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    目ざめよ! 1979 | 10月8日
    • 外国語を学んでみませんか

      ホンジュラスの「目ざめよ!」通信員

      多くの人はこの挑戦に応じてきました

      あなたにもできます

      中央アメリカのある国に着いたばかりの旅行者が,バスの中で料金の支払いを求められて「ヤ・レ・ボイ・ア・ペガル」と答えました。それが「お前を殴ってやる」という意味であることに,その人は明らかに気づいていませんでした。この人は「いま払います」(「ヤ・レ・ボイ・ア・パガル」)と言ったつもりなのです。自分がこのような間違いをしたとすれば,どんな気持ちになったと思いますか。

      今日ほど旅行が盛んになったことは,人類史上かつてありません。外国を訪れる時,人々と意思の疎通を図ることが必要になります。といっても,言葉が問題です。この問題をどのように克服できますか。旅行を始める前でも,何かできることがありますか。

      言語学習の優れた教本 ― そしてそれを定期的に使う決意 ― が大きな益となるでしょう。新しい言語を学ぶ人が自分の耳で聞いてから,単語や表現を繰り返すことによって練習できるテープつきのコースもあります。

      とはいえ,次のようにお考えになるかもしれません。「この点で心配はありません。世界中の何百万の人々がわたしの母国語を使っているのですから」。しかし行こうとしている国の言語を話せると大変に好都合であることを実感するのに,長い時間はかからないでしょう。

      しかしあなたは首をかしげてこう言われるかもしれません。わたしにも外国語を学ぶことができるだろうか。難し過ぎるのでは? 年を考えるともう遅いのでは? 才能がなければだめではないか。自分にも本当にできるだろうか。

      遭遇する問題

      当然のことながら,別の言語を学ぶときには問題に遭遇しますが,それは解決可能です。

      新しい言語を学ぶことに対するあなたの態度は非常に大切です。消極的な見方に陥ってはなりません。積極的な面を考えてごらんなさい。別の言語を学ぼうとしたその理由を思い返してみるのです。いっそう多くの人と意思の疎通を図れるというのも,一つの優れた理由です。外国語を読めれば,自分の教養を広めることができるというのも別の理由です。これは外国の人々の考え方や風習を理解する助けとなります。

      最初のうち,新しい言語の単語を発音しようとして,なぜこんなに難しいのだろうと,思うかもしれません。たぶんそれは全く異なる音声記号や音に取り組んでいるためです。ほとんどすべての言語には20ないし60の音がありますが,これらの音声は言語によって異なり,中には特定の言語にしかない音があります。例えばドイツ語のü(überなど),英語のth(fatherなど),またスペイン語のñ(niñoなど)がそれです。

      したがって別の言語を学ぶに際しては,発音をまず聞いて,音を正確に理解しなければなりません。これには耳が関係しています。またその言語を話してみたいとも思われるでしょう。これには口と正しい呼吸法が関係しています。

      新しい言語の発音を初めて聞く時,おそらく,ほとんど理解できないでしょう。それは音声の型に耳が慣れていないためです。しかし落胆してはなりません。注意深く耳を傾ければ,特定の単語を,次いで句と文を次第に聞き分けることができるようになるでしょう。

      しかし聴くだけではなくて,自分の思っていることを表現してみたいと思われるでしょう。新しい言語を正しく話すには,舌,のど,くちびるそして呼吸法さえも協調させねばなりません。ある単語をあとについて発音してみても,初めは,その言語を母国語とする人の発音と同じには聞こえないでしょう。なぜですか。あなたの舌や口の他の部分は,自分の母国語を話すのに必要な一定の動きに慣れているからです。これらの動きを変えるには時間と努力が必要です。努力しつづけてください。あきらめてはなりません。同じ問題を克服した人々がいます。どのように克服したかに,関心を持たれるでしょう。

      成功する方法

      外国語を学ぶ点では特別な才能に恵まれている人もいると考える向きがあります。それでこのような人はそれほど苦労せずに短期間で外国語を習い覚えると言うのです。なるほど,それにも一理ありますが,しかし次の原則もまた真実です。「惜しみつつまく者は少なく刈り取り,惜しみなくまく者は豊かに刈り取るのです」。(コリント第二 9:6)したがって,新しい言語を学ぶことに精を出し,来る日も来る日も定期的に学ぶなら,優れた結果を得ることができるでしょう。

      言語の勉強と実地の応用に時間をかければかけるほど,それだけ早く進歩します。たとえ一日わずか10分か15分でも,毎日幾らかの時間を費やせば,週に一度だけもっと長い時間勉強するよりもずっと効果的です。世界各地で奉仕しているエホバの証人の宣教者は,たいてい非常に短い期間で新しい言語を使いこなすようになります。どのようにしてですか。新しい国での最初の三か月間,宣教者たちは毎日四時間,ふつうは午前中,資格ある教師について学び,午後は学んだ事柄を用いて,神の王国の事柄を土地の人々に語るのです。

      謙虚な態度は助けになります。言語の習得に間違いは付きものだからです。事実,母国語を話していても,たいていの人は時おり間違いをします。間違いをした時,他の人にどう思われるかを気にして,深刻に考え過ぎ,それを進歩の妨げにしてはなりません。他の人があなたの間違いを笑うなら,一緒に笑えば良いのです。後になって振り返る時,そのような間違いを人に話すことさえして,自分も笑うのですから。これを示す例になると思われる出来事をお話ししましょう。

      クリスチャンの集会でのこと,会衆の神権学校において幾人かの人が話したスペイン語の聖書の話に対して助言が与えられていました。その晩,幾人かの研究生が,たまたま同じ話し方の特質を身につけるよう努力することになっていました。教訓者が何度も“ドイツ人”(alemanes)という語を口にするので初めのうち奇妙に思えました。教訓者は身振り(ademanes)を改善するよう研究生に勧めていたのです。

      別のとき,話し手は,間近に迫った大会に参加することを出席者全員に勧めていました。大会が開かれるのは雨期だったので,話し手は雨具の用意をするよう聴衆を促すつもりでした。ところが,ブーツを持って行くようにと言うつもりで,ボートを持参するようにと言ってしまったのです。

      それを母国語とする人と話しなさい

      新しい言語を学ぶに当たって,助けが必要とされていることに気づかれるでしょう。このような助けを与えることができるのはだれですか。それは自分が学ぼうとしている言語を話す人々と交際することによってのみ得られます。おもにあなたの母国語を話す人々と交わっているなら,進歩は遅くなるでしょう。ですからその新しい言語をよく話す人を自分からすすんで捜して,会話を交わすことです。それには特別な努力が必要かもしれませんが,そうするだけの価値はあります。あなたの話す言葉に間違いがあれば,直してもらってください。訂正されたら,それを喜んで受け入れます。直してもらうことは,特に言語学習の初期には大切です。なぜですか。特定の単語の発音を間違って覚えると,直すのに長い時間かかることがあるからです。

      相手の言葉を理解できない場合があれば,その単語あるいは表現をもう一度言ってもらいます。それでも分からなければ,もう少しゆっくり繰り返してもらうのです。それから今覚えた単語あるいは文を自分で言ってごらんなさい。あなたの謙虚な態度を見て,他の人は喜んで援助するでしょう。しかしささいな間違いをいちいち取り上げて自信を失わせないでほしい,とその人に伝える必要もあるかもしれません。

      注意を一言。すべての言語を同じ型にはめることができると考えてはなりません。そうではないのです。ある言語だけに見られる特色というものがあり,自国語にはそれに相当するものが何も無いかもしれません。お国の言葉で,ある事柄をなぜそのように表現するのですかという質問を受けたことがありませんか。あなたは何と答えましたか。「そうですね,そういう言い回しなのです。理由は分かりませんが」。つまり,学んでいる言語のある事柄は理屈抜きに覚えなければならないという事です。

      時たつうちに,その新しい言語を人々が普通の速さで話しているのを理解できるようになります。そのうえ,その言語で自分の意志を表現し,他の人々に理解してもらえるようになるでしょう。しかし新しい言語を話す点でさらに上達したいと願うに違いありません。

      別の言語をマスターする喜び

      職業であれ,車の運転であれ,料理であれ,物を学ぶに当たっては,新しい言語をマスターすることに通じる一事があります。それは何ですか。基礎的な知識を習得した後,さらに学ぶべき事がまだ多いのに気づくという点です。結局のところ,エキスパートになるのが望みであれば,話すことにいっそう熟達したいと思われるでしょう。

      ご存じのように,新しい言語で“どうにか話が通じる”のと,表現力豊かに話せるのとでは大違いです。言語に精通する方法を幾つか挙げましょう。かぎは語いを増やすことです。既に十分知っていると思われるならば,次のように自問してみてください。ある話を聞いて楽しいと思うのはなぜですか。それは話し手が巧みに言葉を選び,きわめて適切な表現を用いるからではありませんか。クリスチャン使徒パウロはその事を次のように述べています。「あなたがたの発することばを慈しみのあるもの,塩で味つけられたものとし,ひとりひとりにどのように答えるべきかがわかるようになりなさい」― コロサイ 4:6。箴言 15:23; 25:11と比べてください。

      良い辞書を使うことも,言語の知識の幅を広めるのに役立ちます。その言語にいっそう精通する一方,話に彩りを添える慣用的表現を用いて言語に熟達することを学べるでしょう。

      また様々な意味の微妙な相違を表現する異なった言葉を使えるようになります。反意語や同意語は話に変化をそえます。またその言語で書かれた特定の書物を読んで理解し,読んだ事柄を他の人々と分かち合えると,深い満足を味わえるでしょう。特にこれは外国へ行った大勢のエホバの証人の宣教者について言えることです。宣教者たちはその国の言語を学び,今や神の王国の良いたよりをそれらの国々で人々に分かつことができるのです。

      努力のしがいがありますか

      ちょっと考えてごらんなさい。お子さんがいるなら,その子が初めて口を利くのを聞いた時,どうお感じになりましたか。あるいは外国へ行ったことのある人ならば,その国の言語で簡単な会話を交わすことができた時,うれしく思わなかったでしょうか。確かにうれしかったに違いありません。

      努力を重ね,外国の人々とその言語で意思を通わせられるまで進歩した暁には,あなたも同様に大きな満足を味わうでしょう。また,神に献身した僕であれば,さらに大きな満足をもたらすものがあります。神の言葉聖書の知識を他の人々に,その人たち自身の言語,その母国語で伝えることにより,まぎれもない,永遠の幸福をもたらすことができるのです。このすべては別の言語を学ぶという挑戦に応ずるときに可能となります。

  • 増加する,宗教団体の学校
    目ざめよ! 1979 | 10月8日
    • 増加する,宗教団体の学校

      米国教育局の私立学校専門家ドワイト・クラムは,教会の学校について,「それは間違いなく,今日の民間教育の分野で最も急速な成長を遂げた部門である」と,述べています。この問題についてウォール・ストリート・ジャーナル紙に載せられた記事がその理由として挙げているところによれば,クリスチャンの親は,「子供たちの学んでいる事柄が不十分であり,また学んでいる事の多くが自分たちの宗教上の信念と相いれないという結論に達し」ました。それで多くの親は公立学校にうんざりしています。ある推計によれば,現在,教会の学校は5,000校を数え,しかもまだ増加しつつあります。

      教会の学校は基礎教育に力を入れ,公立学校の“虚飾”をすべて廃し,生徒に注意が行き届く小人数のクラスで厳しいしつけをしています。

      ある州では,州および連邦政府の規制,とくに州が教師や学校を認可する問題をめぐって論争が起きています。しかし多くの州の当局者は公立学校の問題だけで手いっぱいだと考えており,意見の衝突を避けています。フロリダはこのような州のひとつで,同州には推定300校の教会の学校があります。

      「『我々のしている事が責任の放棄であるとは思わない』と,フロリダ州の教育長ラルフ・ターリントンは語っている。『公立学校をきちんと整えるまでは,他の者の水準についてとやかく言えない。厚かましくも,自分のことをたなに上げて他を責めることなど,どうしてできるだろうか』」と,ウォール・ストリート・ジャーナル紙は述べています。

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