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  • 葬式で遺族の人々を慰める
    ものみの塔 1970 | 2月15日
    • そこで息を引きとりました。その遺言には,こよなく愛するようになったこの町に自分を埋めるようにとありました。猛吹雪のため,彼の死んだ翌日はだれも訪れませんでした。次の日,おいの一人がピッツバーグから雪の中を到着しました。その夜,そのおいと葬式の司会者が,長くわびしい通夜をしました。翌日,この金持ちの葬儀に参列したのは,そのおいだけでした。

      「わたしたちの事情はその人の場合ほど悪くはありませんでしたが,母の葬式の前夜,わたしたちは少し心配し,翌日の母の葬儀には大ぜいが出席してくれるだろうか,それともわずかの出席者しかいないだろうかといぶかっていました。

      「翌朝,エホバの証人の奉仕者と,その会衆の成員であるすばらしい人々が到着すると同時に,それまでわたしたちの心にあった心配は消えました。この人々が身に着けておられる熱意と親切心のすばらしさは言い表わせないほどです。わたしの思いつく中では,清朗ということばが一番ふさわしいでしょう。各へやがエホバの証人でいっぱいになり,そのかたがたの口からなぐさめのことばを聞くと,陰うつな気持ちは消え,この世が急に明るくなったように感じました。前の夜に話を聞いた著名な大金持ちより,こうしたすばらしい友人を持つ母のほうがはるかに豊かであったと考えざるを得ませんでした。参列した親せきのひとりは,感嘆し,このように人を力づける葬式ははじめてだと言いました。

      「皆様から贈られた美しい花々,また棺の付き添いをしてくださったかたがたのご親切,それと同時に参列してくださった皆様の暖かいお気持ちなどにわたしたちがどれほど深く感謝しているかを申し上げねばなりません。わたしたちはこれらのことをいつまでも思い出すでしょう。慎しんでお礼を申し上げます。皆様の上に神の御祝福がありますように」。

      確かに,葬式は,神からの復活の希望とクリスチャン愛,およびクリスチャンのふるまいによって,遺族の人々を慰めるよい機会となります。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1970 | 2月15日
    • 読者からの質問

      ● イザヤ書 19章18節に述べられている「カナンの方言」とはなんですか。

      「エジプトにかかる重荷のよげん」の中で,預言者イザヤは次のように予告しました。「その日エジプトの地に五のまちあり カナンの方言をかたりまた万軍のエホバに誓ひをたてん」― イザヤ 19:1,18。

      紀元前732年ごろに書かれたこの預言は,紀元前607年のエルサレム滅亡後に起きる事柄に触れています。ネブカデネザルの率いるバビロニア人は貧しいユダヤ人をエルサレムに残して行きました。その中のある者は反逆して総督ゲダリヤを殺し,人々はエレミヤの助言に逆らってエジプトに逃亡しました。(エレミヤ 41:1-3; 42:9–43:7)聖書の記録には,彼らがミグドル,タパネスおよびノフの三つの町に住んだことが明示されています。(エレミヤ 44:1)この時エジプトに難をのがれた人々は,それ以前からエジプトにいたユダヤ人に合流したと考えられます。―エレミヤ 24:1,8-10。

      ヘブル語聖書は今日古代ヘブル語として知られていることばをヘブル語という名称で扱ってはいません。ヘブル語は時には,「ユダヤ語」とか,「ユダヤの言語」と呼ばれました。(列王下 18:26。ネヘミヤ 13:24)このことばは言語学でセム語群に属しており,アブラハムの時代にカナンの地で使われていた言語はヘブル語の同族語だったと考えられます。イスラエル人が約束の地,すなわちカナンの地をひとたび手中に収めたとき,彼らのことばは二つの意味で「カナンの方言」と言うことができたようです。つまりそれは,滅ぼされたカナン人のことばに似ており,また,カナン人の領域を新たに支配するようになった人々のことばという意味です。

      したがって,住民が「カナンの方言をかた(る)」エジプトの町々に関するイザヤ書 19章18節は,エジプトの町々にのがれたユダヤ人が用いていたヘブル語をさしています。

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