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フィリピンのミニマーケット目ざめよ! 1978 | 6月22日
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フィリピンのミニマーケット
フィリピンの「目ざめよ!」通信員
スーパーの巨大化とデパートの拡張が盛んなこの時代に,キャンデー1個,チューインガム1枚,トマト1個,ごく少量の塩やしょう油を買える店がどこかにありますか。もしあなたがフィリピンに住んでいるなら,おそらくサリサリ(バラエティー)ストアつまりフィリピンに何千とあるミニマーケットのひとつに行くことでしょう。
サリサリ・ストアでは数多くのこまごました品物を売っています。商売の行なわれる場所は,だれかの家の一階にある狭い部屋の中です。石けん,石油,キャンデー,魚の干物,清涼飲料水,米,とうもろこし,豆,かん詰,パン,塩,砂糖,アスピリン,ヨードそれに学用品などが売られています。店が大きければ,売っている品物の種類もそれだけ多くなります。ミニマーケットがいちばん忙しい時間は,午前中早くと昼時そして夕方です。子供たち,主婦,会社勤めの人,ジープニィーの運転手 ― あらゆる種類の人々でサリサリ・ストアは活気を呈します。店の主人は本当に忙しい人です。客に応待し,買上げ品を包装し,つり銭を数えて渡し,清涼飲料のせんを抜き,米を上手に紙袋に移し入れるなど,実に多くの事をして一日16時間,週に7日働きます。
サリサリ・ストアはまた読書センター,社交クラブ,応急手当をする診療所,公衆電話,保育所,遺失物扱い所,簡易郵便局,近隣のニュース編集室の役をしている場合もあります。店の主人はそのすべてを苦もなくやってのけるのです。
これらの店のあるものは協同組合つまり大ぜいの人が少額ずつ出資して店を作り,利益を分け合う形をとっています。しかし大多数は家族経営の店です。
あるサリサリ・ストアは,地域の経済に参入して分け前を得ようとする隣人たちが出した新しい大型の店と激しい競争になって,その結果,廃業に追い込まれました。しかし多くは繁盛して大きくなり,他の分野に商売の手を広げたものもあります。これらのミニマーケットは不況の時に家族のきずなを強め,子供の教育のため切実に必要な資金を得るのに役立っています。
対人関係の訓練センター
サリサリ・ストアにやって来る様々な人々に応対するには,多大の忍耐を要します。店の主人にはユーモアの感覚も欠かせません。商売に真剣ではあっても,きまじめに過ぎることはありません。店の主人は千客万来を願って,他の人々の落ち度を見逃がします。今日1ペソ(約30円)の損をしても,彼は気にしません。隣人同士で1ペソをどうこう言う事はありません。結局のところ帳尻が合うのは確かです。それで彼は鼻歌を歌って今日はそれでよいとします。そしてその日一日正直に過ごしたことを感謝するのです。
正直は今でも最善の策
店の主人はこの商売には正直が絶対に必要なことを知っています。果物は虫のついていない良いものを売り,魚や肉は新鮮であり,客には正しいつり銭を渡すように万全の注意を払わなければなりません。はかりをごまかすならば隣人からボイコットされ,裁判所で重い罰金を課せられることにもなります。しかし正直な商売によって,店の主人は善良な友また隣人であることを証しするのです。これによって彼のミニマーケットは近隣で繁盛することが約束されるでしょう。
隣人の気やすい集会場
小さな地域社会のサリサリ・ストアは,便利な買物の場所であるにとどまりません。そこは人々が気軽に集まって互いによく知り合うようになる場所です。そこでは人々の陽気なあいさつが聞かれます。わりに涼しい夕暮,人々はとどまって蚊を追いながら,最新のニュース ― 子供の成長,町に新しく越してきた人々,米の作柄,最新の天気予報,石油危機,どこか遠い国の新しい大統領あるいは神の王国の福音さえも話題にしておしゃべりに時を過ごします。―マタイ 24:14。
その雰囲気は全く打ちとけたものです。何かを買いに,いちばん下の子供を使いにやることもできます。かごと買物のリスト,それに幾らかの金を持たせてやればよいのです。店の主人はリストに照らし合わせて食料品と,きっちりのつり銭を子供に渡し,たまたま商売が良ければキャンデーのおまけを子供に与えるでしょう。子供に渡した金がたまたま代金に足りなければ,店の主人は子供に食料品を持たせ,代金の支払いをすませるのに必要な額を届けるように子供に言い含めるでしょう。
子供たちが学ぶ場所
両親の手伝いをしてサリサリ・ストアで働く大ぜいの子供たちは,金銭を扱う際に小さな頭で暗算をして手っ取り早く計算することに上達します。これらの子供たちはまた,商品を仕入れに町の大きなマーケットに出かける母親に連れられて行く時,大きなスリルを味わい,また商売を仕込まれます。
母親は子供を連れて朝早く市場に出かけ,新鮮な魚,野菜,果物その他,店に並べる商品を仕入れます。彼女は農夫や漁師と直接に取引きをし,その日の後刻,仲買人と取引きするよりは安い値段で仕入れることを望んでいるのです。
子供たちは安い値段の品を捜すことを学びます。「往来に近い屋台店の品物を買うのではないよ」と,母親は子供に言います。「そういう店は場所代が高いから品物の値段も高いのよ。市場のずっと奥に行ってごらん。そこは場所代が安いから,いちばん安い買物ができるのよ」。最良の価格を見つけることに努める一方,母親は安過ぎる品物にも警戒することを子供に教えます。このような物は盗品,密輸品あるいは欠陥商品かもしれません。
店主は整とん好き
市場からもどると,母親は仕入れた商品を店の棚にきれいに積み上げます。びん詰めの商品とかん詰めはそれぞれ別の棚に置きます。清涼飲料水はフリーザーあるいは冷蔵庫の近くに保管され,新鮮な野菜と果物は日陰で風通しのよい竹のテーブルの上に置かれます。
米やとうもろこしは,すぐに空けられるよう木の箱に入れられます。キャンデー,チューインガムその他,子供の好きな物は,たいてい大きなびんに入れられて定まった場所に並びます。砂糖 ― 赤砂糖,中白,上白糖 ― は量り分けて紙袋に入れてあります。値段は小さな四角のボール紙に書き込まれたり,個々の商品に付けられたりします。
母親は自分の店に誇りを持ち,すべての物をきちんと整とんするのが好きです。彼女は前の日の晩に支度をするので,夜明けと共に店は最初の客を迎える用意ができています。
フィリピンのたいていの都市では今やスーパーとデパートの進出が目だちますが,それにもかかわらず,簡素なサリサリ・ストアは今なお重要な必要を満たす存在です。そこはフィリピンの人々にとって,すぐに必要な物を買い,ある程度の社交とおしゃべりを楽しみ,地域社会における帰属意識を感ずる場所なのです。そこであなたが今度,世界のこの場所に来られたならば,簡素なサリサリ・ストア ― フィリピンのミニマーケットを見過ごさないでください。
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ニューヨーク本部からの訪問者目ざめよ! 1978 | 6月22日
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ニューヨーク本部からの訪問者
4月1日から5日にかけて,東京,横浜,静岡地方のエホバの証人は思わぬ喜びを味わいました。エホバの証人の統治体の代表者であるロイド・バリー氏と本部工場委員のメンバーであるマックス・ラーソン氏が日本における聖書教育文書の印刷の業を拡大する取り決めをもうけるために来日したのです。
日曜日午後に東京の大井競馬場で開かれた特別の集会には1万7,097人が出席しました。そして同様の集まりが沼津のものみの塔印刷工場3階でも開かれ,それには1,323人が出席しました。
両氏は聖書に基づく話をしましたが,それは出席者すべてを大いに励ますものでした。ラーソン氏は通訳を用いて,「あなたは光の中にとどまりますか」という主題の話をしました。同氏はまずブルックリンにある印刷施設の大規模な拡張について述べ,さらには世界中で見られる拡大についても語りました。同氏によれば,ニューヨークのブルックリンと「ものみの塔」農場には現在53台の輪転機があり,毎日100万冊の雑誌と15万冊の書籍が印刷されています。世界中でなされている印刷をすべて合わせると1日になんと1億2,000万ページもの印刷が行なわれているのです。これら印刷される雑誌や書籍,小冊子,それに聖書は,わたしたちの道を導く光のようです。
とても分かりやすい例えが用いられ,休暇で山に行く時の場景を思いに描いてみるよう聴衆は促されました。山道を登る時に急なカーブや絶壁や石ころのようなものがありますが,光があるので登山や周りの景色を楽しめます。しかし同じ道でも夜で光がなければたいへん恐ろしく危険です。もしだれかが光を提供してくれるなら,それに感謝し安全になるまでそのもとにとどまることでしょう。
ここで同氏はヨブ記 18章5-9節を結び付けましたが,そこには現在の邪悪な世が暗中模索している様が示されています。しかしエホバの過分のご親切により,わたしたちはもはや闇の中にはいないのです。―コロサイ 1:13。
しかし講演者は,エホバの目的と相いれない欲望や関心事に誤導されないよう注意深くあるようにと警告しました。使徒パウロがコリント第二 11章14節で警告していますが,サタンはわたしたちを誤導しようとして偽の光を用いています。
わたしたちは不完全であり,ヤコブ 3章1,2節に示されているように何度もつまずきます。しかし,わたしたちは山道で倒れても立ち止まらず起き上がって歩き続けます。足を折ったり損なったりするような大きな間違いや失敗をしても,助けを得て歩き続けます。命に至る道を歩く場合も同じです。使徒 26章16-18節でパウロはそのように励ましています。
さらに,囲いの中にいる羊についてのもう一つの例えを使って神がご自分の羊を所有しておられることが指摘されました。神はご自分の羊を世話するために牧者たち,つまり会衆の長老たちを任命しておられます。(使徒 20:28)時としてある羊は何かに引かれて群れから迷い出てしまいます。危険に気づいていないのです。が,賢い牧者はそれを見て羊を囲いの中に引き戻そうとします。時々クリスチャンは自分の信仰にとって危険だとは知らずに,外部の人との交わりはいっこうに差し支えない,もっと多くの物を買うために余分の仕事をしてもだいじょうぶだ,と考えます。それで牧者のような長老たちは,これらの人々が正しい考え方を再び持ち群れや囲いの中の安全な所にとどまるよう助けなければなりません。
エホバの組織は今日,喜んでこの必要な光を備えていますから,すべての人が命の道を歩き続け神の羊の群れの中にとどまることができます。(使徒 13:47,48)過去5年間に100万人もの人々がエホバ神の賛美者になり
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