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結婚生活で神を考慮に入れなさいものみの塔 1981 | 10月1日
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ではなく,敬意をもって聴くことも含まれます。それは,配偶者が話をする時に注意を払うということです。話を聴くことは一つの技術であると言われますが,これはまさしく名言です。聴く時には,言葉の意味を理解するだけでなく,それが語られる時の感情にも注意を払いたいものです。それに加えて,良い聞き手であるためには語られていないことにも気を配らなければなりません。確かに夫も妻も良い聞き手でなければなりません。配偶者が話をしている時にほとんど注意を払わないのは不親切なことです。もちろん,話をする方が本気で話し掛けているのではなく,どちらかと言えば独り言を言っているようなことがあって,そう簡単にゆかない場合が時々あるかもしれません。もしこのことが問題となるようであれば,何かを述べる前に,“ねえ,あなた”とか“和夫さん”,“道子”といったような,直接的な呼び掛けを用いる習慣を身に付けるとよいでしょう。
13 夫と妻が互いに親切を示せる最善の方法の一つは何ですか。
13 さらに,夫と妻が互いに親切を示せる最善の方法の一つは,次に挙げる使徒の命令に留意することです。「互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたも互いに惜しみなくゆるし合いなさい」。(エフェソス 4:32)そしてあわれみを示して人をゆるす際には,惜しみながらすることのないようにしましょう。「あわれみを示す者は快く示しなさい」。(ローマ 12:8)そのようにすることは,結婚生活で神を考慮に入れることです。神は「豊かに赦してくださる」と述べられているからです。(イザヤ 55:7,新)配偶者が自分の意に沿わないことをした時にゆるすなら,自分自身が相手の意に沿わないことをした場合にゆるしを期待することが容易になります。“幸福な結婚とは,ゆるし合うことに長じた二人の人の結び付きである”と言われていますが,それにはそれ相当の理由があるのです。
互いに対して正直である
14 クリスチャンが結婚生活で神を考慮に入れるためには,別のどんな特質を示さなければなりませんか。
14 神の言葉である聖書の示すところによると,その偉大な著者は,公正で,義にかなった神でもあられます。聖書はエホバについてこう述べています。「岩なる方,そのみ業は完全,そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは全くない。義であり,方正であられる」。(申命 32:4,新)わたしたちの結婚生活の中で神を考慮に入れるためには,互いに対して公正また正直でなければなりません。基本的に言ってこれは,「あなたがたは,自分にしてほしいと思う通りに,人にも同じようにしなさい」という黄金律に従って生きることを意味しています。―ルカ 6:31。
15 特にどんな点で,夫と妻は互いに対する正直さに関して関心を払うべきですか。どんな状況がこのことを難しくしがちですか。
15 正直には多くの事柄が関係しています。明らかに金銭の問題も関係していますが,それは夫と妻の双方にとって挑戦となるかもしれません。しかし,関係している事柄の中で何にも増して重要なのは,特に性的な関心の問題です。正しくない人々や清くないマスメディアから夫が日々受けている誘惑すべてを考えてみると,夫が欲望をさまよわせるようになるのは容易なことです。エホバ神はその「名をねたむ」と言い,ご自分の僕たちに専心の献身をお求めになりますが,それと同じく,夫や妻には配偶者の性的関心について専心の献身を求める権利があり,夫婦はそうしたものを自分から進んで示す責務を負っています。(出エジプト 34:14,新)この点に関し,箴言 5章15-20節には夫に対する非常に率直で強力な,要点を突いた助言が見られます。他方妻たちは,コリント第一 7章3-5節にあるパウロの助言によく注意し,妻として当然与えるべき分を,衣服など自分の欲しいものを手に入れるための抵当物として用いるようなことをすべきではありません。
無私の愛 ―“アガペー”
16 夫婦のために,アガペーを示す点で模範を残されたのはだれですか。それはなぜ非常に重要なものなのですか。
16 エホバ神は原則に基づいた愛,無私の愛,ギリシャ語で言えばアガペーを体現しておられる方です。ですから「神は愛……です」と記されています。したがって結婚生活において神を考慮に入れるには,生来備わっている誘引力,つまり性的な関心に基づいた愛(エロス)や,知性と精神の密接な関係に基づく愛情(フィリア)だけでなく,原則に基づいた無私の愛が必要です。この愛があれば,他の2種類の愛が薄れていくとしても,結婚のきずなは保たれます。―ヨハネ第一 4:8。
17 愛に関するパウロの記述は,結婚によって生ずる義務をどのようにはっきり示していますか。
17 使徒パウロはコリント第一 13章4-8節で,この愛がどのように表われるかを見事に描写しています。そこにはこう書かれています。「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだらなふるまいをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいらだちません。傷つけられてもそれを根に持たず,不義を喜ばないで,真実なこととともに喜びます。すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべてのことを希望し,すべての事を忍耐します。愛は決して絶えません」。パウロのこれらの言葉に照らしてみると,良いクリスチャンであるとは,良い配偶者であることを意味するという結論を下さざるを得ません。逆に,結婚に失敗するということは,その人にクリスチャンとして何らかの好ましくない点があることを示しているのです。結婚生活における問題は,霊の実を培うための挑戦と見るべきです。その霊の実の主なものは愛です。(ガラテア 5:22,23)そして,『愛は決して絶えない』ということを忘れてはなりません。
18,19 (イ)アガペーは妻に何を要求しますか。(ロ)アガペーがあれば,夫はどのように妻を扱いますか。
18 原則に基づいた無私の愛は,妻に何を要求しますか。妻は自分の夫を頭として認めなければなりません。(エフェソス 5:22-24)これは必ずしも容易に行なえることではありませんが,愛は妻を助けます。愛があれば,夫の関心事を自分の関心事よりも優先することがたやすくなります。例えば,自分の夫が特定の食餌療法をしなければならないことを知り,夫が自分と一緒に食べられない物は何も作らない,愛情の深い妻がいます。そうした妻たちは,そのようにしても現実には自分は少しも困らないこと,事実,自分にとっても良い影響があることさえ知っています。
19 無私の愛は夫に何を要求しますか。夫は次の助言に注意を払わなければなりません。「夫よ,妻を愛しつづけなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を渡されたのと同じようにです。このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです」。(エフェソス 5:25,28)夫には何と多くのことが要求されているのでしょう。夫は衣食住,休息,レクリエーション,霊的な関心事などについて自分自身の体をよく世話すると同じように,妻にも気遣いを示さなければなりません。人前できまりの悪い思いをしたくないなら,妻にも人前できまりの悪い思いをさせてはなりません。自分の体のように妻を愛するということには,知識に従って妻と共に住み,結婚生活のより親密な面に関して親切であり,思いやりを示すことが含まれます。妻を暴力で犯したと非難されるようなことが決してあってはなりません。―ペテロ第一 3:7。
20,21 (イ)他のどんな聖書的原則を適用すれば,結婚生活において神を考慮に入れていることになりますか。(ロ)次に検討する記事の主題は何ですか。なぜそのことを取り上げるのですか。
20 結婚生活には,幸福への何と多くの機会が開かれているのでしょう。イエスは,「受けるより与えるほうが幸福である」とおっしゃいましたが,この原則は結婚している人々にも当てはまります。(使徒 20:35)夫と妻には与えるための実に多くの機会があるのです。自分自身や時間を与えたり,気遣いを示したり,考えや感情を分けあったり,物質的なものを与えたりできます。二人の関係についても次の原則が適用されます。「惜しみつつまく者は少なく刈り取り,惜しみなくまく者は豊かに刈り取るのです」。こうした助言すべてを心に留めることが,結婚生活で神を考慮に入れることなのです。―コリント第二 9:6。
21 それでも,献身したクリスチャンであると公言する既婚者でさえ,これらの点で失敗することがしばしばあります。それゆえ,「愛の神は離婚を憎まれる」と題する次の記事を率直な態度で検討することが必要になります。
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愛の神は離婚を憎まれるものみの塔 1981 | 10月1日
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愛の神は離婚を憎まれる
「あなた方(は)あなた方の霊に関して自ら守り,自分の若い時の妻に対してだれも不信実な振る舞いをしてはならない。[エホバ]は離婚を憎まれたからである」― マラキ 2:15,16,新。
1,2 (イ)長老だったある人は,最近どんなふとどきな道を選びましたか。(ロ)どんな傾向を抑えるために,次にどんなことが示されていますか。
クリスチャンの会衆で長年長老として奉仕していたある人は,結婚生活で幾つかの問題を抱えるようになりました。その人はこの世の女性と姦淫を犯し,こうすれば妻は自分を離婚してくれ,自分は仲間の信者と結婚する自由が得られると考えました。ところが驚いたことに,妻は夫を許し,和解する意向のあることを示しました。しかし自由になりたいという気持ちの強かったその人は法律上正式に離婚し,離婚が決まってから別の女性と結婚しました。しかしその人はそうした行動を取ったので,クリスチャン会衆から排斥されました。
2 こうした言語道断な行き方は,エホバに献身していると言う人の中では例外的なものだと言えることをわたしたちは強く望んでいます。しかし悲しいことにそうではないのです。むしろ,聖書の原則に堅く付き従い,祈りのうちにエホバに頼り,そのみ言葉を調べ,会衆内の長老たちの援助を求める代わりに,利己的な快楽を求めたり,みじめな結婚生活から逃れようと安易な道を選んだりする傾向が強まっているように思われます。それでこの記事を通して,献身したクリスチャンすべてがこの問題に関して思いを強化し,こうした利己的な行き方を考えている人々が問題を考え直すよう希望しています。
3 離婚に関する世間一般の態度はどんなものですか。
3 こうした風潮があるのは大変残念なことですが,今日の世界に見られるすべてのことを考えてみれば,これは実際のところ驚くべきことではありません。離婚する夫婦が増えているという事実はだれも否定できません。米国やソ連などの国々では,3件に1件の結婚が離婚に終わり,その割合が約2件に1件という国もあります。“当事者双方が結婚解消の責任を問われない”離婚のあるところ
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