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  • 神は実際に関心を有するか?
    ものみの塔 1955 | 2月1日
    • 真理の言葉を正しく扱いなさい。』『キリストを主として心に崇めなさい。誰かがあなた方の持つ希望の理由を願うならば,いつも弁明して説明しなさい。しかし,そうするときにはおだやかな気分と深い尊敬の念をもつていたしなさい。良い良心を持ちなさい。』あなたはキリストを愛しているということを証明しなさい。『人が私を愛するならば,私の言葉を守るであろう。』あなたは神を愛しているということを証明しなさい。『この神を愛する意味とは,すなわち,私たちが神のいましめを守るということである。』― ロマ 12:2。テモテ後 2:15。ペテロ前 3:15,16。ヨハネ 14:23。ヨハネ第一書 5:3,新世。

      そのようにして,あなたは神に対して関心を有しているということを証明し,そして神は実際にあなたに対して関心を持ちます。神は新しい世に住む者たちがする生活を期待していますが,現在そのような生活をすることにより,あなたは地についての神の目的と一致しているということを証明しなさい。地の美を守ることにより,地の美を愛しているということを表しなさい。動物をやさしく使うことによつて,動物を愛していることを示しなさい。いま,平和,道徳,正義そして敬虔を求めることにより,それらのものを愛しているということを表しなさい。この新しい世の良いたよりを隣人に伝道し,隣人に対する愛は,あなた自身に対する愛と同じく大きいということを証明しなさい。この狂気じみた古い世は気の狂つた神サタンの支配をうけていますが,この古い世の嘲笑や迫害にもかかわらず忠実を堅く守ることにより,あなたはヱホバの言葉とその立証に関心を有していると表し示しなさい。このすべてのことを示しなさい。そうすればヱホバはいまでもあなたに関心を払い,そしてまた約束された正義の新しい世で永久に関心を払われるでしよう。

  • 品行良く歩む
    ものみの塔 1955 | 2月1日
    • 節制

      23 節制は何と密接に関係していますか? どんな面で,私たちは鋭く気を附けるべきですか?

      23 最後に,節制について注意を向けます。これは,今日の世界の精神とは反対のものです。この世では,暴力や,怒りの発作,そして肉慾や情熱にほしいままに耽けることが定例になつています。(テモテ後 3:3)節制は,他の特質ほどに聖書の中で多く述べられていませんが,しかし,懲しめと密接に結びついていることを記憶する時,それには強い聖書的な支持があるということを知ります。私たちは不完全であるために,我儘になつたり,あるいはのんびりして気を弛めてしまうという極端なところまで行く傾向があります。手入れをうけない果物の木は,すぐに良い実を結ぶのを止めて,悪くなり,腐敗を起させる影響と病気にすぐかかつてしまうということを憶えていなさい。それですから,私たちはいつでも気を附けているべきですが,それはなにも,特別無比の御国の特権や私たちの見込みだけではなく,また内部と外部からの両方からくる危険についても気をつけるべきです。私たちは,パウロの言葉のように,競技をしている者です。『誰でも競技をする者は,あらゆることに節制をする。』彼はさらに続けて,『私の体をうちたたいて,服従させる。他の人に伝道した後で,私自身失格者にならないためである。』と言つています。―コリント前 9:25,27,新世。

      24 懲しめの他のどんな面は,良い実を結ぶのに貢献しますか?

      24 パウロは同じ手紙の後の所で,節制の不足による悲しい結果について,そして自己吟味の必要さについて注意を払つた後,懲しめの他の面を述べておりますが,それはヱホバによつてなされるものです。『自分自身が何であるかを見分けるならば,私たちは裁かれないであろう。しかし,私たちが裁かれるとき,ヱホバによつて懲しめをうけるのである。』ヘブル人に宛てた手紙の中でパウロが指摘しているように真の息子はみな懲しめを必要とし又懲しめをうけるものです。『懲しめはたしかにその当座には楽しくなく,悲しみに見えるが,しかし後にそれで訓練される者に,懲しめは平和の実,すなわち正義を結ぶであろう。』― コリント前 11:31,32。ヘブル 12:11,新世。

      25 パウロは,コロサイ書 3章12-14節で,どのようにまたどんな表象を用いて,私たちを諭していますか?

      25 この研究を終えるにあたつて,使徒がコロサイ人にむかつて何と書いたかに注意しなさい。それには,実の説明は用いられていませんが,どのような者であるかを示すために,衣服をつける説明が用いられています。しかし,同じ考え方が,そこにもあります。私たち自身で型をつくりあげて,違つた衣服をこしらえそれから,その衣服をバラバラに切り裂いてしまう必要はありません。その代りに神は御自身の型に従つて衣服を備えられ,その衣服を身につけて着るかどうかは,私たち次第なのです。それは非常に良い,愛の表現です。『それで,神の選民,聖い愛された者として,やさしいあわれみの心,親切,謙遜,柔和,寛容を身につけなさい。たがいに忍びあい,もし互いに責むべきことがあるならば,許しあいなさい。ヱホバもあなた方をおゆるしになつたのであるから,あなた方もゆるしあいなさい。これらのものの他に,愛を身につけなさい。愛は一致をもたらす完全な絆である。』そして,愛はヱホバの集めた民として,私たちを固く結びつけます。―コロサイ 3:12-14,新世。

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