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  • 神の新秩序に入るにふさわしい者であることを証明する
    ものみの塔 1976 | 3月15日
    • 月)17日は訪れ,その「不敬虔な人びとの世」に対するノアの神の破壊的な裁きが示されました。―創世 7:11-17。ペテロ第二 2:5。

      19 ノアのように世の終わりを生き残りたいなら,この事物の体制と一緒に滅びたくないと考えることだけでなく,さらにどんなことが要求されますか。

      19 わたしたちは今日,ノアおよびその家族と同じように,世の終わりを生き残って神の義の新秩序に入り,「新しい天と新しい地」を楽しむことを願っているでしょうか。そのような特権を得るにふさわしい者とされるには,単に「現在の邪悪な事物の体制」と共に滅びないことを望む以上のことが関係してきます。(ガラテア 1:4)わたしたちは,世界的大洪水前の時代の,「義の宣明者」ノアとその家族に似た者とならねばなりません。ノアは,義を宣明し,世の破滅について警告するかたわら,信仰のわざをしなければなりませんでした。西暦1914年以来わたしたちが通過しつつある多事多端な時代についてのイエスの預言的描写によると,「事物の体制の終結」の時に住んでいるわたしたちに,それ以下のことが期待されるでしょうか。もし現代の実体と,ノアの日の古代の型とがマッチしなければならないのであれば,そうは期待されないでしょう。―マタイ 24:3-39。

      20 なすべきことをわたしたちに思い起こさせるために,ペテロは,正しい者と正しくない者とを扱う神の能力に関してどんな論議を用いていますか。

      20 わたしたちがする必要のあるのは,使徒ペテロが,キリスト信者に宛てて書き送った二番目の手紙でその読者に思い起こさせている事がらです。邪悪な天使と人間の上に臨む神の裁きの執行に関して論議を盛り上げ,ペテロは次のように書いています。「古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られたのであれば……エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか,一方,不義の人びと,わけても,肉を汚そうとの欲望をいだいてそれに従い,主たる者の地位を見下す者を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです[知っておられることを確信しなさい,モファット訳]」― ペテロ第二 2:5-10。

      裁きの日に向かう神の足どりが遅いのではない

      21 なぜこの世代は,彼らの滅びがまどろんでいるとか,神は裁きの執行に手間どっている,などと考えますか。

      21 ノアの大洪水から200年近くたったころ,ノアの子孫は総じて,邪悪で不敬虔な人々の上に神が世界的裁きを下されたことを忘れ始めました。そのとき彼らは,宇宙主権者としてのエホバ神に反逆する人間の社会をつくり上げました。バベル(またはバビロン)というその悪名高い都市は,そういう神に挑戦する人間社会の象徴となりました。(創世 10:8-10)それは幾千年も昔のことでした。ですから,「古代の世」に大洪水を臨ませた最高審判者を無視する人類の世は,今までに長期間生存を許されてきたわけです。キリスト教世界は西暦四世紀のコンスタンチヌス大帝の時代に始まりましたが,その時から数えても,それは長い期間になります。さらにわたしたちの時代においては,西暦1914年に「終わりの時」が始まってからすでに61年になります。(ダニエル 12:1-4,新)それゆえに,キリスト教世界の偽善的な宗教家たちは,神の裁きの執行は手間どっており,彼らの滅びはまどろんでいると考えがちかもしれません。彼らは,聖書の神に関して宗教的偽善を装っているにもかかわらず,神が反抗的な人間の世全体を再び滅ぼすことはない,と考えています。

      22 過去において人々を処置されたどんな型によると,神は現在の世も許されないことが分かりますか。

      22 今日,わたしたちがなすべき賢明なことは,霊感による使徒ペテロのことばを心に深く留めておくことです。彼は次のように書いています。「しかし彼らに対して,昔からの裁きは手間どっているのでもなければ,その滅びはまどろんでいるのでもありません」。(ペテロ第二 2:3)霊感によって書かれた聖書に照らして見たすべての証拠によると,時は非常に進んでいます。神の寛大な辛抱強さもまさに限界に達しようとしています。大洪水前の幾年かの間に不従順になったみ使いたちを許さなかったのと同じほど確かに,またノアの時代の不敬虔な人々の物質主義的な世を許さなかったのと同じほど確実に,そしてアブラハムとそのおいロトの時代の背徳の町ソドムとゴモラを許さなかったのと同じほど確かに,不変の義の規準をお持ちになる神は,今日の信仰のない自己中心的な人々の世を許されません。

      23,24 (イ)このことに関して神が時を定めておられないと結論すべきでないのはなぜですか。(ロ)ノアの時代には,神が辛抱強さを示されたために何をする余裕がありましたか。

      23 「全地を裁く方」がこの事物の体制の上に滅びの宣告を執行する正確な日時を聖書の中でこの世に告げておられないからといって,それはその方が時を定めておられないということではありません。―創世 18:25。

      24 これは,現代の法廷におけるように,法律問題に関して,法の公正な施行が遅々として進まない,といったようなものではありません。「現在の邪悪な事物の体制」に滅びをもたらすことに関し,神が審判者のいすに腰かけたまままどろんでいるとか,ぐっすり眠り込んでいる,ということではありません。(ガラテア 1:4)これを行なう予定の時を,現在以前の日に定められなかったのは,神が忍耐強く,『怒ることの遅い』かただからです。(出エジプト 34:6)このような方法で神が事を起こす時を定めてくださったので,今日のわたしたちはみな喜ぶことができます。なぜでしょうか。それによってわたしたちに救われる見込みが生まれた,という良い理由のためです。これはノアの時代と同じです。神が大洪水まで120年の余裕をお与えになったので,ノアとその妻は三人の息子をもうけ,そしてその息子たちは成長して三人の娘と結婚し,それから八人全部が,箱船を造ってその中に動物を入れて救うことを協力して行なうという機会を得ました。―創世 6:3から7:10。詩 103:8。

      25 古い世に属する人々と神の新秩序を望む人々は,神の辛抱強さをどのように利用しますか。

      25 今日の不敬虔な世は,神の辛抱強さを,腐敗した古い世の中で利己的な快楽をそれだけ長く楽しむために利用しています。神の義の新秩序を心から待ち望んでいる人々は,死につながる行ないを悔い改めるために,そして神の新秩序に救い入れられるにふさわしい者であることを証明するために,神が『怒ることの遅いかた』であるのを利用しています。彼らは使徒ペテロが述べた次のような見解を取ります。「エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えているような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対して辛抱しておられるのです」― ペテロ第二 3:9。

      26,27 (イ)ここで言われている悔い改めは何と関係がありますか。(ロ)イエスは,この種の悔い改めを念頭に置いておられたことを,どのように示されましたか。

      26 わたしたちは悔い改めに至っているでしょうか。こう質問しても,イエスが繰り返し罪を犯す者について,「たとえその人があなたに対して一日に七回罪をおかし,『わたしは悔い改めます』と言ってあなたのもとに七回戻って来たとしても,あなたはその人をゆるしてあげなければなりません」と言われたときのような,何か悪いことをしてそれを悔い改めるといった,普通の悔い改めのことを言っているのではありません。(ルカ 17:4)ペテロ第二 3章9節で言われている悔い改めは,神の王国,すなわちイエス・キリストが全人類を治める王として任命されている政府に関して人が取る行動と関係があります。

      27 マタイ 4章17節の記録によると,イエスはそのような神の天のメシア王国に関連した悔い改めを念頭に置いておられました。そこには次のように書かれています。「その時からイエスは伝道を開始し,『あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです』と言いはじめられた」。(マルコ 1:14,15; マタイ 3:1,2もご覧ください。)悔い改めに関するそのような記録と調和して,イエス・キリストはご自分がなさったと同じように,「天の王国は近づいた」と伝道すべくご自分の十二使徒を二人ずつ遣わされた,とわたしたちは知らされています。それで,「彼らは出かけて行き,人びとが悔い改めるように伝道」しました。―マタイ 10:1-15。マルコ 6:7-12。

      28 ペテロとパウロは,神のメシア王国に関連した悔い改めが急務であることを,どのように示しましたか。

      28 当時のユダヤ民族は,メシアの王国に関連して悔い改めることが緊急に必要でした。したがってイエスは彼らに,「あなたがたが悔い改めないなら,みな同様に滅ぼされるのです」と彼らに言われました。(ルカ 13:1-4)西暦33年のペンテコステの日に,使徒ペテロは幾千人もの探求心あるユダヤ人に「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい」と話しました。(使徒 2:1-38)使徒 3章19節から23節によると,その後ペテロはエルサレムの神殿で同様の助言を与えています。使徒パウロも,神のメシア王国の前での悔い改めを強調しました。例えばギリシャのアテネで,「イエスおよび復活の良いたよりを宣明」したあと,マースの丘の上のアレオパゴスの法廷で次のように語りました。「神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。[なぜでしょうか]なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」― 使徒 17:16-31。使徒 26:20; ローマ 2:4もご覧ください。

      29 (イ)それで,神の新秩序に入るのにふさわしい者であることを証明するための第一歩は,何をすることですか。(ロ)ペテロによると,悔い改めに至れば,それで問題は終わりますか。

      29 ですから問題ははっきりしています。わたしたちが神の義の新秩序にはいるのにふさわしい者であることを証明するための第一段階は,悔い改め,しかも神のメシア王国に関連した悔い改めです。悔い改める人々は,神によって任命されたその政府の王イエス・キリストを通してのみ,神から罪の許しを受けることができるのです。(使徒 2:38)そのメシア王国によって神はご自分の宇宙主権を立証されます。ですから人間は,神の大いなる敵サタン悪魔の主権のもとにいたことを悔い改めねばならないのです。わたしたちはみな,わたしたちに対する神の望みと一致して,そのような悔い改めに至っているでしょうか。もし「はい」と答えることができれば,使徒ペテロによると,神の最後の是認を望む場合になすべきあとの事がらを行なうべく歩んでいることになります。わたしたちは,この古い事物の秩序に対して神が今示しておられる寛大な辛抱強さを活用することができ,そのようにして神の最後の是認を得ることができます。これはわたしたちにとって救いを意味します。

  • 清い良心を保つ
    ものみの塔 1976 | 3月15日
    • 清い良心を保つ

      ● 自分の良心を汚さないよう行動するために強い信仰の求められる場合があります。アフリカのガーナに住む,一人のエホバのクリスチャン証人はそのことを経験しました。エホバの証人でない,この婦人の夫は失業していたので,彼女が一家の生計を立ててゆかねばなりませんでした。しかしこの婦人は,たばこ製品を売ることが,聖書の原則と相いれないという点を認識するようになりました。そして,神と人との前で良心を健全なものにする決意をし,エホバのみ手にすべてをゆだね,たばこ屋をたたみました。

      その結果,家族は痛手を受けましたか。いいえ。すぐ翌週,一人の卸売業者が近付いて来ました。その人は,自分のところの品物を売り,利益を共にしてくれる正直な人を捜していたのです。その後間もなく,別の人が“シア・バター”と呼ばれる,土地の産物を売るよう話を持ち掛けてきました。それまで,その仕事を扱ってきた人の多くは,信頼の置けない人であったからです。こうした機会は,この証人が良い評判を得ていたために開かれたのです。清い良心を持つことに関心を払ったがゆえに,間もなく,この婦人は,彼女がやめたものより有利な商売をするようになりました。

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