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  • わたしたちは終わりの日に生きているのだろうか
    ものみの塔 1983 | 7月1日
    • わたしたちは終わりの日に生きているのだろうか

      「ものみの塔」誌はこの号から8回にわたり,終わりの日に関する記事を連載します

      自分の生活に戦争の影響を受けてこなかった人がいるでしょうか。今世紀に行なわれた二つの世界大戦の余波 ― 全人類を悩ます暴力と不安と恐怖の時代の影響を感じていない人がいるでしょうか。その結果生じた経済の窮迫,軍事行動や軍備の費用をまかなうための財政負担の増加を免れた人がいるでしょうか。そして,核戦争のかつてない大きな脅威のもとにある現在,命を危険にさらされていない人がいるでしょうか。

      侵略のための戦争であろうと防衛のための戦争であろうと,また大義のための戦いであろうとなかろうと,戦争は文明を破滅に導くものでした。人命の犠牲だけを考えてみても膨大な数に上ります。ノルウェーの科学アカデミーが1969年に計算したところによると,西暦前3600年以降世界が平和であった年はわずか292年にすぎませんでしたが,戦争は1万4,531回生じています。

      今世紀,特に1914年の第一次世界大戦以後は「暴力の時代」と呼ばれてきました。このことに関してジェームズ・レストンは,1982年5月30日付のニューヨーク・タイムズ紙に次のように書いています。「今世紀は人類史上最も血生臭い世紀であった。様々な国の間で59の戦争が行なわれ,2,900万を超える戦死者が出た。また64の内戦が行なわれ,600万に近い犠牲者が出た。これに加えて何千万もの民間人が殺されたことは言うまでもない。これが戦争というものである」。

      もしまた世界大戦が起きるとしたなら,その結果として生じる事柄は恐るべきものであることが予想されるので,世界の指導者や科学者たちはその戦争のことを繰り返しハルマゲドンと呼んできました。(啓示 16:14,16)彼らはハルマゲドンを人間が引き起こす大破壊と見ているにすぎませんが,聖書はハルマゲドンを,「全能者なる神の大いなる日の戦争」と結び付けています。これは,地球から悪を除いて,人類の中の平和を愛する人々のために義の新秩序を確立する神の戦いです。

      義の新秩序が到来するという神から与えられたこの希望は,昔から信仰の人々を支えてきました。(ヘブライ 11章)その人々は,神が自分たちのことを思い出して,永遠の命へとよみがえらせてくださる時を心待ちにしていました。(ヨブ 14:13,14。詩編 37:29)その義人たちは神の力を信頼し,神が「地の果てに至るまで戦いをやめさせ」てその清められた地に自分たちを復活させてくださることを信じていました。―詩編 46:9。

      しかし,いつそうなるかは知りませんでした。神が行動を起こされるその時は「終わりの時」あるいは「末の日」と言われていただけでした。(ダニエル 11:40。イザヤ 2:2)ですから,イエスの弟子たちが自分たちだけでイエスに近付いて,「そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねたのも不思議ではありません。―マタイ 24:3。

      終わりの近付いていることを示す徴候としてイエスは第一に,「あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます」と言われました。(マタイ 24:6)わたしたちが「人類史上最も血生臭い世紀」に住んでいるということは,イエスが語られたしるしの成就となるのでしょうか。わたしたちは本当に終わりの日に生きているのでしょうか。

  • 第一次世界大戦と悲しみの始まり
    ものみの塔 1983 | 7月1日
    • 第一次世界大戦と悲しみの始まり

      人類の歴史はその初期の時代から暴力と戦争の歴史です。ノアの日に神が地球的大洪水を起こされたのも,『地が暴虐で満ちるようになった』ためでした。(創世記 6:11-13)それ以後も聖書や世俗の歴史には,イエスの時代以前においてさえ何百もの戦争の行なわれたことが記録されています。したがって,人類の世界にとって「戦争のこと,また戦争の知らせ」は何も新しいものではなかったでしょう。

      ですから,それらの「戦争のこと,また戦争の知らせ」がイエスの弟子たちにとって意味をなすものであるためには,何らかの点で異なった顕著なものでなければなりません。イエスは続けてこう言われました。「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,[様々な]所に飢きん,疫病,地震などがあるからである。これらのことはすべて悲しみの始まりである」。(マタイ 24:7,8,欽定訳。ルカ 21:10,11と比較してください。)ですからこれは,所々で局地的な戦争が行なわれているのを耳にするというだけのことではなかったのです。しるしのこの顕著な部分には,多くの国民や王国が関係してくることになっていました。それは全面戦争になるということでした。

      わたしたちはそのような戦争を見てきたでしょうか。確かに見てきました。それを見るようになったのは1914年の世代からでした。事実,わたしたちは全世界を巻き込んだ戦争を今世紀中に二つも見てきました。この種の戦争が,人類史の記録の中で確かに新しいものであったことは,歴史家たちがそれらの戦争に与えた名称に表われています。最初の戦争は大戦と呼ばれましたが,後に第一次世界大戦と改められ,次の大戦は第二次世界大戦と名付けられました。世界大戦は1914年以降に見られる一つの特色となりました。

      未曽有の悲しみ

      イエスの預言にたがわず,第一次世界大戦は「悲しみの始まり」をしるし付けるものとなりました。「秩序の終わり」という本のカバーにある発行者の言葉のとおりです。「第一次世界大戦とそれに続くベルサイユ条約は,長い波乱の道をたどる近代世界史の中で最も重大な激変をもたらした。……1919年にパリおよびベルサイユで会議を開いた外交官たちは,世界に秩序を回復するどころか,世界を再び,そしてこの度は取り返しのつかない,混乱状態に追い込むことになり,20世紀は混乱の世紀となった。それは秩序の終わりであった」。

      著者のチャールズ・L・ミー2世はその本の中で次のように説明しています。「しかしながら,大戦が終了した時,外交官たちが直面したのは寸断された世界であった。精神能力の極度の衰弱,従来の諸国家の連合や諸帝国の連合の解体,経済体制や19世紀の資本主義の崩壊,災害の突発,暴動や暗殺,専制や無秩序,ばか騒ぎや失望,浮いた気分やぼう然自失するほどの不安,などのただ中にあるかに見えた世界であった。……彼らは世界に秩序を回復することはできず,大戦の混乱状態はそのまま……今世紀の永続的状態となってしまった」。

      こうした悲しい出来事 ― 第一次世界大戦と共に始まった人間の死や苦しみ ― は人類史上未曽有のものです。機械化された現代の戦争 ― 戦車,機関銃,飛行機,潜水艦 ― さらには毒ガスの発明と戦争における使用 ― は世界に荒廃をもたらしました。「秩序の終わり」という本には次のように述べられています。「一つの世代がヨーロッパの戦場で一掃された。それまでだれもこのような大量殺りくは見たことがなかった。一日当たりの戦死者の数は,米国の南北戦争の10倍,ナポレオン戦争の24倍,ボーア戦争の約550倍であった」。

      それでもイエスはこれを,「悲しみの始まり」,すなわち「苦しみの劇痛の」始まりであると言われました。他の翻訳はイエスのこの言葉を「産みの苦しみの始まり」と訳出しています。(エルサレム聖書,フィリップス訳新約聖書)妊婦は,まさに子供を産もうとする時に,陣痛の激しさと回数と長さが次第に増してゆくのを経験します。第一次世界大戦とそれに伴って生じた悲しみは,苦しみの劇痛の始まりにすぎなかったのです。

      世界の苦難は増大

      やがて第二次世界大戦がぼっ発して別の,そしてより激しい劇痛が始まることになっていました。クインシー・ライトは「戦争の研究」という本の中で次のように書いています。「第一次世界大戦の時の軍事行動と,同大戦によって広まった病気とによる死者総数は推定4,000万以上,そして第二次世界大戦に起因する死者総数は推定6,000万以上であった。現代文明の中での死の少なくとも10%は戦争に直接間接の原因があると見てよい」。

      第二次世界大戦では民間人の死者が特に多く出ました。ライト教授は次のように説明しています。「第二次世界大戦においては,飢餓作戦,爆撃,財産の没収,都市全体を破壊することを含むテロ行為などが,敵国側の住民および領土全体に対して行なわれた。……敵国の生活全体が攻撃目標となった。中には,植民するために特定地域の全住民とその財産所有権を排除し,その土地をあけさせるというところまで占領政策を拡大した国もあった」。

      1945年にドレスデンと東京は空襲を受けて23万5,000人の死者を出しましたが,数か月後に広島と長崎に投下された2個の原子爆弾がもたらした惨事は,その苦しみをもはるかにしのぐものでした。失われた人命の数から考えると,昔はこれだけの人を殺すとすれば何万個もの爆弾が必要でしたが,今ではたった1個の爆弾でなされるのです。それよりもさらに破壊的だったのは,放射能中毒の致命的な影響で,それは今日まで尾を引いています。

      ワールド・プレス・レビュー誌の1982年6月号は,広島に投下された1個の原子爆弾だけについて次のように述べました。「黙示録の4人の騎士は既に解き放たれた。爆弾の投下と同時に死んだ人たちは幸いだったと言わねばならない。男,女,学童,丸顔のよちよち歩きの子供たち,生まれたばかりの赤ん坊など,約10万人が死んだ。これに加えてさらに10万人の犠牲者が出たが,そのほとんどは器官の破裂や恐るべきやけどなどで苦しみながら,あるいは原爆症で地獄の苦しみをなめながら徐々に死んでいった」。苦しみの劇痛は次第に激しさを増していました。

      地から平和が取り去られる

      ここで「黙示録の騎士」のことが話されているのは興味深いことです。その話は,啓示の書の6章にある聖書の記録に基づいているからです。6章の4節には次のように書かれています。「すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるという,イエスの語られたしるしの特色と本当によく合致しています。

      確かに平和は地から取り去られました。歴史家たちは1914年以前の平和な年の数を記録しましたが,それ以後は平和な年は1年もなかったのです。人々は第二次世界大戦が平和な時代をもたらすことを希望しましたが,それも無駄でした。「暴力の平和」という本には次のように述べられています。「1945年に訪れた平和は,我々の願っていたような,戦争の終わりを意味するものではなかった。それ以後も人間は,ギリシャから南ベトナムに,カシミールからコンゴに至るまで,地球上のほとんどあらゆる場所で戦いを行ない,貧しい国々では暴動が雨後の竹の子のように続発した」。

      米国務省の最近の報告によると,第二次世界大戦終結以来,国家間の戦争や内戦が少なくとも130ありました。1982年6月13日付のトロント・スター紙は次のように伝えています。「全世界の人々のうち約7億160万人が何らかの戦争に巻き込まれている。これは地球全体から見ると6人に一人の割合で,第二次世界大戦に直接関係した人々の数に近い。これらの[戦争]で毎年約25万人の戦闘員と200万人ほどの民間人が死んでゆく」。

      『戦争と戦争の知らせ』はいっこうに減少していません。「暴力の平和」という本が述べているとおりです。「[1945年]以来人間はもはや宣戦を布告することも,戦争を終結させることもしなくなった。ただ戦争をするのである。我々の時代は,平和の名のもとに大掛かりな暴力行為が行なわれる時代である」。

      第三次世界大戦という形でもう一度苦しみの劇痛が臨むことになるのでしょうか。米国軍備管理軍縮庁の長官,ユージン・ロストーは,「我々は戦後の世界に生きているのではなく,戦争の始まる前の世界に生きているのである」と言っています。確かに諸国家はその種の紛争に対する備えをしています。現在諸国家は毎分約100万㌦(約2億5,000万円)を軍備に費やしています。1981年には5,500億㌦(約137兆5,000億円)を軍備に費やしましたが,そのうち約1,100億㌦(約27兆5,000億円)は核兵器のために費やされました。核兵器の現保有量を破壊力に換算すると,広島を破壊した原子爆弾100万個分に相当します。確かに平和は地から取り去られました。―啓示 6:4。

      現代の戦争に関する証拠からすれば,わたしたちは確かにこの事物の体制の「終わりの日」に住んでいるという結論に達します。

      しかし,イエスは世界戦争のことを話すだけにとどまらず,しるしの数々の特色について話されました。それらの特色は同時に生じて,わたしたちがイエスの「臨在と事物の体制の終結」の時に住んでいることを決定的に証明するものとなります。

      しるしのそれら他の特色は,本誌の続く号の中で取り上げられます。―マタイ 24:3-12。ルカ 21:7-11。

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