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近い親族と結婚するのは賢明なことですかものみの塔 1975 | 5月1日
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つまり「保有」する女子と結婚するなら,妊娠の時にふたりの子供の細胞は両方の親から「劣性の」遺伝子を受けるかもしれません。最初に述べた人の孫になる,この子供は,父親そしておそらくは母親の性格あるいは身体の面に見られなかった特性を示すことになります。時として「劣性」形質は,何世代にもわたってかくれていたのが,突然に現われることもあります。
「優性」形質がすべて良いものであるとは限らないのと同じで,「劣性」形質のすべてが悪いわけではありません。しかし望ましくない形質は,多くの場合「劣性」です。血族結婚が非常に望ましくない理由は,おもにこの遺伝子の結合の問題にかかっています。
望ましくない「劣性」形質の一例は白色症です。これは皮膚,毛髪,目の色素が失われている病気で,この病気の人は強い日光に堪えることができません。家系の中に白子の先祖がいたとします。この病気は,この特性をあらわす「劣性」遺伝子がふたつ,すなわち父親からのものと母親からのものとが一緒になる時に初めて現われます。この白子の先祖の血をひく人々は,必ずしも自分が白子でなくても,この遺伝子つまりは形質の「保有者」である可能性があります。この遺伝子はまれなものであるため,血縁関係のない人と結婚するかぎり,配偶者がこの遺伝子を持っている可能性は非常に小さいと言えます。そして,生まれる子供は正常でしょう。配偶者からの正常な遺伝子は「劣性」遺伝子の働きをおさえると考えられます。
他方,血族結婚の場合は,血縁関係の近い,したがって「劣性」遺伝子を持つ可能性の大きい人との結婚ですから,子供に白色症の出る確率は非常に高くなります。血縁関係が近いほど,確率は高いわけです。父親が白子であるとしましょう。自分の娘との近親相姦の性関係においては,妊娠した場合,生まれる子供が白子になる確率は二分の一,つまり50パーセントです。この父親の子供がきょうだい同志で結婚すると,(そのどちらも白子でないとしても),その子供に白色症の出る確率は四分の一に減ります。
血縁関係が少しでも遠くなればなるだけ,望ましくない特性が出現する確率は低くなります。したがってほんいとこ同志の結婚では,正常でない特性のあらわれる可能性は著しく減少します。そしてすでに述べたように,血縁関係のない人同志の結婚においては,このような可能性がはるかに小さいものとなります。
法律の問題と良心
この問題についてクリスチャンはどんな立場をとりますか。前述の理由以外に,聖書の見地から考慮すべき点がありますか。
モーセをとおしてイスラエルに与えられた律法は,血縁関係の近い人同志の結婚に関して,一定の禁止条項を定めています。(レビ 18:6-17; 20:11,12,14,17,19-21。申命 22:30; 27:20-23)しかしクリスチャンは今日この律法の下にあるわけではなく,またそれに拘束されてはいません。(コロサイ 2:14。エフェソス 2:15)そしてクリスチャン・ギリシャ語聖書には法典はのせられていません。
しかしイエスは,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と命じました。(マタイ 22:21)そして使徒パウロも同様に教えています。「すべての魂は上にある権威に服しなさい。神によらない権威は存在しないからです」。(ローマ 13:1)真のクリスチャンは,婚姻に関する法律を含め,自分の住む国の法律を守ります。
これらの事実にかんがみ,エホバの証人のクリスチャン会衆は,その居住する国の法律の要求に従います。それでレビ記にのせられている,婚姻の禁止に関する律法を会衆の成員に課して彼らをモーセの律法の下にひき入れるようなことはしません。しかし多くの国の法律で禁止されている関係がモーセの律法にあるものと同じということも事実です。また,中にはほんいとこ同志の結婚さえも禁じて,モーセの律法以上に厳格な法律もあります。近親相姦に対する罰のあるものは非常に重いものです。そして近親相姦に関する国の法律を故意に破るなら,クリスチャンはクリスチャン会衆からの懲戒をも受けるようになるでしょう。
もっと大切なことに,クリスチャンが国の法律を守るのは恐れがおもな理由ではなくて良心のためです。(ローマ 13:5)またその良心は,ある事柄が不自然であり,すべての人に共通な,事の是非をわきまえる感覚に反するものであることをクリスチャンに認めさせます。人間には生まれつき,何が適切であるかを感ずる感覚があり,何が適当で正しいかについて人は深い内的な感情を有しています。クリスチャンはまた世間の人々の神経にショックを与えたり,クリスチャンという名前や,自分がその名を負うエホバに非難をもたらしたりすることを望みません。―ペテロ第一 4:16。イザヤ 43:10-12。
自然に反した事柄に対する神とクリスチャン会衆の見方を示す例としては,使徒パウロがそれについてコリントの町の会衆に手紙を書き送ることを必要とした事件があります。その町の会衆において,ある人はクリスチャンに禁じられていること,すなわち淫行を犯していました。(コリント第一 6:9,10)しかもそれはことのほか堕落した種類の淫行でした。なぜですか。それは人が自分の父の妻を持つというものであったからです。明らかにそれは自分自身の母親ではなく,父親の二度目の妻でした。当然にそれは恥ずべき行為と見られました。とくにそれは『父の裸をあらわす』ことであるゆえに,父親に対してはなはだしい不敬と侮りを示す行為でした。―レビ 18:8。創世 35:22; 49:3,4とくらべてください。
使徒は会衆に書き送った際,この行為がことのほか堕落したものであることについて特にふれてこう述べました。「現に,あなたがたの間では淫行のことが伝えられています。しかも,諸国民の間にさえないほどの淫行で,ある人が自分の父の妻を有しているとのことです」。(コリント第一 5:1)この罪は当時の異教諸国民の間でさえ,まれなほどのものでした。
聖書歴史
『しかし聖書時代の人々は血族結婚をしていたのではなかったか。たとえばアブラム(アブラハム)は片親姉妹と結婚している』と言う人がいるかもしれません。確かにそのとおりです。しかし聖書歴史をしらべると,なぜ,のちになって相違が生じたかを理解できます。
神がアダムとエバを完全に創造した時,神の目的は全人類がひとりの人から生まれ出ること,したがってすべて血のつながりを持つ,ひとつの家族になることでした。(創世 1:28)アダムはその妻をエバと名づけました。それは「生ける者」という意味です。『そは彼は群の生物の母なればなり』と聖書に記録されています。―創世 3:20。
それで,すべての人がアダムとエバから出る以上,少なくともひとりの人が自分の姉妹と結婚しなければならなかったことは明らかです。アダムのむすこたちの中で結婚したとしるされている最初の人カインの場合が,おそらくそうでした。アベルとセツは自分の姉妹,あるいは姪と結婚したのでしょう。アダムにはほかにもむすこと娘があり,彼らにも子供たちがいたからです。(創世 5:3,4)当時,子供たちに著しい欠陥があらわれる危険はほとんどありませんでした。なぜなら人類は今よりもずっと完全に近かったからです。(「劣性」と「優性」とを問わず)悪い遺伝子はほとんど存在しなかったことでしょう。アダムの初めごろの子孫の強健な体力は,当時の人々の長寿によく示されています。969歳まで生きた人のことがしるされています。―創世 5:27。
人間がふえるにつれて,血縁関係の遠い結婚が可能となりました。しかし再び大洪水後そして人間がまだ非常に長生きだった時に,ノアの孫たちが地をふたたび人で満たすことを進めていくにあたって,いとこ同志で結婚したことは疑いありません。その約400年後,アブラハムは異父姉妹,つまり母ではなくて父の娘と結婚しています。(創世 20:11,12)イスラエルがエジプトに下ってのちのこと,モーセの父アムラムは父方のおばと結婚しました。(出エジプト 6:20)これらの人々はそのことのためにほめられもせず,また罪に定められてもいません。そのような結婚を禁ずる律法は,神からまだ与えられていなかったからです。しかしあらゆる時代を通じて淫行や姦淫はむろんのこと,自分の父の妻との交合が恥ずべきこととされたのはもちろんです。―創世 35:22; 49:3,4; 34:2,7。
ついで西暦前1513年,神はイスラエルに律法を与えられました。その時までには人々はふえて地のおもてに多くなっていました。そして神がイスラエルを導いてゆこうとされていた土地カナンの諸民族ははなはだしく堕落しており,近親相姦を含む,あらゆる種類の性の倒錯によって,すべて自然な事,正しい事を乱し,無視していました。(レビ 18:24,25)神は血縁同志の性関係を規定する律法を与えられました。というのは神の民は分けられた国民になることになっていたからです。この律法によって彼らは高い水準にまでひき上げられ,カナンに住んでいた,堕落した七つの民族の中できわだった存在となりました。
イスラエルは性関係において,自由で放縦また無差別になるべきではありませんでした。神は特にほんいとこの関係よりも近い関係にある人同志の結婚をすべて禁じられました。神の前における宗教的な清さをもたらしたのに加えて,これらの律法は,アダムとエバの最初の完全さから二千年以上を経た当時,人類の間にずっと広くみられた遺伝上の危険から身を守る保護となりました。
クリスチャンにとっても注意が必要
昔のカナンの住民に近い,あるいはそれを上回るような性の無差別と堕落した性の行為が見られる今日,クリスチャンは自分の行ないに気をつけなければなりません。そして過去三千年の間,諸国家でさえ,近い血縁の者との婚姻関係を不自然なものと見るようになっています。それはおそらく遺伝的な悪影響を認めたからでもあります。また,近親相姦の関係が不敬を生みやすく,さらには家系の記録の保持や相続その他のことで混乱を生ずることも明らかです。
少なくとも現代の歴史において,人間のほとんどの社会が近親相姦的な関係に対してとってきた態度は保護となっています。すべての人は不完全で罪人であり,したがって悪い性向を持っているからです。結婚に対するこうした見方があるために,きわめて近い血族の間で安易に性関係が生ずることは「不自由」になっています。しかしこのようなタブーにもかかわらず,ある地域においては近親相姦が割合によく見られ,遺伝的に悪い影響が表われています。
これらすべての点を考えるとき,クリスチャンは血縁の近い者に対して恋愛感情や欲情を抱くことのないよう特に注意しなければなりません。結婚を考えるにあたっては,生まれる子供の健康と幸福とりわけ血族結婚にともなう危険を真剣に考慮することでしょう。結婚に対する神の見方また自分自身の良心を無視するのは利己的なことであり,欠陥をもって生まれてくるかもしれない子供に対して思いやりを欠いています。さらにそれは非難を招いたり,法律上のトラブルを引き起こしたり,クリスチャン会衆との立場を悪くしたりすることになるかもしれません。
もしかすると,真理を知る前に近い親族と法律上の婚姻関係を結んだ人もいることでしょう。そのような結婚から生まれた子供の中に遺伝的な欠陥を持つ者がいても,それらの子供たちはエホバの過分のご親切によりみ子イエス・キリストの千年統治の間にいやされるでしょう。それを知ることは慰めとなります。(啓示 21:1-4; 22:1,2)しかし近い親族との結婚に関するクリスチャンの見方を知るなら,いまそのような結婚の絆に結ばれていない人で,神のことばの原則に一致して生活することを望む人は,そうした結婚をしないでしょう。
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聖書の原則に従って生活を変化させるものみの塔 1975 | 5月1日
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聖書の原則に従って生活を変化させる
● ローデシアの輸出製品の筆頭に挙げられているのは,たばこです。ですから,「ものみの塔」誌上でたばこに関して発表された事柄が,大勢の兄弟たちに影響を与えたのももっともな話です。たばこの個人的な使用に関係していたのはごく少数の人でしたが,その生産に関係していた人は何百人もいました。兄弟たちはエホバの不興を招くようなことのない職業に携わりたいとの決意ゆえに,たばこの仕事をやめたので,幾つもの会衆が完全に解散しました。そして,多くの人々は自分たちの部族の信託地や孤立した区域に戻り,真理について一度も聞いたことのない,それらの土地の人々と喜んで真理を分かち合っています。目下,神のみ言葉は,ローデシアの境界内では,かつてないほど多くの土地で広く宣べ伝えられています。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。
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