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    ものみの塔 1959 | 9月1日
    • ポープ博士の次のような言葉を引用しています,『アメリカ国内に宗教の大復興はない……また,たぶん将来にも真の意味の復興はないであろう。……この危急の時にあつて,人間の諸事におよぼす宗教の影響は間接的なもののようである。つまるところ極少と言えるだろう。』会員の大きな数を示している統計の価値について,「ワールド・クリスチャン・ハンドブック」はこう述べています。『ある区域では,宗教調査が,政府当局者によつて行われている。……彼らは,教会自身が主張する数字のあるものとは,相当相違のある数を示している。そしてこれらの差で,教会はきまりの悪い思いをしている。幸か不幸か,こうした調査の世界的規模のものの数字は出ていない。』またその本はこうも言つています。『大多数の国で,クリスチャンは極く少数者である。一般的に言つて,全世界の教会は,人口の増加率と等しく増加していないので,クリスチャンはもつと少数派になるかも知れない。『その日にはもろもろの国ことばの民の中から十人の者が,ひとりのユダヤ人の衣のすそをつかまえて,あなたがたと一緒に行こう。神があなたがたと共にいますことを聞いたから」と言う。』という預言が,キリスト教国の上に成就していないことは明らかです。

      新世社会の発展

      8 (イ)今日の地上で,誰が神の僕ですか。(ロ)偽りの牧者に対するヱホバのさばきはどんなものですか。そしてなぜですか。(ハ)『羊』は実際に誰に属しますか。

      8 キリスト教国の失敗にもかかわらず,ヱホバ神は確かに地上にご自身の証者を有しておられます。そして,彼らは今日行われているところのヱホバの御子キリスト・イエスによつて預言された最も重要な教育活動に参加しています。『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)キリスト教国の牧師は,ヱホバの証者が彼らの牧場に侵入して,羊たちを連れ去つていると苦情を言うかも知れません。しかし,ヱホバ神は全く違つた見方をされます。羊たちにヱホバ神の御名を忘れさせ,また,神の御国の代りに人間の政府に確信を置かせ,イエス・キリストに習つてその信仰を公けに宣言するように羊たちを訓練することも準備させることもせず,利己的な特権のためにのみ彼らを引きとめている偽りの牧者に向かつてヱホバは言われます。『見よ,わたしは牧者らの敵となり,わたしの羊を彼らの手に求め,彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ,再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救つて,彼らの食物にさせない。』(エゼキエル 34:10,新口)彼らはヱホバの『羊』です。ヱホバは彼らをご自身の新世社会に集められています。

      9 どんな方法でヱホバの証者の数は増加してきましたか。

      9 人が新世社会のめざましい発展に注目する時は,ヱホバの証者の肩にかかつている責任を考えずにはいられないでしよう。過去数年の間に,新しく興味をもつた何万という人々が,古い生活様式を捨てて,ヱホバの証者と交わつて来ました。この増加は,分別を備えたおとなが,真理と正義の側に立つたために見られたという事実に注意することは面白いことです。彼らは,幼児洗礼とかその他の無意味な儀式を通して制度の一部になつたのではありません。彼らは,自分自身で考え,自分自身で決定を下してヱホバの証者と交わりました。そのようにしてヱホバの証者の数は増加したのです。

      10 1958年度中に,何人の新しい人々がヱホバの証者と共に伝道のわざに参加しはじめましたか。そしてなぜ?

      10 すぐる1958年度だけでも,ヱホバの証者と交わつて,聞いたり学んだ事がらを伝道した人々が更に8万1425人いました。彼らは,神の御言葉に示されている新しい生き方を熱烈に支持するがために,それを他の人に告げることを望んだのです。しかし,このように多くの人々が新世社会に殺到すれば,この社会の他のすべての成員には,その新しい人々が,正確な知識を得るよう世話をする責任が生じます。新しい人々は御国に感謝し,それを愛します。また彼らの主キリスト・イエスを通し,永遠の生命が報いとして得られる可能性を悟ります。また専心の献身は,生命の与え主であるヱホバ神にささげられるべきであること,人は二人の主,神と悪魔にかねつかえることができないことを認識するようになります。

      11 (イ)これらの新しい人々が,制度にとどまるためには,何を必要としますか。彼らはそれをどのように得ますか。(ロ)この問題に関してペテロはどのような明確な助言を与えましたか。

      11 深い知識に関する限りこれらの新しい人々はすべて,援助を必要とします。これらの新しい御国伝道者たちがみな,ヱホバの神権制度にとどまつて,絶えずヱホバを賛美するというのならば,援助を受けなければなりません。パウロはその種の援助を与えることを望み,またそうしました。だからこそ彼はこう言つたのです。『わたしがキリストにならう者であるように,あなたがたもわたしにならう者になりなさい。』(コリント前 11:1,新口)いま制度と交わつている79万8326人全部が,円熟して強いしつかりとしたクリスチャンになるように世話をすることは,古いヱホバの証者すべてに要求されていることであり,また与えられている責任であります。制度の中にいる者はすべて,次のように言つたペテロと同じ考えをもつべきです。『主また救主なるイエス・キリストを知ることにより,この世の汚れからのがれた後,またそれに巻き込まれて征服されるならば,彼らの後の状態は初めよりも,もつと悪くなる。義の道を心得ていながら,自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは,むしろ義の道を知らなかつた方がよい。ことわざに,「犬は自分の吐いた物に帰り,豚は洗われても,また,どろの中にころがつて行く」とあるが,彼らの身に起つたことは,そのとおりである。』― ペテロ後 2:20-22,新口。

      12 ペテロは,真理を受け入れた者たちに手紙を書いた理由をどのように述べましたか。そしてどんなよい助言を与えましたか。

      12 ペテロは,初期のクリスチャンたちに,神の御言葉を明確に語り,どんな道を歩むべきかを示して彼らを援助しました。今日のクリスチャンたちも,全く同じことをしなければならないのです。ペテロは,真理を受け入れた人々に次のように書き送りました,『愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり,これらの手紙によつて記憶を呼び起し,あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。それは,聖なる預言者たちがあらかじめ語つた言葉と,あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救い主の戒めとを,思い出させるためである。』(ペテロ後 3:1,2,新口)彼らは正確な知識を必要とし,ペテロは彼らがそれを得るよう援助することを熱望しました。彼は,悪い考えに注意するよう彼らに警告し,奉仕に対する正しい認識を彼らの心に銘記させました。ペテロは,私たちの今年の聖句になつている黙示録 16章の15節に示されているのと同じ考えを示しました。この聖句は,常に警戒をしていることの必要性を強調しています。クリスチャンとしての責任を負つていながら見張をしないで眠つたならば,裸にされてしまうからです。ペテロはこの点を強調して次のように言いました,『この日を待つているあなたがたは,しみもなくきずもなく,安らかな心で,神のみまえに出られるように励みなさい。……あなたがたはかねてから心がけているように,非道の者の惑わしに誘い込まれて,あなたがた自信の確信を失うことのないように心がけなさい。』(ペテロ後 3:14,17,新口)ですから,ハルマゲドンの来る前にあつて,警戒をおこたらず目をさましていることは,ひとりひとりにとつてどんなに必要か分かりません! このことは,真理にながくいる人々に必要であると同様に,すべての新しい人々にとつても,必要なものです。各人は,宣教という上衣を常に身につけていなければならないのです。

      13 今,『他の羊』の大いなる群集が制度に入りつつあることは,すでにヱホバの証者である人々にとつて何を意味しますか。

      13 もしある人が宣教の上衣を脱ぐならば,それはその人が,かつて救い出された古い世のけがれに逆戻りしたことを表わします。真理の正確な知識を持つ人ならば誰でも,自分自身が,あるいは他の誰にせよ,そのような状態に逆戻りするのを見たいとは思いません。ヱホバの証者が,最後の戦いと,ヱホバの御名の完全に立証される時にますます接近している際,制度に入りつつある『他の羊』の大いなる群集のために私たちの心は喜びで満ちています。しかし,その大群集が入つて来ることは,すでにヱホバの証者である人々にとつて,より大きな仕事,よりむずかしい仕事をしなければならないことを意味します。これらの新しい人々には,良い霊的食物が与えられなければなりません。彼らは正確な知識を持たねばなりません。ですから,ヱホバ神に献身している人々はみな,ヱホバの証者の制度全体にかかつている,互いを助けるべき責任,特に,昨年中に制度に入つて来たばかりの8万1425人の人々を助ける責任を感ずべきです。

      14,15 (イ)過去10年間に新世社会はどのくらい発展しましたか。(ロ)新しい人々は,殊にどの面で援助を必要としますか。

      14 この重い責任は,殊更に新しいものではありません。この大群集は,中央の表が示しているように,毎年その責任を果していることを証明しています。

      15 過去10年の間,『他の羊』は絶え間なく集められて来ました。そしてこの収穫は1年に4万から6万にまで,年毎に増加して来ました。御国の良い音信を伝道している人々の数の毎年の増加平均を見ると,増加が急速になつているのが明らかです。ところで,昨年度1958年の,平均伝道者数と最高伝道者数の差は,8万1000人を上回りました。このことは,ヱホバの証者の制度の上により大きな責任を投げかけます。私たちは,この終りの期間中になしとげる必要のある伝道のわざおよび教えるわざが,大仕事であることを知つているので,この人たち全部が,また他の正義愛好者たちが,真理の正確な知識に達して,1959年の奉仕年度中また来るべき年々において,毎月定期的に宣教に参加されることを望んでいます。これは彼らが,会衆内のより円熟した人々の援助を必要としているということで,あなたは,使徒パウロがしたように,進んであなたのクリスチャンの兄弟に援助の手をさしのべ,『円熟に向つて進む』よう励ましますか。(ヘブル 6:1,新世)これらの新しい人々は,個人的に,また集まりで,聖書の研究をする良い習慣をつけなければなりません。そして,神の証者としての特権に対する認識を深めつづけなければなりません。これらの新しく活動をはじめた人々は,いまや私たちの最も近い隣人です。私たちは,彼らが,ヱホバの正しい原則と,どのようにキリスト・イエスの足跡に従うかを十分に認識するよう援助することによつて,自分のように隣人を愛する愛を表わします。

      16 (イ)昨年,さらに何人が,良いたよりの伝道に定期的に参加しましたか。そして洗礼を受けたのは何人ですか。(ロ)すでに伝道に参加している人々のうち何人が,まだ水の洗礼を受けるまで進歩する必要がありますか。しかし,その前に何が必要ですか。

      16 新世社会の発展状況を示す表をごらんになる時,あなたは,毎月良いたよりの伝道に参加した人々が,前年よりも6万3815人多くいたことを認められるでしよう。しかも,今年になつて,ヱホバ神に対する献身を象徴するために,水の洗礼を受けた人々は,合計6万2666人あります。それらの定期的な伝道者になつた人々が洗礼を受けたと仮定するならば,ここでの差は1149人にすぎません。そしてこれは,最高伝道数から見て,まだ神の御言葉を十分に認識して洗礼を受ける必要のある人々が全世界にわたり,8万2000人いるという意味です。しかし,彼らは,洗礼を受ける前に,神の御言葉と,彼らが当然とるべき行為の過程を知らねばなりません。また神がクリスチャンに要求される高い標準を認識しなければなりません。これに関する知識は誰でも得られますが,しかし,彼らが洗礼を受ける前に,その資料を手に入れてよく読むように取り計らうのは円熟したクリスチャンの責任です。これを洗礼の後にする必要はありません。後にするとおそすぎる場合が度々あります。

      17 人が洗礼を受ける前には,その生活の仕方にどんな変化が起らねばなりませんか。これらの変化を経る前に洗礼を受けたならばどうなりますか。

      17 ヱホバは,清く,平和で,健全な制度,また,ヱホバに全く献身し,奉仕者としての責任をよく心得ている人々を望まれます。もし人が,この世のけがれから離れないで相変らず悪い行いをやめないならば,その人はキリスト教国と同じように依然として眠つているのです。人がクリスチャンとしての責任を負つたならば,いつもそれに目ざめていなければなりません。目ざめている人,清くて責任感の強い人々のみが,ヱホバの証者としての洗礼を受けるにふさわしい人々です。さもなければ,彼らの献身は,ヱホバに対する真の献身ではなく,偽善的なものであつて,聖なる神に受け入れていただくことはできません。

      18 人はどんな事がらを学ばねばなりませんか。そして,洗礼を受けるために自己を提出する前に,どんな方法で自分の誠実さを示さねばなりませんか。

      18 そういうわけで人は,献身の象徴として洗礼を受ける前に,神の義の新しい世に関する御目的以上の事を学んでいるべきです。人は生命を望むかも知れません。しかしヱホバの義に満ちたご要求に応ずることも望むでしようか。また,聖書が神の御言葉であることを十分確信していますか。酒に酔う事,異性との正しい関係,古い世から分離することなどについて,聖書が何と言つているかを知つていますか。真の宗教と偽りの教えとの相違を認識できる程十分に研究しましたか。公けに,また人々の家庭で御国を伝道することによつてキリスト・イエスの足跡に従い,神の奉仕者になることを真実に望んでいますか。それは単なるつかのまの気まぐれですか,それとも彼は,わざにはげみ,宣教訓練の行われる会衆の集会に出席することによつて誠実を表わしましたか。洗礼を受ける前に人はなすべきことを十分に認識していなければなりません。

      19,20 (イ)エチオピヤ人の宦官と,ペンテコストに洗礼を受けた人々は洗礼を受ける前に,どの程度の訓練を受けていましたか。今日では,どういう点で事情が異なつていますか。(ロ)洗礼という段階を経る前に,何を明確に認識すべきですか。

      19 たぶん次のような質問が生じることでしよう。つまり,ペンテコストの日にペテロの話を聞いて,その日にさつそく洗礼を受けた人々は,その前にどのくらいの訓練と教えを受けていたかということです。また,女王カンダケにつかえる役人で,車の中でしばらくだけ話し合つた後すぐに洗礼を受けたあのエチオピヤ人はどうですか。彼らは洗礼を受ける前に適切な訓練を受けましたか。答は然りです。彼らは全部ユダヤ人か,あるいは他の宗教からユダヤ人の宗教に改宗した人々であつたことを記憶されていますか。彼らは,そうした人々でしたから,神の御言葉をよく教えられていました。つまり,会堂で定期的に御言業が読まれるのを聞いていたのです。事実,ペンテコストに洗礼を受けた人々は,神がモーセを通して与えられた律法の中で命令されていたひとつの祝いを行うために,エルサレムに来ていたのです,イエスご自身も言われました。『律法学者とパリサイ人とは,モーセの座にすわつている。だから,彼らがあなたがに言うことは,みな守つて実行しなさい。しかし,彼らのすることには,ならうな。彼らは言うだけで,実行しないから。』(マタイ 23:2,3,新口)ですから,彼らは当時あつた聖書の内容を知つていたのです。しかし洗礼を受ける前に,彼らは,他のある事がらを学びました。それは,キリスト・イエスは神の御子メシヤであつて,ヱホバは彼を通して救いを備えられたということでした。これに関する証明を聞き,その真実性を納得した彼らは,その事を信じないばかりか神の御子を殺した罪さえもつている制度に,もうこれ以上とどまれないことに気づいたのです。彼らは,イエスをはりつけにせよと呼んだ宗教指導者とその追随者をもつ宗教組織に属していた罪を悔い改めました。そしてキリスト・イエスに対する信仰をあますところなくひれきし,またその事を他の人々に告げる決心をしました。

      20 ところが,この終りの時代にのぞんで,キリスト教国の宗教制度に属する大多数の人々は,聖書の教育を受けていません。調査によると,聖書の内容はおろか,四福音書の名称さえ言えない人々が少数いるようです。彼らは,真理の初歩から入念に教えられる必要が大いにあります。そしてそれらの事がらを学ぶまでは,洗礼を受ける立場にありません。彼らは,自分のしている事がらつまり,単に一つの教会に入ろうとしているのではなくて,ヱホバ神との聖なる関係に入ろうと,しているのであること,他の人々に真理を教える者になろうとしていること,しかもどんな結果が起きようと忠実のうちに歩ゆみつづけなければならない事をはつきりと知つているべきです。また,洗礼を受ける前に,クリスチャンの洗礼の意味を十二分に理解し,神の助けによつてそれにふさわしい生き方をしようという決意ができていなければなりません。

      21 新世社会と交わつて,洗礼という段階にまで進歩し,さらに円熟へと継続的な進歩を望む人々を私たちはどのように援助することができますか。

      21 この世のけがれをすべて捨て去つていなくても,清くなるために,また『造り主のかたちに従つて新しくされ,真の知識に至る新しき人』を着るために,新世社会と交わることを望む人々を援助するのは,真理の正確な知識をもつすべての献身した人々の責任です。(コロサイ 3:10,新口)ヱホバの御要求が何であるかを彼らに十分認識させなさい。彼らは,『神を真とすべし』および『これは永遠の生命を意味する』の本を勉強する際に,円熟した人から個人的な訓練を受けなければなりません。また,最も新しい本『御心が地に成るように』(英文)と『失楽園から復楽園まで』(英文)の内容も知らねばなりません。そして献身した後でも,円熟に向つて絶え間ない前進を続けるのに非常にたいせつなこの知識を得るのを援助するため,誰か彼らとつづけて研究を行わねばなりません。『だから,機会のあるごとに,だれに対しても,とくに信仰の仲間に対して,善を行おうではないか。』(ガラテヤ 6:10,新口)私たちが,こうして援助をつづけている間に,彼らが,クリスチャン証者としての彼ら自身の責任を負つて,真理を教える能力のある者になつて行くのを見るのは大きな喜びです。彼らは,まず御国と神の義を求めて,さらに大きな奉仕の特権をとらえることでしよう。

  • 私たちの宣教を拡大する
    ものみの塔 1959 | 9月1日
    • 私たちの宣教を拡大する

      1 真理を学んでいる人々には,どんな責任がかかつてきますか。イエスはこれをどのように示されましたか。

      人は聖書を研究する時,真のクリスチャンが信仰を自分のものだけにしておかないということをすぐに知ります。真理は人の心を啓発し,生活にあふれるばかりの希望を与え,またクリスチャンの忠実を守つて歩むことができるように「道の光」となつてきました。もし人が,この光に感謝しているならば,自分だけのものにしておくという利己的なことはしないでしよう。『あなたがたは,世の光である』とイエスは言われました。『山の上にある町は隠れることができない。また,あかりをつけて,それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において,家の中のすべてのものを照させるのである。そのように,あなたがたの

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