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1955年にヱホバを恐れる者の期待ものみの塔 1955 | 3月15日
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たちには新しい世の生命を意味します。『ヱホバの途は直者の城となり,悪を行うものの亡びとなる。義者は何時までも動かされず,悪しき者は地に住むことを得じ。』― シンゲン 10:29,30。
25 義しい者たちは,永遠に記憶されますが,それはどのような仕方ですか? これはなぜ重要ですか?
25 義しき者および直き者にたいするヱホバの善いお考えを見てごらんなさい! ヱホバは彼らを念頭からはなすことは一時といえども決してないのです。彼は決して忘れないでしよう。彼らを死人の中からよみがえさねばならないということであつても,ヱホバにとつて彼らはいつも生きる者たちです。詩篇 112篇6節が,次のようにつけ加えているのは全く正しいことです。『義しき者はながく忘れらるることなかるべし。』あるいは,もつと字句通りに表現すると,『義しき者は,永遠に亙る記憶にならん。』(ロプス訳)ヱホバを恐れる義しい人は,この地上でいつも記憶されるものです。地上に住む者は,永遠果てしなくイエス・キリストを記憶します。イエスは,地上で住んだ人の中で最も義しい方であり,サタンの世の中にあつてもその地上における彼の義は,人類を救にみちびきました。同様に,人間はいまの残れる者をも含めて,イエスの義しい追随者たちをいつも記憶いたします。しかし,新しい世の人類で記憶されるということよりも,もつと大切なことは,ヱホバ神によつて記憶されるということです。そのことは,義しい者の級にとつて,永遠の生命を意味するからです。この世のさきの悪しきことがらは,亡ぼされて忘れられ,心に思いだすことはなく,私たちの気持を惹きつけません。しかし,正義は決して忘れられないでしよう。ヱホバは義しい者たちをいつも記憶され,彼らが生命を十分に,永遠に楽しむように取り計らわれます。これらは,なんと貴重な聖書の考えなのでしよう! それは,1955年およびその後の年のあいだ,ヱホバを恐れるすべての者に,一番明るい期待を得させる基礎となるものです。
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1955年に恐れからの自由ものみの塔 1955 | 3月15日
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1955年に恐れからの自由
1 どのように,人類は1955年に入りますか? そしてなぜ?
今日恐れは全人類を捉えていますが,その恐れからの自由という秘訣を知つていますか? この自由を欲しますか? そう古い昔のことではありませんが,広く一般に流行した言葉『我々が恐れるのは,恐れそのものである』をまだ憶えていることでしよう。アメリカ合衆国の故大統領は,a この言葉を用いましたが,しかし彼よりも200年以上も前,17世紀初期に出版された本の中にその言葉は表われました。b しかし,その言葉は解決を与えましたか? 恐れを恐れることによつて,誰が絶対的に恐れを持たなくなりましたか? いま恐れを感じないという人は,いつたいいるでしようか? 人類は恐ろしい万一の見込と直面して,恐れそのものをも恐れなくなりました。それで,人類は恐れと暗い前兆をもつて1955年に入ります。しかも,ルーズベルトの『四つの自由』の一つは,『恐れからの自由』であるということを認める定則を有していないのです。かえつて,無情な奴隷駆使者恐れへの大きな束縛は,彼らをますますきつくかたくしめます。―ルカ
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不潔な言葉ものみの塔 1955 | 3月15日
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不潔な言葉
今日の世界で,人はきたない心と不潔な言葉につねに曝されています。人によつては,会話をする時かならずきたない物語りを考えています。また話をする時必らず下卑な言葉を使います。しかし,卑猥な話に興ずれば,間ちがいなく汚れてしまいます。それでエペソ書 5章3,4節にあるパウロの諭しの言葉は,いつも心に留めて置くのに価値のあるものです。『淫行,あらゆる不潔なもの,貪欲を,聖徒にふさわしくあなた方の口にさえ出してはならない。また卑しい行動や愚かな話,またみだらな冗談,ふさわしくない悪いものを避けなさい。むしろ感謝を捧げなさい。』あなたはこの諭しに従つていますか?
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