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人種上の変異があるのはなぜか目ざめよ! 1973 | 5月8日
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そのうえ,時たつうちに,北極圏の地理や,エスキモーのために生活上の必需品の多くを供する動物の習性に関する貴重な知識を得ました。
しかし,エスキモーは遺伝的な高度の新陳代謝によって寒気から保護されているのではありませんか。そうではありません。エスキモーの新陳代謝は時には,その寒い環境の中にやって来る他国人のそれよりも三分の一ほど旺盛な場合もありますが,それは遺伝的なものではなく,事実上栄養によるものなのです。彼らがいつも食べているたん白質の多い食物を除くと,エスキモーの新陳代謝の速度は何日もたたないうちに低下します。
このことや,一見「先天的」と思える他の適応能力に関して,進化論者,J・F・タウンズとH・K・ブレイブトルは「人間の変異」(1969年)の中で次のように述べています。
「エスキモーは寒気に対処する数多くの文化的な方法を開発してきた。…その幅の狭い鼻,またシベリヤに住む近隣のある民族の同様の幅の狭い鼻は,冷たい空気を大量に肺に入れるのを避けるための適応形質と呼ばれてきた。が,同程度の寒い気候のもとで生活しているある民族にはそうした特徴がないことからすれば,その適応形質としての重要性は単なる想定にすぎないと言えよう。同様に,アフリカ・オーストラリア・ニューギニアの人びとにしばしば見られる幅の広い鼻は,空気を冷やす方法の一つと言われているが,オーストラリアの多くの場所では夜は非常に寒く,またニューギニアの高地では非常な高温になることは決してない。アフリカの場合,おきまりの人種一覧に目を通すと,鼻の広さにもいろいろあることがわかる。……それで,一般的に言って,寒気に対する生物学的適応形質とされるものは十分理解されてはおらず,そうしたものが確かに存在する場合でも,それは一時的・生理学的調整形質と考えられており,自然選択によって進化して生じた遺伝学的変化ではない」― 201-203ページ。
しかし,皮膚の色についてはどうですか。それは進化してそうなったので,それゆえに,たとえば,黒人のほうが熱帯地方によりよく適応するのではありませんか。ロンドンの医学者で生物学者であるアレックス・カムフォートの次の答えに注目してください。
「有色人種の皮膚は適応性を有する,あるいは有していたと想像する場合があるが,褐色にならずに日焼けする白人を除けば,熱や日光にあたるさい,有色人種だから著しい利点もしくは不利な点を持っていると思われるような人種は今日存在しない。唯一の例外は,太陽にさらされる人体の種々の部位に関して,黒ずんだ色の皮膚をした諸民族の場合,皮膚ガンに対する抵抗力が多少大きいということである。このことや,彼らが日焼けをしても,ひどいめにはあわないということを別にすれば,環境に適応した白人と比較して,暑さに立ち向かう上でニグロには非常に有利な点があるなどとは言えない」。
しかしながら,熱帯地方に到着したばかりの白人は多くの場合,特異な生活様式やその土地のさまざまな病気などのために確かに問題に直面します。一方,土着の人びとは,その土地の生活の仕方に完全に適応しているので繁栄できます。
神の目的と人種
人間の造り主であるエホバは,人間にはすばらしい,遺伝的・文化的可能性があることを確かにご存じです。元々エホバは,人間が各地に広がって地に満ちることを意図されました。表明された神の定めに反して,人間がバベルの塔の周辺に集中しようとしたとき,神は人びとの言語を混乱させたので,人びとはとにかく全地に散らされました。―創世 9:1,2; 11:1-9。
したがって,人びとは四散し,ある場合には相互に孤立させられたので,遺伝による相違が現われました。しかし,人間は環境に慣れるよう自らを訓練する能力,つまり文化的適応力を持っているので,事実上この地上のどこにでも定住できました。
また,神の偉大な摂理にしたがって,そうしたさまざまな「人種」の人びとがどこへ行ったにしても,やがて人間に対する神の目的について学ぶことになっていました。それは使徒パウロが次のように簡潔に述べたとおりです。
『[神は]一人よりして諸種の国人を造りだし,これを地の全面に住ましめ,時期の限りと住居の境とを定めたまえり。これ人をして神を尋ねしめ…んためなり』― 使行 17:26,27。
今日およそ208の土地や海洋の島々で「神を尋ね」ている人びとが,神の目的についてエホバの証人から教えを受けています。それら証人たちのクリスチャンとしての純粋な国際的兄弟関係についてお聞きになったことがありませんか。また,彼らの間には人種差別がないということについてもお聞きになりませんでしたか。では,『救いは御座に座したもう我らの神と小羊とにこそあれ』と大声で呼ぶ,『〔あらゆる人種〕・族・民・国語のうちより(の),たれも数えつくすことあたわぬ大いなる群衆』のひとりになるにはどうすればよいかを,それら証人たちからお聞きください。―黙示 7:9〔バイイングトン訳〕。
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看護婦になるとはどういうことですか目ざめよ! 1973 | 5月8日
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看護婦になるとはどういうことですか
「目ざめよ!」誌編集者に語られた体験
私は西インド諸島のジャマイカに生まれ,1940年代の後半に,そこで看護婦になりました。それはまだ私が10代の時でした。ですから私は24年間,ジャマイカとアメリカで看護婦をしてきたことになります。
私は何千人もの,ありとあらゆる病気の患者を看護してきました。手術室の中でも働きました。事故でずたずたになった人の世話もしました。また,死んでゆく人たちを慰めることや,その他看護婦に与えられている数々の仕事をし,病人の看護につきもののいく多の哀歓を経験しました。
「どうしてこの職業を選んだのですか。私なら看護婦にはとてもなれない」とよく人から言われます。「看護婦になるには生まれつきその素質がなければだめだ」という人もあるでしょう。しかしそうでしょうか。
むずかしい仕事
良い看護婦になるには,相当の教育と訓練が要求されます。また勇気と,仲間の人間を助けたいという意欲も必要です。伝染性の病気にさらされますから健康の管理も重要です。しかし,良い看護婦というのは,患者に対してとりわけ同情心が深く,患者の必要を満たすために自分の身をいとわない人です。
とはいえ,言うはやすく,行なうはかたいものです。看護婦にしてみれば,毎日毎日が,そして来る週来る週が,病気に苦しむ人や,時にはひん死の病人の世話の明け暮れです。そのために気が強くなって,患者が困っていてもそれに無関心になる恐れがあります。しかし,そうなるまいと思えばならずにすみます。患者の状態に深い同情を寄せる看護婦もたくさんいます。
私も数年前に,ニューヨークのブルックリンにあるカーソン・ペック・メモリアル病院で看護した,ひとりの若い患者を思い出します。その人はまだ36歳そこそこのやさしい人でした。3年ほど前にその人は,がんで乳房を切除してしまいましたが,再びがんの手術を受けました。見たところ病人だとは思えませんでしたが,がんはからだ中に広がっていました。
私はその人にほんとうに同情しました。というのは,その人の生きようとする意志は非常に強かったからです。その人は自分が死ぬということ
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