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  • 諸国民は私たちの呼ぶ御名を恐れる
    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • の呼ぶエホバの御名を恐れることを学んでいます。今日,霊的イスラエルの残れる者の数は,わずか1万3255名と報告されているのに反して,毎月野外で定期的に伝道奉仕を報告している「他の羊」級の数は,90万です。油そそがれた残れる者の場合と同じく,エホバの御名を恐れるこれらの「他の羊」の場合にも,「すべての種類の人」が,預言しています。年老いた者も,若い者も,男も女も,雇い主も,従業員も,今日144の言語で預言しており,彼らはみなエホバの証者であることを証明しています。

      27 このことは,すべての国民にとってどんな時機にかなったしるしですか。

      27 これは世界のすべての国民にとって,なんと意義深いしるしでしょう! それは,エホバの大いにして,有名な,恐れを感じさせる日が近づいているしるしであり,残されたわずかな時間であるいまこそ,信仰をもってエホバの御名を呼ぶべき時です。かくして,救いをうけてエホバの新しい世における永遠の生命を受けることができます。

      28 私たちはエホバの証者であることを示しますが,私たちに対するエホバの明白な言葉は何でしたか。私たちの上にのぞむ迫害は,何を示しますか。

      28 エホバの証者と呼ばれる私たちには,なんと大きな責任が課せられているのでしょう! 反対者たちが,この名前で自己表示をする私たちの権利に挑戦するなら挑戦させなさい? エホバ神ご自身は,私たちがそうすることを罰していません。むしろ,私たちがその名前にふさわしく生活し,そのすばらしい名前をになうにふさわしく歩くことを祝福されました。私たちが神の御国について預言し,伝道するとき,迫害がのぞみます。しかし,それはエホバののろいとか,不賛成を示すものではありません。それは,私たちがこの罪に定められた古い世のものでなく,彼の正義の新しい世のものであることを証明します。

      29 エホバの名前について,私たちの決意は何ですか。私たちは,イエスの教えたどんな祈りを祈りつづけますか。

      29 私たちは感謝しつつ,神の御名についての私たちの責任を認め,その責任を負います。もし私たちがエホバの御名を尊敬せず,その御名を恐れないなら,そしてその御名に名誉をもたらさないなら,すべての国民のうちで神を求める人々は,神の御名を恐れず,また永遠の救いを得るために神の御名を呼ぼうとしないでしょう。しかし,私たちはエホバの御名をあがめて高め,それに非難をもたらすことを何ひとつしないことを決意します。私たちはエホバの御名をもっとも神聖なものとして取りあつかいます。私たちは,他の羊のような人をもみな援助して,エホバの御名をあがめるようにします。そして,イエス・キリストの教えたエホバ神への祈りを祈りつづけます,「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように」。―マタイ 6:9,新口。

  • イエスの宣教を生き生きと描写したマルコ
    ものみの塔 1962 | 2月1日
    • イエスの宣教を生き生きと描写したマルコ

      マルコ伝を書いたマルコというのはどういう人でしたか。どのようにしてこのような生き生きとした記事を書くことができましたか。この福音書の特徴は何ですか。どの点でそれは独特ですか。

      マルコは12使徒のひとりでもなく,70人の福音伝道者のひとりでさえなかったようです。では彼はだれでしたか。マルコ伝に出ている「ある若者」だったということは,確かなようです。この若者はイエスのあとについて行きましたが,イエスを捕えた者たちが彼をつかまえようとしたので「その亜麻布を捨てて,裸で逃げて行った」としるされています。(マルコ 14:51,52,新口)彼は使徒行伝にくり返し出てくるヨハネ・マルコにちがいありません。使徒行伝 12章12節によると彼の母がエルサレムに住んでおり,初期のクリスチャン会衆は彼女の家を会衆の集会所に使っていたということが分かります。同じ章の25節のところで,バルナバとサウロ(使徒パウロ)がエルサレムで,人々を解放するつとめを十分果たしてから「マルコと呼ばれていたヨハネを連れて……帰ってきた」。

      パウロとバルナバが旅行して伝道した時,ヨハネ・マルコは助け手として,ふたりの世話をしたにちがいありません。しかし,パウロとバルナバがパンフリヤに着いた後,「ヨハネは一行から身を引いて,エルサレムに帰ってしま」いました。マルコは円熟しているように見えなかったので,使徒パウロは第2回目の宣教旅行に彼を連れて行くのを望みませんでした。このことからパウロとバルナバは分かれ,パウロは助け手としてシラスを連れ,バルナバはヨハネ・マルコを連れて行くことになりました。―使行 13:13。

      しかし,ヨハネ・マルコは,未熟のままでとどまっていませんでした。マルコは進歩したので,パウロはコロサイ書 4章の10節(新口)で今度はマルコのことをよく言っています,「バルナバのいとこマルコ……このマルコについては,もし彼があなたがたのもとに行くなら,迎えてやるようにとのさしずを,あなたがたはすでに受けているはずである」。後程,パウロはテモテに「マルコを連れて,一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから」とたのんでいます。そうです,そのときまでにマルコはよく円熟していたので,パウロもすでに彼をゆるしていました。―テモテ後 4:11,新口。

      しかしマルコの福音書にかんして特に興味ある点は,使徒ペテロが彼のことを述べていることです,「あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会,ならびに,わたしの子マルコから,あなたがたによろしく」。(ペテロ前 5:13,新口)ペテロがここでマルコのことを述べたことが,なぜマルコの福音書に特に関係があるのですか。なぜならヨハネ・マルコがその資料を得たのは,確かに使徒ペテロからだったということになるからです。これは初期教会の歴史家たちが,はっきりと述べていることです。

      「マルコはペテロの通訳になり,ペテロの話したことを,正確に書きしるした」。(パピアス)「ペテロとパウロが死んでから,ペテロの弟子で通訳であったマルコ自身が,ペテロの伝道したことを書いてわれわれに伝えてくれた」。(イレナエウス)「ペテロの導きに従ってマルコは福音書をつくった」。(オリゲン)「マルコの福音書はペテロのものだと言われている。マルコはペテロの通訳だった,……というのは,学者たちが出版するものは,その学者たちの師事した師の作と考えるべきだ,ということが言えるからである」。―ターツリアン。

      特徴

      使徒ペテロがヨハネ・マルコにマルコ伝の資料も提供したということは,その特徴からみても分かります。その文体は非常に生き生きとしているので,目撃者から直接得たものだったにちがいありません。ペテロはそのような目撃者でした。さらにこの福音書は急速に展開していき,いわば動的です。ペテロは言葉と行為の面で律動的な人でした。さらに,この福音書の中には観察力の鋭い人だったということを示す多くのこまかい点があります。漁師だったペテロは,空,海,魚,自分のあみを相手にして鋭い観察力を養うことができました。マルコが記録したほとんどすべては,ペテロが目撃したことだという事実を見のがしてはなりません。

      マルコがその福音書を書いた時には,マタイがすでにイエスを約束のメシヤ,ユダヤ人の王として描き出していました。ルカは,イエスが全人類のあわれみ深き救主だということを示しました。ヨハネはこれからイエスのことについて書くところでした,「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。ヨハネはその福音書を通してイエスが人間となる前の存在に重点をおきました。マルコはどうでしたか。マルコはイエスを奇跡を行なう神の子としてあらわしています。マルコ伝は会話と行動の部分がちょうど半々になっていますが,イエスの活動を強調することに主眼がおかれています。それでマルコはイエスの奇跡を多く記録し

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