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    ものみの塔 1983 | 9月1日
    • あなたの結婚を誉れあるものに保ちなさい

      「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです」― ヘブライ 13:4。

      1 ある新聞のコラムニストは,どんな質問をしましたか。そして一人の夫は,どのように答えましたか。

      「もう一度結婚し直すとしたら,あなたは今結婚している人と結婚しますか」と,人気のある新聞の一コラムニストは尋ねました。この調査に応じた5万人のうち,半数以上が「はい」と答えました。あなたなら,どのように答えたでしょうか。33年前に結婚したあるクリスチャンの男性はこの質問を妻からされ,「もちろんだとも!」とほほえみ,こう言いました。「思い返してみると,楽ではなかった時期があったね。僕たちなりに問題があった。でも,僕たちの結婚生活は実に努力のし甲斐のあるものだった。僕たちは非常に貴重なものを得ているんだよ」。

      2 ヘブライ 13章4節にある,「誉れあるもの」とは何を意味しますか。

      2 神が創始者であられるので,結婚は真の満足と喜びを与えることができます。しかし多くの結婚生活は ― 献身した一部のクリスチャンの場合でさえ ― 極度に緊張しています。ですから使徒パウロは,「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされる[「大きな価値のあるもの,貴重な……特に大切なものとみなされる」a]べきです」と勧めました。(ヘブライ 13:4)結婚は,「肉身に患難」をもたらすため,結婚を誉れあるものに保つことは挑戦となります。(コリント第一 7:28)しかし,どのようにそれを行なえるでしょうか。まず最初に,大きな問題となっているものの一つを認めなければなりません。

      個人的な意思の疎通の欠如

      3,4 (イ)結婚生活で大きな問題の一つとなっているものは何ですか。(ロ)夫婦が「一体」となることには何が関係していますか。

      3 一組のクリスチャンの夫婦は,20年ほど前に結婚しました。しかしその結婚生活は,姦淫によって突然終わりを迎えました。どうしてそのようなことが生じ得たのでしょうか。妻はこう語りました。「これまでの歳月に生じた事柄を分析してみて分かったことですが,私たちは家事について,また神への奉仕についても話し合いました。ですが,個人的なレベルの意思の疎通となると,それはありませんでした」。感情的な親密さが欠けていたことが原因で,徐々に結婚の誓いが弱まり,夫は次第に姦淫へと走るようになったのです。意味深い意思の疎通がこのように損なわれていることは,種々の調査研究において,離婚や「愛情のない結婚」の主要な原因の一つに挙げられています。

      4 しかし,エホバはこう言われました。「男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となるのである」。(創世記 2:24)このように結婚は,あらゆる人間関係の中で最も親密なものとなるはずでした。それは二つの異なった人格を結び合わせることであり,実に細心の注意を要する仕事です。こうした結合が効果を発揮するためには,各人が配偶者と正直に話し合い,自分の気持ちを打ち明けなければなりません。

      5 (イ)個人的な意思の疎通を妨げるものは何ですか。(ロ)他の人々はどのように結婚に対する敬意を示せますか。

      5 このような個人的な意思の疎通を妨げるものは何でしょうか。打ち解けないことが土地の習慣である場合も時にあります。無口で,自分の気持ちを恥ずかしくて言い表わせない人もいます。さらにまた,娯楽中心で物質主義的な世に心を奪われている人もいます。そのような人々は,自分の結婚生活より物に関心を抱くようになります。結婚生活にあまりに多くの人々が入り込んでくることや,親にべったり付き過ぎることも夫婦の親しさを阻むことがあります。確かに,他の人々は結婚している夫婦のプライバシーの必要性を尊重すべきであり,過度になれなれしくしたり,本来は配偶者に向けられるべき関心を自分のほうに向けさせようとしたりしてはなりません。―箴言 25:17。

      6 (イ)配偶者は,どのようにして「強固な町」のようになる場合がありますか。またどのように「口論」は要塞の「かんぬき」のようになる場合がありますか。(ロ)上記の囲み記事のどの質問は,あなたの意思の疎通の状況を明らかにする助けになりますか。

      6 しかし,個人的な意思の疎通が欠けてしまう最も一般的な理由は,恐らく箴言 18章19節の中に示唆されているものでしょう。こう述べられています。「違犯をおかされた兄弟は強固な町をもしのぐ。住まいの塔のかんぬきのような口論もある」。例えば,妻が夫に自分の気持ちを打ち明けるとしましょう。ところがその妻の気持ちが無視され,あるいは軽視され,別の機会に妻を非難するために用いられさえしたらどうでしょうか。妻はそれ以上感情的に傷つくことを避けるため,強固な防壁を作り上げ,いわば防備の施された「強固な町」のようになって対抗するかもしれません。双方とも一歩も引かぬ,自尊心の闘いがその後に続くかもしれません。この種の不要な口論は,夫婦がまるで要塞の鉄のかんぬきによって隔てられたかのように,個人的な意思の疎通や,和解への道を閉ざしてしまうことになりかねません。しかし,意思の疎通を改善するために,何をすることができますか。

      個人的な意思の疎通を改善する

      7 フィリピ 2章4節は,個人的な意思の疎通を改善するために何が必要であることを示していますか。

      7 人は自分の配偶者の関心事に個人的な関心を抱かなければなりません。(フィリピ 2:4)そのためには,個人的な事柄について共に話し合う時間を取る必要があります。例えば,クリスチャンの一夫婦は,夫が仕事を終えて帰宅した直後に時間を取り,お茶を1杯飲みながら話し合います。二人は少なくとも15分間,夕方の雑用を始める前に互いの考えや経験を楽しく語らいます。この夫婦はこのことを定期的に27年間も行なってきました。

      8 注意を払って聴くことが非常に重要なのはなぜですか。

      8 しかし,ただ話す以上のことが必要です。クリスチャンである一人の妻は,自分の夫のどこが一番好きかと尋ねられ,「よく私の話を聴いてくれます。夫は私の無二の親友です」と答えました。単に聞くだけでなく,注意を払って聴くなら,配偶者に対して,『あなたは私にとって掛け替えのない人です。あなたの考えていることや感じていることを知りたいし,いやなものであっても,あなたの経験したことを分けてほしいと思います』と言っていることになります。良い聴き手であるということは,心に関係した一つの技術です。そのためには,ペテロが述べた「優しい同情心」や『謙遜さ』,それに「思いやり」(文字通りには「共に苦しむこと」)が必要とされます。(ペテロ第一 3:8)ですから互いに自分の気持ちを打ち明けましょう。ささいな事柄も分け合うのです。自分の気持ちを言葉で言い表わしてください。

      9,10 結婚している夫婦は,イサク,マノアの妻,エルカナが配偶者を扱ったどんな方法に倣うことができますか。

      9 イサクとリベカの親しい関係を少し考えてみましょう。悩み事を抱えていた時に,リベカは自分の心を夫に注ぎ出すことができました。ある時リベカは,「自分のこの命をたいへんいとうようになりました」と嘆き悲しみました。イサクはそのような感じ方のことで妻を辱めましたか。いいえ,イサクは同情して話を聴き,妻の恐れの気持ちを和らげるために措置を講じました。(創世記 27:46-28:5)マノアの妻は,夫の不安な気持ちに気づき,慰めとなる言葉を語りました。―裁き人 13:22,23。

      10 エルカナは妻の感情に敏感でした。妻の憂うつな気持ちに気づくと,「ハンナ,なぜ泣くのか。なぜ食事をしないのか。どうしてあなたの心は痛むのか」という優しい質問をして,妻の心の中にある意図を「くみ上げる」努力を払いました。(サムエル第一 1:8)あなたの場合はどうですか。配偶者の感情をすぐに探ることができますか。とがめられているような感じを持つことなく自分の感情を自由に言い表わせる,と配偶者に感じさせていますか。助言を浴びせかけるより,同情心を持った耳の必要な時がままあるものです。―箴言 20:5; 21:13。

      微妙な問題について話し合いなさい

      11-13 (イ)個人的な意思の疎通が特に難しいのはいつですか。(ロ)サラの心が非常に乱れたのはなぜですか。(ハ)サラはどのようにすることもできましたか。しかしサラは何を行ないましたか。

      11 あなたにとって苦痛となる事柄,また結婚生活を台なしにしかねないような事柄を配偶者が行なったり,許したりしている場合はどうですか。そのような時期にどうすれば意思を通わせることができるでしょうか。アブラハムとサラの生活に生じた一つのエピソードは有益な洞察を与えています。

      12 サラは,息子のイサクが乳離れした日に,奴隷のハガルを通して得たアブラハムの息子イシュマエルがイサクを「からかっている」ことに気づきました。b 十代のイシュマエルは,自分の代わりに,神から任命されたアブラハムの相続人となることが定まっていた5歳の異母兄弟を確かに嘲弄しました。サラはこの脅迫的な言葉にひどく悩まされました。夫が急死したらどうなるのだろうか。ハガルは多分,イサクではなく自分の息子こそ約束の相続人となるべきだと他の人を説きつけるのではないだろうか。―創世記 17:19; 21:8,9。

      13 サラはアブラハムが腹を立てることを恐れて自分の気持ちを抑えることもできました。アブラハムが深くイシュマエルを愛していたことを知っていたからです。サラは,ほかの問題については,自分の愛で覆うようにして,問題を起こさなかったのかもしれません。サラは,『アブラハムを「主」と呼んでこれに従った』妻として特筆されています。(ペテロ第一 3:6)しかしこれは危機的な状況でした。もとより,夫はわたしを悩ませている問題を分かってくれると考えて,アブラハムに対し“だんまり戦術”を取ることもできたでしょう。しかしサラはそうせず,意思を通わせました。「この奴隷女とその子を追い出してください! この奴隷女の子がわたしの子と,イサクと一緒に相続人となることはないのですから」とサラは言いました。―創世記 21:10。

      14 アブラハムはどんな行動を取りましたか。それはなぜですか。

      14 アブラハムはこの要求を非常に不快に感じ,少なくとも瞬間的には,イシュマエルに対する愛情のために考えが曇らされました。しかしアブラハムは,『よくもわたしに向かってそのように言えたものだ! この家族の頭は一体だれなんだ!』などとやり込めたでしょうか。そのようなことはありませんでした。神は実際次のようにアブラハムに言われたのです。「その少年とあなたの奴隷女とについてサラが言いつづけていることを何事も不快に思ってはいけない。その声を聴き入れよ」。翌朝アブラハムはその通りにしました。そのため平和が保たれ,神の目的が遂行されました。もっともアブラハムの心はそのためにひどく痛みました。―創世記 21:11-14。

      15,16 (イ)結婚生活に緊張を生じさせるような問題を幾つか挙げてください。(ロ)結婚している夫婦は,どのような面でアブラハムとサラに倣うことができますか。どんな結果になりますか。例を挙げてください。

      15 今日,結婚生活に緊張を生じさせるような問題は少なくありません。例えば,自分の配偶者は他の人に過度に注意を向けていると感じる人がいるかもしれません。無数の実際の経験も,研究調査も,夫あるいは妻が個人的な友人に,特に異性の友人に注意を払い過ぎると,結婚生活にかなりの緊張が生じることを示しています。あるいはあなたの配偶者は,仕事や趣味,もしくはあなたの結婚生活に有害な影響を及ぼす何らかの娯楽を大切にしているかもしれません。あなたの配偶者は,あなたの感情にむとんちゃくになっているかもしれません。あなたはサラのように,こうした微妙な問題について話し合い,これ以上傷が深まらないようにしますか。さらに,あなたの心に痛みを与える事柄を配偶者が持ち出した場合には,アブラハムのような反応を示し,神の指示を真剣に考慮しますか。このような反応の仕方は,自由な意思の疎通を促すのではないでしょうか。―箴言 27:5。

      16 もちろん,『愛は多くの罪を覆います』。(ペテロ第一 4:8)ですから,二人の相違点や人間としての欠点をことごとく取り上げて問題にすべきではありません。ところがある人々は恐れの気持ちから,重要な問題について話し合うことを差し控え,そうした問題について話し合うとしても,配偶者がそれを軽視してしまうようなことがありました。残念ながら,このようにして,しばしば結婚生活の災いを招く行動様式が定着します。クリスチャンである一人の妻は,性の営みを行なう時の自分の感情的な造りに夫が思いやりを示してくれないために,しばらくの間ひどく心を乱されていました。この妻は,夫の自己満足のために「利用されている」ように感じ,夫のもとを去ることを考えましたが,話しても夫は理解してくれないだろうと考え,この問題を夫と話し合うことはしませんでした。しかし,円熟したクリスチャンの助言に従い,ついに自分のうっ積した気持ちを打ち明けました。夫は自分の行動が妻にどんな影響を与えていたかを理解していませんでした。この夫は必要とされていた変化を遂げ,今ではその問題で二人の幸せが傷つけられることはありません。個人的な意思の疎通を改善することにより,結婚の誉れある立場を保つことにしましょう。

      舌の上にある愛ある親切の律法

      17 夫婦の舌にはどんな「律法」があるべきですか。例を挙げてください。

      17 しかし,個人的な意思の疎通が必要だということは,無思慮な話し方をしても構わないという意味ですか。「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」と記されています。(箴言 12:18)そうです,あなたが正しく,そして十分な誠意を持っていたとしても,無思慮な言葉はやはり人を「突き刺す」のです。有能な妻の舌には「愛ある親切の律法が」あると描写されているのはもっともなことです。(箴言 31:26)親切な話しぶりがいつも変わらぬものであるため,それは律法と呼ばれています。男性が努力を払ったのに失敗してしまったようなとき,妻の舌にあるそのような律法を夫は本当に感謝します。あるクリスチャンの男性は,商売上の損失のため打ちのめされていました。その時に察しのよい妻が,「やるだけはやってみたんですもの。今度はきっとうまくいくわよ」と言いました。夫は非常に元気づけられました。

      18 一人の妻は,この「律法」をどのように今まで以上に徹底的に実践しましたか。

      18 言い争いになったような場合には特に親切な話し方が求められます。争いを好む妻が皮肉たっぷりの話し方をすると,夫は追い立てられ,不毛の荒野に住むことを好むようになる場合があります。(箴言 19:13; 21:19)クリスチャンである一人の妻は,結婚生活で口論が生じていたため,この律法を今まで以上に徹底的に実践することにしました。どのようにでしょうか。この人は次のように説明しています。「何か気に触ることがある時でも,以前のようにはすぐに口を滑らしません。私たち二人だけになる一番良い時を待つようにしています。表情も抑え,子供たちのいる所では夫を悪く言いません。この方法により,確かに変化が生じました!」 もちろん,夫と妻の双方が,自分の出す言葉は相手の自尊心という観点から見てどれほどの害を及ぼすかということを考慮しなければなりません。―箴言 25:11。ガラテア 5:15。

      19,20 (イ)「洞察力」を持つとはどういう意味ですか。(ロ)洞察力は,一人の夫の怒りをどのように静めましたか。どんな結果になりましたか。(ハ)どのような啓発的な質問がありますか。

      19 しかし,感情が高まってきた場合には何が必要でしょうか。洞察力です。「賢い者の心はその口に洞察力を示させ,その唇に説得力を加える」。(箴言 16:23)洞察力とは,表面的な事柄の背後にあるものを見る力のことです。ネヘミヤ 8章8節でこのヘブライ語は,「意味」と訳されています。洞察力はどのように議論をとどめるでしょうか。ある夫が家に入ってみると,妻はかんしゃくを起こして銀食器具のたぐいを部屋中に投げつけていました。そして泣きながら,出し抜けに「わたしのことなんかどうでもいいんでしょう? あなたったら,家に帰って来ると庭でばっかり時間をつぶしてるわ。助けて欲しいのよ!」と言いました。しかしこの妻を本当に悩ませていたのは,身体的また感情的な欲求不満でした。赤ちゃんが生まれたばかりなのに,また別の赤ちゃんを身ごもっていたのです。自分は家の中に閉じ込められている,と妻は感じていました。夫には洞察力がありました。クリスチャンらしからぬ妻の荒れ模様の背後に欲求不満のあることを見て取りました。夫はどう答えたでしょうか。「ごめんよ,家にいて君を助けてあげるべきだったね」。妻はすぐに静かになりました。後日この妻は,「夫に対する敬意は,また一段と高まりました」と自分の気持ちを明かしています。

      20 「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」という箴言 19章11節の言葉は何と真実なのでしょう! あなたはこのような洞察力を示しますか。言葉の背後の意味を見抜きますか。個人的な違犯をゆるすことができますか。洞察力があれば,相手に対してどんな要求をしようとも,そこに説得力が加わります。そうです,思慮深くて洞察力を持つ配偶者は,エホバからの賜物であり,貴重な結婚生活に貢献します。―箴言 19:14。

      相違点と不完全さを考慮に入れなさい

      21 相違点を受け入れるなら,どのように結婚生活を貴重なものとして保つことが可能になりますか。

      21 最善の努力を払ったとしても,万事において意見が同じという夫婦はいません。相違点は存在します。25年以上前に結婚した一人の旅行するクリスチャンの監督は次のように述べました。「ある夫婦は,『私たちはあまりにも違います!』と言います。それで二人はそのような相違点ばかりに注意を向け,やがて共に生活できなくなってしまいます。確かに,私と妻にも好みの違いが幾らかありますが,共通していることもたくさんあります。共通している事柄に焦点を合わせることにより,私たちの結婚は日ごとに貴重なものとなってゆきます」。あなたも同じように,結婚生活におけるさまざまな相違点に進んで順応し,それを考慮に入れますか。

      22 (イ)夫と妻が結婚生活において実際に満足を得るために,何が助けになりますか。(ロ)あなたの結婚生活を誉れあるものに保つ上で最も強力な動機となるのは何ですか。

      22 完全な配偶者は存在しません。満足は,相違点を受け入れることと小さな弱点は我慢することを学ぶときに得られます。(コロサイ 3:13)事実を言えば,神にいつまでもわたしたちの友であって欲しいと願いつつ,神との関係を保つことが,わたしたちの結婚を誉れあるものに保つ最も強力な動機になるのです。エホバとの関係に敬意を払うゆえに結婚生活を成功させようと努力してきたクリスチャンたちの歩みは,本当にほめるべきものです。

      23 どのようにすれば,わたしたちの結婚生活を貴重なものに保つことができますか。

      23 なおざりにされた結婚生活はすべて輝きを失います。しかし,(1)個人的な意思の疎通を改善するため,(2)自分の舌の愛ある親切の律法を守るため,(3)相違点と不完全さを考慮に入れるための真剣な努力を払うことにより,輝きを取り戻すことができます。こうした努力を払うなら,神の祝福と相まってあなたの結婚生活はあなただけではなく,結婚生活の偉大な創始者にとっても貴重なものとして保たれるでしょう。

  • 夫の皆さん,自己犠牲的な愛を示してください
    ものみの塔 1983 | 9月1日
    • 夫の皆さん,自己犠牲的な愛を示してください

      「夫たちよ,妻を愛し続けなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されたのと同じようにです」― エフェソス 5:25。

      1 クリスチャンの頭の立場が,要求される事柄も報いも多いものであるのはなぜですか。

      「結婚! これほど多くを男性に要求するものはほかにない!」 そう書いたのはノルウェーの詩人,イプセンです。頭の立場に関する聖書の原則を考えて,あなたも心からの共感を覚えるかもしれません。それでも,クリスチャンの頭の権を正しく行使するなら,心の安らぐ,相互の愛と敬意の宿る安息所としての家庭生活を築くこともできるのです。しかし,神から任命された頭としての立場には,神のみ前におけるより大きな責任が伴います。―ルカ 12:48。

      2 家庭内の幸福は,もっぱら夫の努力だけにかかっていますか。

      2 このことは,もっぱら夫だけが家庭内の幸福に責任を持つという意味ですか。そうではありません。夫も妻も家庭内の雰囲気を改善する努力を払わなければなりません。(箴言 14:1)これから述べる事柄の多くが夫に適用されるということは,妻が夫ほど不完全なものではない,という意味ではありません。以下に述べる事柄は,クリスチャンの頭の立場に関する要求にかなった生き方をするよう夫たちを助けることを目的としています。ではどのように頭の権を行使すべきでしょうか。これはクリスチャンすべてが ― たとえ独身者であっても ― 理解する必要のある問題です。

      キリストが会衆を愛したように愛しなさい

      3 エフェソス 5章25節は,頭の立場のあるべき姿をどのように描写していますか。それは何を意味しますか。

      3 「夫たちよ,妻を愛し続けなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されたのと同じようにです」と使徒パウロは書きました。(エフェソス 5:25)夫には,家族の中で最終的な決定を下す聖書的な権利が与えられているため,ともすると利己主義が入り込みやすくなります。明らかに,家族で決定する事柄の大半は,個人的な好みが重要な役割を演じます。あなたは,聖書の原則が関係していない場合,自分自身の好みを優先させますか。夫はイエスの自己犠牲的な愛に倣わなければならない,という点に注目しましょう。イエスは弟子たちのためにご自身を引き渡されました。『キリストは自分を喜ばせることはされませんでした』。(ローマ 15:3)自己犠牲とは,他の人の益のために,何らかの楽しみを断念する,あるいは面倒な事柄や不便な事柄を甘受する,という意味です。

      4 イエスはどのような方法で弟子たちに対する関心を示されましたか。

      4 イエスが多大の関心を抱いておられたのは,弟子たちを霊的に助けることでした。義に関しては毅然としておられましたが,弟子たちが間違った考えを述べたり,ごう慢になったり,血気にはやったり,憶病になったりした時にも,決して苛酷な態度を取られませんでした。(マタイ 18:1-3。ルカ 22:24-26,47-51,59-62)イエスは『神の言葉により』,またご自身の模範により,弟子たちが重大な弱点を克服し,集団として「神聖できずのない」ものになるよう助けました。―エフェソス 5:26,27。

      5,6 夫はどのように,イエスの自己犠牲的な愛に倣うことができますか。これが特に難しいのはどんな時ですか。

      5 あなたはこのような自己犠牲的な愛を示しますか。男性の中には,妻に物質的な備えをしてやっていることがすでに十分な犠牲だ,と考える人がいます。なるほど,そのような労働は骨の折れるものであり,深く感謝されるべきです。それでも,イエスの模範の中心にあったのは,弟子たちの身体的な必要に加え,霊的また感情的な必要を世話するためにうむことなく努力されたということです。家族を物質的に世話するに当たってこの世のありとあらゆる煩い事を経験するため,多くの男性が,家に帰ったら精神的に煩わされたくないと考えるのは理解し難いことではありません。聖書に従おうとしない家族においてこの態度はごく普通に見られますが,残念なことに,クリスチャンである一人の妻でさえ,このように告白しました。「夫は私に全く指示を与えてくれません。ある事について導きが欲しいと心を打ち明けて話すのですが,夫は上の空なのです」。

      6 自己犠牲的な愛が答えとなります。妻が面倒な問題を抱えている場合,言葉や顔の表情で妻をうとんじるのではなく,この愛に動かされて,忍耐強く妻と問題を論じるようにします。妻の霊性に深い関心を示し,妻と共に聖書を学び,一緒に神聖な奉仕にあずかるようにします。本来は自分が責任をもって決定すべき重要な事柄を,妻に肩代わりさせないようにします。妻がくつろいで少し休める機会を持てるようにも気を配ります。(マルコ 6:31)このように率先して物事を行なえば,妻は自尊心と真の安心感を抱くようになります。

      へりくだった心

      7 平衡を保って頭の権を行使するために,どのような特質が必要ですか。

      7 往々にして男性は,頭の権に関して平衡を取ることに困難を覚えます。妻が何かの提案をしたり,幾分批判的なことを言ったりするだけで,ある人は脅威を感ずることがあります。クリスチャンで頭の立場を占める人々に対する手本であられるイエスは,「わたしは気質が温和で,心のへりくだった者……です」と言われました。(マタイ 11:29)イエスの謙遜さは表面的なものではなく,だれかが自分と意見が異なるからといって失われてしまうようなものではありませんでした。

      8,9 (イ)サラはどんなことでアブラハムを責めましたか。なぜそうしましたか。(ロ)アブラハムがサラを軽視せず,また厳しい答え方をしなかったのはなぜですか。

      8 アブラハムもまた謙遜さに関する模範です。妻サラは,奴隷女のハガルから軽べつ的な扱いを受けました。アブラハムはこの横柄な振る舞いに気づかなかったか,気づいていても速やかな行動を取りませんでした。サラはこう言いました。「わたしになされた暴虐はあなたが負ってくださいますように。わたしは自分のはしためをあなたの懐にゆだねましたが,彼女は自分が妊娠したことに気づき,わたしはその目に侮られるようになりました。エホバがわたしとあなたとの間を裁かれますように」― 創世記 16:5。

      9 この言葉はアブラハムの心をひどく痛めたに違いありません。アブラハムは心からサラを愛しており,彼女を傷つけたいとは少しも思っていなかったからです。サラには,自分が窮地に追い込まれたことについてアブラハムを責める理由があったかもしれませんが,その反応は度の過ぎたものだったと言えるでしょう。サラは,アブラハムが公正ではないかのように神に訴えたからです。では,アブラハムは自分の頭の権を守るために激しくののしりましたか。サラは不従順だと考えましたか。アブラハムは,自分が神の指導に答え応じた時,サラがウルにあった快適な家をあとにし,10年以上も天幕で生活してきたことを知っていました。それは正に服従の表われでした! サラの従順で利他的な支援により,サラはアブラハムにとっていとおしい存在になりました。(ペテロ第一 3:5,6)「見なさい。あなたのはしためはあなたに任されている」というのがアブラハムの温和な答えでした。「あなたの目に良いと思うことをそれに行なうがよい」とアブラハムは述べました。(創世記 16:6)アブラハムは心のへりくだった人だったのです。何と雄々しい人でしょう!

      10 (イ)夫はどのようにアブラハムに倣うことができますか。(ロ)いつもうまくいくものですか。

      10 妻から何かの問題で責められるようなとき,アブラハムのような反応を示すようにしましょう。いつも簡単にできるわけではありません。自分に不十分な点があるときもあるでしょう。しかし耳を傾け,妻の言うことを理解し,評価する努力を払ってください。時折,妻は感情を爆発させて,穏当ではない言葉を用いるかもしれません。サラのように度の過ぎた反応を示すかもしれません。どうすれば一緒に問題を解決できるか,よく調べるようにしてください。

      11 なぜ夫は妻を“劣った”人間と見てはなりませんか。

      11 確かに夫は,家族のためにさまざまな規則を設けることができます。(ローマ 7:2)しかし,あなたの妻は子供でも,“劣った”人間でもありません。エホバは,「わたしは[男性]のために,彼を補うもの[文字通りには「彼のようなもの」]となる助け手を造ろう」と言われました。(創世記 2:18)エバはアダムと同程度の知力を持ち,アダムと対をなすものになり,神からの割り当てを果たすアダムを本当に助けることができるはずでした。

      12 (イ)ある夫が心の慎みを培ったとき,何が成し遂げられましたか。(ロ)慎みは,結婚生活の幸福にどのように寄与しますか。

      12 箴言 31章に描かれている有能な妻は,夫に信頼されました。彼女は地所を買い取り,「自分の手の実から」ぶどう園を設けることさえしました。決して小さな仕事ではありません! 夫は,自分の頭の権が危うくされたと感じて憤ったでしょうか。いいえ,夫は妻をほめました。(10,11,16,28節)同様の態度を取れば,不必要な議論を避けることができます。例えば,一人の夫とその妻はいつも言い争っていました。夫のほうは明らかに,“威張り散らして”頭の権を行使していました。祈りのうちに自己吟味をしてから,この夫は適切さを欠いたこの誇りを抑え,妻の提案を評価し始めました。やがて金銭的な事柄を一部妻に見てもらうようにもなりました。夫は現在,「妻はすばらしい仕事をしてくれます」と語っています。妻はそれに付け加えて,「私はただ信頼されることを望んでいました。夫が自分を信頼してくれていることを実感できるのはすばらしいことです」と話しています。箴言 13章10節はこのように警告しています。「せん越であることによって人は闘いを引き起こすだけである。しかし,一緒に協議する者たちには知恵がある」。慎みのある夫は自分の限界をわきまえ,妻の腕前を歓び,そうすることにより自分が心に慎みのある者であることを示します。―箴言 11:2。

      「弱い器」に誉れを示しなさい

      13 (イ)ペテロ第一 3章7節は,夫が何をしなければならないことを示していますか。(ロ)どんな感情的な必要のために,女性は「弱い器」となっていますか。

      13 使徒ペテロはこのように書きました。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって[あなたの]妻と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい」。(ペテロ第一 3:7)女性が弱い器であると考えられる基本的な理由,つまり妻の感情的な造りについての知識を持たなければなりません。妻は,自分が夫から愛され,大切にされていると感じる必要があります。どんな物質的なものを持っていようと,この一つの要素が欠けていると,妻は不足を感じます。はるか昔,ある夫は妻に対し,「有能さを示した娘は多くいる。しかしあなたは ― あなたはそのすべての者より優れている」と述べましたが,妻は夫がそのように感じていることを確信していなければなりません。―箴言 31:28,29。

      14 どうすれば,女性は感情的な安心感を抱きますか。

      14 『僕が妻を愛していることくらい,妻は分かっているはずです。彼女と結婚したじゃないですか』と,ある男性は考えるかもしれません。しかし女性は,愛情を表現されることによって豊かになるのです。忠実な人イサクはこの必要性に敏感でした。結婚後35年たっていたにもかかわらず,イサクは妻に愛情を示したことが分かります。(創世記 26:8)同じようにするのです。注意を向けることにより,自分の心が妻と共にあり,自分にとって『妻はすべての女性に勝っている』ことを妻に知らせてください。

      15 自分の妻に注意を向けるためには,夫は何を守らなければなりませんか。これが非常に重要なのはなぜですか。

      15 このように注意を向けるためには,時間と思考が必要です。ある夫たちは,新しく知った魅惑的に思える人に注意が向きやすいことに気づいています。このことは,マラキの時代のイスラエルで生じました。エホバは自分たちの妻を不実に扱っていたこれらの自己中心的な男子に対して,『あなた方は,自分の霊に関して自らを守らなければならない』と言われました。(マラキ 2:13-16)そうです,これらの人たちは,自分の感情を守り,それに警戒する必要がありました。わたしたちは,他の女性の近くで働いたり生活したりしているかもしれないので,同じようにすべきです。利己主義やけん怠感や好奇心のために,自分の霊,つまり自分の妻に対する内面的な感情が変わることのないよう,意識的に努力し,自己訓練をしなければなりません。―マタイ 5:27-30。

      妻が「当然受けるべきもの」

      16 結婚生活のどんな面で多くの問題が生じますか。コリント第一 7章3,4節には,どのように利他的な態度が示されていますか。

      16 結婚における「当然受けるべきもの」に関しては,特に自己犠牲が必要となります。「夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。妻は自分の体に関して権限を行使するのではなく,夫がそうするのです。同じように,夫も自分の体に関して権限を行使するのではなく,妻がそうするのです」。(コリント第一 7:3,4)デリケートなこの関係において数々の問題が生じます。ある調査研究が示すところによると,すべての夫婦の約半数が,結婚生活の中でいつか深刻な性の問題を経験するとのことです。

      17 (イ)結婚における当然受けるべきものを妻に与えることには,何が含まれるべきですか。(ロ)一人の研究者は妻の必要についてどのように説明していますか。

      17 多くの夫たちは,妻の必要,つまり性的に「当然受けるべきもの」が自分のそれと同じだと考えがちです。全く異なった文脈においてですが,パウロはすべての「当然受けるべきもの」が一様ではないことを示しました。ローマ 13章7節においては,ある政府当局者にとって当然受けるべきものとは税であり,別の人にとっては貢ぎであり,さらに別の人にとっては誉れです。求められている当然受けるべきものは,個人の特定の必要や要求に依存しているのです。結婚における妻の当然受けるべきものに関しては,身体的な結合以上のものが必要です。「家族・社会・個人」という本の中で,研究者のウィリアム・M・ケファートはこう述べています。「したがって,女性の性の本質は,愛と愛情という観点から最もよく言い表わすことができる。……性活動に携わっている間,普通の女性は,抱擁されたり,愛撫されたり,接吻されたりする恋愛行動にも同程度の関心を持っているものと思われる。……性を,身体上の別個の動因としてではなく,優しさや愛という観点から考えることが女性の本質に備わっているようである」。

      18 何から,自己中心的な態度の生ずることがありますか。

      18 「弱い器」としての妻の感情的な造りのために,夫は自己犠牲を払い,自分自身の満足だけに関心を抱かないようにすることが必要です。さらに,性を売り物にした情報を楽しむようになると,誤った「性的欲情」が生じたり,自己中心的になったりして,快いはずのものが下品で粗野なものになってしまいます。災いのようなこうした情報は避けなければなりません!(コロサイ 3:5)むしろ,忍耐強く,優しい愛の表現を通して,あなたの妻に「当然受けるべきもの」を十分に与えてください。―コリント第一 10:24。

      自己犠牲は心を動かす

      19 夫が自己犠牲的である場合,クリスチャンである妻はそれを利用すべきですか。

      19 夫の側の自己犠牲をこのように強調すると,『妻はいつも自分のしたいことを主張して,それを利用するのではないか』と感ずる人がいるかもしれません。そのようであってはなりません! クリスチャンである妻は,イエスの自己犠牲的な愛に対して会衆が行なったように反応しなければなりません。パウロはこう書いています。『キリストの持たれる愛がわたしたちに迫るのです。彼がすべての人のために死んだのは,生きている者たちがもはや自分のために生きないためです』。(コリント第二 5:14,15)ですから妻も,利他的な態度をもって答え応じなければなりません。クリスチャンである一人の幸福な妻が述べた通りです。「主人は私を気遣ってくれます。ですから,大変難しい神権的な割り当てであっても,私たちが奉仕を続けられるよう,主人のために全力を尽くします」。

      20 (イ)創世記 3章16節を熟考するとき,夫と妻の双方が平衡を失い得ることがどのように分かりますか。(ロ)妻が,夫のとがをすぐに指摘してはならないのはなぜですか。

      20 妻の皆さん,皆さんの側としては利他的であることが必要です。男性が妻を利己的に支配して頭の権を乱用することがあるのと同じように,妻も夫の注意を過度に求めることがあります。(創世記 3:16)平衡を保つのは容易ではありません。夫には,会衆での重要な務めを含め,さまざまな要求が課されており,必然的に,あなたの感情的な必要すべてを満たせない時が生じます。「ヤハよ,あなたの見つめるものがとがであるなら,エホバよ,いったいだれが立ち得るでしょうか」と,詩編作者は告白しました。だれ一人立つことはできません!(詩編 130:3)夫がエホバの前で言い開きをするのと同じように,あなたも言い開きをするのです。しかし今,憐れみに添えて,夫が行なう良い事に対して感謝を表わすなら,夫の目だけではなく,心そのものをもとらえることになります。

      上からの助け

      21 神はどのように助けてくださいますか。例を挙げてください。

      21 無論,これらすべての責任は,人を圧倒するように思えるかもしれません。しかし神は,『その霊による力をもって,あなた方の内なる人[あるいは女性]が強くされる』よう助けてくださいます。あなたがどんな重荷をも負えるようにしているのは,この内的な力です。エホバはご自身の力を通して,「わたしたちが求めまた思うところのすべてをはるかに超えてなし」うる方だからです。(エフェソス 3:16,20)一組のクリスチャンの夫婦はさまざまな問題があって別居しました。しばらくして二人は共に座り,和解の可能性について話し合いました。またもや大声を張り上げるようになりました。その時に夫のほうが,二人で一緒に祈ることを提案しました。二人の心は静まりました。夫はこのように打ち明けています。「これが私たちの結婚生活の本当の問題のようでした。エホバに問題に介入していただくのではなく,自分たちだけで問題を解決しようとしていました。ですから,何一つうまくゆきませんでした」。5年以上前に一致を取り戻した妻はこう言いました。「本当によくなってきています。私たちが聖書の真理を適用すればするほど,私たちは幸福になります。今,私たちの結婚生活のあらゆる面にエホバを含めるようにしています。宣べ伝える業も一緒にして,とても楽しんでいます」。

      22,23 (イ)クリスチャンの結婚生活は何を中心としたものであるべきですか。(ロ)多くの妻たちはなぜ心からほめられるべきですか。

      22 そうです,クリスチャンの結婚生活は,ただ単に配偶者を喜ばせることではなく,神との関係を中心としているべきです。パウロが書いた通りです。「妻を持っている者は持っていないかのようになりなさい」。(コリント第一 7:29)もとよりパウロは,妻を無視するよう夫に告げていたのではありません。結婚している男子が「妻の是認を得」ようと熱心になるのはごく当然のことです。(コリント第一 7:33)しかし男子が霊的に進歩を遂げ,良い夫としての特質を示すとき,その人は会衆内の奉仕の特権を果たすよう任命されることでしょう。そうなれば,以前には妻と過ごしていた時間の幾らかが取られることになります。もっとも夫は平衡を失うべきではありません。それでも妻は,時折,夫から十分な注意を向けられることなく過ごさなければならないかもしれません。

      23 夫が会衆の必要な務めを果たさなければならなかったいろいろな機会に,利他的な態度で辛抱強く待ってきた妻は少なくありません。そのような妻の皆さんは本当にほめられるべきです! あなたの忍耐強い支持は,夫とエホバから深く感謝されています。あなたは夫にとって聖書が述べる「冠」となり,『エホバからの善意』をもたらす者となるのです。―箴言 12:4; 18:22。

      24 夫と妻は個人的に何をするよう努めるべきですか。

      24 ですから夫の皆さん,自己犠牲的な愛を示し続けてください。妻の皆さん,利他的な支持をもって引き続き答え応じてください。神との関係を中心に結婚生活を築き上げてください。そうするとき,優しいみ父があなたの努力を豊かに祝福してくださいますように!

      思い起こしますか

      □ 夫はどのように,『キリストが会衆を愛されたように妻を愛し』ますか

      □ 夫はどのように,アブラハムのへりくだった心に倣うことができますか

      □ 夫はどのように,弱い器としての妻に誉れを示しますか

      □ そのような自己犠牲に対し,妻はどのような反応を示すべきですか

日本語出版物(1954-2026)
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