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    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • 隣人愛は不十分

      1955年の1月下旬,ふたりの英国婦人は,英国放送協会のラジオ放送を通して,討論を行いました。そのひとりは無神論の心理学者で,人道主義を提唱し,そして『宗教なしの道徳』と題する話を放送しました。もうひとりの婦人は,インドに派遣された宣教師の妻でした。

      無神論者の話の要旨は,子供たちに隣人愛を教える際,神を度外視する方が良いということでした。それに対し,神を度外視する隣人愛は,極めて偽善のものであると,牧師の妻は話しました。しかし,隣人愛だけでは不十分であることを示すのに,その話は最善のものでしようか?

      隣人愛自体が悪いというのではありません。それは良いものです。実際のところ,隣人愛は心理 ― 身体の医薬界で,ますます重要な地位を占めています。そして,身体の病気と精神病を取扱う医師は,精神病,身体の病気そして道徳の病気に対して隣人愛は良く効くと述べています。ひとりの心理学者の言葉は次のようです『両親のする最善のことは,如何に愛すべきかを子供たちに教えることと思う。』たがいに愛するということについては,更にこう述べました。『強い愛の力を持つ,成熟して健全な人は,ただ自分の妻や二,三人の特別の友人だけを愛することはない。彼は ― 愛する。』国際連合世界健康団体のかつての理事長は,こう述べました『我々の地球の運命は,我々のつくり出す成熟した人の数に依存するのである。つまり,愛する力を持ち,かつ「人を憎む」という態度ではなく,「人を愛する」という態度で,この変転する時代の諸問題に接し得る人々である。』

      神を度外視する隣人愛は,おそらく偽善の精神を養うかもしれませんが,しかしある程度の善をなすことは否定できません。だが,その程度までのことであつて,それ以上にはなりません。神を度外視する隣人愛は『一文惜みの百文失い』であり,また『蚋を漉し出して,駱駝を呑むなり。』― マタイ 23:24。

      実際,正しい知識を伴わない隣人愛は,善よりも害をなします。病気の隣人に愛を示そうと思い,薬の処方をする人もいます。しかしすべての事実を知らないならば,その忠告は善をなすよりも害をなします。ブリトン人のことが思い出されます。彼らは,病気の王様に幾千という薬品や処方箋を送りました。

      宇宙と人間が存在していることは,その創造者の存在を証明しています。創造者は理智を持つ御方であつて,特定の目的のためにこの地球を創造されたに違いありません。神と私たちが何の目的で存在しているかを考えずに,隣人を助けようと努めたり,注意を払つたりすることは全く愚かなものです。創造者は下等動物に本能を具えて,その確かな導きとなし,また私たちの物質的な必要物をみな供給してくれました。創造者は私たちに霊的の必要物と確かな導きをも与え,そして何が善であり何が悪であるかを告げ,なぜ私たちが生存し,私たちの運命は何であるかを知らせると期待するのは道理に適つていませんか? 聖書こそその目的を果しており,しかも創造者は人間のたしかな導きとして聖書を備えられたのです。聖書の示す所によると,隣人愛だけでは不十分である事が分ります。

      例えば,エバはアダムに禁ぜられた実を食べるようすすめました。その実を食べれば,神のごとく賢い者になり,しかも決して死なないという蛇の嘘をエバは信じていたのですから,多分その実をアダムにすすめたとき彼女は隣人愛を感じたことでしよう。しかし,神を度外視したため,エバの隣人愛はアダムの死をもたらしました。シンゲン 1章10-14節に記されているように,悪しき者たちは他の者を誘つて自分たちの企みに参加させ,不正の利を速かに得ようとします。しかし,無法に基いているその寛大な態度は,いつたいどんな善をなしますか?

      イエスが自分の行末を弟子たちに語り,『私はエルサレムに行き,長老,祭司長,学者たちから多くの苦しみをうけ,ついには殺されねばならない』と言われたとき,『ペテロはイエスを傍に引き寄せ,強く反対してこう言つた。「主よ,御自分を大事にして下さい。そのような運命を持つてはなりません。」イエスはペテロに背を向けて言つた「サタンよ,退け! あなたは私の躓きである。あなたは神のことを考えず,人間のことを考えている。」』― マタイ 16:21-23,新世。

      ペテロが主を愛し,隣人愛を示そうと努めたことには,疑いありません。しかし,彼がヱホバの御意を無視したとき,その気持はたとえ皆良いものであつたにせよ,彼は悪魔に用いられました。今日,多くの心理学者は同じように悪魔に用いられており,しかもそれは同じ理由によるのです。ある人は極端にも,次のようにさえ言つています。つまり,人間の苦しみは,みな良心である道徳観念から生じているのである。そして,道徳観念に対する人間の束縛を取りさるのは心理学者の義務であつて,大切なことは精神と身体の健康であるというのです。そして,彼らはその見解を証明するものとして,下等動物を例に出します。隣人愛についてのそのような言葉は,隣人愛だけでは不十分であるということを確かに示しています。

      神の正義の原則を無視する隣人愛は十分でありません。しかし,それだけでなく,神の御目的と時の予定を無視する隣人愛も不十分です。なぜならば,神について『天が下の万の事には期あり,万の事務には時あり。』と書かれているからです。マタイ伝 24章の予言により,又時の予定から見るとき,私たちはこの古い世の組織制度の終り,つまりノアとロトの時代に相当する時代に生活している事が分ります。―伝道之書 3:1。

      ノアが神の教を無視して,しかも自分の考えだけで当時の圧制を取り除こうと努めるならば,それは全然見識の無いことがらでしよう! また,御使から逃げよと言われた後に,ロトがソドムとゴモラを改善しようとしたならば,彼は全然見識の無い者でしよう! 今日でもそうです。正しい唯一の隣人愛は,神の考えに基くものであつて,人間の考えに基くものでありません。正しい隣人愛は,人々にこう告げます。『汝らヱホバを求め,公義を求め,謙遜を求めよ。然すれば,汝らヱホバの怒の日に或は匿さるることあらん。』― ゼパニヤ 2:3。

      『そこで,あなた方の歩き方によく注意して,浅はかな者のようでなく賢い者のように歩き,そして今の時を自分のものにしなさい。現在は悪い時代なのである。それであるから,無分別な者にならず,ヱホバの御意が何であるかを悟りなさい。』― エペソ 5:15-17,新世。

  • マレーからの報告
    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • マレーからの報告

      うつそうとしたマレーの密林の中でも,真理の光は入つています。防衛軍とともに,その地で戦つていたひとりの兵士は,友人から『神の道は愛なり』(英文)の冊子を入手しました。その冊子は全部カトリック聖書から証明されていて,そのカトリックの兵士は自分の知つた真理に深い感銘を覚えました。それから,シンガポールに手紙を書いてもつと多くの文書を入手し,『神を真とすべし』を読んで,真理を確信しました。カトリックの軍隊附き牧師をはじめ,全部の者は,なんとか説得してその兵士をヱホバの証者にならせまいとしました。牧師は『君はカトリックの教理をよく知らないだろう』と言いました。『それは誰の落度ですか』と兄弟は言い返しました。牧師は,この次に来て聖書的な論議をすると約束しましたが,ついに姿を現わしませんでした。兄弟は英国に帰国し,一市民になりました。そして,これからも一市民としてヱホバ神とその王キリスト,イエスの兵士になろうと計画しています。(1955年度のヱホバの証者の年鑑より)

  • ゴールドコーストの経験
    ものみの塔 1955 | 8月15日
    • ゴールドコーストの経験

      ひとりの兄弟は,年老いた母親をヱホバの証者の国家大会に招待しました。母親は,悪魔宗教の祭司の役目を果す高位についていた者です。おどろいたことには,彼女は招待を承諾しました。大会をみな見て,また話を理解してから,彼女は自分の悪魔宗教を止め,ヱホバに献身しました。以前の友人や信者たちは,ひどくびつくりしました。その後,この姉妹は病気にかかりましたが,その際町の主だつた者や,多くの人々は,悪魔宗教の力を怖れさせるために,彼女は自分の宗教を棄てたから,病気にかかつて死んでしまうのだと言いました。しかし,この年老いた姉妹は,全快し,元気一杯に家から家の伝道を続けました。その結果,この迷信はひどく揺り動かされてしまいました。(1955年度のヱホバの証者の年鑑より)

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