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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 5月1日
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『こうべを上げ』て救いを知らせる
エホバの証人の1969年度年鑑より
韓国
人口: 30,469,000人
伝道者最高数: 8,281人
比率: 3,679人に1人
ここ韓国の兄弟たちは,今の古い事物の体制に残された時間がきわめて短いことを知り,そのことをいよいよ速度を加えた活動の中に表わしています。今やかつてなかったほど大きな収穫の仕事があり,韓国の兄弟たちは,「関心のある人すべてをハルマゲドンまでに集め入れることができるだろうか」と考えています。答え応ずる人が非常に多く,そのすべてを世話するだけの時間がないように思われるのです。しかし地域大会で発表された聖書研究の新しい方法は,兄弟たちが限られた時間内に仕事を終えるのをまさに助けるものです。
バプテスマを受ける新しい伝道者が1000人を越えたのは今年が初めてです。地域大会で505人がバプテスマを受け,年間の受浸者数は1059人になりました。集会の出席者数は国全体にわたって増加を続けており,兄弟たちは文字どおり御国会館の壁に押しやられています。記念式には,全部で1万8992人が集まり,出席者すべてを収容するため,その晩に集会を二度開いた会衆も幾つかありました。国全体の,「ものみの塔」研究への出席者数は伝道者と開拓者を合わせた数の111パーセントにまでふえました。前年のこの比率はちょうど100パーセントでした。たいていの会衆はもっと大きな集会場所を手に入れることを真剣に考えています。京城の近くにある一つの会衆は資金を集めて建築資材を買い,兄弟たちが労力を提供して,大きな御国会館を新築しました。1年以内に,この会衆の出席者数は150パーセントもふえました。
ある特別開拓者の姉妹の語る経験があります。新しい任命地での彼女の喜びは長く続きませんでした。やがて彼女は非常に陰うつな気持ちにおおわれるようになりました。何度も医師を訪れましたが,からだに異状はありません。自殺を思いめぐらしていることさえありました。もとより彼女はエホバの組織にもたらすそしりを思い,そうした考えを直ちに心の中からしめ出しました。その時,会衆の監督が「わたしたちを悪しき者から救ってください」という題の講演をとり決めました。この講演は彼女が自分の問題を検討しなおす助けとなりました。二,三年前,心霊術をしていた彼女のおばが自殺し,彼女はおばが残した時計と幾らかの衣服を持っていました。振り返って考えると,彼女の陰うつな気持ちはそれと同じころから繰り返し起きていました。彼女は直ちに問題の時計を海に捨て,おばの衣服を火で焼きました。それ以後,陰うつな気持ちにまとわれることはなく,奉仕における喜びを完全に取りもどすことができました。
円熟性は野外で遭遇するいろいろな状況にどのように対処するかということに示されます。特別開拓者の一姉妹はある家をそれまでに3度尋ね,3度とも証言できなかったのを覚えていました。その家に4度目に近づいた時,彼女は自分の音信をどうしたら伝えられるだろうかと思案しました。しかし今度も,その家の婦人は戸口に出て来ず,ただ中から,「わたしはイエスを信じられません」と応答しました。その姉妹は向きを変えてその場をいったん去りましたが,すぐ戸口に引き返し,「あなたは自分に好意をもたず,自分をきらってさえいる人の所を尋ねたいと思いますか」と声をかけました。婦人が,そうは思わないという意味の返事をした時,姉妹は,「でもわたしはまた4か月したらここに来て,あなたにお会いするのです」と言いました。すると婦人は,「わたしだったら,そんなことをしないでしょう」と答えました。姉妹は続けて言いました。「おっしゃることはわかります。わたしも,自分の考えでしているなら,こちらへは来ないでしょう。でもわたしは神の御心と神の過分の恵みにしたがってこの仕事をしているのです。それでわたしは再びお宅に来なければなりません」。この率直なことばは抵抗する気持ちを失わせました。婦人は2冊の雑誌を受け取り,再訪問の約束に応じました。再訪問の際に研究が始まりました。その時伝道者が知ったことによると,この婦人のむすこは片目が失明しており,その原因は婦人が近所で,信仰されるある岩に供え物をしなくなったためであると,女占い師から告げられていました。そして,イエスの信仰に転ずれば,その岩に宿る霊の怒りを受けてさらに大きな災いに合うだろうと言われていました。婦人は二,三度勉強しただけで悪霊崇拝と関係ある品物すべてを焼きすてました。伝道者のねばり強い態度と明敏な判断の結果として,いまこの婦人は悪霊崇拝の影響から解放されています。
4月におけるノア兄弟の3日にわたる京城訪問は,その際に講演を聞いた近くの兄弟4881人にとって特別の喜びとなりました。わたしたちすべては,1969年の極東地域における国際大会の皮切りとしてノア兄弟が大ぜいの旅行者を伴い,再び京城を訪問されるのを心待ちにしています。韓国の兄弟たちは1963年の国際大会をなつかしみ,再び外国の兄弟たちを迎えるのを楽しみにしているのです。
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成功の秘訣ものみの塔 1969 | 5月1日
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成功の秘訣
● 英国のエホバの証人は「進化と創造」と「真理」の本を大いに用いたため,聖書研究の活動は驚異的に進歩し,はじめて5万以上の研究が司会されるようになりました。会衆の伝道者である,一人の証人とその妻は合わせて17もの研究を司会しています。6か月間研究したそれら17人のうち,11人は時おり集会に出席し,6人は定期的に出席しています。また5人は家から家の宣教奉仕のわざに参加しています。そのうえ,そのうち4人はすでに自分自身が他の人との研究を司会しているほどです。このような成功の秘訣はなんですか。別に特別なものではなく,ただあらゆる事において,研究生のために心をこめるということです。その妻はこう述べました。「私が話している事の意味をはっきりさせます。集会や奉仕の楽しさや,エホバが与えてくださる成功について話し,私が行なっていることを熱心に説明します」。
―エホバの証人の1969年度年鑑より
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 5月1日
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読者からの質問
● 復活したイエスがマグダラのマリアに対し,自分に触れてはならないと言われたのはなぜですか。その後トマスに対しては,自分のからだに触れるようにと命じておられます。―ハイチの一読者より。
ヨハネ伝 20章17節を理解するにあたってどの程度の問題が生ずるかは,どんな聖書翻訳を使うかによっておおむね決まります。「カトリック・ドウエー訳」(英文)と「欽定訳」(英文)の双方は,イエスがマリアに対し,自分に「触れ」てはならないと言われたように訳しています。「ドウエー訳」はこうです。「イエス彼女に言う,我に触るるな,我いまだ我が父のもとに上らざればなり」。(ヨハネ 20:17)しかしこの翻訳によると,イエスはのちにトマスに向かってこう言われました。「なんぢの指をここに入れ,我が手を見よ。なんぢの手を伸ばし,わがわきにあてよ」― ヨハネ 20:27。
イエスがマリヤに対し自分の化肉したからだに触れるなと言い,のちにトマスに向かって,自分に触れるように勧めたという問題は,他の言語の聖書翻訳の場合にも起きています。ドイツ語では,「エルバーフェルダー訳」と「ルーテル訳」が,ヨハネ伝 20章17節を,イエスに「触れ」てはならないという意味に訳しています。これは,フランス語の「クランポン聖書」と「リエナール聖書」,イタリア語の「リペドタ訳」と「ディオダチ訳」,またスペイン語の「モデルナ訳」,「バレラ訳」,「ナカル-コルンガ訳」などについても言えます。
しかし,「触れる」というのは,ギリシア語「ハプト」に含まれる多くの意味のうちの一つにすぎません。このギリシア語のことばには,「すがりつく,つかまえる」という意味もあります。(W・E・バイン編「新約用語の解説辞典」第4巻,145ページ)したがって「新英訳聖書」はヨハネ伝 20章17節のイエスのことばを,「わたしにすがりついてはならない。わたしはまだ父のもとに上っていないからある」と表現しています。また,「アメリカ訳」,カトリックのフランス語および英語版「ラ・ビーブル・ド・ジェルサーレ」(エルサレム聖書)も,イエスのことばを同様に訳出しています。スペイン語の「エディシオネス・パウリチス」は「スエルターメ」ということばを用いています。これは「わたしを行かせよ」という意味です。
マグダラのマリヤの場合を考えると,彼女は,イエスが死んだので追随者たちはとり残されたと考え,大いに動揺していたものと思われます。復活後に化肉したイエスを見た時,マリヤはイエスにすがりつきました。イエスを見失い,もはや再び会えないのではないかと考えたためです。イエスのことばはマリヤの考え違いを正すためであったでしょう。それで,どこかに行ってしまうのを妨げようとするかのごとくに,イエスのからだにつかまる必要のないことを示されたのです。やがてイエスは天に上り天から聖霊を送って,ご自分の弟子たちを強めるのです。それで「新世界訳聖書」はマリヤに対するイエスのことばを適切にこう訳出しています。「わたしにすがりつくのをやめなさい。わたしはまだ父のもとに上っていないからである。むしろわたしの兄弟たちの所に行き,『わたしがわたしの父,あなたがたの父,わたしの神,あなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」― ヨハネ 20:17,新。
その数日後,しかし天に上る前,イエスはトマスに対し,自分の化肉したからだに触れることを勧めました。それは,ご自分つまりキリストが確かによみがえったことをトマスに得心させるためでした。(ヨハネ 20:27)それでこれはイエスがそれ以前に言われたことと食い違うわけではありません。
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