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証印を押される14万4,000人を生み出す会衆『その時,神の秘義は終了する』
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の象徴的な星は,使徒ヨハネが当時の「七つの星」に書き送ったことに注意し,それを現在に適用することが必要です。1世紀のアジアの会衆は,鎖の輪のように次々に存在したのではなく,みな同時に存在しました。ですから,七つの会衆に書き送られた状況は,西暦1914年以降の現代の「主の日」における,霊によって生み出され,油そそがれた会衆に同時に存在しているのです。
29 したがって,そうした会衆の全員が重大な影響を受けます。ゆえに,彼らは記されていることに真剣な注意を払わねばなりません。
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エフェソスの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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第8章
エフェソスの使いへ
1,2 (イ)エフェソスはどんな都市で,どこにありましたか。(ロ)栄光を受けたイエス・キリストがその都市の監督に書くようヨハネに命令した音信は何でしたか。
エフェソスは,古代アジア州の主要都市で,ヨハネのいたパトモス島から約100㌔ほど離れた所にありました。このことに適合して,栄光を受けたイエス・キリストは,まずそこの会衆の人間の監督に書き送るよう指示を与えました。「エフェソスにある会衆の使いに書き送りなさい。右手に七つの星をしっかりと持つ者,七つの黄金の燭台の中央を歩く者がこう言う。『わたしはあなたの行ないを知っている。また,あなたの労と忍耐を,そしてあなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするがそうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを知っている。またあなたがたは忍耐を示しており,わたしの名のために耐えてきた。そしてうみ疲れたことがない。とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。それは,あなたが,最初にいだいていた愛を離れたことである。
2 「『それゆえ,自分が何から落ちたかを思い出し,悔い改めて以前の行ないをしなさい。もしそうしないなら,わたしはあなたのところに来て,あなたの燭台をその場所から取り除く。あなたが悔い改めないならばである。しかし,あなたにはこの点がある。すなわち,ニコラオ派の行ないを憎んでいることである。わたしもこれを憎む。耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木[ギリシャ語,クシロン]から食べることを許そう』」― 啓示 2:1-7。
3 パウロはエフェソスの監督たちに何を警告しましたか。パウロの警告した事態が実際に生じた時,エフェソス会衆は何をしましたか。
3 啓示の与えられる何年も前,使徒パウロは,ギリシャ,コリントの会衆に偽使徒のいることを述べました。後に彼は,エフェソス市から来た監督たちに,アルテミス(ダイアナ)つまり,月の女神の有名な神殿のある彼らの都市にいるクリスチャンの間に,偽使徒が起こることを警告しました。(コリント第二 11:12-15。使徒 20:17-31)使徒ヨハネの死ぬ前に,その事態はすでに起きていました。しかし,エフェソス会衆はキリストの真の使徒たちに忠節を示し,使徒職に対するそれら偽りの主張をなす者を試し,聖書から彼らが偽り者であることを見いだしました。今日も同様のことがいえます。
4 1914年に「主の日」が到来した時,エフェソスにおけると同じような事態が見られましたか。献身した聖書研究者たちはそれにどう対処しましたか。
4 1914年,「主の日」が世に切って落とされた時,キリスト教世界の多くの宗教指導者は,キリストの使徒また「使徒の後継者」であると主張していました。事実,イタリアにあるバチカンのローマ・カトリック教会の法王は,「使徒の後継者; 権力を有するペトロ」,また「使徒的主かつ父の父」として歓呼を受けていました。しかし,「子羊の十二人の使徒」(啓示 21:14)に付き従う,全き献身をし,バプテスマを受けた聖書研究者たちは,エホバ神の記された言葉を研究し,使徒職に対するそれらの主張者が偽り者であるのを見いだし,彼らと一切かかわりを持とうとはしませんでした。これが理由の一つとなって,聖書研究者たちは,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの主要部分,つまりキリスト教世界から出てきたのです。(啓示 18:4; 17:1-5)そのような宗教的な偽り者が自分たちの中にいることを容認しなかったのです。
5 イエス・キリストがエフェソスの会衆に対して責むべきところがあるとされた,たった一つの点は何ですか。
5 栄光を受けたイエス・キリストが,1世紀の終わり近くに,エフェソスの会衆を責むべきところがあるとして指摘した一つの点は,それが最初の愛を離れたことです。『あなたは,最初にいだいていた愛を離れた』。(啓示 2:4)エフェソス人への使徒パウロの手紙に触れてあるような,また,使徒 19章1節から20章1節,17-38節に描写されているような,エホバ神に対して最初に抱いた,熱意のこもったクリスチャン愛を持っていなかったのです。
6,7 (イ)イスラエルの国はどのように,エフェソスの会衆に起きたことの例といえますか。(ロ)使徒ヨハネは,エフェソス会衆がもはや持っていないこの愛をどのように説明していますか。
6 これは,国として若かりしころ,うら若い花嫁が花婿に対して抱くような,熱烈な愛をその神に対して抱いていたイスラエルの国のことを思い出させます。『エホバ斯くいふ我汝につきて汝の若き時の懇切なんぢが契をなせしときの愛荒野なる種播ぬ地にて我に従ひしことを憶ゆと イスラエルはエホバの聖物にしてその初に結べる実なり』。(エレミヤ 2:2,3)同様に,エフェソスの会衆も最初は,自分たちに対するエホバの愛にこたえて燃えるような愛を示しました。使徒ヨハネ自身,認識から発する,このこたえ応ずる愛を次のように描写しています。
7 「愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです。わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです」― ヨハネ第一 4:10,19。
8,9 (イ)献身した聖書研究者たちは1914年,1世紀のクリスチャン会衆を特徴づけた愛を離れていました。どのようにですか。(ロ)この状態は主に何に帰因していましたか。(ハ),その誤りはいつ正され始めましたか。
8 驚くべき類似点として,1914年の「主の日」の始めには,宗教的キリスト教世界から出て来た,献身し,バプテスマを受けた聖書研究者たちでさえ,1世紀のクリスチャン会衆を特徴づけた愛を離れていました。どのようにですか。エホバ神ご自身に対するよりも,神のみ子に対して多くの注意,また愛の表現を注いでいたのです。もちろん,その原因は多分に,聖書研究に用いられた聖書の翻訳にありました。それらの聖書の中で,キリスト教世界およびユダヤ教徒の翻訳者たちは,神の名エホバをほとんど,あるいは全く使いませんでした。
9 例えば,ジェームズ王訳つまり欽定訳聖書は,エホバという名を四回訳出しているだけです。また,ユダヤ教徒のアイザック・リーサーの翻訳による,24冊から成る聖書は,神の名前を全然用いず,代わりに「主」また「神」を使っています。しかし第一次世界大戦後,献身し,バプテスマを受けた聖書研究者たちは,これが不適当であることに気づき,それを是正するものとして,彼らの公式雑誌「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」,1926年1月1日号の主要記事(英文)に,「エホバを尊ぶのはだれか」という挑戦的な表題を掲げました。
10 (イ)その最初の愛に返る面での最高潮が訪れたのはいつですか。(ロ)その最初の愛に返ろうとするこの誠実な努力と一致して,エホバの証人の公式雑誌の表題はどのように変更されましたか。(ハ)そうすることにより彼らはキリストを無視していたのですか。説明しなさい。
10 年たつうちに,それらクリスチャンの聖書研究者たちは,神の名前を証しすることにいよいよ多くの注意を払い,その最高潮として,1931年7月26日の日曜日,アメリカ,オハイオ州のコロンバスにおける国際大会で,自分たちを明らかにする名称として,「エホバの証人」という名を選び,その名称によってキリスト教世界から区別されたいとの決議を採択しました。その後この名前は,各地の献身したクリスチャンの会衆により採用されました。1939年3月1日号をもって,彼らの公式雑誌の表題は,「ものみの塔,エホバの王国を告げ知らせる」と変えられました。彼らは,使徒ヨハネが,「忠実な証人」つまり,天の父エホバ神の証人と呼んだ,イエス・キリストのようでありたいと望んだのです。(啓示 1:5)それは実に,1世紀のクリスチャン会衆が「最初にいだいていた」愛,その最初の愛に返ろうとする誠実な努力でした。この愛は,今日の彼らを動かしています。彼らは,クリスチャンと自称する者たちがどこから落ちたか,それを思い出したことを実証してきました。宇宙の主権者エホバ神を見過ごしていたことに対する彼らの悔い改めは,純真なものでした。
11 (イ)彼らが「以前の行ない」に返った,というその行ないは何でしたか。(ロ)彼らが最も重要なこととして認識するようになったものは何ですか。彼らはそれについて何をしましたか。
11 こうして彼らは,「以前の行ない」つまり,至高の神の名前とメシアによる王国の証しをする義務に返りました。(イザヤ 43:10-12。使徒 1:8)エホバの宇宙主権をメシアの王国によって立証することが,エホバの主要な目的であり,また,聖書の主要な教えであると認識するようになったのです。イエス・キリストの贖いの犠牲による人類の救いは,エホバ神の総合的な目的の中で顕著かつ不可分の一部であるとはいえ,第二義的なものにすぎませんでした。この認識によって行動に駆り立てられた彼らは,エホバの宇宙主権とお名前を立証し,さらには人類を救う手段ともなる,エホバのメシアによる王国を全世界に宣べ伝える業に取りかかりました。―マタイ 24:14。マルコ 13:10。
12 (イ)キリストは,エホバのクリスチャン証人の間から燭台を取り除くことにより,ご自分の警告を実行に移す必要はありませんでした。どのようにそれが分かりますか。(ロ)一方,キリスト教世界が「世の光」であるとの主張を実践してきたかどうかに関し,事実は何を示していますか。
12 「エフェソスにある会衆の使い」に対するキリストの指示の中で,それら霊的イスラエル人は,この「主の日」に「以前の行ない」をしないなら,「七つの黄金の燭台の中央を歩く者」により「燭台をその場所から」取り去られるであろう,と警告を受けていました。彼らの場合,天の燭台の管理者からそうされる必要はありませんでした。第一次世界大戦終了以来,「世の光」として輝くよう努めているからです。今までに,この象徴的な燭台の光は,200以上の国や群島に届いています。キリスト教世界は,自分のキリスト教の型に合った名ばかりの改宗者を,全地に9億7,738万3,000人以上も得たとして,「世の光」であると主張してきました。しかし,多くの人種や国籍からなるその幾百万人の成員は,1世紀の使徒時代の真のクリスチャンが抱いたような「最初の愛」を示しているでしょうか。(啓示 2:4,欽定)二つの世界大戦を行ない,ファシスト,ナチスまた共産主義の独裁者を支持し,諸国の政治革命や他の騒乱に参加したのは,キリスト教世界の幾百万人もの成員にほかなりません。
13 キリスト教世界は,マタイ 24章14節のイエスの預言を成就する代わりに何をしてきましたか。その結果,同世界は今日どんな事態に陥っていますか。
13 キリスト教世界は,この「主の日」に,「王国のこの良いたより」を諸国民に対する証しとして全地に宣べ伝えることにより,マタイ 24章14節のイエスの預言を成就しているでしょうか。いいえ。この世の王国を選び,国際連盟およびその後身である国際連合を設立することにより,全地で宣べ伝える業をエホバのクリスチャン証人に任せてしまっています。キリスト教世界が,その主張どおりに,神のキリスト教の取決めの中で,象徴的な燭台を持っているか,あるいはその燭台であったにせよ,栄光を受けたイエス・キリストは,その「燭台をその場所から」取り除かれました。西暦1914年以後の歴史の事実が明らかにするように,キリスト教世界は光を掲げる神の会衆(象徴的な燭台)でも,光を掲げる組織でもありません。その光は消えてしまい,地を覆う暗い陰,そして国家群を覆う暗黒のやみに自ら包まれています。悔い改めることができない程悪化してしまい,起き上がることも,輝くこともできないのです。―イザヤ 60:1,2。
分派主義を憎む
14 (イ)啓示 2章6節の賞賛の言葉はなぜキリスト教世界に当てはまりませんか。(ロ)「主の日」の始めに,真の聖書研究者たちの間に宗派を形成しようとする傾向が見られたのは,なぜ不思議ではありませんか。
14 キリスト教世界は,千以上の宗派に分かれており,教会併合や,1962-1965年の第二バチカン公会議で発布された教会一致運動によってその数を少なくしようとしています。エフェソス会衆に対するキリストの次の賞賛の言葉は,キリスト教世界には当てはまりませ
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