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  • 命の源またその維持者
    人生には確かに目的がある
    • ました。この例からも,その年月の間ずっと細胞が補充されていたこと,中枢神経系の細胞(科学者によると,この細胞は修復され得るが補充はされない)が幾世紀間も健全に修復され維持されたことが分かります。(創世 5:27。同5節から31節および9章29節もご覧ください。)いうまでもなく,今日の短命な世代はその当時から見るとはるかにかけ離れ,長年の間に強まった罪と不完全さを持っています。人類は堕落しました。しかし,神はご自分に頼る者が定めのない時まで生きられるよう,彼らに力を与えることができます。―イザヤ 40:29-31。

      「命のパン」

      22,23 (イ)動物はなぜ死にますか。(ロ)はるかに優れた有機体を持つ人間を神はどのように造られましたか。(ハ)地上の全創造物の中で人間はどんな独特の資質を持っていますか。(ニ)定めのない時まで生き続けるために,人間には何が求められていますか。

      22 さて,人間が地上に現われるはるか以前から,動物は死を経験していました。発見された化石が証明しているとおりです。動物は限られた寿命を持つものとして創造されたのです。ところが人間は,同じ元素から造られているとはいえ,より高位のもの,はるかに優れた本質を持つものとして創造されました。

      23 動物に関してではなく,人間に関して,神は『定めのない時を彼らの心の中に置い』たと述べておられます。(伝道 3:11,新)人間だけが過去とか未来という概念を持っています。また,人間だけが,霊的な能力,すなわち,神に関する知識を取り入れたり,神の霊的な資質と倫理的に優れた特性にあずかったりする能力を持っています。(ヘブライ 12:9)神が人類にそうした霊的能力を備えさせたのですから,人間が正しく機能する,つまり生き続けるためには,それが満たされ充足されねばなりません。イエスは言われました。「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」― マタイ 5:3。

      24 完全な人間であったイエスは,自分の命が何によって維持されていると述べましたか。

      24 イエス・キリストは,地上で完全な人間であったにもかかわらず,命を保つために神に頼りました。イエスはこう言われました。「わたしの食物とは,わたしを遣わしたかたのご意志を行ない,その[神の]み業をなし終えることです」。さらに,『わたしは父によって生きている』とも言われました。(ヨハネ 4:34; 6:57)イエスはご自分について次のように語りました。「わたしは命のパンです。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べましたが,それでもなお死にました。……だれでもこのパンを食べるなら,その者は永久に生きます」― ヨハネ 6:48-51。

      25 イエスはどんな意味で,ヨハネ 6章48節から51節の言葉を語りましたか。

      25 当然のことながら,イエス・キリストは,人々が彼の文字通りの肉の体を食べるという意味でそう言われたのではありません。しかしながら,キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせ,キリストを通して神が備えられた霊的な食物を「食べる」ことにより,人は永遠に生きられるのです。それはいつのことですか。キリストの王国が支配する「新しい地」においてです。その時,大祭司であるイエスは,仲間の王また従属の祭司たちaと共に,地上の従順な人々に対してその贖いの犠牲を十分に適用します。その結果,それらの人たちの体はいやされます。それから彼らは,神のご意志を行ない続け,永遠に生きるのです。―ヨハネ 3:16。

      26 (イ)神は,人間にほんのつかの間良い生活を送らせるために,み子を遣わして苦しみに遭わせたと考えるのは道理に合っていますか。(ロ)エホバはすべての人に何を,どんな条件で差し伸べておられますか。

      26 エホバは最大の犠牲を払って,ご自分の独り子を地上に遣わされました。神は,ほんの短い間,より良い生活が送れるようにするためにみ子を苦しみと死に遭わせたのでは決してありません。神はすべての人にこう言われました。「悪から遠ざかり,善を行ない,そうして定めなき時に至るまで住むように。エホバは公正を愛する方,そして,ご自分の忠節な者たちを捨て去ることはないからである。定めなき時に至るまで彼らは必ず守られる」。(詩 37:27,28,新)そうです,エホバは,命の源また支える方であられ,ご自分に従順であり続ける者すべてに対して永遠にわたり命の偉大な守護者でもあられます。

  • 愛の神を明らかにする顕著な賜物
    人生には確かに目的がある
    • 8章

      愛の神を明らかにする顕著な賜物

      1,2 聖書の詩篇 25篇8節とマルコ 10章18節を読むと,どんな疑問が生ずるかもしれませんか。

      神が善良な方であるとどうして分かりますか。なぜ全能の神が,同時に悪い方であり得ないのですか。自らの内に幾らかの悪を持ち得ないのですか。神の人類に対する態度と目的はどこまでも慈愛深いとどうして分かりますか。

      2 「エホバは善良で正しい方」という詩篇作者の言葉や,イエスが述べた,「ただひとり,神以外には,だれも良い者はいません」という言葉を考えると,こうした疑問が頭に浮かぶかもしれません。―詩 25:8,新。マルコ 10:18。

      3-5 (イ)神が善良であるためには,どんな特質が求められますか。(ロ)神は理性を持つ創造物に対してどんな二つのものを備えられましたか。なぜですか。

      3 神が善良であるためには,ご自分の創造物を,そのあらゆる部分にわたって顧みる神でなければなりません。まず第一に,創造物が生存できるような備えを設ける神であるはずです。

      4 第二に,神が善良であるなら,創造物が生き続けるのに必要な単なる物質以上のものを備えられるはずです。人間の場合特にそう言えます。というのは,人間は,単なる生存以上のものを人生から得たいと願うからです。神の知的な創造物は明らか

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