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愛は高価なもの ― しかしその代価を払うだけの価値がある目ざめよ! 1975 | 7月8日
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結果がほかに何もないとしてもそうした努力によって信仰と希望は強められることになります。反対に耐え,家の人の無関心にもかかわらずたゆまず努力し続ける時に,クリスチャンは霊的に強くなります。人は自分の確信や信仰や希望を大切にして強めてゆかないならば,そうした確信や信仰や希望に基づいて行動することなどとてもできません。―ペテロ第二 1:5-8。
しかし,そうした事柄は愛を表明することに対する報いの一部にすぎません。その報いのより大きな部分を占めているのは,エホバ神がご自分に無私の気持ちで仕える人すべてにお与えになる報いです。それは神が『不義なかたではなく,その働きと,み名に示した愛とを忘れたりはされない』からです。(ヘブライ 6:10)神に忠実に仕える者たちに対して,神はその義の新秩序におけるとこしえの命を約束しておられます。
快く許すこと
愛は高価なものですが,その代価を払うだけの価値があるということは,家族や会衆の成員間の関係によっても実証できます。霊感を受けた次の訓戒に注意を払うには相当の代価が求められます。「互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたも互いに惜しみなくゆるし合いなさい」。(エフェソス 4:32)そうするためには忍耐が必要であり,わたしたちを怒らせる人のことをがまんしたり,わたしたちの感情を害した人に対して寛大であったりするためには神経を使わなければならないこともあります。人を快く許すには,自分の誇りの気持ちを抑え,謙そんさを示すことが必要かもしれません。またそのために,物質面での損失を被ることさえあるかもしれません。―コリント第一 6:1-8。
そうするだけの価値があるでしょうか。快く許すために個人的に不都合なことがあっても,家族やクリスチャン会衆内にもたらされる一致と平和のことを考えればそうするだけの価値があります。さらに,快く許すなら,イエスが明らかにされたように,神からの同情を受けられるという確信をも持つことができます。(マタイ 6:14,15)快く許すことによって,わたしたちは一層愛情のある者,そして愛される者として成長し,また,心暖まる友情という結果がもたらされます。聖書はこう述べているからです。「あやまちをかくしてやる人は,友情をそだて(る)」― 箴 17:9,バルバロ訳。
イエス・キリストは次のことを語られたと言われています。「受けるより与えるほうが幸福である」。(使徒 20:35)「与える」ことによって人は愛を示しているのです。確かにそうするには何らかの代価を払わねばなりません。しかし,生活のすべての面,すべての活動,そしてすべての人間関係などにおいて,愛は高価なものですが,その代価を払うだけの価値があると言えます。
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災害に見舞われたダーウィン目ざめよ! 1975 | 7月8日
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災害に見舞われたダーウィン
オーストラリアの「目ざめよ!」通信員
オーストラリアの都市ダーウィンは,どちらかといえばまだ歴史の浅い都市でした。人口は近年になって急増し,1954年には8,071人だったのが昨年は,4万3,000人に達しました。第二次世界大戦中,68回に及ぶ爆撃に耐えたダーウィンは,1974年12月24日夜半から25日未明にかけてわずか数時間のうちに死の町と化してしまいました。その日ダーウィンは,サイクロン(台風),トレーシーに襲われたのです。
風速65ないし90㍍にも達したトレーシーがやっと過ぎ去ったころには,市街地の実に95%は廃虚と化していました。あとには,50名余の死者と,家を失った3万人近くの罹災者が残されました。
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