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結婚の義務と離婚ものみの塔 1957 | 1月1日
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パウロは,淫行の罪を持つ男のみ有毒のパン種のようであるから会衆より除去しなければならぬ,と命じました。もし,その女が会衆の一員であつたなら,使徒の権威を持つパウロは,なぜ同等の罪を持つこの女をも会衆より排斥せよ,と命じなかつたのですか。彼女は,有罪者の父親の妻でした。使徒パウロは,有罪の妻に対して為した夫の取扱いを尊重したのでしよう。それですから,後日パウロが会衆内に復帰させてサタンの謀略から救いなさい,とすすめた人は,悔改めたその男だけだつたのです。
36 姦淫を行つたことに対して,なぜ金銭的な毀損料金を取つてはなりませんか。
36 悔改める結婚配偶者をこのように許す,ということは,妻に姦淫を行わせて,それから妻を犯した者に『女子毀損料』というようなものを払わせて金を自分の懐に入れること,とは全く違います。一夫多妻主義者の或る人々は,多くの妾を扶養していますが,それは妾に売淫させる,つまり同じ妾によつて何度も『女子毀損料』を得るためです。これは,自分の娘に売淫させることよりもずつと悪いものです。(レビ 19:29)もし,誤ちを犯した配偶者を許して迎え入れるなら,そのような毀損料を徴収すべきでありません。毀損料金を取ることは,姦淫を許し,姦淫を商売にすることです。有罪者を許し,そして毀損料金を求めないならば,罪の無い者は身の潔白を保つことができます。こうするなら,妻に悪い売淫を行わせて得る商業的な利益などに目がくらまされず,かえつて汚れた行の罪深さというものを更に良く悟ることができます。
37 真理をうけいれる以前に,非聖書的な離婚をして再婚している人々は,何をすることができますか。そして,なぜですか。
37 神の真理と要求を知る前に,人は非聖書的な理由に基いて自分の妻を合法的に離婚し,そして再婚していることがあるかもしれません。もしこの人が今では新しい結婚を行つていて,御国の音信を受け入れるなら,クリスチャン会衆はその人の結婚状態を変えることはできません。神の音信が達したその時の状態で,その人を受け入れねばなりません。そして,正しいことを知る以前に為した悪行や,無知のために為した罪は,神が許し給うものと信じます。しかし,その人が2番目の合法の結婚における自分の義務を正しく守ることは必要です。クリスチャン会衆はそのことを要求しなければなりません。もしそうでないなら,その人の神への献身は受け入れられず,また水による洗礼は施されないでしよう。
38 クリスチャンが,献身した不貞な配偶者を離婚したい,と欲するなら,会衆は先づ何を為すべきですか。
38 結婚しているクリスチャンが姦淫を犯すなら,クリスチャンの配偶者は離婚したいと欲することでしよう。しかし,証者のひとりのなす汚れた不貞の行によつて,ヱホバの民に無必要なそしりを招いてはなりません。それを防ぐため,クリスチャン会衆は先ず不貞の者を排斥します。それから,清い無実な者は,不貞の者に対する一般裁判訴訟をいたします。しかし,その不貞な者は,今では会衆の一員でなく,ヱホバの証者のひとりでもありません。このようにして,神権制度は外部からのそしりを避けることができます。
39,40 (イ)非聖書的な離婚がなされるならば会衆は離婚した者たちについて何を注視しなければなませんか。そして,何時処置を取らねばなりませんか。(ロ)非聖書的な離婚をした後に悔改めたところで,なぜ人は自由に再婚することができませんか。
39 要するに,クリスチャン会衆は,会衆の一員または夫婦のなす離婚についての根本的な理由を知らねばなりません。それはクリスチャン会衆の義務です。もし,その理由が非聖書的のものであるなら,会衆は離婚された者の以後の行を良く注意して見なければなりません。離婚の原因が不道徳であるとは,離婚請願書または判決書に必らずしも記されないでしよう。或る国では,離婚許可の理由はインジュレス・グラウエス・エー・ブビリケス(『重大なる公共の害』)と記されるかもしれません。このほとんどは姦淫を意味しますが,しかし無実な人々をそしりや公共の反響で影響されないようにするため,離婚の理由はそのように述べられるのです。会衆は,その特定な理由を知つておかねばなりません。会衆内の一人が,非聖書的な理由で離婚をした,というだけで,その人を排斥することはできません。しかし,離婚された配偶者が死亡するか又は不道徳を行う以前に,その人が再婚するなら,会衆は姦淫の再婚を行つたこの人を排斥します。
40 クリスチャンが,自分の配偶者を非聖書的に離婚したことにたいして,神のゆるしを願つたにしても,そのクリスチャンには再婚の自由がないのです。一般的にその罪が許されるにしても,非聖書的な理由で解消された合法の結婚は廃棄されず,又無効になりません。それは,結婚の状態を変えないのです。仮にそうなら,非聖書的な理由で配偶者を離婚する者は,再婚しても姦淫を犯すことにならないでしよう。次のことを憶えて下さい,神に献身する以前でも,または献身した以後でも,非聖書的な離婚で解消される結婚は,罪のゆるしを願うだけでは神の御前で真実に解消しているのでありません。丁度,刑務所内の囚人の罪を神が許されたにしても,その囚人の懲役期間が廃止されて,囚人が刑務所から自由に出て行けるわけでない,のと同じです。それで,聖書的な許可または認可なしに再婚することは,姦淫の行であり,会衆はその有罪者を排斥します。同じく,非聖書的な理由で離婚されたこの世の人とクリスチャンが結婚するなら,そのクリスチャンは淫行を犯していることになり,排斥しなければなりません。―ロマ 7:2-4。コリント前 7:39。
41 (イ)正しくない再婚が行われるとき,独身でいる罪の無い配偶者は何をすることができますか。(ロ)正しくない再婚をする配偶者には,どんな処置が取られねばなりませんか。その者には,何が永久に許されませんか。
41 正しくない再婚は,離婚を有効なものとし,罪の無い配偶者は,会衆内に続けて居ることができ,望むなら再婚することができます。しかし,正しくない再婚をする者は,姦淫を行う者として排斥されねばなりません。その人は,永遠の生命が得られない危険な状態に入ります。『女と姦淫を行う者は知恵なきなり。これを行う者は,己の魂を亡し。』(シンゲン 6:32)復帰することによつてのみ,その人は救われます。しかし,非聖書的に再婚する人は,ただ悔い改めるだけで会衆に全く戻り得るわけではありません。その人には,復帰した後でも,十分に長い試験期間 ― すくなくとも1年 ― を掛けねばならないのです。そして,その人は,真心から悔改めたことを示し,また結婚に対する正しい尊敬を示さねばなりません。その合法的な再婚は,国家の法律から見るときに有効です。それですから,法廷において解消する為には正しい合法の理由がなければなりません。たとえ,非聖書的に離婚した先妻が死んだにしても,又は夫の再婚した後に再婚したにしても,その人は自働的に復帰できるのではありません。その人は悔改めて,告白し,復帰願を出し,そして試験期間に従わねばなりません。たとえ,心から悔改めて,要求されている通りに新しい合法的な結婚における自分の義務を正しく果す場合でも,また会衆に全く復帰する場合でも,その後その人には会衆内の公式な,模範となる責任の職務,すなわち特権にあずかる資格はありません。真理にいたその人の個人的な過去の行は,良い模範でないのです。
42 神の課し給うた結婚の義務を擁護する者たちは,なぜ幸福ですか。
42 真実の清い結婚は,ヱホバ神から与えられる特権です。ヱホバ神御自身が結婚を取極めました。そして,『ヱホバには不義なし。』(詩 92:15)神の課し給うた結婚の義務を忠実に果すクリスチャンは幸福です。そのクリスチャンは,この神の定めた真実の高貴さと尊貴さを擁護しています。そして,クリスチャンに与えられた次のいましめを銘記します,『すべての人は,結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は,不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。』(ヘブル 13:4,新口)彼らは,主として肉的な関係の楽しみをよろこぶのでなく,むしろ両性のこの密接な結合によつて得られる霊的な機会を楽しむのです。かくして,結婚の理想は達成し,神の是認と祝福を得ます。この結婚は救を得ることと,最高の神に仕えることの助けになります。そして,人間のよろこびのためと神の目的を成就するために,愛の御心からこの御準備を設けられたヱホバ神を立証いたします。
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結婚しない者の行は更に善しものみの塔 1957 | 1月1日
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結婚しない者の行は更に善し
1 (イ)結婚しない人は,半人前の人であるという論の間ちがいは,何によつて証明されますか。(ロ)イエス・キリストは,どんな種類の花嫁だけを永遠に持ちますか。
結婚には,神の目的によつて定められたごとく,よろこびと祝福があります。神は両性が引き合うように定め置かれたため,男と女が結婚するのは正常なことです。そして,人間であるクリスチャンも例外ではありません。しかし,クリスチャンに対する神の言葉は,結婚しないならば人は全く成熟したことにならない,つまり結婚しないなら,半人前の人である,というような或る種族や人々の見方を取りません。この見方を取ることは,イエス・キリストの地位を落すことになります。彼は33歳半のとき,童貞のまま独身で死んだからです。イエスは天の御父の御意に従い,結婚しないで死にました。しかし,この節制と従順の行の故に,彼は14万4000人の忠実な弟子で成立つ霊的な『花嫁』なる会衆を得ます。14万4000人の弟子たちは,男が女に対する愛よりも,また夫が妻に対する愛よりも,はるかにまさる愛で,イエスを愛します。御父は,この霊的な花嫁を輝くばかりの天的な美に飾つて御
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