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神と人との前で結婚を誉れあるものに保つものみの塔 1977 | 7月1日
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です。それは大抵の場合,その人たちの結婚関係が正しいものかどうかという疑いを人々がもしかして抱いているなら,その疑いを取り除くのに役立ちます。しかしそれはすべての場合において可能でしょうか。もし可能でないとすれば,どうすることができますか。
カエサルの認可が得られない所
24 離婚を許可しない国では人はどんな問題にぶつかる可能性がありますか。
24 結婚に関するカエサルの権威の相対的性質を理解していることはこの場合助けになります。例えば,ある宗教が最も優勢なためかまたは他の理由で,たとえ「淫行」(ポルネイア)という聖書的原因があっても法律が離婚を全く認めない地域のことを考えてみましょう。ある人は不貞を働いた妻と別れて別の相手と一緒になり,その人によって家族さえもうけているかもしれません。そしてそういう状態のときに神の言葉の真理を学び,その言葉に従って,神のみ子の弟子としてバプテスマを受けることを願うようになるかもしれません。しかし結婚と離婚に関する国の法律と神の律法が一致していないので,離婚して現在の結婚を合法的なものにすることができません。その人はどうしたらよいでしょうか。
25 神のみ前には離婚している者であっても,自国内でその離婚に法的認可を得られないでいる人は,自分が姦淫の生活をしているのでないことをどのように確証できますか。
25 もし事情が許せば,確実に離婚を許す近くの国へ行って離婚し,それからその国の法律の下で再婚することもできるでしょう。これによってその結婚は幾分誉れあるものとなるでしょう。もっとも自国に戻れば,その結婚は,そこで統治している「カエサル」には認められないでしょう。もしそうすることが無理なら,離れ去った法律上の妻と別居する法的手続きを取るとか,あるいはその土地の法律の下でなし得る限りのことを行なうべきです。そのあと,現在の配偶者に忠実であることを誓う,そして離れ去った法律上の妻が万一死亡した場合,あるいは他の事情で結婚届けが可能になる場合に法律で定められている結婚証明書を得ることに同意することを宣言する声明書を,土地の会衆あてに作成すべきです。もしその人の現在の妻もバプテスマを受けることを望んでいるなら,その声明書に署名しなければなりません。
26 民事当局の関心が薄いために結婚の法的認可が得られないなら,どうすることができますか。
26 南米のある国では,重婚の場合に結婚の無効を宣告することが法律で許されていますが,その無効の申請を「カエサル」はしばしばわけもなく無視します。それで,次のような人の場合を考えてみましょう。法律上の生きた妻がすでにいるのにその妻と別れ,別の女性と結婚して法定証明書を得,そのために重婚者になります。もしその人が聖書の真理を学んでバプテスマを受けたいと思うようになったなら,その人は現在の結婚を法的に正すための努力が民事当局の無関心さのために実らないのに気づくでしょう。もしカエサルの裁判所もしくは当局を通して現在の結婚を高め誉れあるものにしたいと思ってもその術がないなら,どうすればよいでしょうか。忠実を誓う同様の宣言書に署名し,これを会衆に提出することができます。そうすればその人はバプテスマを受け得る者と認められ,その人の配偶者も同じことをすることによってそのように認められます。
27 結婚した者としての身分を10年もたたなければ法的に認可してもらえないような人の場合に,バプテスマを延期しなければなりませんか。答えの理由を述べなさい。
27 西アフリカのある国では,離婚を成立させるのに10年くらいかかることがあります。バプテスマを受けることを希望している人で,現在の婚姻関係を法的に成立させるために離婚を必要としている人は,その期間バプテスマを延期しなければならないでしょうか。バプテスマという重要な段階を踏むことによってキリストの犠牲の贖罪の力に対する信仰を示し,そうすることによって神と是認された関係を結ぶ特権を,カエサルの法的認可がないために得られないというのは,正しいこととは思われません(人間には神が人々を是認するのを「妨げる」力がないということについて,使徒 11章17節の使徒の言葉と比較してください)。聖書に見られる例は,バプテスマという段階を踏むことを不必要に延ばすのが望ましくないことを示しています。(使徒 2:37-41; 8:34-38; 16:30-34; 22:16)それで,離婚の法的手続きを始めたなら,その人は忠実を誓う声明書を会衆に提出して,現在の結婚を誉れあるものに保つ一方,カエサルが与える離婚認可を得る努力もあくまでも続ける決意を立証することもできるでしょう。
28 現在の結婚の法的認可が離婚にかかっていて,しかも自分の住んでいる国で離婚ができない場合,それは,もし二人がバプテスマを希望するなら別れなければならない,ということですか。
28 中には他国へ行ってその国にいるあいだに真理を学び,バプテスマを希望するようになる人たちもあるでしょう。現在の婚姻関係を法的に認可してもらうためには,まず以前の妻と離婚する必要が生ずるでしょう。移転先の国には離婚に関する規定があっても,外国人である彼らにはそれらの規定は適用されないかもしれません。例を挙げると,ドイツには他のヨーロッパ諸国から多数の人が職を求めて移転してきました。この国には離婚に関する規定がありますが,非市民のほとんどはこれに含まれません。そのような場合にも,バプテスマを希望し,現在の婚姻関係を誉れあるもの,永久的なものにすることに努めている人は,忠実を誓う宣言書に署名することもできます。
29 離婚のための規定がない国では,どうすればクリスチャンは聖書に基づく再婚の自由を確立できますか。
29 これら同じ原則は,バプテスマを受けたクリスチャンで,離婚と再婚に関する神から与えられた権利を,「カエサルの」法律が法的認可を与えないために行使できないでいる人にも適用します。例えば,姦淫をした配偶者を離婚して再婚するという,神から与えられた権利を認めない国々では,不忠実になった配偶者を持つ人(で,妻を許さずに別れることを選ぶ人)は,その不忠実の明確な証拠を会衆の長老たちに提出しなければなりません。そうするなら,もし将来いつか夫(または妻)が別の配偶者を得る決意をするなら,公明正大にそれを行なうことができます。結婚当事者は忠実を誓う,そして可能性が生まれしだい法的認可を得る決意を誓う声明書に署名します。
30 聖書的に正しい結婚が,特定の事情の下で,法的に認可されない国で,会衆は忠実の宣言をどうみなすべきですか。
30 忠実を誓う声明書に署名するなら,会衆は署名者が,民事当局によって有効にされた結婚である場合と同じほど,彼のまたは彼女の現在の婚姻関係に対して忠実であることを,神と人との前で公表したものとみなします。この宣言は,この世の「カエサル」の政府を代表する婚姻記録官の前でなされた宣言に劣らぬ拘束力を持つものとみなされます。実際,その宣言に最大の重みと厳粛さを加えるのは,作成される特定の書類ではなくて当人が神の前で宣言するという事実です。
31,32 忠実の宣言書に含められる基本的な点を幾つか挙げなさい。そしてその宣言書をどうすべきですか。
31 その宣言の文面はどんなものでしょうか。次のような声明を含めることができるでしょう。
「私..........は..........を婚姻関係における配偶者として迎えること,この関係に関係当局の認可を得るべく力の及ぶ限り努力したこと,しかし認可が得られなかったゆえに,この婚姻関係において忠実であることを誓う宣言を行なうことをここに宣言します。私はこの関係を,エホバ神およびすべての人の前で拘束力を持つきずな,神の言葉の示す原則に全く一致して継続し尊重すべきものと認めます。私はこの関係に民事当局の法的認可を得る手段を探すべく引き続き努力し,将来いつか状況の変化によってこれが可能になればこの結婚を合法的なものにすることを約束します。
「19....年....月....日に署名。私の署名に立ち合った証人: ........................................................................」。
32 上記のことから分かるように,この宣言書には,宣言を行なう人とさらに二人の人が証人として署名しなければなりません。また日付もそこに記入します。関係者および彼らが交わっている会衆がそれぞれ,忠実を誓う声明書の写しを保存するのは賢明です。また一部をその地域のものみの塔協会の支部事務所に送らねばなりません。また,バプテスマを受けたクリスチャンの場合は,結婚関係を誉れあるものに保つための良心的な処置がとられつつあることにすべての人が気づくよう,その宣言が行なわれたことを会衆に発表するのも有益でしょう。
33 忠実の宣言に関連して当人はどんな責任を自分で負わねばなりませんか。
33 「カエサルの」認可が得られない所で結婚を会衆に認めてもらうための正しい処置を講ずる場合,その人は外の世界に関する限りどんな結果が自分の身に及ぼうと,それは自分だけの責任であること,そして自分がそれに対処しなければならないことを認めなければなりません。例えば,以前の結婚関係に起因する,財産権や相続権に関係したなんらかの法律上の問題が起こる場合,その人は新しい,認められていない結婚に関して「カエサルの」司法上の保護を要求することはできません。
基本的原則を常に明確にしておく
34 結婚と離婚に関し,クリスチャンにとっては何が最終的に権威を持つ文書となりますか。
34 結婚と離婚に関する法律にはどの国においても非常に多くの異なる角度や面があります。しかしクリスチャンは,または神のみ子の弟子になることを願っている人は,専門事項の錯雑した中に巻き込まれなくても,あらゆるケースに通用する基本的な聖書的原則を導きにすることができます。
35 めかけを持つことや近親相姦を聖書はどう見ていますか。
35 神の見方は第一に重要視しなければならないものです。それでまず第一に現在の関係,あるいはこれから結ぶことを考えている関係が,果たして神の是認を得られるものであるか,あるいはその関係自体が神の言葉の示す規準に反するものであるか,考えなければなりません。例えば,ある男が妻と共に住みながら,別の女性をめかけにしてその人とも時を割いて共に住む,という場合を考えてみましょう。めかけを囲っている状態が続いている限り,第二の女性の関係をキリスト教の原則と調和させることは決してできません。また,その女性あるいは男性のどんな宣言も,その関係をキリスト教の原則と調和させることはできません。唯一の正しい道はその関係を断つことです。自分の直接の家族の成員との近親相姦関係,あるいは同性愛関係,または神の言葉によって罪とされている他のそのような状態についても同じことが言えます。(マタイ 19:5,6。テモテ第一 3:2。コリント第一 5:1)その種の関係は,法的に有効にされていないから認められないのではありません。関係自体が非聖書的なもの,したがって不道徳なものです。ですから,そういう状態に関係している人はどんな『忠実の宣言』をすることもできません。それは神のみ前になんの価値もないからです。
36 真理を学ぶ前に,結婚の取り決めに正しい考慮を払っていなかった人には,何が要求されますか。
36 もしそれが神の是認を受け得るような関係であるならば,第二に考慮すべき原則は,すべての人の前に自分の婚姻関係を誉れあるものとして確立すべく最善を尽くすべきである,という原則です。(ヘブライ 13:4)バプテスマを希望している人は,過去において法律上の妻と別れ,離婚しないまま別の人と婚姻関係を結んだ人かもしれません。その時から年月もかなりたっており,もしかしたら子供たちも生まれているかもしれません。それで,真理を学んでも,最初の配偶者のところに戻って以前の境遇に従って生活をやり直す努力を期待するのは無理です。しかし今は,『罪をやめる』にあたり,今後は神のご意志に従って人生を生きる決意をしなければなりません。―ペテロ第一 4:1-3。コリント第一 7:17-24と比較してください。
37 現在の結婚の取り決めに法律上の認可を得るには,どんな処置を講じなければなりませんか。
37 ではどうすればよいでしょうか。もし離婚が可能ならその手段を講じます。そうすれば(どんな理由にせよ法的理由に基づいて)離婚したのですから,現在の結婚は認められた結婚として民法上有効なものとされます。真理を学ぶ前に重婚の罪を犯していた人についてもこれと同じことが言えます。その人も問題を(取り消しおよびまたは離婚によって)法的に解決するのに必要な手段を講じなければなりません。そうすれば男女いずれにせよその人は,一人の人の法律上の配偶者と認められるでしょう。
38 神の目から見て正しい結婚に法的認可を得られない立場にあっても,どうすれば,結婚を誉れあるものにしたい願いを持っていることを示せますか。
38 最後に,もし婚姻関係が神の言葉の示す原則にそむかないもので,民事当局の認可を得るべく最善の努力を払ったにもかかわらずそれが妨げられたなら,忠実を誓う宣言書に署名することができます。ある場合は,すでに指摘したように,当局の行動が極めて緩慢なために,法的手続きをすませることは,幾年もの歳月にわたる努力を必要とする問題となることがあります。またはその費用が押しつぶされそうなほどの重荷となり,それを払えるようになるまでには幾年もかかるかもしれません。そのような場合には,忠実を誓う宣言書が現在の結婚を誉れあるものとみなすための根拠を会衆に提出します。その一方で当人は法律面の問題を解決すべく,引き続き良心的に最善を尽くす努力をします。多くの地域社会では,いや国全体の中でさえ,人々自身は結婚と関係を持つ法的要素をほとんど重要視せず,むしろ忠実な結婚関係の証拠として実際に見ることのできる事柄のほうにはるかに深く感動する事実は,注目に値します。しかしそういう場合でもクリスチャンは,自分の結婚が誉れあるものであることを疑問の余地のないまで確立するために,用い得る,あるいは自分のために開けてくる手段を何でも用いるよう,謙そんに努力すべきです。
39 結婚を誉れあるものに保つ努力をするとき,クリスチャンはどんな確信を持つでしょうか。
39 以上の基本的な原則を心に銘記しているなら,クリスチャンは国家が与える認可を過小評価することも過大評価することもせず,平衡の取れた方法で問題に対処できるはずです。男女いずれにせよ,結婚に対する神の見方を常に第一に重要視すべきです。それとともに,自分の配偶者に対する忠実と献身的な愛情の優れた模範を示すことにあらゆる努力を傾け,そうすることによって結婚を「すべての人の間で誉れあるもの」に保たねばなりません。そのような行ないは神の祝福をもたらし,また結婚の創始者であるエホバ神に誉れと賛美を帰す結果になります。―コリント第一 10:31-33。
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「一日のうちそよ風の吹くころ」ものみの塔 1977 | 7月1日
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「一日のうちそよ風の吹くころ」
◆ エホバがエデンで,不従順なアダムとエバに裁きを宣告されたのは,「一日のうちそよ風[文字通りには霊,または風]の吹くころ」でした。(創世 3:8-19,新)これは,エデンの園があったと思われる地域で心地良い涼風の吹く,日没前のひと時を指していたようです。伝統的にエデンの園があったと考えられている場所は,トルコ東部にあり,アララテ山の南西225㌔,ワン湖から数㌔南へ行った所に位置しています。
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