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  • あなたにとって神の御国は何を意味するか
    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • 指摘したのは生活にとらわれてもっと大切なことがらをしめ出してしまうということでした。私たちの生活の中で御国は第一であるべきです。ほかのものはその次にくるべきです。御国の関心事に専心したために,生活を立てるのがむずかしくなったなら,神が助けてくださいます。

      御国のもとにおける生命に導かないことがらに,精力をついやすことは本当にかしこくないことです。お金をもうけたり,大きな財産を作ったりあるいは有名になろうとして,無我夢中になっても,寿命を一日でものばしはしません。まさかの時に備え,家族のために保険をかけるということに一生懸命になっています。でも一番大切な保険,つまり神の御国のもとで永遠に生きられるように神に対して良い名を得ることには,どれほど一生懸命になっていますか。

      御国がどれ程大切かを強く指摘するためにイエスは言いました,「もし,あなたの片手があなたをつまずかせるなら,そろったままでゲへナに行くより,かたわになって命に入るほうがよい。そして,もし,あなたの片手があなたをつまずかせるなら,それを切り取ってしまいなさい。両足がそろったままでゲヘナに投げ込まれるよりは,びっことなって命に入った方がよい。そしてもし,あなたの片目があなたをつまずかせるなら,それを抜き出してしまいなさい。両眼そろったままでゲヘナに投げ込まれるよりは,片眼で神の御国に入った方がよい」。―マルコ 9:43-47,新世。

      神の御国は全く望ましい賞です。それでどんなに価値あるものであろうと,それが財産であろうが友だちであろうが,あるいは自分の四肢であろうと,何ものも御国の追求をさまたげてはなりません。もしも職業がさまたげとなっているなら,それを調整しなくてはなりません。もし四六時中家事に追いまわされているなら,もっとよく計画するとか,もっと小さな家に移ることが必要でしょう。もし趣味のために,御国を第一に求めることがおろそかになるなら,それに費やす時間を少なくすべきです。つまり,さまたげとなるものは何でも,後に押しやってしまうべきなのです! これは仕事,趣味,娯楽をすべてやめてしまうという意味ではありません。それぞれ適当な場所におくという意味です。もっと大切なことが,まず第一にくるべきです。長いあいだの習慣とかその他のものを取り除いたり,最小限度にとどめておくということは苦痛を感ずることかもしれません。しかし,このように考えてみて下さい。手か足を切りとるというような苦痛をともなう手術が必要になった時,生命を救うためにその手術を受けるのではないでしょうか。それと同様に,私たちの利己的な欲望をエホバ神の御こころにきりかえるには,最初苦痛に感ずるかもしれません。でも神によって生命を保ってもらいたいと願うなら,その手術がどうしても必要なのです!

      初期のクリスチャンにとって御国は何にもまして大切なものでした。使徒パウロの態度は代表的です,「私はすべてのものを失ったが,それらのものを屑のように考える。それは私がキリストを得るためであり,……キリストと共にいるのを見出されるためである……どうにかして死人からの早いよみがえりを得るためである」。―ピリピ 3:8-11,新世。

      この世にとって御国はどういう意味をもつか

      この世にとっても御国はこれ程大切ですか。いいえ,そうではありません。これは驚くべきことではありません。なぜなら,「全世界は悪しき者の配下にある」からです。(ヨハネ第一 5:19,新口)神の御国の目的に関して,サタンは宗教指導者たちをも導いてその心をくらくしてしまいました。御国というのは,世界中がキリストに改宗することだと信じている人はたくさんいます。1人の牧師は人々が神の御国を大切にしていないという事実にきづいてこう言いました,「人々は今,金,成功,地位,安楽という異教の偶像を崇拝している。我々はどういうものか世の中における積極的で活気のある使命 ― つまり世界を神の御国の方向に変えるという使命の感覚を失なってしまっている」。神の御国はキリスト教国の領域を世界中にひろげていくことであると教えられているため,そのようにひろがっていないのを見る時,神の御国が失敗したのだと考えるのも当然ではありませんか。

      たいていの人が神の御国を見おとしているといっても,神の御国が失敗したわけではありません。それとは正反対なのです! 今日の世界をみまわしてごらんなさい。国々の悩み,増しゆく不法,繁栄する無神論は,天で御国がすでに設立されたという確実な証拠です! どうしてそうですか。今世界が経験している苦しみの時は,イエスが言った通りなのです。聖書の預言は1914年以来,天の御国が活動しているとはっきり示しています。私たちは古いものから新しいものに移る転換期に生存しているのです。設立された御国はまもなく,このすべての組織制度を一掃し,地上における平和な,正義の支配のための道をひらきます。

      御国を先ず求めることは可能

      今日,何十万という人々は御国を先ず求めています。人々からなる一つの社会全部,つまり急速に拡大しているエホバの証者の新世社会では,御国を生活の中でもっとも大切なものにしています。これらの人々がありとあらゆる人種,言語,背景からきているという事実は,あなたでもできるということを証明するものです。彼らが御国を第一にする理由は,その目的と要求を知っているからです。しかし,はじめから,御国は彼らにとってそんなに大切でしたか。そうではないのです。たぶん最初は特に興味がなかったかもしれません。でも知識が増すにつれ,自分の見方を変えました。

      神の御国について更に学ぶにつれ,その創造者,エホバ神とその王,イエス・キリストに対する愛は深まります。また,神の御国の国民として復興された楽園に住みたいと願う者や,また現在御国の関心事を第一にすることにより,住みたいということを実際に示している者をも,愛するようになります。御国こそ生活を意義あるものにするということを,あなたも行動により示したいと思われるでしょう。あなたの努力を支持する神の力ある御霊により,あなたも御国を先ず求めることができます。

      今そうすることは緊急なことなのです。この審判の時代にあって永遠の運命は決定されつつあります。御国を先ず求めるものは,この世の終りを生き残ると約束されています。一致した民として,かぎりなき平和,幸福そして生命の世界に導かれます。これはすべて神の御国の指示のもとになされるのです。

      神の御国はあなたにとってどういう意味をもちますか。あなたの生命はあなたのその答にかかっています。

  • どの教会にもむかない
    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • どの教会にもむかない

      シメオン・スティライツは,メソジストの監督フランシス・J・マックコーネルが行なったことのある演説について,1958年4月30日号の「クリスチャン・センチュリー」にこう書いている。「彼の演説の主題は,もし預言者アモスが,任命を受けるために,メソジストの年次会議にやってきたとしたらどういうことになるであろうかということであった。……彼は……教区の監督たちとともに会議にのぞんだ。……監督たちは,ひとりずつ熱い涙を流しながら,預言者アモスに対するつきることのない尊敬をちかい,自分の教区内で彼に教会を与えることのできない理由を話した。

      「北部の教区の監督は,どもり声で言った……『私がどんなにアモス兄弟を愛し尊敬しているかは皆さんもよくご存じです。……しかし,彼はグレイス教会の牧師としては如才なさに欠けています。ぶこつな態度で思うことをみな話してしまいます。グレイス教会の会員には非常にていねいな態度を示す必要があるのです。目下会員は建築運動を行なっています。アモス兄弟がもう少し問題に手加減を加える人なら,もっと多くの寄付を集めることができるでしょう……」。

      「つぎに西部教区の監督が口を開いた。『私もアモス兄弟を愛しています。同兄弟の説教にはたびたび深い感銘を受けました。彼をトリニティ教会の牧師に任命したいのはやまやまですが惜しいことにもう少し表現力が必要です。あそこは大々的な伝道が行なわれてきた場所です。……アモス兄弟は思ったことをそのまま話す,飾りけのない卒直な人です。そして,トリニティ教会の会員がなれている文学的タッチも人の心を高める雄弁さももちあわせていません。残念ですが彼を任命することはできません』」。

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