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  • なぜためらうのですか 耳を傾け,従いなさい!
    ものみの塔 1984 | 9月1日
    • を与えられており,その指示に従いました。「その人々[肉体を着けたみ使いたち]は彼に対するエホバの同情のゆえに彼の手とその妻の手またその二人の娘の手をつかみ,彼を連れ出して市の外に立たせた」― 創世記 19:15,16。

      では,ロトとその家族はそれから指示通り山地へ逃れたでしょうか。すぐには逃れませんでした。妻の影響があってかどうかは分かりませんが,ロトは近くの都市に逃れさせてくれるようエホバのみ使いに哀願しました。それは許され,彼らはゾアルへ逃れました。(創世記 19:18-22)このように住み慣れた地を追い立てられ,突然住む所が変わることにロトの妻はどう反応したでしょうか。ロトの妻はこの問題に関するエホバの裁きを信頼していなかったようです。主人同様やはり優柔不断でした。ただ,異なっていたのは主人のほうは最終的に従ったという点でした。彼女は従わなかったのです。ロトの妻は,「彼[ロト]の後ろで振り返るようになり,そのために塩の柱となった」のです。(創世記 19:26)彼女はためらった末,損失を被りました。

      初期クリスチャンたちは従ったか

      ロトとその家族が自分たちの邪悪な隣人たちから時を移さず逃れるよう指示されたのと全く同様,イエスはご自分が地上におられた当時の人々に同様の警告をお与えになりました。イエスは人々に,エルサレムがやがて野営を張った軍隊に囲まれ,山へ脱出することが逃れる唯一の手段になる,と言われました。(ルカ 21:20,21)イエスは,ためらったり事を遅らせたりすることの危険性についてこう警告しておられました。「屋上にいる人は,家から物を取り出そうとして下りてはならず,野にいる人は,外衣を拾おうとして家に帰ってはなりません」― マタイ 24:17,18。

      西暦66年にローマの軍隊が一時的にエルサレムの囲みを解いた時,機を見るのに敏なクリスチャンたちはイエスの指示を思い起こしました。彼らは耳を傾け,従ったのです。時を移さずユダヤを出て,ヨルダン川の東にある山々へ逃れました。不信者のユダヤ人,および疑いを抱いたクリスチャンは,神の保護を受けていると思われた聖なる都市の中にとどまりました。4年後,ローマ軍は激しい勢いで戻って来て,エルサレムの住民のうち100万人以上をぬぐい去りました。ローマ軍が去った後には,廃虚になった都市が残りました。エルサレムの滅びに関する知らせを聞いた時,山の中にいた従順なクリスチャンたちはどんなにかうれしく思い,ほっとしたことでしょう。彼らがためらわずに従ったことは祝福されたのです。

      現代への適用があるか

      ソドムとゴモラおよびエルサレムの滅びに関するこれら生々しい描写からどんなことを学べますか。イエス・キリストはこれらの都市の壊滅を,「人の子が表わし示されようとしている」時代に対応する出来事として用いています。(ルカ 17:28-30; 21:5-36)まじめな聖書研究者たちにとって,1914年以降の様々な出来事は,裁きの執行されるその時がいよいよ迫ってきていることを示唆するものとなっています。エホバとキリストは間もなく,重大な罪を犯す者たちを地から一掃するために行動を起こされます。―啓示 19:11-21。

      この知識からどんな影響を受けて然るべきでしょうか。例えば,水によるクリスチャンのバプテスマについて考慮しているなら,この肝要な段階を踏むことについてためらうべきでしょうか。その決定はあなたにとって山のように見えてよいでしょうか。イエスの命令に耳を傾け,イエスに従うとすれば,その決定は山のようなものに見えないはずです。(マタイ 28:19,20)エホバとその王国に関する知識をすでに取り入れているので,水のバプテスマを受けることによって,キリストを通してのエホバとの関係を自分が高く評価していることを示せます。それは神に対して確かに献身したことの公の告白になるでしょう。―マタイ 10:32,33。

      すでにバプテスマを受けたクリスチャンもやはり,自分たちの状況を分析してみなければなりません。どのようにですか。ロトの妻の態度をよく考えることによってです。彼女が失敗したのは,心から神を信頼していなかったためでした。確信を抱いて前進しなかったのです。(ルカ 17:31,32)今日,自分たちの状況が許すにもかかわらず,より一層クリスチャンの奉仕にあずかろうとはしない人がいるかもしれません。例えば,ある人は補助開拓者あるいは正規開拓者として奉仕する立場にいるかもしれません。その結果もたらされ得る祝福について考えてみてください。自分たちに与えられた機会を生かして行動を起こし,現在,ギレアデを卒業した宣教者として喜びにあふれて奉仕していたり,ベテル,特別開拓,巡回あるいは地域などの奉仕に携わったりしている人は今日大勢います。それらの人たちは,奉仕のこの開かれた戸から入ってよかったと思っています。―啓示 3:8。

      今日のクリスチャンにとって,今はためらっている時ではありません。この腐敗した事物の体制は滅びに定められています。それでは,どうして疑いをもって後ろを振り返るのですか。耳を傾け,従う用意をいつもしているようにするのです。前にあることを見,エホバに信頼を置いてください。ためらうことなく従ったアブラハムのようになるのです。使徒パウロも,アブラハムについて次のように述べています。「[彼は]神の約束のゆえに,信仰を欠いてたじろいだりすることなく,むしろ信仰によって強力になり,神に栄光を帰し,また,神はご自分の約束した事を果たすこともできるのだと十分に確信していました」― ローマ 4:20,21。

  • 「人間の愚行」を除き去る
    ものみの塔 1984 | 9月1日
    • 「人間の愚行」を除き去る

      米国の元国務長官ディーン・ラスクの語った次のような言葉が最近引き合いに出されました。「人間の愚行によってこのすばらしい大空を汚染する前に,この暗い見込みを回避する何らかの方法を見いだそうと,額を集めて相談することが絶対に必要である」。しかし,人間はこの問題を解決することができるでしょうか。実際のところ,わたしたちは今日,「太陽と月と星にしるし」があり,「地上では……諸国民の苦もん」があるというイエスの預言の成就を目撃しています。それは,「神の王国の近いこと」を示しています。その王国のみが,「人間の愚行」を除き去るのです。―ルカ 21:25,31。ダニエル 2:44。

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