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  • 正義の新しい世の生命
    ものみの塔 1960 | 6月15日
    • 2節(新口)のところで,神の御座については次のように書かれているからです,『義と正とはそのみくらの基である。』

      それで,さぎの行い,圧制,利己主義,そして悪の終りは近づいています。この世代のうちに神に善意を持つ人々,そして正義を愛する人々は,神により救われ,『義の住む』世界に入れると知つてよろこびなさい。詩篇を書いたひとりの人は,公平な原則のつえを持つ王が支配する新しい正義の世の生命について,前もつて次のような預言的な言葉を述べています,『神よ,あなたの公平を王に与え,あなたの義を王の子に与えて下さい。彼は義をもつてあなたの民をさばき,公平をもつてあなたの貧しい者をさばくように。もろもろの山と丘とは義によつて,民に平和を与えるように。彼の世に義は栄え,平和は月のなくなるまで豊かであるように。』― 詩 72:1-8,新口。

      その新しい世で,不正は根をはりません。ただ『義は栄えます。』それで,驚く事に住宅の不足はなくなり,食糧の不足もなくなります。ホスエ・ド・カストロ博士は,現在の『世界には,いかなる場所であろうとすべての人に十分な食物を供給し得る資源が十分にある』と語つています。全くのところ,ある政府は食物があり過ぎているので,貯蔵したり,捨てたり,あるいは他の方法で処理しています。それでいて,幾百万という人々は地上で餓死しています。この地はすべての人のために十分のものを産出すことができるのです。神の正義の新しい世における生活には,何かが不足しているというようなことは決してありません。そのときには,イザヤの次の預言は,全地にわたつて成就するでしよう,『彼らは家を建てて,それに住み,ぶどう畠を作つて,その実を食べる。彼らが建てる所に,ほかの人は住まず,彼らが植えるものは,ほかの人が食べない。わが民の命は,木の命のようになり,わが選んだ者は,その手のわざをながく楽しむからである。』『正義は平和を生じ,正義のむすぶ実は,とこしえの平安と信頼である。』― イザヤ 65:21,22; 32:16,17,新口。

      正義の世界の地上で,あなたはどのように永遠の生命を楽しむことができますか。神の御言葉が助言している通りの事をいたしなさい。『公義を求め,謙遜を求めよ。さすれば,なんじらヱホバの怒りの日にあるいはかくさるることあらん。』(ゼパニヤ 2:3)いま神の正しい道を学びなさい。神の原則をあなたの生活に適用しなさい。他の者をヱホバ神の崇拝にみちびき,それらの者をも助けて正義の世における永遠の生命を得させなさい。

  • 親切ていねいな振舞は良い
    ものみの塔 1960 | 6月15日
    • 親切ていねいな振舞は良い

      働くだけでは十分ではありません。どのように働くかが大切です。私たちが物事をする仕方は,多くの場合に私たちの為し行うこと以上のものを意味します。子供は最善の仕事をしないかも知りませんが,熱心な気持で努力する子供の態度に大人の気持は暖められます。

      人々に話すだけでは十分でなく,その話し方も大切です。「ほんとうによくいらつしやいました」と真心こめて語れば,その意味は大きなものになります。たとえ寝所はいちばん良いと言えなくても,それほど親切ていねいな提供をする人の気を悪くさせてはいけないと思い,寝所の良くないことなどはすぐに見過してしまうでしよう。ところが「とまつても良く,とまらなくても良いですよ。あなたの決定次第です」と極めて素気ない冷い態度で言われるなら,たとえその寝所が良いものであつても,あなたはおそらく別のところを探すでしよう。

      贈物を与えることは良いことです。しかし,私たちがその贈物を与えるときの気持は,たいていの場合に,贈物以上の意味を持つています。いやいやながらに与えると,与えることと受け取ることとは大へん不愉快なものになります。親切ていねいな態度で物事をすることは,あなた自身および他の者に誉となります。与える者も受け取る者も,両方とも心の内に報いを感ずるでしよう。

      親切ていねいにするとは,私たちの行儀を親切にして,礼儀正しいものにすることです。人とのつき合いを心やすくし,人との交わりを極めて愉快にし,安易に感じさせることです。それは,特に下位の者に対しての暖かさ,近づき易さ,親切,うやうやしさを意味します。この親切ていねいという衣服は,私たちが着用する美しい衣服です。

      クリスチャンは,あらゆることを親切ていねいにするようにと励まされています。援助資金の寄付についてパウロが語つたとき,彼はそれを親切なわざに言及しました。クリスチャンの寄付は「親切な気持からなされるのであつて惜しむ心からでなく……神は喜んで施す人を愛して下さるのである」と彼は語りました。与えたことに私たちは爽快さを感ずるべきです。―コリント後 9:7,新口。

      親切ていねいにすることとその生活は,すこしも費用がいりません。それでいてパンと水のごとくそれは生活に肝要なものです。この次にあなたが人々と交渉を持つとき,もう少し親切ていねいにしてごらんなさい。それだけ良い結果を感ずるでしよう。

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