-
『すべての国の民へ証言』ものみの塔 1968 | 7月15日
-
-
『すべての国の民へ証言』
エホバの証人の1968年度年鑑より
アンゴラ
人口: 5,300,000人
伝道者最高数: 128人
比率: 41,406人に1人
1961年にテロ行為が発生して以来,エホバの民は絶えず迫害の目標にされてきました。その年に投獄された忠実な兄弟たちの中には,なお懲役に服している者がいます。警察の横暴な行動はとどまるところを知りません。当局に知られている二人の兄弟は,用事で白昼,往来を歩いているところを逮捕され,裁判なしに2年間の懲役を当局から宣告されました。この人は以前にも3年の刑に服したことがあり,今度もまたクリスチャン,エホバの証人であるというだけの理由で,義のために苦しめられることになったのです。
2月のこと,私宅に集まって聖書を学んでいた7人の兄弟は,ライフル銃と機関銃を持った治安警察隊に囲まれました。聖書の討議は中止させられ,個人の聖書をも含めてすべての宗教文書が押収されたうえ,これら平和な人々は警察署に連行されて午前3時まで尋問されました。最後に署長は次のような“忠告”を与えました。「聖書の勉強などはやめて,たとえば若い女を心服させるとか,もっと賢明なことに時間を用いたらどうだ。聖書を知りたければ,牧師のところへ行くがよい。牧師は正しく説明してくれる」。こんど集まって聖書を研究すれば投獄されるとおどされてのち,彼らは釈放されました。
完全に孤立したひとりの伝道者は,野外奉仕の報告を定期的に送ってきます。その手紙を読み,エホバに奉仕する決意を知る時,励まされます。この伝道者は毎日曜日,5時間,奉仕します。記念式に16人が集まったことは,その伝道者にとって大きな喜びでした。
タンザニア
人口: 10,498,400人
伝道者最高数: 923人
比率: 11,374人に1人
ここ2年以上の間タンザニアの兄弟たちは大会を開くことができないでいます。1965年の初め以来,北部の人々は大ぜい国境を越えてケニヤの大会に出席していますが,南部からはわずかの人々が出席したにすぎません。今年はこの地方から71人の兄弟姉妹が貸切りバスで往復1800マイルの旅行をしてケニヤの大会に出席しました。泥道でバスを押したりして4日がかりで会場に着いた人々は,疲れきってはいましたが幸福でした。その中で1919年以来,真理にいる87歳の兄弟は,あとでこう語りました。「次の地域大会に行くため,たとえわずかな小銭でもできるかぎり節約して貯金しなければなりません」。
大ぜいの兄弟は休暇開拓奉仕をして大きな喜びとすばらしい経験を得ています。ひとりの兄弟は聖書研究を持ったことがありませんでしたが,休暇開拓奉仕を申し込み,休暇開拓奉仕の間に多くの研究を始めました。その中から今までに4人の新しい伝道者が生まれています。この兄弟と何か月間か勉強したひとりの人は教会に行くのをやめました。牧師のむすこがその人をたずね,エホバの証人はうそを教えるから伝道することを禁ぜられていると語りました。その人は牧師のむすこと一緒にふたたび教会に行きはじめたのです。後日,この兄弟がその人の家を訪問した時,牧師のむすこもそこに居て,聖書につき理知的な質問をはじめ,われ知らず興味を覚えました。「良いたより」の冊子を用いて研究が始められ,3か月後にはその妻も研究に加わりました。それから3か月後,むすこは父親に手紙を書き,父親の答えられなかった質問の答えがいまわかってきたことを知らせました。研究はつづけられ,牧師のむすことその妻は今では献身した伝道者となり,その母親と妹もかなりの興味を示しています。
-
-
読者からの質問ものみの塔 1968 | 7月15日
-
-
読者からの質問
● 多くの人の愛が冷えることに関するマタイの福音書 24章12節のイエスの預言は,キリスト教国と,エホバの証人であるクリスチャンのいずれに成就していますか。―アメリカの一読者より。
この時代に起こった出来事から見て,キリスト教国と神のしもべの両方がこの預言の成就に関係しています。マタイの福音書の24章においてイエス・キリストは,再臨在の期間に認められる複合的なしるしのさまざまの面を4人の使徒に描写していられます。戦争,ききん,地震,真のクリスチャンの迫害について述べたあと,イエスは次のことばを加えられました。「また多くのにせ預言者が起って,多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので,多くの人の愛が冷えるであろう」― マタイ 24:11,12。
人々を惑わして聖書とクリスチャンの基本的な信条からひき離すことをも含め,この複合的なしるしのさまざまの面は,1914年に神の国が建てられて以来,明らかに見えています。キリスト教国の僧職者は聖書を神話扱いにする傾向を助長し,進化論のような人間の考えを自分たちの教えの中にとりいれ,また「神は死んでいる」という考えを今ひろめています。クリスチャンと名のるキリスト教国の多くの人はかつて聖書を読み,それを神の霊感によることばと見なしていましたが,今では「にせ預言者」である宗教指導者のために惑わされています。一部の指導者はこの事実を認めてさえおり,ある牧師はバプテスト会議の席で次のように語りました。「人々は無気力に陥っている……これは我々の責任である」。同じ場所で別の牧師は,「我々は聖書の教えるキリスト教を実践することから離れてしまった」と述べています。―1964年12月5日付ヒューストン・ポスト,15頁。
キリスト教国の何百万の人々が行動の規範として聖書を受け入れなくなったことから,道徳に悪い影響が及んでいます。不法が増加しました。ある人はたとえ神が存在しても,自分たちが何をしようと神は無関心であると考えています。一般の人はその結果である犯罪や不法に恐れをなしていますが,それでも神に帰ろうとはせず,ますます神から離れて行きます。前述の牧師のことばのように,人々は無気力に陥っており,神や人間に対する愛を失いつつあります。愛は冷えています。
これらの人は真のクリスチャンでさえないのに,この聖句の中で言われている「多くの人」をさすと言えるのはなぜかと,いぶかる人もいます。しかしこれらの人はクリスチャンであると主張します。クリスチャンを名のるすべての人の中で,神と隣人に対する愛をほとんど持たない人は大多数を占めており,したがって「多くの人」であると言えます。
しかしほんとうのクリスチャンである人々も,この預言に関係することがあります。1914年に神の国が建てられてからしばらくの間,エホバのしもべは霊的な束縛の状態にありました。外部からの迫害があり,真のクリチャンの組織内においてさえ問題があったのです。神に対する愛が冷えるのにまかせた人々は,不法にも組織を乗っとろうとしました。それに失敗した彼らは脱落して「悪い僕」の級に属する者となり,神に対して真の愛を持ちつづけた人々に敵対しました。(マタイ 24:48-51)また今までの年月の間には世の不法に感化された人々があり,あるいは他の何らかの理由で愛を失った人々がいます。愛の冷えたこれらの人々は真の崇拝を捨て,にせクリスチャンに加わって「多くの人」の数を加えました。
しかしクリスチャンの証人から成るエホバの組織内に今いる人の多くが,神に対する愛を将来に失うと結論する理由はないように思われます。世の不法と愛の欠如はすでに著しさを加えていますが,エホバの証人の大多数は依然として神への献身を保ち,強い愛をいだいています。たとえそうではあっても,わたしたち各人は神に対する愛を強く保つために自分自身の霊的な状態に気をつける必要があります。(マタイ 22:37)わたしたち各人がそうするならば,マタイの福音書 24章の次の節にあるイエスのことばはわたしたちに成就するでしょう。「しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる」― マタイ 24:13。
● わたしの手紙に対する回答が「ものみの塔」の「読者からの質問」欄に出るのを待っています。―無記名。
「読者からの質問」欄が本誌に設けられていることから明らかなように,ものみの塔協会はその出版物の読者から多くの質問の手紙を受け取ります。そのあるものは教義の問題あるいは協会の出版物の中で読んだ事柄に関するものです。そのほか個人的な問題に関して聖書的な助言を求める手紙もあります。
文通による回答に制約がないわけではありませんが,ある問題に対する聖書的な答えを必要とし,かつそれを手近に得られない人の場合,協会はその人をたいてい援助できます。質問に対して協会は手紙により個人的に回答します。しかしすべての質問を「ものみの塔」のこの欄に載せるわけではありません。ある場合にそれは私的なもので一般の読者には関心のないものです。また協会の出版物の中で最近,論ぜられた問題も掲載されません。このような場合,たいていは,問題を説明した協会の出版物を参照してほしいとの回答が送られます。
しかし無記名あるいはイニシャルだけを署名した手紙には回答しません。住所がしるされていなければ,返事を出せないのは明らかです。ある事柄について真に援助を望むならば,住所氏名を明らかにして援助を受け得るようにするのが当然です。無記名のため回答できない質問は,「読者からの質問」欄に掲載されません。
-