-
神の新秩序への人類の救出ものみの塔 1972 | 4月15日
-
-
このことでは世の軍隊や革命家は,他の人間とではなく,目に見えない超人的な勢力と争っているのです。使徒パウロがアジアのエペソにあるクリスチャン会衆にあてて次のように書き送ったことばからすれば,全人類は何に相対しているかが大体わかります。
28 「悪魔の術に向ひて立ち得んために,神の武具をもて鎧ふべし。我らは血肉と戦ふにあらず,政治・権威,この世の暗黒を掌どるもの,天の処にある悪の霊と戦ふなり」― エペソ 6:11,12。
29 イエスとその使徒たちは悪霊を追い出したにもかかわらず,何をしようとはしませんでしたか。その結果,今日どんな事態が見られますか。
29 使徒パウロは,イエス・キリストご自身また他の使徒たちと同様,悪霊に取りつかれた人たちから悪霊を追い出して,哀れな犠牲者を解放しました。しかしながら,地上におられたイエス・キリストやその使徒たちは,悪霊による政治・権威,この世の暗黒を掌どる者また天の処にある悪の霊で構成されているこの見えない古い「天」をくつがえそうとは決してしませんでした。19世紀前のその当時は人類のそのような解放を行なうべき時ではなかったのです。したがって,それら邪悪な悪霊で成る「天」は今日に至るまで引き続き人類と人間の事がらを支配してきました。人類家族は今も,この見えない支配の恐るべき影響を経験していますし,しかもそうした支配に立ち向かうには全く無力です。
30 わたしたちは救出者をだれに求めざるをえませんか。『詛はれ』ないようにするには,わたしたちはだれにたよらなければなりませんか。
30 人類は,破滅をもたらしかねないこうした悪霊の天から自分たちを救ってくれる解放者を切実に必要としています。エホバ神は必要な救出者を起こされました! 待望の救出のためのエホバの予定の時は間近です! わたしたちは人間の「君たち」もしくは人の子に救出者を求めることはできません。そうするなら,わたしたちは『詛』れるでしょう! わたしたちはそのような救出者をエホバに求めざるをえません。その救出者はだれですか。
31 エホバに選ばれたそのかたは何を行なうことができますか。それは新秩序にとってなぜ基本的な要求といえますか。
31 それはエホバ神によって選ばれたかたであり,悪霊で成るこの古い「天」を滅ぼしうるかたです。この古い秩序を支配してきたその邪悪な「天」を除かないかぎり,人類のための新秩序は存在しえません。「新しい天」なくして人類のための新秩序はありえません。これは基本的な要求であるとともに,第一の要求です。エホバ神はそうした「新しい天」を創造すると約束されました。
32 「新しい天」を構成する者たちは「今の天」のそれとどのように釣り合いますか。「新しい天」の枢要で不可欠な者とはだれですか。
32 邪悪な「今の天」は見えない超人的な霊者で構成されているのですから,新しい天もやはり見えない超人的な霊者で構成されているに違いありません。使徒ペテロは,「されど我らは神の約束によりて義の住むところの新しき天と新しき地とを待つ」と書き送って神を待ち望み,神に信頼するよう,仲間のクリスチャンを激励しました。(ペテロ後 3:13)神はすでにその「新しい天」の首位者,枢要かつ不可欠な者を起こされました。そのかたは神の忠実なみ子,主イエス・キリストです。この救出者を歓呼して迎えてください!
-
-
命を尊んだ初期クリスチャンものみの塔 1972 | 4月15日
-
-
命を尊んだ初期クリスチャン
古代ローマの世界は流血行為を楽しんでいた。しかしながら,「ローマのカタコーム(地下墓地)」と題する本の中でW・H・ウイスローは次のように指摘している。「[初期クリスチャンは]人命に新たな尊厳さを付与し,胎児をおろす異教の習慣を殺人行為として公けに非とすることさえした。幼児を捨てて殺すことは異教徒の間で広く一般に見られた恐るべき慣行であり,プラトンやアリストテレスさえこうした事実を認めた。われわれは当時のクリスチャンがそのような捨て子を死から救ったり,あるいはさらに恐ろしい運命である堕落の一生から救い出して,優しい博愛の精神を示した証拠を持っている。当時のクリスチャンはまた,『自殺』を非とする全能者の規範の正しさを力説したが,その罪悪を異教徒は美徳として称揚さえした。その全能者の規範は,ヨブの場合のように辛抱強く忍耐することは,カトーの自害以上により高尚な勇気を表わすものであると教えている。
-