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あなたはなぜ自分自身と他の人びとのために命を望んでいますかものみの塔 1973 | 9月1日
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15,16 (イ)奉仕のどんな他の面は,それが報いのある仕事であることを証明していますか。(ロ)この点にかんして,ペテロ後書 1章5-8節はなんと述べていますか。
15 クリスチャンの奉仕は,いわばボーナスである他の祝福をももたらします。真の生活は退職した時から始まると考えている若者は少なくありません。何もせずにながながと寝そべって,『ああ,これが人生だ!』と彼らは言います。しかし,それはいつまでつづくでしょうか。無活動はやがて不満を生み出します。そういう生活は退くつです。そればかりでなく,退くつでゆううつだということは,疲労した,不健康に近い生活をすることです。半ば死んだような状態で動き回ります。一方,それらの若者は,老いた父親または母親が,出かけて行ってクリスチャンの奉仕を行ない,関心のある人びとを訪問し,聖書研究を行ない,あるいは大急ぎで集会に出て行くのを見るとき,そのように腕や足や思いを働かせることが,からだを元気にする効果のあることに気づきません。しかし,それは彼らに幸福感を与えるのです。使徒パウロの次の助言に従う人びとが益を受けることは明らかです。「自分の務めを怠ってはなりません。霊に燃えなさい。エホバに奴隷として仕えなさい」― ロマ 12:11,新。
16 仕事から,それも意義ある仕事から身を引くことは,生きるのをやめることでもあります。何もしないことは,ゆっくりと,しかし確実に死を招く自殺行為です。何もしないで過ごす人びとのからだは,こわれて役に立たないベッドスプリングのようです。彼らの思いは,家具のないがらんとしたへやのようで,創意も関心もありません。このような状態に対する最善の処方は,神のことば聖書の健全な勉強です。クリスチャンの奉仕は,その両方を提供します。神のご意志を行なう人は,建設的な考えや活動で満たされます。無活動になったり,実を結ばなかったり,自分を無価値なものに感じたりするようなことはありません。それはなんとすばらしい業績であり,祝福でしょう。―ピリピ 4:6-9。ペテロ後 1:5-8。
満足のゆくものであるためには命は永遠につづくものでなければならない
17 (イ)生活を完全に満足のいくものにするためには,ほかに何を加えなければなりませんか。(ロ)ヨハネ伝 17章3節によると,これはどのようにして得られますか。
17 神に奉仕するなら,その生活はすぐに,本人にとっても他の人びとにとっても美しい,貴重なものとなり,しかもそれだけで報いは十分のように思えるかもしれませんが,そのように充実した生活をしていても,前途には死あるのみというのでは,ほんとうに満足することはできません。死は敵であって友ではありません。(コリント前 15:26)イエスは,人間に永遠の命が必要であることを強調して,「全世界をかち得ても,それによって自分の魂を失うなら,その人にとってなんの益になるでしょうか」と言われました。(マタイ 16:26,新)物質面で何かを成し遂げても,生きる見込みがないのであれば,それはほんとうの業績とは言えません。神に奉仕するためには人は生きていなければなりません。死者は神をほめたたえることはありません。(詩 115:17)クリスチャンの奉仕の目的は次の一事につきます。つまり,永遠に生きて神に栄光を帰することができるよう,人を神と和解させることです。しかしそれは可能でしょうか。可能です。これこそキリストが宣言された良いたよりです。(ヨハネ 17:3)したがって,人生の目的は,永遠に生きられるように,神とキリストを知ることでなければなりません。「神の賜物」は,限られた短い命ではなく,「わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」だからです。(ロマ 6:23,新)エホバの証人のひとりとしてのクリスチャンの生活を現在においてさえ非常に刺激のある,意義のある,そして非常に満足のいく生活にするものは,この賜物を得ようとする努力です。
18 永遠の命が最も望ましいものであるのはなぜかを説明しなさい。
18 しかし,永遠の命は望ましいものでしょうか。完全な状態のもとでの永遠の命が,どうして望ましくないと言えるでしょうか。イエスは,この約束された将来を,「満ちあふれる」命と呼ばれました。(ヨハネ 10:10,新)パウロはそれを「真の命」と言いました。(テモテ前 6:19,新)パウロがそう言った理由は容易に理解できます。永遠に生きるのであれば,創造的に物事を考え,建設的な仕事をするための時間が十分にあります。神がお立てになる新秩序のもとでは,神がまだ完了されていない仕事,すなわちこの地球を楽園にすることが,人類の専念する第一の仕事になるにちがいありません。(イザヤ 65:17-25。ペテロ後 3:13。黙示 21:1-5)人びとは,とどまることなくエホバについて学び,一般の生活にかんする事実や数字,意見などをその思いに取り入れつづけるでしょう。頭脳の収容能力は無限であり,貯えれば貯えるほど,その有用性は増します。発明家であった科学者のトマス・エジソンは,現在の程度の知力では,宇宙の事がらすべてをはあくすることはできないと言って嘆いたことがあります。どんな事がらにせよ,われわれはその何百万分の一も知ってはいない,と彼は言いました。しかし,知力をいまよりもはるかに多く使えることからくる喜びを考えてごらんなさい。今日の生活においては,仕事の完成を見るのは容易なことではありません。ほとんどの人は,最後にはなんとか希望に近いものができあがるだろうと信じて,ひとしきり働いているにすぎません。しかし,エホバの新秩序においては,完成に至るまでの具体的な構想を立てる時間と可能性があります。このことは永遠にわたって人間の幸福となり,神の栄光となります。というのは,これこそ神が述べられた目的だからです。―イザヤ 55:10,11。
19 自分自身と他の人びとのために永遠の命という賜物を確実にするよう,わたしたちは何をすることができますか。
19 ですから,今神のご意志を行なうことにより,命を神の賜物としてたいせつにしてください。命の唯一の源と,その真の意味,および報いある目的を他の人びとに教えることによって,命に対するこの畏敬の念をその人たちの心に植えつけてください。エホバが命令されたことをすべて行なうように人びとに教えることによって,彼らがエホバ神とキリスト・イエスの弟子となり,おふたかたから学ぶ者となるように助けてください。生きる唯一の理由を人びとに示すとき,わたしたちは自分自身のうちに,生きる目的を生き生きと保つことができるのです。命も,愛と同様に,それ自身の境界内に限られていたのでは栄えませんが,他の人びとに自らを与えてこそ新たになるのです。そして,その最大の,また非常にりっぱな報いのある奉仕は,神に栄光を帰すことです。したがって詩篇作者は,その究極の希望を次のように表現しました。『気息あるものは皆ヤハをほめたたうべしなんじらエホバをほめたたうべし』― 詩 150:6。
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『平和に役だつ事がらを追い求めなさい』ものみの塔 1973 | 9月1日
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『平和に役だつ事がらを追い求めなさい』
「それですから,平和に役だつ事がらや互いを築き上げる事がらを追い求めましょう」― ロマ 14:19,新。
1 (イ)20世紀の人びとは何を認めさせられてきましたか。(ロ)しかし,どんな質問を提起せざるをえませんか。
平和の追求は,今日第一に行なうべき事がらの一つです。多くの人びとは,人類が生き残るには平和は不可欠であると考えています。しかし,諸国民また民衆は全体として,自分たちの生活や目標また主義を築き直すのに要する高い代償を喜んで支払うほどに真に平和を欲しているでしょうか。平和を達成しようとする人びとの努力から判断するかぎり,とてもそうはいえません。証拠を考慮してみてください。
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