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神はご自身の方法でなされるものみの塔 1960 | 2月1日
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長さのきまつている「末の日」が,ハルマゲドンの最高潮において終りをつげるよう,はつきりと時間を定めておられます。この時に関し,主イエスは言われました,「その日,その時は,だれも知らない。天の御使たちも,また子も知らない。ただ父だけが知つておられる」。―マタイ 24:36,新口。
神がご自身の方法で行われるのを認めるならば,私たちは聖書の時間表が間違つていることを望んだり,「末の日」が長時間であることを望んだりしません。事実,その「時は短い」ことが保証されています。(黙示 12:12)ですから,神が物事を行う仕方を知りそれに従つて行動しないということは,何と愚かなことでしよう。ある人々は神の方法を故意に無視するようです。それはある著述家が,「ザ・クリスチャン・ダイジェスト」の中で,キリスト教国の自称クリスチャンたちに関して書いている通りです,「わたしたちは,自分たちが末の日に住んでいるということを度々口にするが,わたしたちの行為は,そう望んでいないことを証明している。世界は暗黒時代を度々通過して来た。われわれは,活動に関する正しいブログラムが分りさえすれば,時計の針を1,2世紀ばかり逆戻りさせて,いつもの仕事をやつて行くのだがと考える」。
「いつもの仕事」というのは,多くの人々が神の方法を無視して,自分自身の望む事を行うために用いる口実です。私たちは,自分の動機を調べるべきです。「いつもの仕事」のために,神の御旨を行うのを延期していますか。いつもの仕事」という方針のために,多くの人々が自分の生命を失うことでしよう。ハルマゲドンにおけるこの世の破滅の「日と時」が,ヱホバによつて定められているという事実を述べたすぐ後で,主イエス・キリストはこう言われました,「人の子の現れるのも,ちようどノアの時のようであろう。すなわち,洪水の出る前,ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた。そして洪水が襲つてきて,いつさいのものをさらつて行くまで,彼らは気がつかなかつた。人の子の現れるのも,そのようであろう」。―マタイ 24:37-39,新口。
であれば,いまは,「いつもの仕事」のための時ではなく,神の御旨に沿つて生活する時,「時を生かして」用いる時です。「現在は悪い時代なのである。それであるから,無分別な者にならず,ヱホバの御心が何であるかを悟りなさい」。(エペソ 5:16,17)あなたは,ヱホバの御心が何であるかを知るために時を生かして用いていますか。ヱホバの正しい道を学ぶのに時間をつくりますか。「ヱホバはそのすべての道にただしく,そのすべてのみわざにめぐみふかし」。(詩 145:17)神の方法は正しいだけでなく,うまく行くただ一つの方法でもあります。
この世界がうまく行つていないのは,誰も認めるところですが,神の新しい世はうまく行くでしよう。しかし,この新しい世は,人間のたてた計画を通して実現するのではありません。正義の新しい世は,神の御手により,神の御国を通して出現するのです。
ですから神の方法と一致して働きましよう。人間製の計画を信頼したり,神の忍耐に不平をこぼしたり,「いつもの仕事」のために神の方法を無視するようなことがあつてはなりません。「ヱホバをおそれその道をあゆむ者は皆さいわいなり」。―詩 128:1。
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「神から離反」ものみの塔 1960 | 2月1日
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「神から離反」
教会の世界会議アムステルダム大会の次の言明文は,キリスト教国の教会に関連を持つもので「クリスチャン信仰の宝」(英文)という本の中で出版されています。「我々の分裂した教会内では,悔い改めの気持をもつて主の御前に告白すべき事柄が多くある。……我々が神から離反したからこそ,我々の全部の罪は始まつたからだ。この理由の故にこの世の悪は,我々の教会内に深く侵入し,我々のあいだに成功,階級分裂,経済闘争,世俗的な考え,というようなこの世的な標準があるのだ。神学,言語,祈禱文に相違がなくても,人種や皮膚の色のために教会は分けられている。……我々はその味を失つて,何の役にも立たぬ塩になつている危険に存在している」。
聖書の一記書ヤコブは,神から離反を生ぜしめるこの世的なことに,次のような註解を述べています,「世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ,世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである。」 ― ヤコブ 4:4,新口。
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