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  • あなたの魂とは何ですか
    ものみの塔 1973 | 7月1日
    • 聖書は魂というその語を確かに用いてはいるが,それはたいてい『命』あるいは『生きていること』を意味しているのであって,われわれのある別個の部分を意味しているのではない。ゆえに,次のことをよく考えねばならない。聖書がわれわれ人間は必滅の存在であると述べる場合,聖書はわれわれが死ぬ ― ほんとうに死ぬ者であることを述べているのである」。この学者はその論議をさらに進めて,こう指摘しました。「もしわれわれが不滅の魂を持っていたなら,われわれは神を必要とはしなかったであろう。つまり,不滅であれば,われわれは目的を達することになろう。しかし,聖書はそのような希望を否定している。われわれは必滅の存在であり,それゆえにわれわれはただ神の愛にすがらねばならないのである。クリスチャンは生存の継続ではなくて,復活を信じている」。

      死の状態にある人は決して意識を持って存在しているのではないことを聖書は明らかにしています。伝道の書 9章10節(バルバロ訳)はこう述べています。「してもよいと思うことを,生きている間,するがよい。あなたがいつか行く冥土には,働きも,計算も,知識も知恵もないのだから」。肉体の死後に生き残る不滅の魂はないのですから,死後,火の燃える地獄で責めさいなまれるようなものは何もありません。復活に関する神の約束は,地獄にいる死者がよみがえって来ることを保証しています。

  • あなたは神の愛に答え応じていますか
    ものみの塔 1973 | 7月1日
    • あなたは神の愛に答え応じていますか

      死者を命によみがえらせるという神の目的は,神の愛の表われです。神は,死に定められた罪深い人類に対していかなる責務も負ってはいません。神には死んだ人間を復活させる義務はありません。しかし,神は人類社会に対して非常に大きな愛をいだいておられます。それゆえにこそ,人類と交渉を持ち,死んだ人間を命によみがえらせる基盤を備えるために,神はご自分の最愛のみ子をさえ惜しまなかったのです。(ロマ 8:32)イエス・キリストが述べたとおりです。『神はその独り子を賜うほどに世を愛したまえり,すべて彼を信ずる者の滅びずしてとこしえの命を得んためなり』― ヨハネ 3:16。

      エホバ神がご自分のみ子を与えて行なわれた事がらは,神に関する真の知識を持たずに死んだ幾百万もの人びとを命によみがえらされ,神を知って愛するようになることを可能にしました。神との関係を持つに至った人びとは,復活の希望のおかげで,死に至るまで忠実に忍耐し,また愛する人を失っても慰めを見いだすことができるようになりました。―テサロニケ前 4:13,14。黙示 2:10。

      あなたは神の愛にどのように答え応じていますか。その愛に動かされて,神をより良く知り,また神の方法や神と人類との交渉について,できるかぎり学んでおられますか。

      エホバ神は,約40人の異なった人びとをおよそ16世紀間ご自分の聖霊によって導き,ご自分の目的や方法や人類との交渉に関する信頼の置ける記録を書きしるさせました。その記録は66冊の書から成る聖書の中に収められており,それはエホバ神が幾世紀にもわたって個々の人間や民族また国民との交渉において行なわれた事がらを明らかにしています。それらの記録は,多種多様な状況に対する神の反応や神の取った行動の理由を認識する助けとなります。こうして,わたしたちは聖書によって神を十分に知るようになれるのです。

      もし,神をより良く知りたいという誠実な願いに動かされて聖書を勉強しているのであれば,あなたは神の愛に答え応じておられるのです。神が人類のために信頼の置ける記録を備えてくださったことに対する認識を,あなたは表わしていることになります。

      もちろん,聖書を勉強するだけでは不十分です。学んだ事がらを適用し,神の戒めに留意し,愛,公正,同情,憐れみなどの,人を引きつけずにはおかない神の特質を見習わなければなりません。使徒ヨハネは霊感のもとにこう書きました。『神の戒めを守るはすなわち神を愛するなり』― ヨハネ第一 5:3。

      わたしたちは,神がご自分のみことば聖書の中で命じておられる事がらはすべてわたしたちの益になるということを確信できます。愛と公正と無限の知恵の神であられるゆえに,神は人類の幸福と福祉を保証する命令のみを規定されました。このことを深く認識した,神の忠実なしもべのひとりにダビデ王がいます。ダビデはそのことを次のように認めました。『エホバの法はまたくして魂を生きかえらしめ,エホバの証はかたくして愚かなる者をさとからしむ。エホバの諭しはなおくして心を喜ばしめ,エホバの戒めは清くして眼をあきらかならしむ。エホバをかしこみ恐るる道は清くして世々に絶ゆることなく,エホバの裁きはまことにしてことごとく正し。これを黄金にくらぶるも,多くの純精金にくらぶるもいやまさりてしたうべく,これを蜜にくらぶるも蜂の巣のしたたりにくらぶるもいやまさりて甘し。なんじのしもべはこれらによりて戒めを受く,これらを守らば大いなる報いあらん』― 詩 19:7-11。

      クリスチャンに課せられている命令のひとつは,神に関する正確な知識を増し加えたいと願う人びとと定期的に交わることです。西暦1世紀当時,集まり合うのを怠っていたある人びとは,『互いに相顧み愛と良きわざとを励まし,集まりをやむるある人の習慣のごとくせず,互いに勧め合う』ようにと励まされました。―ヘブル 10:24,25。

      他の人びとと集い合うことは,他の人に対するわたしたちの愛の表われともなります。愛する人びととともにいるのは確かに喜びではありませんか。では,神の意志を行ないたいと願っている人びとと集まり合うことを怠っているのであれば,実際には,それらの人びとといっしょにいたいと思うほど彼らを愛してはいない,と言っていることになるのではありませんか。

      献身的なクリスチャンの交わる集会には健全な目的があります。その目的とは何でしょうか。それは,生活のあらゆる面で愛を表わし,良いわざに富むよう励ましを与えるということです。その良いわざには,困っている人に物質的に援助したり,他の点で親切を示したりすることや,神の意志に関する正確な知識を得るよう人びとを助けること,また健全で徳を高める話や廉潔な行状を保つことなどが含まれます。―マタイ 28:19,20。エペソ 4:28。ピリピ 4:14-19。テトス 2:6-10。ヤコブ 1:27。

      クリスチャンの集会に出席する人びとの述べる誠実な,真心のこもったことばは,他の人びとに『愛と良いわざを励ます』ことに寄与します。そのようなことばを聞く人びとは,神に対する忠実な奉仕を続けるよう力づけられます。

      もし,あなたが現在エホバのクリスチャン証人と交わっておられないなら,それら証人たちがほんとうに神の愛に答え応じている人びとかどうかを確かめてみるようお勧めいたします。そうするさい,イエス・キリストが示した次の法則を適用してください。『その実によりて彼らを知るべし。いばらよりぶどうを,あざみよりいちじくをとる者あらんや。かく,すべて良き木は良き実を結び,悪しき木は悪しき実を結ぶ。良き木は悪しき実を結ぶことあたわず,悪しき木は良き実を結ぶことあたわず』― マタイ 7:16-18。

      当然のことながら,あなたは,聖書を尊ぶ人びと

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