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『神が話された,すべての物事の回復』ものみの塔 1971 | 4月15日
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17 同じ点に関し,キリスト教世界についてはなんと言わねばなりませんか。西暦70年におけるエルサレムの破壊は,キリスト教世界に対して何を示すものですか。
17 また,キリスト教世界の宗教組織の歴史を,4世紀の設立当初から調べてゆくと,キリスト教世界が今日に至るまでの16世紀以上にわたる存続期間中,『エホバのみもとからの,さわやかにする時期』を享受してこなかったことを認めざるをえません。キリスト教世界はその全歴史を通じて,内部における宗教論争や戦争,分派,不一致,いよいよ深刻さを増す宗教上の混乱によって,分裂の状態に苦しんできました。西暦70年におけるエルサレムの破壊は,キリスト教世界が近い将来,この世の世俗的な敵たちの手にかかって破壊することを予示するひな形でした。エホバの恵みの顔はキリスト教世界からそむけられています。西暦70年にエルサレムを保護されなかったと同じく,エホバは,近づく破壊からキリスト教世界を保護されないでしょう。
18 したがって,どんな助言に従うことがすべての人々にとって緊急に必要ですか。すでにそうしているのはだれですか。それはどんな結果をもたらしていますか。
18 これが,人々がユダヤ人と異邦人の別なく,使徒ペテロの次の助言を緊急に実行しなければならない理由です。「ゆえに,あなたがたの罪が消し去られる[または,許される]ため,悔い改めて,身を転じなさい」。これこそ,エホバのクリスチャン証人の行なったことであって,彼らが霊的な意味で,『エホバのみもとからの,さわやかにする時期』を豊かに享受していることは,あらゆる証拠が証明するところです。メシヤ,すなわちキリストを通し,全き献身のうちにエホバに自らをささげることによって,彼らはその「善意の人々」となりました。その報いとして彼らは,ベツレヘムでイエスが誕生した際に羊飼いたちの聞こえるところで天使たちの言ったこと,つまり,「地上では善意の人々の間に平和があるように」という状態を享受しています。彼らは平和のないキリスト教世界とともに,あるいは偽りの宗教の世界帝国の他の部分全部とともに,間近い将来に滅ぼされることを望みません。キリスト教世界,およびかの宗教上の世界帝国,大いなるバビロンの罪に,その共同体としてあずかることを免れているゆえ,彼らは「さわやかにする」状態を十分に味わっています。―黙示 18:2-5,新。
メシヤの二度目の派遣とその理由
19 メシヤの到来に関して,キリスト教世界と生来のユダヤ人はどのように違いますか。それが「さわやかにする」結果となるためには,キリスト教世界は何をする必要がありますか。
19 キリスト教世界はイエス・キリストの帰還を待っていると主張し,その帰還の結果として,「さわやかにする時期」を経験することを期待しています。しかしそうするためには,キリスト教世界は,罪を負っていたユダヤ人にペテロがするようにと告げたこと,すなわち,「ゆえにあなたがたの罪が消し去られるため,悔い改めて,身を転じ(る)[または,改宗する]」ことをしなければなりません。ペテロが続いて示したように,この行動の後にそのようなさわやかにする時は来るものです。「そうすればエホバのみもとから,さわやかにする時期が到来し,彼は,あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエスを遣わされるでしょう。そのかたを確かに天は,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復の時まで,そのうちに留めておかねばなりません」。(使行 3:19-21,新)メシヤが19世紀前に来たことを信じていない,割礼を受けた生来のユダヤ人は,将来,彼が初めて来るのを待ち望んでいます。しかしペテロやヨハネ,および,クリスチャンとなった他のユダヤ人たちは,別の目的のためにメシヤが帰還する,すなわち二度目の到来をすることを待ち望んでいました。ペテロとヨハネは,彼が天にのぼって帰るのを見ました。
20 メシヤが帰還することはなぜ必要でしたか。神が彼を送った最初の理由はなんですか。
20 ペテロとヨハネは,イエスがユダヤ人に向かって言われた次のことばを覚えていました。「それでは,もしあなたがたが,人の子が,前にいた所に上ってゆくのを見つめるようなことになれば,いったいどうなりますか」。イエスはご自分の復活の日に,マグダラ市のマリヤに現われて,こう言いました。「わたしはまだ父のもとに上っていない……。むしろわたしの兄弟たちのところに行き,彼らにこう言いなさい。『わたしは,わたしの父およびあなたがたの父,わたしの神およびあなたがたの神のもとに上ろうとしている』」。(ヨハネ 6:62; 20:17,新)彼は死人の中からの復活後40日目に,天に上って帰って行きました。しかし,メシヤに関するすべての預言を成就するため,彼は再び来なければなりませんでした。それゆえ使徒ペテロは,エホバのみもとからの,「さわやかにする時期」について話した後,次のように付け加えました。「彼は,あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエスを遣わされるでしょう」。エホバがご自分のみ子を初めて地上に送られたのは,み子が全人類のあがないの犠牲として死ぬためでした。したがって,ペテロは自分の回りのユダヤ人の群衆にこう言いました。「神はこのようにして,ご自分がすべての預言者たちの口を通して発表された事柄,すなわち,ご自分のキリストが苦しむであろうということを成就されました」― 使行 3:18,新。
21 ペテロが自分の手紙の中で示しているように,エホバの預言者たちはメシヤに関して,他のどんな事柄を予告しましたか。エホバが二度目にメシヤを送られる理由はなんですか。
21 エホバのすべての預言者たちの口を通して前もって発表された他の事柄は,メシヤの王国における彼のきたるべき栄光を告げていました。使徒ペテロはクリスチャンの信者にあてた最初の手紙の中で,そうした預言者に関しこう述べています。「彼らは,自分たちのうちにある霊が,キリストの数々の苦しみと,それに続く数々の栄光について事前に証をしている際,具体的にどの時期,またどんな時期をキリストに関して示しているかを詳しく調べつづけました」。(ペテロ前 1:10,11,新)ペテロは,エルサレムの破壊についての預言の中で,イエスが語った次のことばを覚えていました。「人の子は,すべての天使たちとともにその栄光のうちに到来するその時,彼は自分の栄光の王座にすわります」。(マタイ 25:31,新)預言者たちを通して彼のために予告されていた,地上での肉体における彼の数々の苦しみは,その時,永久に過去のものとなります。エホバが二度目に彼を地上に送られるのは,彼がメシヤの王国に関する他のすべての預言を成就すべく,天の栄光のうちに統治するためです。
22 王国の預言のこの成就がいつかに関して,詩篇 110篇1,2節とヘブル書 10章12,13節は何を明らかにしていますか。
22 ところでそれはいつのことですか。イエス・キリストの王統の先祖にあたる,エルサレムのダビデ王は,キリストの昇天に関して預言的にこう語りました。「わたしの主に対するエホバの発言はこうである。『わたしが,あなたの敵をあなたの両足の台として置くまで,わたしの右にすわっていなさい。あなたの力のつえを,エホバはシオンから送り出して,こう言われるであろう。『あなたの敵のただ中に行って征服しなさい』」。(詩 110:1,2,新)この預言的な詩篇の注解として,ヘブル書 10章12,13節(新)はイエス・キリストと,完全な人間としてのその犠牲について次のように述べています。「この人は罪のためにひとつの犠牲を永久にささげて神の右に座し,それ以後,彼の敵が自分の両足の台として置かれるまで待っておられるのです」。この預言は次のことを意味します。つまり,神の右において天で栄光を受けたイエス・キリストは,エホバのメシヤとしての彼の全人類統治に反対する,地上の人々すべてに対して,勝利を収めるということです。
23 したがって各自が,どんな重要な質問を自分自身に尋ねてみるのは賢明なことですか。なぜですか。
23 したがって,『私はイエス・キリストによるメシヤの王国の敵だろうか』との,きわめて重要な質問をおのおのが自分に尋ねるのは賢明なことです。キリスト教世界はその敵です。偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンも敵です。世界の平和と安全のための国際組織,すなわち国際連合を構成する政治諸国家もそうです。そうした敵はことごとく征服され,粉砕されるべく定められています。聖書の預言と世界の情勢とを照らし合わせてみると,それはまもなく起こります。
24 天はどの時まで,そのうちにメシヤ・イエスを留めておかねばなりませんでしたか。そこで,今度はどんな主要な質問がわたしたちに提起されていますか。
24 その世界的な災難が起こるのは近いことを,どうして確信できるのですか。その理由は,使徒ペテロが,昇天されたそのイエス・キリストを,「確かに天は,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復aの時まで,そのうちに留めておかねばなりません」と預言したことにあります。(使行 3:21,新)ここで主要な質問となってくるのは,エホバの右に座して,自分の敵が足台とされるのを待っている昇天したメシヤ・イエスを,天がそのうちに留めておかねばならないという回復の時までの,その「すべての物事」とは何か,ということです。
25 簡単に言うと,この「すべての物事」とはなんですか。その簡潔な答えはどんな質問を提起しますか。
25 その「すべての物事」とは,メシヤによる王国および地でのその権利です。前述の質問に対するこの答えに驚かれるかたがいますか。使徒ペテロの時代に,エホバのメシヤによる問題の王国が,まだこれから後に来るものであった以上,どうしてそんな答えが得られるのか。メシヤの王国は建てられたことも,失われたこともなかったのだから,どうして回復されるというようなことがありうるのか。と,このように尋ねられるかたがいますか。
26 昇天される前のイエスに,ペテロと仲間の使徒たちが尋ねたのは何に関する回復でしたか。それに対してイエスはどのように答えましたか。
26 しかしながら,使徒ペテロは自分の話している意味をよく悟っていました。その王国がどうして回復されうるかを知っていたのです。彼は,天に上る少し前の復活したメシヤ・イエスに,「主よ,あなたはこの時に,イスラエルに王国を回復させようとしておられるのですか」と尋ねた使徒たちのひとりでした。その質問に対して,復活したメシヤ・イエスはこう答えました。「み父がご自分の権限下に置かれた時,また時期についての知識を得ることは,あなたがたの関与するところではありません。しかし,聖霊があなたがたに到来するとき,あなたがたは力を受けるでしょう。そして,エルサレムと,ユダヤおよびサマリヤの全土の両方において,また,地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるでしょう」。そう言い終えてから,彼らを祝福している間に,彼は,オリブ山上にいた弟子たちのもとから天へ上げられました。―使行 1:6-11,新。ルカ 24:5-53。
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すべての物事の回復はどのように行なわれるかものみの塔 1971 | 4月15日
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すべての物事の回復はどのように行なわれるか
1 イエスの時代のユダヤ人の政治情勢を考えると,イエスの使徒たちが彼にどんな質問をすることは適切であると言えましたか。今日のイスラエルの立場は,イエスの行動について何を明らかにしていますか。
歴史に詳しい人はだれでも,イエスの昇天された時,イスラエル国家は王国を持っていなかったことを知っています。それ以前,しばらくの年月,マカビー家による王国が存在したものの,それはレビ族出身のユダヤ人祭司たちによる王国であり,紀元前63年,ローマ帝国によってくつがえされてしまいました。また,その後のヘロデ大王による王国も,ユダヤ人の王国ではなく,エドム人の王国であり,ローマの元老院がユダヤ人に強制したものです。しかし,イエスが天に上った当時のエルサレムは,彼を死に処するために引き渡したローマ総督,ポンテオ・ピラトの支配下にあり,ガリラヤ地方は,ヘロデ大王のむすこ,ヘロデ・アンテパスの支配下にありました。(ルカ 3:1,2; 23:6-15)したがって,昇天前のイエス・キリストに,「主よ,あなたはこの時に,イスラエルに王国を回復させようとしておられるのですか」と,尋ねた弟子たちの質問は適切なものだったわけです。(使行 1:6,新)その時,イエスは王国を回復されませんでした。そして今日に至るまで,イスラエルに王国は存在していません。中東のイスラエル政府は共和国であり,世界平和と安全のための組織,つまり国際連合の成員です。
2 エホバのメシヤによる王国に対して,国連はどんな態度を取っていますか。しかし,それが回復することを願っているのはだれですか。
2 国際連合は,メシヤによる王国がイスラエル共和国を通して来ることを望んでいません。事実,国際連合は,エホバのメシヤによる王国を願うどころか,そのために祈ることさえしません。メシヤによる王国を願い,それに忠誠を示してきたのは,キリスト教世界ではなく,実に,エホバのクリスチャン証人です。
3 使徒たちは自分たちの質問によって,当時,メシヤによる王国の樹立が回復をさすことをどのように明らかにしましたか。彼がどのように回復を行なうことを,使徒たちは期待していましたか。
3 聖書によれば,地上ではなく,天においてのメシヤによる王国の樹立が,「回復」を意味しています。なぜ,そう言えるのですか。イエス・キリストの使徒たちは,彼がエホバによってご自分の民のために定められていたメシヤ,つまりキリストであるのを知っており,かつ,そう認めていたことを思い起こしてください。ある時,使徒ナタナエルはイエスにこう言いました。「ラビ,あなたは神の子,あなたはイスラエルの王です」。さらに,後日,使徒ペテロは彼に次のように言いました。「あなたはキリスト,生きておられる神の子です」。(ヨハネ 1:49,マタイ 16:16,新)キリストという称号は,メシヤというヘブル語に対応するギリシア語です。それゆえ,復活されたイエスに,「王よ,あなたはこの時に,イスラエルに王国を回復させようとしておられるのですか」と尋ねた時の使徒たちは,真のメシヤが王国を回復するかどうかということを質問していたのです。彼は真実にメシヤ,つまりキリストでしたから,使徒たちは彼が王国を「回復」することを期待していました。どのようにしてですか。その時に,彼自らがイスラエルの上に王としてたつことによってです。
4 したがって,紀元前607年に至るまでのユダヤの王国は,どんな種類の王国でしたか。天からきた神のみ子は,なぜダビデの家系に生まれましたか。
4 さて,これで要点がわかりませんか。紀元前607年,バビロニア帝国にくつがえされるまでの古代イスラエル王国は,メシヤによる王国であったということです。その王国は,ベツレヘムのダビデの王家による政府でした。神が,ご自分のただひとりもうけられたみ子を天から送った時,彼はダビデ王の家族に生まれ,「エホバは救いです」を意味する名前,イエスという名前を与えられました。それによって,イエスはダビデ王の王座を継ぐ者となりました。(マタイ 1:1から2:6。ルカ 3:23-31)天からのひとりのみ使いでさえ,イエスがキリスト,つまりメシヤであると宣言しました。ベツレヘムで彼が誕生する夜,エホバからのこの天使は,神を恐れる羊飼いたちにこう言いました。「恐れをいだいてはなりません。見よ! わたしは,あなたがたに民すべてが持つ大いなる喜びの良いたよりを宣します。なぜなら,きょうダビデの都市において,あなたがたにひとりの救い主,主なるキリストが生まれたからです」― ルカ 2:8-11,新。
5 では,どんな家系にイエスは生まれましたか。イスラエルの王たちがメシヤと呼ばれたことを証明するどんな事柄がありますか。
5 ダビデ王の「主」となるべきこのイエスは,メシヤの家系に生まれました。どうしてそう言えるのですか。なぜなら,メシヤの,という形容詞には,“メシヤと関係のある”という意味があります。では,古代イスラエルにおいて,ダビデの家系から出た王たちは“メシヤ”と呼ばれたのですか。あるいは,ギリシア語を話すユダヤ人は,彼らのことを“キリスト”と呼びましたか。そのとおりです。なぜなら,メシヤという称号は,油そそがれた者を意味し,キリストも,油そそがれた者を意味するからです。この称号は,ダビデの王統から出たそれらの王に適用されました。なぜなら,彼らはエホバの選ばれた民の上に王となるべく,イスラエルにおけるエホバの大祭司により聖油を注がれたからです。(列王上 1:34-39)ダビデは,イスラエル十二部族の最初の王サウルのことを,くり返し,「エホバの油そそぎし者」と言いました。同様に,王としてのダビデ自身も幾度となく,エホバの油そそがれた者,あるいはメシヤと言われました。(サムエル前 24:6,10; 26:9-23。サムエル後 1:14-16; 19:21; 22:51; 23:1)エルサレムの王座に着いた,ダビデの家系の最後の王ゼデキヤでさえ,「エホバに油そそがれたるもの[または,メシヤ]」と呼ばれています。―哀歌 4:20,新世界訳聖書,1958年版(英文)の脚注をごらんください。
6 紀元前607年に起こったどんなできごとを考慮すると,ダビデ王に対する神の約束が果たされるためには,メシヤによる王国が回復されねばなりませんか。
6 紀元前607年にエルサレムが崩壊し,ゼデキヤ王が王位を追われた後は,メシヤの王はだれもイスラエルの王座に着きませんでした。しかしエホバは,それよりも463年前に,ダビデ王との厳粛な契約の中で彼にこう約束しました。「あなたの家とあなたの王国とは,あなたの前に定めのない時に至るまで堅く立ち,あなたの王座は,定めのない時に至るまで確立されたものとなるであろう」。(サムエル後 7:16,新)したがってこれは,ダビデの王統に存するメシヤの王国が回復されねばならないということを意味しています。
7 メシヤによる王国を回復する者はなぜイエス・キリストなのですか。
7 メシヤによる王国の回復は,イエス・キリストによって行なわれるものでした。イエスはダビデの王統に生まれたからです。イエスが人間として生まれる前に,ひとりの天使は彼について次のように言いました。「エホバ神はその父ダビデの王座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するでしょう。そして,彼の王国には終わりがありません」。さらに,ベツレヘムにおけるイエスの誕生の時,ひとりの天使は,彼が「主なるキリスト[あるいは,メシヤ]」になるよう定められていることを発表しました。(ルカ 1:32,33; 2:11,新)これで問題の余地はなくなりました。メシヤによる王国の回復はイエスにかかっているのです。
8 エルサレムで大祭司から油そそがれなかったとはいえ,イエスがメシヤであることに変わりありません。なぜですか。彼が今や,永久に統治できるのはなぜですか。
8 イエスが,ヤコブまたはイスラエルの上に王たるべく,大祭司によってエルサレムで聖なる油を頭上に注がれなかったのは事実です。それどころか,西暦33年,大祭司は,ローマ人の処刑によるイエスの死を要求しました。しかし,そうだからといって,イエスが油そそがれた者,つまりメシヤではなかったという証明にはなりません。(ルカ 24:20。ヨハネ 19:6,15,21)イエスは,イスラエルの大祭司より地位の高いかたから油そそがれました。イエスは,聖なるそそぎの油ではなく,エホバの霊をもって,エホバご自身によって油そそがれたがゆえに,特別な意味で「エホバに油そそがれた者」でした。それは,イエスがバプテスマのヨハネによって水のバプテスマを受けた後に起こりました。(マタイ 3:13-17。使行 10:38)エルサレムの外の刑柱上で死んだからといって,それはイエスが永久にダビデ王のメシヤの後継者になることを妨げるものではありませんでした。というのは,その死後三日目に,全能の神は彼を復活させ,不滅性,霊における不朽の命をもって報われたからです。(ロマ 1:3,4。コリント前 15:3-8。ペテロ前 3:18-22)したがって,天における終わりのない命のゆえに,彼はメシヤなる王として永久に統治できます。
モーセおよびその後の預言者たちによって予告されていた
9,10 (イ)モーセのような預言者であって,それよりも偉大な者がだれであるかを,ペテロはどのように示しましたか。(ロ)その者はどのようにモーセより偉大ですか。ゆえにわたしたちは,なぜ彼に抵抗することを欲しませんか。
9 このイエスがいかに偉大であるかを示すため,使徒ペテロは神殿で自分を取り巻いている群衆に,続けて次のように言いました。「事実,モーセはこう言いました。『エホバ神はあなたがたの兄弟たちの中から,あなたがたのために,わたしのような預言者を起こされるであろう。あなたがたは,彼があなたがたに話すすべての事柄にしたがって彼に聞かねばならない。実際,その預言者に聞かない魂はすべて民の中から完全に滅ぼされるであろう』」。(使行 3:22,23,新)ペテロはここで,申命記 18章15-19節にしるされている,預言者モーセのことばを引用していました。
10 イエス・キリストは,モーセのような,しかしモーセより偉大であると約束されたその預言者でした。彼はモーセよりも多くの,そしてより偉大な奇跡を行ないました。さらに,エホバとクリスチャン会衆との間の新しい契約を仲介しています。その契約は,アラビアのシナイ山においてモーセを仲介として結ばれた律法契約よりも,はるかにまさったものです。(使行 2:22。エレミヤ 31:31-34。ヘブル 8:6; 9:15; 12:24; 13:20)そうであれば,モーセより偉大な預言者である王,イエス・キリストが代表する,メシヤによる王国の回復に反対する人々の中に数えられることを,わたしたちは決して望みません。そうした人々の中に数えられるということは,完全な滅びを意味するものとなるでしょう。
11 ペテロのことばによると,モーセのほかにだれがそれらの日と,イスラエル人にもたらされることになっていた祝福について宣言しましたか。
11 しかしながら,神からの霊感のもとにメシヤなるこのイエスについて預言をした人は,モーセひとりではありません。ほかにも大ぜいの人がいました。ですから使徒ペテロは,神殿で自分を取りかこんでいたユダヤ
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