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    ものみの塔 1962 | 1月15日
    • 統一された心からの忠節

      「私の魂を守りたまえ。私は忠節を保ちます…エホバよ,あなたの道を教えたまえ。私はあなたの真理の中に歩きます。あなたの御名を恐れるため,私の心を統一してください」。―詩 86:2,11,新世。

      1,2 (イ)指導者には何が求められますか。今日,どんな国家の政治的な指導が求められていますか。(ロ)どんな他の指導が求められていますか。それで,どんな質問が起きますか。

      この不安な世界,変化と混乱のみちるこの世界にあって,諸国の人々は指導力を求めています。人々は,信頼のおける指導者,ゆるぐことのない指導者のうしろにいたいと思います。その指導者には,良い結果を約束する明確な政策を持ってもらいたいと思います。その指導者は,成功をおさめ,わざを達成し,階級を持ち,確信を持ち,そして円熟した判断力を示すことにより,名声を持たねばなりません。指導者は,追随者たちに忠節心を持たせるべきです。そして,指導者自身も,彼の追随者たちときめられた目的および行為の規則に忠節を保ちます。

      2 それで,「冷い戦争」で分裂しているこの世界のある国家のスポークスマンは,特に西の民主主義国家のために,アメリカ合衆国が世界を指導すべきであると提唱しています。アメリカは大きい国であって,富と力を持つ国である故,アメリカこそ,宿命的とも言える指導権を取るべきではないかと彼らは感じています。共産主義ブロックに属する他の国々は,共産主義ロシア,モスクワの指導を仰ぎ,ロシアへの忠節を公然と誓います。心からの忠節をささげようとする気持ちがなくても,忠節はいま要求されています。政治的な指導権についていろいろな言葉が叫ばれて強要されているのに加えて,宗教的な指導についても叫ばれています。このわけで,いまでは忠節についての問題は複雑なものになってしまいました。私たちは,統一された心からの忠節をだれにささげるべきですか。

      3 (イ)いま政治的な権力と宗教的な権力のあいだにどんな戦いが行なわれていますか。何にたいして確信が失われていますか。(ロ)しかし,どんな音信が真実の響を持ちますか。そして,なぜ?

      3 いまだかつて一度もないほど,今日は宣伝の時代です。人々の目に見えるもの,耳に聞こえるもの,一切の手段を通して,政治や宗教のいろいろの権勢に,人々の心と忠節心を奪おうとする戦いが行なわれています。その結果,混乱と分裂が生じました。見たもの,聞いたものに対する信用は,ますます少なくなって行きます。その多くは「偽りの宣伝」であって,いま行なわれている「冷い戦争」の一部です。しかし,このはなやかな宣伝戦の騒音のなかに,真理のひびきを持つひとつの音信が聞かれます。それは,非の打ちどころのない権威によって支持され,それを聞く人々は幻滅の悲哀を感じません。それは神の御国の良いたよりの音信です。それは,私たちをあざむかない音信です。また,私たちを人間や人間の制度に隷属させない音信です。なぜなら,それは「偽りのない神」から来る音信だからです。(テトス 1:2,新口)神は「偽ることのあり得ない」方です。―ヘブル 6:18,新口。

      4,5 (イ)いま御国のこの音信が宣べ伝えられているのは,偶然でも,人間の考え出したものでなく,また人間の計画でもないことがどうして分かりますか。(ロ)どんな質問に対す答えとして,またどんな事実の証拠として,このことは預め告げられましたか。

      4 神の御国のこの音信は,西暦1914年以来,全世界にのべ伝えられました。それは偶然の事ではなく,人間の考案したものでも,計画したものでもありません。それはずっとむかしに預言されていました。今日,預言の成就としてそれは宣べ伝えられているのです。いまから19世紀のむかし,地上に存在した神の御国の最も偉大な伝導者は,私たちの時代のひとつのしるしとしてそれを預言しました。この御国伝道者,イエス・キリストは,私たちの時代の歴史を前もって告げて,第一次世界大戦のことを述べました。この世界大戦は,人間の歴史の転換点になった1914年をしるしづけるものでした。彼はさらに1914年以来の私たちの時代を特徴づける食糧不足,疫病,地震,不誠実,不法,宗教的な迫害,国際的な混乱,および将来についての恐怖などを述べられました。

      5 しかし,イエス・キリストは将来のことを預言されたとき,くらい面ばかりを示したのではありません。彼はまた次のようにも言われました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:3-14,新口)彼が預言されたそれらのものはみな,彼が神の天的な御国の座位に臨在される時と,この古い地的な組織制度の最終のとき,すなわちしめくくりの時を,どうして知ることができるかという質問に対しての答えになっています。1914年以来の古い世の歴史の最終の章には,私たちの心をあたためるこのイエスの預言の成就が書かれています。御国の良いたよりは全世界に伝道されています。しかし,だれによって?

      6,7 (イ)御国の良いたよりは,どんな級の人々によって伝道されることが期待されますか。(ロ)現代の歴史を示すところによると,だれがあらかじめに告げられたこの伝道をしていますか。

      6 もちろん,神の御国の敵によって伝道されていません。もっとも,敵が神の御国とその伝道者に対して,公然と攻撃を加えることは,かえって御国を宣伝してしまいます。この伝道はイエスと彼の12使徒の時代に神の御国を伝道した人々と同じ級の人々,すなわちイエスの足跡に従う,献身して洗礼をうけた人々によって行なわれます。たとえば,アメリカの政治運動のとき,民主党の主義および約束を唱道する者はだれですか。もちろん民主党員です。共和党とその政策および約束を鼓吹する者はだれですか。もちろん,共和党員です! 社会党とその政治目的および候補者を唱道するものはだれですか。もちろん社会党員です。それでは,イエスの預言に従い,御国のこの福音を「すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝え」るものはだれですか。もちろん,イエス・キリストの弟子たちです! これらの者たちは,神の御国を全面的に支持し,それに忠誠をささげています。これらの者たちは,イエスが山上の垂訓の中で,弟子たちに語られた通りのことをしています。「まず神の国と神の義とを求めなさい」。―マタイ 5:1,2; 6:32,33,新口。

      7 それでは,今日カトリックのクリスチャンあるいは新教徒のクリスチャンと称する8億6900万の人々は,この組織制度の終りの期間中に神の御国の良いたよりの伝道についてのイエスの預言を成就していますか。そのようなことはありません。私たちの時代の歴史が証明するごとく,1914年以来それはエホバの証者として知られる献身して,洗礼をうけたクリスチャンによって行なわれています。―「アメリカナ年鑑」(英文)1961年,396頁,第2欄を見なさい。

      8,9 (イ)私たちはいま,御国の証言についてのどんな質問に答えねばなりませんか。(ロ)どんな人々は,御国の福音にはいれませんか。それでは,なぜエホバの証者は良いたよりを伝道するのに用いられているのですか。

      8 この御国伝道は,私たちの時代中に行なわれねばなりません。なぜなら,神はイエス・キリストによってそれを預言しておられるからです。神は偽ることができません。いまだかつて,神が偽ったためしはありません。いまあかしのための御国伝道が行なわれて,霊感された預言が成就されています。故に,私たち各人はひとつの大きな問題に直面して答えねばなりません。それはこうです。私たちはただあかしのために伝道を受けるだけで,それをすこしも支持しないのであろうか。それとも,私たちは伝道し証言する者の中にいて,その御国こそ全人類の唯一の希望であり救済策であると忠節に宣べ伝えていますか。もし私たちがクリスチャンと称するなら,私たちの心はどうですか。この世の政治に没頭するので,私たちの心は分かれていますか。そして「神の御国」はいま単なる心の状態に過ぎず,クリスチャンは死んで天に行くときだけ,神の御国について活発になると考えますか。

      9 忠節の心のない人々は,決して神の御国の祝福にはいらないでしょう。聖書の最後の本の中で,神の御子なるイエス・キリストは,次のように語られています。「熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう」。(黙示 3:16,新口)たんに証言をうける人々ではなく,実際に伝道して証言する人々 ― こういう人々こそこの組織制度の終りを生きのこって,「世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難」の後に御国の祝福にはいる者たちです。(マタイ 24:21,22,新口)神がエホバのクリスチャン証者たちを用いて,御国の良いたよりを伝道させて預言を成就させているのは,たしかになっとくのいくことです。

      心を統一すること

      10 (イ)御国の伝道者が迫害をうけるのは理に合いますか。(ロ)なぜ名前だけのクリスチャンたちは,証言をうけるだけですか。

      10 政治的な斗争の場合でも,一形態の政府を提唱する人々には反対者がおり,反対の言葉が述べられます。それでは,神の御国こそ正しい支配政府であり,人類の唯一の希望であると伝道し,提唱する人々が反対をうけ,悪口を言われ,そして迫害をうけるのは当然なことでしょうか。「組織制度の終り」についてのイエス自身の預言によるとそうです。イエスは世界大戦を預言して直後,耳を傾けて聞いていた弟子たちにこう告げられました,「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。(マタイ 24:9,新口)しかし,いくつの国で? 「すべての民」とイエスは言われました。それで,政治的な国民はみな神の御国に敵対して御国の伝道者を憎むことはたしかです。この理由の故に,カトリックのクリスチャンでも新教徒のクリスチャンでも,大多数の人々は証言するよりも証言を受けるだけに甘んじているのです。

      11 御国の伝道はどんな性質を必要としますか。真のクリスチャンは,何を祈りますか。

      11 御国の良いたよりを伝道するためには,神の御国に心からの忠節をささげねばなりません。しかし,真のクリスチャンなら,神の御国 ― そのためにイエス・キリストは死なれた ― に不忠を示したいと望まないでしょう。真のクリスチャンは,「主の祈り」で祈ってきた栄光の御国に忠節を保ちたいと切望します。たとえ,すべての国民から迫害され,憎まれても,忠節を保つことを願います。彼は,ダビデの行なったごとく,神の御国に忠節を保てるように祈ります。ダビデは,イスラエルの国民を支配するため,「エホバの座位に」すわるべく油を注がれました。―歴代志略上 29:23。

      12 (イ)ダビデは神に対してどんな性質を示しましたか。そして,神が彼らに何を示すことが期待されましたか。(ロ)いつ,そしてなぜ,神が私たちに忠節であると期待できますか。

      12 詩篇 86篇の中で,迫害されていたダビデは,次のように語っています。「エホバよ,あなたの耳を傾けたまえ。私に答えたまえ,私は苦しめられ,貧しい。私の魂を守りたまえ,私は忠節を保つ。あなたは私の神,あなたを頼るあなたのしもべを救いたまえ」。(詩 86:1,2,14,17,新世)ダビデはエホバ神に忠実な愛を保ちました。彼はエホバ神の建てた国の王になるべく油を注がれたのです。彼は忠節であると共にエホバ神を信頼しました。彼は,彼およびその国のために彼と共に苦しんだ者たちに対し,神が忠節を保つことを期待しました。ダビデは詩篇 18章25節(新世)の中で,神にこう語りました。「あなたは忠節な者に対しては,忠節な行いをされるであろう」。(サムエル後 22:1,2,26)それで,もし私たちが神の御国のことに専念して,神の御国を最初に求めるなら,私たちもダビデのように,神に忠節を保つように努めます。その御国は神のものだからです。その場合,私たちは神が,私たちに忠実であられることを確信できます。神が私たちに忠実を保つと考えるのは,なんとすばらしいことでしょう! すばらしいだけでなく,聖書にはこう書かれています,「『私は忠実を保つ』とエホバは言われる」。(エレミヤ 3:12,新世)私たちに忠実を保つ神に,私たちは正しく忠節を保ちます。

      13 忠節は,どの器官から出てきますか。それで,忠節について私たちは何をしなければなりませんか。

      13 忠節は心からささげるものです。私たちの愛情,愛,および愛着ということにおいて私たちの心が分裂しているなら,私たちは忠節を保つことができません。私たちの迫害者や反対者は,サタン悪魔の手先の働きをします。彼らの目的は,神とその御国に対する私たちの忠節を破ることです。もし私たちが御国を第一に求めて,イエス・キリストのなされたごとく,それを伝道したいとのぞむなら,私たちが忠節心を培い,忠節心を育て,育成し,敵への恐れを取りのぞくことが必要になります。ダビデはこの仕方を示して,詩篇 86篇10,11節(新世)でこう語りました。「あなたのみ神であられる。エホバよ,あなたの道を教えたまえ。私はあなたの真理の中に歩きます。あなたの御名を恐れるため,私の心を統一してください」。

      14 (イ)「私の心を統一して下さい」という言葉は,心の状態について何を示していますか。(ロ)なぜサウロ王が不忠実な者であることが判明しましたか。

      14 「私の心を統一してください」とは,きわめて意義ぶかい表現です! すると,心はひとつの状態になっていない,愛情と恐れに関して分かれていることが分かります。また心の中に人間への恐れがあることが示されます。人間への恐れがあると,神に対する全き恐れがいく分失われます。「人を恐れると,わなに陥る」と箴言 29章25節(新口)は述べています。そのわなに陥ると,私たちをむさぼり滅ぼそうとする者たちの手中に捕えられて殺されることになります。ダビデを迫害したサウロ王は,人間を恐れました。彼は人間を恐れたために神のいましめと命令を破りました。サウロ王は神の預言者サムエルにこう語りました,「我ヱホバの命と汝の言をやぶりて罪ををかしたり,是は民をおそれて其言にしたがひたるによりてなり」。(サムエル前 15:24)そのような恐れを抱いたために,彼はエホバ神に忠節を保ちませんでした。

      15 イエスは使徒たちを伝道に遣わしたとき,伝道についてどんな教訓を与えましたか。そしてなぜ?

      15 ダビデはそのような恐れを持ちませんでした。ダビデの子,イエス・キリストは,12人の使徒たちを宣教者として送り出し,「天の御国は近づいた」と宣べつたえつつ伝道せよと命じました。イエスは,人間を恐れてはならぬと彼らに警告しました。人間を恐れるなら,御国を大胆に伝道することができません。イエスは次のように語られました。「からだを殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。しかし,魂とからだの両方をゲヘナで滅ぼし得るかたを恐れなさい」。(マタイ 10:5-7,27,28,新世)したがって,ダビデがこの方にむかって次のように祈ることは正しいことでした,「私の魂を守りたまえ。私は忠節を保ちます」。

      16,17 (イ)ダビデの心を統一して,エホバの御名を恐れさせるため,エホバは何をしなければなりませんでしたか。(ロ)エホバの証者の注意をエホバの御名に向けさせるとき,なぜ彼らの心の全部は恐れでつつまれますか。これは何にみちびきますか。

      16 霊感をうけて書かれたダビデの詩篇は,今日の私たちのために保存されました。では,「あなたの御名を恐れるため私の心を統一してください」とエホバにささげたダビデの祈りを,どう理解すべきですか。その祈りに答えるためエホバ神は何をする必要がありましたか。神は,ダビデの心を分裂させてしまう他のすべての恐れを取りのぞかねばなりません。そのような恐れがあると,ダビデが全能の神を恐れることは妨害をうけるでしょう。全能の神はゲヘナで魂とからだの両方を滅ぼすことができます。ダビデの心をひとつにして,エホバの御名を恐れさせねばなりません。この世の人々は,りっぱそうな名前や評判を持っています。その名前がちょっと語られるだけで,一段と程度の高い恐れを知らぬ人々は恐怖の念を持つことでしょう。今日,人々は神のことが述べられてもおののきません。しかし,ギャング団のボス,独裁者,魔術を使う医者の名前を脅迫的に告げるなら,彼らはふるえあがります。彼らはしんから恐れてしまいます。

      17 しかし,3000年前のダビデはちがいます! 今日のエホバの証者はちがいます! エホバ神の御名を彼らに思いおこさせ,エホバ神の御名を彼らに告げてごらんなさい。彼らはその御名にまつわるエホバのあらゆる栄光を考えます。彼らは過去におけるエホバのすばらしい御わざと功績,およびこの20世紀にエホバが成就させているすべての預言を思いおこします。エホバの名前を言うだけで,彼らは敵共と不忠実の者をさばかれたあらゆる罰と滅亡を思い起こします。ノアの時代にエホバは全世界の人々を滅ぼしました。(ペテロ後 2:5; 3:6)また,彼らはエホバを恐れているので,他のものを一切恐れません。エホバの御名を恐れているので,彼らの心はひとつとなり,統一します。そして,彼らは神を恐れかしこみ,神に忠節を保ちます。

      18 なぜこれは憶病者の恐れではありませんか。

      18 これは臆病者の恐れでは決してありません。詩篇 19篇9節は,次のように述べています。「ヱホバをかしこみおそるる道はきよくして世々にたゆることなく」。エホバを恐れるなら,人を恐れる臆病者になりません。そして,それは清い生命の道に通じます。神に従うべきか人間に従うべきか,どっちにしようか,といううやむやな態度はなくなります。神をおそれて心が統一しているなら,人はもはや「道の定まらぬ優柔不断な者(文字通りの意味は,2つの魂を持つ者)」ではなくなります。(ヤコブ 1:8,1950年版新世訳欄外)それで,真心こめて最高の神を恐れることは,知恵の道です。

      19 心を統一するために,神が何をする必要があることをダビデは示しますか。

      19 エホバ神に献身している人は,心の統一を祈ります。しかし,神はその祈りにどう答えますか。そのように祈るクリスチャンは,その祈りに一致して神の働きに加わるため,何をしますか。ダビデはこの祈りをするすぐ前のところで,このことについての神の役割と彼自身の役割についてこう述べています。「あなたは偉大にしてすばらしいことを行なわれる。あなたのみ神であられる。エホバよ,あなたの道をおしえたまえ。私はあなたの真理の中に歩きます」。(詩 86:10,11,新世)エホバが彼の道について教えることは必要でした。ダビデがエホバの道と真理の中に歩くことも必要でした。同じことは今日も必要です。

      20 私たちを教えていただきたいと神に祈ることは,私たちが何をすることを意味しますか。

      20 ダビデが祈ったように,私たちもエホバの教えを祈り求めるなら,私たちはエホバの道についての教えを,よろこび進んですなおに受けねばなりません。幾世紀もの長いあいだ,エホバの証者はダビデのようにこの祈りをしてきました。

      21 私たちの祈りに対する答えとして,エホバはダビデの持っていたものよりもはるかに多いどんなものを私たちに備えられましたか。

      21 エホバはその祈りに答えておられます。彼は多くの教訓を備えられました。それはダビデのときにあった教訓よりもはるかに多いものでした。ダビデは聖書の中の8冊の本しか持っていませんでした。モーセがヨブ記を書いたなら,多分ヨブ記もあったことでしょう。今日,聖書の全部,66冊の霊感をうけた本があります。その中には実に多くの教訓が含まれています。その教訓は,決して時代おくれになりません。したがってこの宇宙時代のクリスチャン会衆のために新しい宗教的な本の書かれる必要はありません!

      22 (イ)神の預言に関して,どんな事実は,彼の道を私たちに示しますか。(ロ)それで,彼の道についての教訓を得るために先ず何をしなければなりませんか。

      22 たくさんの預言が成就されていると聖書は示しています。それに加えて,聖書が1900年前に書きあげられて以来,たくさんの預言は成就しています! これらの成就は今日の私たちを教え,神の道を私たちに啓示します。私たちは神の道を教えていただきたいと祈ります。したがって,私たちの祈りに答えられる神に協力する道は明白です。もしそう祈るなら,私たちはまず神の本,書かれた神の御言葉に行かねばなりません。その本は他のいかなる本,自然の本と呼ばれるもの以上に,彼の道を私たちに教えます。神はご自分の本をかたわらにおしやって,私たちを直接に教えるようなことはしません。私たちは,彼の御子が地上に居られたときになされたのと同様なことをしなければなりません。私たちは書かれた神の御言葉を研究すべきです。イエスはこう言われました。「視よ,我きたらんわがことを書の巻にしるしたり,わが神よ我は聖意にしたがふことを楽しむ,なんぢの法はわが心のうちにあり」。―詩 40:7,8。ヘブル 10:5-9。

      23 聖書を調べるとき,神について何を知りますか。

      23 神の道について教えをうけるためには,神の書かれた貴重な御言葉を研究しなければなりません。御言葉の頁をめくって教訓を受けねばなりません。それは,たいくつな,あきのくる骨折仕事でなく,むしろ隠れた宝をさがし出すときのように,心をそそるもの,むくいのあるものです。「智慧ある者は知識をたくはふ」。(箴言 10:14)私たちは神とその道を知るようになります。それは彼に対する私たちの確信と,彼に対する私たちの尊敬を建ておこします。それは,彼に対する清い健全な恐れを持たせます。彼を真実に知るときにその結果が得られます。そのことは箴言 22章17,19節に良く述べられています,「汝の耳を傾けて智慧ある者の言をきき,且なんぢの心をわが知識に用ゐよ,……汝をしてヱホバによりたのましめんが為にわれ今日これを汝に教ふ」。

      24 ヨハネ伝 17章3節で,イエスはどんな事実をはっきり示されましたか。

      24 私たちの永遠の生命は,神をくわしく知ることに依存しています。イエスは次のように語ってその事実を明白にされました,「唯一の真の神であるあなたと,あなたの遣わしたもうたイエス・キリストの知識を得ること,これは永遠の生命を意味する」。(ヨハネ 17:3,新世)私たちの永遠の生命あるいは永遠の滅亡についての最終的な決定はエホバ神が決定します。彼は,その厳粛な事実によって,私たちは彼の名前を恐れ,私たちの心はひとつになるはずであります。

      25,26 (イ)個人的な聖書研究をすることに加えて何をしなければなりませんか。そして,なぜ?(ロ)エホバは新しい世でどんな種類の人々を求められますか。それで,私たちは誰を通して教訓を求めますか。

      25 しかし,エホバの道について教えをうけるために,書かれた神の御言葉を個人的に研究するだけでは十分でありません。聖書の歴史中,彼のなされた「すばらしいこと」と,聖書が完成して以来の聖書の預言の成就は,いつも彼の民,彼の証者と関連を持っていました。十分の教訓,直接の教訓を得るために,私たちは彼の民,彼の証者と交わらねばなりません。真心こめてエホバを恐れる人々は,研究だけして,たがいに独立するようなことをしません。彼らはたがいに集まります。マラキ書 3章16節は,次のように述べています,「その時ヱホバをおそるゝ者互に相かたりヱホバ耳をかたむけてこれを聴たまへ またヱホバを畏るゝ者およびその名をおぼゆる者のためにヱホバの前に記念の書をかきしるせり」。

      26 もし彼らが神の名前を考えているなら,彼らはそれについて互いに語り合い,その名前についての各人の認識を深め合うでしょう。エホバが新しい世に希望する民は,この種類の民です。したがって,「大いにしておそるべきエホバの日」に生き残らせるとエホバが約束されている民はこの種類の民です。この日はますます近づいてきています。それで,聖書中に記されている道に従い,彼の組織化された民,彼の御名を恐れる者たちを通して,彼はさらに多くの教訓を与えます。かくして,書かれた彼の御言葉はさらに解明をうけ,多くの面で聖書はいっそう理解できるようになります。故に,エホバの道を教えていただきたいとエホバに願う私たちの祈りが誠実なものであるなら,私たちは彼の組織化された民を通して与えられる教訓をよろこんで受けるでしょう。私たちは熱心に教訓を受けるべきです。

      27 人は受けた教訓をどのように用いて,神の真理の中に歩きますか。

      27 ダビデは教訓を求める祈りをするだけで終わっていません。彼はすぐ言葉をつづけています。「私はあなたの真理の中に歩きます」。このようにして,人は受けた教訓を用いることができます。このようにして人は神の真理の中に歩きます。人は真理に従う生活をします。人は神とその御国についての真理と一致する生活をします。人はこの世の偽りの宗教からうけついだ偽り,伝統,儀式および聖日を捨てます。人は真理を伝道し,イエスの行なったごとく,言葉と行いにより真理についてあかしをします。これこそイエスが人間として生まれて来た目的でした。

      28 真理はどのように私たちを自由にしますか。真理の中にあゆむことは,私たちの心にどう影響しますか。

      28 真理によって人は,人を隷属させる迷信や偽りの神々および悪鬼に対する恐れを失います。唯一の「生ける真の神」を恐れることが人の生活を支配し,人の生活をかたちづくります。故にエホバの道についてエホバからの教えをうけ,その真理の中に歩くとき,エホバは心を統一して,彼の御名を恐れさせていただきたいという私たちの祈りに答えます。そのような統一した心は,私たちの生活に大きな解放感,大きな自由をもたらします!

      29 人々のどんな状態により,いまが「終りの時」であることが示されますか。野心に燃える人々は,利己的にもこれをどのように利用して,忠節をためしますか。

      29 現在は,いまだかつてない国際的な恐怖の時代です。この恐れは,世の「終りの時」あるいは「この組織制度の終り」をしるしづけます。この世の状態は,イエスがあらかじめ告げた通りです。「人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」。(ルカ 21:25,26,新口)そのような恐れや,将来についての不安な気持ちがあるため,教訓を持たない人々は,保護,安全,および保存を約束する人間の制度に避難を求めます。彼らは有能な指導者をさがし求めます。それで,指導者の立場につき,人々の欲望や恐れを巧みに利用して,人々の忠節を求める人間や制度があるのは,ふしぎなことではありません。間違ったものに忠節をささげてその害を受けるというような失敗なしに,だれにまた何に忠節をささげるべきかという質問がいっそう強調されます。

      30,31 (イ)だれが世界の恐れに加わりませんか。彼らは何をしますか。(ロ)私たちが忠節であると,どんな結果が保証されますか。それで,神は現在忠節な者たちにどんな報いを与えますか。

      30 エホバの御名を恐れて,心の統一している私たちは,この古い世の国民や諸国家がもっている恐れや不安を持ちません。私たちは彼らの恐れを持つ代わりに,イエスがこの特定な時にせよと命じた通りのことをします。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」(ルカ 21:28,新口)人間の制度とか政治的な独裁者でなく,全能の神にむかい,私たちは詩篇記者ダビデの言葉を借りて,次のように言います,「私の魂を守りたまえ,私は忠節を保ちます」。(詩 86:2,新世)エホバ神とその御国に忠節を保つなら,私たちが悪をして,大きな害をうけることはありません。私たちは正しい道に私たちをみちびかれるという彼の約束に頼ります。彼については次のように書かれています,「ヱホバ其聖徒の足を守り給はん悪しき者は黒暗にありて黙すべし其は人力をもて勝つべからざればなり」。―サムエル前 2:9。

      31 その約束があるので,私たちの心と神経はぐっと強められます! 次の約束もあります,「かれは義人のために聡明をたくはへ直く行む者の盾となる そは公平の途をたもちその聖徒の途すぢを守りたまへばなり」。(箴言 2:7,8)現在,私たちがエホバの御名を恐れて心をひとつにし,エホバ神に忠節を保つときすばらしい報いを受けます! エホバは私たちが新しい世で永遠の報いを楽しむようにのぞまれています。それで,今でもわたしたちに報いを与えられるのです。エホバ神に永久の忠節を保つ人々は,新しい世を相続して,そこに住むでしょう。

  • 忠節な制度と共に預言する
    ものみの塔 1962 | 1月15日
    • 忠節な制度と共に預言する

      1 (イ)私たちが神に忠節をささげるとき,何にも忠節をささげることが必要ですか。(ロ)人々は,どんな宗教的な制度に忠節をささげるので,神への忠節をささげていませんか。

      天と地を創造して組織した神に忠節を保つためには彼の制度に忠節を保たねばなりません。今日,ある宗教的な制度に忠節を保つなら,神に忠節を保つことであると考える人は大ぜいいます。しかし,彼らはこのことについて間違います。私たちの時代中に生ずると預言されたものの中に,「神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる」人々や制度があります。(テモテ後 3:1,4,5,新口)これらのものは宗教的な主張をし,神に献身している振をします。彼らは司祭,司教,助祭,牧師,および神学博士として任命されている人々のとり行なう宗教的な儀式をします。同時に彼らは物質的なものを求め,霊よりも肉の思いをみたして,彼らが神の真の制度でないことを表わします。彼らはこの世の快楽やスポーツ,ゲーム,およびばくちを愛し,その生涯中に敬虔の実を示しません。彼らの行動は,おもてむきに敬虔そうな振をしても,実際はそうでないことを示します。彼らは偽りの制度に忠節であっても,「主イエス・キリストの父なる神」に忠節ではありません。(エペソ 1:3,新口)彼らは神に偽る宗教制度,すなわち神がご自分の制度として所有せられない制度に忠実です。

      2,3 (イ)神はどの制度に忠節を保てと私たちに命じていますか。19世紀前のどんな日は,私たちのためにこのことを決定しましたか。(ロ)その日,クリスチャン会衆は,私たちが忠節をささげねばならぬ制度であると,どのように示されましたか。

      2 神は見える制度に聖霊を注ぎ,忠節をささげよと私たちに命じました。いまから19世紀以上のむかし,西暦33年のペンテコストの祭の日に,エルサレム内のユダヤ人の会衆は,彼らこそ神の見える制度であると考えました。この理由のため,それより52日前のこと彼らの祭司や宗教指導者たちは,ローマ総督ポンテオ・ピラトをしてイエス・キリストを罪を犯した奴隷のごとく杭に釘づけさせました。しかし,五旬節のその日に生じたことは,彼らの考えが正しいかをはっきりあかしするものでした。イエス・キリストの弟子たちは,次のことを証言しました。すなわち彼は死んで3日目に死人の中からよみがえらされ復活後の40日間弟子たちにしばしば現われたこと,および彼らはイエスの昇天したのを目撃した,ということです。ユダヤ人の制度から排斥されたこれらの弟子たちは,エホバ神の目に見える新しい制度でしたか。ペンテコストの日は,権威のある仕方でその問題に判定を下しました。

      3 その日,神の聖霊は神の是認した会衆の上に注がれました。エルサレムの宮で五旬節<ペンテコスト>を祝っていたユダヤ人の会衆の上にではなく,宮の外の一軒の家の2階に集まっていたイエス・キリストの弟子たちの上に注がれました。120名の弟子たちは,みな聖霊にみたされ,神のすばらしいことについて異言で語りはじめました。それより以前のこと,エホバ神がナザレのイエスに聖霊を注がれたとき,神は天から「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である」と言われました。同じく,神がエルサレムにあったその最初のクリスチャン会衆の上に聖霊を注がれたとき,神は彼らを是認してユダヤ人のエルサレム会衆を捨てたということをはっきり,目に見えるさまで示すものでした。ユダヤ人のエルサレム会衆は,イエス・キリストを殺したことについて共同の責任を持つものでした。その時以来,エホバの崇拝者がどの制度に忠節を保たねばならぬか,疑問の余地はなくなりました。それはクリスチャン会衆であって,ユダヤ人の宗教制度ではありません。

      4 それはどんな預言を成就しましたか。2階の部屋にいた者たちは,どのように預言しましたか。

      4 聖霊が注がれて,さまざまな影響が表われたことは,神の預言を奇跡的に成就しました。油注がれた者のひとりで,その日聖霊にみたされた使徒ペテロは,それがヨエル書 2章28-32節の成就であると語りました。その聖句は次のようです,「私は霊をすべての種類の人に注ごう。あなた方の息子,娘は預言し,若者たちは幻を見,老人たちは夢を見るであろう。そして私の男女の奴隷たちに霊を注ごう。……エホバの大いにして恐るべき日の来る前に。だれでもエホバの御名を呼ぶ者は救われる」。(使行 2:1-21,新世)その理由の故に,エルサレムの2階にいた人々は預言しました。すなわち神のすばらしいことを語って他の人々に聞かせました。

      5 ペテロの言葉は,御霊の注がれた者たちがその部屋いた120名に限られたかどうか,どのように示しましたか。

      5 御霊の注がれることは,エルサレムの2階にいた120人に限定されていませんでした。神は,天で彼の右に居られたイエス・キリストを用いて聖霊を注いだとペテロは語りました。数千人のユダヤ人は,その奇跡についてペテロの語った説明を聞きました。もし彼らがヨエルの預言通り聖霊を得たいとのぞむなら,悔い改め,イエス・キリストの名によって水の洗礼をうけ罪のゆるしを願わねばなりませんでした。そうしてこそ始めて,彼らは「聖霊の賜物を受け」たのです。―使行 2:2-40,新口。

      6 聖書の記録によると,御霊はどのようにひきつづき注がれましたか。これは今世紀までもつづきましたか。

      6 約3000人の有罪なユダヤ人と改宗者たちは悔い改めて,イエス・キリストの名によって洗礼をうけました。そして,その日,最初の120人の場合と同じく,彼らも聖霊をいただきました。それから約3年半の後,一群れの無割礼のイタリア人は,ペテロの伝道の言葉を聞いて,信者になり,聖霊を受けて異言で預言し始めました。(使行 10:1-46)それから16年の後,すなわちペンテコストから19年後の西暦52年,使徒パウロは小アジアのエペソにいた12人の信者たちに伝道して彼らもイエス・キリストの名によって洗礼を受けました。その後,彼らの上に手を置いて,聖霊は彼らに注がれ,彼らは異言で預言し始めました。(使行 19:1-7)したがって,ヨエルの預言の成就として,聖霊が注がれて預言が語られたことは,西暦33年のペンテコストの日にみな達成されたと考えるべきではありません。それは長年月のあいだつづきました。それでは,聖霊が注がれて預言を語ることは,この20世紀までつづけられてきましたか。そうです。このことを調べることによって私たちはいまどの制度に忠節をささげ得るかどうかをたしかめることができます。

      7 預言によると,私たちはどんな日に生活していますか。キリスト教国は,エホバの来たるべき日に安全ですか。

      7 聖書の預言の見地に立って,西歴1914年以来の世界の出来事を観察するとき,私たちが,預言された「末の日」に生活していることは間違いのない事実です。いまから19世紀のむかし,エルサレムに宮と祭司たちを持っていた国家的なユダヤ人制度にとって,それは「末の日」でした。キリスト教国の只中で第一世界大戦の始まった西暦1914年以来,神の霊的なイスラエルと称しているキリスト教国は「末の日」にはいっています。それで昔のエルサレムの場合と同じく,キリスト教国にも「エホバの大いにして恐るべき日」がのぞむにちがいありません。悪い組織制度全部がひじょうな艱難の中に滅亡してしまうとき,キリスト教国は「安全」でしょうか。安全ではありません。なぜならキリスト教国はエホバの御名を呼ばないからです。キリスト教国の心は,エホバの御名を恐れるべく統一されていません。キリスト教国は無神論の共産主義を恐れることに一致しています。

      8 キリスト教国の教会が私たちの忠節を受けるにふさわしいかどうかを決定する場合,奇跡的な異言を語ることが,その判断の規定になりますか。

      8 それでは,献身して洗礼をうけた真のクリスチャンたちは死にいたるまで,キリスト教国,カトリック,および新教徒の宗教的な教会に忠節を保たねばなりませんか。その答えは,次の問を発するときに得られます,これらの制度は神の是認された宗教制度であるという五旬節的な証拠を持っていますか。キリスト教国のいわゆる五旬節派教会のように異言を語らねばならない,という意味ではありません。今日,奇跡的に異言で語ることでは験されません。異言で語る賜物は,キリストの12使徒のいるところ,あるいは彼らが手を置いたときに与えられました。したがって,異言を語る,あるいは解釈するという奇跡的な賜物は,使徒パウロの述べたごとく,12使徒の死と共に過ぎ去りました。(使行 8:14-19; 19:1-7。コリント前 13:1,6-11)パウロの時代のクリスチャン会衆では,神の御霊は八つの奉仕をしました。その八つの奉仕の表の中で,パウロは預言を第2番目,異言で語ることを第8番目,つまり最後に置いています。―コリント前 12:27-31。

      9 ヨエルの預言は神の御霊が注がれて生じたどんな効果に言及しましたか。だれが,また何人がこのことに参加することができますか。

      9 次の事実を見のがしてはなりません。末の日についてのヨエルの預言があらかじめ告げていたのは,異言で奇跡的に語ることではありませんでした。それは神の聖霊が注がれて預言することでした。この特定な預言は,霊感をうけた特別な預言の賜物ではありません。その賜物は,すべてクリスチャンがあずかり得たものではないのです。それは「神のすばらしいこと」を公に宣明することであり,この種の預言には五旬節以来神の御霊をうけてすべての人があずかることができました。―使行 2:5-11。

      10 (イ)今日,預言するということに関して,私たちはキリスト教国の教会につきどんな質問をするべきですか。(ロ)今日,預言すべき「神のすばらしいもの」とは何ですか。

      10 私たちは聖書に「末の日」としてしるされている時に生活しています。(使行 2:16,17)したがって,今日のキリスト教国の宗教制度を調べるにあたっては,果たして彼らがエホバ神の御霊をイエス・キリストを通して注がれているかどうかを調べるべきです。そのことを証明する事実として,彼らは前もって告げられた通り預言していますか。任命されている牧師だけでなく,会衆の全員が預言していますか。西暦33年ペンテコストのときに預言され,伝道されたすばらしいものと同じく,今日預言されねばならぬ「神のすばらしいもの」とは何ですか。西暦33年のペンテコストのとき,使徒ペテロは,殺されて復活をうけたイエスが天の神の右で主なるキリストになられたと伝道しました。今日,神の御霊の力の下に預言せねばならぬ「神のすばらしいもの」は私たちの語る言葉ではなく,聖書の預言の語るものでなければなりません。

      11 マタイ伝 24章14節によると,今日預言すべき「神のすばらしいもの」とは何ですか。

      11 イエス・キリストが人間としてこの地上におられたとき,この末の日について預言し,また私たちが「組織制度の終り」に住んでいることを示す証拠について預言しました。彼はいろいろの証拠について語りましたが,その中で次のことを語られました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:3,4,14)したがって今日預言せねばならない「神のすばらしいこと」とは異邦人の時(「諸国民の定められた」)の終わった西暦1914年以来,神の御国に関することです。そのとき神は約束された御国を誕生させて主なるキリストの手中にゆだねました。新しく生れた御国は,サタン悪魔と悪鬼共に対してただちに戦争をはじめ,彼らを天からこの地近くに追い落としました。そして,エホバ神は迫害をうけていた地上の証者たちを復興させて,あらゆる時代中最大の御国証言を始めさせました。次に,エホバ神は御座の前に「大いなる群衆」を集め始めました。彼らは,新しく設立された御国を支持して宣明する者たちです,特に聖書の最後の本である黙示録の中には,それに関係する他の多くのことも述べられています。

      12,13 (イ)牧師たちは,前もって告げられた預言をしているかどうかについて,どう答えますか。このことは聖霊について何を証明しますか,(ロ)それでは,なぜ牧師の制度は救われる制度ではないのですか。

      12 これらは「神のすばらしいもの」です。しかし,キリスト教国の宗教制度とその牧師たちは,このように預言されたものについて預言していますか。彼らは,この組織制度の終りは近いと知って,御国のこの良いたよりをすべての国民への証として全世界に伝道していますか。五旬節<ペンテコスト>の日以来使徒や仲間の信者たちは「公衆の前でも,また家々でも」伝道し預言しました。彼らはそのような伝道と預言のわざをしていますか。(使行 20:20; 2:46; 5:40-42)彼らが口頭で告白する言葉,また印刷した出版物の中で告白する言葉は,「いいえ」と答えます。それでは,預言的な聖句に照らして見るとき,彼らが失敗していることは何を証明しますか。こうです,聖霊は彼らの上に注がれておらず,また聖霊の使命は,彼らによって果たされていないということです。

      13 彼らは神の御霊のみちびきを受けておらず,マタイ伝 24章14節のイエスの預言を成就していません。そしてこのもっともすばらしい時,神の御国の伝道に最適な世界状勢の只中で,神の御国の伝道をしていません。このわけで,彼らは神の是認を受けることができないでしょう。彼らの制度は救われないでしょう,「人は心で信仰を働かすことにより義とせられ,口でもって公に言い表わして救われるのである」。(ロマ 10:10,新世)このことは,個人について言えるだけでなく,制度についても言えます。人の前で神の御国を告白しない制度はイエス・キリストの仕えている神の御国によっても告白されず,認められないでしょう。―マタイ 10:32,33。

      14 今日,キリスト教国が人々に与えていないものは何ですか。それで,キリスト教国には,私たちから何を受けるにふさわしくありませんか。

      14 ごちゃまぜの宗派を持つキリスト教国は,今日の世界の人々に真実の安全な指導を与える制度ではありません。その制度に私たちの忠節をささげても,神への忠節を実際に表わすことにはなりません。神に忠節を保っている制度を見出すため,別のところをさがさねばならないでしょう。

      15 ヨエル書 2章28,29節を成就するものとして,今日神に忠節を保つ制度は,何をしているにちがいありませんか。

      15 私たちのさがさねばならぬその制度は,この「末の日」に神の御霊の注がれている証拠を示さねばなりません。それは,あらかじめに告げられた預言のわざを行ない,『全国民へのあかしとして神の御国のこの良いたよりを全世界で伝道』しなければなりません。あらかじめに告げられたごとく,この伝道または預言は,制度内のあらゆる種類の人も,男も女も,息子も娘も,老人も若人も,男のしもべも,女のしもべも,御霊の注がれたすべての人によって行なわれています。

      16 (イ)このことについて,1914-1918年の記録はだれを指していますか。(ロ)イエスは,マタイ伝 24章45-47節の中で,この級をどのように示しましたか。この級の任命には,何がふくまれましたか。

      16 1914年に異邦人の時が終わって以来,特に1918年に第一次世界大戦が終わって以来,全世界の人々が研究して偏見のない客観的な結論に達するために記録がつくられました。その記録は,エホバのクリスチャン証者たちの油そそがれた残れる者をさし示しています。「組織制度の終り」に関する証拠についての預言の中で,イエスは,この油をそそがれた残れる者が「忠実にしてさとい奴隷」忠実な僕級であると預言しました。イエスが再臨されるとき,この忠節なしもべ級は時機にかなった霊的な食物を供給しています。また,地上にある王の品物の管理を彼らに命じます。(マタイ 24:45-47)この任命の中には,前もって告げられた御国伝道をすることもはいっています。特に1919年以来,油注がれた残れる者は御国の伝道を行いました。また今でも行なっています。

      17 今日,だれが神の任命した制度を認めましたか。彼らはこの事実についてどんな証拠を示していますか。

      17 すでに181の国々において,144の言語で御国の証言を受けた幾十万という人々は,神の定め給うた制度を認めました。その制度は神の御国に忠節を保っていますので,クリスチャンがそれに忠節,支持,および協力を与えるのはふさわしいことであります。いま全国民から来た幾十万という人々はそうしており,まず神の御国と義を求めよというイエスの助言に従っています。このことを証明するため,彼らは洗礼をうけて神への全き献身を象徴しました。そして,残れる者と共々に良いたよりの預言すなわち伝道に真心こめて参加しています。―ゼカリヤ 8:20-23。

      18,19 (イ)神の注ぐ御霊は,彼の是認する制度が預言することに何を生じさせますか。(ロ)ゼカリヤ書 13章2,3節は,このことにつき何と述べましたか。

      18 霊的なイスラエルの残れる者の上に神の聖霊が注がれると,神の真理の預言すなわち伝道だけがなされるのです。イエスはかつてそれを「真理の御霊」と語りました。(ヨハネ 15:26)真理の神の御霊は,神の是認する忠節な制度によって伝道される事がらを清めるものです。彼の御霊は,宗教の仮面にかくれて偽りを預言したり,偽りや間違いを伝道することを許さないでしょう。神の復興された忠節な残れる者とその忠節な仲間たちの制度内に,そのような清めのわざが行なわれています。そのことはゼカリヤ書 13章2-6節の預言の中にあらかじめ告げられており,その2節と3節は次のように述べています。

      19 「万軍のヱホバ言たまふ其日には我地より偶像の名を絶のぞき重ねて人に記憶らるゝこと無らしむべし我また預言者およびけがれの霊を地より去しむべし 人もしなほ預言することあらば其生の父母これに言ん 汝は生べからず 汝はヱホバの名をもていつはりを語るなると 而してその生の父母これが預言しをるを刺ん」。

      20 前述のことは,何を預言的に示しましたか。私たちの心の状態が何でなければならぬと,これは示しますか。

      20 これは忠節について預言的に示したものです。この「末の日」にエホバが御霊を注がれた油注がれた残れる者の制度内にいる者は忠節を保っています。その御霊は,エホバ神と,キリストなるメシヤの御国に対する忠節の霊です。それは最高の神の宇宙至上権を擁護して,支持する霊です。したがって,油をそそがれた残れる者たちは,その忠節が生来の人間関係よりも重んぜられねばならぬことを認めます。それは,両親に対して,あるいは子供に対して,または親密な血肉の親族に対して抱く自然の愛情よりも強いものでなければなりません。神と御子イエス・キリストの御国に対する忠節については,私たちの心に分裂があってはなりません。妥協があってはなりません。

      21,22 (イ)マタイ伝 24章14節に関連して,子供たちは献身した両親にどうそむきますか。(ロ)そむく子供に対して献身した両親の処置はどのようなものでなければなりませんか。

      21 イエスの預言が明白に示すごとく,いまこそ神の御国の良いたよりをあらゆる場所で,あらゆる言語で伝道するべき時です。これこそいましなければならぬ預言の最中心事です。それでは,神の目に見える制度内の家族の息子が御国についてのこの伝道に反対するならどうするべきですか。もし息子が御国の音信に反対のことを宣明したり,預言したりし制度内の他の者に悪い影響をおよぼし,しかもエホバの名によってこのことをするなら,どうするべきですか。献身して,洗礼を受けた父母は何をするべきですか。彼らは子供を甘やかすことができません。たとえ自分たちの産んだ可愛い子でも大目に見のがすことはできません。

      22 息子が偽りの預言をすること,あるいは御国の預言に反対するなら,それは,死にいたる罪であると知らせなさい。自分の息子であろうとエホバの御名によって偽りを語るのはゆるされません。そのような偽りの預言をする子を刺さねばなりません。彼らはその子を霊的に死んだ者と考え,その者との宗教的な交際や交わりを持たず,その預言を拒否しなければなりません。息子がエホバの証者の新しい世の社会から排斥されるのを妨げてはなりません。このときこそエホバの王イエス・キリストの言葉を思い出す場合です,「わたしよりも父または母を愛する者は,わたしにふさわしくない」。―マタイ 10:37,新口。

      23,24 (イ)忠節についてのそのような試験は,制度内のだれに対しても行なわれますか。(ロ)ゼカリヤ書 13章4-6節は,そのことをどのように示していますか。

      23 しかし,真理と制度に対しての不忠実と不忠を取りあつかうのはいつでも自分の肉親の家族の者であるわけではありません。エホバの復興された残れる者の制度内で密接な友情関係を持つ者も,偽りの不忠実な預言をするでしょう。ゼカリヤ書 13章4-6節は,神の忠節な制度内でそのような事態の結果が何であるかを前もって告げました。

      24 こう書かれています,「その日には預言者等預言するにあたりてその異象をはぢん かさねて人を欺かんために毛皮をまとはじ 彼言ん我は預言者にあらず地〔アダマ〕を耕へす者なりすなわち我は若き時より人〔アダム〕に買れたりと もしこれにむかひてしからば汝の両手のあひだの傷は何ぞやと言あらばこれは我が愛する者の家にて受たる傷なりと答へん」。

      25,26 (イ)なにが原因で,これらの偽りの預言者たちはまぼろしを恥ずかしく思いますか。その罰はどのように施行されますか。(ロ)そむく者を深く愛する者たちは,何をしなければなりませんか。そして,なぜ?

      25 エホバの復興した残れる者の中にいるそのような預言者が,その幻を恥ずかしく思うようになる原因は何ですか。毛衣をつけるたしかな預言者として公に宣伝しようとせず,そのごまかしを容易にするのはなぜですか。不忠実な偽りの預言者たちが叱責を受けるからです。彼らをクリスチャンの仲間として深く愛した人々の家で,彼らは叱責されます。彼らの両親は,おそらく最も彼らを愛する者たちでしょう。昔の神権的なイスラエルでは,そのような偽りの預言者は証者たちの前でさばかれ,あばかれ石で打たれて殺されました。(申命 13:1-11)今日,真のクリスチャン会衆は,偽りの言葉を語り神と神の御国に不忠な行いをすすめる預言者たちを殺すことができません。しかし,会衆は神の御言葉の真理で彼らを霊的に打ち,その心と霊をつよく傷つけることができます。

      26 彼らをもっとも深く愛した者こそ彼らを打って傷つけねばなりません。かくして神とその制度に対して第一の忠節を保ち,忠節な目にみえる制度を守ることが必要です。偽りの預言者として恥じを感じさせなさい!「そのような人には注意をして,交際しないがよい。彼ら自ら恥じるようになるためである」とテサロニケ後書 3章14節(新口)は述べています。「勧めなさい……人を教える場合には,清廉と謹厳とをもってし,非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば,反対者も,わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり,自ら恥じいるであろう」とテトス書 2章6-8節(新口)は述べています。この霊的な叱責がきずをつくるならどういうことになりますか。「愛する者が傷つけるのは,まことからであり」と箴言 27章6節(新口)は述べています。

      27 そむく者が,そのまぼろしを恥ずかしく思うのは,なぜ良いのですか。恥ずかしく思う彼は,正直に何を告白するべきですか。

      27 私たちは,偽りの預言をする彼らを正しい状態に回復させようと努めます。そしてそれらの人々をして,私たちが神の御言葉に忠実を保っていることを証言させるようにしなさい。私たちは神の言葉で彼を打ち,彼を傷つけたのです。彼が神の御言葉と一致しない幻について恥じるようになるのは良いことです。そうすると,彼は神と直接の個人的なむすびつきを持つ特別な預言者の振をして,もはや私たちの中を歩きまわらないでしょう。彼は,なにか新しいもの,ちがったものを預言する特別の預言者があるなどと威張らないでしょう。むしろ,彼は神の注ぎ給うた御霊の影響の下に預言していなかったと認めざるを得ないでしょう。彼は霊的な人ではありませんでした。偽りの預言をした彼は,地的な者,農夫,あるいは子供の頃から買い取られた農夫の奴隷のような地的な「自然人」に過ぎませんでした。彼が信頼に足る預言者であったことは一度もなかったのです。エホバの清められた制度内では彼はまったく成功しないということを認識させなさい。エホバの制度の成員は親しい地的な友以上に神を愛します。

      28 それでは,キリスト教国の預言者に対して私たちは,どういう行いをするべきですか。

      28 もし私たちがエホバの証者の新しい世の社会内にいる偽りの預言者に反対して彼らをばくろしなければならないのであるなら,神によって任命され,つかわされた者であるかのように,神の御名によって語るキリスト教国の偽りの預言者をもばくろしなければなりません。エホバの証者の新しい世の社会の忠節な制度から偽りの預言者たちを追い出すことにより,これこそエホバの忠節な制度であり,エホバはこの制度を用いてあらかじめ告げた預言のわざをしていることが示されます。

      29 (イ)真の預言は,何が表われたものですか。それはどんな人々によって遂行されていますか。(ロ)制度内の各人を一致させると,どんな結果を生じますか。

      29 真実の預言は,エホバの御霊の注がれていることを明白に示す証拠です。この預言のわざは,選ばれた少数の者がしているだけでなく,すべての種類の人,全員がしています。これはあらかじめに告げられた通り「御国のこの良いたより」を伝道することです。エホバ神に忠節を保つこの制度内にいて,エホバの御霊にみち彼の定めた預言的なわざをするなら私たちは安全です。エホバ神にむかい私たち各人は,彼の御名を恐れるため私たちの心を統一して下さいと祈るべきです。エホバの御名を恐れて各人の心が統一するなら,制度全部は統一するようになるでしょう。そのとき,制度内にいる者はみな一つの口で語るでしょう。(ロマ 15:6)かくして,私たちは「一つの霊によってかたく立ち,一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられない……彼には滅びのしるし,〔私たち〕には救のしるしであって,それは神から来るのである」。―ピリピ 1:27,28,新口。

      30 神に忠節を保つなら,めぐみ深い神は,私たちにどのような処置を取られますか。

      30 私たちが神に忠節を保つなら,神も私たちに忠節を保つでしょう。神は私たちの一致した祈りをかなえるでしょう。「わたしに,あなたの恵みのしるしをあらわしてください。そうすれば,わたしを憎む者どもはわたしを見て恥じるでしょう」。(詩 86:17,新口)エホバ神は私たちを用いてあらかじめ告げた預言のわざを完了されます。それは彼らには恥となり,私たちにはめぐみのしるしになります。彼は最後が来るまでご自分の忠節な制度と共に私たちを用いられ,完全に立証されます。―マタイ 24:14。

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