-
カナダ1980 エホバの証人の年鑑
-
-
しかし,統計よりもずっと大切なのは,カナダのクリスチャンの霊的な状態です。彼らは苦難に遭い,禁令を乗り越え,一般の人々の敵意を耐え忍びました。言論の自由の問題で彼らの味方になってくれた人はほとんどいませんでした。ところが今日,識者はエホバの証人がケベックで僧職者の独裁的な支配を打ち砕いたこと,また証人たちが行なった法廷闘争はカナダ人すべての自由を守る結果になったことを認めています。初期クリスチャンの場合と同様,カナダのエホバの証人は世の反対を受けてもがん張り続けます。「エホバのみ手」が自分たちと共にあることを知りつつ,信仰を抱いてそうするのです。―使徒 11:21。
当然のことながら,カナダで王国の音信を宣明する業に力を注ぎ一生をささげた人々をここでもれなく挙げることはできませんでした。自己犠牲と献身の手本すべてを挙げるには時間が足りません。カナダ国内の働き人のほかに,755人のカナダ人は宣教者として海外に派遣されました。そのうち198人は今も外国で奉仕しており,さらに130人はカナダにもどって全時間奉仕に携わっています。海外に派遣された人々はすばらしい特権を与えられました。
確かに,カナダにおけるエホバの証人の過去100年間の活動は,個々の信仰の感動的な物語です。では,将来はどうでしょうか。すばらしい見込みがあるのです! 1978年の主の晩さんの祝いにカナダで12万60人が出席しました。ですから,エホバの祝福の下に,カナダの王国宣明者の数は引き続き増加するものと思われます。―コリント第一 3:6-9。
したがって,証言の業は現在の古い事物の体制が終わる前に行なわれている,と喜びをもって言うことができます。弟子を作ることは,イエスの言葉通り続いています。(マタイ 24:14; 28:19,20)カナダのクリスチャンは光を輝かせ,何万人もの人がそれに答え応じました。―マタイ 5:14-16。
全地における「良いたより」の宣明について最後の章が書き記されるとき,現在カナダと呼ばれる野外のこの地域の働き人たちは,よく奉仕したとエホバにみなされ,それゆえに神の是認と恵みを受けられますように。カナダの王国宣明者は今までに次の言葉の真実さを証しすることができました。「エホバの祝福 ― それが人を富ませるものであり,彼はそれに痛みを加えられない」― 箴 10:22,新。
-
-
リーワード諸島1980 エホバの証人の年鑑
-
-
リーワード諸島
日の光できらきら輝くカリブ海に,米領バージン諸島からプエルトリコの南方約560㌔にあるドミニカ島まで伸びているのが,リーワード諸島です。宝石をちりばめたようなそれら小さな島々,すなわちアングイラ島,サンマルタン島,サバ島,サンユースタチウス島,サンキッツ島,ネビス島,アンチグア島とバルブダ島,モントセラト島,ドミニカ島の生活様式は幾世紀もの間変わっていません。とはいえ,宝と権力の追求の影響は受けてきました。ヨーロッパ人がやって来る以前にも,流浪のカリブインデアンの群れが,土着のアラワク族をじゅうりんしました。
独立して間もないアメリカ合衆国の軍艦に向けて1776年に初めて,外国の礼砲がとどろいたのは,オランダ領のサンユースタチウス島からでした。ネルソン提督の軍艦の避難港だった日光のふり注ぐアンチグア島は,カリブ海における英国の海軍力に不可欠な島でした。また一説によれば,英国の水兵に“ライミー”というあだ名が付いたのは,壊血病を予防し治療するため彼らにモントセラト島産のライムが支給されたからだということです。
リーワード諸島には様々な文化的背景が見られます。例えば,セントバーセレミー島には,ひだ飾りの付いた白いボンネットをかぶったノルマン-ブルターニュ人がいますが,その人たちは,先祖がやって来た当時からほとんど変わっていません。また,オランダ語,フランス語,アイルランド語のなまりがあります。それらはすべて,昔の植民者の名残です。
真の宝を見いだす
リーワード諸島は,かつて戦利品が出ることで有名でしたが,今日どの島でも物質の宝物はほとんど発見されていません。しかし多くの「望ましいもの」,すなわち王国の音信に対して深い認識を持つ人々は,確かに見いだされています。―ハガイ 2:7,新。
短刀や細身の剣を帯びていた昔の探検家とは違い,勇敢なクリスチャンたちは,「霊の剣」である神の言葉を携えて,20世紀の初めにリーワード諸島で奉仕を始めました。(エフェソス 6:17)彼ら自身,聖書の真の理解という本物の宝を探し求めていました。しかし,そうした霊的なものをひそかに蓄えておくようなことはせず,散在する島の人々に喜んでそれを伝えました。―マタイ 12:35と比べてください。
1914年から1920年ごろ,カリブ海を通う縦帆式帆船<スクーナー>や汽船に乗って旅行するのは容易なことではありませんでした。危険な暗礁が多く,激しい暴風雨はたびたび起こりました。しかも,島の一つに着いた旅行者は,数週間あるいは数か月間その島にとどまって引き返して来る船を待たなければ旅を続けられなかったでしょう。
しかし,そうした問題があったにもかかわらず,1914年ごろ,リーワード
-