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エホバの証人の「真理のことば」大会ものみの塔 1966 | 1月1日
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の兄弟に持ち帰ること。……兄弟たちの愛をスペインの兄弟たちに伝えること。……そして最後に,兄弟たちと共にエホバ神の崇拝,およびその御名と主権の立証を第一にすること」が決議されました。帰国すれば地下にもぐって伝道するこの人々の口から出る言葉は,人々の心を動かしました。まことに「真理のことば」大会は,神への奉仕を強く励ますものでした。
エホバの霊の働き
これらのクリスチャン大会のうえに,エホバの霊の働きがあったことは,多くの事にあらわれました。たとえば,ワシントン州(米)のシアトルで大会を開いたとき,浸礼式を行なう場所がどうしても手にはいりません。借りられそうなのは,水泳プール一つを残すのみとなりました。ところがそこの管理人の話では,すでに予約ずみとのことでした。バプテスマのためにどうしてもプールが必要なことを説明すると,管理人は「どの日も予約ずみとは思いますが,まあもう一度調べてみましょう」と言いました。管理人が調べてみると,この夏のうちで2時間だけまだ予約されていない時間が見つかりました。それは7月25日の午前10時から12時まで,つまり浸礼式が予定されていたときと同じでした。
アイルランドのダブリンでも,エホバの導きの手が明らかに感じられました。ここはカトリックの根城ですから,エホバの証人が大会を開くことには強い反対がありました。会場を手に入れる努力は失敗の連続でした。しかついに道は開け,猛烈な反対にもかわらず,トルカ・パークというサッカー競技場が借りられることになりました。やがてカトリック教徒のなかにも崇拝の自由を公然と支持する,公平な心をもつ人々があらわれ,新聞によるよい報道もかなり行なわれて,立派な大会が開かれました。これはいうまでもなく,エホバの導きのあらわれです。
多くの自発奉仕者の愛のこもった働きにより,大会が円滑に運営されたことも,エホバの霊が働いた証拠でした。エジンバラ・イブニング・ニュースは,次のように書きました。「組織のことで問題があるなら,エホバの証人のやりかたを見ればよい。彼らのきちょうめんさには,軍隊といえどもたち打ちできないであろう」。またカナダ,マニトバ州のブランドンでは,競技場の支配人が,「あなたがたのような組織だと,全市はおろか国家を,全世界をさえ治めることができるでしょう」と言いました。
また,群衆の静かなこと,秩序正しいこと,お互いに思いやりのあることにも,神の導きが明らかにみられました。世俗の集会とはなんという違いでしょう。ロッテルダムでは,ある警官が案内部門の責任者のところへきて,ステージの前方に細い縄を1本張れば,そこにはだれもはいらないというのはいったいどういうわけですか,と尋ねました。ふつうだったら,群衆を食い止めるために20人の警官が必要だと言いました。ルクセンブルクでは大会場の管理人が驚いたように言いました。「子どもたちが行儀がよいのにはまったく驚きましたね。これはどういうわけですか」。
それはもちろん,神の真理のことばの原則が守られているからです。エホバの証人は聖書を信じ,それをいつも勉強し,それに従って生活しているのです。「真理のことば」大会は,クリスチャンたちが,真理のことばを守るとき,いかにすばらしいふんいきと平和が生まれるかを,再び多くの国の人々に示すことになりました。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 1月1日
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読者からの質問
● 御国の音信を聞いたことのない,中共その他の国の何億もの人々は,大いなるバビロンの滅びとハルマゲドンの戦いの時に保護されますか,あるいはのちに復活しますか。
この事物の制度の終りに臨む滅びについて聖書の教えを理解することは肝要です。羊と山羊を分けるたとえの中で,イエスは「人の子が栄光の中に……来る」時に分けるわざが行なわれ,人は「羊」と「山羊」のどちらかに分けられることを示されました。(マタイ 25:31-46)設立された神の国の良いたよりの伝道に対する態度によって人々は分けられるでしょう。現在その伝道のわざはエホバの証人によって行なわれています。その音信を喜んで受け入れ,その音信を伝える者を親切にもてなす地上の人々は「羊」の群れに入れられ,「永遠の生命」にはいります。伝道のわざを好意的に受け入れず,御国の音信を伝える者に援助の手を差しのべない人々は「山羊」級とされ,一時的な死ではなく,さばきが執行される時に「永遠の切断」を受けます。
しかし何億人もの人が復活し,神に奉仕する機会が与えられる事を理解している人の中には,今日伝道されている御国の音信を聞く機会のない何億人もの人々が,神の目的に関する証しを聞かずに永遠に滅ぼされるのだろうかと考える人がいます。たしかに現在,御国の伝道を聞いていない人は非常に多くいるようです。それと共に聖書の述べる事と,世界の状態とを見るなら,わたしたちが「終わりの日」にいることもわかります。しかし,終わりが来る前に,御国の音信をあとどれだけ伝道できるかをはっきり理解することはできません。(テモテ後 3:1-5。マタイ 24:3-13)第二次大戦が終った頃に,御国の伝道は共産国を含めた190の国々で100万人以上の伝道者によって行なわれるとだれかが言ったとしても,それを信じ難い事とした人もいたに違いありません。しかしエホバはご自分の民を祝福され,今日その通りになっているのです。それで,まだ音信を聞いた事がないと考えられる世界の幾億の人一人一人にその音信を伝えさせる事がエホバのみ心ならば,それは実現します。神は,望むなら,わたしたちが想像できないような方法で広めさせる事ができるのです。イエスはこのように予言されました。「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14)わたしたちは,神が満足されるまで伝道が行なわれると確信できます。そののちに「最後」が来るのです。
一方,中共その他,どこの国にいても「山羊」に相当する人々は「のろわれた者」と宣告され,「最後」を生き残って神の新しい秩序にはいる事を許されません。彼らは象徴的な「火」にはいるのですから(悪魔や悪霊と同じように),彼らの刑罰は永遠であり,復活する事は決してありません。―マタイ 25:41-46。
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