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「主の業」に対する熱意ものみの塔 1982 | 3月15日
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15,16 (イ)一部の人はどんなことを認識しませんでしたか。(ロ)マタイ 24章46節の「その奴隷」とはだれですか。(ハ)「奴隷」に関連して,神は真理を分配するためにただ一つの経路を使っておられることがいつまたどのように明らかになりましたか。
15 しかしながら,動かされることなく王国を忠節に支持するよりも,偽りの宗教の信条や生き方に戻って行くことを願う人も跡を絶ちませんでした。そういう人々は,主人であるキリスト・イエスが地上にいる追随者の油そそがれた一団を「忠実で思慮深い奴隷」として用い,霊的食物を分配しておられることを認識していません。―マタイ 24:45-47。
16 「シオンのものみの塔」誌を支持する一部の人々が,この雑誌は「その奴隷」,「その僕」と同じであると言うようになったのは1895年のことでした。(マタイ 24:46,欽定訳)しかし敵はこうした支持者たちのこの見方に激しく反対しました。そのために,「ものみの塔」誌の1909年10月1日号(英文)には次のような記事が載せられました。
「我々を支持する人々は次のように主張する。この聖句は,主が,この福音時代の終わりに,真理の普及のため多くの経路ではなく一つの経路を用いることを示すものである。……彼らは,自分たちはみなものみの塔聖書冊子協会の出版物から直接に,あるいはこの経路を通して啓発を受けた人々から間接的に,現在の真理の知識を得たと考えている。そのために彼らは『仲間の僕』として協会の仕事に喜んで協力する。そうすることによって自分たちは神の言葉の指示に従うだけでなく,神の摂理の導きにも従っていると彼らは信じている」。
17 (イ)昔,また現在,一部の人はどのように真理の信用を落とそうとしましたか。(ロ)「奴隷」と共にいる点で『動かされることがない』のはなぜ幸せなことですか。
17 次いで「ものみの塔」誌は真理の敵について次のように述べました。
「彼らは,啓発された人々に次のようなことを言って,彼らの思いを別の方向に向けさせようとした。つまり,『各自が』自分で貴重な神の真理を『掘り出すべきである』。協会の出版物は出発を与えてくれただけであるから,こんどはそれに基づいて進歩すべきである。結果として,その教えは最後にはずっと後ろに取り残される,というのである。これらの不忠実な『仲間の僕たち』はさらに,協会を崇拝する危険があるから,それを避けるためには,協会に反抗し背を向けることが実際に必要であるとも言っている。聖書を研究しよう,しかし協会の出版物は排除しよう,と彼らは言う」。
これが書かれたのは72年前のことです。そして今日に至るまで,エホバがご自身の唯一の経路を用いて漸進的に築き上げて来られた一群の真理を否定しようとする人々は幾らか存在しています。真理の光はいよいよその輝きを増していますから,主の『忠実な奴隷』と共にいる点で『動かされることがない』のはなんと幸せなことでしょう!―コロサイ 1:21-23。
「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」
18 (イ)霊的健康を保つ秘けつはなんですか。箴言はこのことをどのように示していますか。(ロ)「主の業においてなすべきことをいっぱいに持つ』方法としてどんなことが挙げられますか。
18 そうです,『自分の業を行なうことにおいてではなく』主イエス・キリストの業において『なすべき事をいっぱいに』持つようにしましょう。霊的健康を保つ秘けつはそこにあります。霊的な怠惰は疑いを生みがちです。それは命取りになりかねません。箴言 19章15節(新)に,「怠惰は人を深い眠りに陥らせ,緩慢な魂は飢える」とある通りです。霊的怠惰が続く場合,その結果は霊的飢餓と死です。ですからわたしたちは(受け入れる人が少ない地域でも)定期的に家から家に宣べ伝え,あらゆる機会を捕らえて非公式の証言をし,羊のような人々を重ねて訪問し,そのような人々と協会の出版物を用いて家庭聖書研究を定期的に行ない,忙しく働きましょう。わたしたちの中には,正にわたしたちの信仰の「開拓者」である主イエス・キリストのこの業において,「開拓者」,すなわち全時間の王国宣明者として奉仕できる人もいるでしょう。―ヘブライ 12:2,モファット訳。イザヤ 6:8-10。
19 わたしたちはみなどんな精神を示すことができますか。中にはこの業にどのようにしてより多くあずかる人がいますか。
19 開拓者の名簿に載っていてもいなくても,わたしたちはみな真の開拓者精神を持って楽しく「神聖な奉仕」をすることができます。そうしていれば多くの人は時々「補助開拓」をするようになるかもしれません。そして,もしそこから得た喜びが励ましになってわたしたちのうち幾人かが正規開拓者になるとすれば,「主の業」にあずかるわたしたちの分はどんなに多くなることでしょう!―ローマ 12:1,2。
20 (イ)わたしたちにはだれの同労者となる特権がありますか。(ロ)わたしたちはどんな確信を抱いて目標に向かい前進すべきですか。(ハ)最後に,パウロのどんな言葉をわたしたち自身の言葉にしたいと思いますか。なぜですか。
20 この主イエスの業,イエスの足跡に従うことはまた「エホバの業」でもあります。(コリント第一 16:10。ヨハネ 5:17)「事物の体制の終結」の時に,主権者なる主エホバ,主イエス・キリストおよび天のみ使いたちの同労者として働けるとは,なんと大きな特権でしょう!(コリント第一 3:9。マタイ 25:31-33; 28:19,20)わたしたちの労が「主にあってむだでないことを」わたしたちは知っているからです。復活によって新秩序に入ろうと,あるいは「大患難」に生き残って新秩序に入ろうと,コリント第一 15章57節にある,「神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!」という忠実な使徒パウロの言葉を,わたしたちも口にすることができるようになりたいものです。そうです,それはとこしえの命というすばらしい祝福につながる,死に対する勝利なのです!
次の点が理解できますか
■ 復活の希望に常に十分目覚めていることはなぜ必要ですか。
■ 毎日,死に直面しなければならない兄弟たちにとって,復活の希望はどんな励ましとなりますか。
■ 疑いを持つ人,または背教者の考えを持つ人と交わる人々は,なぜ『恥じさせられる』べきですか。
■ 堅く立つという特質は,エホバの新秩序に『間に合う』ように入るためになぜ大切ですか。
■ 70年以上昔の「ものみの塔」誌の中で「一つの経路」について言われたことはなぜ有意義ですか。
■ 『主の業においてなすべきことをいっぱいに持つ」開拓奉仕その他は,どのようにわたしたちの保護になりますか。
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目の見えないエホバの証人が一人の人の命を救うものみの塔 1982 | 3月15日
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目の見えないエホバの証人が一人の人の命を救う
ビセンテは75歳になる盲人です。この男の人はスペインでこれまで5年ほどの間,補助開拓者として奉仕してきました。毎月雑誌を約110冊配布し,3件の聖書研究を司会しています。ある冬の寒い晩,夜の9時15分に関心のある人を再訪問することになっていましたが,奉仕の友が現われませんでした。約束の時間までに少し間があり,時間をむだにしたくなかったので,ビセンテは一人で戸別訪問をすることにしました。一人の男の人が親切に迎え入れてくれて,王国の希望に耳を傾け,2冊の雑誌を受け取りました。最近号の雑誌を紹介するため,一,二週間してもう一度訪問してみると,その人はこう言いました。「ビセンテさん,あの晩,あなたが訪問してくださらなかったなら,今日こうしてわたしたちが一緒に話し合えることはなかったでしょう。ピストル自殺をするつもりでいたのです。あの時は,ただ死にたいだけでした。でも,この雑誌を読んで王国について学ぶにつれ,生きたいという意欲がしだいに強まってきました」。
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