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    目ざめよ! 1974 | 1月8日
    • といっしょに聖書の勉強をしています。それらの人びとはなかでもわたしたちの時代の特定の年について学び検討してきました。それは1914年という年です。この年は,わたしたちの時代や,将来に対するあなたの希望とどんな関係があるのでしょうか。

  • 人類は1914年に岐路に立った ― なぜ?
    目ざめよ! 1974 | 1月8日
    • 人類は1914年に岐路に立った ― なぜ?

      今や1974年を迎えたわたしたちが,なぜ1914年という年に関心を持つべきなのですか。なぜなら,その当時生きていたにしても生きていなかったにしても,わたしたちはその年に起きた事がらの影響を受けているからです。

      1914年以来の世界は制御を失った宇宙船に似ており,重大な危険に向かってどんどんとその速度をはやめています。なぜこうした事態が出現したかを知るためには,その年に始まった一連のできごとの意味を理解しなければなりません。

      わたしたちの生きるこの暴力的な20世紀と比べた場合,前世紀は「平和な世紀」であったと言えます。しかし,1914年に第一次世界大戦が始まってそうした様相を一変させました。変化がどれほど大きなものであったかを理解するために,第一次世界大戦が始まる以前の大陸ヨーロッパの状態について,歴史家A・J・P・テイラーの述べるところに注目してください。

      「1914年,ヨーロッパ全体は単一の文明社会をなしており,それはローマ帝国の最盛期をしのぐものであった。人は旅券を持たないでも大陸じゅうをくまなく旅行することができ,ロシアの辺境地方にまでも行くことができた。……ときおりなんらかの保健衛生上の要求を満たすほかは,特に法律上の形式手続きをしなくても,仕事や余暇のために外国に移り住むことも自由であった。通貨はすべて金と同価値であった。もっとも,この安定感は,究極的にはロンドン市の財政家たちの手腕にかかっていた。政治の形態にも共通するものがあった。……ほとんどどこにおいても人は法廷におけるほぼ公正な取り扱いを確信することができた。宗教上の理由で殺されたりする者はいなかった。政治上の論争などのさいに全般的な苦々しさの示されることがあったとはいえ,政治上の理由で殺される者もいなかった。個人の資産はどこにおいても安全であった」―「サラエボからポツダムまで」。

      ヨーロッパにしろ,あるいは地上のほかの場所にしろ,今日どこにそうした状態を見ることができますか。ジョセフ・ウッド・クラッチはこう述べています。

      「第一次世界大戦[1914-1918年]は……数世紀来高まっていた楽観的な見方,安らぎの気持ち,自信,そして,文明はついに正道を見いだしたゆえにその将来は安泰であるといった考え方に終わりをもたらした」。

      大きな転向点

      1914年はそれまで長く続いてきた相対的に平和な時代の終わりとなりましたが,この年にはさらに大きな意味がありました。それは人類世界の歴史における重大な転向点,今やその頂点に達しようとしている危機の時代の始まりとなった年です。観察者たちは歴史をふり返って,今その点を認めています。

      「1914年8月から年月が経過するにつれ,第一次世界大戦のぼっ発が一時代の終わりとなったということがしだいに明確になってきた」―「ノートンの現代ヨーロッパ史」。

      「第一次世界大戦は世界情勢という街道における重要な里程標となった。それは一時代の終わりであり,別の時代の始まりであった」― カーネル・R・アーネスト・デュパイ著「第一次世界大戦小史」の序文。

      しかし,1945年,原子爆弾の投下をもって終わった第二次世界大戦についてはどうですか。これこそ人類にとって真の転向点となったのではありませんか。歴史家たちはそれに対して,否! と答えます。そして,なぜそうではないかをも示しています。次の点を考えてください。

      「1914年から18年の戦争は第一次世界大戦と呼ばれ,またときにただ大戦と呼ばれる。これは適切な呼び方である。それは歴史の転向点となったからである。第二次世界大戦やその後の冷戦は,[1914年から18年の]大戦によって吐き出された新しい感情,新しい状態,そして新しい機構の中から何か安定した機構を作り出そうとして苦悩する地上の持ち上がりにすぎない」― ジョン・マスターズ著「14年から18年」。

      「第一次世界大戦を,現代史の大きな転向点,さらに他の破局への道を開いた破局的な崩壊の始まりと見る歴史家がしだいに増えている」― D・F・フレミング著「第一次世界大戦の原因と遺産」。

      予見された転向点 ― だれによって?

      しかし,1914年よりもずっと前,事実四半世紀以上も前から,この年が全人類にとって重大な意味を持つ年であることをあらかじめ指摘していた人々のいることをご存じでしたか。歴史は,今日エホバの証人として知られる誠実な聖書研究生たちがまさにそれを行なっていたことを示しています。次の点に注目してください。

      今を去る1914年8月30日,「ニューヨーク・ワールド」の雑誌欄は,「欧州における恐るべき戦争のぼっ発は異例な預言の成就となった」と述べ,さらにこう記しました。

      「過去四半世紀の間,……“万国聖書研究生”[エホバの証人]は,伝道者や出版物を通して,聖書に預言された憤りの日は1914年に明けるであろうと世界にふれ告げてきた。

      「『1914年に注意せよ!』というのが旅行する幾百人の福音宣明者の叫びであり,彼らはこの風変わりな信条を携えて国じゅうを回り,『神の王国は近づいた』という教理を宣揚した」。

      彼らが,1914年,今日の歴史家たちが現代史の転向点であったとするその年を,特別に指定された年としてあらかじめ指摘したのはなぜですか。聖書の預言が彼らの導きとなったのです。

      イエスがルカ 21章20-24節で「諸国民の定められた時」について述べておられることから,彼らは,その「時」がどれほどの期間続くのか,そしていつみ子による神の王国が行動を開始して地の管理を政治上の諸国民の手から取り去るのかを知ろうとしました。(ダニエル 2:44)彼らは,神がご自分を代表する王国を長い間地上に有しておられたことを知っていました。それはユダ王国であり,その王たちは神の代理として『エホバの座に』すわると言われていました。(歴代上 29:23)

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