-
1957年の地域大会の顕著な点ものみの塔 1957 | 12月1日
-
-
余地もないほどうめつくされました。そして美しい音楽の番組も特筆すべきものでした。
メリーランド州バルチモアのメモリアル野球場では8月21日から25日に渡つて開催され,それはアメリカ合衆国で催された此の度に於ける最後の大会でした。ここでの顕著な点は,土曜日の午後,決議文が採決されたことです。それは現在ドミニカに居住するヱホバの証者に対してとられた残酷な行為と追放に関して,ドミニカの最高支配者に対する抗議でした。又追放された宣教者達が話した経験や,1034名という受洗者の数,又証者たちを収容した夥しい無料の宿舎なども著しい点でした。
カナダでは7月中に3つの大会が開かれました。トロントの或る新聞は,紙面の上段を使用し2頁にわたつて,パノラマ式に大会の全景を掲載しました。エドモントン大会に集つた証者たちの中には,トラックに乗つてアラスカからはるばる2000マイルの旅をしてやつて来たグループもありました。
英国とスコットランドでは4つの大会が行われました。新聞やテレビジョンも大会に注目し,何通かの友好的な手紙が新聞に載せられました。目立つた点は,これらの4つの大会に影響を与えたバスのストライキにも拘らず,前年の大会よりも20パーセント上廻る出席者の合計数でした。
西ドイツでは3つの大会がありました。ドルトムンドでは,オートバイに乗つた護衛警官たちが受洗希望者たちを乗せた25のバスを,12マイル離れた洗礼の場所へ導きました。彼らが,証者たちのために道を開けさせたり,交叉点で通交を止めて通させたりしたことは外部の人々に深い印象を与えたものです。13年前に全部のヱホバの証者がナチの収容所に入れられていた時と,何という大きな違いでしよう。ミューニッヒでは,大会は殆ど1000フィートもある,2万2000人の収容力を持つ巨大なテントの中で行われました。かつてミューニッヒの人々が見たテントよりも4倍も大きいものでしたから,相当の話題をまき起しました。ドイツの大会を感動させたものは証者の教科書である『奉仕者になる資格』がドイツ語で出版されたことでした。
-
-
妥協を拒絶する者たちは幸福ものみの塔 1957 | 12月1日
-
-
試錬の時に入ろうとしています。それですから,私たちの考え方,論理の仕方に注意を払いましよう。神の正義の律法と,原則に固くつき従いなさい。私たちに身近かな人,交わりのある人々でさえも,神の原則に従わずに人間の考え方に従うため,悪い忠告をすることがあるのです。辛い試錬を受けたヨブは,自分の妻から大そう悪い言葉を聞きました。(ヨブ 2:9,10)それはイエスと親しく交わつたペテロが,イエスの苦しみを受けて殺される必要はないと言つて強く反対した時,イエスでさえも,危険な言葉に警戒しなければなりませんでした。『イエスは振り向いて,ペテロに言われた,「サタンよ,引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで,人のことを思つている」。』それから,ペテロが正しく考えるのを助けるため,イエスはすべてのクリスチャンに関する一つの原則を述べました。『自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを見いだすであろう。』(マタイ 16:22-25,新口)故に私たちは,ヱホバの言葉と制度が与える正しい助言を求めましよう。ヱホバは正しい原則を与えて下さいました。私たちはそれらの原則に思いをめぐらすべきです。そして私たちがこれらの原則に従うことによつて心を強くしている限り,サタンに屈することはないでしよう。
17 なぜ,妥協に対して,いま警戒すべきですか。クリスチャン原則を決して妥協しない人にはどんな結果が生じますか。
17 霊的な戦いのさなかにあるヱホバの僕が,自分の行つていることを冷静に考える時は,いまです。私たちはサタンという狡猾な敵に面して居り,私たちを捕えて霊的な眠りに引き込み,あるいは,生活の中で第一のものである,神の御国から私たちを離して世に引き入れようとする沢山の罠が仕掛けられています。献身を試みる試錬に会う度毎に,私たちは感情を平静に保たねばなりません。また,奉仕を危くするかも知れない行動を採る前に,忍耐づよく事柄を考え神の言葉と制度からの助言を注意ぶかく考慮しなければなりません。私たちは,正しい決定を下すことのできる霊的な成長を遂げたクリスチャンとならねばなりません。世はますます便宜主義である情欲に従つて原則を無視しています。しかし,ヱホバの僕はいよいよ固くクリスチャン原則に従い,肉の欲を捨てます。私たちはクリスチャンです。私たちは献身しました。義のためには,私たちは喜んで苦難に耐えます。私たちは世のものではなく,また,そうなることを決して欲しません。いまは最後の裁きの時です。永遠の生命を得るか否かの時なのです。神の事柄に考えをめぐらし,神の事柄で導かれなさい。クリスチャンの原則を決して妥協しないことによつて,永遠の生命を得なさい。
-