねばならない」。これは西暦29年から36年までの『週年』で,この間に生来のユダヤ人は特別の恵みにより霊的『アブラハムの胤』の一部として選ばれました。(ダニエル 9:27前半)しかしそれからペテロが無割礼の異邦人コルネリオに伝道し,無割礼の諸国民にもアブラハム契約に入れられる道が開かれました。このことについてパウロは次のように書いています。「現にあなたがたはみな,キリスト・イエスに対する信仰によって神の子なのです。キリストへのバプテスマを受けたあなたがたはみなキリストを身に着けたからです。ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなたがたはみなキリスト・イエスと結ばれてひとりの人となっているからです。さらに,キリストに属しているのであれば,あなたがたは実にアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人なのです」― ガラテア 3:26-29。使徒 10:30-35,44-48。

      24 (イ)アブラハムへの約束は,さらに他の人々に対するどんなすばらしい保証を含んでいますか。(ロ)ルカ 9章23節に示されているように,どうすればあなたもそれにあずかることができますか。

      24 しかしそのほかの人々,つまり天に相続財産を持つ「小さな群れ」の一員となるよう集められてはいない幾十億もの人々についてはどうでしょうか。アブラハムへの約束には,その人々に対するすばらしい保証も含まれています。その中で神は,「[アブラハムの]胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福する」と述べておられるからです。(創世 22:18)あなたの願いはその祝福にあずかることでしょうか。その祝福にあずかる可能性はあなたにもあるのです。そのためには『神の王国が来ますように』と祈らなければなりません。また神の言葉を調べ続けるにつれ,どのように自分を「捨て」て神に献身し,「絶えず」指導者なるメシアに従うかが学べるでしょう。―ルカ 9:23。

      [脚注]

      a 「ものみの塔」誌,1966年1月15日号57-59ページ; 「聖書理解の助け」(英文)1473ページ参照。

      b 例えばヨセフスは,「アピオーンへの反論」第1巻22節の中で,西暦前4世紀の歴史家,アブデラのヘカタイオスの書いた次の言葉を引用している。「ユダヤ人は国の方々に多くの要塞や村落を有しているが,要塞都市は一つしかない。その都市の周りの距離は50スタディオン(約10㌔),住民は約12万。彼らはその都市をエルサレムと呼んでいる」。

      [67ページの図表]

      「七十週」の終わりまでに「指導者なるメシア」に関して成就した預言

      預言 預言の内容 成就

      イザヤ 40:3 バプテスマを施す人ヨハネが道を備える マタイ 3:1-3

      ミカ 5:2 イエスはベツレヘムで生まれる マタイ 2:1-6

      創世 49:10 ユダの部族から出る ルカ 3:23-33

      イザヤ 7:14 処女から生まれる マタイ 1:23-25

      イザヤ 9:7 ダビデの子孫であり,相続者 マタイ 1:1,6-17

      エレミヤ 31:15 幼子らが殺される マタイ 2:16-18

      ホセア 11:1 エジプト(避難した場所)から呼び出される マタイ 2:14,15

      ダニエル 9:25 69「週」の終わりに出現する ルカ 3:1,21,22

      詩篇 40:7,8 神のご意志を行なうために自らをささげる マタイ 3:13-15

      イザヤ 61:1,2 宣べ伝えるために霊で油そそがれる ルカ 4:16-21

      詩篇 2:7 エホバはイエスを「子」と宣言される マタイ 3:17

      イザヤ 9:1,2 ガリラヤの地域に光が昇る マタイ 4:13-16

      詩篇 40:9 「良いたより」を大胆に宣べ伝える マタイ 4:17,23

      詩篇 69:9 エホバの家のために熱心である ヨハネ 2:13-17

      イザヤ 53:1,2 ユダヤ人は彼を信じない ヨハネ 12:37,38

      詩篇 78:2 例えで語る マタイ 13:34,35

      ゼカリヤ 9:9 ろばの子に乗って市内に入る マタイ 21:1-9

      詩篇 69:4 理由なく憎まれる ヨハネ 15:24,25

      イザヤ 42:1-4 諸国民の希望,言い争わない マタイ 12:14-21

      詩篇 41:9 不忠実な使徒が彼を裏切る ヨハネ 13:18,21-30

      ゼカリヤ 11:12 銀30枚で マタイ 26:14-16

      詩篇 2:1,2 支配者たちは油そそがれた者に逆らう マタイ 27:1,2

      詩篇 118:22 退けられる,しかし確かな基礎 マタイ 21:42,43

      イザヤ 8:14,15 つまずきの石となる ルカ 20:18

      詩篇 27:12 彼に対する不利な偽証 マタイ 26:59-61

      イザヤ 53:7 非難者たちの前で沈黙する マタイ 27:11-14

      詩篇 22:16 手と足を杭につけられる ヨハネ 20:25

      イザヤ 53:12 不法な者たちとともに数えられる ルカ 22:36,37

      詩篇 22:7,8 杭につけられている間あしざまに言われる マタイ 27:39-43

      詩篇 69:21 もつ薬を混ぜたぶどう酒を与えられる マルコ 15:23,36

      ゼカリヤ 12:10 杭の上で突き刺される ヨハネ 19:34

      詩篇 22:18 彼の外衣はくじで分けられる マタイ 27:35

      詩篇 34:20 骨は一つも砕かれない ヨハネ 19:33,36

      詩篇 22:1 神に見捨てられ敵に渡される マタイ 27:46

      ダニエル 9:26,27 3年半後に断たれるc ヨハネ 19:14-16

      ゼカリヤ 13:7 牧者は打たれ,群れの羊はちりぢりになる マタイ 26:31,56

      エレミヤ 31:31 新しい契約,罪が取り除かれる ルカ 22:20

      イザヤ 53:11 多くの人の咎をになう マタイ 20:28

      イザヤ 53:4 人類の病を負う マタイ 8:16,17

      イザヤ 53:9 富む者とともに葬られる マタイ 27:57-60

      詩篇 16:10 朽ちないうちによみがえらされる 使徒 2:24,27

      ヨナ 1:17 三日目に復活する マタイ 12:40

      詩篇 110:1 神の右に高められる 使徒 7:56

      [脚注]

      c 61,62ページ参照

  • 「王国は近づいた」
    「あなたの王国が来ますように」
    • 8章

      「王国は近づいた」

      1 マタイ 3章1-10節にあるヨハネの言葉はなぜ時宜を得たものと言えますか。

      「指導者なるメシア」が初めて来られたときの活動についてもう少し詳しく調べてみましょう。まず,バプテスマを施す人ヨハネが,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」という驚くべき発表を行ないました。(マタイ 3:2)将来の王が間もなく出現しようとしていました。『七十週目』,すなわち特別のめぐみの「週」が近付いていたので,確かにユダヤ人にとっては,彼らの神エホバから与えられた義の法典に対する罪を悔い改めるべき時でした。今やイスラエルには裁きの日が臨もうとしていました。それでヨハネは,国の偽善的な宗教指導者たちにさらにこう言いました。「まむしらの子孫よ,来ようとしている憤りから逃れるべきことを,だれがあなたがたに示唆したのですか。それでは,悔い改めにふさわしい実を生み出しなさい。すでに斧は木の根もとに置かれています。それで,良い実を生み出さない木はみな切り倒されて火に投げ込まれるのです」― マタイ 3:7,8,10。

      2 (イ)イエスが受けたバプテスマはどのように異なっていましたか。(ロ)イエスは「その業を開始された」とき,何と闘わねばなりませんでしたか。

      2 イエスが,ガリラヤからヨルダン川に来て,ヨハネにバプテスマを施すようお求めになったのはそのときでした。ヨハネはイエスに罪がないことを知っていたので,初めのうちは断わりました。しかし,イエスが受けるバプテスマは異なっていました。それは,み父が地上でイエスに行なわせようとしておられた特別の業を成すべく,エホバにご自身をささげたことを象徴するものでした。ですから,イエスが水のバプテスマをお受けになったのは適切なことでした。

      「[イエスが]祈っておられると,天が開け,聖霊がはとのような形をとって彼の上に下り,また天から声があった。『あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した』。なお,イエス自身は,その業を開始された時,およそ30歳で(あった)」。

      それからすぐにイエスは,メシアまた指名された王として,古いへびの悪魔や,神に仕えると公言していた偽善的なユダヤ人の宗教指導者たちの攻撃の的となりました。―ルカ 3:21-23。

      3 誘惑を受けたときにイエスが取られた道は,アダムとエバのそれとはどのように異なっていましたか。

      3 「さて,イエスは聖霊に満ちて,ヨルダンから去って行かれた。そして,霊によって荒野をあちらこちらと導かれて四十日におよび,その間悪魔の誘惑を受けた」。(ルカ 4:1,2)サタンはイエスを,やがては悪魔とその邪悪な「胤」を砕く神の約束の「胤」と認めました。サタンは,イエスを神に背かせてエホバの目的を妨害することができるでしょうか。イエスはそれまで四十日間断食しておられました。そこで悪魔は空腹のイエスに,不毛の荒野にあった石をパンに変えるよう促します。その時その奇跡を行なう力をお持ちでしたが,イエスは正しくエホバの義の律法を引用してこう言われました。

      「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。(マタイ 4:1-4。申命 8:3)

      命を支える他の食物が周囲にたくさんあったにもかかわらず神に背いて,禁じられた実を食べたエバやその夫アダムとはなんという大きな相違でしょう!

      4 2番目の誘惑に対するイエスの態度からどんな教訓を学びますか。

      4 イエスが謙遜でみ父を全く信頼しておられたことは,次の誘惑への対応の仕方に表われました。サタンはイエスに,神の子なので自分は重要人物である,名士である,と考えさせようとしました。つまり,必要もないのに神殿の胸壁から身を投じさせようとします。そうしても神のみ使いが必ずイエスを受け止めてけがをさせないというのです。しかしイエスはその愚かな勧めを退け,再びエホバの律法を引用して言われました。

      「『あなたの神エホバを試してはならない』とも書いてあります」。(マタイ 4:5-7。申命 6:16)

      このことには,今日に至るまでの,神の僕と称する人すべてに対する一つの教訓が含まれています。つまり,だれもエホバとの関係における自分の立場を誤用してはならないということです。エホバの祝福を受けるかどうかは,過去の奉仕や地位ではなく,神の取決めと要求に深い尊敬を払いながら,全く謙虚に神に従い続けるかどうかにかかっています。―フィリピ 2:5-7。

      5 (イ)3番目の誘惑はどんな最重要な問題に焦点を合わせたものでしたか。(ロ)それに答えるのに,イエスは神の律法を再びどのようにお用いになりましたか。(ハ)これは今日のわたしたちにとってどのようにすばらしい模範ですか。

      5 さて次は,その時の最後でクライマックス的な誘惑です。王国という最重要な問題でイエスをつまずかせることさえできたら,とサタンは考えます。そこで『悪魔は彼をとりわけ高い山に連れて行き,世のすべての王国とその栄光とを見せてこう言いました。「ひれ伏してわたしに崇拝の行為をするならば,わたしはこれらすべてをあなたにあげましょう」』。このようにほんのちょっと妥協すれば,イエスは,エホバの定めの時まで何世紀も待たなくとも,すぐその時から,人類の世界全体を支配できるのだ,とサタンは論じました。しかし,イエスはみたびエホバの律法に言及し,次のようにお答えになりました。

      「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,彼だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。(マタイ 4:8-10。申命 6:13)

      これもまた,今日エホバに仕えている人々にとってすばらしい模範です! エホバに神聖な奉仕をささげている人々は,前途がいかに遠いものに思えても,神の王国を生活の中で第一にすることを決してやめてはなりません。サタンの世の物質主義的な社会の中で独自の小さな「王国」を建てることなどに心を向けないようにしたいものです。

      「世のものではない」

      6 (イ)どんな意味で王国は今近付いていますか。(ロ)ペテロ第一 2章21節を自分に適用するに際して,クリスチャンはイエスのどんな模範に従うべきですか。

      6 イエスが悪魔の誘惑を退けられた後,どんなことが行なわれたでしょうか。聖書には次のように記されています。

      「イエスは伝道を開始し,『あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです』と言いはじめられた」。

      どうして王国は近付いたと言えたのでしょうか。それは,王となるべく油そそがれたイエス・キリストご自身が今や登場し,「教え……王国の良いたよりを宣べ伝え」ておられたからです。大勢の群衆があちらこちらとイエスの後について行きました。(マタイ 4:17,23-25)イエスの教えを受け入れる者は,『イエスが世のものではないのと同じように世のものであってはならない』ことを,イエスははっきりと示されました。彼らは,世から,また世の暴力や不道徳から離れていなければなりませんでした。今日イエスに従うことを望む人々もみなそうしなければなりません。―ヨハネ 17:14,16。ペテロ第一 2:21。マタイ 5:27,28; 26:52も参照。

      7 ヨハネ 8章44節のイエスの言葉を考えると,今日,聖書に関する宗教指導者たちの教えを調べるのはなぜ大切ですか。

      7 偽りの崇拝については,イエスは当時の宗教指導者たちにこう言われました。「あなたがたは,あなたがたの父,悪魔からの者であり,自分の父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理のうちにかたく立ちませんでした。真実さが彼のうちになかったからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であり,偽りの父だからです」。(ヨハネ 8:44)当時の一般民衆にとって最も重要なことは,ユダヤ人の宗教の中で発達した誤った伝統(後日タルムードに収録された)から離脱することでした。そして今日,ユダヤ人のように先祖の宗教に従って生涯を送ってきた人々にとって重要なことは,自分たちの宗教指導者が単なる人間の伝統を教えるために神の言葉を「わきに押しやって」はいないか,調べてみることです。―マルコ 7:9-13。

      8,9 (イ)イエスが,わたしの王国は「この世のものではありません」と言われたのはなぜですか。(ロ)では真のクリスチャンが迫害に遭うのはなぜですか。(ハ)なぜ勇気を持つべきですか。

      8 イエスはご自身の裁判が行なわれていたときに,当時の政府についてこのように言われました。

      「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。

      イエスの王国は天に由来するものでした。イエスの王国はその権限を最高主権者なるエホバ神から得たのであって,サタンから得たのではありません。したがって,サタンは地上にいる自分の「胤」を用いてイエスとその弟子たちを迫害しました。―ヨハネ 18:36。

      9 それでイエスはご自身の真の弟子たちに言われました。「わたしがこれらのことを命令するのは,あなたがたが互いに愛し合うためです。もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです。あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです」。(ヨハネ 15:17-19)エホバの崇拝者たちは,今日広く見られるような腐敗した政治や暴力行為に関与しないため,現在に至るまでひどい憎しみと迫害を経験しています。しかし最終的に世に勝つ人々すべてを待ち受けているのは,豊かな報いです。イエスは弟子たちに,「世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」と言われました。―ヨハネ 16:33。

      王の資格

      10,11 (イ)世の支配者たちが神から与えられた権利によって支配していないことは何から分かりますか。(ロ)それと対照的に,イエスは王の資格があることをどのように示されましたか。

      10 あなたは世界支配者にどんな特質を期待しますか。歴史に出てくる支配者のほとんどは,“強者”で専横な,誇り高ぶった人々でした。そして,一般民衆の必要よりも自分の繁栄を第一に考えるのが常でした。中には強大な帝国を建設したことを誇った支配者たちもいましたが,時のたつうちにそれらの強力な帝国も崩壊して,「エホバご自身が家を建てるのでなければ,建てる者たちが懸命に働いても無駄である」というソロモン王の言葉の真実さは証明されました。(詩 127:1)要するにその「王たち」は,神から権利を与えられて支配しているのではないことを実証したのです。彼らの主権はエホバ神から与えられたものではなかったのです。

      11 しかし,神が油そそがれた王イエス・キリストは,「真理と謙遜と義のために」その敵に向かって乗り進む,と預言的に描写されています。イエス・キリストについては,「あなたは義を愛した。そして邪悪を憎む。それゆえ,神,あなたの神は,あなたの仲間[イエスより前のダビデの家系の王たち]にまさってあなたに歓喜の油をそそがれた」と述べられています。(詩 45:4,7)この天の王は,エホバの聖なるみ名を辱める者や,神の義の原則を犯す者をすべて憎まれるので,義の統治を始めるに先だって,この地球からやがてすべての悪を一掃されます。イエスは,ご自身にそういう支配者としての資格があることを示されたでしょうか。そのことに疑問の余地は少しもありません!

      12 イエスは神聖な奉仕のどんな模範を示してくださいましたか。

      12 完全な人間であったときのイエスは,神と隣人に愛を示すことにおいて模範でした。エホバに献身した神の民イスラエルの一員として,イエスは二つの最大の戒めに従う点で模範を示されました。そしてこう言われました。「第一[の戒め]は,『聞け,イスラエルよ,わたしたちのエホバはただひとりのエホバであり,あなたは心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。第二はこうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』」。(マルコ 12:29-31。申命 6:4,5)イエスは身を惜しむことなく献身的にエホバに仕え,隣人であるユダヤ人を教えられました。それらのユダヤ人が,もっと多くのことを聞くためにイエスを引き留めようとしたとき,イエスは彼らに言われました。

      「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」。(ルカ 4:43)

      神聖な奉仕をささげることにおいてイエスは活動家で,真のクリスチャンがみな従うべき模範を残されました。―ヨハネ 5:17と比較。

      13,14 (イ)イエスは人々をどのようにお考えになりましたか。(ロ)イエスはなぜ伝道に出掛けられましたか。また,なぜ他の人々をお遣わしになりましたか。(ハ)人間は王国の下でどんな監督を期待できますか。

      13 イエスは愛や同情心に富んでおられることも示されました。人々が宗教的圧制者たちの課した重荷から解放されることを,心の中で切に望んでおられました。ですから,彼らに王国のことを語り,こう言って弟子たちを送り出されました。

      「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」― マタイ 9:35-10:7。

      14 この指名された王は人々に次のように勧めました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなたがたをさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負ってわたしの弟子になりなさい。わたしは柔和で,心のへりくだったものだからであり,あなたがたは自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきはここちよく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:28-30)全人類を治めるべく神から任命された天の王として,イエスはそれと同様の同情心を示されるでしょう。そして地上におられたとき行なわれたように,王国の仲間を組織して,人間がほんとうに必要としている救済と思いやりのある監督が行なわれるようにされます。ですから,イエスの王国の支配する地上に住む人々はみな,自分の魂がほんとうにさわやかになるのを感じるでしょう。

      非の打ちどころのない忠誠

      15 イエスはサタンの挑戦に対してどのように完全な答えを提出されましたか。

      15 とりわけ,人類の未来の王は,刑柱上での残酷な死に至るまで,非の打ちどころのない忠誠と服従を天のみ父に示されました。あの処刑の時刻が近付いた時イエスは,「父よ,み名の栄光をお示しください」とエホバに祈られました。すると天からエホバの声がありました。「わたしはすでにその栄光を示し,さらにまたその栄光を示す」。父のみ名を神聖なものとすることにおいてイエスは,サタンの挑戦に対し完全な答えを提供されました。一人の完全な人間が,敵のもたらすどんな試みの下でも神に忠実を示し得ることを実証されたのです。そのためにイエスは,「今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者[サタン]は」― 全く信用に値しないうそつきであることが証明されたので ―「追い出されるのです」と言うことができました。ユダヤ人の宗教指導者たちは,『へびの胤』として,神の女のような組織の「胤」の「かかと」に痛い傷を負わせますが,エホバはその立派なみ子を霊の命によみがえらされます。―創世 3:15。ヨハネ 12:27-31。

      16,17 (イ)わたしたちが地の将来の王に強い確信を抱けるのはなぜですか。(ロ)聖書はパラダイスの地の希望が真実のものであることをどのように示していますか。(ハ)以前の生活のことを考えてその希望を求めることを断念すべきですか。

      16 確かにイエスは,義を愛し,不法を憎み,人類をこよなくいつくしみ,とりわけエホバのみ名の栄光となるよう,父のご意志を行なうことにあくまでも従順であられますが,そうしたことはすべて,この忠節なみ子が地の将来の王として立派な資格を備えておられることを証明するものです。あなたは,そのような王の幸福な臣民として永遠に生きたいと思われませんか。

      17 あなたの今までの生活がどれほど善いものであったにせよ,悪いものであったにせよ,美しくなった地上で永遠に生きるという希望は実現する可能性があるのです。イエスとともに処刑された,悔い改めた盗人でさえも,そのような復活の希望を与えられたのです! その盗人がイエスに向かって,「あなたがご自分の王国にはいられる時,わたしのことを思い出してください」と言ったのに対してイエスは,「きょうあなたに真実に言いますが,あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」とお答えになりました。(ルカ 23:42,43)パラダイスは間もなく現実のものとなります。あなたも祈りを込めて,王国の『来る』こととその祝福を求めておられますか。

      [77ページの図版]

      かつて生存した人間の中で最も偉大な人物

      イエスは指名された王として死に至るまで忠誠を証明し,ご自身の流した血で人類を罪と死から買いもどされた

  • 王国相続者たちは忠誠を保つ
    「あなたの王国が来ますように」
    • 9章

      王国相続者たちは忠誠を保つ

      1 (イ)イエスがさらに勝った名を受け継がれたのはなぜですか。(ロ)イエスの模範からだれが益を得ますか。どのように?

      死に至るまで忠実だったイエスは,み使いの名に勝る名を受け継がれました。神の造られた理知あるものすべてのうち,神の子が神に対して完全に忠誠を保ち得ることを実証して,サタンがうそつきであることを示した方はイエスでした。ですから使徒パウロは次のように書いています。「[み子は贖いを備えることによって]わたしたちの罪のための浄めを行なったのち,高大な所におられる威光の右に座られました」。イエスは,王国の『来る』のを待つ人すべてに対して,つまり天の王国を受け継ぐ「小さな群れ」の人々にも,その王国の地上の臣民となる人々にも,ほんとうにすばらしい模範を残されました。同じ使徒は後日こう述べています。「わたしたちも……自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめながら。彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られたのです」― ヘブライ 1:3,4; 12:1,2。

      2-4 (イ)イエスはご自分の弟子たちを伝道活動のためにどのように徐々に訓練し,組織されましたか。(ロ)弟子たちが人々の家に「良いたより」を携えて行ったことはどうして分かりますか。(ハ)この活動は,神の今日の僕たちにどんな優れた先例となりましたか。

      2 イエスは,ご自身の追随者たちに優れた模範を示しただけでなく,ご自身が去った後も彼らが神の業を続けられるよう,彼らを教え訓練することもされました。

      「イエスは,都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明された。そして十二人は彼といっしょに(いた)」― ルカ 8:1。

      3 後ほどイエスは,「神の王国を宣べ伝え,かつ病気をいやさせるために」,その12人を自分たちだけで行かせました。「そこで彼らは出かけて行き,村から村へと区域をまわり,いたるところで良いたよりを宣明し,また治療を行な(いました)」。(ルカ 9:2,6)町々,村々でふさわしい人を探し出すことになっていました。その目的で彼らは人々の家に行きました。そうするには勇気をもって忠誠を保つことが求められました。それは,音信に対して反対する人がいるために,今日多くの地域でエホバの証人が忠誠を求められているのと変わりません。イエスは言われました。「その家がふさわしいなら,あなたがたの願う平安をそこに臨ませなさい。しかし,もしふさわしくないなら,あなたがたからの平安をあなたがたのもとに帰らせなさい。どこでも,人があなたがたを迎え入れず,またあなたがたのことばを聴かない所では,その家またはその都市から出るさいに,あなたがたの足のちりを振り払いなさい」― マタイ 10:7,11-14。

      4 その後,イエスはほかに70人の弟子を指名し,彼らに言われました。「ご覧なさい,わたしはあなたがたをおおかみの中にいる子羊のように遣わすのです」。彼らもやはり人々の家を訪問することになっていました。というのは,イエスが続けてこう言われたからです。「どこででも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい。そして,平和の友がそこにいるなら,あなたがたの平和はその人の上にとどまるでしょう。しかし,いないなら,それはあなたがたのもとに戻って来るでしょう」。たとえ人々がその「良いたより」に耳を傾けなくても,彼らは神の王国が近くに来たということをその人々に警告することになっていました。(ルカ 10:3-11)今日のエホバの証人の業はこの立派な先例に倣ったものです。エホバの証人も,慰めと警告に関する神からの音信を携えて家から家に行きます。―イザヤ 61:1,2。

      迫害にもかかわらず宣べ伝える

      5 復活されたイエスは,ご自身の追随者たちの前途にある業をどんな方法で強調されましたか。

      5 イエスの死後,弟子たちは散らされました。しかしイエスは霊において復活された後,肉体を備えた姿で幾度も弟子たちに現われ,彼らを元気付け,強められました。(コリント第一 15:3-8)これもイエスがそのようにして姿を現わされた時のことですが,ある時イエスはペテロに,彼がイエスをほんとうに愛し,イエスに愛情を抱いているかどうかを3度お尋ねになりました。これを聞いてペテロは心を痛めました。でもイエスは,愛と愛情を抱いているならその証拠として,ペテロはイエスの「子羊」,イエスの「小さな羊」を養い,その世話をすべきであることを,3度強調されました。(ヨハネ 21:15-17)また別のときに,イエスは11人の忠実な弟子たちにこのようにお話しになりました。

      「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなたがたとともにいるのです」。(マタイ 28:18-20)

      彼らの前途には沢山の仕事がありました。

      6 イエスの弟子たちが「より大きな業」をするのはなぜですか。

      6 イエスはかつて弟子たちに,「きわめて真実にあなたがたに言いますが,わたしに信仰を働かせる者は,そのものもまたわたしの行なっている業をするでしよう。しかもそれより大きな業をするのです。わたしが父のもとに行くからです」と言われたことがありました。(ヨハネ 14:12)つまり弟子たちは,神の王国を宣べ伝える業を,イエスの場合よりも広範な地域に,イエスよりもずっと長期にわたって行なうことになるのです。

      7 ペンテコステの日にどんなすばらしいことがあったために,徹底的な証言が行なわれましたか。どんな驚くべき結果が見られましたか。

      7 イエスは天におられるみ父の右に到着された後,驚くべきことを行なわれました。西暦33年のペンテコステの日に,待っていた弟子たちの上に聖霊をそそぎ,神の天の王国をご自分とともに受け継ぐ者となるよう,彼らに油をそそがれました。最終的には14万4,000人が人類の中から選ばれ,キリストとともに天で王また祭司となります。その日1日徹底的な証言がなされただけで,3,000人のユダヤ人と改宗者が心からみ言葉を受け入れ,バプテスマを受けました。―ヨハネ 14:2,3。啓示 14:1-5; 20:4,6。使徒 2:1-4,14,40,41。

      8-11 (イ)それで,ユダヤ人の指導者たちと使徒たちの間にどのような紛争が生じましたか。(ロ)使徒たちは忠誠の人であることをどのように示しましたか。(ハ)使徒 5章40-42節によると,使徒たちは神の今日の僕たちにどんな立派な模範を残しましたか。

      8 「良いたより」の伝道はエルサレム地方に燎原の火のごとくに広がりました。そして神の王国に対する反対もまた燃え上がりました。間もなく使徒たちは,ユダヤ人の法廷,サンヘドリンの前に引き出され,イエスの名において語ることを禁じられました。彼らの忠誠は揺るがないでしょうか。ペテロとヨハネは答えました。「神よりもあなたがたに聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」。このときは使徒たちは釈放されました。それで,彼らとその仲間たちは早速神に感謝し,「今,エホバよ,……あなたの奴隷たちがあらんかぎりの大胆さをもってみことばを語りつづけることができるようにしてください」と請願しました。こうして彼らはエホバの霊の助けを得て伝道を続けました。―使徒 4:19,20,29,31。

      9 宗教指導者たちは再び使徒たちを捕らえ,獄に入れました。しかし,彼らが投獄されたままでいることは神のご意志ではありませんでした。エホバのみ使いが夜の間に彼らを解き放ったので,彼らは夜明けにはまたエルサレムの神殿で人々を教えていました。―使徒 5:17-21。

      10 どうすればサンヘドリンは「良いたより」が広まるのを食い止められるでしょうか。使徒たちはまたもや法廷に連れて来られました。大祭司は彼らを非難しました。「[イエスの]名によってもう教えてはならないときっぱり命じておいたのに,見よ,あなたがたはエルサレムをあなたがたの教えで満たしてしまい,しかも,この人の血をわたしたちにもたらそうと決めている」。これに対して使徒たちが述べた次の答えは,今日に至るまで19世紀間,りんりんと鳴り響いているのです。

      「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」!

      ユダヤ人はこれら忠誠の人たちをいったいどう扱えばよいでしょうか。律法教師のガマリエルは賢明な助言を与えました。「この人たちに手出しせず,彼らをほっておきなさい。(このはかりごと,またこの業が人間から出たものであれば,それは覆されるからです。しかし,それが神からのものであるとすれば,あなたがたは彼らを覆すことはできません。)さもないと,あなたがたは,実際には神に対して戦う者となってしまうかもしれません」― 使徒 5:27-39。

      11 そこで使徒たちはむち打たれ,語るのをやめるようにと命ぜられ,それから釈放されました。これに対して彼らはどう反応したでしょうか。イエスの名のために苦しめられるに足る者とされたことを喜びました。

      「そして彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけた」。(使徒 5:40-42)

      それらの王国相続者は,神の業を続けるのに必要なら,どんなことにも耐える決意でいました。こうして彼らは立派な模範を残しました。真の神の証人たちはみなそれに倣い,「公に,また家から家に」王国を宣明し続けて今日に至りました。―使徒 20:20,21。

      王国の「良いたより」は広まる

      12 使徒 8章1-4節を見ると分かるように,迫害はしばしばどのように「良いたより」をさらに遠く広める結果になりますか。

      12 迫害は再び激しさを加えてきました。その結果,使徒たちのほかはみな近くのユダヤやサマリアに散らされました。しかしそれは証言の業を拡大したに過ぎませんでした。というのは,「散らされた人びとは,みことばの良いたよりを宣明しながら全土をまわった」からです。(使徒 8:1-4)興味深いことに,現代においても同じようなことが起きています。独裁政府がエホバの証人の活動をやめさせようとして,遠い辺ぴな土地に彼らを散らしたとき,彼らはそのような土地でも伝道を続けたので,「良いたより」はかえって広まりました。

      13,14 (イ)ユダヤ人に対する神の特別の恵みの週はいつ終わりましたか。そのときだれが王国相続者として認められましたか。(ロ)使徒 13章とローマ 11章のパウロの言葉はこれをどのように証明していますか。

      13 しかし,1世紀当時,王国の音信はユダヤ人と近くのサマリア人にだけ伝えられることになっていたのでしょうか。天の王国の成員は,ユダヤ人とサマリア人の中から取られる人々だけで満たされることになっていたのでしょうか。すばらしい証言が行なわれていたのは確かですが,王国の成員は彼らだけで満たされるのではありませんでした。明らかに西暦36年,ユダヤ人に対する神の特別の恵みの「週」が終わったとき,エホバはペテロに指示を与えて,カエサレアの家に住むイタリア人士官,コルネリオを訪問させました。ペテロがこの非ユダヤ人とその家の者たちに話しているうちに聖霊が彼らの上に下り,彼らは王国相続者となるべく油そそがれました。そして,キリスト教に改宗した最初の無割礼の異邦人としてバプテスマを受けました。―使徒 10:1-48。

      14 後日,使徒パウロとその仲間たちは,ピシデアのアンティオキアでユダヤ人に激しく迫害されましたが,その時パウロはそれらのユダヤ人に言いました。「神のことばはまずあなたがたに対して語られることが必要でした。あなたがたがそれを押しのけて,自らを永遠の命に値しない者と裁くのですから,さあ,わたしたちは諸国民のほうに行きます。事実,エホバは次のようなことばでわたしたちに命令を課しておられます。『わたしはあなたを任命して諸国民の光とした。地の果てにまであなたが救いとなるためである』」。(使徒 13:46,47)パウロが後にある例えの中で述べているように,それら不信仰なユダヤ人は,オリーブの木から切り取られた本来の枝のようでした。ユダヤ人は,その気になれば王国相続者の数を満たすことができたのです。しかし,彼らの代わりに「諸国の人たち」が,野性のオリーブの木の枝のように接ぎ木されました。こうして「全[霊的]イスラエル」が,つまり王国の成員全員が「救われる」ことになるのです。―ローマ 11:13-26。ガラテア 6:16。

      「患難」の下における忠誠

      15,16 (イ)パウロは「患難」に関して何を行ない,何を語りましたか。これはわたしたちにとってどんな優れた模範となりますか。(ロ)政府の反対や家族の者の反対に対して,わたしたちはどんな態度を取るべきですか。どんな結果が約束されていますか。

      15 旅行する忠実な監督であった使徒パウロは,さらに多くの迫害を受けたにもかかわらず,アンティオキアに戻りました。それは弟子たちを強め励まし,会衆の組織を強化するためでした。パウロが次のように言ったのはその時でした。

      「わたしたちは多くの患難を経て神の王国に入らねばならない」― 使徒 14:21-23。

      16 パウロは引き続き苦難や試練に遭いました。しかし,忠誠を保つことにおいて模範的で,信仰のために厳しい戦いをしなければならない現代の多くの人々にとり,立派な手本となっています。ある人々は,殴打や投獄,命の危険などと闘わねばなりませんでした。反対は独裁政府から,あるいは深く愛している肉親から来ました。「王国のこの良いたより」を受け入れ,それに従って行動するために勘当された人々もいます。(マタイ 24:14)しかし,イエスの次の言葉から大きな慰めを得ました。「わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子ども,あるいは畑をあとにして,今この時期に百倍を,すなわち家と兄弟と姉妹と母と子どもと畑を迫害とともに得,きたらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」。(マルコ 10:29,30)そういう人々は,エホバやそのみ子と親しい関係を得,またエホバの世界的家族との楽しい交わりにおいて,確かに「百倍」を刈り取ります。

      17 (イ)初期クリスチャンたちはどんな誘惑とも闘わねばなりませんでしたか。(ロ)パウロはどんな優れた模範と助言をわたしたちに与えていますか。

      17 使徒パウロとその仲間は,不道徳と物質主義への世の誘惑とも闘わねばなりませんでした。彼らもわたしたちと同様に人間でした。そうした誘惑に直面するときには,わたしたちもパウロのようにしなければなりません。「自分の体を打ちたたき,奴隷として連れて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が非とされるようなことにならないためです」と,パウロは言いました。神の王国について隣人に伝えることは,わたしたちにとっても,パウロの場合と同じく保護になります。その神聖な奉仕についてパウロは,「実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです!」と言いました。―コリント第一 9:16,27。

      「全く勝利を収めている」

      18 パウロは真のクリスチャンすべてにどんな励ましを残しましたか。あなたはそれにどうこたえますか。

      18 使徒パウロはまた,油そそがれた仲間のクリスチャンたちにこのように言いました。「さて,[神の]子どもであるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人です。ただし,ともに栄光を受けるため,ともに苦しむならばです」。パウロが続けて述べたことは,「ほかの羊」の「大群衆」にも等しくあてはまります。大群衆も今日,パラダイスの地におけるとこしえの命というすばらしい報いを得るべく努めています。(啓示 7:9。ヨハネ 10:16)パウロはすべての真のクリスチャンを励まし,次のように述べています。

      「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すでしょうか。患難,あるいは苦難,迫害,飢え,裸,危険,剣でしょうか。……その逆に,わたしたちは,わたしたちを愛してくださったかたによって,これらのすべての事に全く勝利を収めているのです。死も,生も,み使いも,政府も,今あるものも,きたるべきものも,力も,高さも,深さも,またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを,わたしは確信しているからです」。(ローマ 8:17,35-39。コリント第二 11:22-28も参照。)

      神の愛や,主イエスの王国が『来る』ことに対してあなたはこのような確信を培っておられますか。ぜひそうありたいものです。

      19 パウロは別の大きな危険についてどんな警告を与えていますか。

      19 「終わりの日」のもう一つの危険は偽りの教えで,これに対しても身を守る必要があります。パウロはこれに気を付けるようにという警告もしています。(使徒 20:29,30。テモテ第二 3:1,13)にせ教師はいったいどこから来るのでしょうか。どうすれば彼らに用心できるでしょうか。

  • にせの王国の出現
    「あなたの王国が来ますように」
    • 10章

      にせの王国の出現

      1 初期に「良いたより」はどの程度繁栄しましたか。

      残虐をきわめた迫害に直面しながらも,発足してまだ日の浅いクリスチャン会衆は,繁栄と拡大を続けました。メシアによる神の王国に関する良いたよりの真理は,「世界じゅうで実を結んで増大し」てゆきました。王国宣明者たちが新しい地域に入っていくと反対者たちは,『人の住む地を覆したこれらの者たちがここにまで来ている』と嘆息しました。―コロサイ 1:5,6。使徒 17:6。

      2 真理が広まるのを阻止するために悪魔はどんな努力をしましたか。しかしなぜ失敗しましたか。

      2 しかし,単なる人間が真理の広がるのを阻止しようとしたところで何ができるでしょうか。歴史の伝えるところによると,西暦紀元後最初の3世紀間に,ローマ帝国のカエサルたちは初期クリスチャンたちに対して約10回にわたり迫害の波をもたらしていますが,いずれもむだに終わっています。「堅い信仰」をもってイエスの足跡に従った人々は,「ほえるしし」のような悪魔が彼らの多くを本物のライオンの中に投げ込ませたり,拷問にかけて殺させたりしても,妥協しようとはしませんでした。―ペテロ第一 5:8,9。コリント第一 15:32; テモテ第二 4:17と比較。

      3 「完全にそろった,神からのよろい」を着けなければならないのはなぜですか。

      3 直接的な迫害である正面攻撃はたいてい失敗に終わっているので,悪魔はもっと巧妙な手段でイエスの追随者たちをわなにかけようとしました。高慢で不道徳な,そして快楽に夢中な世のただ中にイエスの追随者たちは住んでいたので,サタンはこの点を大いに利用して彼らを神への奉仕から引き離そうとしました。彼らは『しっかりと立つ』必要がありました。使徒パウロはエフェソス 6章11-18節でこの言葉を3度繰り返し,彼らが身に着けなければならない「神からの[霊的な]よろい」について詳しく述べています。あなたご自身はこの「完全にそろった,神からのよろい」を身に着けておられますか。この「終わりの日」の試練に耐え抜くためには,どうしてもそれを身に着けていなければなりません。(テモテ第二 3:1-5)1世紀当時のクリスチャンにはそれが必要でした。なぜ特別にそれが必要だったのでしょうか。

      4 1世紀にクリスチャンたちは,王国に関するどんな基礎的真理を理解するようになりましたか。

      4 彼らの信仰は純粋で素朴な信仰でした。当時,クリスチャンはみな霊で油そそがれた人々で,将来復活して「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る」ことを期待していました。(ペテロ第二 1:11。コリント第一 15:50)彼らは少なくとも西暦96年ごろから,つまり老齢の使徒ヨハネが神の霊感によって啓示を受けたころから,「小さな群れ」としての自分たちの数が14万4,000人になることを理解していました。彼らは天でキリストの仲間の『王また祭司』として1,000年間地を治めます。ヨハネが示されたところによると,14万4,000人の霊的イスラエルが集められた「のち」,「すべての国民と部族と民と国語の中から」来た数えつくすことのできない忠節な男女の「大群衆」の存在が分かるようになります。その人々は一つのクラスとして,地上最後の「大患難」のあとまで生き残り,人間社会の中核となり,王国支配の下で1,000年にわたる祝福を享受します。―ルカ 12:32。啓示 7:4,9-17; 20:1-6; 21:1-5。

      大規模な背教

      5,6 (イ)悪魔がそのころすでによりこうかつな攻撃方法を用いていたことはどの聖句から分かりますか。(ロ)ひと口で言えばそれは何でしたか。

      5 では,悪魔はどんなこうかつな攻撃方法を用いたでしょうか。使徒ペテロは昔の不信仰なイスラエルに言及して次のように警告しました。「民の間に偽預言者も現われました。それは,あなたがたの間に偽教師が現われるのと同じです。実にこれらの者は,破壊的な分派をひそかに持ち込み……強欲にもまことらしいことばであなたがたを利用するでしょう」。(ペテロ第二 2:1,3)もっともらしい宗教教理を教えるそれら宗派心の強いにせ教師たちは1世紀の終わりごろにはすでに現われ始めていました。というのは,西暦98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いているからです。「あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり,今でも多くの反キリストが現われています。……彼らはわたしたちから出て行きましたが,彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした」― ヨハネ第一 2:18,19。

      6 使徒パウロは早くも西暦51年に,聖書に収められている彼の手紙のうちの2番目のものと思われる手紙の中で,「エホバの日」についての偽りの教えに気を付けるよう警告を与えています。「だれにも,またどんな方法によってもたぶらかされてはなりません。なぜなら,まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わされてからでなければ,それは来ないからです」と,彼は書いています。この「不法の人」とはだれのことでしょうか。それは背教した宗教指導者を指しているに違いありません。彼らはクリスチャンと称しながら『神を知らず』,「わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない」点で不法の者です。(テサロニケ第二 1:6-8; 2:1-3)それにしても,クリスチャン会衆内にどうしてそのような背教者のクラスが出現し得たのでしょうか。

      7 イエスの追随者の中のある者はどのようにそのわなに掛かりましたか。どんな結果になりましたか。

      7 イエス・キリストの使徒たちがまだ生きていた間は,彼らがにせ教理の侵入を抑制する働きをしていましたが,「不法の秘事はすでに作用して」いたのです。それは「サタンの働きによる」もので,2世紀になって表面化しました。イエスはご自分の追随者について,『あなたがたはみな兄弟です』と言われていたにもかかわらず,一部の人々は自分が目立つことを望むようになり,悪魔のわなに掛かりました。彼らは僧職者と平信徒との区別を設けました。使徒パウロが預言していた次のような状態が徐々に生じてきました。「人びとが健全な教えに堪えられなくなり,自分たちの欲望にしたがい,耳をくすぐるような話をしてもらうため,自分たちのために教え手を寄せ集める時期が来るからです。彼らは耳を真理から背け,一方では作り話にそれてゆくでしょう」― テモテ第二 4:3,4。テサロニケ第二 2:6-10。マタイ 23:8。

      8 (イ)偽りの教理の二つのおもな源は何でしたか。(ロ)キリスト教の腐敗について百科事典はどのように述べていますか。

      8 では彼らは何に耳を傾けたでしょうか。古代バビロンの偽りの宗教の発祥地から出た教理や,当時のローマ世界でもてはやされていたギリシャ哲学です。マクリントクとストロングの百科事典には次のような注解が載っています。「福音の簡素さは損なわれて大げさな典礼や儀式が導入され,この世的な栄誉や俸給がキリスト教の教師に与えられるようになり,キリストの王国はこの世の王国へと大きく変えられてしまった」。ブリタニカ百科事典はこれに付け加えて次のように述べています。「実際に異教そのものである,あるいは異教からヒントを得た迷信が数々導入されたことほど,キリスト教を徹底的な腐敗に向かわせたものはないであろう。異教はキリスト教に対抗しても勝てなかったので,キリスト教を腐敗させることに力を入れ,あの手この手でその清さをむしばんでいった」。

      9 (イ)人間の魂は不滅であるという教えからどんな共通の信条が出ていますか。(ロ)聖書はそのような教理にどのように反論しますか。

      9 その迷信や異教的儀式にはどんなものがあるでしょうか。顕著なものとしてはギリシャの哲学者プラトンの,人間の魂は不滅であるという教えがあります。そのようなことを信じるとするなら,人が死ぬ時魂は至福の天か,清めのための煉獄か,あるいは永久に責め苦の絶えない火の燃える地獄に行かねばならないことになります。それは聖書の詩篇 146篇4節,伝道之書 9章5,10節,マタイ 10章28節,ローマ 6章23節などの聖句を無視した考えです。

      カトリック主義の起源

      10,11 (イ)ニューマン枢機卿は自分の教会の多くの教えについて何を認めていますか。(ロ)教会の慣行や教えが「異教に起源を持つ」ことを彼が認めている以上,それらのものをほんとうに聖なるものとみなせますか。

      10 19世紀のローマ・カトリックの枢機卿,ジョン・ヘンリー・ニューマンは自著「エッセイズ・アンド・スケッチス」の中で,自分の教会の多くの教理の起源を示し,こう述べています。「これは広く認められている現象であるが,一般にキリスト教真理と受け取られているものの大半は,異教の哲学や宗教に,基礎的な形で,あるいは部分的に,見いだされる。例えば,三位一体の教理は洋の東西を問わず存在する。洗い清めの儀式もそうであり,犠牲をささげる儀式もそうである。『神の言葉』の教理はプラトン的であり,託身の教理はインド的である」。そして,「これらの教理は異教にあるからキリスト教のものではない」と主張する批判者に対して枢機卿は,「我々は逆に,『それらはキリスト教の中にあるから異教のものではない』と言いたい」と述べています。しかしそれらは,ローマ・カトリックが誕生する何世紀も前に存在していたバビロニアやギリシャの教理に由来するものです。それに,神の言葉である聖書のどこにも記されていません。

      11 異教の教理と儀式を取り入れたことが大規模な背教の原因となったことは,ニューマン枢機卿が自著「キリスト教教理の発展」の中で述べていることによってさらに確証されます。その中で彼はこう書いています。「コンスタンティヌスは新しい宗教[ローマ・カトリック教]を異教徒に奨励するために,彼らが自分たちの宗教で見慣れていた外面の飾りをそれに取り入れた」。次いで枢機卿は,カトリック教会の慣行を数々列挙し,これらは「みな異教に起源を有するが,教会に取り入れられたことによって神聖なものとなった」と述べています。しかし偽りの教理を「神聖なものとする」,つまり聖なるものとすることができるでしょうか。

      12,13 (イ)コンスタンティヌスはどんな状況の下で,またどんな動機からローマ・カトリック教に関心を抱きましたか。(ロ)コンスタンティヌスが心からクリスチャンになっていたかどうかは何から分かりますか。

      12 ここで枢機卿は,4世紀のローマ皇帝,コンスタンティヌス大帝のことに触れています。コンスタンティヌスの宗教に対する関心はどんなものだったのでしょうか。彼は,西暦312年のローマ侵略から何年か後になって,征服を遂げる前日に燃える十字架の幻と,「これによって征服せよ」という銘句とを見たと語りました。そしてそれを自分の軍旗に記しました。またコンスタンティヌスは,政治目的の推進に支持を得るためであったようですが,“キリスト教”体制と,彼がまだ重視していた異教の信条とを融合させました。

      13 ブリタニカ百科事典にはコンスタンティヌスについて次のように述べられています。「その生涯を閉じる前まで異教の迷信を多く守り続けたくらいだから,異教の教えは依然心の中に生きていたに違いない。……コンスタンティヌスは『大帝』と呼ばれたが,それは彼が優れた人物であったためというよりも彼が行なった事柄のためであった。性格をテストされれば,その称号[「大帝」]で呼ばれた古今のすべての皇帝の中でまさに最下位に位置するだろう」。その証拠に,彼は身内の者を幾人も殺害するという卑劣なことを行なっています。彼が持っていた「教皇」という異教の称号は,後日ローマ・カトリック教会の法王の称号となりました。

      14 ローマ法王はほんとうに神の王国を代表する者でしたか。なぜそう答えますか。

      14 暗国時代と言われた中世を通して,歴代のローマ法王はまるで地上の王のように支配しました。彼らはキリストが天から千年統治を始められるのを待たずに,その時に「王国」が実現するのを望みました。それは彼ら自身が利己的に有利な立場を得るためでした。このことについてブリタニカ百科事典は,「キリスト教の退廃の最初の原因の一つは,キリスト教の神の王国を,聖人たちが文字通り地を継ぐ現世の君主国と解釈しようとしたことにあった」と説明しています。誠実な人々がそのような「キリスト教の退廃」に異議を唱えたのも不思議ではありません。それでも,火あぶりの刑だけで3万人余の命を奪った残虐な異端審問は長期にわたり,いわゆる異端者たちを抑制する役割を果たしました。しかしいつまでも続いたわけではありません。

      プロテスタント主義はどうか

      15 (イ)宗教改革は実際にはどんなものになりましたか。(ロ)プロテスタント主義は今日に至るまでどんな点で束縛されていますか。

      15 ローマ・カトリックの司祭マルティン・ルターは,1517年10月31日の真昼,ドイツのウィッテンベルクにあった教会の扉に95か条の抗議の提言を打ち付けました。宗教改革は進行していました。しかしそれは純粋のキリスト教教理および神に対する神聖な奉仕への復帰ではなく,おもに政治的なものとなりました。宗教戦争によって領地を拡大しようとする動きもありました。ヨーロッパで行なわれた1618年から1648年にわたる30年戦争がそれでした。この戦争で何百万もの人が命を失いました。国教を定めた国も少なくありません。それらの国は霊魂不滅,地獄の火による責め苦,三位一体,幼児洗礼その他多くのカトリック主義の主要教理を教え続けました。そして今日に至るまで,大規模の背教によるそうした教理につながれたままです。

      「大いなるバビロン」

      16,17 (イ)エレミヤ記 51章6節は今日のわたしたちにとってどんな意味を持ちますか。(ロ)バビロンの宗教はどのようにして国際的な規模のものになりましたか。

      16 偽りの宗教を行なっているのは,クリスチャンと自称する人々に限りません。預言者エレミヤは次のように警告しています。

      「バビロンの中から逃れ出よ,各自自分の魂のために逃れ道を備えよ」。(エレミヤ 51:6)

      この言葉は今日のわたしたちにとっても意味があります。バビロンは,エレミヤの時代にすでにその堕落した宗教儀式と神々の数の多いこととで悪名をはせていました。しかし現代のバビロンは,その規模においては国際的です。どうしてこのような状態が生じたのでしょうか。

      17 ノアの日の大洪水のあと,「エホバに敵対する強大な狩人」であったかの邪悪なニムロデが,一つの都市国家と,宗教的なものと思われる,天に届くほどの塔とを建て始めたのはバビロンにおいてでした。エホバは人間の言葉を乱すことによってその計画をくじき,彼らを「地の全面」に散らされました。ところが彼らは偽りの宗教も携えて行きました。世界の宗教のほとんどはその宗教から出ています。―創世 10:8-10; 11:1-9。

      18 わたしたちはどんなにせの王国から逃げなければなりませんか。そしてどこに逃げますか。

      18 前に述べたように,コンスタンティヌスはローマ・カトリック教の基礎を据えたときに,そのような偽りの宗教とキリスト教の教理を融合させました。そしてプロテスタント主義の教理の多くはここから出たものです。世界の“キリスト教”以外の諸宗教も古代バビロンに由来します。にせのキリスト教と非“キリスト教”とがみな一緒になって偽りの宗教の世界帝国を形成しています。それはにせの王国で,使徒ヨハネが「大いなるバビロン……地の王たちの上に[宗教的]王国を持つ大いなる都市」と述べたものです。(啓示 17:5,18)ですからわたしたちは,「自分の魂のために逃れ道を備える」ため,にせものであるバビロン的「王国」から逃げるように,そうです,神の王国に逃げるように,という良い助言を与えられているのです。

      [94ページの囲み記事]

      サタンは神の王国の僕たちを下記のような方法で攻撃する

      ● 誤解している親族,政府,宗教家などを通して直接正面攻撃に出,迫害を加える

      ● 今日の自由放任の社会の中で,不道徳な行ないに誘惑する

      ● 地位の誇り,富の誇り,人種的誇り,国民的誇りを抱かせようとする

      ● 神よりも快楽を愛する者にならせ,娯楽に熱中させようとする

      ● 無神論的,進化論的教義を発達させる

      ● キリスト教世界の背教したにせの王国によって真のキリスト教を偽り伝える

      ● にせの教師を起こして真のクリスチャンの間に疑いの種をまき,ひそかに落胆させる

      わたしたちは信仰によってサタンの世を征服できる

  • 王国に関する例え
    「あなたの王国が来ますように」
    • 11章

      王国に関する例え

      1 イエスのたとえ話は神に仕える者すべてにとってなぜ興味深いものですか。

      イエスは弟子たちと一緒におられたときに,たとえ話や例えをたくさん話されました。それらのたとえ話や例えは,天の王国に入る者たちに関係した事柄を示しています。王国相続者の「小さな群れ」がどのような道を歩まねばならないか,またその王国の支配する地上で永遠の命を得る者たちがどんな道を歩むべきかを示唆しています。これらの「ほかの羊」も王国に関する預言を知って喜び,王国が『来る』よう熱心に祈ります。―ルカ 12:32。ヨハネ 10:16。テサロニケ第一 5:16-20。

      2,3 (イ)イエスはなぜ例えをお用いになりましたか。(ロ)イエスの弟子以外の人々はなぜそれを理解できませんでしたか。(ハ)マタイ 13章13-15節に述べられている人のようではなく,神の言葉を勤勉に研究しなければならないのはなぜですか。

      2 イエスが人々に一つのたとえ話をされた後,イエスの弟子たちはイエスのところに来て,「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」と尋ねました。イエスは答えて言われました。

      「あなたがたは,天の王国についての神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人びとは聞き入れられていません」。(マタイ13:10,11)

      なぜでしょうか。彼らには,イエスの言葉を掘り下げて深い意味を知ろうという気持ちがなかったからです。したがって彼らの心には,「良いたより」のために働こうという気もありませんでした。王国を「宝」とも「価の高い真珠」とも考えなかったのです。―マタイ 13:44-46。

      3 イエスは,それらの不信仰な者たちに成就したものとしてイザヤの預言を引用し,こう言われました。「あなたがたは聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。これは,彼らが自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の心でその意味を悟って立ち返り,わたしが彼らをいやす,ということが決してないためである」。(マタイ 13:13-15)わたしたちは,そういう認識の欠けた者にはなりたくないものです。では,神の言葉を研究することに心を注ぎましょう。

      4 (イ)み言葉から益を得られないのはどんな種類の心ですか。(ロ)み言葉の意味を悟ることに努めるならどんな祝福を得ますか。

      4 イエスは,マタイ 13章3-8節に出てくるたとえ話の中で,ご自身を「種まき人」として描いておられます。イエスは「王国のことば」をいろいろな種類の心にまかれます。ある人々の心は道路のわきの土のようです。種が根を下ろせないでいるうちに,悪魔は「鳥」のような手下を差し向けて,「信じて救われることがないようにその心からみことばを」摘み取ってしまいます。岩地の土のような心もあります。最初はみ言葉を喜んで受け入れますが,試練や迫害に遭うとそのか弱い植物は枯れてしまいます。「いばら」の中に落ちる種もあります。その種は「生活上の思い煩いや富や快楽」にふさがれてしまいます。しかし良い土にまかれる「種」もあります。

      「これはみことばを聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」。(マタイ 13:18-23。マルコ 4:3-9,14-20。ルカ 8:4-8,11-15)

      感謝の念を持ってみ言葉を心に納め,神の王国のために身を費やすなら確かに祝福され,わたしたちの神への神聖な奉仕はほんとうに実り多いものとなります。

      別の「種まき人」

      5 (イ)次にほかのどんな例えに注意を払うよう励まされていますか。(ロ)この「人」が主イエスであり得ないのはなぜですか。

      5 福音書の中ではマルコだけが,この「種まき人」のたとえ話のあとで,別の「種まき人」の例えを述べています。その例えを話す前にイエスは弟子たちだけのいる所で,「自分が聞いている事がらに注意を払いなさい」と言われました。そしてそのたとえ話を結び付け,こう言われました。

      「こうして,神の王国はちょうど,人が地面に種をまく場合のようです。人は夜に眠り,昼間に起きますが,そうしているうちに,種は芽ばえてたけが高くなります。でも,どのようにしてかを人は知りません」。(マルコ 4:24-27)

      この「人」が栄光を受けた主イエス・キリストでないことは明白です。キリストは地上で夜眠る必要はもうないからです。また,万物の創造に際して父とともに働いた神のみ子が,植物の生長過程を『知らない』というのも正しくありません。(コロサイ 1:16)それでこの「人」は,文脈からして,「神の王国」に関係した事柄に『注意を払う』べき個々のクリスチャンを指しているということが理解できます。

      6 「種まき人」は各々どんな二つの事柄に注意しなければなりませんか。なぜですか。

      6 「種まき人」は各々自分がどんな人格特性をまいているかに,またまく環境に,注意しなければなりません。クリスチャンの特質を培うよう努力する際にこの点を意識していなければ,わたしたちの人格形成は「地」次第で,つまりどんな人々と交わるかによって,良い影響を受けることにもなれば,悪い影響を受けることにもなります。それは会衆の中であっても外であっても同じです。(コリント第一 15:33と比較。)最後に穂の中に「満ちた穀粒」が現われます。わたしたちは自分がまいたものに相応したものを刈り取ります。(マルコ 4:28,29)「小さな群れ」の人々,いや神の王国の取決めにおける永遠の命を得ようと努める人すべてが,キリストのような人格を養うに当たって,何をどこにまくかに注意を払うのはなんと重要なことなのでしょう。―エフェソス 4:17-24。ガラテア 6:7-9。

      にせの王国

      7 さまざまなたとえ話は,王国を考えるのにどのように助けになりますか。

      7 マルコの記述によると,イエスは続けてこう言っておられます。

      「わたしたちは神の王国を何にたとえたらよいでしょうか。あるいは,どんな例えでそれを説明しましょうか」。(マルコ 4:30)

      それからイエスは場面を変えて王国を見せてくださいます。確かにこれらの例えは王国をさまざまな見地から見るのに役立ちます。それはちょうど一つの建物の外側と内側を調べ,またいろいろな角度から調べるのに似ています。

      8 (イ)からしの種粒の異常な生長が王国相続者とは無関係なのはなぜですか。(ロ)これがキリスト教世界の「王国」と論理的に一致するのはなぜですか。(ハ)背教したイスラエルに関する神の言葉はこのことをどのように裏付けていますか。

      8 では神の王国は何に例えられるでしょうか。イエスはこのようにお答えになりました。

      「からしの種粒のようです。地面にまかれたとき,それは地上のあらゆる種の中でいちばん小さなものでした ― しかしいったんまかれると,生え出て来て,ほかのすべての野菜より大きくなり,大きな枝を出して,天の鳥がその影に宿り場を見いだせるほどになるのです」。(マルコ 4:30-32)

      これは異常な生長です。そして確かに,『父が王国を与えることをよしとされた』14万4,000人の王国相続者の「小さな群れ」よりもはるかに大きなものへの生長です。(ルカ 12:32。啓示 14:1,3)むしろそれは,キリストが植えた会衆から離れた背教者としてのキリスト教世界という巨大なにせの「木」の生長です。(ルカ 13:18,19)それは実に巨大なもので,世界中に9億を超える会員を有し,それらの会員が最後に行きつく所は天であると主張しています。ずっと昔,この背教の王国を予表していたのは,堕落したイスラエルでした。エホバはそのイスラエルについて,「わたしは,あなたをえり抜きの赤いぶどうの木として植えた。そのすべてがまことの種であった。それなのに,どうしてあなたはわたしにとって異質のぶどうの木の堕落した新芽に変わったのか」と言われました。―エレミヤ 2:21-23。ホセア 10:1-4も参照。

      9 (イ)「鳥」と「木」の枝はだれを表わしていますか。(ロ)テサロニケ第二 1章とマタイ 7章にある言葉からすれば,わたしたちはなぜ今その「木」から遠く離れていなければなりませんか。

      9 この「木」に関するマタイの記述によると,「天の鳥たちが来て,その枝の間に宿り場を見つけ」ます。それらの鳥は,前に出てくるたとえ話の,道のわきに落ちた「王国のことば」をついばむ「鳥」と同じ鳥のようです。(マタイ 13:4,19,31,32)その「鳥たち」はその「木」の何百という教派の枝に宿り場を得ています。彼らは背教した「不法の人」すなわちキリスト教世界の僧職者を表わしています。神がその「木」を他の偽りの宗教もろとも切り倒される時に,彼らは保護されていた止まり木を失うでしょう。ですからその木から離れていなければなりません。その「木」が倒れる時は迫っているからです!―テサロニケ第二 1:6-9; 2:3。マタイ 7:19-23。

      10,11 (イ)マタイとルカはどんな文脈の中に「からしの種粒」のたとえ話を置いていますか。それはなぜ適切ですか。(ロ)王国に関するパン種のたとえ話はどんな諭しと警告を与えていますか。

      10 ルカが,当時の背教した宗教家たちに対するイエスの非難に付随するものとして,「からしの種粒」のたとえ話を掲げたのは適切なことでした。そしてマタイもルカもその点を強調するかのように,次にイエスが「パン種」のたとえ話を話されたことを述べています。(マタイ 13:32,33。ルカ 13:10-21)聖書の中で比ゆ的に用いられている場合のパン種はいつでも良くない意味を含んでいます。「パリサイ人とサドカイ人のパン種に警戒しなさい」という弟子たちに対するイエスの警告,「悪と邪悪のパン種を除きなさい」というクリスチャンたちに対するパウロの助言などがそれです。―マタイ 16:6,11,12。コリント第一 5:6-8。ガラテア 5:7-9。

      11 その例えでは,「天の王国」と関連のある一つの目立つ点は,女が大升3ばいの粉の中に隠すパン種に似ていると言われています。パン種は粉の塊全体を発酵させます。このことは,バビロン的な教理と慣習に従う自称クリスチャン会衆の腐敗がひそかに進み,その結果として,キリスト教世界のにせの王国の巨大な機構が出来上がることを表わしています。わたしたちはこれを戒めとしなければなりません。今日の王国相続者の「小さな群れ」とその仲間は,キリスト教世界の嘆かわしい背教の結果を見ているのですから,「王国のことば」の純粋さと真実さに対する自分たちの深い認識を,正しくない,人を惑わす教えの「パン種」で汚されないように注意しなければなりません。

      種をまいた人とその「敵」

      12,13 (イ)「小麦」と「雑草」の例えの中で,イエスはおもだったものについてどのように説明されましたか。(ロ)収穫は何ですか。それが今日行なわれているどんな証拠が見られますか。

      12 別の例えの中で,イエスは「天の王国」を「自分の畑にりっぱな種をまいた人」になぞらえておられます。「人びとが眠っている間にその人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました」。その畑からどんな実を得ることが期待できるでしょうか。イエスはさらに,この種まき人がご自身,つまり「人の子」であり,人の子の王国の種をまいた結果実るのが小麦のようなクリスチャンたち,すなわち「王国の子たち」であることを示されました。敵は「悪魔」です。そして「雑草」は「邪悪な者の子たち」― 邪悪な者の偽善的で宗教的な「胤」です。(創世 3:15と比較。)この例えの成就において,幾らかの真のクリスチャンが,第1世紀以後,大規模な背教の特色を持つ種々の「雑草」の集まりの中で成長していきました。しかしこの20世紀の今は収穫の時,つまり「事物の体制の終結であり,刈り手はみ使いたちです」。―マタイ 13:24-30,36-39。

      13 最後に,み使いの導きによって「小麦」は「雑草」と分けられます。両者の相違ははっきりしました。あとで分かりますが,「人の子」が今日天の王国に臨在し,小麦のような真のクリスチャンを王国活動に集めておられる証拠はたくさんあります。しかし,キリスト教世界とその背教の教師たちはどうでしょうか。イエスのたとえ話は続きます。

      「人の子は自分の使いたちを遣わし,彼らは,すべてつまずきのもとになるものと不法を行なっている者を自分の王国から集め出(す)」。

      キリスト教世界の僧職者は幾世紀にもわたり,偽りの教理と敬虔そうな外観とで誠実な人々をつまずかせてきました。しかし,彼らは神の裁きを受け,「泣き悲しんだり歯ぎしりしたり」しています。今日では,平信徒の支持が減少しつつあることや,僧職者自身の間に見られる分裂を嘆いています。それと対照的に,エホバの小麦のような僕たちは喜びにあふれて神の王国に関する証言を行なっており,「父の王国で太陽のように明るく」輝いています。―マタイ 13:40-43。イザヤ 65:13,14と比較。

      成功した「すなどる」業

      14,15 (イ)イエスは大がかりな「すなどる」業をどのように開始されましたか。しかしその時からほかにどんな種類の「すなどる」仕事が行なわれてきましたか。どんな“漁獲”がありましたか。(ロ)み使いたちはその際どんな役割を果たしますか。彼らは「魚」をどのように捨てますか。(ハ)ですからわたしたちはどんな機会に感謝すべきですか。

      14 「また」と言ってイエスはさらにこう語られました。「天の王国は,海に下ろされてあらゆる種類の魚を寄せ集める引き網に似ています」。(マタイ 13:47)イエスはこの「すなどる」業をご自分で開始され,網を捨てて従うよう最初の弟子たちを招かれました。それは彼らをも「人をすなどる者」とするためでした。(マタイ 4:19)しかし大規模な背教の期間中,忠実な少数者のグループとキリスト教世界の宗教とは,み使いの見ているところで,改宗者を求めて“漁”を続けました。何億という象徴的な魚は『良い魚』だったでしょうか。先に指摘したように,キリスト教世界の宗教は,プラトンのギリシャ哲学や古代バビロンの“神秘的教理”をその教理の基礎としています。それらの宗教は,キリスト教世界の歴史のページを汚した憎しみ,紛争,流血行為,またこの20世紀に生じた世界大戦に対する支持といった実を結びました。

      15 ついに,「事物の体制の終結のとき」,み使いたちが「引き網」をたぐり寄せる時となります。引き網は地上にある,真のものと偽りのものとを問わず,イエス・キリストの追随者と称する人々の組織を象徴しています。「天の王国」に「ふさわしくないもの」とされた「魚」は捨てられ,破滅という「火の燃える炉」に投げ込まれなければなりません。「そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう」。(マタイ 13:48-50)しかしみ使いたちは“良い魚”も象徴的な引き網からより分けています。エホバのみ名を賛美することに献身している,そしてエホバの王国が『来る』ことを真剣に祈り求めている独特な民の一人に数えられる機会を,わたしたちはほんとうに感謝しなければなりません。

      16 この一番あとのたとえ話からどんな質問が生じますか。その答えを知ることになぜ関心を持つべきですか。

      16 しかし,この最後のたとえ話の中でイエスが力を込めて述べておられる「事物の体制の終結」とは何でしょうか。イエスの幾人かの弟子が書いている「終わりの日」とは何でしょうか。わたしたちは今その日に住んでいるのでしょうか。もしそうだとすれば,それはわたしたちにとって,また全人類にとって何を意味するでしょうか。

      [103ページの囲み記事]

      王国に関するイエスの例えに注意を払う

      ● これらの例えは,王国を,「宝」や「真珠」のように望ましいものとして描いている。それを探し求める人々は,「良い土」,「小麦」,「良い魚」に例えられている。

      ● にせの王国は,枝の茂ったからしの「木」,発酵した粉の塊,などで表わされている。その支持者は,「鳥」,「雑草」,『ふさわしくない魚』。

      ● 王国の進展をさまざまな角度から見ると,今日,人類の前にある大論争をよりよく理解することができ,王国の側にしっかりと立って忠節を尽くすように励まされる。

  • 「終わりの日」と王国
    「あなたの王国が来ますように」
    • 12章

      「終わりの日」と王国

      1 (イ)ここでどんな重要な質問が生じますか。(ロ)聖書は(1)この地球,(2)地を破滅させる者にとって終わりの日となる時,について何と述べていますか。

      わたしたちは今「終わりの日」に住んでいるのでしょうか。「終わりの日」とは何を意味するのでしょうか。幸いなことに,地球そのものには「終わりの日」はありません。聖書は,「地……は定めのない時に至るまで,すなわち永久に揺るぐことがありません」と保証しているからです。エホバの最初の目的通り,人間と動物はこの地上に永久に存在します。(詩 104:5-24; 119:89,90。創世 1:27,28; 8:21,22)しかし,神のものである地を破滅させている邪悪な国や個人には確実に「終わりの日」があります。破滅をもたらす者たちに破滅が臨むのは王国が『来る』時です。―ペテロ第二 3:3-7。ヤコブ 5:1-4。啓示 11:15-18。

      2 パウロはこの「困難な時」に関してどんなことを明確に予告していましたか。

      2 わたしたちは今その「終わりの日」に住んでいると言えるでしょうか。どの訳の聖書でもかまいません,手近の聖書を取り上げ,使徒パウロが「終わりの日」を予告するために神の霊感を受けて記したテモテ第二 3章1-5節の言葉をお読みください。それから,今日の人間の世界の状態はこれに似てはいないだろうか,と自問してみてください。そこのところで使徒パウロは,「苦難の時代」がやって来ることを述べ,こう付け加えています。

      「人々は,自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,無情な者,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい」― 口語訳聖書。

      3 パウロはユダヤ人の体制の「終わりの日」よりもはるかに重大な終わりの日に言及していたに違いありません。なぜそう言えますか。

      3 使徒はこのように書きましたが,ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」のことを述べていたのではありません。そうでないと言えるのは,パウロがこれを書いたのは西暦65年で,その時にはユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」はすでに30年を経過しており,エルサレムの破滅までにわずか5年を残すのみとなっていたからです。またこの背教の状態は,クリスチャンと称する人々の間にはまだ見られなかったからです。ユダヤ人の体制のその「終わりの日」もひどいものでしたが,イエスが王国を建てるために再び来られる時,つまりサタンの世界的な事物の体制の「終わりの日」に起こる事は,それをはるかにしのぐものとなります。

      二重の成就

      4 どんなことから弟子たちはマタイ 24章3節にある質問をしましたか。

      4 イエスはたとえ話の中で「事物の体制の終結」について語っておられました。(マタイ 13:39,40,49)当然のことながらそれは弟子たちの関心をそそりました。ことに一般民衆は当時でもローマやユダヤ人宗教指導者の厳しい支配にひどく苦しんでいたからです。彼らは神の王国が救済をもたらすことを待ち望んでいました。ですから,イエスが殺される三日前,4人の弟子たちは,エルサレムを見下ろすオリーブ山の上で座っておられたイエスの所に来て,「わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねました。―マタイ 24:3。マルコ 13:3,4。

      5 それに答えてイエスが言われた言葉はどのように成就しますか。

      5 イエスの弟子たちは近い将来のことだけ考えていましたが,その時のイエスの答えは二重に適用されるものでした。まずユダヤ人の体制の「終わりの日」の期間に適用され,そしてずっと後の,人の住む地全体を包含するサタンの世界的な体制の「終わりの日」の期間に適用されます。

      6,7 (イ)マタイ 24章7-22節のイエスの言葉はどのように小規模に成就しましたか。(ロ)その冷厳な事実を思い出させるどんなものが今日まで残っていますか。

      6 マタイ 24章7-22節に記述されている,イエスが弟子たちに語られたことは,その弟子の中の幾人かが,西暦70年までの37年間に観察するさまざまな縮図的出来事の経過を描写したものでした。イエスの世代のユダヤ人にとってその期間は,戦争,食糧不足,地震などが起こり,クリスチャンたちは憎まれ,また多くのにせメシアが現われる多難な時となります。それでも「王国のこの良いたより」は証しとして全創造物の中で宣べ伝えられます。ついに,かの「嫌悪すべきもの」である異教徒のローマ軍が,実際にエルサレムの神殿の「聖なる所」に侵入しました。攻撃が一時途絶えた時,イエスの弟子たちは安全な山岳地帯へ逃げて,イエスの預言的命令に従うことができましたが,その後ローマ軍はティツス将軍に率いられて再び来襲しました。そしてエルサレムとその子らを打ち砕き,その神殿を破壊して,石の上に一つの石も残しませんでした。―ルカ 19:43,44; コロサイ 1:23も参照。

      7 イエスの語られた「しるし」の成就として,ユダヤ人はその積み重なる苦難に苦しめられ,西暦70年におけるエルサレムのすさまじい破滅でその苦しみは頂点に達しました。100万を超えるユダヤ人がその都市とともに滅び,生存者は捕虜として連れ去られました。ティツスの凱旋門は,イエスの預言の成就の動かしがたい証拠として今日に至るまでローマ市に立っています。それにしても,イエスの語られた「しるし」は,1世紀に住んでいた人々だけに対する警告として記録され,文書に保存されたのでしょうか。今日ではそれは“古い歴史”に過ぎないのでしょうか。そうではありません。

      全世界に適用する

      8 (イ)イエスの言葉の小規模な成就からわたしたちは今日どんな影響を受けますか。(ロ)これはどんなより大規模な事柄の預言的型となっていますか。

      8 ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」の間にイエスの言葉が小規模に成就したことによって,神の預言の力に対するわたしたちの信仰は強められるはずです。しかし,1世紀に起きたそれらの出来事は,はるかに大きな規模でサタンの世界的事物の体制に臨む事柄の顕著な預言的型となっています。そう確信できるのは,西暦70年における神のエルサレムに対する裁きの執行が空前絶後の大患難でなかったからです。マタイ 24章21,22節のイエスの言葉はまだ完全な成就を待っています。

      「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。事実,その日が短くされないとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。

      9 イエスの言葉が世界的な清算の日を指していることはどうして分かりますか。

      9 マタイ 24章23節から25章46節まで続くイエスの預言の言葉も,世界的規模の「事物の体制の終結」があることを示唆しています。その苦難の期間の頂点において「人の子」が,神の任命によって即位した王としてサタンの世に裁きを執行する時,『地のすべての部族は悲嘆のあまり身を打ちたたくでしょう』。イエスの王権を退ける人間はすべてこれに含まれるでしょう。それはただ一国とその都市が受ける裁きではなく,世界的な清算の日なのです。―マタイ 24:30。

      10 (イ)イエスの預言の中で例証されているように,『自分のことをする』人たちの最後と『神の王国を第一に求める』人々の最後とはどのように異なりますか。(ロ)これはなぜ世界的な規模で生ずるに違いありませんか。

      10 続くイエスの預言は,神の裁きが世界的規模のものであることを再び示唆し,「事物の体制の終結」をノアの日の大洪水直前の期間と次のように比較しています。

      「洪水まえのそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人びとは食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」。

      神を恐れぬ人々の世全体がその時の洪水によってぬぐい去られたのと同じく,『自分のことをする』のを好んで王国を無視する人々も,キリストの「臨在」の最高潮となる激しい患難によって,この地球から除かれてしまいます。幸いにして,『神の王国とその義を第一に求める』多くの人々は生き残り,パラダイスの地で永遠の命を受け継ぎます。あなたもその一人になるでしょうか。―マタイ 6:33; 24:37-39; 25:31-46。

      11 すべての国の民が関係していることと,生き残る人がいることとは,ほかのどの預言から分かりますか。

      11 聖書の多くの預言は,来たるべき「大患難」が地上の「すべての国の民」に影響を及ぼすことを示しています。(詩 2:2-9。イザヤ 34:1,2。エレミヤ 25:31-33。エゼキエル 38:23。ヨエル 3:12-16。ミカ 5:15。ハバクク 3:1,12,13)しかし生き残る人々もいるのです!―イザヤ 26:20,21。ダニエル 12:1。ヨエル 2:31,32。

      天の栄光に包まれた王の臨在

      12 (イ)イエスの臨在の「しるし」が必要なのはなぜですか。(ロ)イエスが再び肉体で現われる必要がないのはなぜですか。

      12 イエスの臨在の「しるし」に関するイエスの偉大な預言には,「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります」とあります。(マタイ 25:31)その栄光の輝きに,弱小な人間の目は耐え得ないので,王は人類の目に見えない様でいなければなりません。(出エジプト 33:17-20; ヘブライ 12:2と比較。)『臨在のしるし』が必要なのはそのためです。メシアは,再び来られる時には,肉体で地上に現われることも,「罪のささげ物」として用いられることもないので,そのために天の霊的な命を断念する必要はもはやありません。ご自身の人間の犠牲を「一度かぎり」ささげられたので,「二度め……は罪のことを離れ」,目に見えない天の王として来られるのです。―ヘブライ 7:26,27; 9:27,28; 10:8-10。ペテロ第一 3:18。

      13 ルカ 19章11-27節はイエスが戻ってこられる時と,諸国民の間でイエスがどのように迎えられるかについて何を示唆していますか。

      13 親しい弟子たちと一緒に過ごされた最後の晩に,イエスは彼らにこう言われました。『わたしはあなたがたのために場所を準備しに行こうとしているのです。そして,わたしが行ってあなたがたのために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなたがたをわたしのところに迎えます』。(ヨハネ 14:2,3)このことと一致して,ルカ 19章11-27節のイエスの例えは,『王権を確かに自分のものとして帰るため,遠くの土地に旅行に出たある高貴な生まれの人』としてイエスを描いています。これには相当の期間がかかります。ところが,「その市民は彼を憎み,そのあとから一団の大使を送って,『この人がわたしたちの王になることは望みません』と言わせました」。同様に今日でもクリスチャンと称しながら,自分たち自身の不完全な人間の支配を永続させるほうを好んで「王の王」を退ける人々がいます。(啓示 19:16)そういう人々は,イエスの例えの「市民」のように厳しい罰を受けるでしょう。

      「苦しみの劇痛のはじまり」

      14 異議を唱える人々があるにもかかわらず,どんな事柄は西暦1914年がキリストの戻られた年であることを裏付けていますか。

      14 諸国民が望まないこの強力な王は,この地に対していつ統治を開始するのでしょうか。すべての証拠は,それが西暦1914年に始まったことを示しています。しかし中には,『その年はキリストの平和な統治が始まった年というよりも,むしろ人類の苦難の時代が始まった年という印象の方が強いのではないか』と異議を唱える人もいるでしょう。肝心なところはまさにそこです! 聖書の預言によると,『世の王国がわたしたちの主とそのキリストの王国となる』時こそ,地の諸国民が『憤る』時だからです。(啓示 11:15,18)その時はまたエホバが,「あなたの敵のただ中で従わせなさい」と言って仲間の王をお遣わしになる時でもあります。(詩 110:1,2)しかしそれらの敵はすぐに滅ぼされるわけではありません。

      15 啓示 12章は王国の誕生をどのように適切に描写していますか。

      15 啓示 12章には息をのむような一つの幻が描写されており,使徒ヨハネはその幻の中で,神のメシア王国の誕生を象徴するものを見ました。メシア王国は一人の男の子のように,神の「女」,すなわちみ使いで成る神の天的組織から生まれます。そして「そのみ座のもとに連れ去られ」ます。王国はエホバとその主権に依存してその活動を行なわねばならないからです。―啓示 12:1-5。

      16,17 (イ)1914年以来地上に災いがあるのはなぜですか。(ロ)マタイとルカの中のイエスの言葉によるとこれらの苦しみはどのように始まりますか。

      16 次いで天に戦争があります。即位した王とそのみ使いたちは,サタンおよびその配下の悪霊の大軍と戦い,彼らをエホバの天からこの地球の近くに追い落とします。そのことは『地と海にとっては災い』です。『悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいて下ったから』です。(啓示 12:7-12)その比較的に『短い時』の間に,王は,義に傾いている人間を救うために集め,またサタンの世の事物の体制に対する裁きの執行が近付いていることを警告します。―マタイ 24:31-41; 25:31-33。

      17 わたしたちは今日,マタイ 24,25章,マルコ 13章,ルカ 21章などに述べられている,イエスの語られた「しるし」が成就していることに気付いています。イエスが「苦しみの劇痛のはじまり」を次のような言葉で描写しておられる点に注目してください。

      「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり(ます)。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足が起こります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。(マタイ 24:3,7,8。ルカ 21:10,11)

      人類は,西暦1914年以来そのような「苦しみの劇痛」に悩まされるようになったでしょうか。

      18 1914年から,戦争はどのようにひどく恐ろしいものになりましたか。

      18 大戦(後ほど「第一次世界大戦」と呼ばれるようになった)が始まったのは1914年で,それに伴って疫病や飢きんも生じました。著述家たちは,戦場を覆う,凄惨をきわめた光景を描写するすべを知りませんでした。1914年から1918年にわたる大殺りくの際のざんごう戦で何百万もの兵士が死んだのです。「アイ・ディープ・イン・ヘル」という本にはポール・ナッシュがヨーロッパの戦場について語った次の言葉が引用されています。「来る月も来る月も,昼夜を問わぬ戦闘の場となっているこの国の惨状は,文や絵で伝えることはできない。この戦争の総大将は,魔性の者か悪魔の化身以外の者ではあり得ない。神のみ手はどこにも見られない。……砲弾は……人々を殺し,不具にし,発狂させてやむことがなく,まさに広大な墓場と化したこの国に飛来しては,哀れな死者をそこに投げ出すのである。その有様は実に言語に絶し,邪悪で,絶望的である」。

      19 統計を見ると1914年以来の地震の急増についてどんな事が分かりますか。

      19 「地震」も「しるし」の一部として含められています。1914年以来,地震は急に増えているでしょうか。この質問は不思議に聞こえるかもしれません。しかし統計を見るともっと驚かされるでしょう。ジェオ・マラゴリがイル・ピッコロ紙で述べたように,「確かな資料を見ても,大地震は1,059年間(西暦856年から1914年まで)に24しか記録されていない」のです。彼が示した数字によると,その期間に毎年平均1,800人が地震で死亡していますが,1915年以降には43の大地震があり,1年に平均2万5,300人が死亡しています。

      「天からの大いなるしるし」

      20,21 (イ)1914年以来どんな「恐ろしい光景」がはっきり見られるようになりましたか。なぜですか。(ロ)ルカ 21章25,26節のどんな成就をわたしたちは今日見ていますか。(ハ)「天からの大いなるしるし」はどのように次第に注目を浴びるようになりましたか。

      20 イエスは,「また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがある」とも預言されました。(ルカ 21:11)第一次世界大戦における絶え間ない弾幕砲火は,ある新しいもの ― 全面戦争 ― を意味しました。そのとき初めて飛行船が,そしてさらに重要なこととして飛行機が,空中戦の時代を開きました。なるほど1914年から1918年までは始まりに過ぎませんでしたが,それはやがて,イエスが預言の中で次に述べておられる状態に発展して行きます。

      「また,太陽と月と星にしるしがあり,地上では,海のとどろきとその動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います。天の諸勢力が揺り動かされるからです」― ルカ 21:25,26。

      21 人間のいわゆる宇宙征服の焦点は「太陽と月と星」です。そして大国は人工衛星を軍事上の跳躍台として利用する不気味な意図をもっているように見えます。しかし,それらの大国はすでに,目標を定めたならどこにでも,宇宙空間から大陸間弾道弾の雨を降らす技術を持っているのです。現在,対立する諸国家が蓄積している核兵器の量は,人類を幾度も全滅させるに足るものであり,今世紀末までには約35か国がこの大量殺りく兵器を保有するようになると推測されています。

      22 (イ)文字通りの「海」は1914年以来どのように新しい様相を帯びてきましたか。(ロ)識者たちは地球が直面する脅威についてどんな警告を発していますか。

      22 第一次世界大戦における潜水艦戦の導入によって新たな様相を帯び,アメリカをその戦争に巻き込んだ「海」は,今日ではもっと不気味なものを予感させます。海には原子力潜水艦が待機しています。地球上の都市で核ミサイルの射程内にないものは一つもありません。1980年8月30日付のニューヨーク・タイムズ紙によると,アメリカ国務省の専門家マーシャル・D・シュルマンは,核戦争の可能性は,「減少するよりもむしろ増大するだろう」と述べています。1980年3月2日付のニューヨーク・タイムズ紙には,600人以上の専門職の男女をスポンサーとする次のような内容の1ページの広告が掲載されました。「核戦争は,たとえ『局地的なもの』であっても,人類史上空前の規模の死と傷害と病気をもたらす結果になるだろう」。彼らはさらにこう付け加えています。「核による全面戦争は1時間で完全に終わり,北半球の生命をほとんど滅ぼしてしまうだろう」。1981年には,モスクワ駐在のアメリカ大使が,「世界は史上例を見ない危険な状態にあると思う」と述べています。それでも大量破壊のための軍備費はうなぎ登りに上昇を続けています。

      23 イエスの預言の成就として人類は歴史のどんな段階に達しているように見えますか。

      23 人類は,ノーベル賞受賞者のハロルド・C・ウレーが何年か前に予測していた段階に達しているようです。「我々は恐怖のうちに食べ,恐怖のうちに眠り,恐怖のうちに生き,そして恐怖のうちに死ぬであろう」と,彼は言いました。まさに「逃げ道を知らない諸国民の苦もんが」あります。「同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います」。

      24 「逃げ道」を知っているのはだれですか。わたしたちはなぜ王国の到来を熱心に祈り求めるべきですか。

      24 幸いにも,良い目的のためにこの地球を創造された主権者なる主エホバは,確かに『逃げ道を知っておられ』,み子の王国を通してその道を備えられます。しかしその「逃げ道」を詳しく調べる前に,もう少しイエスの預言に注意を払い,「しるし」のおもなものである世界戦争,飢きん,疫病などに関するイエスの言葉が啓示の中の驚くべき預言とすばらしく一致している点に注目してみましょう。メシアによる神の王国 ― わたしたちがその到来を心から祈り求めている王国こそ解決策であることを忘れないようにしましょう。

      [115ページの囲み記事]

      1914年に関する著述家たちの言葉

      第二次世界大戦の後でさえ,1914年を振り返って,その年が現代史における大きな転換点であった,と言う人は少なくない。

      「現代における転換点は,広島に原爆が投下された年というよりもむしろ1914年であった」― レーヌ・アルブレヒト-カリー。サイエンティフィック・マンスリー,1951年7月号

      1914年以来,世界の趨勢に気付いている人はみな,運命付けられているかに思える,より大きな災いに向かっての行進を深く憂慮している。まじめな人々の中には,破滅への突入を回避する手だては何もないと考えるようになった人が少なくない。彼らは人類を,ギリシャ悲劇の主人公のように,怒れる神々に追いたてられ,もはや運命の支配者ではなくなった者と見ている」― バートランド・ラッセル。ニューヨークタイムズ・マガジン,1953年9月27日号

      「現代は……1914年に始まった。そしてこれがいつ,どう終わるかはだれにも分からない。……大量殺りくで終わることもあり得る」― 1959年1月1日付,シアトルタイムズ紙社説

      「1914年に,当時知られ受け入れられていた世界は終わった」― ジェームス・カメロン著,「1914年」,1959年発行

      「第一次世界大戦は歴史の大異変の一つであった」― バーバラ・タッチマン著,「ガンズ・オブ・オーガスト」,1962年

      「この地上に真の平和と平穏と安全があった ― 我々が恐れというものを知らなかった ― 1914年以前のことが……思い出され,さまざまな光景が頭に浮かぶ。……安全と平穏は,1914年以来,人間の生活から消え去った」― ドイツの政治家,コンラッド・アデナウアー,1965年

      「全世界が実際に爆発したのは第一次世界大戦ごろであった。その理由はいまだに分からない。……ユートピアは近付いていた。そこには平和と繁栄があった。そんな時,突如としてすべてが吹き飛んだ。それ以来我々は仮死状態にある」― ウォーカー・パーシー博士。アメリカン・メディカル・ニュース,1977年11月21日号

      「1914年に世界は結合力を失い,以後それを取り戻すことに成功していない。……この時代は国境の内外において著しい無秩序と暴力の時代になった」― エコノミスト誌(ロンドン),1979年8月4日号

      「文明は,1914年に,残酷でおそらく命取りの病気に取り付かれた」― フランク・ピータース。1980年1月27日付,セントルイス・ポースト-ディスパッチ紙

      「すべての事が次第に良い方に向かっていた。わたしが生まれたのはそのような世界であった。……しかし1914年のある朝,突如,全く不意に,すべてが終わった」― イギリスの政治家,ハロルド・マックミラン。1980年11月23日付,ニューヨーク・タイムズ紙

  • 王国の騎手は乗り進む
    「あなたの王国が来ますように」
    • 13章

      王国の騎手は乗り進む

      1,2 (イ)次にわたしたちはだれに注意を向けますか。その方は右手に何を持っていますか。(ロ)ヨハネはなぜ泣くのをやめるように言われましたか。(ハ)ユダの「しし」とはだれですか。彼はなぜ封印を開くのにふさわしい者ですか。

      ヨハネへの啓示の5章に目を向けてみましょう。この章には,使徒ヨハネに与えられた,そして神の王国の『来る』ことと直接関係のある,霊感による一つの幻のことが記されています。この幻の焦点は主権者なる主エホバ,すなわち「み座にすわっておられるかた」です。エホバはその右手に『七つの封印で堅く封印された』巻き物を持っておられます。しかし使徒ヨハネは激しく泣きだします。なぜでしょうか。それは,全宇宙に,その巻き物を開いてそれに載せられている音信を知らせるのにふさわしい者が一人も見付からなかったからです。しかし,ごらんなさい! ふさわしい人がいるのです! それはほかでもない,「ユダ族の者であるしし」,ダビデの王国の相続者です。―啓示 5:1-5。

      2 彼は「勝利を得た」のでそれにふさわしい方です。完全な人間として地上におられた時,苦しみの杭の上での残酷な死に至るまで,み父に対して不動の忠節を示されました。「世の支配者」であるサタンは,彼の忠誠をくじくことができなかったのです。ですからイエスは,「わたしは世を征服した」と言うことができました。―ヨハネ 14:30; 16:33。

      3 わたしたちはなぜ啓示 5章9,10節の成就を喜びますか。

      3 世を征服した者たちはほかにもいます。この勇気ある「しし」キリスト・イエスは彼らをご自分の霊的「兄弟」とみなされます。(マタイ 25:40)彼らは天に復活することによってイエスの千年王国統治に参加し,イエスの贖いの犠牲の益を,地上の幾十億という人類に与えることにあずかります。ですから天では新しい歌を歌う声が聞こえます。彼らは,かつて罪のない子羊としてほふり場に引かれて行ったその方に対してこう言います。

      「あなたは巻き物を受け取ってその封印を開くにふさわしいかたです。あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人びとを買い取ったからです。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。(啓示 5:9,10)

      その王と,忠誠を試みられそれを証明した仲間の王たちとが,虐げられた人類のために行動しようとしておられるとは,なんとありがたいことでしょう! しかしこれに関連して,まず戦争があるはずです。

      白い馬に乗る者

      4 (イ)「白い馬」,乗り手が持っている「弓」,乗り手が「冠」を受けたことはそれぞれ何を象徴していますか。(ロ)この乗り手はだれですか。彼はいつ王の権威を受けましたか。

      4 「子羊」が巻き物を取り封印の一つを開いた時,「来なさい!」という雷のような声が天から聞こえます。そして何が見えるでしょうか。『ごらんなさい! 白い馬です』― 正義の戦争の象徴です。乗り手は1本の「弓」を持っています。その乗り手は遠くから,人間が作った大陸間弾道弾よりはるかに広範囲にわたり,敵を滅ぼすことができます。彼に「冠」が与えられますが,このことは,エホバが彼に諸国民を治める王としての権威をお与えになる現代の1914年という年を指し示しています。微弱な人間の主や王たちよりもずっと強力なこの「主の主,王の王」は,天の王国でイエスとともになる,「召され,選ばれた忠実な」,油そそがれたクリスチャンたちとともに,義の敵すべてに対して勝利を収めます。―啓示 6:1,2; 17:14。

      5 (イ)この乗り手は最初何を征服しましたか。(ロ)人類にとってはそれはどんな結果をもたらしましたか。しかしわたしたちはなぜマルコ 13章32-37節の警告に注意しなければなりませんか。

      5 この「白い馬」の乗り手は強力な征服者です。では出陣に当たって,この乗り手が「初めからのへび」であるサタンとその配下の悪霊の使いたちを天から追い出すこと以上にふさわしいことがあるでしょうか。彼はそれらをこの地に投げ落とします! 悪魔が今大きな怒りを抱いているのも不思議ではありません。すでに述べたように,悪魔はその怒りを人類に向け,『地と海に災いを』もたらします。悪魔は『自分の時が短いこと』を知っていますが,大変こうかつです。「終わりの日」はまだはるか遠い先のことだと,わたしたちに考えさせようとしています。わたしたちはだれも,そのような考えにだまされて眠りに陥ることがないようにしましょう。―啓示 12:9-12。マルコ 13:32-37。

      火のような色の馬

      6 (イ)啓示 6章3,4節によると次に何が登場しますか。(ロ)第一次世界大戦はそれ以前のすべての戦争とどのように異なっていましたか。

      6 「子羊」は第2の封印を開きます。すると「火のような色の馬」が飛び出します。「それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)人類史上初めての世界戦争の登場です。平和は取り去られます。ただ二,三の国からではなく「地」から取り去られるのです。強大な陸海軍が大量殺りくの恐るべき兵器を用いて戦闘を交えるからです。それ以前の戦争は,たいてい少数の国の職業軍によって行なわれたものですが,第一次世界大戦は全面戦争です。徴集された人的資源を含め,多数の国の全資源が戦闘に投入されたのは歴史上初めてのことです。

      7-9 「むざんな殺し合い」について言うなら,1914年が史上最悪の流血期間の始まりであったことをどんな統計や報告が示していますか。

      7 預言には「むざんな殺し合い」とありますが,それはまさに「むざんな殺し合い」でした。ソンム川の戦闘では,危険な新兵器つまり機関銃が,イギリス軍とフランス軍の兵士を幾十万となくなぎ倒し,ある人の推測によると,それで死んだ人の数は戦死者全体の80%に上ったということです。ベルダンでは9か月間に,ロシアに進軍したナポレオンの軍よりも多くの兵士が戦死しました。ベルダンのある墓地のへいには,「屠殺場まで5キロ」と血で書かれた標識がありました。4年にわたる大戦中に全部で約900万人の兵士が殺されたのです。

      8 1914年は,「火のような色の馬」の乗り手が地から平和を取り除いた年だったでしょうか。その見方を支持する歴史家は少なくありません。例えば,それから50年近くたって,歴史雑誌,アメリカン・ヘリテイジの編集者は次のように書いています。「1914年の夏には国々に平和があり,将来も安らかなものに思われた。その時である,突如砲声がとどろき渡り,事態は一変してもはや元に戻らなかった……1914年は人間の歴史の上できわめて決定的な年の一つであった。……その年は,千年に1度か2度しか訪れないほどの意味深い転換点を迎えたのである。1914年から我々がどんな時代に入ったかを十分に理解するまでにはおそらく長い時間がかかるであろう。しかし少なくとも,この年に我々が何をもぎ取られたかは分かるようになるであろう」。確かに「火のような色の馬」の乗り手は地から平和をもぎ取りました。そしてその年は1914年でした。

      9 その騎手は引き続き殺りくの馬を進めて二つ目の世界戦争を通過します。この戦争では1,600万の兵隊が戦死しました。時代は1980年代に入りましたが,ハンガリーの一教授の計算によると,第二次世界大戦終結後の30年間に,さらに2,500万人の兵隊が戦死しています。第二次世界大戦が終わったあとの33年間に,世界のどこにも戦争がなかった日というのは26日しかなかったということです。

      10 この騎手はどのように「大きな剣」を用いましたか。

      10 預言によるとこの騎手は「大きな剣」を与えられました。この20世紀の戦争においては確かに,すさまじい破壊力を持つ武器が大量殺りくに大きな役割を果たしました。第一次世界大戦には,毒ガス,自動兵器,軍用タンク,飛行機,潜水艦などが初登場し,第二次世界大戦には,空中戦が諸都市を文字通りぬぐい去りました。犠牲者のほとんどは,罪のない女や子供や老人でした。イギリスのコベントリー市は一夜にして廃墟と化し,後にはドイツのドレスデンが連合軍の空爆を受け,13万5,000の命が消え去りました。次いで日本の広島では,原子爆弾による大量殺りくで少なくとも9万2,000人が,長崎では4万人が死にました。この場合もほとんどは民間人でした。もし今核戦争でもぼっ発するなら,その「大きな剣」が何をなすかは想像を絶するものがあります。

      「見よ,黒い馬がいた」

      11,12 (イ)「黒い馬」の乗り手は二人目の騎手の仲間であることをどのように示しましたか。(ロ)彼が今日まで馬を乗り進めて来たことはどんなことから分かりますか。

      11 「子羊」が第3の封印を開くと,「黒い馬」が飛び出します。「それに乗っている者は手に天びんを持って」います。(啓示 6:5)なんと,全面戦争という騎手には連れの騎手がいるのです。これは飢きんをもたらす騎手です。二つの世界大戦の間に多くの国は飢きん状態に悩まされました。「天びん」が表わしている食糧の配給は,交戦諸国の市民にとっては普通のことになりました。そして第一次世界大戦の後には史上最悪の飢きんが訪れました。ネーション誌の1919年6月7日号は,インドで3,200万人が「飢餓線上に」あると伝えています。ワールズワーク誌の1921年3月号は,北支だけで毎日1万5,000人が餓死しつつあると報じています。ニューヨーク・タイムズ紙が出していた,「カレント・ヒストリー・マガジン」の1921年10月号に掲載されたイギリスからの報道によると,ロシアでは「3,500万もの人々が飢きんと疫病の脅威にさらされている」ということでした。第二次世界大戦のあとにも同様の飢きん状態が生じ,ルック誌の1946年6月11日号は,「現在,世界の4分の1が飢餓に苦しんでいる」と報じています。

      12 たとえ全面戦争がなくても,現在の世界では農作物の不作がしばしば新聞に大きく取り上げられます。例えば1974年には,「3人目の騎手の影響下にあるインド」,1976年には,「深刻な食糧危機に見舞われる飢えた世界」,そして1979年には,「4億5,000万人が飢えている」といった見出しが新聞に出ました。世界人口が増加するにつれ,発展途上国や,戦争で荒廃した国の食糧事情は一層絶望的になります。ニュー・サイエンティスト誌の1975年5月号のアトラス・ワールド・プレス・レビューは次のように述べました。「世界は双頭の怪物と顔を突き合わせている。飢きんはその一面に過ぎない。もう一つは慢性的な栄養失調である。FAO[食糧農業機構]の推測によると,1970年に,発展途上国97か国のうち,食糧生産量もしくは輸入量が国民を養うのに必要な量を実質的に下回ったのは61か国である。栄養失調に苦しむ人は内輪に見積って4億6,000万人,大まかに見て10億人とFAOは計算している」。1980年代に入った今,事態はその時に比べてはるかに悪くなっています。

      13 啓示 6章6節には現代のどんな状態や恐怖が予示されていますか。

      13 馬を進める3人目の騎手に,天からの声が叫びます。「小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな」。(啓示 6:6)1デナリは1日の賃金を表わしますから,労働者はこの物価高に心から憤りを感じます。実際に今日,一般の人々の収入はインフレによって絶えず目減りしていないでしょうか。しかし「油」とか「ぶどう酒」などの品物はどうですか。利益を貪る者や富裕な人々は自分たちの豊かな生き方を守りたいと思います。しかし彼らはそれに成功するでしょうか。「黒い馬」が全地を縦横に駆けめぐっていますから,それはこれから分かるでしょう。

      『死を乗せた青ざめた馬』

      14 4番目の馬の乗り手とその連れは1914年以来の出来事とどのようにぴったり一致しますか。

      14 第4の封印が開かれると,「青ざめた馬」が出て来て他の馬と一緒に走り出します。乗り手は死です。ハデスがそのすぐあとに従います。別の馬に乗ってかどうかは記されていません。しかしそれらは身の毛もよだつような任務を帯びています。「地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」。(啓示 6:7,8)あの決定的な年である1914年以来,死とハデスは確かに地の四隅に広がりました。

      15,16 (イ)この預言は1918年から1919年にかけてどのような驚くべき成就をみましたか。(ロ)この馬が1914年以来走り続けていることは何から分かりますか。

      15 「命取りの疫病」! 1918年から1919年にかけて世界的に流行した疫病,すなわちスペイン風邪を,人々はこのように呼びました。わずか数週間で,第一次世界大戦の戦死者の数の2倍に当たる犠牲者を出し,その合計は2,100万という実に驚くべき数に上りました。アメリカの場合,公式に発表された,スペイン風邪による死者の数は54万8,452人で,戦死したアメリカ兵の10倍以上でした。しかも犠牲者のほとんどは若くたくましい人々だったのです。インドでは1,200万人以上が死にました。モーリシャスとセントヘレナの二つの島のほかに,この疫病を免れた大陸や島はありませんでした。エスキモーの村や中央アフリカの村の中には全滅したものもありました。タヒチではわずか15日間に4,500人もの死者が出,その遺体はまきで火葬にされました。西サモアの場合は,人口3万8,000人のうち7,500人がその疫病で死にました。

      16 しかし,「青ざめた馬」の乗り手がもたらした致命的な病気はスペイン風邪だけではありませんでした。ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると,1915年には,ガリポリの戦闘で弾丸に当たって死んだ兵隊よりも,赤痢で死んだ兵隊の方が多かったということです。インドでは,1914年から1923年までに325万人がコレラで死んでいます。1915年にはロシアで「250万から300万」の死者が出ていますが,その死因は発疹チフスだったと言われています。乗り手が現代に馬を乗り入れるにつれて,心臓病,ガンが死因の1位を占めるようになり,梅毒が「伝染病の中で2位」になり,肝炎も「全世界で爆発的に増加」しました。

      救済は近付いている!

      17,18 (イ)一人の政治家は,第2,第3,第4の騎手の間につながりがあることを示すどんな言葉を述べましたか。(ロ)しかし世界の指導者たちはだれを無視していますか。(ハ)わたしたちは栄光に輝く王が行なうことをなぜ喜ぶことができますか。

      17 「火のような馬」と「黒い馬」と「青ざめた馬」は今まで60年以上肩を並べて走り続け,ハデスがそのすぐあとに従ってきました。確かにハデスは,何億にも上る多くの犠牲者を収穫しました。興味深いことに元アメリカ大統領,ハーバート・フーバーは,1941年に,この3人の騎士を結び付けて次のように述べています。「大きな戦争のあとには必ず飢きんと疫病がある……25年前の世界大戦は3億人に飢えをもたらした。……今回の戦争[第二次世界大戦]が終わって1年半になるが,食糧不足に悩む人は前回の戦争の3年後の場合よりも1億人近く増えている」。第三次世界大戦は人類にとってどんな災難を意味するでしょうか。

      18 世界の指導者たちは,「火のような色の馬」,「黒い馬」そして「青ざめた馬」の騎手たちがもたらす害には十分気付いています。しかし「白い馬」の乗り手は無視しているのです。この栄光に輝く王が行動を起こし,事態を一転させる喜びの日は近付いているのです。この王は戦争の代わりに平和をもたらします。飢きんに代えて食物を豊かに供給します。病気に代えて人類に完全な健康を回復します。ハデスさえ死人を出します。詩篇の中にも同様のくだりがあって,「白い馬」の騎手を次のように描写しています。

      「力ある者よ,あなたの剣を股に帯び,あなたの尊厳と光輝とを備えもて。その光輝に包まれ,成功を収めよ。真理と謙遜と義のために乗り進め。あなたの右手は,恐るべき事柄をあなたに教え諭す」。(詩 45:3,4)

      王国の騎手の勝利は近付いています!

      19 (イ)啓示 6章2-8節の成就しているのを見て,心をかき乱されるべきですか。(ロ)信仰を強く保つように励ますどんな例がありますか。

      19 ですから,次第に悪くなっていく今日の地上の状態に心を不当にかき乱されないようにしましょう。それよりもむしろ,信仰ゆえに1956年から1978年までの20年間,ある社会主義国で投獄されていた一人のエホバの証人と同じ見方を持ちたいものです。その人は一時期死刑の宣告を受けていました。腕には今でも拷問の跡があります。彼女はどのようにして信仰を堅く保ったでしょうか。それまでの熱心な聖書研究によって覚えていた多くの聖句を黙想したのです。その一つは啓示 6章2節だったと彼女は言っています。「白い馬」の乗り手である王なるイエス・キリストが1914年に天で即位されたことを彼女は確信していたので,キリストが「征服を完了する」まで耐え抜く決意をしていたのです。神の王国の『来る』ことを祈り求める他の人々もみな,王が完全に勝利を得るまで忠実を保てますように。

      [123ページの囲み記事]

      黒い馬は走り続ける

      「世界銀行の推定によると,全世界では約7億8,000万人が,極めて貧しい,『およそ人間の品位とはほど遠い』状態の中で生活している」― 1980年9月1日付,デトロイト・フリー・プレス紙

  • 王は統治する
    「あなたの王国が来ますように」
    • 14章

      王は統治する

      1,2 (イ)1914年という年には他の年よりどんな深い意味がありましたか。(ロ)「ものみの塔」誌は1914年という年を何十年も前もってどのように指摘してきましたか。

      西暦1914年が,諸国家や人類にかかわる事柄の重要な転換点となったことに疑問の余地はありません。しかしその年は,ほとんどの歴史家が理解しているよりもはるかに深い意味をもつ年でした。つまり,神の王国の『来る』ことと関係のある,胸を躍らすような出来事が起きた年だったのです。注意深い聖書研究者たちは,それより何十年も前から,大きな期待を抱いてその年の来るのを待っていました。彼らの期待はどんな根拠に基づいていたのでしょうか。

      2 1914年より34年前に,「シオンのものみの塔とキリストの臨在の告知者」という雑誌は,1879年12月号と1880年3月号の中で,聖書預言に関係した特筆すべき年として1914年を指摘しました。同誌の1880年6月号に掲載された一つの記事は,「異邦人の時(ルカ 21:24)」が終わりに近付いていることに注意を喚起しました。当時,その記事の筆者は,起ころうとしていた出来事の意味を十分には理解していませんでしたが,聖書に基づく年代計算によって,古代エルサレムの最初の破滅の時から始まる,神を信じない諸国民の「七つの時」すなわち2,520年にわたる政治支配は,「西暦1914年」に終わる予定になっていることを示しました。その筆者はこう述べています。「2,520年という長い期間と……野獣(人間の政府,ダニエル 7章)の支配下での[神の民の]つらい経験は,ダニエル書 4章の中で,ネブカデネザルの『七つの時』および獣たちの中で過ごすという彼のつらい経験とにより,はっきり表わされている」。では「七つの時」とは何でしょうか。

      夢の解き明かし

      3 ダニエル書 4章25節にはどんな基本的真理が述べられていますか。

      3 聖書のダニエル書の4章には,驚くべき預言的な夢が記されています。それは,「至高者が人間の王国の支配者であり,自分の望む者にそれをお与えになる」ということを例示するものです。(ダニエル 4:25)バビロンの王ネブカデネザルは夢を見,それを預言者ダニエルに話して解明を求めます。

      4-6 (イ)ネブカデネザルはどんな夢を見ましたか。(ロ)ダニエルはそれをどのように解明しましたか。(ハ)それはどのように成就しましたか。(ニ)元の状態に戻されたとき,ネブカデネザルはどんなことを認めましたか。

      4 ネブカデネザルは,地の果てからでも見える大木の幻を見ました。その木はすべてのものに食物と宿る所とを与えました。しかしひとりの「聖なる者」が天から,その木を切り倒して根株に鉄と銅のたがをかけることを命じました。その二つは当時では最も強い金属でした。木がそのように抑制された状態にある間に「七つの時」が経過することになっていました。

      5 この預言的な幻を解明するに当たってダニエルは,堂々としたその大木がネブカデネザルを表わすことを説明します。ネブカデネザルは『切り倒される』,つまり低められることになっていました。「七つの時」が過ぎ,その間ネブカデネザルは野の獣のようになっています。しかし「木」が完全に覆されなかったのと同じく,王も「七つの時」が過ぎると元の状態に戻されます。―ダニエル 4:19-27。

      6 その通りのことがネブカデネザルの身に起きました。彼は低められ,人里離れたところに住む動物のようになって,草を食みました。その「七つの時」は7年だったようです。その間ネブカデネザルは『獣たちの中で過ごすというつらい経験』をしました。髪の毛は長く伸びて鷲の羽のようになり,爪も伸びて鳥のかぎ爪のようになりました。しかしついに正気を取り戻し,王位に復しました。その時彼は,「天の王」を実際に支配権を行使する方として,またその「王国は代々にわたるもの」としてほめたたえました。―ダニエル 4:28-37。

      7-9 (イ)イエスはどの預言の中で異邦人の時の終わりに言及されましたか。(ロ)それでわたしたちはどんな質問に深い関心を抱くはずですか。

      7 それにしても,これらのことは西暦1914年という年とどんな関係があるのでしょうか。

      「諸国民の定められた時」

      8 イエス・キリストは,『事物の体制の終結の時のしるし』を説明した際にこう言われました。

      「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」。(ルカ 21:24)

      イエスが言われた「諸国民」とはユダヤ人でない国民,すなわち「異邦人」のことでした。有名な欽定訳はここで「異邦人の時」という表現を用いています。それで多くの人は,『異邦人の時とは何だろう。イエスはどの期間のことを言ったのだろう。それはいつ始まっていつ終わるのだろう』と考えました。

      9 わたしたちはすでに,「しるし」に関するイエスの偉大な預言がわたしたちにとって今日重要な意味を持つことを学びました。それでこれらの疑問に対する答えを知ることも必要です。

      「エルサレム」は何を意味するか

      10-12 (イ)ある学者によると,西暦29年から70年に起きた出来事は何の予型でしたか。(ロ)しかしルカ 21章24節の「エルサレム」はどんなより広い意味を帯びていたと考えられますか。(ハ)わたしたちがこういう見方をするのに,ある有名な百科事典はどのように助けになりますか。(ニ)それで「エルサレム」は何を表わしますか。

      10 A・T・ロバートソン教授aは,イエスの預言に関する見解をこう述べています。イエスは「あの時代,つまり西暦70年に生じた神殿とエルサレムの破滅を,彼の再臨の象徴,また世の終わり,つまりその時代の終末の象徴としても用いている」。したがって次のような質問が生じるかもしれません。イエスはルカ 21章24節で,西暦70年にエルサレムに臨んだこと以外に,どんなより広い,より長期的な意味を「エルサレム」に与えたのだろうか。

      11 イエスはエルサレムを,イスラエルの首都,エホバから油をそそがれたダビデの家系の王たちが「エホバの王座」に座し,エホバに代わって統治する所,と考えておられました。またその神殿は全地の真の崇拝の中心でした。(歴代上 28:5; 29:23。歴代下 9:8)マクリントクとストロングの百科事典には次のように述べられています。「エルサレムは全イスラエルの王の居住地とされた。そして,しばしば『エホバの家』と呼ばれた神殿は同時にその神権国家の最高首長である王の王の住居でもあった。……確かにエルサレムは政治的には重要でなかった。他の国々の事柄を指図する強大な帝国の首都などではなかったが,ダビデがメシアの到来への信仰を表明したときに予告した明るい前途を持つ点では高いところに位置していた[詩 2:6; 110:2]」― 第4巻,838ページ。

      12 ダビデの家系の王たちが「エホバの王権の座」にすわったという事実は,その王国が実際に神のものであったという真理を強調しました。エルサレムを中心とするイスラエル王国は予型的神の王国でした。したがって「エルサレム」は神の王国を表わしました。

      13,14 ルカ 21章24節にある『踏みにじること』は,いつ,どのように始まりましたか。

      13 ここで,「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられる」というイエスの言葉を思い出してください。(ルカ 21:24)この『踏みにじること』はいつ始まったでしょうか。ベツレヘムでイエスがお生まれになった時よりもずっと前に始まっていたことは明らかです。というのは,ダビデの家系の人間の王たちがエルサレムで統治しなくなってからすでに長い時がたっていたからです。ダビデ王朝は,攻めて来たネブカデネザル指揮下のバビロニア軍がゼデキヤ王を王位から退けたときに,終わりを告げました。

      14 聖書に記されている明確な歴史を見れば,民とゼデキヤ王が悪かったためにどんなことが起きたかがよく分かります。このように記されています。「エホバの激怒がその民に向かって起こり,いやし得ないまでになった。そこで,主はカルデヤ人[バビロニア人]の王を彼らのもとに攻め上らせたので,彼はその聖所の家で剣をもって彼らの若者たちを殺した。……すべての者を[神はネブカデネザルの]手に渡されたのである。そして,真の神の家のすべての大小の器具,エホバの家の財宝,王とその君たちの財宝など,そのすべてを彼はバビロンに携えて行った。さらに,彼は真の神の家を焼き,エルサレムの城壁を取り壊した」。(歴代下 36:11,12,16-20)『踏みにじられること』はこの時に始まりました。

      いつまで「踏みにじられる」か

      15-17 (イ)ダビデの王国に対する「法的権利」を失ったのはだれでしたか。どのようにそれを失いましたか。(ロ)だれが再びその権利を得ますか。どの位の期間それを所有しますか。(ハ)したがってどんな関連した質問が生じますか。(ニ)ダニエルがこの質問に答えるのはなぜ順当と言えますか。

      15 預言者エゼキエルは,地上のエルサレムで統治するダビデの王統の最後の王ゼデキヤが王位から追われることを,次のように預言しました。

      「主権者なる主エホバの言われたことはこうである。『ターバンを取り除き,冠を取り外せ。これは同じではなくなる。……破滅,破滅,破滅,わたしはそれをなす。これに関しても,それは法的権利を持つ者が来るまで決してだれの者ともならないであろう。わたしは彼にこれを必ず与える』」― エゼキエル 21:26,27。

      16 ゼデキヤ王はその時にダビデの王国に対する「法的権利」を失いましたが,約束のメシアはその「権利」を再び得て,神の王国で「永久に」支配します。(ルカ 1:32,33)エルサレムを首都とする地上のイスラエル王国によって予表されたそのメシア王国が支配を開始するまでには,どのくらいの期間があったでしょうか。

      17 エホバ神はそれをご存じでした。ですから将来起こる他の多くの事柄を予告されたのと同じように,その時期をみ言葉の中に示唆することがおできになりました。「事物の体制の終結」に関する話の中で,イエスはダニエルの預言に何度か触れておられますが,その預言の中で,神は天と地に生じてくる多くの事柄を明確に予告しておられます。(マタイ 24:3,15,21,30とダニエル 9:27; 11:31; 12:1; 7:13とを比較。)それにダニエル書 9章24-27節にある「七十週」の預言は,メシアの最初の到来に関する正確な時間割を示していなかったでしょうか。では,同じ預言者がメシアの2度目の到来の時期を示すのは順当なことではありませんか。わたしたちに直接関係のあるこの預言的情報が記されているのはダニエル書の4章です。

      大規模な成就

      18 (イ)ネブカデネザルの狂気について一般の歴史が述べていないとすれば,その理由はどこにありますか。(ロ)神の言葉がここで述べていることに注意を払わねばならないのはなぜですか。

      18 ダニエルの預言の「七つの時」の最初の,そして予型的な適用についてはすでに調べ,ネブカデネザルが狂気になっていた文字通りの7年間に適用することを知りました。ネブカデネザルが7年間王座にいなかったことについて一般の歴史は詳しく述べていませんが,それは別に驚くべきことではありません。エジプトやアッシリア,バビロンなどの古代の記録は,支配者の体面を傷つけるような事柄が一切載せられていないことでよく知られています。それらが,神の霊感による言葉ほど信頼できない理由の一つはそこにあります。夢の幻が成就したことを確信させてくれるのは神の言葉です。預言の言葉はまたより広範な成就のあることを示唆していますが,それも同様に成就しました。ではそれはどのようにして成就したのでしょうか。

      19 この幻が,必然的に,異邦人の時の長さを知る助けになるのはなぜですか。

      19 注目すべき点は,その夢がバビロンの王,すなわち地上の予型的神の王国を覆して異邦人による世界支配を確立するための器として用いられた世界支配者に与えられたということです。また,その幻が与えられたのは,この記念碑的変化が生じた時,つまりエホバが主権を行使するのに用いた予型的王国が存在しなくなった時から何年も後のことではなかったようです。さらにダニエル書 4章は,『至高者が人間の王国の支配者であり,その望む者にそれを与える』という主題を繰り返し強調しています。(ダニエル 4:17,26,34,35)ですからわたしたちには,異邦人が地の支配を続ける期間に関する情報をこの幻に求める十分の理由があるわけです。

      20 わたしたちはどんな質問をしますか。そしてその答えをどこに求めることができますか。

      20 ダビデの家系の王が治める神の予型的王国が覆された時から数えて,神が再びダビデの王統と関係のある,そしてメシアを王とする王国を通してその主権を表明される時まで,どれほどの期間があるのでしょうか。ダニエル書 4章は,異邦人の時,つまり「諸国民の定められた時」の長さを測定する根拠となるものを提出しています。諸国民はこの期間に「エルサレム」すなわち神の王国を踏みにじるのです。―ルカ 21:24。

      21 ダニエル書 4章15-17節とヨブ記 14章7節はゼデキヤが王位から退けられた後の状態についてどんなことを示唆していますか。

      21 その踏みにじることは,ネブカデネザルがゼデキヤ王をエルサレムの王座から退けた年から始まります。その時以来,ユダの歴代の王によって象徴されたエホバの主権の行使は『切り倒された』ままでした。それは,ネブカデネザルの夢の,たがをかけられた木の切り株のように拘束されていました。野獣のような異邦人の諸強国は全地を支配しました。しかしその「木」には望みがありました。また『芽を出す』という望みです。それから,生きている人々は,『至高者が人間の王国の支配者であり,その望む者にそれを与えることを知る』のです。―ダニエル 4:15-17。ヨブ 14:7。イザヤ 11:1,2; 53:2と比較。

      22 王国の「木」は,いつ,どのように再び生い茂りますか。

      22 回復されたこの王国において,至高者はメシアによって支配します。それはメシアが完全な人間として初めて地上に現われ,ユダヤ人が彼を軽べつし,彼を退けて王と認めなかった時のことではありません。しかし木の切り株のたがは解かれ,王国の「木」は再び生い茂ります。それはこの「人間のうち最も身分の低い者」が,すべての国の民の天の王として栄光のうちに来る時です。その時,異邦人の時は終わり,世の王国は「わたしたちの主とそのキリストの王国」となります。―啓示 11:15。ダニエル 4:17,25。

      「七つの時」― どれほどの長さ?

      23 異邦人の時は今日にまで及んでいるに違いありません。なぜそう言えますか。

      23 ですから,異邦人の時に適用される「七つの時」が文字通りの7年よりずっと長いことは明白です。イエスが「事物の体制の終結」に関連して,この異邦人の時の終わりもしくは『成就』について語られたことを忘れないようにしましょう。(ルカ 21:7,24。マタイ 24:3)それで七つの時は,わたしたちの時代にまで及ぶものに違いありません。ではそれはどれほどの期間でしょうか。

      24 「七つの時」の長さについてはどのように説明できますか。

      24 啓示 12章の6節と14節を見ると,1,260日という期間が「一時と二時と半時」,すなわち1+2+1/2で合計三時半であることが分かります。したがって,「一時」は360日,すなわち各月を平均30日とする太陰暦の12か月です。「七つの時」は2,520日になります。「一年に対して一日,一年に対して一日」という聖書の預言的計算法は,七つの時が実際に暦年の2,520年という期間になることを示しています。(民数 14:34。エゼキエル 4:6)それゆえにこれが,「七つの時」― 異邦人の時 ― の持続期間となります。

      25 エレミヤ記 25章11節の「七十年」は,異邦人の時の始まりを測定するのにどのように関係してきますか。

      25 神の言葉を調べるなら,異邦人の時の始まった暦の上での日付を測定するのに助けになります。すでに述べたように,エホバは,バビロニア人がご自身の民を征服し,エルサレムとその神殿を破壊し,ゼデキヤを「エホバの王権の座」から除き,そしてユダヤ人をバビロンに捕らえ移すことを許されました。(歴代上 28:5)そのあと「第七の月に」起きた事件のために,その土地に残っていた少数のユダヤ人はエジプトへ逃げました。それでユダはその時完全に荒廃しました。(列王下 25:1-26。エレミヤ 39:1-10; 41:1-43:7)エホバの預言者エレミヤはその荒廃が70年間続くことを予告していました。(エレミヤ 25:8-11)それからエホバは『バビロンの王にその咎の責任を問い』,『ご自分の民をこの場所』,すなわち彼らの故国に『連れ戻されます』。―エレミヤ 25:12; 29:10。

      26 (イ)ダニエルはどんな出来事の目撃証人でしたか。そしてどんなことを悟りましたか。(ロ)回復に関するダニエルの預言が成就した年と月をどのように知ることができますか。(ハ)正確に言うとその日付はいつですか。

      26 ダニエル自身,流刑の身となってバビロンに何年も住みました。バビロンがメディア-ペルシャに破れた夜,ダニエルは,同市に対する自分の預言や他の多くの預言が成就するのを目撃しました。(ダニエル 5:17,25-30。イザヤ 45:1,2)歴史家たちはバビロンの陥落を西暦前539年10月の初めとみています。その後間もなく,ダニエルはエレミヤの預言から,70年の捕囚とエルサレムの荒廃がほとんど終わったことを悟りました。(ダニエル 9:2)ダニエルの考えた通りでした! ペルシャ王クロスの第1年 ― ほとんどの歴史家は西暦前538年の春に始まったと算定している ― に,クロスはユダヤ人が彼らの故国に戻って前のようにそこに住み,エホバの神殿を再建することを許す勅令を出しました。(歴代下 36:20-23。エズラ 1:1-5)霊感による歴史的記録を見ると,ユダヤ人はクロスの勅令に従って直ちに行動したため,「第七の月が到来したとき,イスラエルの子らはそれぞれの都市にいた」ことが分かります。(エズラ 3:1)現代の暦では,それは西暦前537年の10月になります。したがってその日付は,予告されていた70年の荒廃が終了した時を示すものとなります。

      27 (イ)それで70年はいつ始まったに違いありませんか。その時どんな出来事がありましたか。(ロ)「七つの時」はどれほどの長さでしたか。それでいつ終わったに違いありませんか。(ハ)ちょうどその時に他のどんな偉大な預言が成就し始めましたか。(ニ)「ものみの塔」誌はどんな情報を100年以上支持してきましたか。

      27 わたしたちにとってこの歴史的資料は,「諸国民の定められた時」の始まりを知るのに重要です。ユダとエルサレムの70年の荒廃が終わったのは西暦前537年ですから,それが始まったのは西暦前607年ということになります。それはゼデキヤがエルサレムにあった「エホバの王権の座」にすわらなくなった年です。ですからそれは異邦人の時の始まった年でもありました。西暦前607年の10月から計算すると,2,520年の「七つの時」が終わるのは西暦1914年10月の初めになります。すでに見たように,「事物の体制の終結」に関するイエスの偉大な預言が成就し始めたのはその時でした。この結論は神の言葉,聖書の中にある信頼できる資料に基づくもので,「ものみの塔」誌は今まで100年以上にわたりこれを支持してきました。

      28,29 (イ)一般の記録のどんな点を考えると,神の言葉の中に詳細な事柄が保存されていることに感謝を覚えますか。(ロ)異邦人の時の終わった時として他の日付よりも1914年10月の方を取る強い理由があるのはなぜですか。

      28 エホバが,西暦前6世紀のユダヤ人やバビロニア人,メディア・ペルシャ人などに関する,必要とされる詳細な点の明確な描写を,霊感によるみ言葉の中に保存されたのは,ほんとうに感謝すべきことです。さもなければ,その時代の一般の記録は確かに不備ですから,当時起きた出来事の正確な時をつなぎ合わせることは困難になるでしょう。

      29 しかし中には,おもにそのような一般の記録を根拠にして,エルサレムは西暦前587年から586年にかけて滅ぼされ,ユダヤ人はネブカデネザルの即位した年にバビロニア人に支配されるようになったと計算する人もいます。彼らはその時を西暦前605年と算定します。b ですから西暦前605年が,エレミヤ記 25章11節の,「地は皆荒地となり,彼らは異邦人の中で七十年間仕えるであろう」という言葉の成就し始めた年であると考えています。(バグスター社のギリシャ語セプトゥアギンタ)もしそれが正しく,異邦人の時がその年から数えられるとすれば,預言的「七つの時」は,世界戦争の行なわれていた1916年に終わったことになります。しかしわたしたちは,先にも述べたように,神の霊感による言葉の中の情報を受け入れるべき理由の方がずっと強いと信じています。そしてそれは,異邦人の時の始まりが西暦前607年の10月,そして終わりは西暦1914年の10月であることを示しています。

      30 どんな出来事が組み合わさって,1914年からの期間が「終わりの時」であることを明らかにしていますか。

      30 西暦29年におけるイエスのメシアとしての到来,また1914年から始まる栄光に輝く天の王としてのイエスの「臨在」の時期をきわめて明瞭に示す預言を,神がみ言葉の中に記録しておかれたことを,わたしたちはほんとうにうれしく思います。「事物の体制の終結」の時が経過する間に,わたしたちの周囲では,イエスが用心していなさいと言われた状態がますます悪化して行きます。世界大戦,飢きん,疫病,地震,不法,愛の欠如,憎しみ,聖書を擁護する者たちに対する迫害 ― これらが組み合わさってわたしたちに「終わりの日」を教えてくれているのです。―テモテ第二 3:1。マタイ 24:3-12。マルコ 13:7-13。

      千年統治 ― いつ?

      31 (イ)イエスはわたしたちの時代に対してどんな助言を与えておられますか。なぜですか。(ロ)わたしたちはどんな質問をしたくなりますか。エホバの答えはどんなものですか。

      31 この恐るべき状態はどれほど続くのでしょうか。キリスト・イエスは戦士なる王として即位しておられますから,神の敵に裁きを執行されるのはそれほど先のことではないと信じるだけの理由があります。「その日または時刻についてはだれも知りません」から,憶測するのはむだなことです。しかし,「見張っていなさい」というイエスの助言には注意を払わなければなりません。(マルコ 13:32。マタイ 24:42)地上の状態が悪くなっていくのを見,一般の人々が王国の良いたよりにいかに無関心であるかを経験すると,神の預言者と同じように,自分たちの行なう伝道について,「エホバよいつまでですか」と尋ねたくなるかもしれません。これに対してエホバは次のように答えておられます。

      「都市が実際に崩壊して廃墟となり,住む人もなく,家々に地の人が絶え,土地も破壊されて荒廃(する)まで」。(イザヤ 6:10-12)

      エホバはご自分が定めた時に,まずキリスト教世界に対して,それからサタンの世の他の部分すべてに対して,この裁きを執行されます。そしてその後すぐにキリストの平和の千年統治が始まります。―啓示 20:1-3,6。

      「この世代」とはどの世代?

      32 マタイ 24章34節を考えるとどんな質問が生じますか。

      32 「しるし」に関する偉大な預言の中でイエスは,「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と断言しておられます。(マタイ 24:34)イエスは1世代がどれほどの長さかを明確に述べておられないので,わたしたちは「この世代」という言葉をどのように解釈すべきでしょうか。

      33 (イ)イエスの時代の「世代」とは何でしたか。(ロ)それに対応して,1914年から1918年の「世代」については何と言えますか。

      33 イエスの時代には,イエスの言葉を聞いた弟子たちの一部,またイエスと同時代の他の人々が,ユダヤ人の事物の体制の最後の「患難」の後まで生き残りました。彼らはイエスの時代の「世代」でした。この本を書いている現在,アメリカだけでも,1914年から1918年の「苦しみの劇痛のはじまり」をその当時すでに気付く年齢に達していた人たちがまだ1,000万人以上生きています。その人たちはこれからまだかなり生きることでしょう。しかしイエスは,「この世代」が過ぎ去らないうちに,「人の子」として到来し,サタンの事物の体制に裁きを執行することを約束しておられます。(マタイ 24:8,21,37-39)その『王国の来る』ことを予期して,わたしたちは常に目ざめていなければなりません。―ルカ 21:31-36。

      [脚注]

      a 「新約聖書の絵画的表現」第1巻,188ページ。

      b 付録185ページを参照。

      [135ページの囲み記事]

      「七つの時」の計算

      七つの「時」=7×360=2,520年

      (聖書の一「時」または一年は,354日の太陰年と,365 1/4日の太陽年の中間である)

      西暦前607年から西暦前1年までは, 606年

      西暦前1年から西暦1年までは, 1年

      西暦1年から西暦1914年までは,1,913年

      西暦前607年から西暦1914年までは,2,520年

      [139ページの囲み記事]

      「1914年の世代」

      この主題の本の中でロバート・ウォールは,「世代は年数で数学的に定義できるものではない。むしろ大きな歴史的危機を中心に群がるものである。第一次世界大戦などはその最も良い例である,と述べている」― エコノミスト誌,1980年3月15日号

  • 王国の忠節な擁護者たち
    「あなたの王国が来ますように」
    • 15章

      王国の忠節な擁護者たち

      1 ダニエルはどんな大きな出来事を予告しましたか。

      ダニエルの預言は,非常に早くから西暦29年をメシアが人間として現われる年,西暦1914年をメシアが天の栄光ある王位につく年として,正確に指摘していました。ダニエルはまた,世界支配をめぐる大論争がどのように決着するかも詳細に預言しました。

      2 どんな論争に判定が下されなければなりませんか。それはどの法廷で下されますか。

      2 今や地の正当な支配権に関する大論争に最終的な判定が下されねばなりません。しかしそれはどの法廷でなされるのでしょうか。むろん,全宇宙の最高法廷です。ダニエルはこれを次のように描写しています。

      「わたしが見ていると,ついに幾つかのみ座が置かれ,日の久しい方が座られた。その衣服は雪のように白く,その頭の毛は清い羊毛のようであった。その方のみ座は火の炎で,その車輪は燃える火であった。そのみ前からは火の流れが流れ出ていた。その方に仕えている者は千の数千,そのすぐ前に立っている者は一万の一万倍いた。法廷が開かれ,開かれた幾つかの書があった」― ダニエル 7:9,10。

      3 (イ)裁くのはだれですか。(ロ)「書」は何を示しますか。(ハ)どんな判決が下されますか。

      3 「とこしえの王」なるエホバ神はこうして裁きの座に就かれます。(啓示 15:3)しかし,神の前に開いたまま置いてある「書」とは何でしょうか。それらの書は,諸国民が歴史を通じて作り上げた,支配権に関する惨めな記録です。西暦1914年に異邦人の時が終わったので,「法廷」は当然『彼らの支配権』の権威を取り去ります。もっとも,「ある時と季節の間」― ハルマゲドンで実際に裁きが執行される時まで ―『彼らの命は延ばされ』ます。―ダニエル 7:12。啓示 16:14,16。

      4,5 (イ)支配権はだれに与えられますか。(ロ)王の臨在はどんな方法によってのみ認められますか。

      4 では支配権はだれに与えられるでしょうか。ダニエルは続けてこう述べています。

      「わたしが夜の幻の中で見ていると,見よ,天の雲と共に人の子のような方が来た。彼は日を経た方に近づき,彼らは彼をその方のすぐ前に連れて来た。そして,この方には支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国民,またもろもろの言語の者が皆,この方に仕えるためであった。その支配権は,過ぎ去ることのない,定めなく続く支配権で,その王国は滅びに至ることのないものである」― ダニエル 7:13,14。

      5 この「人の子のような方」はだれでしょうか。それは栄光を受けられた主イエス・キリスト以外の何者でもありません。「天の雲」は不可視性の象徴ですから,わたしたちは,西暦1914年の「苦しみの劇痛のはじまり」の時に地上に生じた出来事ではっきりしてきた「しるし」を見,それに加えて鋭い信仰の目で,天に現われるキリスト臨在の「しるし」を読み取るのです。―マタイ 24:3,7,8,30。啓示 1:7。

      6 (イ)ほかのだれに関して判決が下されますか。(ロ)彼らは何を受けますか。どのように受けますか。

      6 ダニエルの預言によると,次に「至上者の聖なる者たちに有利な」裁きが下され,彼らも「王国と,支配権と全天下のもろもろの王国の偉観」とを与えられます。(ダニエル 7:22,27)この「聖なる者たち」とはだれでしょうか。彼らが,人間の政府内の,長期間人々を圧迫してきた,腐敗した,自己中心的な支配者たちと対照的であることは明らかです。それはほかならぬ14万4,000人の油そそがれた「聖なる者たち」です。その忠誠について言えば「きずのない」者であり,天の王国で「人の子」の共同支配者となるために「人類の中から買い取られた」人間です。彼らは人の子のところへ行って一緒になるために「終わりの日」に復活させられます。(啓示 14:3-5。マタイ 24:30。ヨハネ 6:40)イエスが王国に入られる時に,これら「聖なる者たち」の残りの者は,地上で活躍しています。彼らにはなすべき仕事があるのです!

      神の言葉を擁護する

      7,8 (イ)どのグループが,いつ,準備の業を始めましたか。(ロ)彼らは何を捨てましたか。(ハ)彼らは忠実に何を擁護しましたか。(ニ)彼らは前もってどの日付を指摘しましたか。(ホ)彼らは神の王国の宣伝にどんな道具を用いてきましたか。

      7 「人の子」が王国を受け継ぐ時が近付いたとき,その準備の仕事をこの地上で行なうことは神のご意志であったと思われます。1870年代にチャールズ・T・ラッセルは,米国ペンシルバニア州,ピッツバーグで,献身したクリスチャンたちの小さなグループを組織しました。彼らはすぐに,キリスト教世界の宗教がバビロン的教理や儀式,またプラトンの霊魂不滅の教理に基づくもので,神の言葉に基づいていないことに気付きました。偽りの宗教を捨てたこの小さなグループは,イエスの贖い,復活,苦しむ人類の希望としての神の王国など,聖書の教えの忠実な擁護者となりました。

      8 1879年の7月から継続的に発行されている「ものみの塔」誌を通して,ラッセルとその仲間はダーウィンの進化論と対立する聖書の創造の教えを率直に擁護しました。また,“この世を去った魂”の行く火の燃える責め苦の場所など初めからなく,聖書の「地獄」は墓であることを聖書から示して,『地獄にホースを向けました』。(詩 16:10。使徒 2:29-32)彼らは西暦1914年を,神の王国の『来る』ことと関係のある顕著な年として指摘しました。100以上の言語で毎号何百万部も発行されている「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」誌は,今日に至るまで,キリストによる神の王国を諸国民の唯一の希望として忠節に擁護しています。―マタイ 12:21。詩 145:10-12。

      9 啓示 11章7-12節はこれらの「証人」にどのように成就しましたか。

      9 ものみの塔協会の初代会長として30年以上忠実に奉仕したC・T・ラッセルは,1916年10月31日に死亡し,その後J・F・ラザフォードが会長となりました。僧職者たちは戦時の状態を利用して王国の音信に対する反対をあおり立てました。クリスチャンの集会は解散させられ,多くの国で神の忠実な僕たちが投獄されました。ニューヨーク市,ブルックリンにあるものみの塔本部の,ラザフォードおよび他の7人のおもだった奉仕者たちは,長期の禁固刑に処されました。しかしそれら神の僕たちは少しもろうばいしませんでした。そのような迫害が臨むことは聖書に預言されていたからです。例えば,啓示 11章7-12節には,「野獣」で象徴される世の諸国家が神の「証人」と戦い,「彼らを征服して殺す」と述べられています。彼らは預言することをやめさせられ,比ゆ的に言って,悪臭を放つまでに長くキリスト教世界の「大通り」にさらされたしかばねのようになります。このことはすべて生じました。世界中の神の僕たちは,一般の人の嘲笑の的となりました。しかし,戦時の病的興奮もさめ,投獄されていた人々が,かけられた偽りの嫌疑も完全に晴れて釈放された時,「神からの命の霊が彼らに入り」ました。彼らは神の恵みを受ける立場に高められ,1919年から熱心な王国活動の期間に入りました。―イザヤ 52:7,8。ローマ 10:15。

      「大いなるバビロン」は倒れる!

      10 キリスト教世界の宗教はどんな罪を,どのように犯しましたか。

      10 その間,キリスト教世界の僧職者は先に立って真のクリスチャンたちを迫害したばかりでなく,神の王国が近いことを示す証拠を退けました。彼らには彼ら独自の宗教「王国」,つまり「大いなるバビロン」がありました。(啓示 17:5,6,18)彼らは両陣営で,若者たちを説得してざんごうに送り込み,その恐るべき殺りくを心から支持しました。そのためにキリスト教世界の僧職者は依然重い流血の罪を負っています。その点,古代エルサレムの宗教指導者たちに似ています。エホバの預言者は彼らに対して言いました。「あなたのすそには,罪のない貧しい者たちの魂の血こんが見いだされた」― エレミヤ 2:34; 19:3,4。マタイ 23:34,35も参照。

      11 エゼキエル書 22章3,4,16節はどのようにキリスト教世界に当てはまりますか。

      11 キリスト教世界は偶像崇拝を行ない,偽りのバビロン的教理を教えてきましたが,今やこれに流血の罪が加わりました。そのために預言者エゼキエルの次の言葉は,背教したキリスト教世界にも当てはまるようになりました。

      「主権者なる主エホバの言われたことはこうである。『自分の時が来るまで,その中で血を流し,自分のうちで糞像を作って,汚れた者になろうとした都市よ,あなたは自分の流したその血によって有罪となり,自分の作ったその糞像によって汚れた者となった。そして,あなたは自分の日を近づかせ,自分の年に至るであろう。それゆえに,わたしは必ずあなたを諸国民のそしりの的,もろもろの国の嘲弄の的とする。また,あなたは諸国民の目の前で,自分自身のうちで必ず汚され,わたしがエホバであることを知らねばならなくなるであろう』」― エゼキエル 22:3,4,16。

      12 (イ)1919年にどんな重要な出来事が起きましたか。(ロ)地上の神の民はこれからどのように益を受けましたか。

      12 キリスト教世界の流血の罪を持つ宗教は,同世界が崇拝すると言う ― しかしそのみ名を用いることは好まない ― その神エホバに捨てられました。西暦1919年,キリスト教世界は全世界のすべてのバビロン的宗教とともに倒れてしまいました。もはや至高者のみ前にどんな立場を得ることもできません。またエホバの真の崇拝者たちを抑制することもできません。偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの他の部分についても同じことが言えます。というのは「主権者なる主エホバ」は地上の忠実な「聖なる者たち」に次のように呼び掛けられたからです。

      「『わたし,エホバはあなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である』。あなたがたはバビロンから出よ!……喜びの叫び声を上げて告げ知らせ,これを聞かせよ」。(イザヤ 48:16,17,20)

      この「喜びの叫び声」とは何でしょうか。そしてこれはどこで聞かれますか。

      世界的証言の開始

      13 (イ)「喜びの叫び」のどんな面が今顕著になりましたか。(ロ)どんな呼び掛けが高らかに響き渡りましたか。

      13 「人の子」はこの「喜びの叫び」の顕著な面を,「事物の体制の終結」に関する預言の中で,次のように表現されました。

      「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:3,14,37)

      しかし「聖なる者たち」はこの業を成し遂げるために組織される必要がありました。また彼らはそれを人間の力だけで成し遂げることはできませんでした。幸いにして1919年に,そしてまた1922年に,アメリカ,オハイオ州,シーダーポイントで国際大会が開かれ,エホバの霊が驚くべき方法で彼らの上にそそがれました。その霊は『王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝する』よう彼らを組織しまた力付けました。(マタイ 24:31)天的希望をしっかりと抱くそれら「選ばれた者たち」の前途には,大きな業が待ち受けていました。

      14 ヨエルの預言はその時どのように大規模に成就しましたか。

      14 ヨエルの預言が,ユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」の間の,西暦33年のペンテコステに成就したように,今やその預言は,サタンの世の体制の「終わりの日」の間に大規模に成就し始めました。神の霊によって啓発され動かされた現代の油そそがれたエホバの「息子や娘たち」は,「エホバの大いなる畏怖の念を起こさせる日」が近付いていること,また救われるためには「エホバの名を呼ぶ」ことが緊急に必要であることを世の人々に警告する仕事に着手し,確かに「必ず預言」しました。―使徒 2:16-21。ヨエル 2:28-32。

      忠実な「奴隷」

      15 (イ)「忠実で思慮深い奴隷」とはだれのことですか。(ロ)それは現代において再びどのように見分けられますか。

      15 「しるし」に関する偉大な預言の中でイエスは次のように問い掛けておられます。

      「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか」。

      忠実な「奴隷」級は大規模な背教が始まるまで,初期クリスチャンたちの間で奉仕してきました。主イエスがその王国に入られる時にも,霊的食物を与えるそのような「奴隷」の組織があるのでしょうか。確かにあります。当時「聖書研究者」と呼ばれた人々は世界的な規模で準備を行ないました。そしてイエスは言われました。

      「主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。あなたがたに真実に言いますが,主人は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」― マタイ 24:45-47。

      16 (イ)「奴隷」は主人の「持ち物」をどのように管理してきましたか。(ロ)その「奴隷」はどんな聖書的名前を喜んで受け入れましたか。

      16 油そそがれた複合の「奴隷」は主人からこの任務を与えられたことを感謝し,地上における王国の関心事をよく管理し,「良いたより」が公に伝えられるよう努めてきました。1920年代にはサタンとその組織,特にバビロン的宗教に対して強力な裁きの音信が宣明されました。1931年には「奴隷」は,すべての偽りの宗教とはっきり区別される名前,すなわち「エホバの証人」という名前,および預言者イザヤが次のように示した責任と特権とを,喜びをもって受け入れました。

      「『あなたがたはわたしの証人である』と,エホバはお告げになる,『すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。……わたしが ― わたしがエホバであり,わたしのほかに救う者はいない。……あなたがたはわたしの証人である』とエホバはお告げになる,『わたしは神である』」― イザヤ 43:10-12。

      17 どんな質問に対する答えが今必要ですか。

      17 その「奴隷」は,油そそがれた成員が何万という数しか残っていないのに,どのようにして『王国のこの良いたよりを証しとして人の住む全地に宣べ伝える』のでしょうか。エホバは間もなくその答えを与えてくださいました。

      [148,149ページの図版]

      聖書の主題は王国

      王国の「胤」に関するエデンの園での約束

      アブラハムとダビデを通して予告された王である「胤」

      王国の伝道 ― 王の贖いの犠牲

      王国の設立 ― 1914年から「終わりの日」

      王国が『来て』人間の支配を終わらせる

      千年王国によるパラダイスの回復

  • 「大群衆」は王をたたえる
    「あなたの王国が来ますように」
    • 16章

      「大群衆」は王をたたえる

      1,2 (イ)エホバはイザヤ書 60章22節の預言をどのように成就し始められましたか。(ロ)1935年に,神の真理に関してどんな驚くべきことが示されましたか。

      エホバは預言者を通して宣言されました。「小さいものが千となり,小なるものが強大な国民となる。わたしエホバが,その時に速やかにそれを行なう」。(イザヤ 60:22)確かにエホバは「速やかにそれを行ない」始められました。1935年にエホバの証人は,アメリカのワシントン特別区で大会を開きました。そしてその大会で,エホバが「ほかの羊」の「大群衆」― 神の王国が『来る』ことによってパラダイスの地上で永遠の命を得る,神を恐れる人々 ― を集め始められたことが知らされました。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9。

      2 そのことは啓示 7章に描写されています。14万4,000人の王国相続者の「小さな群れ」に証印が押された「あと」,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が」,神のみ座の前に立っているのが見られます。彼らはキリストを通して行使されるエホバの主権を認めており,喜びをもって救いを神と子羊に帰します。彼らはグループとしては死ぬ必要がありません。このグループは「大患難から出て来る者たちで」,清められた地で永遠の命を継ぐからです。―啓示 7:4,9,10,14。ルカ 12:32。

      3 (イ)「小さいもの」はほんとうに「千」となりましたか。(ロ)啓示 7章15-17節の成就にあなたはどのようにあずかれますか。

      3 あなたは現在すでにこの崇拝者の「大群衆」の中に場を占めていますか。世界の至る所で『神に神聖な奉仕をささげて』いる200万を超える大群衆の一人ですか。確かにあなたは依然サタンの邪悪で圧制的な世の中におり,日々の生活の中で多くの圧力に耐えていかねばならないかもしれません。それでも,主の「羊」の一人であるなら,あなたは神の保護の下にあるのです。霊的食物の不足のために飢えたり渇いたりする必要はもうありません。神の激しい不興を恐れる必要はもうありません。子羊はあなたを牧し,あなたを「命の水の泉」に導くからです。こうしてあなたは比ゆ的な方法ですでに,「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られる」という約束の成就にあずかっているのです。―啓示 7:15-17。

      王はその「羊」を祝福する

      4 イエスとイエスの「小さな群れ」とはどんな関係にありますか。

      4 聖書時代から現在に至るまで,東洋の羊飼いは自分の羊とたいへん親しい関係を持っています。羊飼いはそれぞれの羊を名前で呼び,そして羊は羊飼いの声を知っていて,羊飼いが囲いに入れたり,囲いから出したりする時に素直に従います。ヨハネ 10章の中でイエスはこのことを例に取り,まずご自分と油そそがれた追随者14万4,000人の「小さな群れ」との愛情深い関係を示し,こう言っておられます。「わたしはりっぱな羊飼いであり,自分の羊を知り,わたしの羊もわたしを知っています。ちょうど父がわたしを知っておられ,わたしが父を知っているのと同じです。そしてわたしは羊のために自分の魂をなげうちます」。これらの羊は「アブラハムの胤」の一部となり,彼らを通して地上の「すべての家族」は自らを祝福することになっています。―ヨハネ 10:14,15。創世 12:3。ガラテア 3:28,29。

      5 (イ)ヨハネ 10章16節には,さらにどんな喜ばしい関係のことが述べられていますか。(ロ)「ほかの羊」は今どんな特権を享受していますか。このグループには将来どんな見込みがありますか。

      5 では,「りっぱな羊飼い」と地上で永遠に生きる人間家族とはどんな関係にあるでしょうか。その関係はきわめて祝福されたものです! というのは,彼らについてイエスはこう言っておられるからです。

      「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの[「小さな群れ」の]囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。

      今日では,この「ほかの羊」の「大群衆」が「小さな群れ」とともに草を食んでいるところが見られます。彼らはみな心を一つにして彼らの羊飼いの「声」に従い,『王国のこの良いたよりを人の住む全地で宣べ伝え』ています。もしあなたがその一人であるならば,あなたは幸せな人です。(ヨハネ 10:16。マタイ 24:14)王国が支配するようになると,地球に正しい人間を住まわせるという神の目的は完成に向かって進み,「ほかの羊」の数は,死者の復活によって幾十億にも増加するでしょう。―創世 1:28。

      6 イエスの預言は「ほかの羊」の存在が顕著になる時をどのように示唆していますか。

      6 「事物の体制の終結」の時に「ほかの羊」の存在が顕著になってくることは,イエスがご自身の臨在の「しるし」に関する預言を終えるときに語られた例えから分かります。(マタイ 24:3)イエスはこう言われました。

      「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう」。(マタイ 25:31-33)

      栄光に満ちた王とそのみ使いたちは人間の目に見えないのに,どのようにしてその分ける業を行なうのでしょうか。

      7 (イ)分ける業はどのように指導されますか。(ロ)有利な裁きを受けるためには何をしなければなりませんか。なぜですか。

      7 聖なるみ使いたちがその業を導くのです。(啓示 14:6-12。使徒 8:26-29; 10:1-8と比較。)そしてこの地上では,マタイ 25章40節で王の「兄弟」と呼ばれている「小さな群れ」の残りの者たちが率先して「良いたより」を宣べ伝えます。王は,ご自身の「兄弟」たちに対する,また彼らが宣明する王国の音信に対する反応によって人々に裁きを下します。王はご自身の「兄弟」に対して人々が行なうことを,ご自分に対してなされたものとみなされるのです。王の「兄弟」を温かく迎える人々には祝福を受ける見込みがあります。あなたもその一人でしょうか。むろん,そこでとどまるのではなく,心から王国の音信を受け入れ ―「ほかのだれにも救いはない」ゆえに ― イエスの名によって献身し,バプテスマを受け,エホバの僕とならなければなりません。―使徒 4:12。マタイ 25:35-40。

      8 あなたはどんな招待と約束にあずかることができますか。

      8 主の「ほかの羊」の一人として,あなたは将来に何を期待できるでしょうか。「りっぱな羊飼い」であり,「王」である方の「声」に従うならどんな結果になりますか。判決を下すにあたって王は,恵みの側であるご自身の右側にいる謙遜な「羊」に対し,「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」と言われます。あなたは,わたしたちの父から来るこの王国の祝福にあずかることを期待できるのです。『義なる者たちは永遠の命にはいる』からです。(マタイ 25:34,46)そうです,あなたはイザヤ書にあるような多くの預言的約束の成就にあずかることを期待できるのです。そのイザヤ書にはエホバについて次のように述べられています。「神は実際に死を永久にのみ込み,主権者なる主エホバはすべての顔から必ず涙をぬぐわれる。また,ご自分の民のそしりを全地から取り去られる。エホバご自身がそう語られたからである」。悪人はあなたに非難を浴びせるかもしれませんが,それもいましばらくの間です。神の約束によると,エホバに希望を置く者はみな,間もなく,「新しい地」でほんとうに良いものの「宴」に入るからです。あなたもその「宴」にあずかりたいと思いませんか。―イザヤ 25:6-9; 66:22。

      「やぎ」と迫害

      9,10 (イ)義を追い求めることが今日やさしくないのはなぜですか。(ロ)反対者たちに対してどんな態度を取るべきですか。神からのどんな助けを期待することができますか。

      9 この「終わりの日」に義の道を追い求めることは,あなたにとってやさしくないかもしれません。サタンとその手先はあなたを嘲笑するかもしれません。彼らはこの地球とその上の人類を破滅させるための最後の試みに全力をあげているからです。(ペテロ第二 3:3,4。テモテ第二 3:1)あなたが王国の音信を携えて隣人を訪ねるとき,中にはやぎのような気質を示す人がいるかもしれません。つまり無関心な態度や失礼な態度を取ったり,あからさまに反対するかもしれません。―マタイ 25:33,42-45。

      10 しかし,あなたは主の「羊」の一人ですから,だれが「やぎ」であるかないか裁こうとすべきではありません。裁くのは王であって,この地上にいる王の「羊」ではありません。(ローマ 14:10-12と比較。)「良いたより」の宣明者になったために反対に遭うかもしれませんが,神はあなたが神のご意志を行なうよう強めてくださるのです。使徒ペテロはこのことを示して,「あらゆる過分のご親切の神は,自らあなたがたの訓練を終え,あなたがたを確固とした者,強い者としてくださるでしょう」と述べています。(ペテロ第一 5:10。コリント第二 12:10と比較。)また使徒パウロの次のような立派な忠告もあります。「[王国についての]自分の務めを怠ってはなりません。霊に燃えなさい。エホバに奴隷として仕えなさい。希望によって喜びなさい。患難のもとで耐え忍びなさい。たゆまず祈りなさい」― ローマ 12:11,12。

      11 模範的なクリスチャンの振舞いゆえにどんな喜ばしい結果が得られるかもしれませんか。

      11 あなたの忠節な奉仕とエホバに対する熱心な祈り,クリスチャンにふさわしい模範的な振舞いなどから,最初「やぎ」のように見えた人の中にも,結局は「羊」になる人も出てくるかもしれません。クリスチャンの妻の忍耐強い,敬意のこもった行状は,「ことばによらず」に未信者の夫を得るのに著しく効果のあることがよくあります。(ペテロ第一 3:1,2)確かにわたしたちは人々が「永遠の切断にはいる」のを見たくありません。むしろ,永遠の命を得られるように,やぎに似た気質を脱ぎ捨てるのを助けたいと思います。―マタイ 25:41,46。

      忠節な「羊」は忠誠を保つ

      12 王の「兄弟」と「羊」は現代どのように支え合っていますか。

      12 王の「兄弟」たちが病気の時や投獄されている時に,イエスの例えの「羊」がわざわざ出かけていって彼らに仕えるのは注目すべき点です。今日,地球上のある場所では,「小さな群れ」だけでなく,彼らと一致して非常に忠節に奉仕している「ほかの羊」たちも,窮乏や迫害,病気,投獄などを経験してきました。例えば,ナチスのヒトラーが世界支配を目指して活動していた1933年から1945年の間に,エホバの証人は最初のうちはナチやファシストの国で,後にはすべての交戦国で激しい迫害を受けました。「小さな群れ」の中にも,主の「ほかの羊」の中にも,殺された者が少なくありませんでした。しかし彼らは,王とその王国に対する忠誠を固く保ち,見事に勝利を得ました!

      13,14 キリスト教世界の宗教の態度と,エホバの証人のそれとのどんな違いが指摘されましたか。

      13 キリスト教世界の宗教の妥協的な態度と,迫害下のエホバの証人の忠誠との相違について,歴史家たちはしばしば意見を述べました。例えば1976年にイギリスのロンドンで発行された「キリスト教の歴史」という本の中でポール・ジョンソンは,ヒトラー支配下のドイツにおけるカトリック教会と福音教会についてこのように述べています。「概して言えば,両教会とも同政権に強力な支持を与えた。カトリックの司教たちは,『ドイツ国の威信が新たに強調される』のを歓迎した。ボルネバッセル司教は,トリール大聖堂においてカトリック教徒の青年たちに対し,『我々は頭を高く上げ,しっかりした足どりで新しいドイツ帝国の時代に入った。我々は心身両面で全力を尽くし帝国に仕える決意を固めている』と語った。ヒトラーは1934年の1月に福音教会の指導者12人と会っており,その会談後それらの指導者は……『ドイツ福音教会の指導者たちは,一致して第三帝国とその指導者たちに無条件の忠誠を確約する』ことを誓うコミュニケを発表した」。

      14 次いで筆者は彼の言う,「主義を曲げなかった」,クリスチャンと公言していた少数の人々についてこう述べています。「最も勇敢だったのはエホバの証人であった。彼らは最初から教理に基づく反対を公然と表明し,そのために苦しめられた。彼らはナチ国家をまったく邪悪なものとして非難し,同国家への協力を一切拒否した……。兵役を拒否して死刑の宣告を受けた者も少なくなかった……。あるいはダハウや精神病院で最期を遂げた者たちもいた。3分の1は実際に殺され,97%は何らかの形の迫害を受けた。彼らはヒムラーをして感嘆せしめた唯一のクリスチャンのグループであった」。

      15 (イ)あなたはここに掲げられた典型的な手紙を読んでどんな気持ちになりますか。(ロ)第二次世界大戦中サタンは何をしようとしましたか。サタンが失敗したことを示すどんな証拠がありますか。

      15 若いエホバの証人たちは,平和主義者としてではなく,来たるべき神の王国を支持しているために中立の立場を取るクリスチャンとして,ここに掲載されている典型的な“最後の手紙”が証ししているように,忠誠を曲げるよりもむしろ投獄や処刑を選んだのです。枢軸国側にいようと連合国側にいようと,王の「兄弟」とその仲間の「羊」たちは世界中至る所で暴徒に襲われ,打ちたたかれ,投獄され,虐待されました。しかし彼らはその霊的闘いに勝利を得ました。悪魔は王国に対する彼らの忠誠をくじくことができなかったのです。先にイエスがされたように,彼らはサタンの世の『ものでない』ことを証明しました。―ヨハネ 15:19。

      王国の教育計画

      16,17 (イ)次にどんな教育計画と業の拡大が始まりましたか。(ロ)この業のどんな成果が見られていますか。

      16 ものみの塔協会の会長,J・F・ラザフォードは1942年に死亡し,そのあとを継いでネイサン・H・ノアが会長になりました。その後間もなくエホバの証人のすべての会衆に神権宣教学校が設けられ,それらの学校は,王国の音信を人々に一層効果的に,また説得力をもって語るよう男女の証人を訓練する上で計り知れない貢献をしました。この学校のために何年かにわたって種々の教科書が作られました。宣教者の分野も見過ごしにはされませんでした。1943年2月1日,ニューヨーク州にものみの塔ギレアデ聖書学校が開設されました。世界の多くの国から経験を積んだ何千人もの全時間奉仕者(「開拓者」)がアメリカに招かれ,訓練を受け,「王国のこの良いたより」を宣べ伝えるため世界中に送り出されました。―マタイ 24:14。ローマ 10:18。

      17 この世界的な教育活動は驚くべき結果を生みました。年に1度のイエスの死の記念式でパンとぶどう酒にあずかり,イエスの天の王国でイエスとともになる希望を示す人々の総数は,1980年代に入って1万人以下に減少しました。王の「兄弟」たちのうちのさらに多くの人が忠誠を尽くして地上での生涯を終えているからです。しかし王国の臣民として地上で永遠に生きることに関心を持つ他の出席者の総数は570万人を上回りました。今日では,全世界の4万3,000を超えるエホバの証人の会衆の中で「ほかの羊」の「大群衆」のほうが,証言の業をはるかに多く行なっています。あなたにもその一人になるすばらしい機会があるのです。

      18 (イ)「忠実で思慮深い奴隷」はどのようにその奉仕を続けてきましたか。(ロ)あなたは今どんな重要な業に参加できますか。

      18 イエスの「小さな群れ」の油そそがれた残りの者,つまり「忠実で思慮深い奴隷」級は,数は次第に減少して行きますが,王国の活動を引き続き監督します。(マタイ 24:45-47)これを成し遂げるために「忠実で思慮深い奴隷」級は,1世紀のクリスチャン会衆にあったのと同様の取決めである統治体を通して働きます。(使徒 15:6。ルカ 12:42-44)1977年にN・H・ノアが死亡し,フレデリック・W・フランズが83歳でものみの塔協会の第4代会長となりました。そして1979年7月1日に「ものみの塔」誌そのものが100歳を迎えました。その背後には100年にわたる王国の証言があります。そうです,印刷物や口頭によって,樹立された王国の「この良いたより」は証しのため全世界に宣明されてきたのです。あなたはイエスが残された模範に従ってこの業を行なう特権にあずかっていますか。パウロは次のように勧めました。

      「彼を通して常に賛美の犠牲を神にささげましょう。すなわち,そのみ名を公に宣明するくちびるの実です」― ヘブライ 13:15。

      19 (イ)パウロは「心」と「口」が関係したどんな道を歩むことを勧めていますか。(ロ)時宜にかなったどんな質問が提出されていますか。あなたはこれにどのように答えますか。

      19 パウロはまた別の手紙の中で,「人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をする」と述べています。(ローマ 10:10)あなたは「良いたより」に信仰を働かせていますか。今この良いたよりの焦点は1914年以来天に建てられている神の王国にあります。あなたは,神の王国が地からサタンの組織を除き去るため大いなる破壊力をもって『来る』ことを祈りつつ,『救いのために口で公の宣言をして』いますか。神のご意志が間もなく「天におけると同じように,地上においても成され」,そのとき全人類に満ちわたる王国の祝福について『公にまた家から家に』行って熱心に他の人たちに伝えていますか。王国の音信を「全地に……人の住む地の果てにまで」響かせることに,そして『すべての国の人々を弟子とし,彼らにバプテスマを施し,また彼らを教える』業に絶えず率先する真のクリスチャンの油そそがれた「忠実で思慮深い奴隷」級を忠節に支持していますか。―マタイ 6:10; 24:14,45-47; 28:19,20。使徒 5:42; 20:20。ローマ 10:18。

      20 あなたは今どんなすばらしい特権を楽しむことができますか。

      20 あなたはこうして『神のみ座の前で昼も夜も神聖な奉仕をささげる』すばらしい特権を楽しむことができるのです。それは同時に,美しくされる地上で永遠の命を受け継ぐ「大群衆」の一人となることでもあります。(啓示 7:9-17)しかし王国は『来て』まずハルマゲドンの戦いをしなければなりません。ハルマゲドンは人類とこの地球にとって何を意味するでしょうか。

      [159ページの囲み記事]

      死に至るまで中立の立場を守る

      第二次世界大戦中,多数の若いエホバの証人は,命をなげうって中立の立場を守った。下記の手紙は,それら勇気ある証人たちが自分の家族にあてて書いた“最後の手紙”の典型的なものである。当時23歳であった,アルザス-ロレーヌ出身のマルセル・スッテルは,1942年8月,ドイツのトルガウ刑務所で断頭台に登る数時間前にこの手紙をしたためている。

      「心から愛するお父さんとお母さん,そして妹たちへ

      「この手紙がそちちに届くころには,私はもう生きていません。あと数時間で私は死ぬでしょう。どうぞ力を落とさず,勇気を持ってください。泣かないでください。私は勝利を得たのです。私は走るべき道のりを走り通し,信仰を保ちました。今は最後までエホバ神のご援助があることを祈るのみです。私たちの主イエス・キリストの王国は遠い先のことではありません。間もなく,平和で義にかなった,もっと良い世界で再会することになるでしょう。その日を考えると胸が躍ります。それからあとはもう嘆き悲しむことはなくなるのです。それはどんなにすばらしいことでしょう! 私は平和を切に望んでいます。この最後の数時間,お父さんやお母さんや妹たちのことを考えていました。別れの口づけができないことを思うと少し心が痛みますが,がまんしなければなりません。エホバがそのみ名の正しさを立証され,唯一まことの神であることを全被造物に対して立証される時は近付いています。最後の時間をエホバにささげたいと思いますので,これでペンを置きます。また会う日までさようなら。私たちの神エホバが賛美されますように。心からの愛とあいさつを送ります。

      あなたの愛する息子また兄弟

      マルセルより

  • ハルマゲドンで戦う王
    「あなたの王国が来ますように」
    • 17章

      ハルマゲドンで戦う王

      1,2 世の人々はハルマゲドンについてどんなことを言ってきましたか。

      第二次世界大戦が終わりに近付いた時,アメリカのマッカーサー元帥はこのように語りました。「人間は世の初めから平和を求めてきた。……軍事同盟,力の均衡,国々の連盟などを試みたが,いずれも相次いで失敗に終わり,戦争の苦しい試練の道のみが残された。しかし,戦争の破壊力がここまで増大した今は,この道も閉ざされる。これが最後の機会である。もしより優れた,より公正な体制が考え出されなければ,我々はハルマゲドンを迎えることになるであろう」。

      2 それから約35年後,諸国家はこの「最後の機会」をどう用いたでしょうか。英紙ロンドン・タイムズは「ハルマゲドンを恐れる西ドイツ」という見出しで次のように伝えました。「国際情勢が急速に制御しにくくなっていくように見えるため,戦争の妖怪がまた戻ってきて西ドイツを徘徊している」。米紙マイアミ・ヘラルドの社説記者は「暗黒によろめき込む世界」という題の記事の中で,「ハルマゲドンは聖書に出てくる単なる寓話ではなく本物である」ことが分かってきただろうかと読者に問い掛け,さらにこう付け加えています。「過去数年間の激変的な出来事を総合して考えれば,世界が歴史の新たな出発点にあることは,たいていの人なら分かるはずである。……人間の生活様式は永久に変化するだろう」。

      3,4 ハルマゲドンに対する聖書の見方はそれとどのように異なっていますか。

      3 人類が大きな変化を迎えようとしていることは事実です。しかしわたしたちは今ハルマゲドンに直面するのでしょうか。ハルマゲドンにはどんな意味がありますか。

      4 興味深いことに,ハルマゲドンは,ほとんどの人々が考えているものとは違います。というのは,聖書はハルマゲドンでの戦争を,地上の国家間,あるいは国家ブロック間の激変的な戦争ではなく,「全能者なる神の大いなる日の戦争」として描いているからです。ハルマゲドンは「人の住む全地の王たち」,つまり神の王国が『来て』神のご意志が地上で行なわれる時,それに服そうとしない支配者たちに対する神の戦いです。(詩 2:6-12。ダニエル 2:44)それは,メシアの平和な千年統治への道を備えるために,邪悪な国々と人々を滅ぼす,神の偉大なみ業なのです。―啓示 16:14,16。詩 46:8,9; 145:20。ヨエル 3:9-17。ナホム 1:7-9。

      戦いへの予備行為

      5 啓示 17章の「大娼婦」はどのように見分けられますか。

      5 啓示の16章から18章には,ハルマゲドンにおける戦争の直前に地上で起こるさまざまな出来事について多くのことが述べられています。その預言の中に,「さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう」と言われている箇所があります。この「大娼婦」はあとで,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」として示されています。ユーフラテス川の両岸にまたがる古代バビロンが,そこから全世界に広がった神秘的な宗教体制の「母」となったのと同じく,今日の「大いなるバビロン」も,「民と群衆と国民と国語」を霊的に支配して彼らを害している,偽りの宗教の世界帝国です。(啓示 17:1,5,15)大いなるバビロンは,真の神エホバを認めない,そしてエホバに奉仕しようともしない「キリスト教徒」と非キリスト教の,幾千にも上る大小さまざまの宗派を擁しています。

      6 啓示 16章は古代バビロンを思い起こさせるどんな出来事に言及していますか。

      6 ハルマゲドンの戦争の序幕として,一人のみ使いが「神の怒り」の鉢をそそぐところが示されています。どこにそそぐのでしょうか。「大川ユーフラテスの上に注ぎ出した。すると,その水はかれてしまった。太陽の昇る方角から来る王たちのために道が備えられるためであった」とあります。(啓示 16:1,12)使徒ヨハネがその預言を記す600年余り前に,メディアのダリヨス王とペルシャのクロス王は東方からバビロンの地に侵入しました。クロスは闇に乗じてユーフラテスの流れを他の水路に導入し,水が引くと川床伝いに軍を市内に送り込みました。その大いなる都市は一晩のうちに,しかもバビロンの支配者や貴人たちが乱飲乱舞の宴会でエホバを冒とくしていた間に覆されたのです。―ダニエル 5:1-4,30,31。

      7 現在,これに類似するどんな事柄が見られますか。

      7 現代においてもこれに似たことが起きるのでしょうか。そうです。神が「大いなるバビロン」,とりわけその「娘」組織であるキリスト教世界に対して裁きを執行される時は来ました。キリスト教世界の背教と流血の罪は今や頂点に達しています。(啓示 18:24。エレミヤ 51:12,13)以前彼女の宗教を支持していた「多くの水」すなわち「もろもろの民」は,近代になって減少してきました。多くの人々がダーウィン,マルクス,レーニン,毛沢東などの教えに心を向けるので,宗教に対する支持はいわば干上っています。また「終わりの日」に関する預言にあるように,人々は「神を愛するより快楽を愛する者」となりました。―テモテ第二 3:1,4。

      8 (イ)義に傾いた人々はどんな呼び掛けに従いましたか。(ロ)偽りの宗教の状態と真の宗教の状態は今どのように対照的ですか。

      8 義に傾いた人々の取る行動も「多くの水」の減少の一因となっています。彼らは「大いなるバビロン」に関する次のような天からの呼び掛けに従いました。

      「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。(啓示 18:4)

      偽りの宗教の世界帝国,とりわけキリスト教世界は,教会の建物が多数閉鎖されることや,がら空きの座席や,司祭や尼僧の数が次第に少なくなっていくのを嘆いています。しかし,大いなるダリヨスであるエホバ神と,大いなるクロスであるキリスト・イエスの側に今立つ人は,すばらしい霊的繁栄にあずかります。あなたはそういう人の一人ですか。

      娼婦を演ずる

      9,10 (イ)この「終わりの日」にどんな恐ろしい「野獣」が出現しますか。(ロ)1942年に行なわれたある公開講演で,野獣の正体はどのように明らかにされ,また野獣のたどる道についてどんな説明がなされましたか。

      9 「大いなるバビロン」は,神のものであると言いながら常に政治と関係を持ってきました。そういう意味で「地の王たちは彼女と淫行を犯し」ました。しかしこの「終わりの日」に,彼女には大きな機会があります。その機会とは何でしょうか。ああ,「緋色の野獣」が姿を現わしました。この「野獣」はいったい何者でしょうか。これは地上の政治国家と関係があるに違いありません。というのは聖書の中で国々はしばしば『野獣』で象徴されているからです。(啓示 13:1-4,11-15。ダニエル 7:3-8,17-25; 8:5-8,20-22)ただし,ここに出てくる恐ろしい動物は,「七つの頭と十本の角」を持っているので複合の「野獣」です。―啓示 17:3。

      10 この「終わりの日」にどんな複合の「野獣」が現われ,世界の舞台で何を行なってきたでしょうか。1942年のエホバの証人の国際大会で話された,「平和 ― それは続くか」という題の公開講演は,啓示 17章7,8節の預言に注意を引くものでした。講演者のものみの塔会長N・H・ノアは,「かつていた野獣」が1920年に設立された国際連盟であることを示しました。しかし現在,つまり戦時中であったその1942年には,「連盟は事実上仮死状態にあり,もしこれが再び生きるとすれば復活する必要があります。連盟は無活動と無力の底知れぬ穴に落ち込んでいます。連盟は『今はいない』のです」と述べました。ノア会長はさらに,「かつていたが,今はいない」野獣が「底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている」点についても述べました。聖書預言にたがわず,その「野獣」は国際連合として1945年に復活しました。

      11 (イ)この「野獣」はなぜ「冒とく的な名で満ちた」ものとして示されていますか。(ロ)その「野獣」にはどんな裁きが待ち受けていますか。

      11 国家間の「平和と安全」を維持するために生み出されたこの国際的な「野獣」は,実は「冒とく的な名で満ちた」ものです。というのは,この国際的な「野獣」は,キリスト・イエスによる神の王国しか成し遂げられないことを,自分が行なえると主張するからです。(啓示 17:3)使徒パウロは,サタンの世の誇り高ぶった支配者たちが平和を作るものとして自らをたたえるときが来ることを預言し,次のように言いました。

      「エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです。人びとが,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの激痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。(テサロニケ第一 5:2,3)

      神の言葉によると,『平和と安全の野獣』に対するエホバの決定的な裁きの執行は速やかに行なわれます!

      娼婦は「気の毒だ」

      12 「娼婦」のどんな描写をヨハネは不思議に思いましたか。

      12 冒とく的な国連に対して神が不興を表明しておられるにもかかわらず,「大いなるバビロン」は国連との恋愛関係を求めます。彼女は「野獣」の背中に女王のように座すものとして描かれています。「また,その女は紫と緋で装い,金と宝石と真珠で身を飾り,手には,嫌悪すべきものと彼女の淫行の汚れたもので満ちた黄金の杯を持っていた」。この状態についてヨハネが,「さて,彼女を目にした時,わたしは非常に不思議に思った」と書いたのも当然です。―啓示 17:4,6。

      13,14 (イ)偽りの宗教にはどんな悲惨な終わりが待っていますか。(ロ)それはどのように来ますか。(ハ)だれが大いなるバビロンのために嘆きますか。しかしなぜ遠くからそうしますか。

      13 偽りの宗教のバビロン的世界帝国と,『平和と安全の野獣』国連との密通は,大きな災いをもたらします。娼婦のような「バビロン」はその世界的機関とうまくいっていると考えるかもしれませんが,神の言葉は彼女について別のことを予告しています。

      「そしてあなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。(啓示 17:16)

      偽りの宗教の世界帝国は確かに恐ろしい終わりを迎えます。

      14 「大いなるバビロン」は速やかに荒れ廃れます。

      「彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼きつくされるであろう。エホバ神,彼女を裁いたかたは強いからである」。(啓示 18:8)

      しかし彼女のことを悲しむ者たちもいるでしょう。彼らは,彼女を裏切って急に敵意を示す軍国主義的な「十本の角」ではなく,外見を繕うために僧職者たちと親しく付き合い,彼らの後ろ暗い行為を覆い隠すのを助けていた政治支配者たちの中の他の者です。彼らは彼女と運命をともにすることを恐れて,遠くから彼女のことを悲しんで言うでしょう。

      「気の毒だ,気の毒なことだ,大いなる都市よ,強力な都市ともあろうバビロンよ,あなたの裁きが一時のうちに到来したとは!」―啓示 18:9,10。

      15 ほかにだれが同じ言葉を繰り返しますか。なぜですか。

      15 また,大企業経営者,ギャングや他の不法者の中には,表面を「清く」見せかけて腐敗行為を隠すために,また罪悪感をなだめるために,宗教との関係を利用してきた者もいるでしょう。彼らもまた同じことを繰り返して言うでしょう。

      「気の毒だ,気の毒なことだ……これほど多くの富が一時のうちに荒れ廃れてしまうとは!」(啓示 18:11-19)

      世の宗教の豪華な大寺院,蓄積された土地や富,巨額の銀行預金,営利事業への投資 ― これらはみなむだなものとなるでしょう。

      16 どんな三つのグループが処刑されることになっていますか。

      16 偽善的な世界宗教,貪欲な商業,腐敗した政治 ― 地上にあるサタンの組織の3部門はすべて,神の裁きの執行を受けることになっています。偽りの宗教が打ち倒されたあとはどうなりますか。

      王は活動を開始する

      17,18 (イ)「大いなるバビロン」の荒廃に続いて何が生じますか。なぜですか。(ロ)最後にはだれが勝利を収めますか。(ハ)救われて生き延びるのはだれですか。(ニ)どうすればあなたもその一人になれますか。

      17 世界宗教を荒れ廃れさせる過激な政治権力は霊的な事柄を理解する目を持ちません。1914年に建てられたメシアの王国を認めはしません。それどころか,その王国を宣明する者,政治や世の『王国』の戦争に関してクリスチャンの中立を宣言する者たちに激しく反対します。―啓示 12:17。ヨハネ 17:14,16。

      18 野獣の「角」は「大いなるバビロン」を除いた後,この地上で一見無防備の子羊の追随者であるエホバのクリスチャン証人たちに,最後の攻撃を仕掛けてくることが予想されます。(エゼキエル 38:14-16。エレミヤ 1:19)この戦争でそれらの敵はどうなるでしょうか。預言は次のように答えています。

      「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼とともに征服する」。(啓示 17:14)

      イエスの油そそがれた追随者で地上にいる残りの者,また「神聖な奉仕」への召しにこたえた彼らの仲間たちはその戦いに参加しませんが,保護されて生き残ります。あなたはハルマゲドンで神の王国が『来る』ことを今も祈っている人の一人ですか。―ローマ 12:1,2。歴代下 20:5,6,12-17と比較。

      19 (イ)あなたは何の目撃者また生存者となれますか。(ロ)どんな貴重なものがその時価値を失いますか。

      19 そうです,あなたには,ハルマゲドンにおける破局的な戦争を目撃しそれに生き残る可能性があるのです。「王の王」とそれに従う天のみ使いの軍勢がエホバの主権の正当性を立証するために戦うのを観察できるかもしれないのです。邪悪な人々,誇り高ぶった国々とその強大な軍隊,それらを支える富裕な「商人たち」に対する戦闘のクライマックスを見ることになるかもしれません。その戦争では巨費を投じて作った核兵器庫も役には立ちません。世界の株式市場は暴落し,救済手段としての金の価値は下がってゼロになるので,石油や食糧の大量取り引きで暴利を貪る商人たちは,その不正利得が全く用をなさないことを知るでしょう。「主権者なる主エホバの言われたことはこうである,『災難,またとない災難,見よ,それが来る。彼らは自分たちの銀そのものをちまたに捨て,彼らの金は憎悪すべきものとなる。その銀も金もエホバの激怒の日には彼らを救い出すことはできない。……そして彼らはわたしがエホバであることを知らねばならなくなるであろう』」― エゼキエル 7:5,19,27。

      20 真の安全はどこに見いだせますか。

      20 そのハルマゲドンの日には,どんな物質の財産も安全を保障するものとはならず,エホバと「王の王」の側にしっかりと立つことにのみ安全があるのを知るでしょう。それは次の預言者の言葉に従うかどうかにかかっています。

      「地の温和な者たち,神の司法上の定めを守り行なってきた者たちすべてよ,エホバを求めよ。義を求め,温和を求めよ。おそらくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」。(ゼパニヤ 2:3。イザヤ 26:20,21。ダニエル 12:1も参照。)

      ハルマゲドンでは象徴的な白い馬に乗った王が「義をもって裁きまた戦う」からです。王は『諸国民を鉄の杖で牧して』滅びに至らせますが,白い衣を着た「大群衆」は「大患難」から救い出し,愛をもって彼らを牧し,『命の水の泉に彼らを導き』ます。あなたもその大群衆の一人でありますように。―啓示 19:11-16; 7:9,14,17。

      21 だれがハルマゲドンに集まりますか。しかしなぜそれはむだですか。

      21 あわれなのは国連とそれを支持する諸政府およびその膨大な軍事力です! 彼らはハルマゲドンに集まって,「[白い]馬に乗っているかたとその[天の]軍勢に対して」戦うがよいでしょう。すべてはむだに終わります!「王の王」は彼らをいわば「燃える火の湖」に投げ込むので,彼らは滅びます。地上にあるサタンの組織の残余の部分も同様に一掃されます。王の長い剣はきわめて強力で,どんな敵も捜し出して滅ぼすことができるからです。―啓示 19:17-21。

      22 ハルマゲドンでの戦いを神の預言者はどのように描写していますか。

      22 エホバは,天から飛んで来るものや疫病により,王国に反対して戦う「すべての民に罰を下され」ます。そのために彼らは混乱に陥り,破壊の武器を互いに投げ付け合うでしょう。「各々その友の手をつかみ,その手はまさに友の手に向かって上がる」のです。しかし,エホバのみ名を呼ぶものの一人であれば,あなたは「無事に逃れることに」なります。―ヨエル 2:31,32。ゼカリヤ 14:3,12,13。エゼキエル 38:21-23。エレミヤ 25:31-33。

      23 (イ)これは何の最高潮となりますか。(ロ)イエスのどんな言葉にわたしたちは喜びを感じますか。

      23 それはイエスが語られた預言的「しるし」の最高潮,つまり「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」となるでしょう。「選ばれた者たち」のゆえにその日が「短くされる」ということはなんと喜ばしいことでしょう。あなたもイエスから『王国を受け継ぐ』よう招かれた「羊」の一人として生き残ることができるのです!―マタイ 24:21,22; 25:33,34。

      24 (イ)その時サタンに対してどんな処置が取られますか。なぜですか。(ロ)そのあとどんなことが起こりますか。

      24 ハルマゲドンにおける戦争が終わると,地に悪政を行なうよう人間を扇動した邪悪なサタン自身が捕らえられ,縛られて「千年のあいだ」底知れぬ深みに投げ込まれます。なぜでしょうか。サタンが「諸国民を惑わすことができないように」するためです。(啓示 20:2,3)次いで人類史上最も輝かしい時代が始まります。その1,000年間は,王国の『来る』ことを祈り求め,そのために働いてきた忠節な人々にとって何を意味するでしょうか。あなたもそれを知りたいと思われるに違いありません。

      [169ページの囲み記事]

      「娼婦」と「野獣」

      偽りの宗教の世界帝国と『平和と安全の野獣』とはずっとどんな関係にあっただろうか。「大いなるバビロン」は国際連盟の中で,また後日国際連合の中で,支配力を求めただろうか。事実に答えてもらうことにしよう。

      1918年に国際連盟が提案されたあと,アメリカ・キリスト教会連邦協議会の「会報」は,「我々はクリスチャンとして,来たる平和会議で自由諸国連盟が設立されることを提案する。そのような連盟は単に政治的手段にとどまらない。むしろ地上における神の王国の政治的表現である。……勝利の中から義の宿る新しい地が生まれるのでなければ,死んだ英雄たちはむだ死にしたことになる」とまで述べた。

      1965年,国際連合設立20周年記念の行事が行なわれたとき,サンフランシスコからのAP通信は次のように伝えた。「世界に20億以上の会員を擁する諸宗教の7人の国際的指導者たちは,今日一堂に会し,世界平和を追求する国連のために祈りをささげた。法王パウロ6世はローマから……カトリック教徒,プロテスタント,ユダヤ教徒,ヒンズー教徒,仏教徒,回教徒,東方(ギリシャ)正教会のキリスト教徒の会議に祝福を送った。……ルイス・ヤコブス師は……国連のことを『国連は,世界の存続がかかっている永続的平和のための唯一の希望である』と述べた」。

      1965年10月,法王パウロ6世は国際連合について,「すべての国際組織の中で最も偉大なもの」と述べ,「世界の人々は友好と平和の最後の希望として国連を頼みにしている」と付け加えた。

      1979年10月2日,法王ヨハネ・パウロ2世は国際連合で次のような演説を行なった。「私が今日ここにお邪魔した正式の理由は,むろんカトリック教会と国際連合組織とを結ぶ特別の協力の絆が存在するからである。……私は国際連合が常に平和と正義のための最高の討論の場,より良い未来を渇望する各国民および個人の,信頼できる自由の座であることを希望する」。しかし,62分間の演説の間にイエス・キリストや王国については一度も述べなかった。

      神の王国の代わりに人間の作った代用物を受け入れる偽りの宗教は,むなしい希望に頼っている。詩篇 146篇3-6節には,人間の支配者に信頼しないようにという警告のあと,「神を自分の助けとする者は幸いだ。その望みはその神エホバにある。神は,天と地……の造り主」と述べられている。またルカ 2章10-14節には人類の救い主が「主なるキリスト」であることが明らかにされている。

      [172ページの囲み記事]

      ハルマゲドンにつながる一連の出来事

      ● 世界支配の論争が生ずる。諸国家は兵器を蓄積する

      ● 世界宗教に対する人々の支持が干上がる

      ● 諸国民の「平和だ,安全だ」という叫びが顕著になる

      ● 国連の軍国主義的な「十本の角」が世界宗教を荒れ廃れさせる

      ● 野獣の「角」が『子羊の』追随者たちに最後の攻撃を加える

      ● 「王の王」はハルマゲドンで諸国民と軍隊を滅ぼす

      サタンと悪霊たちが底知れぬ深みに投げ込まれると,キリストの輝かしい千年統治が始まる

  • 王国の勝利!
    「あなたの王国が来ますように」
    • 18章

      王国の勝利!

      1 (イ)人類の将来に確信を抱く理由はどこにありますか。(ロ)地を破滅させる者たちにとってハルマゲドンは何を意味しますか。

      人類は完全に滅ぼされてこの地球から姿を消すのでしょうか。そうではありません。そうならない理由は王国にあります。王国が『来る』とき,サタンの地的組織とその圧制的な体制を粉砕すべく行動を起こすのは,「王の王また主の主」である,王位についたイエス・キリストだからです。ハルマゲドンでは,地を滅ぼそうとする者たち自身が滅ぼされます。―啓示 11:15,18; 14:19,20; 19:11-16。

      2,3 (イ)ゼパニヤの預言は何を警告していますか。(ロ)生き残るためには何が必要ですか。

      2 わたしたちの神エホバは,ハルマゲドンでご自身が成し遂げようとしておられることにいつもよく目ざめているよう,わたしたちに警告しておられます。

      「『それゆえ,わたしが獲物に向かって立ち上がる日までわたしを待て』と,エホバはお告げになる。『わたしの司法上の決定は,諸国民を集め,わたしがもろもろの王国を寄せ集め,その上にわたしの告発を,わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって,全地は焼き尽くされるのである』」。

      しかし生き残る者も大勢いることでしょう。同じ預言の続きの言葉から分かる通り,エホバはすでに彼らにその備えをさせておられます。

      「そのとき,わたしはもろもろの民に清い言語への変化をもたらす。彼らが皆,エホバの名を呼び,肩を並べて主に仕えるためである」― ゼパニヤ 3:8,9。

      3 あなたはその生存者の一人となるでしょうか。もし『エホバの名を呼ぶ』ならそうなります。ではそれはどうすればできるでしょうか。「清い言語」への変化,つまり人の心を清める神の王国の良いたよりを心に取り入れ,それに従って行動することが必要です。(マルコ 13:10)神がキリストを通して設けられた備えに信仰を働かせ,ペテロが19世紀昔に同胞に諭したことをそのまま行なわなければなりません。「ですから,あなたがたの罪を消していただくために,悔い改めて身を転じなさい。さわやかにする時期がエホバのみもとから到来(するように)」― 使徒 3:19。

      4,5 (イ)どうすればエホバとの親密な関係を楽しめるようになりますか。(ロ)あなたは「清い言語」に対してどう反応しますか。

      4 また,イエスに倣って,自分がサタンの世のものでないことを示さなければなりません。(ヨハネ 17:14,16)キリストを通してエホバに献身し,その象徴として水のバプテスマを受けることにより,エホバ神と非常に親密な関係に入ることができます。(ペテロ第一 3:21)地上の組織されたエホバの民すべてと「肩を並べて」神に奉仕しながら,その親密さを常に養い育てていかなければなりません。機会に応じて,耳を傾ける人すべてに「王国のこの良いたより」を知らせることに,彼らもともに参加しなければなりません。―マタイ 24:14。ローマ 10:10-18。ヘブライ 13:15。

      5 あなたは,聖書の真理の「清い言語」にそのような反応を示している人ですか。ではエホバに絶対の信頼を置いてください。「強大な者として主は救ってくださる」でしょう。―ゼパニヤ 3:17。イザヤ 12:2-5。

      6 ヨハネはどんな立派な助言を与えましたか。それによってわたしたちは何を行なうように励まされますか。

      6 エホバとその義に対する愛を培うには,聖書の原則と一致した生活をすることも必要です。使徒ヨハネは次のような立派な助言を与えています。

      「世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその者のうちにありません。すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。(ヨハネ第一 2:15-17)

      「永久に」です! ですから,サタンの邪悪な体制の終わりの日の間に神のご意志を熱心に行なうのは,価値のあることではありませんか。そのことによってわたしたちは,この「終わりの日」に,「忠実で思慮深い奴隷」が地上で代表するエホバの組織にしっかり従うよう励まされないでしょうか。―マタイ 24:45-47。

      記念碑的な業

      7 ハルマゲドンの後には何が残りますか。

      7 ハルマゲドンの戦いの硝煙が消え去る時にも,エホバの見える組織は依然として地上にあり,エホバが指示されるどんな事にでも用いていただける態勢にあるでしょう。わたしたちは個人としても,そこにいるにふさわしい者とみなしていただけるようでありたいものです。―ゼパニヤ 2:3。詩 25:8,9,20。

      8 (イ)その時神の業を成し遂げるには何が必要ですか。(ロ)神の民はどのように備えができていますか。

      8 神の民は,清められた地を美化し,この地球をほんとうの「神の園」に変える記念碑的な業を成し遂げるために,王国政府の下でいつもよく組織されていることが必要でしょう。(エゼキエル 31:8と比較。)あなたもその業にあずかりたいと思いますか。その仕事をするには,積極的な精神と神から与えられるエネルギー ―『王国のこの良いたよりを全地に宣べ伝える』ためにエホバの証人が今示しているような熱意が必要でしょう。すべての人が王の模範に倣ってほんとうに良い働き手となる必要があるでしょう。王は,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」と言われました。―ヨハネ 5:17; 4:34。

      9 (イ)どんな仕事があるでしょうか。(ロ)それが骨の折れるいやな仕事でないことは何から分かりますか。

      9 世界中で住宅の建築が盛んに行なわれることは間違いありません。といっても,アパートのぎっしりつまった見苦しい市街を造るのではなく,パラダイスの環境に似つかわしい,家族向きの美しい住宅を建てるのです。なすべき仕事はたくさんあっても,それらは楽しくて興味深い,報いのある仕事でしょう。ソロモン王が,「人は皆食べて,まさしく飲み,そのすべての骨折りによって良いことを見る」以上に「良いものは何もない」と言ったのはそのような仕事です。―伝道 3:12,13。イザヤ 65:17,21-25と比較。

      10 その時の状態について啓示 21章1-4節はどのように示していますか。

      10 主の「ほかの羊」はどんな状態の下でその仕事をするのでしょうか。(ヨハネ 10:16)啓示 21章は,わたしたちが何を期待できるか教えてくれます。その章は「新しい天と新しい地」のことを述べています。「以前の天と以前の地」は過ぎ去っているので,腐敗した人間の政治体制が社会を支配することはもはやありません。また悪魔とそのひそかな影響力も取り除かれています。不敬虔な事柄を追い求めて動揺する,混乱した人間の「海」ももはやありません。その代わりに安定した人間社会,すなわち「新しい地」が,神のご意志を行なうための固い基礎となります。その時人々は,王とその14万4,000人の成員の花嫁から成る「新しい天」が指示することを徹底的に行なえます。この忠節な「花嫁」は,「聖なる都市,新しいエルサレム」としての資格で『天から下り』ます。それは,地上でなされる建設の業に注意を向けるという点で『天から下る』のです。その結果はほんとうに喜ばしいものです。このことについてヨハネは次のように述べています。

      「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:1-4。

      11 (イ)幾百万もの生存者にはどんなすばらしい見込みが待ち受けていますか。(ロ)神はどのように地球に人を住まわせますか。

      11 「もはや死もなく」なるというすばらしい見込みがこの約束に含まれていることに注目してください。幾百万もの人々が救われて「大患難」を通過し,「新しい地」の祝福に入ることが期待されています。(啓示 7:9,14)しかし究極的には何十億もの人々が王国の支配下のこの地上で生活を楽しむことになるでしょう。なぜ「何十億」と言えるでしょうか。ノアの日の大洪水のあと,エホバは生き残った正しい者たちに,「子を生んで,多くなって,地に満ちよ」という命令をお与えになりました。このことは,ハルマゲドン後少なくとも一時の間,人間が結婚し,正しい状態の下で子供を生むという喜ばしい見込みのあることを示唆しています。(創世 9:1,7; 10:1-32。マタイ 24:37)しかし,その時生きている人間で『地を満たす』のは神がお用いになるおもな方法ではありません。では神は,どのようにしてこの地球に人を住まわせ,ご自身の最初の目的を成し遂げられるのでしょうか。(創世 1:28。イザヤ 45:18)それは,復活という偉大な奇跡を幾十億回もくり返すことによってなされるでしょう。

      「生きている者の神」

      12 群衆はイエスのどの教えに驚きましたか。

      12 ある時イエスは,反対者たちに答えてこう言われました。

      「死者の復活については,神によってあなたがたに語られた事がらを読まなかったのですか。こう言われました。『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』。彼は死んだ者の神ではなく,生きている者の神なのです」。

      神の見地からすれば,それら忠実な人々は生きているのも同然です。ですから復活を受けます。群衆はその教えに驚きました。―マタイ 22:31-33。ルカ 20:37,38。

      13 忠実な「ほかの羊」で死んだ人については何が期待できますか。

      13 「さらに勝った復活を得よう」として迫害に耐えたそのような忠実な人々や,忠誠を保つ「ほかの羊」でハルマゲドン前の今死ぬ人々が,「新しい地」で早く復活して来ることを期待するのは道理にかなったことと思われます。もしかしたらあなたご自身,愛する人を亡くしておられるかもしれません。その中には神の忠実な僕であった人もあるかもしれません。死人の中から戻って来るそれらの人を迎え,そしてエホバの偉大な立証のみ業を彼らに話して聞かせるのは,どんなにうれしいことでしょう!―ヘブライ 11:35。

      14 ヨハネ 5章28,29節と啓示 20章11-13節にはどんなすばらしい希望が述べられていますか。

      14 しかし,6,000年に近い歴史を通じて死んでいったほかの人々はどうなりますか。イエスは言われました。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」。(ヨハネ 5:28,29)「死んだ者たちが,大なる者も小なる者も」墓から出て来て神の裁きの座の前に立つのです。―啓示 20:11-13。

      15 裁きの時は恐ろしい時ではありませんが,それはなぜですか。

      15 復活した人々にとってそれは恐ろしい時となるのでしょうか。最後の審判の宗教画は恐ろしいものとして描かれているにもかかわらず,それは非常に喜ばしい時です。復活した人々は,以前の間違った行ないに従って裁かれるのではなく,むしろ,神の王国の領域内で生きるための正しい要求に進んで従うかどうかによって裁かれます。(ローマ 6:7と比較。)そして神との完全な和解に至るまで彼らを援助すべく,あらゆる努力が払われます。王国の組織の下では,かつてなかった最大規模の教育計画が実施されるでしょう。

      16 (イ)「数々の巻き物」は何ですか。(ロ)「新しい地」における教育はなぜはるかに優れたものになりますか。

      16 「数々の巻き物」が開かれます。それらの巻き物は,永遠の命を受ける資格を得させるそれらの「行ない」をするよう,復活した人間を助けるために出される指示でしょう。(啓示 20:12)「新しい地」における教育施設や計画は,エホバおよびエホバが任命されたメシアなる王によって管理されるので,かつてサタンの世が提供したどんなものと比較しても,はるかに進んでいます。

      「大群衆」が受ける祝福

      17 その「新しい地」に生き残ったなら何をする必要がありますか。

      17 しかし,もしあなたがハルマゲドン生存者の「大群衆」の一人となるなら,そのような状況の中でのあなたの立場はどんなものでしょうか。使徒パウロは,「アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです」と述べています。(コリント第一 15:22)あなたにもキリストの贖いの益が必要です。キリストは人類を完全な域に向上させるため千年統治期間中その贖いの益をお用いになるのです。あなたも千年王国の「数々の巻き物」にある教育を受ける必要があります。それはその「行ない」を忠節な態度でなし,あなたの名前が「命の書」に書き込まれるようにするためです。

      18 王国のどんな計画は特別の喜びをもたらしますか。

      18 現在のところ,不完全な人間の頭脳が吸収し記憶できる量は,その全潜在能力に比較するとごくわずかです。あなたも,『記憶することさえできたらなあ』と嘆息したことがあるかもしれません。キリストの犠牲にはほんとうに感謝すべきです。人類を向上させるための王国の計画の一環として,体のうずきや痛みが取り除かれるだけでなく,驚くべき創造物である人間の頭も完全にされるので,物事を徹底的に研究して知識を蓄え,それに基づいて推論し,なかんずく,わたしたちの神エホバの偉大な属性を認識して,崇敬の念を一層深めることができるようになるのです。バベルの塔で言葉が乱された結果生じた言語の障壁も取り除かれ,ゼパニヤ書 3章9節にある通り,全人類は一致してともにエホバを崇拝するように一つの言語を教えられるでしょう。

      19 王国の臣民はどんな喜びにあずかりますか。

      19 また完全な人間の心は,神と隣人への愛を動機として働くようになるでしょう。主権者なる主エホバが,感謝の念を抱くご自身の民に次のように語られたのも不思議ではありません。

      「今わたしは新しい天と新しい地を創造しようとしているからである。以前のことは思い出されることもなく,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しようとしていることに永久に歓喜し,喜びあふれよ。今わたしは[新しい]エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しようとしているからである。そして,わたしはエルサレムを喜び楽しみ,わたしのために歓喜する。その中で泣き声や悲しげな叫び声が聞かれることはもはやない」。(イザヤ 65:17-19)

      キリストの王国でキリストとともに支配する14万4,000人の明るい喜びと歓喜は,人間としての完全さに向かって進歩を続ける,地上にいる幾十億という王国の臣民に反映するでしょう。

      エホバのみ名は永遠に神聖なものとされる

      20 (イ)1,000年がすぐに過ぎ去るのはなぜですか。(ロ)ダビデはどのようにエホバをたたえましたか。(ハ)あなたは同じような賛美をささげたいという気持ちになりますか。

      20 そして1,000年が経過します。エホバの見地からすればそれは1日のようでしょう。建設的な仕事に忙しく携わる人類にとってもそれはやはり短い期間に思われるでしょう。(ペテロ第二 3:8)また楽しい交わりや健康的な運動をしてくつろぐ時や,音楽その他の価値ある芸術を楽しむ時,そしてわたしたちの偉大な創造者を崇拝するための取決めも常にあることを期待できます。ダビデが神殿での崇拝の取決めを作る際に次のように述べてエホバをたたえたように,すべての人はエホバをたたえるでしょう。

      「エホバよ,偉大さと力強さと麗しさと卓越性と尊厳とは,あなたのものです。天と地にあるものは皆あなたのものだからです。すべてのものの頭として自らを高めておられる方,エホバよ,王国もあなたのものです。富と栄光はあなたによるものです。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたのみ手には力と力強さがあります。あなたのみ手にはすべてのものを大いなるものとし,強さを付与する能力があります。それで今,わたくしたちの神よ,わたくしたちはあなたに感謝し,あなたの麗しいみ名をたたえております」― 歴代上 29:11-13。

      21 (イ)キリストはどのように千年統治を終了されますか。(ロ)王国は何を成し遂げますか。

      21 この崇高な賛美の言葉にふさわしく,ダビデより偉大な方であるキリスト・イエスは,使徒パウロが予告した次の事柄を行なうことによって平和と再建の千年統治を終了されるでしょう。

      「ついで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼は[敵対する]あらゆる統治,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています」。

      その時には,神の支配こそ正しい種類の統治であり,エホバの崇拝者に永遠の益をもたらすに十分の力を有する統治であることが最終的に証明されているでしょう。王国のあわれみ深い支配の下でアダムに起因する死は除かれ,全人類は「キリストにあって」生かされているでしょう。こうしてその時地上に住む幾十億もの人々は,「腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子どもの栄光ある自由を持つようになること」でしょう。―ローマ 8:21。コリント第一 15:22-28。

      22 (イ)次いでどんな短い試みの時がありますか。(ロ)イエスはどんな最後の立証の業を行なわれますか。

      22 しばらくの間サタンは底知れぬ深みから解き放たれます。それはエホバの王権に対する忠節に関して,完全にされた人類の世を試すためです。不定の数の人々は悪魔に従うことを選ぶかもしれません。しかし彼らには裁きが速やかに執行されます。神の「女」の「胤」であるキリスト・イエスは初めからのへびの頭を砕き,サタンとその子孫を,「昼も夜もかぎりなく永久に」燃え続ける火で滅ぼすかのように完全に滅ぼすことによって,最後の立証の業を行なわれます。被造物に対するエホバの正当な主権をめぐってエデンで生じた大論争は審理され,永久に解決されることになるでしょう。―啓示 20:7-10。創世 3:15。

      23 (イ)神の約束を思い巡らすときにわたしたちは何を行なうはずですか。(ロ)わたしたちはなぜ『神の王国が来る』のを見たいと思いますか。

      23 「とこしえの王」であるわたしたちの偉大な創造者,主権者なる主エホバのすばらしい約束を考えるとき,わたしたちは感謝の念に動かされてそのみ名を賛美しないでしょうか。ペンテコステの日にある人々がしたように,わたしたちも「神の壮大な事がら」について,「王の王」とメシア王国について語るよう心を動かされないでしょうか。(使徒 2:11。啓示 15:3; 19:16)わたしたちの天の父に対して,「あなたの王国が来ますように」と祈るよう心を動かされないでしょうか。(マタイ 6:9,10)そうです,王国が『来て』,サタンの業と組織が地から一掃されますように! 王国が『来て』,全人類のために正しい種類の統治が行なわれますように! 王国が『来て』輝かしい千年統治を招来し,パラダイスが回復され,死者が復活し,進んで事を行なう人類すべてが向上して完全な人間となりますように! そうです,王国が『来て』比類のないエホバのみ名がとこしえに神聖なものとされますように!

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