ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • あなたはほんとうに神の王国を望んでおられますか
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • べく,神はみ子イエス・キリストに王としての権能をお与えになりました。そのイエスについてはこう書かれています。「あなたは正義を愛し,不法を憎まれた。こういうわけだから,神,あなたの神は歓喜の油をもって……あなたに油を注がれた」。(ヘブル 1:9,新)王としてのイエスは,神の正義の律法が十分に施行されるよう取り計らいます。それはいったい何を意味しますか。

      聖書は,神の律法が執行されることにより,どういうものに終わりがもたらされるかをコリント前書 6章9,10節(〔新〕)で次のように述べています。「汝ら知らぬか,正しからぬ者の神の〔王国〕を嗣ぐことなきを。自ら欺くな,淫行のもの,偶像を拝むもの,姦淫をなすもの,男娼となるもの,男色を行ふ者,盗するもの,貪欲のもの,酒に酔ふもの,罵るもの,奪ふ者などは,みな神の〔王国〕を嗣ぐことなきなり」。こうしたならわしのすべては神の見地から不法な事柄です。したがってそれらは神の王国の支配下では許されません。神はご自分の意志を行なうことを熱心に求めている人々に対して忍耐を示されますが,神によって非とされている事柄を強いて行ない続ける人々は,「神の〔王〕国を嗣ぐこと」がありません。―ガラテヤ 5:19-21。

      ですから,今日,神の王国が自分たちを支配することを実際には望んでいない人々の多い理由がおわかりになるでしょう。そうした人々はもっと良い状態 ― 戦争,経済不安,病気や暴力犯罪のない生活 ― を望んでいると,確かに言うかもしれません。しかし,彼らは自分たちの個人的な生き方について,神に責任を負っているとは思いたくないのです。不道徳な行為の許されない世界は彼らにとっておもしろくありません。不法な事柄を是認しないと彼らは言うかもしれませんが,それはある特定の種類の不法な事柄について言っているにすぎないのです。そうした人々は正義を愛する人々ではありません。結局,彼らは神の王国をほんとうに望んでいるのではありません。

      その時と同様な生活の仕方を今する

      こうした事柄についてあなたはどう感じておられますか。神の王国が地上からすべての不義を取り除くのを見たいとの強い願いをほんとうに持っておられますか。そうであれば,豊かな祝福があなたを待ち受けています。しかし,そうした祝福をとらえるためには,命のための神の備えに信仰を表わし,神のことばと一致した生活を今するよう誠実な努力を払うことにより,正義に対する愛を立証しなければなりません。現在の事物の体制下にある今日でさえ,わるいならわしに関して,『わたしたちの肢体を殺(さ)』なければなりません。今でさえ,単に性の不道徳だけではなく,『怒・憤恚・悪意・そしりと恥づべきことば』を含め,『すべてこれらのことを棄て』なければなりません。また,「互いに偽りを語ってはな(り)」ません。「古い人格を,その慣習とともに脱ぎ捨て」て,「新しい人格を身に着け」,神と仲間の人間に対する純粋な愛を立証しなければならないのです。―コロサイ 3:5-8。9-4,新。

      こうした事柄はあなたがほんとうに願っておられるものですか。そうであれば,あなたはそれをどのように行ないはじめることができますか。聖書が述べているとおり,「あなたがたの思いに働く力において新たに」なることによってです。(エペソ 4:20-24,新)これは単に周囲の人々と異なっていようと個人的に決意することだけを意味しているのではありません。決意することに加えて,神のことばである聖書の中に見いだされる健全で信仰を高める真理で自分の思いを定期的に満たす必要があります。ロマ書 12章2節に一致して,「この事物の体制に合わせて形づくられるのをやめなさい。むしろ,あなたがたの思いを作り変えて,みずからを一変させなさい。あなたがたが自分自身に,神の善良で,好ましく,かつ完全な意志を実証するためです」。

      人がほんとうに神の王国を望んでいるなら,王国とその律法,またその正義の統治下で命を得るために要求されている事柄などについて,できうるかぎりのことを学ぶのが当然ではありませんか。あなたはそう願っておられますか。エホバの証人は喜んであなたをご援助いたします。毎週お宅に伺って,あなたが神のことばのたいせつな情報を得るお手伝いを無償ですることを喜びとしています。あなたはほんとうに,神の王国のもとで命を得たいと思われますか。では,あなたがそのことについてさらに学びたいと願っておられることを,ぜひ知らせてください。ご近所のエホバの証人にお尋ねくださるか,本誌の発行者あてにご一報ください。

  • 家族の研究は祝福
    ものみの塔 1971 | 6月1日
    • 家族の研究は祝福

      クリスチャンである父親や母親は,子どもたちが神を恐れ,忠誠な男女に成長することを願っています。そのような子どもたちは両親にとってもすばらしい祝福です。「義き者の父は大によろこび 智恵ある子を生る者はこれがために楽しまん,汝の父母を楽しませ 汝を生める者を喜ばせよ」とあるとおりです。―箴言 23:24,25。

      エホバの証人の会衆の監督たちは次のような質問を受けます。エホバの証人の,たいへん多くの子どもたちが,エホバの誠実で熱心な崇拝者に成長するのはなぜですか,と。彼らはこう答えます。「基本的に言って,その答えは家族の中に見いだされます。父親が霊的な面で家族を監督し,家族のために実際的な計画を立てる時,子どもたちは真の益を受けるのです」。

      平衡のとれた計画の中でたいせつな要素となるのは,父親によって司会される家族の研究です。しかし,母親だけが献身したクリスチャンの場合はどうしますか。ある監督は次のように答えました。「そうした母親たちにとって,子どもたちを独力で神の道にそって育てるのは容易ではないと思います。しかし,多くの母親がりっぱにそれをやり遂げており,子どもたちは真理に堅くついています。そうした母親は子どもたちとの聖書研究を定期的に行なっているのです」。

      したがって,クリスチャン家族として成功するために鍵となる要素は,聖書および聖書関係の出版物をそろって定期的に学ぶことです。ですから,子どもたちだけを考慮すればよいというのではありません。父親や母親も,家族そろって行なう神のことばの研究から受ける,霊的な訓育を必要としているのです。イエスははっきりとこう言われました。「人はパンだけではなく,エホバの御口から出るいっさいの言句によっても生きねばならない」― マタイ 4:4,新。

      幼い時から始める

      敬虔な節操は子どもたちの中に生まれるものではありません。それどころか,「愚かさが少年の心臓と結びついている。懲らしめのむちは,それを遠くへ追いやるものとな(り)」ます。(箴言 22:15,新)誤った傾向に対抗するため,子どもたちを幼い時から正しく訓練することが必要です。―詩 51:5。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする