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人間同士の兄弟関係 ― 単なる夢ですか目ざめよ! 1982 | 1月8日
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人間同士の兄弟関係 ― 単なる夢ですか
それは,あの極めて重大な年である1914年の12月も押し詰まった数日間に起きた出来事でした。第一次世界大戦当初の残酷な猛攻撃の応酬で,わずか5か月の間に約350万の死傷者がでていました。
12月24日の晩に,ベルギーのイープル付近の戦線で,英国の一小隊はドイツ側の塹壕から40㍍ほどの所に杭を立て鉄条網を張るように命じられました。ドイツ側の戦列からは一発の銃声も上がらず,英国側は目をみはりました。翌日,双方の側の幾百幾千もの兵士が各々の塹壕からはい出して来て,あいさつや記念品を交わして,中間地帯で兄弟のように交わりました。
何が起きたのでしょうか。戦線のほかの場所と同様に,ここでも,クリスマスの時期が到来して,戦争に疲れた人々の心は平和と友好関係を心の奥底から願い求めるようになったのです。
しかし,その願いは実現されませんでした。諸国家は第一次世界大戦を最後まで戦い,幾百万もの生命を犠牲にし,計り知れない不幸をもたらしました。あのつかの間の兄弟関係は単なる夢に過ぎませんでした。そして,その夢は第二次世界大戦によってさらに粉々に打ち砕かれました。今日,諸陣営が対立し,大量殺りく兵器が存在するため,夢どころか恐ろしい悪夢が生じています。
兄弟関係を築くための努力
人間の歴史は,流血と暴力を繰り返す,長期にわたる悲しい歴史でした。それでも,大勢の人々は人類の兄弟関係を望んできました。例えば,1789年のフランス革命は,「リベルテ,エガリテ,フラテルニテ」(「自由,平等,兄弟関係」)というスローガンでフランスの人民を奮起させました。しかし,数年後,フランスのナポレオン・ボナパルトはヨーロッパを血で覆いました。
歴史を通じて,数多くの友愛会(兄弟会)および女子友愛会(姉妹会)が隆盛を極めてきました。しかし,そうしたものには真の意味での全世界的な兄弟関係の特徴が欠けていました。例えば,よく知られた国際的な結社(兄弟関係)であるフリーメーソン団は,秘密主義を奉じ,男性にしか門戸を開いていません。
明らかに,そのような努力はいずれも人類の兄弟関係を実現することは決してありませんでした。しかし,少し考えてみましょう。この概念を単なる夢から実際的な現実へと変えることができたらどうでしょうか。実に大きな変化が生じることになります。国際的な真の兄弟関係は,戦線,政治や宗教上の対立,国民や人種間の憎しみなどに終止符を打ちます。戦争,テロ,および恐るべき危険な状態を引き起こしている様々な要因すべてが除き去られます。
そうした状態を見たいと思われますか。そう思われるに違いありません。しかし,『そんなことは絶対起こり得ない。歴史はすべての人が兄弟同士のようになるという考えが夢に過ぎないことを示している』と言われるかもしれません。そして,人間の過去と現在の記録からすれば,それも無理からぬ意見です。
より高い見方
しかし,考慮すべき別の見方があり,それは大きな相違をもたらします。この点を例えで示しましょう。樹木の生い茂るジャングルの中で道に迷い,そこから抜け出す道が見付からなくなったとしましょう。生命が危険にさらされます。しかし,上空の飛行機に乗っている人がそこから抜け出す道をはっきり認め,無線連絡によって道案内をしてくれます。そうした高い所からの観察は生死を分けることがあります。
今日,この世界の増大する諸問題から抜け出す道を見いだせない人は少なくありません。ですから,高い所からの見方,すなわち全能の神の見地から状況を検討するのは,緊急なこと,まさに生死を分けるような問題なのです。その方について,霊感を受けた預言者は次のように書いています。「天が地より高いように,わたしの道はあなたの道より高く,わたしの考えはあなたの考えより高いからである。あなた方は歓びをもって出て行き,平和をもって導き入れられるからである」― イザヤ 55:9,12,新。
ともあれ,真の兄弟関係を築き上げることに関する創造者の崇高な見方を論じる前に,次のように尋ねることができます。それが人間の見地から不可能になってしまった原因はどこにあるのでしょうか。
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全世界的な兄弟関係を阻んでいるものは何ですか目ざめよ! 1982 | 1月8日
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全世界的な兄弟関係を阻んでいるものは何ですか
西暦1469年に,ニッコロ・マキアベリという名の人がイタリアのフィレンツェに生まれました。マキアベリは「君主論」という政治の本を書き著し,そのモデルとして教皇アレクサンデル6世の息子,チェーザレ・ボルジアを用いました。一歴史家によると,ボルジアは「“武力外交”の名人で,征服の手を伸ばし,確実に征服するためとあらば,武力や欺まんに訴えることに良心のとがめも自責の念も感じない」人でした。
ブリタニカ百科事典(英語版)は,マキアベリが「現代世界の政治学の基礎を築いた」と述べています。“マキアベリズム”は今や,「いかに不法で,無節操な手段であろうと」支配者は自分の権力を保つためにそれを用いても構わない,という政治原則を意味する言葉になっています。
そのような政治はこの20世紀に災いをもたらしてきました。戦争,クーデター,汚職,恐ろしい暴力行為,テロなどはいずれも,その表われです。政治は東西両陣営を分裂させ,国家を,(ベルリンのような)都市を,そして家族をさえ分裂させています。政治は人類を分裂させる最も大きな影響力の一つです。
そのような政治と密接に結び付き,政治指導者たちにしばしば利用される精神は……
国家主義
このことについては,スコットランドの従軍牧師に関する面白い話があります。この牧師は新しい駐とん地で,古い納屋を礼拝堂に改装するため有志を募りました。従軍牧師のいないすきに,その人たちは祭壇の上に大きな字で,「スコットランドよ,永遠に」とペンキで書きました。驚いた従軍牧師はそのサインをもう少し宗教的なものにするよう求めました。兵士たちはその求めに応じ,その文字は,「スコットランドよ,永遠に。アーメン」となりました。
スコットランド人は祖国に対する誇りが非常に強いことで知られています。しかし,それはスコットランド人に限られたことではありません。例えば,イギリスの子供たちは,特に大英帝国が世界に覇を唱えていた時代には,ごく幼いころから国家主義的な熱情をあおり立てられました。『英国は海洋を制覇する』と信じ,英国は神に祝福されており,他の国々よりも優れた国家であると信じるよう教えられていたのです。
どの国でも政治家は同様の感情を助長します。強力な国家主義的精神が自分たちの目的を遂げる格好の道具となることを知っているからです。しかし,その目的は一般の人々の最善の益を図るものではありません。「国家主義は真の愛国主義とは無縁」と題する記事の中で,コラムニストのシドニー・J・ハリスはこう述べています。「国家主義とは,国旗を振りかざし,祖国への不愉快な献身を口にし,その一方で人民の権利を踏みにじる,ヒトラーやスターリンや他の独裁者のような人物と“協力する”ことだ」。
また,スコットランドの礼拝堂の話が示すように,国家主義はしばしば宗教と手を握ります。ユダヤ教のラビ,ロバート・L・カーン博士はこう書いています。「宗教と国家主義は常に協力し合うきらいがある。戦時中は特にそうである。……『神のため,国のため』が一種の戦争スローガンになる。これが世の常であった。[第二次世界大戦中]流行した歌の一つは,『主をたたえ,弾薬を手渡せ』という従軍牧師の鬨の声であった」。
国家主義的な精神はスポーツにも容易ならぬ影響を及ぼしています。例えば,イタリアのトリノ市で行なわれた英国対ベルギーの欧州サッカー選手権の際に,英国のファンがイタリアの機動隊と乱闘を演じ,大勢の負傷者を出して,試合が数分間中断されました。
人種的優越感
南アフリカの多くの農場では,農業経営者の白人の子供と労働者の黒人の子供が幼いころの一時期を,兄弟と言ってもよいほど平和に一緒に遊んで過ごします。人種的な偏見は人間の生来の感情ではないのです。しかし,子供たちは成長するにつれて,各人種特有の態度を身に着けてゆきます。こうしてほとんどの場合に,幼いころの麗しい無邪気さは消え去り,敵意,誇り,憤り,欲求不満などの感情が強くなります。
しかし,人種的優越感はアフリカだけの話ではありません。米国人で,自国内のインディアンの諸部族に加えられた仕打ちを恥ずかしく思う人は少なくありません。奴隷制の時代に黒人の受けた仕打ち,および黒人が大西洋を横断して輸送された際の恐ろしい状態,そして南北両アメリカで家畜のように売られていたことはよく知られています。米国では,醜い人種暴動がいまだにぼっ発しています。英国でも,西インド諸島やインド,および他の土地からの移民が特定の地区にあふれ,結果として人種間の緊張が高まっています。
人種的な優越感のためにアフリカやその他の場所で苦しんでいる人々は,自分たちがナチ政権下のドイツに住んでいたユダヤ人でなかったことを喜べるでしょう。今にして思えば,ローマ・カトリック教徒である指導者(ヒトラー)の下にあるキリスト教世界の国で,幾百万ものユダヤ人,スラブ系の人々などがその国籍ゆえに虐殺されたとは信じ難いことです。
キリスト教世界の一部となっている人々がそのような残虐行為に走る事実から,その宗教体制が純粋なものなのかどうかという疑問が生じます。それどころか,それは途方もないまやかしではないでしょうか。では,この世の宗教が真の兄弟関係に及ぼした影響を注意深く調べてみることにしましょう。
[5ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
政治は人類を分裂させる最も強い影響力の一つである
分割されたベルリン
フランス占領地区
イギリス占領地区
アメリカ占領地区
ソ連占領地区
東ドイツ
東ドイツ
ベルリンの壁
[5ページの図版]
幼い子供は生来の人種差別主義者ではない
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宗教は兄弟関係にどんな影響を及ぼしてきましたか目ざめよ! 1982 | 1月8日
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宗教は兄弟関係にどんな影響を及ぼしてきましたか
今日,宗教に対する信頼感は全般的に失われていますが,宗教が愛と兄弟関係を徐々に教え込むと信じている人は少なくありません。確かに,個人的なレベルでは,崇高な生涯を送った様々なタイプの宗教人がどの時代にも存在していました。しかし,この世の宗教全般について事実はどんなことを明らかにしているでしょうか。例えば,愛や兄弟関係とは正反対の戦争について宗教はどんな記録を残してきましたか。
極めて衝撃的な記録です。偽りの宗教が引き起こし,あるいは祝福した苦難や残虐行為や流血の記録はすさまじいものです。「信仰の時代」という本は,「聖戦」について次のように述べています。「中世のクリスチャンの十字軍ほど血なまぐさいものはない。……十字軍の兵士は……仲間のクリスチャンに対して強奪や略奪を働き,回教徒の敵に対しては信じ難いような残虐行為を働いた」。
西暦1208年,教皇インノケンチウス3世は,フランスの商人ピエール・ワルドの追随者から成るワルド派と呼ばれる宗派に対する特別な聖戦を組織しました。ワルドは僧職者階級のぜいたくを公然と非難していました。歴史家のH・G・ウェルズはこう述べています。同教皇の聖戦は「ちまたをうろつくならず者すべての入隊を[よしとした。]……フランス王の平和な臣民の大半に火と剣と略奪と,考え得るあらゆる暴行をもたらすためである。この聖戦の残忍さと忌まわしさの記録を読むのは,異教徒によるクリスチャンの殉教のいかなる記録を読むより恐ろしい」。
この聖戦の一つの結果は,ドミニコ会士(兄弟会)の下に“聖異端審問所”が設置されたことでした。この点に関するH・G・ウェルズの注解は次の通りです。「こうしてヨーロッパの100か所の市場で,教会の高位僧職者たちはその敵対者たちの黒焦げの死体をながめていた……その敵たちは焼けただれ,痛々しくくずおれていたが,僧職者自身の人類に対する偉大な使命もその死体と一緒に焼けただれてくずおれ,ちりや灰と化していたのである」。
このような非人間的な振舞いとその他の虐待が16世紀初頭の宗教改革へと結び付いてゆきました。しかし,ほどなくして,プロテスタントもローマ・カトリック教会が幾世紀にもわたってしてきたのと同じように,政治に深くかかわるようになりました。そして1618年に,ドイツのプロテスタント信者とカトリック教徒の間に30年戦争がぼっ発しました。やがてそれはキリスト教世界の大半を巻き込み,「歴史上匹敵するものがほとんどないほどの狂暴な行為を伴う戦争になり……道徳的な特性は打ち砕かれ,それに代わって不品行が急激に増加した」のです。―H・フィッシャー著,「ヨーロッパの歴史」。
これらは過去に宗教が引き起こし,あるいは支持した数多くの戦争の簡単な記述の一部に過ぎません。では,今日ではどうでしょうか。
現代における宗教の記録
カトリック教徒とプロテスタント信者の間の激しい敵意が幾世紀にもわたってアイルランドを悩ましてきました。北アイルランドにおける暴力行為は近年,双方の側に大きな不幸をもたらし,人命を奪うものとなってきました。国家主義と政治にかかわってきたため,諸教会はこの苦しみの大半の責任を直接負っています。
また,中東は今日に至るまで,宗教が火種になっている紛争の中心地となっています。長期にわたって,レバノンでは“クリスチャン”と反“クリスチャン”の諸勢力が殺し合いを演じており,その流血はやむことがないようです。インドでも,1947年に英国が撤退し,同国の様々な非キリスト教分子が互いを恐ろしい方法で虐殺し,やはり同じようなことが起きました。
宗教が主要な役割を果たしているこうした紛争,及び他の様々な紛争に関する諸事実は一般に広く知られています。しかし,問題に関係しているのは世界の大宗教だけではありません。小さな教団も例外ではないのです。特にそのうちのある教団は,1978年に世界中を恐怖の衝撃波で震え上がらせました。ジョーンズ“師”なる人物の弟子約900人がその指導者に扇動されてガイアナで集団自殺を遂げたのです。
しかし,それも第一次および第二次世界大戦中に起きた事柄と比べれば小さな悲劇になってしまいます。これらの戦いの期間中,幾百幾千万ものキリスト教世界の成員やユダヤ教徒,仏教徒,ヒンズー教徒などが互いに膨大な数の人命を奪い,不幸をもたらしました。ところが,戦いのどちらの側にいる僧職者たちも神の祝福を祈り求めていたのです。
この世の諸宗教が真の兄弟愛を促進する力としての役割を果たし得なかった理由は,次の根本的な誤りから出ています。それは,神がそのみ言葉聖書の中で述べておられる事柄を行なう代わりに,人間の指導者とその考えに従うよう人々を導いてきたという誤りです。―ヨハネ 12:43。
ですから,そのようなこの世的な宗教が真の宗教であるはずがありません。霊感を受けた聖書筆者ははっきりとこう述べています。「父なる神のみまえに,清くけがれのない宗教の行ないとは,貧しい孤児とやもめを見舞い,世の汚れにそまず,自ら清く保つことである」。(ヤコブ 1:27,バルバロ訳)この言葉には愛と兄弟愛の精神が息づいています。しかし,一方,不純な偽りの宗教の引き起こした武力行為や迫害のためにやもめや孤児にさせられた幾百幾千万もの人がいることを考えてみてください。しかもそれは,そのような宗教が『世の汚れに染まった』ためなのです。
そうであれば,キリスト教世界の諸教会が主要な部分を占めている偽りの宗教によって,真の世界的な兄弟関係が確立されるのを見るという希望は決してないことが明らかになります。諸教会は幾世紀にもわたってそのための権力を握り,その機会に恵まれてきました。ところが,その結果として存在する世界は犯罪とテロと戦争に苦しみ,政治や国家主義,人種的優越感,そして幾千もの宗派などでひどく分裂した世界なのです。
では希望はないのでしょうか。事態が非常に悪いので,人間同士の兄弟関係は単なる夢に終わってしまうのでしょうか。「なぜ」と題する流行歌の次のような物悲しい歌詞に同意する人は少なくないことでしょう。「だれかが人間同士の兄弟関係を築くためのプランを失い,もはやだれもそれを見付けようとはしない」。
しかし勇気を出してください。「人間同士の兄弟関係を築くためのプラン」は決して失われてはいないのです。事実,人類を兄弟関係で結ぶための中核はすでに形造られているのです。
[7ページの図版]
「聖戦」は神に多大の非難をもたらした
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兄弟関係の模範目ざめよ! 1982 | 1月8日
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兄弟関係の模範
西暦33年の春のある寒い晩のことでした。男性の小さなグループがエルサレムに集まり,食卓に着いていました。その指導者イエス・キリストは33歳になる男性で,情け深く,果断で,威厳がありました。イエスは追随者に肝要な教訓を与えていました。このグループは人類の真の兄弟関係の最初の中核となったからです。
そのグループには温かい愛の精神が漂っていました。イエスは自分の死期が近いことを知ってはいましたが,自分のことで心配してはおられませんでした。むしろ,弟子たちと共にするこの最後の夕食の機会を冷静かつ愛ある仕方で利用し,励ましと教訓を与えました。―ヨハネ 13-17章。
謙遜さと仕える態度
イエスはしばしば言葉だけではなく,行動によって教えました。このとき,イエスは突然水の入ったたらいとふき布を取って,一人一人の足を洗い,弟子たちを驚かせました。
しかし,ペテロは,「わたしの足をお洗いになることなど,決してあってはなりません」と言って足を洗わせまいとしました。しかし,イエスはペテロを正し,忠実な弟子たちの足を洗ってから,「わたしはあなたがたのために模範を示しました」と説明しました。―ヨハネ 13:8,15。
イエスは真の兄弟関係の模範を示していたのです。謙遜で,愛のある精神,およびどれほど卑しく不快な務めであっても,偏ぱなく喜んで仕える態度を示されたのです。―ヨハネ 13:1-17。
愛と一致
その晩に,イエスが弟子たちと話し合った主な話題は何でしたか。それは人間同士の真の兄弟関係のしるしである愛,つまり純粋の兄弟愛です。イエスが,「あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」と言われた通りです。(ヨハネ 13:35)これこそ真の宗教であるかどうかをテストする決定的な手段です。
キリスト教世界の諸教会はそのテストに首尾よく合格しますか。世の諸宗教はどうですか。決して合格しません。「カエサルの」国家主義的な戦争で殺し合うことを会員に勧めている諸宗教がどうしてこのテストに合格できるでしょう。
真の愛は家族内にも地域社会にも一致を醸し出します。ですから,その記念すべき晩にイエスの取り上げた別の話題が一致であったのは筋の通ったことです。イエスは弟子たちが『一つになる』よう祈りました。(ヨハネ 17:11,20,21)後日,使徒パウロも同様にこう書いています。「愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。(コロサイ 3:14)そうです,真の兄弟関係は一致したものでなければならないのです。
この点で,キリスト教世界の状態は実に惨めなものです。南アフリカだけでも,自らを非常に敬虔であると唱える教会組織や宗派などが少なくとも4,000あるのです。キリスト教世界が兄弟関係で結ばれておらず,お話にならないほど分裂している事実だけでも,それがキリスト教のものではないことの証拠となります。それゆえ,クリスチャンであると自称する人はみな,「内部で分裂している家は倒れます」というイエスの警告を至極真剣に考慮すべきです。―ルカ 11:17。
だれがその兄弟関係を支配するのか
しかし,『謙遜さと愛と一致に関するこの話はどれも立派なことのようだが,だれがそのような兄弟関係を支配するのか』と言われるかもしれません。それはもっともな質問です。
姉妹たちをも当然含む兄弟関係は“家族”関係なので,完全な支配を行使し,“子供たち”の愛ある敬意を勝ち得る“父”が必要です。それはだれですか。カエサル,ヒトラー,スターリン,などのような人物ですか。法王でしょうか。そのような人間の“父”による支配の結果そのものが答えとなっています。聖書の指摘するように,「自分の歩みを導くこと(も)……その人に属していません」。―エレミヤ 10:23,新。
ですから,真の兄弟関係の“父”は天的な方,全能の神でなければなりません。真の兄弟姉妹になるには,この父を認め,その方に服することが絶対必要です。
この点で論理に合わない事は少しもありません。神は目に見えませんが,引力や電気など目に見える結果を生む多くの強い力も目に見えません。星雲から原子まで人間の周りにある整然とした驚くほど複雑なものすべて,この言葉を今読むために使っている目をはじめとする精巧で複雑な人体の各器官すべては,無限の力と知恵を備えた造り主の存在を示しています。―詩 19:1,2; 139:14。
創造の声を千倍にも増幅しているのは聖書の声です。霊感を受けた聖書の預言はすでに真実となっているか,現在成就しつつあります。そこには現代に対する真の希望のすばらしい音信が収められています。天のみ父の目的と善良さが明らかにされているからです。
16億㌔aも宇宙のかなたにある宇宙船を誘導することが人間にできるなら,全能の神にとって地球上のご自分の僕を導くのは簡単なことに違いありません。しかも神には,ご自分の活動力つまり聖霊のような,ご自分の思いのままになる目に見えない強い力があり,それと比べれば人間の取るに足りない力など無に等しいものです。
真の兄弟関係を築こうとする努力が数多く払われながらそれらが失敗してきた主な理由は,エホバというみ名を持たれるこの父を認め,その方に謙遜に服そうとしなかったことにあります。他の諸宗教の場合同様,キリスト教世界の大部分でも,霊的な意味での父への敬意は神からそらされ,人間に向けられています。
み父とみ子を知って本当に愛し,お二方に愛されるようになることが,“兄弟”“姉妹”になる方法であり,永遠の命への道でもあるのです。その歴史的な晩にイエスがご自分の兄弟たちに語られた通りです。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。
地の新しい支配者
『イエスは取るに足りない弟子たちを実際に「兄弟たち」と呼んだのだろうか』と尋ねる向きもあるでしょう。ところがそうなのです。ある日,イエスが一群の人々に話していたときにイエスの母親と肉親の兄弟たちが会いたがっていると告げる人がいました。それに対して,イエスは「わたしの母とはだれですか。またわたしの兄弟たちとはだれのことですか」と述べ,弟子たちの方に手を差し伸べてこう言いました。「ご覧なさい,わたしの母とわたしの兄弟たちです! 天におられるわたしの父のご意志を行なう者がだれでも,その人がわたしの兄弟,また姉妹,また母なのです」― マタイ 12:46-50。
ですから,キリストは全世界的な兄弟関係の“長兄”と言えます。キリストを通して神は罪と死への奴隷状態から人類をあがなわれるのです。―マタイ 20:28。
しかし,現在イエスの担う重要な役割は,地上におられた当時よりはるかに大きくなっています。イエスは今や地の新しい支配者なのです。この朽ち果てようとする古い世の支配者ではありません。その古い世はイエスの述べる通り,実際にはサタン悪魔が支配しています。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」― ヨハネ 18:36。ルカ 4:5-8。
神の政府
この王国とは,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」と述べて,イエスが追随者たちに祈り求めるよう教えた神の政府です。(マタイ 6:10)それは聖書全体の主な論題で,キリストの主立った教えでもありました。
こうした事実にもかかわらず,教会の指導者はめったに王国政府に言及しません。歴史家のH・G・ウェルズはこの点に注目し,こう書いています。「イエスが,自ら天の王国と呼んだ事柄に関する教えを大いに際立たせたのに対し,ほとんどのキリスト教の教会の活動や教えの中でそれが比較的重要視されていないのは注目すべき点である」。
キリストを支配者とする神の天の政府は,間もなく地上から腐敗や邪悪な行為を一掃し,人間による現在の諸政府すべてを終わらせます。預言者ダニエルはこの点を次のように予告しています。「天の神は決して滅びることのないひとつの王国を建てられます。……それはこれらの[この世の]すべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」― ダニエル 2:44,新。
それは,「全能者なる神の大いなる日の戦争」つまりハルマゲドンの戦いが行なわれる,「世の終わり」に起きる事柄です。(イザヤ 34:2。啓示 16:14-16)では,人類が全滅するのでしょうか。そうではありません。霊感を受けた詩篇作者はこう答えているからです。「悪を行なう者たちは断たれる。しかしエホバを待ち望む者たちは,地を所有することになる(の)である。……柔和な者たちこそ地を所有し,豊かな平和にこの上ない喜びを見いだすのである」― 詩 37:9-11,新。
この「柔和な者たち」また「エホバを待ち望む者たち」とはだれですか。それは,ハルマゲドンを生き残り,神の政府の下にこの地に楽園が再建されて神のご意志が天で行なわれているように地にも行なわれるようになる時に楽園を享受する,人類の真の兄弟関係を形造る人々です。―啓示 7:9-17。
これは輝かしい見込みではありませんか。キリストのような世界支配者の下で生活するのは実に大きな特権です。キリストは非常に親切で謙遜で,公正と憐れみに満ち,わたしたちをよく知っておられるので人類のことを本当によく理解してくださいます。そして,今日支配しているマキアベリ学派の政治家とは全く異なった方となられます。兄弟姉妹から成る世界的な家族と共に生活し,共に仕え,「豊かな平和にこの上ない喜び」を見いだすのは何と心地よいことなのでしょう。
しかし,次のようにお考えになるかもしれません。『でも,そのような真の兄弟関係は今日本当に存在するのだろうか。それは本当にうまくいくのだろうか。もしそうであれば,だれがそれを構成しているのだろうか。どこにその人たちを見いだすことができるだろうか』。
[脚注]
a 米国の宇宙船ボイジャー1号は正確に誘導され,ほぼ16億㌔離れた惑星,土星の周りを回りました。
[9ページの図版]
真の兄弟関係の初期の中核
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今日見られる人間同士の真の兄弟関係目ざめよ! 1982 | 1月8日
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今日見られる人間同士の真の兄弟関係
第二次世界大戦の終わりに,クリスチャンの兄弟関係の際立った実例が見られました。
ベルリンにほど近いドイツの強制収容所,ザクセンハウゼンには興奮と不安がみなぎっていました。1945年4月のことです。連合軍は西から,ソ連軍は東から進攻して来ていました。
しかし,ナチの指導者たちは同収容所の2万6,000人の収容者を殺すつもりでいました。診療所にいる病人は殺害し,残りの者たちを海港のリューベックまで行進させ,船に乗せてそれらの船を海に沈めるというのがそのサタン的なたくらみでした。
そこを出るようにとの命令が下された時,収容者たちは国籍別に集められましたが,六つの異なった国籍の人から成る一グループだけは別でした。このグループには献身したクリスチャンたちと,収容所内でその信仰を受け入れた36人ほどの人が含まれていました。
これらのクリスチャンたちは診療所にいた自分たちの霊的な兄弟たちを命懸けで救い出しました。それから,収容者たちと親衛隊の監視兵とから成る長い列が出発してゆきました。すでにソ連兵の銃声が聞こえていたので,監視兵たちは急いでいました。雑草や木の根や木の皮以外にはこれといった食物もなしに,一行は幾日も行進しました。疲れ果てて倒れた者はだれかれ構わず監視兵によって残酷な仕方で射殺されました。事実,その途中で1万700人が死亡したのです。その理由で,それは「死の行進」と呼ばれました。
しかし,そのクリスチャンのグループにいた者たちは絶えず互いに助け合い,強い者は弱い者を支えました。そのグループの中にいた一人の人はこう述べています。「クリスチャンの愛と団結のおかげで,道端に取り残されて親衛隊に殺された人は一人もいませんでした」。12日間の恐ろしい日々の後に,監視兵たちは逃げ去りました。
このクリスチャンたちはだれでしたか。エホバの証人でした。この人たちが真の兄弟関係のしるしを有していることを否定できる人がいるでしょうか。しかし,この人々とイエスの死の前夜にイエスと共に集まっていた小さなグループとの間にどんな関係があるのでしょう。
模範に従う
今日真の兄弟関係を結ぶ人々はイエスとその弟子たちの残した模範に従わなければなりません。例えば,1世紀当時兄弟関係にあった人々の戦争に対する態度はどのようなものだったでしょうか。
3世紀のクリスチャンの著述家オリゲネスは,「我々はもはや『国民に対する剣』を取ることも,『戦争を学ぶこと』もしない」と書いています。(イザヤ 2:2-4)また,W・W・ハイドは自著,「ローマ帝国での異教からキリスト教への変遷」の中でこう述べています。「最初の3世紀間……クリスチャンは,ローマ軍に入って専門の殺し屋として軍務に服することを拒んだ」。その同じ理由で,第二次世界大戦中エホバの証人はナチの死の収容所に入れられたのです。証人たちはヒトラーの軍隊に入ることを拒みました。
1世紀のクリスチャンの兄弟関係に見られた別の模範は司祭や僧職者がいなかったことです。円熟性と霊的な特質を備えた古い兄弟たちが教えたり組織したりする業に携わりました。(テトス 1:5-9)a それでも,その人たちは兄弟であって,“父”ではありませんでした。イエスはこう述べておられます。「あなた方はみな兄弟です。地上の者を父と呼んではなりません。あなた方の父はただお一人で,天におられるからです」。(マタイ 23:8,9,エルサレム聖書)ペテロは自分の仲間の年長の兄弟たちに特に,『神の民に対していばる者』にならないよう訓戒しています。―ペテロ第一 5:1-3。
ですから,本来のクリスチャンの兄弟関係の存在したその当時,イエスの弟子たちは,“師”,“尊師”,“モンシニョール”(我が主)あるいは“神父”のようなおこがましい称号を用いませんでした。「古代ローマの世界」という本の中で,ジョン・ロードは,初期クリスチャンたちは「互いを兄弟,姉妹と呼んだ。……彼らの間に差別というものはなかった」と述べています。同じように今日のエホバの証人の間にも,僧職者と平信徒の区別はなく,おこがましい称号もありません。すべてが,“兄弟”また“姉妹”で,年長の霊的に円熟した男子が他の人々に仕える点で率先しています。
イエスはご自分の追随者たちに,彼らが激しい迫害に遭うことをも告げました。これには政治指導者の手によるものだけではなく,世の一部となった宗教指導者たちの手によるものもあります。イエスは次のように述べています。「あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。……あなたがたを殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています」― ヨハネ 15:19; 16:2。
世の一部にならないために,現代において世界的な迫害に遭ってきたのはだれでしょうか。エホバの証人です。例えば,1933年にヒトラーはドイツから彼らを根絶しようとしました。エホバの証人がヒトラーのナチ党をも,ヒトラーの戦争をも支持しようとしなかったからです。そして,人類の唯一の希望として来たるべき神の王国政府を宣べ伝えることをやめようとしませんでした。ある時,ヒトラーはヒステリックな声で,『このやからをドイツからまっ殺してやる!』と叫びました。幾千人ものエホバの証人が逮捕され,大勢の人が強制収容所で死の憂き目を見ました。
しかし,やがてヒトラーとそのナチ党はまっ殺されましたが,エホバの証人はまっ殺されませんでした。今日,ドイツ連邦共和国だけでも,約10万人のエホバの証人がいます。世界中のエホバの証人の諸会衆にいる王国の良いたよりの活発な伝道者の数は220万人以上に上っています。
今日の兄弟関係を識別する
言うまでもなく,今日の真の国際的な兄弟関係を識別するしるしになるのは人数ではありません。他の多くの宗教と比べれば,エホバの証人の数は決して多くありません。イエスはこう言われました。「命に至る門は狭く,その道はせばめられており,それを見いだす者は少ないのです」― マタイ 7:14。
すでに挙げたわずかな例に示唆されているように,今日のエホバの証人はこの型に当てはまっているでしょうか。無数にある宗派や宗教のうちどれが本来のクリスチャンの兄弟関係を備えているかを識別する導きとして左の欄のわくの中をご覧になってください。そこには,その兄弟関係の基本的な原則が幾つか挙げられています。聖書の記述に適合するのはどれであるか,ご自分で確かめてみてください。
他の人々の述べている事柄
イエスが述べたように,エホバの証人を中傷する人は少なくありませんが,中傷する人ばかりだというわけではありません。エホバの証人ではない人々の目を通してこれらのクリスチャンたちを見てみることにしましょう。
モザンビークで,エホバの証人はその政治的に中立な立場のゆえに激しい迫害に遭ってきました。しかし,カトリックの一修道女はカトリック系のポルトガルの出版物に次のように書いています。「現在[1978年]のところ,マラウィとモザンビークのエホバの証人2万5,000人が共に,[モザンビーク]に設営された“グラック”と呼ばれる再教育のための新しい[強制]収容所に収容されているのである。……証人たちは称賛に値する。……私たちすべてが,正にエホバの証人がしているように,どんな犠牲を払おうとどんな理由があろうと,二度と武器を取りあげないと固く決意する朝を迎えるなら,世界はどんなに違ってくることだろう」。
アフリカのエホバの証人の全般的な振舞いについて,ロンドンのデーリー・テレグラフ紙は次のように伝えています。「エホバの証人はアフリカ全土で,自分たちが高い道徳律を守る,品位と秩序のある市民であることを示してきた。……アフリカ社会の特徴である乱交や一夫多妻など,証人たちの間では全く考えられないことである。同派は,倹約,時間厳守,正直,従順の習慣を人々に植え付けている」。
英国のオックスフォード大学の教授,ブライアン・ウィルソンは日本のエホバの証人の「最近の急激な増加」について研究し,次のように書いています。「証人たちは,結婚関係,道徳上の問題,子供の教育,その他の日常的な問題について……広範にわたる実際的な助言を与えている」。ウィルソンはそうした日本人の多くに,エホバの証人のどこに引かれたかを尋ねました。それに対する答えには次のようなものがありました。「証人たちの親切な態度」。「宗教特有の形式尊重主義的なにおいや誇示するようなところがない」。「これほど柔和な人がいることを知って驚いた」。「その組織の一致に感銘を受けた」。「エホバの証人の間に見られる愛と温かさ」。
スペインでは,オハ・デル・ルネス・デ・ヒホンという出版物の一記者が1万人以上のエホバの証人が集まったヒホン市での大会について次のように伝えました。「エホバの証人はその市民としての立派な行動によって私に感銘を与えた。……もしヒホン市全体がエホバの証人の信仰に改宗するなら,ヒホン市は世界で最も清潔で,最もきちんとした都市になろう」。
米国ルイジアナ州ニューオーリンズでエホバの証人の大規模な大会が開かれた時,ステイツ・アイテム紙は次のように報じました。「老若入り混じった白人と黒人のエホバの証人が,五日間にわたって学び,経験を共にするために参集したルイジアナ・スーパードームでは,兄弟愛がみなぎっていた。……証人たちの間には人種差別の問題……がない」。
実際的な援助
メキシコでは数年前,激しい反目のために生命が軽んじられ,その結果,二つの村が事実上戦争状態にありました。警察はその問題を解決できませんでした。ところが,一家族がエホバの証人と聖書を研究するようになり,他の人々がそれに続きました。するとほどなくして,その村に住む人々の大多数は自分たちの武器を売り,その代わりに聖書を買ったのです。その地区に平和が戻ってきました。これは,「彼らはその剣を鋤の刃に……打ち変えなければならなくなる」という古代の預言の現代における小規模な成就でした。それは神の王国の下で全地球的に生じる事柄の前触れです。―イザヤ 2:2-4,新。
これは,飲酒・麻薬・離婚・うつ病そのほか数多くのありとあらゆる種類の問題を抱える人々にエホバの証人が実際的な援助を与えた例として引き合いに出せる,無数の出来事の一つに過ぎません。これは主に,聖書研究に加え,誠実な援助と励ましを,その恩恵に浴する人に無償で与えることによって行なわれています。
「単なる夢」ではない
イエスは,「その実によって」真の兄弟関係を「見分けるでしょう」と言われました。(マタイ 7:16)その「実」は,人類の真の兄弟関係が「単なる夢」ではなく,むしろ現代において現実となっていることを証明しています。
エホバの証人は世界中の200以上の国々に,たとえ初対面でも愛のこもった仕方で迎えてくれる真の兄弟や姉妹たちを見いだすことができます。そして,この兄弟関係を打ち砕こうとするありとあらゆる努力が払われていることを考えると,それが世界中で繁栄しているのは正に現代の奇跡と言えるでしょう。しかし,これは神の行なっておられる事柄です。『神の道はわたしたちの道より高い』からです。―イザヤ 55:9,新。
こうして,不可能と思える事柄が実際に起きています。キリストとその弟子たちの残した模範通りのことが今日正に行なわれているのです。もちろん,完全にその通りのことが行なわれているわけではありません。初期クリスチャンが完全にその通りのことを行なえなかったのと同じです。神の王国の下でしか完全には行なえません。しかし,今日起きている出来事にはいつの日か全地を満たす人々の社会の実際の中核を成すものが関係しています。―イザヤ 11:9。ペテロ第二 3:13。
確かに,歴史上の諸事実,聖書の要求を満たす事柄および聖書の預言の成就は,デンマークのコペンハーゲン市の一社会事業家の語った言葉が真実であることを示しています。その人はエホバの証人がお年寄りに対して示す立派な援助に注目し,こう述べました。「僧職者と交渉する時には,とてもがっかりさせられます。あなたがたは,世界的な唯一の兄弟関係を有しています。あなたがたの伝道する際の勇気には感心させられます。立派な業を続けてください」。
今日の幾百万もの人々はこうした意見に同意します。そして,地の難儀すべてが過去のものとなり,神がこの地の新しい秩序にご自分の祝福を注がれる時が間もなく訪れるのを一致して待ち望んでいます。その時,真の兄弟関係を本当に望んでいる人々すべては,今日ではとても想像できないような平和と繁栄と幸福を享受するでしょう。―啓示 21:4。
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