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今はどれほど緊急な時ですかものみの塔 1979 | 1月1日
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18 (イ)どんなふるい分ける業が今進行しているように思えますか。(ロ)コリント第二 13章5節のパウロの勧めに十分注意すべきなのはなぜですか。
18 また,1914年に続く十年間油そそがれた残りの者をふるい分ける大きな業がありましたが,ちょうど同じように,「大群衆」に属することを自任するある人々をふるい分ける業が今日進行しているように思われます。使徒パウロの次の言葉はこの危機の時に住むわたしたちすべてに特に適切です。「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」。(コリント第二 13:5)わたしたちはエホバに対する自分の献身を真に大切なものとみなしていますか。それはエホバに対して得た非常に親密な関係であり,イエスの犠牲に基づいて可能になったものです。今の時に特権としてあずかり得た仕事,その壮大な仕事においてみ父およびみ子と一つになり得たことを認識していますか。エホバ神,またわたしたちの隣人に対する純粋な愛に基づいて奉仕をしていますか。それとも,ハルマゲドンの戦いの際に“なんとか無事に助かること”,ただそのことがわたしたちの動機となってきましたか。「大群衆」に属する者であるなら,わたしたちは「大患難」に至るまで「昼も夜も」ずっと神への奉仕を続けるのではありませんか。あるいは,自分の警戒を怠り,快楽,不道徳,世の煩いなどによってサタンがわたしたちを圧倒するのを許してしまうでしょうか。
19 (イ)わたしたちは,み使いたちが今この時まで「風をしっかり押えて」きたことをなぜ喜べますか。(ロ)コリント第二 13章11節の言葉にしたがい,わたしたちは今日どのようにして神の組織の前進と歩調をそろえてゆくことができますか。
19 四人の使いは地の四方の風をいつまでも「しっかり押えて」いるわけではありません。わたしたちは,その使いたちが今この時までそうしてきたこと,それが幾百万の人々の救いに至ることを喜べます。しかし,時は急速に尽きてゆきます。わたしたちは活気を保ち,用心を怠らず,常に地上の神の組織と共に歩みを進めてゆくことが必要です。この危機の時代に,エホバのみ名を賛美する点で完全に一致和合した唯一の世界的兄弟関係の中に加わり得ていることは何という喜びでしょう。それと歩調をそろえてゆくために,わたしたちは自分の態度や見方を時おり調整してゆかねばならないかもしれません。しかし,それを謙遜に行なう態勢を常に整えていましょう。事の緊急性をわきまえて奉仕を続けるため,神の民すべてと分かち合う喜びを保つためです。パウロはこう諭します。「終わりに,兄弟たち,引き続き喜び,さらに調整を加えられ,慰めを受け,同じ考えを持ち,平和に生活してゆきなさい。そうすれば,愛と平和の神があなたがたと共にいてくださるでしょう」― コリント第二 13:11。
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『ずっと見張っていなさい』ものみの塔 1979 | 1月1日
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『ずっと見張っていなさい』
「ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に陥らないようにしていなさい」― マタイ 26:41。
1,2 (イ)イエスが使徒たちに「ずっと見張っていなさい」と命じたのはどのような事のある時でしたか。(ロ)しかし使徒たちはそれにどのように応じましたか。
イエスはどのような時にこの言葉を語られましたか。それはイエスの地上の生涯の最大の危機の時,裏切られ,捕縛され,裁かれ,処刑されるその直前のことでした。それは人類史上最も重大な日となるはずでした。そのとき起きようとしていた事は全人類の救いにつながるのです。その日,イエスは自分の命を犠牲としてささげるはずでした。終わりまで忠実に奉仕し続けた子として,彼は自分の最期の言葉で,「成し遂げられた!」と父に報告することができるでしょう。―ヨハネ 19:30。
2 しかし,イエスの使徒たちは何をしていましたか。使徒たちは,自分の死を記念する催しを創始するその師と共にいてそれに加わったばかりでした。その深い意義を認識していなかったとはいえ,彼らはそれが非常に重大な時であることは知っていました。それなのに,イエスがゲッセマネの庭で祈りをしている間,彼らは眠り込んでいたのです。イエスは彼らに,「わたしの魂は深く憂え悲しみ,死なんばかりです。ここにとどまって,わたしとともにずっと見張っていなさい」と言っておかれました。ところが,一度ならず,三度までも,イエスが戻ってみると彼らはまどろんでいました。その三度目にイエスは叫ぶようにして言いました,「このような時に,あなたがたは眠って休んでいる! 見よ,……時刻が近づきました」。と,その時,イエスに敵する者たちが迫って来ました。―マタイ 26:36-47。
3 (イ)なぜ今は目覚めているべき最も重要な時ですか。(ロ)啓示 16章15節に注意しないならなぜ痛ましい,結果になりますか。
3 今日,わたしたちは人類史上重大なもう一つの出来事の門口に立っています。すなわち,「大患難」であり,それはハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で絶頂に至ります。(マタイ 24:21。啓示 7:14; 16:14,16)今こそどの時にも勝って目覚めているべき時です。ところが,近づき来る戦争について述べるその預言が,ずっと目覚めていないかもしれない人たちのいることを警告しています。その警告の言葉は,「全能者なる神の大いなる日の戦争」について述べる部分と「ハルマゲドン」について述べる部分との間にはさまれています。主イエス・キリスト自らその警告の言葉をこう述べました。「見よ,わたしは盗人のように来る。目ざめていて自分の外衣を守り,裸で歩いて自分の恥を人に見られることがないようにする者は幸いである」。今日神の祭司としての奉仕に携わる人々,そして「大群衆」に属する人々も,自分の身分を証しする衣を失わないように注意しなければなりません。では,その人々が今日神の僕であることを証しするものは何でしょうか。それは,家庭や公の場所で人々に語るその熱心な働き,および,他の人々に勧める優れたクリスチャン原則を自分の生活で実践していることです。神の僕にとって,霊的に眠り込んでしまうことは大きな恥となります。その人は真の神の証し人としての身分をはぎ取られるでしょう。それは,「全能者なる神の大いなる日の戦争」を目前に控える今,悲惨なことです。啓示 16:14-16。
霊的な眠気と戦いなさい
4 今日,世の体制に臨む最大の危険は何ですか。
4 今日の地上の状態はかつてなく危険です。政治指導者たちはそのことを認めています。無政府状態や暴力活動が地の至る所で持ち上がっています。この世の見地に立ってさえ,今の事物の体制は下り坂を足速に進んでおり,予見し得る将来に壊滅の危険をはらんでいます。しかし,神の見地から見るとき,この体制はどんな位置にあるでしょうか。エホバは,それがなお“業務を進めている”間に,それをみじんに砕き去ることを言明しておられます。(ダニエル 2:44,45)それはごく間近になされることが必要でしょう。この犯罪と恐怖の時代に事物は崩壊の度を速くしているからです。
5 「事物の体制の終結」について話した際,イエスはどんなことを強調しましたか。
5 主イエス・キリストはわたしたちの時代について簡明な預言をされました。その預言の中でイエスが繰り返し強調しているのは,わたしたちが目覚めているように,という点です。いろいろな形で伝えられるイエスの言葉を幾つか挙げると次の通りです。
「ずっと見張っていなさい。あなたがたは,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」― マタイ 24:42。
「あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」― マタイ 24:44。
「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなたがたは,その日もその時刻も知らないからです」― マタイ 25:13。
「ですからあなたがたは見張っていなさい。わたしはあなたがたにすべてのことを前もって告げたのです」― マルコ 13:23。
「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなたがたは,定められた時がいつかを知らないからです」― マルコ 13:33。
「あなたがたは,家の主人がいつ来るか……を知らないのですから,ずっと見張っていなさい」― マルコ 13:35。
「わたしがあなたがたに言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」― マルコ 13:37。
「主人が到着したときに,見張っているところを見られる奴隷は幸いです」― ルカ 12:37。
「あなたがたも用意をしていなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」― ルカ 12:40。
「その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです。それで……いつも目ざめていなさい」― ルカ 21:34-36。
6 「ほどなくして必ず起きる事がら」に関してイエスはどんなことを強調していますか。
6 また,「ほどなくして必ず起きる事がら」に関して最終的な啓示を与えた際にも,イエスは自分の到来が全く突然であることを強調しています。
「わたしは速やかにあなたのところに行(く)……わたしは速やかに来る。自分が持っているものをしっかり守りつづけ(なさい)」― 啓示 2:16; 3:11。
「見よ,わたしは速やかに来る。……,見よ,わたしは速やかに来る。そして,わたしが与える報いはわたしとともにある。……しかり,わたしは速やかに来る」。(啓示 22:7,12,20)
これら,わたしたちの師の語られた最後の言葉に答え応じて,わたしたち一人一人も使徒ヨハネと共に,「アーメン! 来たりませ,主イエスよ」と言うことでしょう。
7 なぜわたしたちは油断なく見張っていなければなりませんか。
7 間違えないでください。この世は予告された終わりに向かって足速に進んでいます。それは今,死の苦しみにあります。多くの大都市がひん死の状態にあることが公然と伝えられています。しかしエホバは,それらがいわば自然死を遂げるよりも早くその惨状を終わらせるでしょう。わたしたちは油断なく見張っていなければなりません。エホバの多くの預言者たちの述べた大いなる日の到来に備えて用意を整えていなければなりません。―イザヤ 2:12,17。エレミヤ 30:7。ヨエル 2:11。アモス 5:18-20。
8 (イ)なぜわたしたちはエホバを『待ち』続けるべきですか。(ゼパニヤ 2:3)(ロ)国連内のどんな情勢のゆえにずっと見張っていることが特に求められますか。
8 預言者ゼパニヤ,それはダビデの系統を引く王子の一人でしたが,こう言明しました。
「『わたしが立って獲物を得る日までわたしを待て』とエホバは言われる。『わたしの司法上の決定は,諸国民を集め,もろもろの王国を集い寄せ,その上にわたしの告発を,燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって全地は焼き尽くされる』」。(ゼパニヤ 3:8,新)
そのエホバの「燃える怒り」の日は危険なまでに近づいています。「事物の体制の終結」に関するイエスの大預言は1914年以来のこの20世紀に著しい成就を見ました。あの「嫌悪すべきもの」すなわち国際連合機構の軍事的要素がキリスト教世界の領域に壊滅の打撃を加えようと身構えているのを,わたしたちは明瞭に見ています。社会主義的勢力は宗教に対する敵意をむき出しにし,それを“人民のアヘン”と呼んでいます。間違えないでください。神の定めの時に,緋色の野獣つまり国連の「角」は,偽りの宗教の世界帝国,エホバのみ名に対するあの年来の冒とく者に突きかかり,これを荒廃させ,滅ぼし去ります。―マタイ 24:15。啓示 17:3-6,16。
9 神の地上の民にとって「大患難」はなぜ信仰の試みの時となりますか。
9 「大患難」はこの地上にいる神の民にとっても信仰の試みの時となるはずです。「十本の角」は主イエス・キリスト,「主の主,王の王」である方に対しても戦うからです。(啓示 17:14)それら地上の勢力は天のイエスに触れることができません。したがって,地上にいる,イエスの忠実な代表者たち,とりわけエホバの油そそがれた証人たちの残りの者以外のだれに対してその攻撃をしかけるでしょうか。しかし彼らが成功することはありません。「子羊は……彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼とともに征服する」。啓示 19章11節から21節は,地の政治勢力に対する,この「王の王,主の主」による征服の模様を詳細に描写しています。
騎手たちは乗り進む
10 イエスがわたしたちのために征服を遂げられることをなぜ確信できますか。
10 ハルマゲドンで征服を遂げる強大な方,その方は天から戦います。使徒ヨハネはその方が白い馬に乗っているのを幻で見ました。それは義の戦いの象徴です。ヨハネはこう記します。「わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実かつ真実と称えられ,その者は義をもって裁きまた戦う」。この戦いは義を愛する人々に対する祝福をもって終わります。(啓示 19:11)同じ啓示の書の前のほうで,ヨハネは同じ騎手に関する別の幻を次のように記しました。「見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。(啓示 6:2)ここに,1914年,王国の権能を受けたイエスに関する幻があります。飼い葉おけの中の無力な赤子の様でも,杭にかけられて命のなくなった死体の様でもありません。いつでも戦いの場に臨み得る最も強力な戦士の姿です。(啓示 11:15。マタイ 25:31)この「王の王」なる方がわたしたちのために征服を遂げられること,わたしたちはそのことに絶対の確信を持つことができます。
11 (イ)啓示 6章の他の騎手たちは征服という点ではなぜ劣りますか。(ロ)「火のような色の馬」の乗り手は何を行ないましたか。いつから?
11 しかし,その幻の中には他の騎手たちも登場します。それらの騎手たちも征服をするとは述べられていません。むしろ,人類を犠牲にすることが述べられています。征服は白い馬の乗り手のためにのみ定め置かれています。その者と共に義が凱歌を奏するのです。さて,ヨハネは他の乗り手たちについて何と述べたでしょうか。「別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)ここに描かれているのは,初めて1914年に起こり,歴史家が「大戦」と呼ぶようになった,激しくむごい戦争です。しかし,その「大きな剣」が再度振られ,1939年から45年の第二次世界大戦の大災厄となった時,その殺りくは以前を四倍も上回るものとなりました。1914年以来,真に平和な時は一時もありません。赤い馬が恐ろしい疾駆を続けています。エホバの証人はその戦いに中立を保っていますが,その証人たちもこうして『地から平和が取り去られた』ことに伴う暴虐,迫害,苦難から直接,間接の苦しみを受けてきました。
12 第三の騎手は何を表わしていますか。それは神の民にもどんな影響を与えますか。
12 よく目を見開いたヨハネはさらに別の騎手が幻の中で乗り進むのを見ました。「見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手に天びんを持っていた。そしてわたしは……『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた」。(啓示 6:5,6)この第三の騎手は飢きんを表わしています。飢きんの時には,全面戦争の場合もそうですが,食糧の配給制が行なわれます。非常に重要なもの,小麦や大麦さえその供給が不足します。裕福な人々は,『油やぶどう酒』など自分たちのぜい沢品が取り去られないようにといら立ちます。この騎手は1914年以来地上をじゅうりんしてきました。インフレ,物価の高騰,動揺する通貨制度,エネルギー危機などのすべてはこの馬の疾駆と関連があります。しかし,エホバの民は配給制限その他の経済的難局を一時的に忍ばねばならないとしても,そのゆえに失意すべきではありません。白い馬の乗り手は既に先頭を行き,こうした事態を終わらせるのです。この点を忘れないでください。
13 第四の騎手は何をもたらしますか。エホバの民にどんな影響を与えますか。
13 しかし,さらに別の騎手が登場します。ヨハネはそれをこう描写します。「そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデスが彼のすぐあとに従っていた。そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」。(啓示 6:8)これは最後の乗り手,極めて陰うつな騎手です。破壊的な病気を地にもたらすからです。第一次世界大戦に続き,1918年から19年のスペイン風邪でおよそ2,000万人の人を死なせたこと,それは彼の出始めでした。この騎手は依然疾駆を続けています。医学面での相当の進歩にもかかわらず,人類は今日なお種々の疫病に悩まされています。薬剤の使用は大幅に増え,あらゆる療法が考案されています。それでも,心臓発作,脳いっ血,がん,性病,その他無数の不幸が多くの人を全人類に共通の墓であるハデスの手中に落とし入れています。特にこの「終わりの時」にあって,ハデス(ヘブライ語のシェオール)は,「もう沢山だ!」とは言っていません。(箴 30:15,16,新)病気にかかりやすい人間として,エホバの民も青ざめた馬の死の行進による苦しみを受けてきました。しかし彼らは自分たちの肉体の病気の理由を知り,また,イエスの贖いのもとにまもなくそうした疫病すべて,死の騎手そのものが除かれることを知るゆえに明るく耐えることができます。ハデス(墓)の手に落ちることがあるとしても,義の新秩序への彼らの復活は保証されています。―ヨハネ 5:28,29。
14 なぜわたしたちはこの幻に感謝すべきですか。それはわたしたちをどのように鼓舞しますか。
14 これら騎手たちの行進は今日はっきり見ることができます。全面戦争,食糧不足,種々の疫病,大量の死などは今や全人類の暗い経験となっています。しかし,完全な征服を遂げる「王の王」,冠を授けられた弓の射手を乗せる白い馬を見定めることができるのは,信仰の目で物事を見る人々だけです。信仰を強めるこの幻にわたしたちは何と感謝できるでしょう。これはわたしたちを鼓舞して,これらの事に関する証しに非常に活発にならせます。そしてわたしたちは,「忠実かつ真実」,「忠実で真実な証人」ととなえられたイエスの手本に倣いつつ,エホバから委ねられたわたしたちのこの務めに忠節な者となることができます。―啓示 3:14; 19:11。
わき道にそれてはならない
15 なぜわたしたちは人間の言葉より神の言葉を信じるべきですか。
15 世は自分の終わりが近いことを信じません。わたしたちがそれを信じるのをやめさせようとさえします。しかし,あなたはだれを信じますか。人の言葉ですか,それとも神の言葉ですか。わたしたちが「事物の体制の終結」の時にいることを明らかにしているのは神の言葉です。「要害の神」の核装備,それは「北の王」によってたたえられてはいても,全き征服を遂げる「王の王」に立ち向かうことはできません。―ダニエル 11:38,45,新。
16 パウロはローマ 13章11,12節でどんな優れた助言を述べていますか。それにどう応じることができますか。
16 眠気を催している人がいるなら,使徒パウロはその人に適切な助言を差し伸べています。
「今がすでに眠りから覚めるべき時であることを知っているのですから,そのゆえにもこれを行ないなさい。今や,わたしたちの救いは,わたしたちが信者になった時よりも近づいているのです。夜はずっとふけ,昼が近づきました。それゆえ,やみに属する業を捨て去り,光の武具を着けましょう」。(ローマ 13:11,12)
光の武具についてわたしたちはよく知っています。「王国のこの良いたより」を証しとして全地にふれ告げる上でそれを用いることはわたしたちの大きな特権となってきたのです。―マタイ 24:14。エフェソス 6:11-17。
17 どのようにして「やみに属する業」を避けることができますか。
17 しかし,「やみに属する業」についてはどうでしょうか。それは世の業,物質中心的な生き方をする人々が神やその光の道を度外視して楽しむ事柄です。ゆえにわたしたちはそれを避けるべきです。「浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,昼間のように正しく歩みましょう」。(ローマ 13:13)これらはこの世の事柄ですが,もし許してしまうなら,わたしたちのクリスチャン生活の中,会衆の中にも忍び寄って来ます。これに警戒しなければなりません。経済的に繁栄している国では,人々は一般に,余暇や物質の事柄に重きを置きます。多くの土地で,勤労日数は次第に短くなり,それに応じて快楽への愛が高まり,神の民に対しても世と同じように行動させようとする圧力が及んでいます。わたしたちは,自己犠牲というクリスチャン精神のうちにこの挑戦に立ち向かうでしょうか。
18 霊的な事柄に集注することはどうして保護となりますか。
18 神への奉仕に活発であり,その奉仕のために常に用心し目覚めているなら,「浮かれ騒ぎや酔酒」にまとわれ,「不義の関係や不品行」に捕われる時間はないでしょう。エホバとエホバへの奉仕を愛すること,それらを第一にすること,それがわたしたちの保護となります。(マタイ 6:33)霊的な事柄また霊の実を培うことを常に思いめぐらすとき,わたしたちは自分の家族また兄弟たちとの関係において謙遜で思いやりのある見方をすることができるでしょう。こうして「闘争やねたみ」を避けることができます。
19,20 (イ)イエスはどんな立派な手本をわたしたちに残されましたか。(ロ)ローマ 13章14節に注意を払うことはどのようにわたしたちの益となりますか。
19 使徒パウロはこう続けます。「主イエス・キリストを身に着けなさい。肉の欲望のために前もって計画するようであってはなりません」。(ローマ 13:14)主イエス・キリストの中には本当に優れた手本があるではありませんか。地上での宣教の間,イエスはエホバのご意志を行なう壮大な特権に対して全く目覚めていました。父の名を他の人々に知らせるための魂を込めた奉仕から一瞬といえそれることはありませんでした。死ぬと定まった日にすら,自分に残された活用できる時間の一刻一刻を弟子たちへの必要で価値ある教えのために用いて,自己犠牲的な無私の精神を示されました。(ヨハネ 13–17章)苦しみの杭の上で終わりに近づいた時,イエスは自分の苦痛を和らげるかもしれない麻薬を受けようとはしませんでした。最後まで忠誠を保つ者として,自分の意識をしっかり保つことを望まれたのです。―マタイ 27:34。
20 「主イエス・キリストを身に着け」,その足跡に固く従う人々の中に,わたしたちすべてが数えられますように。(ペテロ第一 2:21。マタイ 16:24,25)肉の事柄ではなく,霊の事柄のために前もって計画することにより,わたしたちはイエスと同じようにエホバの奉仕のためしっかり目覚めていることができます。ですからわたしたちは,自分の生活を王国奉仕で満たして「人の子」が裁きの執行のために来るその時までずっと見張っていましょう。わたしたちの報いは大いなるものとなるのです!
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辛抱強く待つ時ものみの塔 1979 | 1月1日
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辛抱強く待つ時
西暦前八世紀にイスラエル人の間で悲しむべき状態が見られました。預言者ミカは次のように語っています。「わざわいなるかな,わたしは夏のくだものを集める時のように,ぶどうの収穫の残りを集める時のようになった。食らうべきぶどうはなく,わが心の好む初なりのいちじくもない。神を敬う人は地に絶え,人のうちに正しい者はない。みな血を流そうと待ち伏せし,おのおの網をもってことの兄弟を捕える。両手は悪い事をしようと努めてやまない。つかさと裁判官はまいないを求め,大いなる人はその心の悪い欲望を言いあらわし,こうして彼らはその悪を仕組む。彼らの最もよい者もいばらのごとく,最も正しい者もいばらのいけがきのようだ」― ミカ 7:1-4,口。
ミカは明らかに,自分自身があたかもその象徴化された国であるかのように語っています。その国民は果実を集めた後の果樹園やぶどう園に似ていました。ぶどうは一房も残っておらず,好ましい初なりのいちじくも一つとして見当たりません。神を敬う正しい人を見いだすことが困難であったため,これは適切な例えでした。大半の人々は仲間の人間の血を流そうとして躍起になっていました。その争いは非常に荒々しいものでした。他の人の福祉に対する気遣いなど見られませんでした。愛が全く欠けていたのです。人々は自分の目的を果たすために仲間の人間をわなに掛けることをたくらみ,網でするように彼らを捕えました。その手は悪いことをするために存分に用いられました。こうして彼らは悪をなすことに非常に熟達していることを自ら示し,そうした事柄を行なおうと『努めてやみませんでした』。
道徳上の退廃は社会の最上層部にまで達していました。その国民のつかさや指導者たちは「まいないを求め」,欲深くも贈り物を期待しました。裁判官はわいろを受け取り,裁判を曲げました。富んだ人や著名な人は自分の願いを言い表わし,裁判官はそうした欲望に応じました。こうして,つかさや裁判官また他の影響力を持つ人々が互いに協力し合って悪行をたくらみ,「悪を仕組」んだのです。彼らの中の最も良い者でさえとげだらけのいばらやいばらの生けがきのようでした。いばらもいばらの生けがきも通る人の衣服を引き裂いたり膚に痛いひっかき傷を作ったりすることがあります。同じようにミカの時代の不法な人々も危険でやっかいな有害な者たちでした。そうした悲しむべき状態のために,ミカはイスラエル人に対して,『汝のものみ人の日すなわち汝の刑罰の日いたる彼らのうちに今混乱あらん』と言うことができました。(ミカ 7:4)『ものみ人』とは預言者のことでした。それで『ものみ人の日』とは,預言者たちの宣明した事柄の成就としてエホバが邪悪な者たちに対して行動を起こされるときを意味するものと思われます。エホバの裁きの執行は不法な者たちを「混乱」させ,うろたえさせることになるでしょう。
道徳の退廃が余りにもひどかったため,家族関係でさえ人々を愛のきずなのうちに結び付けませんでした。そのために預言者は次のような言葉で仲間のイスラエル人に話し掛けています。「あなたがたは隣り人を信じてはならない。友人をたのんではならない。あなたのふところに寝る者にも,あなたの口の戸を守れ[つまり,あなたの話す事柄に注意しなさい]。むすこは父をいやしめ,娘はその母にそむき,嫁はそのしゅうとめにそむく。人の敵はその家の者である」― ミカ 7:5,6,口。
考えてもみてください,人の友すなわち妻や父親,母親,子供さえ信じることができなかったのです。人は自分の家族の中に敵を持つことになっていました。
そうした事態は決して存続させるべきものではありませんでした。裁きの神エホバが行動される必要がありました。それまでの間辛抱強く待つのは望ましいことでした。預言者はこう述べています。「しかし,わたしは[エホバ]を仰ぎ見,わが救いの神を待つ。わが神はわたしの願いを聞かれる」― ミカ 7:7,口,[新]。
今日わたしたちは同様に,エホバ神がすべての不義に対して行動されるのを喜んで辛抱強く待つべきです。現在の事物の体制に対する神からの不利な裁きは,放縦なイスラエル人に対する裁きにおいてそうであったのと全く同様確実に,しかも近い将来に執行されるでしょう。
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