-
言語という賜物目ざめよ! 1971 | 5月22日
-
-
れたのではないようです。それぞれ,人間の感情と思想をすべて表現しうる,全く新しい言語をいくつかつくられたのです。
したがって,バベルの塔の建築者たちは,「ひと組のことば」,ひとつの共通の語い,また共通の語法,すなわち語と語の関係を表現する共通の方法を用いつづけたのではありません。S・R・ドライバー教授は言っています。「しかし,種々の言語は,語法や語根に相違があるのみならず……考えを文に組み立てる方法においても異なる。種族によって考え方が違う。したがって,異なる言語の文の形態は同じでない」。
このように,異なる言語は,異なる考え方の型を要求しますから,新たにそのことばを習う者にとっては,『そのことばで考える』ことがむずかしいわけです。未知の言語で話されたことや書かれたことの直訳が,非論理的に思えたり,人々にしばしば,「なんのことやら分からないじゃないか」という意味のことを言わせる原因もそこにあります。ですから,全能の神は,バベルにいた人々のことばを乱したとき,まず,以前の共通の言語に対する彼らの記憶を完全にぬぐい去り,しかるのち,彼らの思考の中に,新しい語いのみならず,新しい語法を生み出す異なる考え方の型を入れられたようです。
たとえば,ある言語は単節語です。つまり1個の音節のことばで構成されています。中国語はその一例です。これと対照的に,他のいくつかの言語の語いは,主として膠着法,つまり語と語を隣合わせに配置させる方法によって形成されています。たとえばドイツ語のハウスフリーデンスブルッフという語は,文字通り,「家・平和・破壊」という意味をもちます。英語を話す人にもっと分かりやすく言えば,「トレスパス」(侵入)という意味です。ある言語においては,シンタックス,つまり文中の語の順序は重要ですが,他の言語ではほとんど問題になりません。またある言語には活用型(動詞の形態)がたくさんあります。ところが他の語,たとえば中国語などにはひとつもありません。このようにあげれば違いは際限なくあり,いずれも思考の型の調整を要求し,その調整には多くの場合たいへんな努力が伴います。
語族
創世記の10章には,一般に「民族一覧表」と呼ばれるものがのっています。それは,70の氏族,種族または民族が,どのようにノアの3人のむすこ,ヤペテ,ハム,セムから生まれ出たかを示しています。いずれの族の場合も,「その宗族とその方言とその土地とその邦国に随」って分類されています。―創世 10:5,20,31,32。
言語を比較研究する言語学は,今日,言語をはっきりした「語族」に分類します。現代の言語学者があげているおもな語族は,インド・ヨーロッパ語族,セム語族,ハム語族,アフリカ・ニグロ語族,シナ・チベット語族,日本および韓国語族,ウラルおよびアルタイ語族,ドラビダおよびマラヨーポリネシア語族です。しかし,今日の分類からはみ出ている言語がまだたくさんあります。
興味深いことに各主要語族の「祖」となる言語は,たいていの場合,確認されていません。どれかひとつの「祖」語を,現在使われている,いく千という言語すべての源とする証拠はありません。証拠はむしろ,「祖」語の多くがバビロンで始まったことを示しています。
バベルにおいて神の取られた処置の結果生じたいくつかの原語が,時のたつうちに方言を生み出したことは明らかです。これらの方言は,多くの場合,発達して別の言語になりました。バベルの群衆の中に当然姿を現わさなかったと思われるセムの子孫でさえ,ヘブル語のみならず,アラム語,アカド語,そしてアラビア語まで話すようになりました。
歴史的に言えば,種々の要素が,言語の変遷に影響してきました。距離とか地理上の障害による分離,通信の途絶,戦争と征服,他言語を持つ民族の移住などがそれです。こうした事柄のために,昔の主要な言語は,断片化されていきました。しかしまた,ある言語は部分的に他の言語と合体しました。完全に消滅して,侵略してきた征服者たちの言語に取って代わられた言語もあります。
インドヨーロッパ語族
各主要語族の中には,さらに多くの区分,すなわち小さな語族があります。インドヨーロッパ語族に含まれるものは,ゲルマン(またはチュートン)語,ロマンス(またはラテンロマンス)語,バルトスラブ語,インドイラン語,ギリシア語,ケルト語,アルバニア語,アルメニア語などの語派です。
ついで,これらの小語族の大部分は,いくつかの成員を有します。たとえばロマンス語派は,フランス語,スペイン語,ポルトガル語,イタリア語,ルーマニア語を擁します。ゲルマン語派には,英語,ドイツ語,オランダフランダース語,デンマーク語,アイスランド語,ノルウェー語,スウェーデン語などが含まれます。
すべての語族のうちで最も広く用いられているインドヨーロッパ語族は,地上人口の約50%によって話されます。この語族が「インドヨーロッパ語」と呼ばれるゆえんは,その場所にあります。つまりインドとヨーロッパで用いられているからです。またこれらがひとつのグループにまとめられているのは,ひとつの共通の先祖を有するように思われるからです。その先祖はサンスクリットかもしれません。これらの言語には,名詞,代名詞などといった,はっきり規定された品詞があります。また語は屈折を特色とし,たいてい語尾がわずかに変化して,性・数・格などの変化を示します。さらに,これらの言語が,「母」とか「父」といった簡単な語に共通のものをもつことも,先祖が共通であることを暗示します。英語の「マザー」(母)は,ロシア語では「マト」,ラテン語では「マーテル」,サンスクリット語では「マータ」,スペイン語では「マドレ」,ギリシア語では「ミーティル」,ドイツ語では「ムッター」です。
インドヨーロッパ語族の中では,ギリシア語がサンスクリット語(もう話されてはいない)についでいちばん古く,最も明確に規定されているとともに,最も高度に発達していると,考える人が少なくありません。
多くの言語を使用しなくなる時は実際にくるでしょうか。世界的な大洪水のあと,バベルにいた多数の人間が,洪水前に示された人間に対する神のご意志にそむくまでは,全地はひとつの言語を話しました。(ペテロ後 3:5-7,13)神のお立てになる新秩序のもとでも,全人類はひとつの言語にもどるだろうというのが道理にかなっているようです。その言語が人間の最初の言語であるヘブル語であるかあるいはヘブル語に他の言語の最も喜ばしい面を取り入れたものか,あるいは全く別のものであるか,聖書は述べていません。
まことに言語は,神が人間に付与されたすばらしい賜物のひとつです。これは貴重な宝です。言語能力を通して他の人に意思を伝達できる人間は,なんと祝福されているのでしょう。
-
-
ゴミ箱で見いだされた真理目ざめよ! 1971 | 5月22日
-
-
ゴミ箱で見いだされた真理
◆ 真理が思いもよらない場所で見いだされることは珍しくありません。不幸な家庭を背景に持つカナダの,ある若者は,郵便局の紙クズ箱の中に「ものみの塔」誌が捨てられているのを見つけました。彼はそれを拾って読み,自分の持つ疑問の多くがそこで答えられているのを知りました。彼のことばによれば,「人生観が全く変わり,聖書研究をしようと思いたった」とのことです。そしてエホバの証人と連絡を取って,さっそく家庭聖書研究を申し込みました。最初から,会衆で開かれている集会に出席し,神権宣教学校にもはいり,まもなく,自分が新たに見いだした信仰を他の人々に熱心にわかちはじめました。また勇気を出して,かつて属していたカトリック司祭に会って話をし,大いなるバビロンからの脱退を申し出ました。そして昨年,地域大会でバプテスマを受けました。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
-