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    ものみの塔 1962 | 1月15日
    • 祝福にはいらないでしょう。聖書の最後の本の中で,神の御子なるイエス・キリストは,次のように語られています。「熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう」。(黙示 3:16,新口)たんに証言をうける人々ではなく,実際に伝道して証言する人々 ― こういう人々こそこの組織制度の終りを生きのこって,「世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難」の後に御国の祝福にはいる者たちです。(マタイ 24:21,22,新口)神がエホバのクリスチャン証者たちを用いて,御国の良いたよりを伝道させて預言を成就させているのは,たしかになっとくのいくことです。

      心を統一すること

      10 (イ)御国の伝道者が迫害をうけるのは理に合いますか。(ロ)なぜ名前だけのクリスチャンたちは,証言をうけるだけですか。

      10 政治的な斗争の場合でも,一形態の政府を提唱する人々には反対者がおり,反対の言葉が述べられます。それでは,神の御国こそ正しい支配政府であり,人類の唯一の希望であると伝道し,提唱する人々が反対をうけ,悪口を言われ,そして迫害をうけるのは当然なことでしょうか。「組織制度の終り」についてのイエス自身の預言によるとそうです。イエスは世界大戦を預言して直後,耳を傾けて聞いていた弟子たちにこう告げられました,「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。(マタイ 24:9,新口)しかし,いくつの国で? 「すべての民」とイエスは言われました。それで,政治的な国民はみな神の御国に敵対して御国の伝道者を憎むことはたしかです。この理由の故に,カトリックのクリスチャンでも新教徒のクリスチャンでも,大多数の人々は証言するよりも証言を受けるだけに甘んじているのです。

      11 御国の伝道はどんな性質を必要としますか。真のクリスチャンは,何を祈りますか。

      11 御国の良いたよりを伝道するためには,神の御国に心からの忠節をささげねばなりません。しかし,真のクリスチャンなら,神の御国 ― そのためにイエス・キリストは死なれた ― に不忠を示したいと望まないでしょう。真のクリスチャンは,「主の祈り」で祈ってきた栄光の御国に忠節を保ちたいと切望します。たとえ,すべての国民から迫害され,憎まれても,忠節を保つことを願います。彼は,ダビデの行なったごとく,神の御国に忠節を保てるように祈ります。ダビデは,イスラエルの国民を支配するため,「エホバの座位に」すわるべく油を注がれました。―歴代志略上 29:23。

      12 (イ)ダビデは神に対してどんな性質を示しましたか。そして,神が彼らに何を示すことが期待されましたか。(ロ)いつ,そしてなぜ,神が私たちに忠節であると期待できますか。

      12 詩篇 86篇の中で,迫害されていたダビデは,次のように語っています。「エホバよ,あなたの耳を傾けたまえ。私に答えたまえ,私は苦しめられ,貧しい。私の魂を守りたまえ,私は忠節を保つ。あなたは私の神,あなたを頼るあなたのしもべを救いたまえ」。(詩 86:1,2,14,17,新世)ダビデはエホバ神に忠実な愛を保ちました。彼はエホバ神の建てた国の王になるべく油を注がれたのです。彼は忠節であると共にエホバ神を信頼しました。彼は,彼およびその国のために彼と共に苦しんだ者たちに対し,神が忠節を保つことを期待しました。ダビデは詩篇 18章25節(新世)の中で,神にこう語りました。「あなたは忠節な者に対しては,忠節な行いをされるであろう」。(サムエル後 22:1,2,26)それで,もし私たちが神の御国のことに専念して,神の御国を最初に求めるなら,私たちもダビデのように,神に忠節を保つように努めます。その御国は神のものだからです。その場合,私たちは神が,私たちに忠実であられることを確信できます。神が私たちに忠実を保つと考えるのは,なんとすばらしいことでしょう! すばらしいだけでなく,聖書にはこう書かれています,「『私は忠実を保つ』とエホバは言われる」。(エレミヤ 3:12,新世)私たちに忠実を保つ神に,私たちは正しく忠節を保ちます。

      13 忠節は,どの器官から出てきますか。それで,忠節について私たちは何をしなければなりませんか。

      13 忠節は心からささげるものです。私たちの愛情,愛,および愛着ということにおいて私たちの心が分裂しているなら,私たちは忠節を保つことができません。私たちの迫害者や反対者は,サタン悪魔の手先の働きをします。彼らの目的は,神とその御国に対する私たちの忠節を破ることです。もし私たちが御国を第一に求めて,イエス・キリストのなされたごとく,それを伝道したいとのぞむなら,私たちが忠節心を培い,忠節心を育て,育成し,敵への恐れを取りのぞくことが必要になります。ダビデはこの仕方を示して,詩篇 86篇10,11節(新世)でこう語りました。「あなたのみ神であられる。エホバよ,あなたの道を教えたまえ。私はあなたの真理の中に歩きます。あなたの御名を恐れるため,私の心を統一してください」。

      14 (イ)「私の心を統一して下さい」という言葉は,心の状態について何を示していますか。(ロ)なぜサウロ王が不忠実な者であることが判明しましたか。

      14 「私の心を統一してください」とは,きわめて意義ぶかい表現です! すると,心はひとつの状態になっていない,愛情と恐れに関して分かれていることが分かります。また心の中に人間への恐れがあることが示されます。人間への恐れがあると,神に対する全き恐れがいく分失われます。「人を恐れると,わなに陥る」と箴言 29章25節(新口)は述べています。そのわなに陥ると,私たちをむさぼり滅ぼそうとする者たちの手中に捕えられて殺されることになります。ダビデを迫害したサウロ王は,人間を恐れました。彼は人間を恐れたために神のいましめと命令を破りました。サウロ王は神の預言者サムエルにこう語りました,「我ヱホバの命と汝の言をやぶりて罪ををかしたり,是は民をおそれて其言にしたがひたるによりてなり」。(サムエル前 15:24)そのような恐れを抱いたために,彼はエホバ神に忠節を保ちませんでした。

      15 イエスは使徒たちを伝道に遣わしたとき,伝道についてどんな教訓を与えましたか。そしてなぜ?

      15 ダビデはそのような恐れを持ちませんでした。ダビデの子,イエス・キリストは,12人の使徒たちを宣教者として送り出し,「天の御国は近づいた」と宣べつたえつつ伝道せよと命じました。イエスは,人間を恐れてはならぬと彼らに警告しました。人間を恐れるなら,御国を大胆に伝道することができません。イエスは次のように語られました。「からだを殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。しかし,魂とからだの両方をゲヘナで滅ぼし得るかたを恐れなさい」。(マタイ 10:5-7,27,28,新世)したがって,ダビデがこの方にむかって次のように祈ることは正しいことでした,「私の魂を守りたまえ。私は忠節を保ちます」。

      16,17 (イ)ダビデの心を統一して,エホバの御名を恐れさせるため,エホバは何をしなければなりませんでしたか。(ロ)エホバの証者の注意をエホバの御名に向けさせるとき,なぜ彼らの心の全部は恐れでつつまれますか。これは何にみちびきますか。

      16 霊感をうけて書かれたダビデの詩篇は,今日の私たちのために保存されました。では,「あなたの御名を恐れるため私の心を統一してください」とエホバにささげたダビデの祈りを,どう理解すべきですか。その祈りに答えるためエホバ神は何をする必要がありましたか。神は,ダビデの心を分裂させてしまう他のすべての恐れを取りのぞかねばなりません。そのような恐れがあると,ダビデが全能の神を恐れることは妨害をうけるでしょう。全能の神はゲヘナで魂とからだの両方を滅ぼすことができます。ダビデの心をひとつにして,エホバの御名を恐れさせねばなりません。この世の人々は,りっぱそうな名前や評判を持っています。その名前がちょっと語られるだけで,一段と程度の高い恐れを知らぬ人々は恐怖の念を持つことでしょう。今日,人々は神のことが述べられてもおののきません。しかし,ギャング団のボス,独裁者,魔術を使う医者の名前を脅迫的に告げるなら,彼らはふるえあがります。彼らはしんから恐れてしまいます。

      17 しかし,3000年前のダビデはちがいます! 今日のエホバの証者はちがいます! エホバ神の御名を彼らに思いおこさせ,エホバ神の御名を彼らに告げてごらんなさい。彼らはその御名にまつわるエホバのあらゆる栄光を考えます。彼らは過去におけるエホバのすばらしい御わざと功績,およびこの20世紀にエホバが成就させているすべての預言を思いおこします。エホバの名前を言うだけで,彼らは敵共と不忠実の者をさばかれたあらゆる罰と滅亡を思い起こします。ノアの時代にエホバは全世界の人々を滅ぼしました。(ペテロ後 2:5; 3:6)また,彼らはエホバを恐れているので,他のものを一切恐れません。エホバの御名を恐れているので,彼らの心はひとつとなり,統一します。そして,彼らは神を恐れかしこみ,神に忠節を保ちます。

      18 なぜこれは憶病者の恐れではありませんか。

      18 これは臆病者の恐れでは決してありません。詩篇 19篇9節は,次のように述べています。「ヱホバをかしこみおそるる道はきよくして世々にたゆることなく」。エホバを恐れるなら,人を恐れる臆病者になりません。そして,それは清い生命の道に通じます。神に従うべきか人間に従うべきか,どっちにしようか,といううやむやな態度はなくなります。神をおそれて心が統一しているなら,人はもはや「道の定まらぬ優柔不断な者(文字通りの意味は,2つの魂を持つ者)」ではなくなります。(ヤコブ 1:8,1950年版新世訳欄外)それで,真心こめて最高の神を恐れることは,知恵の道です。

      19 心を統一するために,神が何をする必要があることをダビデは示しますか。

      19 エホバ神に献身している人は,心の統一を祈ります。しかし,神はその祈りにどう答えますか。そのように祈るクリスチャンは,その祈りに一致して神の働きに加わるため,何をしますか。ダビデはこの祈りをするすぐ前のところで,このことについての神の役割と彼自身の役割についてこう述べています。「あなたは偉大にしてすばらしいことを行なわれる。あなたのみ神であられる。エホバよ,あなたの道をおしえたまえ。私はあなたの真理の中に歩きます」。(詩 86:10,11,新世)エホバが彼の道について教えることは必要でした。ダビデがエホバの道と真理の中に歩くことも必要でした。同じことは今日も必要です。

      20 私たちを教えていただきたいと神に祈ることは,私たちが何をすることを意味しますか。

      20 ダビデが祈ったように,私たちもエホバの教えを祈り求めるなら,私たちはエホバの道についての教えを,よろこび進んですなおに受けねばなりません。幾世紀もの長いあいだ,エホバの証者はダビデのようにこの祈りをしてきました。

      21 私たちの祈りに対する答えとして,エホバはダビデの持っていたものよりもはるかに多いどんなものを私たちに備えられましたか。

      21 エホバはその祈りに答えておられます。彼は多くの教訓を備えられました。それはダビデのときにあった教訓よりもはるかに多いものでした。ダビデは聖書の中の8冊の本しか持っていませんでした。モーセがヨブ記を書いたなら,多分ヨブ記もあったことでしょう。今日,聖書の全部,66冊の霊感をうけた本があります。その中には実に多くの教訓が含まれています。その教訓は,決して時代おくれになりません。したがってこの宇宙時代のクリスチャン会衆のために新しい宗教的な本の書かれる必要はありません!

      22 (イ)神の預言に関して,どんな事実は,彼の道を私たちに示しますか。(ロ)それで,彼の道についての教訓を得るために先ず何をしなければなりませんか。

      22 たくさんの預言が成就されていると聖書は示しています。それに加えて,聖書が1900年前に書きあげられて以来,たくさんの預言は成就しています! これらの成就は今日の私たちを教え,神の道を私たちに啓示します。私たちは神の道を教えていただきたいと祈ります。したがって,私たちの祈りに答えられる神に協力する道は明白です。もしそう祈るなら,私たちはまず神の本,書かれた神の御言葉に行かねばなりません。その本は他のいかなる本,自然の本と呼ばれるもの以上に,彼の道を私たちに教えます。神はご自分の本をかたわらにおしやって,私たちを直接に教えるようなことはしません。私たちは,彼の御子が地上に居られたときになされたのと同様なことをしなければなりません。私たちは書かれた神の御言葉を研究すべきです。イエスはこう言われました。「視よ,我きたらんわがことを書の巻にしるしたり,わが神よ我は聖意にしたがふことを楽しむ,なんぢの法はわが心のうちにあり」。―詩 40:7,8。ヘブル 10:5-9。

      23 聖書を調べるとき,神について何を知りますか。

      23 神の道について教えをうけるためには,神の書かれた貴重な御言葉を研究しなければなりません。御言葉の頁をめくって教訓を受けねばなりません。それは,たいくつな,あきのくる骨折仕事でなく,むしろ隠れた宝をさがし出すときのように,心をそそるもの,むくいのあるものです。「智慧ある者は知識をたくはふ」。(箴言 10:14)私たちは神とその道を知るようになります。それは彼に対する私たちの確信と,彼に対する私たちの尊敬を建ておこします。それは,彼に対する清い健全な恐れを持たせます。彼を真実に知るときにその結果が得られます。そのことは箴言 22章17,19節に良く述べられています,「汝の耳を傾けて智慧ある者の言をきき,且なんぢの心をわが知識に用ゐよ,……汝をしてヱホバによりたのましめんが為にわれ今日これを汝に教ふ」。

      24 ヨハネ伝 17章3節で,イエスはどんな事実をはっきり示されましたか。

      24 私たちの永遠の生命は,神をくわしく知ることに依存しています。イエスは次のように語ってその事実を明白にされました,「唯一の真の神であるあなたと,あなたの遣わしたもうたイエス・キリストの知識を得ること,これは永遠の生命を意味する」。(ヨハネ 17:3,新世)私たちの永遠の生命あるいは永遠の滅亡についての最終的な決定はエホバ神が決定します。彼は,その厳粛な事実によって,私たちは彼の名前を恐れ,私たちの心はひとつになるはずであります。

      25,26 (イ)個人的な聖書研究をすることに加えて何をしなければなりませんか。そして,なぜ?(ロ)エホバは新しい世でどんな種類の人々を求められますか。それで,私たちは誰を通して教訓を求めますか。

      25 しかし,エホバの道について教えをうけるために,書かれた神の御言葉を個人的に研究するだけでは十分でありません。聖書の歴史中,彼のなされた「すばらしいこと」と,聖書が完成して以来の聖書の預言の成就は,いつも彼の民,彼の証者と関連を持っていました。十分の教訓,直接の教訓を得るために,私たちは彼の民,彼の証者と交わらねばなりません。真心こめてエホバを恐れる人々は,研究だけして,たがいに独立するようなことをしません。彼らはたがいに集まります。マラキ書 3章16節は,次のように述べています,「その時ヱホバをおそるゝ者互に相かたりヱホバ耳をかたむけてこれを聴たまへ またヱホバを畏るゝ者およびその名をおぼゆる者のためにヱホバの前に記念の書をかきしるせり」。

      26 もし彼らが神の名前を考えているなら,彼らはそれについて互いに語り合い,その名前についての各人の認識を深め合うでしょう。エホバが新しい世に希望する民は,この種類の民です。したがって,「大いにしておそるべきエホバの日」に生き残らせるとエホバが約束されている民はこの種類の民です。この日はますます近づいてきています。それで,聖書中に記されている道に従い,彼の組織化された民,彼の御名を恐れる者たちを通して,彼はさらに多くの教訓を与えます。かくして,書かれた彼の御言葉はさらに解明をうけ,多くの面で聖書はいっそう理解できるようになります。故に,エホバの道を教えていただきたいとエホバに願う私たちの祈りが誠実なものであるなら,私たちは彼の組織化された民を通して与えられる教訓をよろこんで受けるでしょう。私たちは熱心に教訓を受けるべきです。

      27 人は受けた教訓をどのように用いて,神の真理の中に歩きますか。

      27 ダビデは教訓を求める祈りをするだけで終わっていません。彼はすぐ言葉をつづけています。「私はあなたの真理の中に歩きます」。このようにして,人は受けた教訓を用いることができます。このようにして人は神の真理の中に歩きます。人は真理に従う生活をします。人は神とその御国についての真理と一致する生活をします。人はこの世の偽りの宗教からうけついだ偽り,伝統,儀式および聖日を捨てます。人は真理を伝道し,イエスの行なったごとく,言葉と行いにより真理についてあかしをします。これこそイエスが人間として生まれて来た目的でした。

      28 真理はどのように私たちを自由にしますか。真理の中にあゆむことは,私たちの心にどう影響しますか。

      28 真理によって人は,人を隷属させる迷信や偽りの神々および悪鬼に対する恐れを失います。唯一の「生ける真の神」を恐れることが人の生活を支配し,人の生活をかたちづくります。故にエホバの道についてエホバからの教えをうけ,その真理の中に歩くとき,エホバは心を統一して,彼の御名を恐れさせていただきたいという私たちの祈りに答えます。そのような統一した心は,私たちの生活に大きな解放感,大きな自由をもたらします!

      29 人々のどんな状態により,いまが「終りの時」であることが示されますか。野心に燃える人々は,利己的にもこれをどのように利用して,忠節をためしますか。

      29 現在は,いまだかつてない国際的な恐怖の時代です。この恐れは,世の「終りの時」あるいは「この組織制度の終り」をしるしづけます。この世の状態は,イエスがあらかじめ告げた通りです。「人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」。(ルカ 21:25,26,新口)そのような恐れや,将来についての不安な気持ちがあるため,教訓を持たない人々は,保護,安全,および保存を約束する人間の制度に避難を求めます。彼らは有能な指導者をさがし求めます。それで,指導者の立場につき,人々の欲望や恐れを巧みに利用して,人々の忠節を求める人間や制度があるのは,ふしぎなことではありません。間違ったものに忠節をささげてその害を受けるというような失敗なしに,だれにまた何に忠節をささげるべきかという質問がいっそう強調されます。

      30,31 (イ)だれが世界の恐れに加わりませんか。彼らは何をしますか。(ロ)私たちが忠節であると,どんな結果が保証されますか。それで,神は現在忠節な者たちにどんな報いを与えますか。

      30 エホバの御名を恐れて,心の統一している私たちは,この古い世の国民や諸国家がもっている恐れや不安を持ちません。私たちは彼らの恐れを持つ代わりに,イエスがこの特定な時にせよと命じた通りのことをします。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」(ルカ 21:28,新口)人間の制度とか政治的な独裁者でなく,全能の神にむかい,私たちは詩篇記者ダビデの言葉を借りて,次のように言います,「私の魂を守りたまえ,私は忠節を保ちます」。(詩 86:2,新世)エホバ神とその御国に忠節を保つなら,私たちが悪をして,大きな害をうけることはありません。私たちは正しい道に私たちをみちびかれるという彼の約束に頼ります。彼については次のように書かれています,「ヱホバ其聖徒の足を守り給はん悪しき者は黒暗にありて黙すべし其は人力をもて勝つべからざればなり」。―サムエル前 2:9。

      31 その約束があるので,私たちの心と神経はぐっと強められます! 次の約束もあります,「かれは義人のために聡明をたくはへ直く行む者の盾となる そは公平の途をたもちその聖徒の途すぢを守りたまへばなり」。(箴言 2:7,8)現在,私たちがエホバの御名を恐れて心をひとつにし,エホバ神に忠節を保つときすばらしい報いを受けます! エホバは私たちが新しい世で永遠の報いを楽しむようにのぞまれています。それで,今でもわたしたちに報いを与えられるのです。エホバ神に永久の忠節を保つ人々は,新しい世を相続して,そこに住むでしょう。

  • 忠節な制度と共に預言する
    ものみの塔 1962 | 1月15日
    • 忠節な制度と共に預言する

      1 (イ)私たちが神に忠節をささげるとき,何にも忠節をささげることが必要ですか。(ロ)人々は,どんな宗教的な制度に忠節をささげるので,神への忠節をささげていませんか。

      天と地を創造して組織した神に忠節を保つためには彼の制度に忠節を保たねばなりません。今日,ある宗教的な制度に忠節を保つなら,神に忠節を保つことであると考える人は大ぜいいます。しかし,彼らはこのことについて間違います。私たちの時代中に生ずると預言されたものの中に,「神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる」

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