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  • 生命の言葉を学ぶ
    ものみの塔 1963 | 12月1日
    • を学ぶことを,生活の一部にしなければなりません。

      21,22 (イ)神のことばについて,ヨシュアがイスラエル人に告げた言葉の意味を説明しなさい。(ロ)どのようにして神のことばを口に持つことができますか。

      21 イスラエル人がヨルダン河を隔てて約束の地を目の前にしたとき,ヨシュアに告げられたエホバの言葉は,今日においても従うべき有益なさとしです。「この律法の本をあなたの口から離してはならない。また昼も夜もそれを小声で読まなければならない。それは,そこに書かれていることをことごとく守り行なうためである。そうすれば,あなたの道は成功し,あなたは賢明に行なうであろう」。(ヨシュア 1:8,新世)昼も夜も学ぶというのは,四六時中読みつづけることではありません。ここで強調されているのは,一生を通じてたゆまずに神のことばを学ぶことです。いったん始めたものの,後になって怠るということがあってはなりません。

      22 聖書を学ぶことによってその真理と原則をたえず心に留めるならば,それから離れることはありません。それは語る言葉に表われ,他の人を益する言葉を口から出すのに役立ちます。そして言葉は聖書の知恵を,行いは聖書のすぐれた原則を反映するようになります。神のことばにしるされた事柄を語るならば,口に神のことばを持つことになります。それは清く,健全で徳を高める言葉です。「あなたのみ言葉はいかにわがあごに甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです」。(詩 119:103,新口)聖書を定期的に学ぶことを怠ると,神のことばはその人の口から離れ,その人は神のことばの真理を語らなくなります。

      23 小声で聖書を読むという表現から何が考えられますか。

      23 聖書を小声で読むというのは,深く考えながら読むことです。声を出して読めばゆっくり読むことになり,考えが頭の中にはいるので,それを思いめぐらすことができます。言葉が多くて内容の乏しい本とは異なり,聖書の中に無駄な言葉はありません。史実を述べた部分は別として,言葉の意味を十分に理解するには,ゆっくり読んで考えることが必要です。

      24 聖書はどのように今日,私たちを導く光ですか。

      24 聖書の教えを守るならば,聖書は永遠の生命に至る道に人を導く光となります。世界中の人々が恐れ,とるべき道を知らずに迷っている最中にあって,神のことばの示す道を真直ぐに歩む人は,自分の行先を知り,そこに到達する確信を抱いています。聖書を学んで実行する人は賢明に振舞い,その道は栄えます。―詩 119:105。マタイ 7:13,14。

      25 聖書の内容を学ぶために,どれほど努力すべきですか。

      25 金銀などの宝をさがす人が多くの時間と精力を費やすのと同じで,神のことばから知識と知恵を得るには勤勉に学ばねばなりません。それを得ることは永遠の幸福な生命につながるゆえに,どんな物質の宝を得るのにもまさっています。「知恵を求めて得る人,悟りを得る人はさいわいである。知恵によって得るものは,銀によって得るものにまさり,その利益は精金よりも良いからである。知恵は,これを捕える者には命の木である,これを捕える人はさいわいである」。―箴 3:13,14,18,新口。

      26 神のことばの価値を認める人は,何をしますか。

      26 神が聖書に書きしるさせた事柄の価値を知る人は,それを無視したイスラエル人の間違いをしないでしょう。聖書の価値を認識し,聖書を学んで下さい。ヨシアの如く神の律法を心に深く思い,聖書に書かれた事をことごとく守って行ないたいと願うべきです。使徒と同じく聖書の教えを受け入れ,その導きに従って生命に通ずる道を歩んで下さい。聖書に親しみ,聖書を定期的に学んでその真理を心に留めましょう。「これまでに書かれた事がらは,すべてわたしたちの教のために書かれたのであって,それは聖書の与える忍耐と慰めとによって,望みをいだかせるためである」ことを忘れてはなりません。―ロマ 15:4,新口。

  • 自分の勉強を改善する
    ものみの塔 1963 | 12月1日
    • 自分の勉強を改善する

      「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう」― マタイ 7:7,新口。

      1,2 (イ)マタイ伝 7章7節を説明しなさい。(ロ)信仰と認識の質は何によって決まりますか。

      神のことばから得られる非常に貴重な知識と知恵は,求める者に与えられます。聖書を学ぶための努力をいとう人は,この宝を得ることができません。また文字に書かれた神のことばが,すぐれた律法であり,有益なさとしであり,光を与える真理であるとの信念を持っていないことになります。マタイ伝 7章7節にあるイエスの言葉は,イエスの御父のことばを尊重する人々に語られたものです。それは聖書の価値を認めず,聖書を読もうとしない人々に対する言葉ではありません。聖書の価値を認める人は,イエスの言われた通りにすることでしょう。そして教え,知識か知恵を授けられるように,一回ならず何回も御父に祈るに違いありません。イエスの言われたように求めつづけることは,誠実と熱意の表われです。

      2 聖書をひもといて学ぶとき,教え,知識,知恵を求める願いはかなえられます。戸をたゝくだけの努力をする人が戸を開けてもらえるのと同じく,神のことばの宝を求めるために努力するならばそれは与えられ,楽しみと益がもたらされます。他の人に代って求めてもらうことはできません。信仰の強さと聖書の真理に対する認識の深さは,聖書をどれほど学ぶかという事に関連しています。エホバによみされる道を歩むには,エホバのみわざとお約束に対する認識を持ちつゞけなければなりません。それはクリスチャンの熱意を燃え立たせる火です。しかし聖書の勉強を怠るとき,その火は弱くなります。

      3 (イ)なぜ聖書を定期的に学ぶべきですか。(ロ)どうすれば聖書の真理に普通以上の注意を払うことができますか。

      3 聖書の勉強をたゆまずにつゞけないと,学んだ真理もやがてぼんやりとしか記憶に残らなくなり,たしかにつかんでいるかどうかも怪しくなってきます。それは信仰から離れる第一歩です。使徒パウロはこの事を警告して次のように述べました,「こういうわけだから,わたしたちは聞かされていることを,いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと,おし流されていまう」。(ヘブル 2:1,新口)聖書の真理をくり返し思いおこすならば,それに普通以上の注意を払うことになります。そうすれば真理を心に刻むことになり,たまにしか考えない事柄のようにすぐ忘れる心配はありません。何度も思い返すことによって,はっきり思い出せるようになります。

      4,5 真理を深く知ることはなぜ必要ですか。どうすればそのような知識を得られますか。

      4 献身したクリスチャンならば,水の浸礼を受けたとき,イエス・キリストにならって真理をあかししたいとの願いを表わしたのです。イエスはポンテオ・ピラトの前で言われました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。(ヨハネ 18:37,新口)真理をあかしするためには,まず真理を知らなければなりません。真理をよく知れば知るほど,御霊の剣を巧みに用いて「要塞をも破壊」し「さまざまな議論を破り,神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわ」すことができます。(コリント後 10:4,5,新口)人の心に深く根をおろした間違った宗教や考えは,容易に取り除けるものではありません。首尾よくそれを成し遂げるには,剣を巧みにふるうことを学んだ昔の兵士のように,聖書を巧みに使うことを学ばねばなりません。

      5 クリスチャンの剣は聖書です。聖書を思うまゝに使いこなせますか。間違った教えを巧みに論破できますか。真理にさからう議論を論破できますか。もしできないとすれば,聖書の勉強を改善し,宣教において聖書をますます使って,聖書という剣の使い方をますますみがかねばなりません。

      聖書を読む

      6 聖書の通読にはどんな価値がありますか。

      6 聖書を学ぶのにいちばん良い方法は,題目別に学ぶことです。しかし聖書を通読することに価値がないという意味ではありません。聖書の通読には大きな価値があります。そのことからは背景となる貴重な知識が得られ,神のことばが全体的に把握されます。それは大きな出来事が何時起きたか,神と交渉のあった人々がそれぞれどの時代の人であったかを時の流れの中で位置づけるのに役立ち,これらの人々またそのした事を知るのに役立ちます。このすべての知識は,エホバの真理を効果的に証言するのに必要です。

      7,8 (イ)聖書を全部読みましたかと聞かれたとき,エホバの証者はなぜハイと答えられるべきですか。(ロ)ものみの塔聖書冊子協会は,聖書を読むことを,どう考えていますか

      7 個人的な聖書の勉強のプログラムの中に,聖書を読むことをいれていますか。聖書を何時も読むことを人にすゝめながら,自分自身は読まないでいますか。真理について証言する目的で人を訪問したとき,聖書全体を読みましたかと聞かれて何と答えますか。読みましたと,はっきり答えられますか。それとも少しもじもじしてほとんど全部読みました,と答えますか。はっきり答えられなければ,聖書の真理を宣明する者としての信用は落ちてしまうでしょう。

      8 ものみの塔聖書冊子協会は,聖書の教えを説明した手引のほか,聖書を読むことを長年の間すめてきました。ニューヨーク,ブルックリンにある協会の印刷工場の壁には,「神のことば聖書を毎日読みなさい」と大きな字で書かれ,毎日,通勤の途中そこを通る何千人の人々に,人はすべて聖書を定期的に読むべきである,という事を語りかけています。これは聖書を読むことに対する協会の立場を示すものです。エホバの証者は世界中でいちばん良く聖書を読む者でなければなりません。ものみの塔ギレアデ聖書学校においてもこの事は認められ,学生は学校を終えるまでに聖書全巻を読むことを要求されています。聖書を読むことをこのように重んずるのは正しい事です。私たちの生活は神のことばを中心にしています。その真理を伝道し,その約束を信じ,その原則に従って生活する私たちは,だれよりも率先して聖書を毎日読むべきです。

      何時勉強するか

      9 証者はなぜ自分を教えるべきですか。

      9 献身したエホバの証者ならば,非常にいそがしい毎日を送っています。その時間の大部分は世俗の仕事と宣教活動でなくなってしまいます。することが多いため,自分の勉強の時間を見つけるのが問題です。しかし霊的な福祉と円熟のために,個人的な勉強は欠くことができません。それを怠ることはできません。たえず自分自身を教えていなければ,どうして他の人を能率的また効果的に教えることができますか。忙しいスケジュールをやりくりして,自分の勉強の時間をくみいれて下さい。

      10 自分の勉強また聖書を読む時間を,どのように作りますか。

      10 できれば週毎の勉強時間をきめ,その時間にはテレビ,ラジオその他の娯楽に気が散らないようにしましょう。一晩を勉強にあてることができなければ,午前中あるいは午後の時間を利用できるかも知れません。たとえ1時間でも,きまった時間を勉強にあてるならば,全然ないよりもましです。毎週テレビの人気番組をいくつか見る時間がありますか。そのうち一つか二つ見るのをやめて,その時間を勉強にあてることはいかがですか。毎日15分か30分の時間でも,聖書を読むのに利用できます。聖書を何時も持ち歩き,病院や歯医者の待合室,バスや電車を待つ時間,美容院や床屋で番を待つ時間を無駄にせず,有効に用いて下さい。朝,昼休み,あるいは寝る前の時間を使って,聖書をいくらかでも読めるならば,それを毎日の習慣とすることによって,長い間には一回だけでなく何回も聖書を通読できます。

      11 勉強の時間と他の活動との釣合をとるため,何が提案されていますか。

      11 献身したクリスチャンは,毎月少なくとも10時間を宣教に費やすように努めています。同じ分量の時間を自分の勉強にあてることを目標にしてはどうですか。霊的に活発であるために

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