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    ものみの塔 1955 | 7月1日
    • という約束をもつものである。あなた方,父たちよ,自分の子供をいらいらさせてはならない。ヱホバの懲しめと権威ある助言に従つて子供を育てなさい。』献身している両親を持つ子供たちは地上で長生きをし,新しい世で永遠に生きたいならば両親の述べる『ヱホバの懲しめと権威ある助言』に注意を払わねばなりません。両親よ,しつかりとして,かつ愛のある仕方でこの懲しめと助言を与えなさい。いらいらさせたり,じらしたりする仕方で与えてはなりません。―エペソ 6:1-4,新世。

      19 青少年は大人をどう見るべきですか? 大人は子供たちをどう見るべきですか?

      19 むかしの青少年は,年を取つたものに尊敬の気持ちを持ちましたが,この苦しい時および広範囲な青少年犯罪の終の時代では,一般の青少年は尊敬を侮蔑に取り替えたように見えます。そして,老人をずつと時代遅れの旧弊な人のように見下します。しかし,長い年月研究し,かつ経験を重ねることにより,年を経るにつれて智恵と判断の円熟力が得られるということを神権的な青少年は忘れません。エリシヤの時代の悪い子供たちのようではありません。その子供たちは,神の予言者を年取つた『禿頭』と嘲笑して,馬鹿にし,ついには悲しい結果に会つたのです。神権的な青少年は次の聖句を憶えています。『老たる者の中には智恵あり,生命長き者の中には悟りあり。』(ヨブ 12:12。列王紀略下 2:23,24)また一方,両親は子供を重荷のように見ず,機さえあれば遠のけてしまおうなどと考えてはなりません。また子供は人に見られるもので,話をするものではないなどと考えてはなりません。子供たちは,話をする者になるよう育てられ,ヱホバ神の讚美を語るよう教えられるべきです。ヱホバは子供たちをも御自分の奉仕に加らせ,制度の取極めを通して宣教学校のような会衆の事柄に子供たちを入れさせるようにし,かつ両親に命じ,絶えず注意を払つて,子供たちに聖書の真理を教えるようにと述べておられます。両親は,自宅や,集会や,御国奉仕で子供たちの世話を見ますが,他の者は時折り両親を助けるでしよう。大人は,ヱホバが地上の子供たちを取り扱う仕方と同じ仕方で青少年を取り扱い,また青少年は,御旨にかなう人が天的父に捧げるのと同じように,うやうやしい従順を献身した大人に示すべきであります。

      20 どんな一般的な助言が与えられていますか?

      20 家族の各員は,おたがいに尊敬して,見下すことをしてはならず,ある程度の尊厳を認め合うべきです。矯正することが必要なとき,矯正を受けても感謝の気持を抱かせる仕方で矯正しなさい。友人の前や,一般公共の前で,露骨に叱られたいと思いますか? 自分の結婚配偶者にそんなことをしてはなりません。小さなこまかな過ちについて,とやかく言われてじらされたいですか? そのような具合で,自分の子供をじらしてはなりません。両親の方々,自分の子供を矯正するとき,その矯正はいつも一致していますか,それとも矛盾する矯正をしますか? それぞれの気質,変化する気分,動揺している気持の状態を酌量いたしなさい。感情の嵐が吹き出ていると思えるとき,忍耐と節制を思い出しなさい。けんかを止める時は,けんかの始まる前です。その方が易しいものです。何時止めるかを知る代りに,始めないということを充分良く知りなさい。夫はいやなことでもこまかいことなら見過すべきであり,妻は不平の気持を高じて,小言を言つてはなりません。小言を言う妻は,助け手というよりも,むしろ妨げをする者であり,そして聖書は,意地の悪い言葉をたえずぶつぶつ言う事を雨漏にたとえています。『妻の相争うは雨漏のたえぬにひとし。』『相争う女は,雨ふる日に絶えずある雨漏のごとし。これを制うる者は風をおさうるがごとく,右の手に油をつかむがごとし。』分別の心を持つて論理正しく,矛盾することなく一致して,まつたく温順であり,すぐに人のあやまちを許し,そして物事が良くなされたときは,いつでも褒めなさい。―シンゲン 19:13; 27:15,16。

      21,22 規則よりも,どんな導きの方が良いものですか? そして特にどんな導きですか?

      21 簡単に言えば,愛と憐みを示しなさい。自分の事をあまり過大視せず,機智<ユーモア>を働かしなさい。そうすれば針小を棒大にするのを防ぐばかりでなく,棒大を針小にすることができます。多くの規則はつくられましよう。しかし,すべての場合に適用する充分の規則をつくるならば,おびただしい程多くの法典集<タルムード>をつくりあげるでしよう。それは私たちの目的ではなく,又必要のものでありません。それは失敗します。法典集<タルムード>のような規則をつくつて,それに従うことは必要でなく,むしろ導きとなる原則を反復して教える必要があります。家族の一致という場合ですと,主としてひとつの原則,すなわち愛の原則が必要です。自分自身を愛すように他の者を愛しなさい。自分自身に対するように他の人にも親切と思い遣りを持ちなさい。自分自身になすごとく,他の人の弱さをも快く見逃しなさい。私たちの多くの過失や罪は,他の人にとつて堪え難くなり,また他の人の過失や罪も私たちにとつて堪え難くなります。しかし,『愛は多くの罪を覆う』と聖書は言つています。罪や欠点がたとえおびただしく多くても,愛はそれをおおい,そしてうらみをいだきません。自分の罪をかくすため,自分自身に愛を持つように,人々の罪をおおうため他の人にそのような愛を持ちますか? そのような愛は,あなたの家庭に存在していますか? ―ペテロ前 4:8,新世。

      22 あなたの愛が,次の形容の言葉に匹敵するかどうかを見てごらんなさい。『愛は耐え忍び,感謝の心である。愛はしつとせず,誇らず高ぶらない。不作法をせず,自分の利益を求めない。怒ることがない。愛はうらみをいだかない。不義をよろこばず,真理によろこぶ。愛はすべてのものを堪え,すべてのことを信じ,すべてのことを希望し,すべてのことに堪える。愛は失敗しない。』本当に,その種類の愛にもとづく結婚は,失敗しないでしよう! もちろん,配偶者の両方は不完全である故に,多くの面で不十分なところもありましようが,この種類の愛によつて直すことのできない破れはありません! ―コリント前 13:4-8,新世。

      23 何が一致をもたらす愛の力を示しますか?

      23 あらゆるものにまして,ヱホバへの共通の愛は,家族を一致させるものです。その愛は,いまでも多くの国,人種,皮膚の色,言語,違つた社会,そして文化の背景から来た幾十万という人々を一致させています。このことをなすその驚くべき力に,この古い世は唖然としています。しかも,この古い世の政治陰謀や血塗みれの戦争の歴史は,みすぼらしい失敗を明瞭に語るものです。それで,人員も僅かで,その違いも少い家族を一致させる方が,はるかに易しいことではないでしようか? まつたくそうです。それで,ヱホバへの愛が多くの国や人種から来た幾十万という人を一致させるならば,この創造者に対する共通の愛によつて,家族社会を分裂しない状態に保つことは難しいものでありません。その愛により,多くの国の幾万という家族は分裂しておらず,さらに神の御言葉を討議したり,いつしよに研究し,群になつて会衆の集会に出席し,また野外奉仕で互いに崇拝することにより,家族の群をかたく結びつけています。ヱホバに献身することは,かたい一致と調和のうちに彼らを結合します。家族社会内の神権的な行為は,家族を分裂させません。なお,その行為は,すべての人のために,次のごとく概略されています。

      24,25 コロサイ書 3章13-21,23,24節より,どのような助言をうけますか?

      24 『たがいに忍びあい,もし互に責むべきことがあるならば,許し合いなさい。ヱホバもあなた方をおゆるしになつたのであるから,あなた方もゆるし合いなさい。これらのものの他に愛を身につけなさい。愛は一致の完全な絆である。また,キリストの平和が,あなた方の心を支配するようにしなさい。あなた方が一つの体に召されたのは,実にこのためである。感謝しなさい。キリストの言葉を,ゆたかにあなた方の中に宿らし,全き智恵にならせなさい。たがいに教えて励まし合い,詩と讃美を神にささげなさい。心の中に感謝しつつ,霊の歌をヱホバに歌いなさい。あなた方のするすべて,言葉でも仕事でも,すべてのものを主イエスの名によつて行いなさい。そして,彼を通して父なる神に感謝しなさい。妻たちよ,夫に従いなさい。それは主にある者にふさわしいことである。夫たちよ,妻を愛しなさい。つらくあたつてはならない。子供たちよ,なにごとにも両親に従いなさい。これは主によろこばれるものである。父たちよ,いじけさせないために,自分の子供をじらしてはならない。何をするにも,人にではなく,ヱホバに仕えるよう心から働きなさい。相続の正しい報いをいただくのはヱホバからであると,あなた方は知つているからである。あなた方は主キリストの奴隷である。』―コロサイ 3:13-21,23,24,新世。

      25 それで,寛容,平和,愛,霊的なこと,服従,従順,そして忍耐についてのこの実際的な助言を家族社会の内で適用しなさい。それでも,時折り難しくなるとき ― 実際にそうなるのであるが ― 心をこめてヱホバに仕えてなすごとくそれを行いなさい。ヱホバに仕えてなすごとく行つて,たとえ家族が感謝の気持ちを持たなくても,あなたはヱホバから報いをうけるでしよう。

  • 牧師は教区民を叱る
    ものみの塔 1955 | 7月1日
    • 牧師は教区民を叱る

      フランスのある工場で働くひとりのヱホバの証者は,証者ということのため,職工長から絶えず馬鹿にされていました。ある日,その教区の牧師は工場を訪問しました。職工長は,すぐさま牧師に呼びかけ,馬鹿にした態度で『異教のヱホバの証者があなたの前に立つていますよ』と言いました。しかし,牧師はこう答えました。『それは間違いです。ヱホバの証者は異教でありません。彼らは私たちのようにクリスチャンであり,ヱホバは神の御名です。彼らは強い信仰を持つているのであつて,ヱホバの証者を馬鹿にしてはいけません。』職工長は茫然とし,すぐにその場を去りました。牧師は若い証者に向きなおり,こう囁きました『私が伝道すると,労働者は私を信じない。金を得るために伝道していると彼らは言う。しかし,あなたは彼らに話すことができる。あなたは同じように労働者であり,彼らはあなたの言葉を聞く。』ついでですが,その日以来,職工長は,その証者を馬鹿にしなくなりました。

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