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孤独感 ― 現代の声なき悩み目ざめよ! 1980 | 8月8日
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と嘆く人は少なくありません。人に囲まれていても,彼らは無言の世界に住んでいます。親しみのこもった気遣いを示すことも示されることもなく,関心や同情心を示し,受け入れてくれる人は一人もいないのです。
それは筆頭に挙げられている
1978年に,5万2,000人以上を対象に行なわれた調査で,情緒面における最大の悩みは何かを尋ねたものがあります。悩みの筆頭に挙げられたのは何でしたか。「しばしば孤独を感じる」と答えた人が40%以上に上りました。孤独であることを認めたがらないのが普通であることを思えば,これはかなり高い率です。
しかし実際には,ほとんどすべての人が孤独感を経験します。そうした感情は一過性のものであることが少なくありませんが,孤独感が慢性的になり,みじめな生活に陥る人も何百万人といるのです。
孤独は人を選ぶことがありません。ティーンエージャー,独身の若者,中年層,高齢者のいずれもがその痛みを経験しています。富も地位も孤独から身を守る手だてとはなりません。
結婚すれば自動的に孤独感を抱かずにすむようになるというわけではありません。ある研究者たちによれば,「世間で最も孤独な人の中には」,心の通わない結婚生活を送っている夫婦がいます。
孤独について,一専門家は語りました。「人間の置かれた境遇の中でこれほど厳しく,また広く見られるものはない」。
人の生活に及ぼす悲劇的な影響
最悪の場合,孤独は自殺の原因になることがあります。ティーンエージャーの間に特に見られる自殺の急激な増加を孤独のひろまりと結びつけている研究が幾つかあります。次のような研究の報告があります。「自殺の記事に一貫した主題があるとすれば,それは家族,友人からの孤立,また現実からさまよい出るのを防ぐ錨の役をする人,あるいは話によく耳を傾けてくれる人からの孤立というものである」。(下線は本誌)
孤独感にさいなまれる人は寂しさをまぎらわそうと,酒におぼれたり,無理な過食をしたり,麻薬に手を出したり,性の乱行にふけったりしてきました。デート・バー,ダンスクラブ,乱行グループ,コンピューター・デート,配偶者を求める新聞広告といったものの背後にある衝動には孤独の関係している場合が少なくありません。
胃の不調,ぜんそくの発作,発疹その他,多くの病気が孤独と関係があるとされてきました。「心臓病 ― 孤独が健康にもたらした結果」の中で著者のジェームズ・リンチは,独身あるいは離婚した人,独りで暮らすことの多い人ほど寿命も短く,心臓病にかかる率も高いことを示す実例を挙げています。「交友はまさに一種の生命保険と言えるほど重要である」というのがリンチのあけすけな結論です。
孤独が暴力沙汰をひき起こす場合のあることさえ,研究は示しています。
もちろん,何かの病気にかかっている人がすべて孤独であるとか,独身また離婚した人すべてがアルコール中毒,相手を選ばぬ性行為,暴力やそのたぐいのことに傾きやすいと言うのではありません。しかしここに述べた事は,孤独が人の生活に大きな精神的影響を及ぼしかねないことを示しています。
孤独な人がいま多いのはなぜか
過去二,三十年間に家庭生活は著しく衰退しました。離婚率は事実上すべての国で急上昇しています。片親だけの家庭が激増しました。独り暮らしの人がますます増えています。やもめ暮らしをする人と独身者を加えるならば,その数は驚くほどのものになることでしょう。
今日の社会に見られる態度と新しい事情もまた,孤独を感じさせる雰囲気を作り出してきました。最小の努力で最大の生産を行なう人間性を無視した技術が重んじられ,個人はしばしば生産の単なる道具とみなされています。多くの人は同様の原則を個人生活にも適用しており,満足感を与えるような関係を他の人々と培うのに必要な感情面での努力を払おうとせず,うわべだけの知り合いを作るに過ぎません。今日の宇宙時代がもたらした社会的流動性をこれに結びつけるならば,人が容易に孤独に陥る理由が分かります。
テレビもまた家族や友人との純粋な交流の妨げとなってきました。農村から“大都市”に人が群がり集まるという最近の事情もあります。日本で起きたことは多くの国にも見られます。日本では,第二次世界大戦以前,家族の間に親密な交わりがありました。困った時にはいつでも助けてくれる親類や隣人がいました。しかし日本の社会学者飯塚進教授によれば,「1億1,200万を数える日本の国民の60パーセントが国土の2パーセントに住む現在,ますます多くの家族がコンクリート・ジャングルの中で孤立した生活を営むようになっており,しかもその新しい様式に順応していない」。
大都会に住む人は“人疲れ”がして,一日を終えた後では人,おそらくは自分の家族でさえも避けたくなるかもしれません。助けを必要とする他人を見ても無視するでしょう。身を守る殻の中に閉じこもり,自分をますます孤立させるようになります。孤立という避難所は,次第に孤独の牢獄となります。
孤独になる理由は数多く,また複雑です。しかし肝要なのは,どのようにそれに対処できるか,どうすれば孤独に打ち勝てるかということです。
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孤独感をどう克服するか目ざめよ! 1980 | 8月8日
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孤独感をどう克服するか
ジョアンナは15歳の魅力的な少女で,男の子にも女の子にも人気がありました。ジョアンナは大勢の仲間がいて幸福そうでした。そのジョアンナが二連発の散弾銃で短い命を絶ったのです ― みずからの手で。次のような書置きがありました。「愛はもう孤独でいることではないわ。退屈なのはつらい」
ジョアンナのように大勢の友達に囲まれていながら孤独な人がいるのはなぜでしょうか。
独りでいるからと言って必ずしも孤独であるわけではない
多くの人は思いめぐらしたり,黙想したりするために一人で過ごす時間を大切にしています。しかし関心を示してくれる人に自分の感情を伝えるのは,すべての人が基本的に必要としている事柄です。心にある親密な情を分かち合いたいというこの欲望が満たされないと,その結果,孤独感を抱くようになります。
群衆の中にいて,あるいはうわべだけの知人が大勢いて,しかも孤独になることのある理由がこれでよく分かります。他の人からの応答がない時,自分は無用の人間だと感ずる時,あるいは感情の荷を自分独りで負わねばならない時,そこには孤独があります。
孤独にはそれ相当の理由があります。配偶者や親友の死に遭うかもしれません。その人が寂しく感ずる ― それは確かなことです。離婚も孤独を生みます。ある婦人はその苦悩をこう語りました。
「わたしは望みもせず,また思いもよらなかった離婚の苦痛を今まさにかみしめています。夫はわたしから去りました。今はほんとうにつらく,死んだほうがましだと思う時があります。これは決して克服できないように思えます。午前4時に目ざめて,自分は捨てられた,自分は独りぼっちだということをあらためて感ずる時は,特にそうです」。
親しい友人から遠く離れるなどして,新しい環境に移ると,当然に寂しさがつきまといます。当惑したり,情けなく思う必要はありません。それは正常で当たり前のことです。一権威者はこう語っています。
「全く人間的な感情として孤独を受け入れるならば,孤独感はまず大抵の場合,消えてしまう。別の気分あるいは感情がそれにとって代わるであろう。このような感情が去来するのは人生の現実であり,この現実を受け入れないで,絶えず幸福感にひたって生きることを期待するのは,失望あるいは苦々しさを味わう結果に終わるだけである」― テオドール・I・ルビン。
孤独を全く感じないというのではなく,要はそれに圧倒されないということです。しかし孤独の原因を知るのと,解決策を得るのとは別問題です。
孤独な人に「忙しくしていなさい」と言うだけでは十分な解決にならない
「一体どうしたのですか。寂しく思うことはありません。外出しなさい。クラブに入りなさい。忙しくしていなさい。何かしなさい」。これは,孤独な人に向かってしばしば語られる典型的な言葉です。これらの言葉は孤独をその人のせいだけにしています。
しかし忙しくしていても,単に忙しくするだけの目的でそうしているのでは,麻薬を使うのとあまり変わらないことになります。それは孤独の真の原因に取り組むのではなく,それを覆い隠し,それから逃避するものです。一研究者は次のことを認めています。
「[忙しくするという]この方法を試みたものの,疲れきって無人の家に戻り,生活の空白という痛みをいっそう感ずるだけに終わったという話は,未亡人たちから何回となく聞かされている」。
とは言え,無私の動機から他の人のために物事を行なうことに忙しく携わり,それによって孤独を追いやることのできた人々もいます。それは孤独な人に欠けている他の人々との良い関係を作り出すのに役立ちます。聖書に名を記されているクリスチャン婦人ドルカスの例は,それを例示して
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